Advanced Therapist〜エピソード19本目の後半部分ということで、前回はですね、ちょっと平和に関する広い話、国際情勢とか、後半では医療とか利用プロフォームに関する話もあったんですけども、今回はですね、もうちょっと未来の話っていうところで、
前回からも取り上げている、ケイパビリティ的な、自分で自由に行動できるような可能性を広げていくっていうアプローチも取り上げながら、結構地域差とかですね、国による違いとしてどう考えていくと出そうかな、みたいな話をできたらなと思います。
平和というものを願うのは、おそらく人類においての一つの普遍的な考え方であろうと、同時に個人における平和というものの前提条件って健康だと思うんですね。
その健康というものをいかに維持していこうかというところで、いろいろなデータがあったりだとか、健康に関するテレビ番組だとか雑誌だとか情報だとかってたくさんあって、結構みんな健康に関しては興味を持つんですよね。
それが健康と同じように身体の部分に向いたときに、例えばダイエットをするとか、あるいは美容をするとかっていうのは、これ今女子大学にいるから特にそうなんですけど、女子学生はものすごくそういう身体的な美に関する興味がものすごくあります。
それを保つこと自体が彼女たちのメンタルヘルスの維持に関わっているわけですよね。
それが壊れると要は平和じゃなくなってくるというようなもので、例えば実習前に髪の毛を黒く染めなさいと。
えーって言うわけですよね。私、髪の毛この色がいいのに。つまり黒の方が平和ではない。
金が平和であるっていう概念自体が生まれてくるわけです。
こういったように人というものは身体的な影響と健康というものが、ものすごく自分自身のミクロな視点でのその概念を作り上げていくので、このあたり男性性と女性性とあるいは時代が、
田代さんと僕一回り違いますけど、一回り違ったらどう変わっていくのか。
大体日本の場合は江戸の回りが一つの考え方と、あとは年号の変わりで一回りを考えるわけですよね。
海外ってこれ30年が一回りらしいんですよ。
へー。
だから僕と今の学生ってまさに30年のジェネレーションキャップがあるんですよね。
だけどもそういった時に田代さんから30年ってなるとまだね、自分のお子さんぐらいの年代になってくると思いますけど、どうですかそういう健康概念あるいは美容概念っていう感じ方は。
そうですね、どうなんだろう。
健康というよりは働き方みたいなところはやっぱり結構世代によって違うかなっていう感じは実感としてもあって。
自分の周りだと結構暮らしとこの仕事のバランスとってとか、家で仕事もできつつ子育ても十分に取れるような働き方を目指すような人が多いかもしれないんですけど。
ちょっと一回り上とか上の世代だともう男は結構仕事でとか。
うちの父親とかもそうでしたけど、男が働いて女性は家にいてみたいなことが多かったりはしてますし。
そこで健康とつなげると仕事のための健康とかっていうよりは、家族とも暮らしつつ仕事も十分両立できるような健康を目指してるみたいな感じはちょっとあるかなと思いました。
それはどちらが正しいどちらが間違っているという概念ではなくて、おそらく時代の変化の中で。
社会に対していかに自分がコミットするか。
社会の中の歯車になること自体を良しとしてた時代と歯車になることをアチとする時代の変化がすごく今起きてると思うんですよね。
僕より、要は高度経済成長期っていうのは、何ていうのかな、埋めや増やせやという形で国家の強靭さというものが自分の強靭さにつながるということになってたわけですよね。
バブルを崩壊してくると、国家の強靭さというものが目に見えて落ちていっているので、
じゃあその穴並みの中で個人がどう生きるかという形になっていって、
現代においては経済成長も見込めないと、などするとお金も増えないんだとすると、
この状態をどういうふうにステーブルにしていくかということに関わってきたという、
文化の変化においての平和さというものの概念がだいぶ違うなというふうには今思ってます。
なるほど。あと自分の子供世代とかまで見据えていくと、
身体的な健康というよりは精神面としてSNSとか、
人との距離感が本当に自分の子供の頃と変わってきていると思うので、
メンタル面の健康みたいなところはまた世代によって大きな違いがありそうなという気がします。
このメンタルの健康というのは本当に多様で難しくて、
結局どういう人がメンタルの健康を明らかに保っているかといったときの、
その代表はやっぱり信仰を持っている人なんですよね。
これは別に神様に対してじゃなくてもいいと思います。
お仕方とか、あるいは自分の配偶者とかでも何でもいいと思いますけど、
信仰を持っている人はやっぱり強いんですよね。
ある種、疑いを持ち続ける、疑いを持った瞬間に人はドツボにハマっていきますので、
ただこの疑いというもの自体を問いに変えて、
問いと買い残りに形にしていくような学問的な変化ができてきたりすると、
またちょっと変わってくるんですけど、
差を感じて違和感を覚え始めた瞬間に、
人というのはメンタルがやられてしまうなという気はします。
デジタルツールの付き合い方とか、
身体にもあれば、もう一つ社会的な健康とかで言うと、
自分たちの世代であれば結構家族も大事にしつつ、
仕事もしつつみたいな感じが好まれる傾向にあるんですけど、
さらに若い世代とかだとどうなんですかね、
もう一回また仕事にコミットしたいみたいな、
そっちの人間関係重視したいみたいな思えば、
もっと本当に家族とか身近なところに振り切っていくとか、
どんな感じの人間関係を重視するっていう傾向になってきそうですか。
現状でも激劣に働いている人たちってすごい多いはずなんですよね。
激劣に働いている人たちが表に、
俺激劣に働いてますって言わなくなったんだと思います。
昔はそれこそ、ご存知かどうか知りませんけど、
リゲインっていう栄養ドリンクのCMで24時間働けますかと、
サラリーマン24時間働けってCMしてたんですよね。
今そんなことやったら大変なことになるんですけど、
実際に24時間はもちろん無理だとしても、
激劣に働いている人たちっていうのが日本にはたくさんいると思いますし、
海外の人たちもアメリカ人とかあるいはヨーロッパの人が、
特にドイツ人とか働かないのかって言ったら、
エリートはめちゃくちゃ働くんですよね。
だから働かない人たちにフォーカスを当てているのか、
働く人にフォーカスを当てていくのかの、
何ていうのかな、視点の違いなだけなんですね。
おそらく今もめちゃくちゃ働いている人たちがいっぱいいます。
そこに視点を当てちゃうと、
その人たちは辞めてくれって言うんですよね。
働いてないって言わないと老期に怒られますから。
問題になったのは働かされている人が問題なんですよ。
無理矢理に働かされている人は問題であると。
だけど働きたいと思って働いている人は問題じゃないんですよね。
昔は働かされていた、例えば自分はすごく有能で、
8時間でこの仕事をこなせているのに、
他の人たちが時間がかかっているから、
待っとかなきゃいけないとかっていうことがあったんです。
僕もその実態がありました。
なるほどですね。
でも働き方に関しては、
一昔前だと結構環境の中でも働かされるしかない
みたいな状況もあったかもしれないですけど、
近年であれば自由度が高まってきていて、
転職とか独立するみたいなことも結構自由度が高まってきているものの、
自由度の高さに苦しむみたいな人も新たに増えてきそうだな
みたいな感じはありますかね。
そうですね。
今の例えば田代さんの場合は独立してもう7年ですか、8年?
はい、もうすぐ7年です。
ですよね。それを継続できている人って、
おそらく起業した人の数パーセントだって言われますよね。
おそらく生き残るのって10%も多分満たないぐらい。
で、なんか俺って起業しようと思って起業して
失敗する人の方が多い世界だから、
サラリーマンの方がずっと楽なんですよ。
だけども自由度が高く、
自分は起業に向いているから起業しようというのでは本来はない。
もっとチャンスとタイミングと仲間といろいろなものが合わさらないと
多分起業でうまくいかない。
あるいは本当に運良くものすごく伸びる人もいるかもしれませんけど、
ディスクを考えると明らかにサラリーマンが楽なんですよね。
だけども起業自体が簡単になった。
これは単純に資本金の設定が変わったりだとか
書類の設定が変わったことによって起業がしやすくなった。
昔はだから100万ですか。
最初は500万かなの資本金がないと
株式会社って作れなかったわけですから。
有限会社で100万かなの状態だったから作れなかっただけで
今は別に1円からでも作れる。
でも1円で作ってうまくいくはずがないってやつです。
まず銀行口座開けますからね。
そこらへんは起業すること自体が非常に僕も憧れがあるというか
景品使ってみたいなとかすごい安っぽい考え方を持ったりするんですけども
社会的な意義だとか本当に強い意思を持っておかないと継続しえない。
だけども昔クレイジーキャッツとか知りませんよね。
花はじめとクレイジーキャッツってバンドがあって
植木ひとしっていう人が非常にこう
日本一の無責任男っていう映画をやってて
タイムレコードガシャンと押せばどうにか格好がつくものだって歌ってるんですね。
サラリーマンは楽だと。
それはある意味事実だと思うんですよね。
ただその多様性ってなった時に転職はしやすくなっていますし
特に医療職種って転職が非常にしやすいので
すごく僕は嫌なところで働き続けることはやめた方がいいと思ってます。
そうですね。メンタル病んでしまうほどのところで働くのはやめて
転職するっていうのはいいかもしれないですけど
そういう雇われでどんどん転職していったりとか
例えばギグワーク的なタイミングとかバイトとかでも
この時間だけパッとやるみたいな
そういうのもやりやすくなってきて
こういう本当に働き方は多様性が増えてるんですけど
そういう与えられた仕事だけしてると
どんどんインコンの方になりやすいとか
保証もなかなかされづらいと思うので
やっぱり自由度と保証の度合いとかっていうのは一体だなと
自由度っていうのはある種そのケーパビリティと同じで
自分が何ができるかっていうところを
いわゆるリバティ、フリーダム、ケーパビリティがセットにならなきゃいけないわけですね
だからあなたは自由に何でもできますよではない
あなたは自由に何でも選択してはいい
だけどあなたは何ができるかってのは別世界なんですよね
あなたができるものを増やしていかなきゃいけない
これは教育であとトレーニングなんですよ
だから自由に転職はできますと
ただ選ばれるかどうかはあなたの問題なので
本当ですよそれこそ僕の好きな地域側もですね
収入を増やすために検定を受けるそのためにものすごい勉強するんですよね
地域側に至っては2回試験に落ちますから非常にね地域側ですら勉強すると
草むしり検定
それは食べたいものを食べたい行きたいどこに行きたい
友達と仲良くしたい非常にシンプルな世界観でも
やはりお金がいったりだとか時間がいったりするわけですね
だから自分自身が何かを得ようと思うと何かの対価を払わなきゃいけないわけですよ
その対価っていうのが努力であったりあるいはチャンスであったりするわけですよね
自分が何もしないのに何かを得ようとする考え方を持っている人がいるんだとすると
それは払わなきゃいけない
逆に自分がたくさん何かを得ているから選ばれるかどうかまたわからないっていう
ここがなかなか難しいところですよね
そうですねなるほど本当に一人の個人が自由に生き続けようと思うと
常に検査し続けないといけないっていうのはもうそうだなと思いますし
リハビリテーション的に考えるとすでに持っている能力であっても
何かストレスかかったりとか不調が起きるとできなくなるっていうことはありますし
それを戻していく過程っていうのは一通りのメソッドとして考えやすいっていうのはありますかね
確かに今の全体の話を通して言えるのは
今僕らはあくまでも啓蒙主義啓発主義の上に立っていると
何かしら発展すれば得られるものが多くなるっていう
これは人類の進化論的に考えられる
この考えは間違ってはいないが
じゃあ逆に善の思想のようにですね
全てを受け入れ全ての状況を煩悩を消し去るような修行に変えていって
お金だとか富だとか名声じゃないっていう考え方に至るっていうのもすごく重要です
だから自分自身が啓発的に金持ちになるんだ地位が欲しいんだ名誉があるんだ
あるいは承認欲求を満たすためにいいのをもらうんだ
という形に生きようと思うとやはり計算が必要です
そうじゃなかった時に日々の淡々とした毎日というものを
今ここの概念でちゃんと生きていくっていうような
善の思想を体現するっていうこと自体に僕は憧れはあります
なるほどですね
そうなると今の社会保障的なシステムの中で
医療系とか愛護福祉系の仕事をするってなると
なかなかシステムの中だと給与増えづらいような構造にはあるかなと思いますし
その中で長く仕事を続けようと思うと
今の例えば医療介護福祉とかエッセンシャルワーカー系の人には
善のとかそういうマインドフルネス的な考え方を身につけておくと
比較的長く安定して仕事をしやすくなるよみたいなのはあるんですか
全くその通りだと思います
やっぱり国家資格なので大金持ちにはならなくたとしても
食いパグれることがないわけですよね
それこそその月に20万30万ぐらいの給与をもらい
これが特に地方都市に住めば家賃がそこまでかからない状態で
日仮名成功うどくの生活でですね
休みの日はちょっと野菜を育てるとか
友人とバーベキューをするとかっていうような生活の方が
実は豊かである可能性は十分あるわけですよ
それが例えばその都市部ではないといけない仕事
例えば好き屋だとか吉野屋とかって
都市部のところで働く方がお客さんが来てとかっていう
そういう経済論理のところに乗り立つような仕事だと
なかなか難しいかもしれませんけど
医療っていうのは何度も言うようにインフラなので
全ての地域に必要なんですよ
なので非常に狭い地域あるいは人が少ない地域に行って
ゆっくりと過ごしていくっていう
そういった人たちも結構僕の周りにもいます
そういう生活に選択できて
淡々とやられてる人を見ると
僕はかっこいいなと思います
貧富の差でいくと
飛んでる人というか博士でいる人みたいな
どちらかというと啓蒙主義的に
もっともっとみたいな人が多いかもしれないですし
貧困層の中でも
もっとここからのし上がっていきたいみたいな人もいれば
この状態でもなんとか生きていけるんであれば
それでもいいかと思える人みたいなのはいると思います
逆にもう稼いでる人もこれ以上はいいかなっていうので
一旦落ち着いていくみたいな人もいるかなと思うんで
安定していこうみたいな人は
そういうマインドフルネス的な形の関わりはいいかもしれないですし
そうじゃなければ
もっとモチベーション高めるような
その人のマインドの状態とかに合わせた
関わり方ができると
もうちょっと前的な発想からすると
いわゆる事故計算というのは
今日よりも明日明日よりも明後日
自分を発展させようとする概念ですよね
だからそれがマイナスになっていくと
ものすごくストレスを感じてしまうんです
だからうまくいかなかったということに落ち込むわけですよね
例えば仕事もうまくいかない
勉強もうまくいかないっていうのは
うまくいかないっていうところに
マイナス面を持ってるっていう人は
常にうまくいくという前提があるということです
うまくいく前提が壊れた時に
うまくいかないダメだってなってくる
これが啓発啓蒙主義の一番怖いところなわけですよね
そうでもなくて禅の
特に道元とかの思想でいうと
3つのことだけやりなさいと
座禅
掃除
食事
この3つ
この3つっていうのをちゃんと日がなやっていくと
それが当たり前の世界でやって
それ以外のものっていうのの変化っていうのは
その都度その都度受け入れていくだけなんですよね
だから食事掃除座禅というもの自体が
うまくなったとか
よくできたとかっていうことではなくて
ただ淡々と行うだけなんですよ
でその中でその座禅を組んでる時に
過去だとか現在だとか未来だとかっていう
通り抜けていく思想というものを受け入れながら
それに引っ張られないと
でそのもちろんそこで
趣味をやったりするのはもちろんそうだと思いますけど
これでうまくいかない失敗したっていう概念を
あんまり持たないということですよね
これが道元型の禅の思想なので
そういう生き方が今の社会でできる人たちは
相当強いですよってことです
そうですね
それは何かどういうフェーズにあっても
大事そうな気はしますよね
ちょっと今日ダメだったなと思っても
その認知として
常に上向きで行くとダメだってなりますけど
そういう日もあるよねと思って
また次の日も淡々とやるべきことを続けて
今日はうまくいったっていう日もあるでしょうし
広く見れば結局波があるものだと思う
そういうものだと認知できると
まさにそれが禅の捉え方の一つ
それが禅のすべてではないですけども
そういう捉え方をしていくこと自体も
我々はどっかで知っておかなきゃいけないってことですね
どうしても今の社会っていうのが
啓蒙主義で動きすぎちゃってるので
TikTokで動画を上げたらいいなをもらわないと嫌だとか
なんとかちゃんの方が私よりもフォロワー数が多いとか
そういうのは些細なことなんですよね
でもその些細なことにものすごく人は心を持っていかれます
あるいは仕事中にちょっと失敗して
仮にすごく怒られたと
でもその怒られたっていうことに関して
あなた自体を否定されているわけではないんだけど
私もうダメだって言って
仕事を辞めてしまったりとかっていうこともあり得るわけですよね
その人にとってはものすごく大きな被害だけども
周りから見たらそうは思えないっていうような
事故の解釈っていうものと
他者解釈っていうものの
やっぱり隙間みたいのをどうやって埋めていくかっていうことの
努力っていうのは非常に価値があると思います
それが知識が増えるよりも