2025-12-24 45:03

#20-2 メリトクラシーを乗り越えていく新しい働き方

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堀 寛史

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田代雄斗

https://x.com/yuto_therapist

サマリー

このエピソードでは、能力主義やメリットクラシーに対する批判が取り上げられ、特に日本社会における労働観について考察されています。セラピストのキャリアや働き方の未来についても触れられ、職業上の専門性と社会的評価基準の関係が論じられています。新しい働き方を探求する中で、プラグマティズムや人文知といった理念が経営や教育に与える影響について考察されています。また、個人の強みを生かすことや理念と実用のバランスを保つことの重要性が語られています。メリトクラシーやワークライフバランスの重要性が議論され、特に日本の文化的背景が影響を与えていることが示されています。さまざまな職業における仕事の内容やストレス管理の方法についても触れられています。新しい働き方において、個人の趣味やコミュニティの重要性が語られ、一人で行う活動から他者との関係を築くことが楽しさを増すという観点が示され、趣味が人生のバランスに与える影響が強調されています。議論を通じて、メリトクラシーを超えるためのコミュニティづくりの重要性が強調されています。

能力主義の課題
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistエピソード20本目の後半部分ということで、前回はちょっとちょうどっきりがいい番号なので、これまでどんな配信をしてきたかみたいなことを振り返ったりとか、
少し今後こういう話をしてもいいかもしれませんね、みたいな話はあったんですけど、もうちょっと深めていく形で、セラピストのアドバンスな形ってどんな感じかなとか、
働き方の未来のイメージとかも含めて話していけたらなと思います。
よろしくお願いいたします。
理学量分析の未来ですね。
やっぱり過去の配信見ても認定専門のところの聞かれている回数が多かったりとか、やっぱり結構キャリアとか働く系は興味持たれているところかなと思いますし、
この辺も国際情勢というか、社会環境も影響してくるところかなと思いますけど、セラピストの未来の活動の形ですかね。
おそらくこれは理学量方針のみならずと言われることなんですけれども、現状で言うと、結局努力した人が割よく生きていけない社会ってのは良くないよねという感じが一つあるだろうと思います。
特にその認定を取るというのは努力が必要ですし、あるいは学位を取るということも努力が必要だと。
それをやったからには自分は評価されるべきだという考え方が根本的にあるということだと思うんですよね。
それは僕もその通りだと思いますし、ただそれ自体が100%報われるかどうかということには至らないというところに、結構みんな大きく辛さを感じているということかなと思います。
能力主義に対する批判とかも聞くようなことが増えてきているんですけど、やっぱり収入とかって言うとスキルとか能力だけじゃそれと直結しないところもあるかなと思いますけど、
セラピストという職業上、職人性というか専門性を高めようという意識は高いかなと思うんですけど、それとまたキャリアとは違った考え方があるかなと思うので、社会状況も含めて理解していかないといけないかなと思います。
こういう考え方をあえて人文学的なところで言うとメリットクラシーって言うんですけども、そのメリットクラシーの考え方というのは能力が高い人、業績がある人が認められるべきだという社会構成なわけですね。
それがハイパーメリットクラシーという言葉もあるんですけども、結局そういった考え方が我々の中に強くインストールされすぎているということも言えるわけですね。
これはつまりエリート主義ということなんですけども、その運のレベルよりも能力ということ自体がすごくこう全面に出ていく。
なんか一見正しいようで本当にそれが正しいのか、つまり努力をして得たものというものの多くが決められたいわゆるラダーを登っているだけのことが多くて、
そのラダーを登り切った人間だけが正しいという考え方は一部問題があるよねということだと思います。
働き方の未来
そうですね。また特に結構日本人なのかどこかなんですけど、こうラダーに乗るところを良しとするというか周りに合わせてとか、
大学入って就職するみたいな形とかが一般的に良しとされがちかなと思うんで、自分は結構階段とか一般ルート外れてきた感じではあると思うんですけど、
結構そこに対する拒否反応を示すような人も多いかなと思うんですけど、ちょっと道を外れる意識というかマインドも必要性は高まってくるかもしれないですかね。
能力というものが今の道を外れるというところもそうだと思いますけど、多様化しているにもかかわらず評価基準が多様化していないわけですよね。
もちろん評価基準の多様性ってすごく難しいということは分かっているんですけども、それに対して向かおうとしない時代ということだと思います。
なので、いまだに高校時代の高かった偏差値が大学に依存し、何を学んだかではなくて、どこに入ったかが問題なんですね。
問題というかテーマなんですね。どこに出たかではない。どこに入れたかということ自体のメリットクラシーというものが変わりきらない。
その後に頑張ったところで、例えば認定を取った、専門を取った、修士を取った、給与に反映されないということは、
結局そのメリットクラシーの部分というものが、どこに入ったか、あるいはどこで免許を取ったかだけで判断されていて、
その後の努力値というものを認めてくれる病院社会ではないということの問題があるわけですね。
そうなるとどうなんですかね。やっぱり実際に学んできたとか身につけてきたとかどのぐらいの成果を上げれるかというところを、
経営側が見て人を集めていけたりとか、マネジメントしていけるようになるといいよねという感じですかね。
ちょっとマイナスなイメージになるかもしれませんけれども、経営側自体というのはできるだけ安く使いたいわけですよ。
ということは頑張っている人とそうじゃない人が同じ売上を上げるんだとすると、下の方に合わせるわけですよね。
頑張っている人が他の能力を持っていて、この人を事務方に呼んだ方がいいなとか、
となった時に初めて経営側は動き始めるという段階であって、一回の理学療法士という形を取った時に、
あなたが例えばその教大を出てようと専門学校を出てようと同じ金額しか稼げないじゃんということになるわけです。
その人がどういう成果を上げているか業績を上げているかよりも、稼げる値段で判断してしまうので、
経営者の論理から言うと同じというふうに、それは耳を塞いでいるわけですよね。
知っているけども、明らかに例えばAPTとBPTでAPTの評判が良くて、
人文知の重要性
APTに患者さんは集中したがっているけども、それは耳を塞ぐということです。
そうですね。なかなか心理保守とかでいくと、やっぱり理学療法士として活動できる時間とか、
活用できるタイムみたいなところは限界があると思うので、その軸だけで動いていると、
病院の経営側からすると認められづらいところはあるかなと思いますけど、
病院全体で見れば他にやるべきこともいろいろありますし、価値発揮できるところもあるかなと思うので、
病院の中でより活動の幅を広げていくというと、違う軸の能力というか力も発揮していけるといいかもしれないですね。
そうですね。あとはこれまでの話の中でも多分言ってきたと思うんですけど、
課長クラスが理学療法士の基本的なトップだと。課長クラスって軽い人事権を持つかもしれませんけど、
決算権を持たないわけですね。決算権を持つのって部長以上だと一般の会社では言われるわけなので、
決算権を持たないと給与がいじれないわけですよね。ということの弱さはあると思います。
決算権を持っている、人事権を持っているとなると、どこかからちょっと給与が高い人を引き抜いてきて改革をしたりだとか、
あるいは自分の判断でこの人は残してずっと長く働いてもらいたいというと給与を高くして、
管理職だとか幹部に置いていくということができますけど、課長というのはその権限を基本的に持たないんですね。
もちろん部長に似通った課長がいてその権限を持っている病院の人はいるかもしれませんけど、
一般社会といったときはそれがない。課長と部長の違いというのは決算権の違いなので。
なるほどですね。そうなると理学療法士の中でも事務局長的なポジションにつくような人もいるかもしれないですけど、
そうなると理学療法士の中でのトップというだけじゃなくて多職種も含めた事務方のトップという形になると、
やっぱり多領域の理解もしながらその病院にとって必要なことを考えていくということが大事なわけですよね。
例えば事務局長になりました。自分は理学療法士です。リハビリテーション課にだけに権限を渡したり、
リハビリテーション課だけ給与を増やしたりとかそれは問題があるわけですよね。そうではなくて、
ここでリハビリテーション課に何かアクションをかけることで病院経営が全体的に良くなる。
そうした結果看護も事務課も給与が良くなるんだとすると、今アクションをかけるのはリハ課であるというような考え方をしなきゃいけないわけですよね。
それが例えば看護の方を充実させることによって病棟が安定してリハ課を少なくしてでも看護の安定が病院の経営に役立つというとリハを切らなきゃいけないわけですね。
そういうような視点で全体を埋めた時にどういうふうに経営が良くなるかといったところの、
自分が理学療法士だとどうしても視点は理学療法のところに行きがちだけれども、それは強みとして生かすべきですね。
良い理学療法が展開されることによって特殊性を持った病院になって、
回復期だとすると旧世紀から確実に患者さんが送られてきて、
そしてそのまま自分のところに在宅でやってほしいというニーズがあるから、
自分のところが法官を作ればすごくニーズが高いことができるというような広い戦略になるということですよね。
そうですね。なのでやっぱり広い視野を持つのが大事かなというところで、
目の前で臨床的に改善するだけじゃなくて、
でもそれも目の前で関わっている患者さんが本当に必要なことは何なのかというのを考え抜いていったりとか、
その病院がある地域について必要なことが何なのかというのを考えていけば、
自ずと広く考える必要が出てくるかなと思うので、
やっぱり本当に必要なことというか、
根本的に大事なことって何なのかというのを考え続けるといいかなと思いますね。
それこそ人文知ですね。だから経営側に入れば入るほど、
その計算式、そろばんを弾いて分かることと、
そろばんを弾いたって全く分からないことが出てくるわけですね。
要は別途する。つまりかけなきゃいけないタイミングに、
その決断をする能力っていうのは、
ある種人文知的なエビデンスで進んでいく。
つまり過去の歴史ではこういう時はこうだったという反例主義で動くと。
それは科学とはまだ違うわけですよね。
データではなく反例で動くので、
例えばナポレオンはこのタイミングで夜集をかけたとかですね。
それに似ているのでこれは夜集が効くんじゃないかみたいなのは、
これは人文知なわけですよね。
そういう意味で歴史を学んでいくとかっていうような価値が出てくるでしょうし、
その人文知がバカにできないというのは、
人間っていうのはパターン化していくものなので、
おそらく2000年にしろ1万年にしろ同じパターンで動いてるはずなんですよ。
そのパターンっていうのを理解していく。
そして人間が欲しがっているものはここなので、
ここにかけるっていうような、
ただそれがかけんの時にどれくらいかけるか、
何をかけるかっていうところは、
もしかしたらちゃんと計算式を用いてやらなきゃいけないけど、
やるかやらないかの判断は人文知だと思うんですよね。
そうですね。もちろん広い世界のそういう人文的なことを学ぶのも意義ありますけど、
病院とかであれば病院自体の遠隔みたいなもの、
どういう形で立ち上がってきてとか、
その病院がある土地の歴史とか文化みたいなことも知っていけると、
理念と実用のバランス
地域の中で病院がどういう位置づけで動いてきたかとか、
今後どうあるべきかみたいなことが分かってくるかなと思うので、
身近なところと広いところと両方学んでいくといいかなと思います。
特に今僕自身のことを考えると、
それこそこの前チャッピーと色々会話をしてて、
自分自身の思想について整理をしてたんですね。
僕自身は減少学と解釈学と、
そして構造主義という流れが好きなんです。
これはどういうことかというと、
物事をまず経験すると。
それが減少学であると。経験の学問。
それをいかに解釈するかというのは意味を作るということですね。
その後にその意味を構造化するという構造主義の概念で僕は割と動くんですね。
これって哲学的には超カチカチの概念なんですよ。
そのカチカチの概念すぎるからこそ、
そうじゃないものをあまり受け入れない傾向にあるわけです。
例えばプラグマティズムっていう哲学の流派があって、
これはどちらかというとプラグマティック、
つまり実用的なものをすごく重要視するわけですね。
概念よりもまず実用的なもので動こうというような、
アメリカ社会が中心的にプラグマティックだって言われるような成果を求めていく。
そこに理念だとかは後からついてくるような考え方。
僕はどちらかというと先に理念を作ろうとするので、
例えば僕自身が仮に企業のトップになった時に、
売れるものを作りましょう。
じゃなくてより良いものを作ろうになってくるので、
販売がなかなかできないわけですよね。
だけどこれがまず売れるものを作って、
結果そのお金であなたがやりたいものを作ったらいいじゃんっていうところの、
僕が経営者だったらその判断がなかなか鈍ると思うんですよね。
そういったプラグマティックなものっていうものができる。
逆にプラグマティックだけでいっていると、
今度は売れるものだけを追いかけて、
この会社何屋さんなんだろうみたいになってくるわけですよね。
なのでその両輪が動かなければいけないっていうことを、
メタ認知僕はしてるわけですけど、
強みを生かす考え方
僕自身は幸い経営をしていないので、その判断をすることがないと。
ただ経営者に僕がなったら、
おそらくプラグマティックな戦略も打っていくであろうと。
ただプラグマティックだけで走ってたら、
僕は彼方が傷ついていくんですよね。
ただそれを例えば自分の同僚だとか部下とかに
そういう話をした上で、
プラグマティックなことができる人に任せるとか
っていうふうになっているので、
そういった自分自身の思考のパターンを理解して、
そしてその上で行動をメタ認知できるっていう能力が
人文知なんだと思うんですよね。
それはすごく自分の中では大切だなと思ってます。
そうですね。それも自分の中での思考パターンとか
行動特性みたいなのを理解するのも大事ですし、
さっきの病院経営とかでいうと、
経営に関わっている経営層が結構ビジョンありきでやっているのか、
比較的現場のニーズありきとかプラグマティックにやっているのかで、
自分がどういう関わり方をすると今までにない価値を作れていったりとか、
今後の良い流れを作っていけるのかっていうのは、
今いる人とか、今の意思決定の流れみたいなところを保管したりとか、
強化するところもいいかなと思うんで、
周りも見つつ自分の強みを生かせるような形がどうかなっていうのを
見極めていけるといいかなと思いました。
まさに常に僕は自分の強みという話を、
ストリングスコーチだからということもあるんですけれども、
強さっていうものをひけらかすのではなく、
強いところを主軸にして戦っていくっていう考え方は、
これは完全にプラグマティズムなんですけれども、
プラグマティックにやらなきゃいけないということも
すごく重要だと理解していると。
セラピストってどうしても問題っていう言葉をよく使うわけですね。
プログラムベースなので問題を探す。
つまり悪いところを探してそれを良くしていこうというところなので、
良いところを伸ばしていこうというような発想が比較的少ないんですよね。
これは教育的にある種の理念としてそういうふうに動いているので、
ただ自分のことに関しては問題を見つめることは悪くないが、
それよりも強みを見ていきましょうという発想を僕は推奨しています。
経営側も例えばそれが課長とか部長になった時に、
部下の強み、組織の強みというものをどんどん見出していくっていうような
発想の方が組織運営は多分楽しいだろうなと思うんですよね。
ただもちろん自分が管理者になった時は弱点をちゃんと見定めた上で、
それを補うための強みなのか、弱点は自分が補っていくのか
ということを考えていかなきゃいけないと思いますけれども、
これも始まる前に我々の組織の弱点とかという話もちょっとしてみましたので、
どうやって補っていくかということ自体は、
それこそ本当にプラグマティックに考えていかなきゃいけない事例かなと思います。
ワークライフバランスの重要性
そうですね。その辺はやる中でまた人も入れ替わったら、
組織の中での強いところとか弱いところとかも変わっていくかもしれないですけど、
それは見極めてやらないといけないところかなと思いますし、
あとどうなんですかね、セラピストでいうと、
メリットクラシー的な考え方も社会でまだあると思うんですけど、
強いところをどんどん伸ばしていこうっていう人もいれば、
弱いところをどんどん強くして、そうすると
ジェネラリスト的な方向になることもあるかなと思いますし、
人にもよるかなと思いますけど、どういう流れで学んでいくといいですかね。
個人的にメンタルというところの捉え方からすると、
弱いところを埋めていくのって結構苦痛なんですよね。
多くの人が自分の弱いところを見つめたくないので、
だとすると強いところを伸ばしていった結果、穴ができた、バランスが悪くなった、
じゃあこれは俺の強さをより強くするためには弱いところを埋めなきゃいけない、
しょうがないなっていう発想が一番いいと思うんですよ。
なので例えば勉強するときに、国語、数学、理科、社会、英語があったときに、
どうしても英語ができないと。
そうなったときは英語を一旦捨てて、
めちゃくちゃ数学とか理科とかやったらいいと思うんですよね。
いざ大学の受験前に戦略を練っていくときに、
この英語の点数があと20点上がれば志望校に合格できる。
ってなると英語のモチベーションが上がるわけですよね。
だけどあんた英語が苦手なんだから英語を中心にやりなさいって言うと、
数学も理科もやりたくなくなるわけですよ。
なので僕は割と苦手なものは後に回せ。
あるいはコツコツとやれる人は苦手に向き合う時間を1日5分持つっていうような。
どうしても勉強だとか仕事って質の部分を言われながらも
絶対的に量なんですよね。
絶対的な量をやってる人たちがテストとかでは勝ってると。
それがメリットクラシーだと言われるかもしれませんけど、
絶対的な量をやれる人たちっていうのは仕事でも絶対的な量をやれるんですよ。
その中から得られる質というものを見ている人たちなのか、
前に地頭論争みたいなことをやったと思いますけども、
地頭がいいということ自体は絶対的な量が足りないので、
その量を地頭がいい人がやりきれればいいと思うんですけども、
誰かがどっかのお寺の前に書いてた文章ですごいいいなという言葉だったのが、
種も蒔きもせず耕さずもせず人の収穫を羨むなと。
まずそこなんだと思うんですね。
種蒔いたり耕したりしなきゃいけないんですよ。
それには時間がかかると。
ただそれができれば自分がやりたいことから中心にやっていくと。
そして収穫できて、いつも野菜ばっかりしていると。
主食がないじゃん。米もやらないといけない。
米あんまり好きじゃないけどやるかって言ったときに、
それはいい農家になるわけですよね。
そんなことが必要かなと僕は思っています。
そうですね。確かに。
自分もどちらかというとそういうタイプで苦手なところだけ埋めていこうというと、
メンタル的にもネガティブになりやすいかなと思うので、
強いところを伸ばしていって、
必要であったらネガティブのところも自分で良くしようかなと思うかもしれないし、
そのうちに助けてくれる仲間が集まってきて、
チームとしてはうまく保管し合ってできるかもしれないので、
能力としてはそんな感じかなと思いますし。
どうなんですかね。
あと最近だと高市首相のワークライフバランス論争みたいなところもあったんですけど、
セラピストにとってのワークライフバランスとか、
堀先生にとってのワークライフバランスはありますかね。
今僕ワークライフバランスが崩れているので、
ちょっと仕事が多いなと自分の中で思っているんですね。
ただこのワークライフバランスって言ったときに必ず必要なのは、
ワーク・マニー・ライフバランスだと思うんですよ。
例えば僕ら夏休みのときって仕事がボンと大学教員減るんですよね。
このときって給与をもらっているのが申し訳ないなって気分になってくるわけですよ。
それはもちろん自分の大学に対する貢献の一つが授業であるというような発想があるわけですね。
その間に論文を書いたり、外の仕事をしたりというのも、
大学の名前を売っていく上には必要なんだけども、
自分自身の給与のうちの大半は学生の学能品からもらっていると考えたときに、
授業をちゃんとやらなきゃいけないという発想が出てくると。
だから申し訳ないなと思いつつ、今度仕事がいっぱい増えてくると、
給与に見合ってないぞみたいなことになってくるわけですよね。
そういうふうに一つの基準値、仕事の基準値っていうのは、
どうしても給与というものと相関があると思うんですね。
これがライフってなったときに、
ある程度お金がないとできないこと、時間がないとできないことっていうことになってくるので、
ここはワークっていうのは何のためにやっているかっていったときに、
自己実現のためにやっているワークもあれば、給与のためにやっているワークもあると。
なのでワーク自体を一言で語れないっていうことはあるだろうなと。
ワークライフバランスの意義
例えば高市さんが自分のワークライフバランスを壊してでもっていうこと自体は、
彼女の理念であり、彼女の覚悟なわけですよね。
だからそれは誰かに押し付けるわけではないと思いますし、
ただその覚悟を聞くと日本人って割と盛り上がると。
ただ海外の人たちからすると、ライフの部分に主軸を置いているような人たちが多かったとすると、
なんてことを言うんだっていうことになるでしょうし、
定期的な仕事がずっとルーティンワークがある人、
例えば1日8時間ずっと同じ仕事をしている人が1時間分増やされるとつらいと。
だけども大学教員のように、毎日の仕事が違う、時期によって仕事が違う、
毎年仕事が違うという人が何か仕事が増えても気づかないことがあったりするんですよね。
気づくのはしんどくなって気づくって、
なんか全然時間ないじゃんみたいな。
だからそれがワークライフバランスと言われると、
僕も自分でよく分かってないというのは正直なところです。
田代さんもワークライフバランスって難しい立ち位置じゃないですか。
そうですね。自分の中だとまだ小さい子供をもこされてしながらとか、
自分の仕事もしながら、また独立仕事しながらというところなんで、
日々考えてる感じですよね。いつ子供が体調不良になるかもわからないけど、
その中で仕事するとか。
なので関わってるクライアントにもそこも理解してもらって、
もし何かあったら日程変えてもらうとかもひしぶりにできる感じでうまくやってるんで。
だから猛烈に仕事だけしてますって感じじゃないですけど、
本当にいいワークライフバランスを保ちながら働けるためにはどうしたらいいかなって
常に考えてる感じかもしれないですね。
ストレス管理とマインドセット
なんか、無術の世界っていつ稽古するんですかっていうと、
日々の生活が稽古だ。これが善の世界になってくるわけですね。
それと同じように哲学の人ってどういうふうに研究するんですかっていうと、
日々の営みが研究だっていうふうに答えるわけですね。
じゃあ暇なときはあるのかって言ったら常に暇だって言うんですね。
ここが善的になってくるんですよね。
例えばそれが走ってて止まるっていうことになったときに、
走ってるときが移動しているとき、止まってるときは移動していないっていうような
ものすごく分かりやすい仕事と、
じっとしてるけどもあの人は活動しているのかどうかみたいなところの
難しい仕事っていうのもあると思うんですよね。
理学療法書はどちらかというと、走ってて止まってっていうのが
かなり明確な仕事なわけですよ。
そうなったときに仕事を増やすって言われたときに
走る量を増やされる感じがあってすごく嫌だと思うんですね。
だからそれが例えば事故検査とかを積んだ結果、
量だけ増やされたら嫌だなとか、そういった概念なのかなと思ったりします。
そうですね、確かに。
自分も例えば子育てがありますけど、子育てしてる中で気づいて
これ仕事に活かせるかもなみたいなポイントってやっぱりあったりはしますし、
だからバランスっていうよりもミックスされてるみたいな感じはあるんで、
セラピスト職とかだとそういう結構ミックスする部分もあるのかなとは思いますけど。
そのミックスができる人なのかそうじゃないのかのところで
ストレスの部分は違うと思います。
昨日学生に授業をしていて、メンタルヒルスの話をしていたんですね。
ストレスコーピングっていうのがうまくできると人生が楽だっていう話をしていた中で、
ある子が自分がバイトでワンオペになるときがあると。
ワンオペになると多くの人が嫌がるんだけども、
自分一人でやるときにはどれだけ早く片付けれるか大会とかを自分の中で開催して、
昨日の私に勝ったとかっていうとすごく楽しいんですっていうような子がいて、
そういう人たちっていうのはストレス耐性がまず一つ強いということと、
どんなことをやっても多分その人たちっていうのはうまくいくパターンに入っていけるわけですよね。
だからその自己研鑽とか自己学習というのも楽しくてやれる。
もちろんそれは片付けは好きだけども、数学の勉強は嫌いであれば片付けの方をうまくやって、
片付けが耐性してこんまりさんみたいに世界の100人で選ばれたりすることもありますからね。
どんなんでも追求していくっていうのはすごくいいと思うんですよね。
確かに。そうですね。
なのでその辺も強みを伸ばすみたいなところと通じてくるところかなと思いましたし、
あとは前半部分だと臨床としてステップアップしていく流れとかもありましたけど、
やっぱり研究とか教育とかっていうとまたステップアップの形が違ったりとか、
あとワークライフバランス的なものを保つやり方も違うかなと思うんですけど、
教育と業績のジレンマ
教育とか研究とかでステップアップの流れとかってどんな感じで考えていくと、
結構教育に対しては難しい話もラジオでは多いかなと思います。
そうですね。多くの臨床の話を偉そうに話しましたけど、僕臨床にはいないんですよね。
だから実際には臨床っていうのはメタ認知して喋ってるわけですけど、
研究だとか教育の場所っていうのもどっぷりはまり込んでいるので、
当事者として話してる感があるわけですよね。
当事者として話すと言うと、自分自身はもう昇進とか業績とかっていうことに
ものすごくコミットしなければいけない立場ではないんですけれども、
自分が生きてきた中ですごくストレスだったっていうことはとてもあります。
要は業績を上げたからといって昇進になるわけではない。
だけども昇進しようと思うと業績を上げなければいけないっていうジレンマがあるんですね。
そのジレンマの中で自分の業績よりも他者の業績が少ないにもかかわらず上がってくるとか、
要はこうしたら上がるっていうルールがあんまりないところが多いんですよね。
となると人間関係なのかと。
人間関係で変更しておかなきゃいけないってなってくると自尊心が傷ついてくるわけですよ。
そんな組織に入れるかというふうにも思ってくるし、
だけどももしかしたらその組織が自分が人事側になったら
決してそういうふうにヘイコラしたからやってるわけではないっていう理由はたくさん出すと思うんですよね。
結局人の気持ちがわからないので、
なんで自分がこの立ち位置でこんな目に合わなきゃいけないのかっていう被害者意識がどうしても
大学教員とかは出やすいと思います。
これが例えば専門学校の教員とかだったら職位っていうのは基本的にないので、
そこはあんまり関係ないのかもしれませんね。
もちろんそれは教務主任とか教務課長とかそういう役職がついてくることはあると思いますけど、
それは大学でも学科長とか学部長とかっていうのと一緒なので、
だけど要は軍隊として階級社会なんですね、大学って。
特に医療系というのは通常5段階社会で助手助教、講師、準教授、教授、
一般は助教、準教授、教授の3段階なのに医療系は5段階として長いんですよね。
ましてやある大学に至っては準教授が2段階あって6段階になっているのがあるわけですよね。
だからどんなに頑張っても上がるのに疲れてしまうということになってくると。
上がってしまったら上がってしまったって楽かというと、
昇進とかのストレスはなくなるけど仕事は増えるわけですよね。
責任が増えたり。
だとするとその真ん中ぐらいいわゆる講師職とかで責任がなく楽で
そこそこの給与をもらっている方がいいじゃないかという発想にもなってくるわけですよね。
だから自分がどういうふうになりたいのかっていうところに合わせて業績を積んでいかなきゃいけないし、
少なくとも職位が高くなければ責任のある仕事は通常任せてはいけないはずなので。
今思うと楽な時期もあったなあという気がします。
なるほど。
だから完全に職級というか階が上がればいいというだけのものでもないという感じですね。
本当にやらなきゃいけないことは絶対出てきますし、
それ自体が自分が望んでいる仕事ではなかったりするわけですよね。
もちろん全ての人がそうです。自分が望める仕事ばかりができるわけではないので。
とはいえ、これもね、
よく僕がラグビーをやってた時にペナルティーがあって、
相手が一番でっかいやつがボールを持った瞬間に突っ込んでくるわけですね。
さあこの時に最初に誰が止めに行くかっていうのが、
要は学年が上がったら暗黙のうちに3年生が行かなきゃいけないみたいなのがあるわけですよね。
だけど自分の体格から考えたら一番ちっちゃいのに3年生というだけで行かなきゃいけないってやっぱり嫌なんですよ。
100キロぐらいのやつが突っ込んできて吹っ飛ばされるのはわかってるわけですよね。
だけども3年生だから行かなきゃいけないみたいなところが職位が高いからやらなきゃいけないみたいな絶対出てくるわけですよ。
本来は仕事量とか適正適材適所でやったほうがいいんだけれども、
そういうのを判定する時間がないのでこの仕事誰かやってって言った時に、
あとデータベースがあってこれは今仕事量からするとエフォートの何パーセントしかやってない人がここにいますと。
かつ彼はこれの専門なので彼がやった方がいいでしょうというような冷静な判断はできないわけですよね。
じゃあちょっと職位が上なのでじゃあ僕やります。またいっぱいになったみたいなことが起きるってことです。
なるほどですね。
構造上の問題といえば構造上の問題なんですよね。
本当にそれが常にデータベースがあってAIにパッと話しかけた時にこれ誰に合ってる。
これは今堀はちょっと前のプロジェクトが終わって1ヶ月経って少し休息も取れてますと。
そして前の経験から考えた時にこのプロジェクトを堀に回すとおそらくこのメンバーとうまくやりきれるでしょう。
だからこれは任せるといいですよっていうような判定をしてくれたらいいんですけど。
日本社会はそうなってないんですよね。
その辺は構造的にいろいろ問題もあるかなと思いますし。
臨床教育研究それぞれステップアップの仕方とかワークライフバランスも違うかなと思いますけど。
ワークとライフだけじゃなくてもうちょっと娯楽的なものとか夜間の時間みたいなところはそれぞれあった方が仕事にもより針が出るかなと思いますし。
結構遊びも大事じゃないかみたいな話も以前どこかでもあったかもしれないですけど。
コミュニケーションの重要性
この辺はどうなんですかね。どのぐらい遊ぶ時間取れてるかとかどういうふうに考えていくといいかなって感じですかね。
一人で遊ぶのか夫婦彼女と遊ぶのか子供と遊ぶのかあるいは親の介護を通して親とコミュニケーションを取っていくのか。
誰とっていうところが結構重要だったりすると思うんですね。
一人でってなった時にそれは今度はその先にいる友人とっていうことも出てきますし。
あるいは一人で読書をするっていうこともありますし。
その時に誰かとの関係性をいかに考えるかなと思います。
誰かが出ると必ず誰かの時間を共有しなきゃいけないので一人の時間では難しくなってくるわけですね。
そういったコミュニケーションを取るのがめんどくさくなってくると一人でゲームをやるとか一人のところに入り込んでしまう。
だからコミュニケーションがちゃんと取れてあるいは自分のやりたいことが明確になってくればなるほど人を巻き込むわけですよね。
人を巻き込んだ方がやっぱり楽しいと思います。
だから人を巻き込めるような人間関係、人を巻き込めるような趣味、人を巻き込めるような自分の能力っていうところで継続的にできる趣味を持つっていうのは相当強いなと思います。
そうですね。自分も仕事はしながらあんまり仕事とか関係ない形のオンラインでのコミュニティ関わったりとかもちょこちょこしてるんですけど。
そういうのがあると普段話せないことを話したりとかやっぱり普段の活動に針が出たりすると思うんで。
そういう人間関係とか仕事とか家庭以外のコミュニティに関わるところみたいなところがあると全体的にもバランスとれてよくなるのかなと思ったりしますかね。
あとは同時に僕の場合は物が好きなので物に対する勉強ですよね。最近の時計の動向とか時計の仕組みだとか、あるいは靴をどうやって作ってるとか。
それは好きで見ているけれども知識とか自分の考え方っていうのは変わってくるから一つの勉強としてとらえていけると。
そういうのを繰り返しやって好きなことを伸ばしていって、あるいはその専門家と話していってより楽しくやっていく。
そこで場合によっては仕事にする人も出てくるでしょうし、自分でじゃあちょっと靴作ってみようかという人も出てくるでしょうし。
そうなってくると趣味の幅が広がるわけですよね。
要は靴を履く側から作る側になったりだとか、履かずに批評するという人もいるでしょうし、誰かに靴が欲しいって言った時に相談に乗れるということもあるでしょうし。
何かしらのパターンがあると思うんですよね。
だから趣味って言った場合に一人でやるとなってきた時には、今は勉強をして知識を増やしていくのが非常にやりやすい時代になってきているので。
あとは僕はチャッピーと会話をするのが好きなので。
それが趣味っちゃ趣味ですかね。
そうですよね。
そうなると、どんな趣味をしている人が多いのかなというのがちょっと気になりだしましたね。
読書みたいな人がどのくらいいるかとか、キャンプとか自然の中で遊ぶのが好きなような人もいるかなと思いますし。
専門性だけじゃなくて、自分はこういう趣味を持っていますみたいな感じでつながっていくのも面白いのかなと思いましたね。
趣味から入るとすごく話が合いやすいと思うんですよね。
要はベクトルが同じ方向に向いていくから、そこでもちろん会わないこともあるかもしれませんけども、
キャンプが好きでキャンプのやり方にとやかく言って嫌になることはあるかもしれません。
通常キャンプ一緒に行くってなると、それまでにコミュニケーションを取らなきゃいけませんし。
だからその人との関連ってのがすごく深まるなぁと。
僕はツーリングに行くので、バイク仲間っていうのがいるわけですし、
そういった人っていうのは職業を超えて、理学療法士なんだけど理学療法の話はあまりしませんよねって感じがします。
そういう関係性もやっぱりいいかなと思いますし、
ベースはそれで、ふとした時に仕事につながることもあるかもしれないけど、
仕事の話が終わったらまた趣味の話に戻ってみたいな感じで、
関係性を築いていくのもありかなと思うので、そんな感じがしましたね。
確かにその趣味をちゃんと、これは趣味ですって言えるものを持っておくっていうのは、
それこそワークライフバランスのライフの部分にはすごく重要だと思うんですよね。
先ほど言ったように、そこに誰というものが出てきますから、
趣味を通じた関係構築
誰と何をいつっていうような部分が明確に自分でやっていくと、
結局特に僕なんかは、明日の予定がないと空虚なんですね。
忙しいとか言っときながら、Googleカレンダーを見て、
明日何もないの?なんで?って思っちゃったりします。
準備の考える時間も楽しいって感じですかね。
楽しいというか不安になるんですよね。
暇な時間の過ごし方がだから下手くそなんですよ。
結局仕事とか言いつつ、自分の時間を使うのにそこに依存してるんですよね。
だから例えば、いつも大体9時10時まで仕事をするわけですけど、
7時ぐらいに家帰ったら、何していいかわかんないんですよ。
映画でも見るかって言っても、映画って僕の中ではその時の気分によって
すごく映画の解釈が影響されちゃったりとかするので、
その気分に合った映画を探そうとしてるけど、なかったら見ないわけですね。
そしたら早く寝ちゃいます。
だからすごい下手くそなんですよ、時間の使い方が。
今、実は僕はすごく時間の使い方が下手くそであるということを告白します。
猫と遊ぶしかないですかね。
猫もね、2時間一緒に遊ぶ。
例えば犬だったら散歩とかっていうので時間使えると思いますけど、
猫は一緒にいるだけでめちゃくちゃ一緒に遊ぶわけじゃないんですよね。
一緒に寝てくれたら嬉しいなーとかっていう距離感なんですけど、
よっしゃ一緒に遊ぶぞーっていう感じじゃないので、
僕はYouTube見てる時に横にいるって感じです。
なるほどですね。
どうなんですかね、そのセラピストでペット事情もなんか聞いてます。
そうですね、どんなペットを飼ってどんなペットをめでてますかっていうのを聞いてみたいですね。
犬か猫が中心になってきますけども、
その中で例えばトカゲとか出てきたら話も聞きたいですね。
そうですね、そういうちょっと変わった興味がある人がいれば話しても面白いかなと思いますし、
コミュニティも一応やってる中で人が集まってきたら趣味部屋みたいなのを作ってコミュニケーションを取ると、
それもいいかもなと思いました。
趣味部屋とかできたら僕ずっといろいろ聞きたいな。
やっぱり専門家に物事を聞くのがすごい好きなんですよね。
今ちょうど剣豪っていうのは刀の達人ですね。
の人の治療をしてるんですよ。
聞く話が全部新しいんですね。
その二本刀の話から刀で物を切る時のコツだとか、
あるいは体の動かし方がやっぱり武術って独特なんですよ。
そういう話を聞いてすごいなと思います。
その人はBB弾を撃ちる人なんですね。
飛んでるBB弾を切ったりだとか、
9メートルの位置から160キロのボールを切ったりするような人なんですよ。
調べたらすぐ出てきます。
セラピストの面白さってそういうところにもありますよね。
患者さんとかクライアントに出会った人がめっちゃ特殊な人で
その話を聞いてるだけでも面白いみたいな。
僕は多分田代さんたちと年代のときに
僕にアドバンテージがあるとすると
生の戦争の話を聞けてるってことですね。
前なんかそこを話したことがある気がしますけど
従軍してる人に生に聞けるっていうのはなかなかないことなので
もうすでに従軍してる方たちっていうのはほとんどなくなっていますから。
なるほどな。
そういう話ってあんまり聞く機会ないですよね。
症例報告みたいな感じで
特殊な経験の共有
公で話すことはあるかもしれないですけど
こういう患者さんがいて、個人情報もあるので
あんまり言いづらいところはあるかもしれないですけど
クローズドな場だけであれば
こういう人いてみたいな話を。
本当に公で話せないような内容を
たくさん患者さんに聞けるわけですよね。
もう絶対ここでは言えないような話がいっぱい僕は聞いてて
めちゃくちゃリアルなわけですよ。
だからそういうのを本当にどうかクローズの場で
収録なしとかで自分が聞いたすごい話
症例話みたいなのもやったら面白いでしょうね。
それは面白い気がしましたね。
ちょっと今後の企画案として考えたいと思います。
本当に50歳60歳くらいの理学療法士集めてくると
戦争の話とか高度経済成長期バブルの話とかって
めちゃくちゃ聞けるんですよ。
これは書籍に残ってない話で
その人のナラティブなので
そのナラティブを聞き出していくっていうのは
まさにドキュメンタリーですから
そういった機会ちょっとクローズでやりたいですね。
面白そうですね。
絶対録音すんなよっつって。
遊び的な感じで。
こんなところでしょうか。
まとまったようなまとまってないようなって感じですけど
今後もいろいろアドバンスの形ってどんな感じかな
みたいなのも考えつつ楽しくしゃべっていけたらなと思いますので
ぜひニーズというか
ぜひこういうことをしゃべってほしいというような流れを
またどんどんおそらくこれが流れるのは年明けですよね。
年明けか年内ギリギリかぐらいですかね。
ぜひ新しい一年が始まる前後のところで
また何か自分の中でも新しい知識をとか
これを聞いてくださっている方からすると
いろいろ聞きたいこともおそらくあると思いますので
何か呼ぼうください。
別にコミュニティに必ずしも入らなくても
アドバンステラピストのアカウント
アドバンステラピストのアカウントじゃなくて
皆さんのアカウントに行っているんですかね。
そうですね。
最近あまりXの方ではないですけど
何かあったら自分の方に来る時もありますね。
じゃあそういったところで
もちろん僕のところに要望をくださってもいいですけど
どうなんだろうこれ
よくあるのが
誰のでもメールが受け取れないとかってあるんですよね確か。
フォローしておかないととかってそういうのもあるかもしれないですね。
もしあれだったら個人用
アドバンステラピスト用のメールアドレスとか
マシュマロとか出しておいて
コミュニティづくりの重要性
マシュマロもいいかもしれませんね。
そうですね。
確かに。
匿名の質問とか投げれるバーとかも用意して
一応これ年内最後ぐらいに配信されることになりますね。
じゃあその次の展開として
新しいコミュニティづくり
それはリアルなコミュニティもそうですし
架空のコミュニティもそうですし
何かしらお互いに話ができる世界をぜひ作っていきましょう。
はい。
ですね。
じゃあこんなところでまた引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。どうもありがとうございました。
45:03

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