こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapist、エピソード19本目ということで、今回はタイトルは決めきってないんですけど、
このAdvanced Therapist、音声配信だけじゃなくて、ようやく記事みたいなものをノートで配信していて、
そこでですね、32本目の後半部分で、理学療法は平和に貢献できるのかっていうテーマをしゃべったんですけど、
そこにいいねというか、ノートだと好きって出ますけど、これが結構たくさんついててですね、
この辺から、結構平和みたいなところに興味を持つ人がいるのかなというのがありますし、
最近の社会情勢とか、政治のところも結構変化が大きいところなので、
医療とどう繋がるのかみたいな話をちょっといろいろしていけたらなと思います。
よろしくお願いいたします。
もしかしたら平和のところでしゃべったことと重複するところもいくつかあるかもしれませんが、
現在、平和というものがどうやって保っていけるのかというところが、
非常に社会的というか世界的にもテーマであるような気がします。
平和の時にも話したと思うんですが、平和というのは戦争状態の対義語では決してなくて、
平和ということの方が不自然であると。
本来は人類というのは闘争状態で、
例えば自然界なんかもそうですよね。
誰かのものを奪って、いわゆる獲物を飼っていくとかっていうのが本来の自然界の状態で、
それがない状態というのは不自然なわけだと。
つまり平和というのは相当な努力によって得られるものなんだというような前提に立って話していかなきゃいけないというところが、
前のところの一つのトピックだったと思うんですけども、
田代さんは今現状の世界、日本というところを中心に捉えてもいいと思いますけども、
世界をどういうふうに捉えたり不安に思っているのか、楽観的に捉えているのか、どんなふうに考えてますか。
悲観と楽観両方あるような気はするんですけど、
悲観的な見方であれば、台湾有事のリスクとかもなくはないかなと思いますし、
あとはイスラエル・ガザーのあたりとか、
ウクライナ・ロシアとか、自分もヨーロッパとか方面でスポーツ関係だったり学会で行くこともあったりはしましたけど、
最近ちょっと行きづらいなぁみたいなことは感じてたりしますし、
そういう世界情勢どうなるんだろうみたいな不安とかはありつつも、
日本国内で生きている分では物価上昇とかあったりはしますけど、
ある程度独立で仕事して生きていけるっていうのもありますし、
高市さんに代わったっていうのもあって、少し変化の兆しが見えなくもないというか、
そこに期待している人も周りではいたりはするんで、
そういう楽観と悲観が織り混ざった感じかなというふうに見てますかね。
確かにそれが引きこももの状況というのはおそらく正しい感じだと思うんですけども、
歴史的に見ていくと、200年ぐらいのスパンで世界を見ていったときに、
非常に大きく戦争が動いたところでいうと、
一つはフランス革命以降の国民国家における戦争というところ、
それまでは王と偉い人同士の戦争だったのが、
フランス革命以降は国民国家の戦争に変わってきたと。
そして第一次世界大戦から第二次世界大戦において、
非常に大きく戦争が変化した。
その大きく変化したというのは一つは技術革新ですよね。
その技術革新において大量の人が死ぬようになったと。
特に本当にゲームチェンジャーとして現れたのが核爆弾ということになるわけです。
それをバックグラウンドにするから、
大きく戦争をやったとしても、
一戦を超えない戦争というものが一つの考え方になるわけですよね。
核を使ってしまうこと自体は、もう世界の破滅だというような認識ができてしまう。
その中で第二次世界大戦の後に非常に多くの人が死んだ戦争というとベトナム戦争なわけです。
これも結局一つは代理戦争的にやって、
内政干渉というか他国のところにアメリカ自体が侵略していくという、
これアメリカの侵略といったら怒られるかもしれませんけど、実際はそうですよね。
その後にワーガー戦争だとか、
あとはタリバンとの問題、あるいはISとの問題、いろいろなことは起きてきますけれども、
第二次世界大戦ほど人が死ぬような戦争というのはないわけですよね。
恐らく今後も戦争というのは、そんなに多くの人が死ぬというようなことはない状態であるが争っている。
特に映像的に爆弾が爆発したりだとか、ミサイルが着弾したりだとか、
あるいは市民がすごく影響を受けているというものがリアルに分かってくるということで、
戦争の概念は恐らくこの200年の間で一つ同じ戦争といったとしてもだいぶ違うわけですよね。
我々が今危惧している戦争といったときは、近代型、現代型の戦争なので、
自分たちが大きい被害を受けるということよりも、
どこかで悲しんでいる人がいる、どこかで辛い目に遭っている人がいるということに対する不安を持っていくのかなというふうには捉えています。
AIでまたフェイクニュースが出てきたりとか、認知戦みたいなこともあったりしますけど、
それによって結構政治のところも大きく変わるかなと思いますし、
情報の取り扱いみたいなところが近年だと大きく取り上げられる感じですか?
そうですね。この情報の取り扱い方によって人というのは不安に煽られたりしますし、喜びを得たりするということですけれども、
結局、平和というものを作っていこうとするときに、誰かが上手にバランスをとっていかなきゃいけない。
そのバランサーというものがいる時代というのは平和が訪れやすいわけですよね。
歴史的に言うと、第一次世界大戦前のプロセインのビスマルクという人が非常に重要なバランサーになったと。
これは評価は様々ありますけれども、あえて自民党政治というのを一つ良いとして捉えたときに、
安倍さんが世界のすごい重要なバランサーになってたという表現をする人たちも多いんですよね。
トランプともプーチンとも喋れたと。
あるいは習近平ともそんなに仲が悪かったわけでもない。
世界というのがあまりにもバランスが悪かったときに、安倍さんがバランサーになってたんだ。
今の高市さんにそれを期待する声というのが出てきたりしているわけですよね。
トランプさんは戦争を終結させる重要なバランサーになろうとしているというのはありありと見えてて、
本当に面白くも助かる存在ではあるんですよね。
前トランプ政権のときにトランプさんが非常にアウツサイダー的な政治家であるけれども、
彼はアメリカの大統領の大体2期8年アメリカの大統領をするとどこかで戦争をするんですよね。
前期のトランプさんはアメリカ自体がどこかに攻撃するということをしなかったんですよね。
今の昨日トランプさんも攻撃をしようとしないということは、
ミランにバンカーバスターを落としましたけど、
あれを戦争とするかどうかという評価は一旦置いておいて、あまり戦争を好んでいないのであると。
となったときに、今トランプさんがアメリカの大統領に就任している期間というのは、
大きな戦争は起こさないんじゃないかというような期待はあるわけですよね。
それに対して結局その戦争を起こすかもしれない可能性を持っているという代表がおそらく今の中国だと。
ただ中国からすると彼らは実際に他国の侵略というのはしないんですよね。
じゃあ何をするかというと内戦をするわけですよ。台湾有事というのも内戦になりますし、
例えばウイグルの問題、チベットの問題というのは内戦なんですよね。
だから中国というのは実は一戦を越えてこないという非常にこれまた面白い考え方を持っているわけですね。
それに比べてロシアというのは他国侵略をする国なので、
でもロシアの言い分からするとウクライナというのはもともと俺たちの同じ国だったんじゃないかというような言い分ですし、
このあたりは我々日本人の感覚からすると、
例えば北方領土に対して侵略したりだとか、あるいはサハリンに対して侵略したりとかするときに、
どういうふうな大義名分になるかというと、ここはもともと俺たちの土地だから返せと。
だけどもこれがハワイを侵略するとか、あるいはフィリピンの方まで侵略するとかになってくると、
またちょっと概念が変わってくるわけですよね。
だから中国にもロシアにも言い分がある、アメリカにも言い分があるというところが戦争の難しさということだと思います。
何が起きているかというと、非常に面白いなという考え方が、
今までは右と左なんですよね。
リベラルと保守という右と左、右派と左派という、
これはもともとフランスから、イギリスから議会で、
右側に座った人たちと左側に座った人たちが意見が違うということで、
右派と左派というふうにできたわけですけれども、
同時に現代は右派と左派よりも問題なのが上下だっていうんですね。
つまり富裕層と貧困層の問題だって言ってるわけです。
その移民の問題をたくさんちゃんと見ていくと、
移民というのはもともと貧困層なわけですよ。
その貧困層の人たちっていうものに対して、
上手に施策がうまくいかないと、
貧困の人たちっていうのは必ず、
必ずではないですけども、悪事に手を止めたくなるような状態。
これは世界において移民のみならずだと思いますけど、
貧困の人たちっていうのは追い詰められて、
することが最終的に犯罪にいかざるを得ないとか、
犯罪というのは人のものを奪う犯罪もあれば、
例えば薬剤だとか薬の犯罪もあるわけですよね。
そういったこと自体の施策が落ち着いていないというのが、
本来のあり方、本来の状況なんですけども、
今のヨーロッパというのは先ほど言ったように、
経済基盤はかなり移民の人が支えていて、
今円、ユーロってものすごいユーロが強いんですよ。
だから一方的にユーロは実は強くなっているんですね。
それの経済基盤というのは明らかに移民なんです。
なぜかというと、日本は人口減なんですけど、
ヨーロッパは人口減の部分を移民で支えてますから、
労働者確保できてるわけですよ。
だけどもその人たちが悪いことしたら出ていけっていう、
非常にアンビバレントというか、
大きな問題を抱えている。
そうなる前に日本は入れるなという判定をしている。
じゃあ入れない代わりにどうするかというと、
経済的な問題というのは自分たちで担保したというところになっている。
福祉的な社会保障だとか、
どういう方まで包摂して助けるかみたいなところは、
国によってかなり違うかなと思いますし、
日本であれば高齢化の問題も進んできて、
そこは高齢化先進国的な使いで、
介護の仕組みとかもあるかなと思いますけど、
単純にそこでいい仕組みができたからと言って、
海外に輸出できるかどうかというと、
国の基盤みたいなところも違うから、
この辺が難しそうだなと思いました。
まさに日本自体が今後、
移民政策をどうするかといったときに、
どういうふうな人たちを仲間とするかというところの絶対条件は、
税金を納めることとか社会保障を納めることなんですけど、
移民側からの意見からすると、
ちゃんと納めているのに、
なぜ選挙権がもらえないんだとか、
国民として認めてもらえないんだとかという問題があるわけですね。
だから日本人からすると、そうはしてほしくない。
つまり、やっぱり大和民族と言われる人たちが非常に多い国なわけですね。
もちろん琉球の人、アイヌの人、
あるいは朝鮮族の人、中華族の人とかっていうような、
日本に国民っているんですけども、
やはり大多数が大和民族だっていう、
特殊形態をとっている国だと。
そうなった時に、アラブ系だとか、
あるいはアフリカ系だとかが入ってくること自体の、
人種における混じり合いをひとつ怖く思っているっていうのが、
これがやっぱり日本の特徴で、
アメリカとは真逆なわけですね。
例えば、日本ってキラキラネームっていう言葉がありますよね。
あれ何でか知ってます?
何でキラキラネームっていうかっていう。
なんでなんでしょうね。
人種の多様性がないからです。
アメリカとかってなったら、アフリカ系の人もいる、
メキシコ系の人もいる、ヨーロッパ系の人もいる。
だから名前に統一性がないわけですよ。
なるほど、もともと。
統一性があるとすれば、クリスチャンネームって、
例えばジョンさんってのはヨハネですよね。
マイクってのはミカエルとかっていうふうに、
キリスト教の聖書からとっている名前の人たちからすると、
例えばアフリカ系のインザさんとかって、
ンから始める人たちはキラキラネームなわけですけど、
だけどその人たちはその文化から来ているから、
それが普通なわけじゃないですか。
でも日本ってかなり民族形態、苗字形態っていうのが、
確かに名前のパターンが非常に多いんですよ。
例えば苗字のパターンって、
中国だとか韓国に比べたらめちゃくちゃ多いんですね。
だけども下の名前ってなった時に、
それが変になってくるとキラキラって言うんですよ。
キラキラ苗字とか言わないじゃないですか。
だけどキラキラネーム、これは民族多様性の低さの象徴なんですよ。
民族多様性が少ないっていうのは悪く言ってるわけじゃなくて、
そういう風な文化圏だってことです。
なるほど。
なので多様性っていう意味では、
アメリカの方がかなり多様な人はいると思いますし、
それを元にした政治システムもできてきてると思うので、
多様性を受け入れる基盤とかを作ってこようとしてきたと思うんですけど、
それでもまだいろいろ課題が出てきてるという感じですかね。
そうですね。
これまたちょっと後に医療の方に近づけていくための準備として、
日本とかあるいは中国だとか、
アジア全体がそうなんですけど、
その中央集計制なんですね、政治形態が。
これは古くから、
それこそVの時代に大法律令ができた時代ぐらいから、
あるいはもうちょっと前からかもしれませんけど、
中国っていうのは中央集権化してるわけですよね。
日本はそれを奈良からあるいは京都に移る時代の中で、
中国から仏教だとかと同時に政治システムを入れてきて、
日本もどちらかというと中央集権化をやろうとした。
また日本は中央集権化をやろうとしたが、
その武士の時代が台頭してしまったので、
政治システムは中央集権をやろうとしたんだけれども、
軍事システムは武家が持ってるわけですね。
武家と工芸というのが両方に台頭しながら、
ある種上手にやってきた国なわけです。
特に江戸時代、280年続く江戸時代というのは、
武家と工芸が上手にやりながらも、
武家なんだけれども武力集団ではないわけですよね。
むしろ将軍というものを、
将軍というのは軍事の最高司令官なので、
軍事の最高司令官が権力の最高に取ったので、
言ってしまったら軍事政権なんですね。
江戸幕府というのは。
だけども別にそれはシステムとして、
軍、抜、言ってしまったらヤクザが多くの国にいて、
その人たちをまとめ切ったというのが江戸幕府だ。
中国というのはその系統もあるんだけれども、
同時に徹底した官僚制度を続けたわけですよね。
なのでアジアって中国の影響が非常に強いので、
中央集権化してると。
しかしヨーロッパだとかアメリカだとかっていうのは、
必ずしもそうではないんですよね。
特にアメリカっていうのは中央集権化しない国なので。
だからその西洋とアジアって、
根本的に考え方が違う。
システムが違う。
だから社会保障もだいぶ違うわけですよねってことです。
中央が決めて国民を守るという考え方と、
みんなでいわゆる後助、後助、不助をやっていこうというよりも、
後助の国なんです、日本は。
ヨーロッパとかアメリカっていうのは、
不助とか次助の国なんですよ。
デジタルのインフラみたいな
観点としてはあるのかなと思いました。
そうですね。だからデジタルに期待しつつ、
だけどやっぱり俗人的にやらなきゃいけない部分っていうのは
すごく大きくなってくるわけですよね。
エッセンシャルワークって
デジタルとそうでないもののあいのこなんですよね。
例えば銀行業だとか証券業とかって、
もうその人が限りなく減ったとしてもできる仕事が
結構あるんですけど、
医療職だとか、
例えば職肉業とかにしてもそうだと思いますけど、
機械化できないところがものすごく多いわけですよ。
結局今ブルーワーカーの方が
仕事としてたくさん増えているっていうのはそういうことですよね。
機械に代替できないところ。
医療っていうのは本当に機械で代替できないから、
結局その人にお金を払い続けなきゃいけない。
つまり人にお金を続けなきゃいけないってことは、
ある程度の金額がかかるわけです。
機械化すると金額が落ちるんですけど、
人が位置づけるっていうのは、
例えば1人の労働者が40年働いたら2億から3億かかるわけですよ。
その部分の投資が絶対必要なわけですよ。
そこを経営者とか社会がどういうふうに
ちゃんと担保できるかっていうのはすごく重要な地点かなと思います。
なるほどですね。
そうなると各国においていかにそういう
医療のインフラとかに投資できるかっていうのもありますし、
国際機関WHOとかも国の格差に応じて
仕組みを整備していくみたいなことも考えられているっていう感じですか?
国際機関ほど頼りにならないところもなくて、
実際に国連だとかもあんまり頼りにならない状態になっていますので、
これは本当にその国の権力者と市民の考え方になると思います。
あとは宗教とか文化ベースになってくると思うんですよね。
国連は家からこういうことをしたらいいよと言ってくるかもしれませんけど、
それはやっぱりできないと思うんですよ。
国連とかWHOはですね。
なのでそこを本当に輸出するのであれば、
システムと人とまで含めて日本は輸出していって、
より良い医療というものをちゃんと渡していかなきゃいけないでしょうし、
実際やっぱり今諸外国の理学療法というのは触らない方向に動いているわけですよね。
だけども触ってほしい人たちも一応いると。
それが触ってほしいというのは甘えだとか、
触ってほしいというのは慰安目的だと考えるのかどうかというのも、
結局どちらが正しいかっていうことじゃなくて、
療法をやれる人材を作っていかなきゃいけないというふうに僕は思います。
なるほどですね。
以前の平和のトピックで理学療法が何ができるのかというと、
ケイパビリティの考え方みたいなところは参考になるよねっていうところで話はしましたし、
やっぱり関わる人の可能性を広げていくとかっていうのが、
医療としても見据えるところ、
特に理学療法はケイパビリティみたいなところは合うかなっていうところですか?
そうですね。だからケイパビリティを広げていくっていうこと自体は、
要は自分でこれができるんだっていう認識を広げていく。
つまり最初はできなかったことをできるというよりは、
まだできるという認識を広げていく方が実はやりやすいんですね。
つまりそれはやっぱり医療ではなくて予防です。
世界中もそうだと思いますけど予防の方がコスパがいいんですよね。
ただ予防って効果が見にくいっていうところで広がらないんですよね。
手術したら明らかに変わると。
だけども例えば30代から筋トレ続けて、70代で元気な人って40代からってわけですよね。
そういう経時的変化というものに対しての理解が進まない限りは、
予防ってなかなか広がりきれないというジレンマがあります。
ただ実態的にコスパがいいのは予防です。
確かになるほど。
医療的な面でも予防大事ですし、
平和の観というのは上下というので貧富の差がみたいなところもありましたけど、
例えば貧困にならないようにするための予防としての金融とか、
経済の教育みたいなところも世界的に見たら必要という感じですかね。
それはとても難しいのが、
貧困層の人たちがどういう形態をとっているかっていうのは結構様々あるんですよね。
要は元々生まれながらに、最近の言い方ですると親ガチャが外れて、
その人自体は能力があるんだが教育を受けられなかったという人もいれば、
元々教育を受けても反応が悪い人たちもいるわけですよね。
そのあたりをどういうふうに扱うかというのは非常に難しいので、
セーフティーネットとしてお金を渡すというのが、
結局一番簡単な手法として取られているということですよね。
そこに教育を与えて、教育から変えていく人たちを増やすというのが非常に重要だと思うんですけれども、
現状の日本の貧困の問題を考えたときには、
教育が届くまでの整備がまだできていないということだと思います。
これは諸外国同じだと思いますけど。
なるほどですね。
そういう意味だと、これまでも精神面とかメンタルの問題とかも含めて、
働けている人が何かしらの問題で働けなくなって、
そこから回復していく、まさにリハビリテーションというところは、
自分たちも考えやすいところかなと思うので、
職業的なリハビリテーションみたいな予防も含めてというのは、
まだ考えやすいかなとは思います。
そうですね。失われたものを取り戻すということ自体の方が、
今の教育という意味ではやりやすいと思います。
教育がベースに受け入れていない人を再教育するというよりは、