2025-12-10 47:40

#19-2 世代や地域などによる意識の差の認識と対処法

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

このエピソードでは、世代や地域による意識の差を考察し、特に健康と働き方の違いを探ります。メンタルヘルスや社会的な健康に関する新たな視点に触れ、SNSの影響や働き方の多様性について議論されています。世代や地域の違いが個人の意識に与える影響について論じ、自由と責任の関係を探求しています。啓蒙主義や禅の思想を通じて、精神的な成長とメンタルヘルスの安定についても言及されています。このエピソードでは、日本における宗教観の曖昧さや高齢社会の影響についても議論されています。特に、マインドフルネスの普及が個人や社会に与える影響と地域社会のバランスについて考察されています。本エピソードでは、地域差や世代間の意識の違いを探求し、日本の地域間の文化や経済の違いがどのような影響を及ぼすかを議論しています。さらに、個々の意識や行動を理解し、地域社会への貢献の重要性が強調されています。世代や地域による意識の差に焦点を当てつつ、セラピストの役割やコミュニティの重要性についても議論されています。

00:03
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
未来への意識の変化
Advanced Therapist〜エピソード19本目の後半部分ということで、前回はですね、ちょっと平和に関する広い話、国際情勢とか、後半では医療とか利用プロフォームに関する話もあったんですけども、今回はですね、もうちょっと未来の話っていうところで、
前回からも取り上げている、ケイパビリティ的な、自分で自由に行動できるような可能性を広げていくっていうアプローチも取り上げながら、結構地域差とかですね、国による違いとしてどう考えていくと出そうかな、みたいな話をできたらなと思います。
平和というものを願うのは、おそらく人類においての一つの普遍的な考え方であろうと、同時に個人における平和というものの前提条件って健康だと思うんですね。
その健康というものをいかに維持していこうかというところで、いろいろなデータがあったりだとか、健康に関するテレビ番組だとか雑誌だとか情報だとかってたくさんあって、結構みんな健康に関しては興味を持つんですよね。
それが健康と同じように身体の部分に向いたときに、例えばダイエットをするとか、あるいは美容をするとかっていうのは、これ今女子大学にいるから特にそうなんですけど、女子学生はものすごくそういう身体的な美に関する興味がものすごくあります。
それを保つこと自体が彼女たちのメンタルヘルスの維持に関わっているわけですよね。
それが壊れると要は平和じゃなくなってくるというようなもので、例えば実習前に髪の毛を黒く染めなさいと。
えーって言うわけですよね。私、髪の毛この色がいいのに。つまり黒の方が平和ではない。
金が平和であるっていう概念自体が生まれてくるわけです。
こういったように人というものは身体的な影響と健康というものが、ものすごく自分自身のミクロな視点でのその概念を作り上げていくので、このあたり男性性と女性性とあるいは時代が、
田代さんと僕一回り違いますけど、一回り違ったらどう変わっていくのか。
大体日本の場合は江戸の回りが一つの考え方と、あとは年号の変わりで一回りを考えるわけですよね。
海外ってこれ30年が一回りらしいんですよ。
へー。
だから僕と今の学生ってまさに30年のジェネレーションキャップがあるんですよね。
だけどもそういった時に田代さんから30年ってなるとまだね、自分のお子さんぐらいの年代になってくると思いますけど、どうですかそういう健康概念あるいは美容概念っていう感じ方は。
そうですね、どうなんだろう。
健康というよりは働き方みたいなところはやっぱり結構世代によって違うかなっていう感じは実感としてもあって。
自分の周りだと結構暮らしとこの仕事のバランスとってとか、家で仕事もできつつ子育ても十分に取れるような働き方を目指すような人が多いかもしれないんですけど。
ちょっと一回り上とか上の世代だともう男は結構仕事でとか。
うちの父親とかもそうでしたけど、男が働いて女性は家にいてみたいなことが多かったりはしてますし。
そこで健康とつなげると仕事のための健康とかっていうよりは、家族とも暮らしつつ仕事も十分両立できるような健康を目指してるみたいな感じはちょっとあるかなと思いました。
それはどちらが正しいどちらが間違っているという概念ではなくて、おそらく時代の変化の中で。
社会に対していかに自分がコミットするか。
社会の中の歯車になること自体を良しとしてた時代と歯車になることをアチとする時代の変化がすごく今起きてると思うんですよね。
僕より、要は高度経済成長期っていうのは、何ていうのかな、埋めや増やせやという形で国家の強靭さというものが自分の強靭さにつながるということになってたわけですよね。
バブルを崩壊してくると、国家の強靭さというものが目に見えて落ちていっているので、
じゃあその穴並みの中で個人がどう生きるかという形になっていって、
現代においては経済成長も見込めないと、などするとお金も増えないんだとすると、
この状態をどういうふうにステーブルにしていくかということに関わってきたという、
文化の変化においての平和さというものの概念がだいぶ違うなというふうには今思ってます。
なるほど。あと自分の子供世代とかまで見据えていくと、
身体的な健康というよりは精神面としてSNSとか、
人との距離感が本当に自分の子供の頃と変わってきていると思うので、
メンタル面の健康みたいなところはまた世代によって大きな違いがありそうなという気がします。
働き方の多様性
このメンタルの健康というのは本当に多様で難しくて、
結局どういう人がメンタルの健康を明らかに保っているかといったときの、
その代表はやっぱり信仰を持っている人なんですよね。
これは別に神様に対してじゃなくてもいいと思います。
お仕方とか、あるいは自分の配偶者とかでも何でもいいと思いますけど、
信仰を持っている人はやっぱり強いんですよね。
ある種、疑いを持ち続ける、疑いを持った瞬間に人はドツボにハマっていきますので、
ただこの疑いというもの自体を問いに変えて、
問いと買い残りに形にしていくような学問的な変化ができてきたりすると、
またちょっと変わってくるんですけど、
差を感じて違和感を覚え始めた瞬間に、
人というのはメンタルがやられてしまうなという気はします。
デジタルツールの付き合い方とか、
身体にもあれば、もう一つ社会的な健康とかで言うと、
自分たちの世代であれば結構家族も大事にしつつ、
仕事もしつつみたいな感じが好まれる傾向にあるんですけど、
さらに若い世代とかだとどうなんですかね、
もう一回また仕事にコミットしたいみたいな、
そっちの人間関係重視したいみたいな思えば、
もっと本当に家族とか身近なところに振り切っていくとか、
どんな感じの人間関係を重視するっていう傾向になってきそうですか。
現状でも激劣に働いている人たちってすごい多いはずなんですよね。
激劣に働いている人たちが表に、
俺激劣に働いてますって言わなくなったんだと思います。
昔はそれこそ、ご存知かどうか知りませんけど、
リゲインっていう栄養ドリンクのCMで24時間働けますかと、
サラリーマン24時間働けってCMしてたんですよね。
今そんなことやったら大変なことになるんですけど、
実際に24時間はもちろん無理だとしても、
激劣に働いている人たちっていうのが日本にはたくさんいると思いますし、
海外の人たちもアメリカ人とかあるいはヨーロッパの人が、
特にドイツ人とか働かないのかって言ったら、
エリートはめちゃくちゃ働くんですよね。
だから働かない人たちにフォーカスを当てているのか、
働く人にフォーカスを当てていくのかの、
何ていうのかな、視点の違いなだけなんですね。
おそらく今もめちゃくちゃ働いている人たちがいっぱいいます。
そこに視点を当てちゃうと、
その人たちは辞めてくれって言うんですよね。
働いてないって言わないと老期に怒られますから。
問題になったのは働かされている人が問題なんですよ。
無理矢理に働かされている人は問題であると。
だけど働きたいと思って働いている人は問題じゃないんですよね。
昔は働かされていた、例えば自分はすごく有能で、
8時間でこの仕事をこなせているのに、
他の人たちが時間がかかっているから、
待っとかなきゃいけないとかっていうことがあったんです。
僕もその実態がありました。
なるほどですね。
でも働き方に関しては、
一昔前だと結構環境の中でも働かされるしかない
みたいな状況もあったかもしれないですけど、
近年であれば自由度が高まってきていて、
転職とか独立するみたいなことも結構自由度が高まってきているものの、
自由度の高さに苦しむみたいな人も新たに増えてきそうだな
みたいな感じはありますかね。
そうですね。
今の例えば田代さんの場合は独立してもう7年ですか、8年?
はい、もうすぐ7年です。
ですよね。それを継続できている人って、
おそらく起業した人の数パーセントだって言われますよね。
おそらく生き残るのって10%も多分満たないぐらい。
で、なんか俺って起業しようと思って起業して
失敗する人の方が多い世界だから、
サラリーマンの方がずっと楽なんですよ。
だけども自由度が高く、
自分は起業に向いているから起業しようというのでは本来はない。
もっとチャンスとタイミングと仲間といろいろなものが合わさらないと
多分起業でうまくいかない。
あるいは本当に運良くものすごく伸びる人もいるかもしれませんけど、
ディスクを考えると明らかにサラリーマンが楽なんですよね。
だけども起業自体が簡単になった。
これは単純に資本金の設定が変わったりだとか
書類の設定が変わったことによって起業がしやすくなった。
昔はだから100万ですか。
最初は500万かなの資本金がないと
株式会社って作れなかったわけですから。
有限会社で100万かなの状態だったから作れなかっただけで
今は別に1円からでも作れる。
でも1円で作ってうまくいくはずがないってやつです。
まず銀行口座開けますからね。
そこらへんは起業すること自体が非常に僕も憧れがあるというか
景品使ってみたいなとかすごい安っぽい考え方を持ったりするんですけども
社会的な意義だとか本当に強い意思を持っておかないと継続しえない。
だけども昔クレイジーキャッツとか知りませんよね。
花はじめとクレイジーキャッツってバンドがあって
植木ひとしっていう人が非常にこう
日本一の無責任男っていう映画をやってて
タイムレコードガシャンと押せばどうにか格好がつくものだって歌ってるんですね。
サラリーマンは楽だと。
それはある意味事実だと思うんですよね。
ただその多様性ってなった時に転職はしやすくなっていますし
特に医療職種って転職が非常にしやすいので
すごく僕は嫌なところで働き続けることはやめた方がいいと思ってます。
そうですね。メンタル病んでしまうほどのところで働くのはやめて
転職するっていうのはいいかもしれないですけど
そういう雇われでどんどん転職していったりとか
例えばギグワーク的なタイミングとかバイトとかでも
この時間だけパッとやるみたいな
そういうのもやりやすくなってきて
こういう本当に働き方は多様性が増えてるんですけど
そういう与えられた仕事だけしてると
どんどんインコンの方になりやすいとか
保証もなかなかされづらいと思うので
やっぱり自由度と保証の度合いとかっていうのは一体だなと
自由度っていうのはある種そのケーパビリティと同じで
自分が何ができるかっていうところを
いわゆるリバティ、フリーダム、ケーパビリティがセットにならなきゃいけないわけですね
だからあなたは自由に何でもできますよではない
あなたは自由に何でも選択してはいい
だけどあなたは何ができるかってのは別世界なんですよね
あなたができるものを増やしていかなきゃいけない
これは教育であとトレーニングなんですよ
だから自由に転職はできますと
ただ選ばれるかどうかはあなたの問題なので
自由と社会の責任
選ばれる側になるための努力はしなければいけないっていうのが
これが共産主義ではない
今の日本とか一般的なヨーロッパも含め西洋の考え方ですよね
そこが多分ちゃんと動いていない
あなたは何でもできるあなたは自由だ
だけども自分の足で走らなきゃいけない
自分の力で重りを上げなきゃいけないということに対して
社会がコミットしなさすぎると思います
そうですね多分今身につけたスキルとかで転職したりとか
それを切り売りしていろいろ働くというと
先細りしていくというか同じことできる人も増えてきたりとかすると
難しくなってくるんで常に自己検査して新しい能力つけたりとか
社会の状況を見ながらこういうことが必要じゃないかというのは
考え続けないと自由でい続けるというのは難しいなと思います
禅の思想とメンタルヘルス
本当ですよそれこそ僕の好きな地域側もですね
収入を増やすために検定を受けるそのためにものすごい勉強するんですよね
地域側に至っては2回試験に落ちますから非常にね地域側ですら勉強すると
草むしり検定
それは食べたいものを食べたい行きたいどこに行きたい
友達と仲良くしたい非常にシンプルな世界観でも
やはりお金がいったりだとか時間がいったりするわけですね
だから自分自身が何かを得ようと思うと何かの対価を払わなきゃいけないわけですよ
その対価っていうのが努力であったりあるいはチャンスであったりするわけですよね
自分が何もしないのに何かを得ようとする考え方を持っている人がいるんだとすると
それは払わなきゃいけない
逆に自分がたくさん何かを得ているから選ばれるかどうかまたわからないっていう
ここがなかなか難しいところですよね
そうですねなるほど本当に一人の個人が自由に生き続けようと思うと
常に検査し続けないといけないっていうのはもうそうだなと思いますし
リハビリテーション的に考えるとすでに持っている能力であっても
何かストレスかかったりとか不調が起きるとできなくなるっていうことはありますし
それを戻していく過程っていうのは一通りのメソッドとして考えやすいっていうのはありますかね
確かに今の全体の話を通して言えるのは
今僕らはあくまでも啓蒙主義啓発主義の上に立っていると
何かしら発展すれば得られるものが多くなるっていう
これは人類の進化論的に考えられる
この考えは間違ってはいないが
じゃあ逆に善の思想のようにですね
全てを受け入れ全ての状況を煩悩を消し去るような修行に変えていって
お金だとか富だとか名声じゃないっていう考え方に至るっていうのもすごく重要です
だから自分自身が啓発的に金持ちになるんだ地位が欲しいんだ名誉があるんだ
あるいは承認欲求を満たすためにいいのをもらうんだ
という形に生きようと思うとやはり計算が必要です
そうじゃなかった時に日々の淡々とした毎日というものを
今ここの概念でちゃんと生きていくっていうような
善の思想を体現するっていうこと自体に僕は憧れはあります
なるほどですね
そうなると今の社会保障的なシステムの中で
医療系とか愛護福祉系の仕事をするってなると
なかなかシステムの中だと給与増えづらいような構造にはあるかなと思いますし
その中で長く仕事を続けようと思うと
今の例えば医療介護福祉とかエッセンシャルワーカー系の人には
善のとかそういうマインドフルネス的な考え方を身につけておくと
比較的長く安定して仕事をしやすくなるよみたいなのはあるんですか
全くその通りだと思います
やっぱり国家資格なので大金持ちにはならなくたとしても
食いパグれることがないわけですよね
それこそその月に20万30万ぐらいの給与をもらい
これが特に地方都市に住めば家賃がそこまでかからない状態で
日仮名成功うどくの生活でですね
休みの日はちょっと野菜を育てるとか
友人とバーベキューをするとかっていうような生活の方が
実は豊かである可能性は十分あるわけですよ
それが例えばその都市部ではないといけない仕事
例えば好き屋だとか吉野屋とかって
都市部のところで働く方がお客さんが来てとかっていう
そういう経済論理のところに乗り立つような仕事だと
なかなか難しいかもしれませんけど
医療っていうのは何度も言うようにインフラなので
全ての地域に必要なんですよ
なので非常に狭い地域あるいは人が少ない地域に行って
ゆっくりと過ごしていくっていう
そういった人たちも結構僕の周りにもいます
そういう生活に選択できて
淡々とやられてる人を見ると
僕はかっこいいなと思います
貧富の差でいくと
飛んでる人というか博士でいる人みたいな
どちらかというと啓蒙主義的に
もっともっとみたいな人が多いかもしれないですし
貧困層の中でも
もっとここからのし上がっていきたいみたいな人もいれば
この状態でもなんとか生きていけるんであれば
それでもいいかと思える人みたいなのはいると思います
逆にもう稼いでる人もこれ以上はいいかなっていうので
一旦落ち着いていくみたいな人もいるかなと思うんで
安定していこうみたいな人は
そういうマインドフルネス的な形の関わりはいいかもしれないですし
そうじゃなければ
もっとモチベーション高めるような
その人のマインドの状態とかに合わせた
関わり方ができると
もうちょっと前的な発想からすると
いわゆる事故計算というのは
今日よりも明日明日よりも明後日
自分を発展させようとする概念ですよね
だからそれがマイナスになっていくと
ものすごくストレスを感じてしまうんです
だからうまくいかなかったということに落ち込むわけですよね
例えば仕事もうまくいかない
勉強もうまくいかないっていうのは
うまくいかないっていうところに
マイナス面を持ってるっていう人は
常にうまくいくという前提があるということです
うまくいく前提が壊れた時に
うまくいかないダメだってなってくる
これが啓発啓蒙主義の一番怖いところなわけですよね
そうでもなくて禅の
特に道元とかの思想でいうと
3つのことだけやりなさいと
座禅
掃除
食事
この3つ
この3つっていうのをちゃんと日がなやっていくと
それが当たり前の世界でやって
それ以外のものっていうのの変化っていうのは
その都度その都度受け入れていくだけなんですよね
だから食事掃除座禅というもの自体が
うまくなったとか
よくできたとかっていうことではなくて
ただ淡々と行うだけなんですよ
でその中でその座禅を組んでる時に
過去だとか現在だとか未来だとかっていう
通り抜けていく思想というものを受け入れながら
それに引っ張られないと
でそのもちろんそこで
趣味をやったりするのはもちろんそうだと思いますけど
これでうまくいかない失敗したっていう概念を
あんまり持たないということですよね
これが道元型の禅の思想なので
そういう生き方が今の社会でできる人たちは
相当強いですよってことです
そうですね
それは何かどういうフェーズにあっても
大事そうな気はしますよね
ちょっと今日ダメだったなと思っても
その認知として
常に上向きで行くとダメだってなりますけど
そういう日もあるよねと思って
また次の日も淡々とやるべきことを続けて
今日はうまくいったっていう日もあるでしょうし
広く見れば結局波があるものだと思う
そういうものだと認知できると
まさにそれが禅の捉え方の一つ
それが禅のすべてではないですけども
そういう捉え方をしていくこと自体も
我々はどっかで知っておかなきゃいけないってことですね
どうしても今の社会っていうのが
啓蒙主義で動きすぎちゃってるので
TikTokで動画を上げたらいいなをもらわないと嫌だとか
なんとかちゃんの方が私よりもフォロワー数が多いとか
そういうのは些細なことなんですよね
でもその些細なことにものすごく人は心を持っていかれます
あるいは仕事中にちょっと失敗して
仮にすごく怒られたと
でもその怒られたっていうことに関して
あなた自体を否定されているわけではないんだけど
私もうダメだって言って
仕事を辞めてしまったりとかっていうこともあり得るわけですよね
その人にとってはものすごく大きな被害だけども
周りから見たらそうは思えないっていうような
事故の解釈っていうものと
他者解釈っていうものの
やっぱり隙間みたいのをどうやって埋めていくかっていうことの
努力っていうのは非常に価値があると思います
それが知識が増えるよりも
日本人の精神性と多様性
より良い解釈をするという現状に立ち行かなければ
これ今メンタルヘルスのとこからずっと引っ張ってるわけですけど
メンタルヘルスというものの安定はなかなか難しいのかなと思います
なるほど
目に見える数字の量的な成長っていうよりは
もうちょっと何事もあっても受け入れるような
悟りに近い質的な人間的な成長っていうか
そういうものを追い求めていくと
メンタル的には安定しそうな感じがします
そうですね
なので悟りっていうものを大それた超越理論と捉えないということですね
日がなこれでいいんだっていうふうに思うのが悟りなので
今日の掃除が失敗してもこれでいいんだと
クモの巣が張ってたこれでいいんだっていうような
気づかなかった昨日は気づかなかったけど
今日気づいたそれでいいんだよっていう
それが例えばクモの巣張ってると
私こんなことも気づけなくて全然掃除できてないじゃんって
思わないことですよね
そういうものが日がなの日常というものをいかに捉えていくか
そのいかに捉えていくかっていうのは
その変化は捉えたとしても
そこに大きな解釈を与えないということですよね
良いとか悪いとかっていうものではないということです
でも根っこの部分では日本人は
そういう精神性が備わってるような感じではあるんですかね
難しいとこですね
日本人にあるかどうかって
海外の人たちっていうのも
やはり善を学びたい人たちはそれを欲しがっているんですよね
何かそれに魅力を感じるから引っ張られるし
逆にそれに引っ張られない人たちもいるから
人は多様なので必ずしもそれが絶対いいとは思いませんが
僕は昔からそういうものに惹かれてます
インドも行ってますしって感じですかね
インドはちょっと脱線しますけど
インドはサルガン石が今の有吉さんですよね
サルガン石が僕たちが高校生の時に
インドにヒッチハイクで行ってて
宗教観の考察
すっきり面白そうだっていうので行ったってことですよね
インドに行ったら福寿的に人生変わるらしいと
人生変えに行こうぜって言ったんですよね
だけど善の修行とか
そういうのは全く宗教的なことは全然やってなくて
逆にすごくインドに行ってインド人と喋るたびに
お前の宗教はなんだってめちゃくちゃ聞かれるんですよね
それが非常に不思議な体験だったので
宗教観というものに関して考え始めたきっかけの一つかもしれませんね
宗教って思わなきゃいけないんだって語らないといけないんだっていう経験はしましたね
なるほどですね
その辺だいぶ日本人は薄い感じはしますよね
他の宗教であればもう私これを信仰してますみたいな結構強くあるかもしれないですけど
これは宗教のみならずだと思います
何が好きとかいうのをあんまりはっきり言わない文化なんですよね
だから自分の所属というのもなんかはっきり言わない感じがあったりだとか
例えば何の仕事してるって言った時に医療系ですって言ったりするわけですよ
理学療法士って言えばいいじゃんっていう
それはもちろん相手が知らないかもしれないからとか
いろいろなことはあると思いますけど
自己の主張というものを非常に曖昧に従うので
宗教観なんかも例えば家
この前そういえばおばあちゃんの葬式行ったら浄土新宿だったから浄土新宿かもしれないって言えばいいんですよね
だけどそれは自分自身がわざわざ本願寺まで行ってお参りしたりだとかしてないから浄土新宿って言えないだけであって
ここら辺は日本人らしいって日本人らしいと思います
日本だとオウムみたいなカルト的なところが宗教のイメージとかだって
宗教の話するとそういう人なの?みたいな見え方されるみたいなのあるかもしれないので
社会的なちょっと難しさもあるかもしれないですけど
マインドフルネスの影響
日本で言うとそういう自分の好きなこととか
信仰してるものっていうか信じてるものみたいな
なかなか言いづらいところもあると思うんで
そこはもうちょっと主張していってもいいんじゃないかなと思ったりはしますし
アメリカとかだと主張は激しいから
スティーブ・ジョブズとか善とか東洋的な思想を学んでたみたいな話もありますけど
逆に仏教とかそういうマインドフルネス的な方が流行るみたいなこともあるかもしれない
それもバランスっていう
そうですねマインドフルネスに関しては先ほど善という言葉を使いましたけど
今は善という言葉よりもマインドフルスネスの方が多分一般化されている言葉で
善って言ってしまうとどうしても宗教絡みに聞こえちゃうけど
僕が言ってる善というのは宗教的ではなくマインドフルスネスの話なので
そのマインドフルネスっていうのはもう今世界全体
特に先進国なんかはみんな求めようとしていますし
例えばApple Watchにも初期設定にマインドフルネスっていうアプリが入ってるんですよね
だからマインドフルネスっていうのはある種ウォーキングとかというのと
同じ扱いになってきていると
だから善という思想もある意味では
ウォーキングだとか摂取カロリーとかと同じ扱いだという風に
捉えてもらった方がいいかなと思います
広く考えるとこういうマインドフルネスみたいなことが普及していくと
平和に近づいていくんですかね
また別でしょうね
マインドフルネスによって得られた結果
よし戦争しようと思う人も出てくるはずなんですよ
なるほど
だからそこに至るプロセスっていうよりは
ある種のトレーニングなので
例えばマラソンをしていった結果
速さを求める人もいれば距離を求める人もいれば
それをきっかけに例えば
マラソン専門にする理学療法士になろうとか
栄養学やろうとかいろんな広さがあるので
何かを学んだ結果次にどういくかっていうのはちょっと分からないです
だからマインドフルネスをやった結果
人々が平和になるかどうかっていうのは
これは全く分からないですね
ただやらないよりはいいかなという気がします
確かにその人個人には
自分の中での心の揺れ動きとかでも
安定的に捉えられたりとか
自分が決定したことに対して
うまく認識できるようになるみたいなことは
あるかもしれないですけど
それが本当に社会にとっていいことなのか
確かに別問題なんで
ただそのマインドフルネスで
例えばウェルビーングという言葉だとかと一緒に
ピースフルっていう言葉を使いますよね
だからやっぱりピースフル
つまり平和の平穏になるということですけれども
ピース平和になる平穏になるっていうのは
日本は平和と平穏をたぶん同義には扱いませんけど
海外では同義に扱っている可能性があるので
やっぱりもしかしたら平和になるのかもしれません
一部あるかも
我々は平和というのはどうしても
本当に社会状況の平穏ということと
使い分けていると思うので
今の人平穏ですねとは言わないかもしれないですね
地域社会のバランス
安定してますね落ち着いてますねとかですかね
だからピースフルとステイブルは
たぶん違うと思うんですよね
もうちょっと身近な地域とかで言うと
安定してて穏やかなのは
治安が悪くないとか
子どもがキャッキャしてるとか
みんなそんな悲壮な顔してなくて
スタスタ歩いてるとか
そういう感じでいくと
地域全体は平和で健全そうなイメージがありますけど
今のところでピースフルな
地域の絶対的な要因って
高齢社会なんですよ
元気がないんです
だから足足が特にそうだと思うんですけど
足足って高齢化率がすごい高いんですよね
子どもが少ないんですよ
これが子どもが多くてってなってくると
今度は賑やかになるので平穏ではないんですよね
それをどちらがいいかってなった時に
その両方が上手に共存している状態
ということだと思うんですけど
子育てするにはもちろん
平穏で治安がいい方がいいと
町が綺麗な方がいいと
その代わりそれを維持するための費用がかかりますよ
ってことになるので
そうなると平和な地域の状態って
子どももキャッキャいて
でも喧嘩とかも起きるかもしれないけど
でもその中に高齢者とかも
安定して落ち着いてる人もいて
うまく駐載したりとか
鑑賞剤としていてみたいな
かなり落ち着いてる部分と
喧騒の部分がうまく混じり合ってる
みたいな感じがちょうどいい状態
そのバランスを政治側とか
あるいは地域の人がどういう風に作っていくか
ということ自体が
祭りごとだと思うんですよね
なるほど確かに
働く人で言っても
もうちょっと盛り上げていく
祭り的な文化とか
そういうエンタメみたいなのを
作り出す人もいれば
基盤を支える医療とか
社会保障みたいな人もいれば
っていうところで
さっき子どもと高齢者みたいな
対比もありましたけど
働いてる人の中でも
結構目指す方向性が違ったりすると思うんで
そこもバランスよくあるといいなと
本当ですよ
だから事故計算っていうところに行くと
事故計算の結果何が得られるかっていうような
ゴールを設定してもらうっていうことを
多くの人は欲しがるわけですよね
この勉強を例えば
どれぐらいかな
弁護士2万時間つったかな
1万時間つったかな
ぐらいの勉強をすると
弁護士司法試験通りますよとか
っていうような
一つの設定ラインがあると
俺2000時間しかしてないから落ちたわ
とかっていう風な
ある種の数的な
見立てでもいいと思うんですよね
この資格を取った時に
この病院だと
これぐらい給与が上がります
だとすると
あなたがこの資格を取る段階で
この病院に移動しなさいとか
ここの病院だったら無理だけど
ここの病院だったら
時間が取れるので
勉強時間が取れるから
ここの間ではちゃんと勉強しなさい
そして取る時に移動しなさい
とかっていう
ロールモデルを
たくさん与えていかなきゃいけないと思うんですよね
うちの病院取ってもダメだ
だったら移動すりゃいいじゃん
ってならないんですよ
移動して評価するところに
やってもらったらいいわけですし
評価してくれるところが
取ってくれるような人材というものを
情報収集して
本当に取ってもらえるかどうかっていう
あるいは学会とかで
そこの上司の人たちと
知り合いになっておくとか
ネゴシエーションも
しとかなきゃいけないわけですよね
そうじゃなく
自分は勉強したら認められる
っていう社会ではない
そこがなかなか難しい
ただ勉強していない人と
勉強している
資格を持っている人と
資格を持っていない人が並んで
同じ値段だったら
それは資格持ってる人取るよねっていう
分かっちゃいるけど
そこに対する努力をするのが大変
だから僕も今から
フランス語とアラビア語
喋れるようになれっていう
努力はしたくないです
そこに得られるものが
例えばフランスで働けるよ
アラビアの富豪のところに
行けるよって言っても
ちょっと遠すぎるんですよね
なのでセラピストの
今後のキャリア的なものを
考えた時に
もっとプラスの方に
行く人はもっと増えても
いいかなと思うんですけど
それこそセラピストであれば
何か新しいこと目指したとしても
また病院には戻れるというか
基盤となる国家資格とかあれば
社会保障的な役割は
自分も病院で働いて
研究もして独立してみたいな
一応ステップ歩んできたから
もし先に行ったところで
うまくいかなくても
別に戻れば生きていける
みたいなことはあったりするんで
保障はあるというか
なのでもっと先を目指しても
増えてもいいかなと思ったりします
資格っていうセフティネットを
持ってるっていうのは
絶対的な強みなわけですよ
だからチャレンジして
チャレンジがダメだったら
戻れる場所があるっていう
実家みたいなもんだので
そこを上手に利用する
だから理学療法士として
高級取りになるっていうことを
目指すんではなくて
理学療法士という
セフティネットを持った上で
次のステップに向けてみる
っていうことは
大学教員と病院の現場
他の人よりもアドバンテージが
あるってことですよね
それがアドバンスのセラピスト的な
動き方なのかもしれないですけど
いやそうだと思いますよ
じゃあ僕自身が大学教員を辞めて
病院に戻りますかというと
割と僕大学教員という仕事好きなので
病院が嫌いというわけではないですけど
僕病院もともと嫌だった理由が
書類だったんですよね
とにかく書類が嫌いだったので
かといって大学教員書類書かないから
書くんですけど
決められたあんまり意味のない書類を
書き続けるっていうこと自体が
僕は未だに嫌いなので
だから病院に戻るにあたっては
書類を書かないようなシステムを
ちゃんと構築した上で戻ります
なるほど
学校でも結構まだ書類いろいろあると思うんで
逆にもっと自由に
自分の創作物できるものだけ
みたいなことをしていくのは
ちょっと森先生にとってもチャレンジ
だけど現実例えばもし僕が
画家になったりとかしても
個展を開くたびにたぶんいっぱい書類書いて
契約するのに書類書かなきゃいけないから
結局書類ってあるんだろう
だと思いますけど
そうですね
病院に比べて大学の方が書類は少ないです
病院って毎日カルテを書いて
実施計画書をやってとか
非常に多いので
僕はあれがとても嫌いでした
変ですよね
それに苦しみながら皆さん
働いてるっていう感じですね
なので僕のメインの研究の
カルテ自体の支援システムとかっていうのは
そういう過去の自分に対しての
安置訂正というか
それを助けたいという思いですから
それが本当に普及して
書類が減るんだったら逆に
現場の仕事も全然ありだな
みたいな思えるかもしれない
それは現場の仕事は好きなんですよ
書類を書きたくないから戻りたくない
っていうのがすごく強いです
地域差の重要性
しかも年代的に一平率に戻れない
年代になってきたので
一平率としてやりたいです
現場で先陣で患者さん読みます読みます
全部読みますっていうような形でやりたいです
なかなか難しいところ
そうすると自分で独立しないと
できないとか
独立して慈悲にやると
患者層が決まってきて
全部来ないと思うので
いろいろ見たいですね
例えば妊婦さんを見たりだとか
いろいろ見たいのはあるので
でもそれはもう贅沢な話だから
あんまり考えてませんが
どんな話になりましたっけ
地域さんのところですかね
確かに地域さんというところは
これ自体は
ちょっと合間のところで
喋ってたんですけども
日本における
開港券を使う料金というのが
確か北関東都知事だったと思うんですけど
と大阪って
使う金額が倍ぐらい違うんですね
これ大阪が高いと
大阪の人たちっていうのは
基本的に使わな損だという風に捉える
都知事の人たちっていうのは
先ほど田代さんが
お父さんですか
ご実家が都知事の方だというところで
家族で見ていくぞというようなものが強くて
公助よりも
次女の方が強く出てくる
というような話だったと思います
これが今度真逆に
超過資送具を作る本数
ってなった時に
東京と大阪って
大阪半分ぐらいしか作らないんですよ
それは高いかなって言うんですね
だからこういう風に
文化差というか地域差という
お金に関する考え方って
ものすごく強く出がちです
これは分かりやすく
大阪を例にとってますけど
これが福岡と例えば岩手だったらとか
いろいろな差が絶対出てくるんですよね
だから自分の地域について
タットの差を見ながら
ちゃんと勉強していくっていうのは
すごく重要だと思うんですよね
その次に日本と
例えば韓国とか日本とアメリカとか
そういうような比較文化論的な考え方
っていうのはすごく重要なんですよ
おそらく多くの人が
比較文化論っていう学問を知らないので
ぜひ比較文化論的な書物だとかを
読まれると非常に面白いし
地域差っていうのは非常に面白いです
前回も日本的なシステムとかは
アジアとかでも都市圏とかでは
応用できるかもね
みたいな話はあったかもしれないですけど
やっぱり自分の体位とか
ちょっと分かりがあったりしますけど
そこもさっき言った
土地域とか北関東みたいな家族の中での
付き合いとか
福祉的なところでもサポートする
みたいなとか強いところもあると思うんで
土地による共通点と違いとかは
あるかなと思いますし
自分がどういうところで関わっていきたいとか
今住んでる土地はどういう特性なのかみたいな
理解していくと
活動の方向性っていうのは
国際活動とローカル活動のバランス
考えやすいかなと思いました
本当に今これを聞かれている方が
どこに住んでいるか
そしてその住んでいる地域の
市役所のホームページを見て
その市がどういうことを目指しているのか
その住んでいる都道府県を見て
どういうことを目指しているのか
っていうのを知るだけでも
だいぶ違うと思います
例えば僕が住んでる美濃市なんかっていうのは
とにかく子育てをしやすい
町づくりとかをしているわけですよね
その子育てをしやすい町づくりを通して
多くの人に来てもらおうと
特に若い世代
税金を納めてくれる世代っていうのを増やして
そこで税収を増やしましょうと
その代わり美濃市っていうのは
産業がないんですよね
例えば会社があるとか工場があるとか
っていうわけで完全なベッドタウンなので
そこに若い人が増えない限りは
税収が増えないわけですね
なのでそういう戦略として
子育てを手厚くして
治安を良くして来てもらって
税収を増やす
だとすると自分が
どういった暮らしができるのかなとか
その代わり
家賃が高かったりするので
地方都知事としては
そういったものをちゃんと見ておいて
自分がどういうところに住むこと自体が
得するのか
あるいは自分が年代として
どういうふうに求められているのか
っていうのを知っておく
そうなると患者層もそうなってくる
ってことですよね
若い層が増えてくる
例えばスポーツ見たいとかってなった時に
そのスポーツ自体は
スポーツ選手は見えなかったとしても
高校生だとか中学生だとかが
たくさん来るってなった時に
すごい高齢者が多いところよりも
例えば見直しの方が多いよとか
そういうふうになってきます
なるほどですね
途中でもマインドセット的に
前的な方向性なのか
啓蒙主義的な方向性なのか
みたいなのがありましたけど
人生のフェーズによっても変わってくると思うので
そのフェーズによっても
やっぱりより上を目指していきたい
みたいな時は都心とかにいた方が
刺激も多くて学びも多くて
次にあるかもしれないですし
ちょっと落ち着く形がいいかな
みたいな時はそういう土地を選ぶと
いいかもしれないですし
自分のマインドとか方向性に合わせて
土地選びはうまく考えてくれると
思いました
僕も田代さんも
地元に戻っていないタイプなので
よくも悪くも
地元に縛られる人たちっていうのが
いるんですよね
地元以外の選択肢がないっていう人たちも
いると思うので
それはそれでその地元を盛り上げるための
今度は祭りの活動だとか
ツイッターの活動あるいは
市議会との活動だとか
広く地元を
ちゃんと守っていくような
活動をしていくのはすごくいいと思うんですよね
市議会議員の人たちとか
っていうのも基本的には
町の諸問題っていうのを
生の声を聞きたいと思ってるわけですし
それを医療側の
立場から
別に自分自身が議員と
癒着するとか
自議員になるとかっていうと関係なく
情報を提供するっていうのは
やっぱりあると思うので
もっと広い活動っていうものを
目指していくっていうのがいいと思います
そうですね
確かに
自分と堀先生はどっちかというとグローバル目線で
どんどん国際的な活動も広げていこう
っていうような広く見るようなタイプかもしれないですけども
ローカルに着目して
その中でいろんな業種だったりとか
その行政とか
そういう地域のまつりみたいに関わって
他世代の人に関わっていくみたいな
ところももちろん高校生としては
あるかなと思いますし
どっちが自分がやりたくて興味あるかな
みたいなところは
考えてみると
本当に自分が何をしたいか
そしてそれをどの地域でやりたいか
っていうような視点
そして何を達成したいかっていうこと自体を
ぼんやりとでも持っておくっていうのは
すごく重要だと僕は思います
さっきおっしゃられたように
僕も自分の地域よりも
国際活動のほうが好きなので
今度
来年インドである
AWP
アジアウエストファンシックの理学療法の学会で
公募スピーカーが
出てたので応募しようと思ってて
ちょっと日本の
いろいろ話をインドで
してこようと思ってたりとかするので
それよりも地域のコミュニティで
例えばメンタルヘルスの話とかしたら
いいじゃんとかって思われるかもしれませんけど
興味がないことはないが
どちらかに魅力を感じる方は
インドのほうを感じちゃうんですよね
これはだから自分の特性というか
性格の問題なので
要望があれば
しますが自分から
アプローチするのは国際のほうですって感じですね
そうですね
それも完全に
ゼロ100じゃなくてグラデーションもあると思うので
どちらの比率が
強いかというところだと思いますし
ローカルで活動しながらも
それを国際的にも発信していく
みたいな形もあるでしょうし
うまく混ざり合っていけるとバランスは
いいかなと
なので
己を知ろうとするということ自体は
僕の常にスタート地点なので
自分の欲求だとか
自分のゴールだとか
意識の差とセラピストの役割
というものと今の自分というものを
常に捉えていくということは
すごく重要なことかなと思います
そうですね
誰かを助けるって言っても
自分のことも知っておいて
自分の特性に合ったほうが助けやすいかなと思いますし
そうですね
今回のまた平和基点に
いろいろ話していったんですけど
後半部分は結構
セラピストの
また働き方とか
どういう活動がいいかなみたいなところで
セラピスト自身も
安定して今の形で
活動していくだけじゃなくて
まだまだ
先を見せてやる人も
いるかなと思いますし
どっちかというとそういう人が増える
必要性が高いフェーズかなと思うので
その中でも
うまくいかないときもあると思いますけど
そこはなんか
一緒に進めていけたらいいかなと思いましたね
はいもうそのために
ぜひコミュニティに入ってくださいと
ですね
相変わらずコミュニティそんな数は増えてないんですけど
一応細々とやっていきたいな
と思ってますし
こういう収録しましたとか
そういう情報も上げていこうと思うので
興味ある方は
Discordのコミュニティ入ってもらえたらなと思います
概要欄に入れてありますので
どうぞよろしくお願いいたします
ご参加ください
そんなところで
そうですね
堀汐先生も本当に
ご自身でも海外とか行きながら
また世界の状況も知りながら
自分も独立して
関わりながら
結構海外の企業とか国の方も
関わることはあるので
実際の経験とかも合わせて
話していけると
気づきになるかもしれないので
今後も取り上げていけたらなと思います
そんなところでしょうかね
はい
後半分はこの辺りで
ありがとうございました
47:40

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