2025-03-12 1:01:47

#1-1 セラピストの未来を考える前にまずは歴史を学ぼう(主に国内の理学療法士について)

堀 寛史

https://x.com/hiromumi

田代雄斗

https://x.com/yuto_therapist

サマリー

このエピソードでは、理学療法士の歴史的背景とその変遷が深く掘り下げられ、国内の事例を通じて未来を考えるための基盤が築かれます。理学療法の起源や概念の発展について議論され、リハビリテーションの重要性が理解される手助けが行われます。また、日本における理学療法士の歴史が紐解かれ、その資格化の過程や国内外の影響が考察されます。さらに、理学療法士の職域の可能性や、医師の指示のもとでの活動における課題についても触れられています。このエピソードでは、日本の理学療法士の歴史や介入手法の変遷が深く考察され、特にマッサージや運動療法に対する認識の違い、評価学の進歩、治療手法の重要性が強調されます。また、エビデンスベースドメディスン(EBM)の考え方や高齢化社会における理学療法士の役割にも焦点が当てられています。さらに、理学療法士のキャリアパスとその制度的な制約が取り上げられ、昇進の難しさや教育の重要性が考察されます。理学療法士が社会にどのように貢献できるか、そして未来の展望についても語られます。理学療法士モデルの変革が求められている中で、医療や福祉の新しいアプローチが背景にあり、教育者や理学療法士協会の役割が重要となっています。

理学療法士の歴史の重要性
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistの初回の収録を始めていきたいと思います。
こちらは副題として、セラピストの未来を拓く思考と実践というテーマで
今後、しゃべっていこうかなと思うんですけども
初回はですね、未来を考える上ではやっぱり歴史とか過去のことを
知っておくのも大事じゃないかということで
お互い、理学療法士がベースにあるので
理学療法士の国内での変遷というのを
しゃべっていこうかなと思います。
初回ですし、お互いまず何者かというのがあると思うので
簡単に自己紹介もできたらなと思うんですけど
堀先生、お願いしてもいいですか?
はい。堀博文と申します。所属は湖南女子大学です。
理学療法士になって25年、今年だから25年目になります。
理学療法を実践しつつ教育をやっています。
理学療法士なんですけども
自分の思考の中心は哲学、特に減少学と解釈学という
多くの人があまり興味を持たないでしょうけれども
そういった思考、それはどういうことかというと
基本的には客観性というものがこの世の中には存在しないという
考え方がベースになっていますので
いかにその人、患者さん自身の言葉とか
患者さんがどういうふうに動いているとか
そういうのをあえて客観的ではなく
捉えていこうとしていく思考が中心の
ちょっと特殊な理学療法の考え方を持っています。
今回、アドバンス堂ということで
理学療法士が一般的に考えているところから少しずらしつつ
あとは歴史だとか
今、理学療法士がどこに行こうとしているかとかというのを
おそらく他の人が知らないような内容をたくさん知っていますので
そういったところをこのラジオを通して紹介していけたらいいかなと思っています。
ありがとうございます。
自分の話もしておくと
田代裕人と言います。
自分は理学療法士とアスレティックトレーナーという資格を持っていて
2013年に理学療法士を取ったので
今10年ちょっとぐらいという感じなんですけれども
そのまま大学院進学して
人間健康科学という分野で博士号も取ったんですけど
スポーツというのは結構よく関わってきましたし
特に腰痛が多いようなスポーツに関わっていたので
大学院では腰痛の研究とか
そのほか研究室だと
介護予防に関することとか
子どもに関するところとかもあったので
幅広く興味はあって
あと障害のある方の就労支援とかもですね
また働き方というのを考えたときに
もともとスポーツに関わりたいというのも結構根底にあったので
そういう合宿とか試合の態度とかすると
なかなかフルタイムで雇われる
良いところが見つからなかったというのもあって
独立して今は自分で会社を作って
事業をしているというような感じなので
堀先生のような哲学は
最近興味を持ち出したという感じなんですけど
自分は働き方として
ちょっと特殊な道を歩んでいるというのもありますし
このアドバンスドセラピストでは
もちろんセラピストの専門性をより高めていくという話も
していけたらなと思うんですけども
今後の働き方としての多様性も広がってくると思うので
そのあたりも触れていけたらいいなと思っています
ありがとうございます
最初に話した通り
現代の理学療法の課題
今回は理学療法士の
特に国内の歴史的な流れ
どういう形で起こって
どういう変遷があったのかみたいなことを
堀先生そのあたり結構詳しいと思うので
お話し聞きながら
理解していけたらなと思っています
よろしくお願いします
じゃあまずどの話を
田代さんは興味を持って聞いてみたんですか
そうですね
この収録前もちょっと話していたんですけど
やっぱり理学療法士という資格ができてから
理学療法士になる人がどんどん増えていった
その中でも緩く増えていた時期と
急に増えた時期というのもあると思いますし
その境目にどんなことがあったかとかですね
あと理学療法士が対応する疾患とか
アプローチの方法も
いろいろ変遷があると思うんですけども
最初はどういう方を対応することが多かったとか
それからまた別の対象に広がっていったりとか
アプローチとしても
何かメソッドだったり何とか法とか
いろいろそういう体系的なものも出てきたり
国外から輸入したような考え方もあると思いますけど
そういう形で国内で理学療法士が増える中で
どういう疾患に対応するのが増えていったとか
そのアプローチとかが特に気になるところだなと思います
ありがとうございます
じゃあもう本当に古い話からすると
理学療法の基本的な前進ってなったら
東洋においてはいわゆるアンマとかハリとかというのが
古くの理学療法の起源になるんですけど
実際じゃあハリって
いつぐらいからやられてる主義かってご存知ですか
えーあんまり詳しくないですけど
中国三千年の歴史みたいな
紀元前とかから
さすがですね
ハリ自体というのは
それこそ中国の王朝というのが確実に見つかっているのが
カというのが一番最初になります
その次がショー
教科書ではインというのかな
でシュー
そしてシンという風になってくるんですけど
少なくともシューぐらいの王朝の遺跡から
ハリが見つかっているんですよ
そのハリというのが魚の骨を使っているんです
なるほど
その魚の骨を何か人の体に刺してた
というものが残っていますので
よく西洋の方ではヒポクラテスが
医学の父みたいな形で言われて
おそらくその時にもマッサージというのをやってたと思うんですけど
中国を言うとそれよりも古い時代
本当にその三千年の歴史を
おそらく人に対するフィジカルな治療というのは
残っているであろうという風に考えることができます
それをもうちょっとちゃんと
医学の歴史に戻していくと
医学療法という言葉が最初に使われたのは
1813年と言われています
それがスウェーデンの体育教師みたいな人がいて
その人が体操をコンセプトにやっていきましょう
というのが始まりだという風に
教科書的には言われています
そこから体を動かして
体を良くしましょうという形
今だったら運動して
人の体を良くしましょうというのが
すごく当たり前になっているんですけども
1900年代の初頭
もうちょっと言うと1800年から1900年代の初頭というのは
運動するということ自体は
頭のおかしな人がやることという風に扱われていたんですね
だから例えば今だったら
夜マラソンをしている人たちを見るじゃないですか
夜走る人って狂人なんですよ
なるほど
徘徊しているとか
そうです
つまり健康を維持するという考え方が
何でできたと思います?
何でですかね
やっぱり個人単位でということですか
はい、そうです
そこはあまり想像浮かばなかったですね
国手としてとかいうと
国民が健康であった方がいいからみたいな感じかなと思いますけど
ちょっと個人は浮かばないですね
基本的に寿命が伸びたんですよ
例えば1900年代の初頭って
日本人の平均年齢って40歳ちょっとだったんですよね
40歳で死ぬ人が
健康を考えて運動するという概念はないんです
これはヨーロッパにおいてもそうですよね
だから40歳前後あるいは30歳前後の人たちが
体が衰えるという感覚はなく
ある日突然死ぬんですよ
なるほど
もちろん1900年代でも
80歳とか90歳の人たちってのはいるわけですけど
そういう人たちを見ると
例えばよく運動してたとかっていうのが
おそらくあったんだと思うんですよね
要はリハビリテーションっていう
基本的な概念というのは
その人の権利を復権するということになると思いますけど
復権するっていうことは
一旦落ちて復権なので
要は若い人はないわけですよ
伸びていく
そうです
なのでそういうふうに
やっぱり人の寿命が伸びているということと関わって
理学療法というようなとか
リハビリテーションという概念が
普及してきているというのが前提にあります
なるほどですね
なので1813年という形で話をしましたけど
その時日本というのは
まだ王子を平八王の乱とかそんな前ですかね
ですかね
ですよね
本当に幕末に入る前の段階に
医療制度というのもあるわけでもないですし
そこで理学療法師がってなってくると
ちょっと考えづらいですよね
理学としてはあったけれども
理学という概念も
なかなか難しくて
確かに乱学という形で
解剖学とかっていうのが入ってきていましたけど
西洋系の医学というものではなく
特に世界においてもそうなんですけど
1800年前後と言われた時に
医者の仕事といった場合に
今例えば
今日現在の医者の仕事といった時に
どんなイメージがありますか
医者の仕事ですか
医者って何の仕事をする人
そうですね
何か体の不調があった時とかに
その原因は何かという評価をして
診断を下して
何か薬なのか
手術をするなのかの
治療法を施すというのが
医者の仕事かなというイメージですかね
そうですね
その中で明らかに
1800年代の初頭になかったのが
手術なんですよ
基本的には医者というのは内科がベースです
手術をする
これフランスの例を考えた時に
フランスでは医者は手術をしないわけですよ
誰が手術するかご存知ですか
知らないですね
例えば戦争で怪我をして
これ腕を切り落とさなきゃいけないとか
傷が生んでるからそこを開かなきゃいけない
これをやってるのは床屋さんです
だから床屋さんのいわゆるポールは
白・赤・青
これは乗脈・動脈を表しているということですね
そうなんですね知らなかったです
なので床屋さんは髪剃りを使える
というところで
メスを使えるというのでやってたわけですよ
1800年の中盤
実際にはいろいろな考え方がありますけど
1846年ぐらいに麻酔というのが発明されて
そこから広がっていく中で
外科というのが医者の仕事になっていったんですね
外科でうまくいってくると
やっぱりその次に必要になってくるのが
工療法なんですよ
つまり工療法
理学療法
いわゆる理学療法のベーシックな仕事
なのでそこまでいかないと
現代の理学療法というのは出てこないんですよね
なるほどですね
世界的な起こりはその流れで
特に今は理学療法になったときに
世界の理学療法の発音は
フィズオセラピーなんですよね
これは2020年に
フィズオセラピー
フィズカルセラピーから
フィズオセラピーというのに
名前を変えたんですけど
これは1813年に
スウェーデンの人が
フィズオセラピーという言葉の
スウェーデン語版を使ったわけです
なのでフィズカルセラピーといったのは
アメリカが最初に言ったわけですね
アメリカは女性の仕事として
最初に生まれたんですよ
アメリカが理学療法がどう発展していたか
フィズカルセラピーがどう発展していたか
これは完全にポリオなんです
ポリオがすごく多かったんですよね
なのでその1920年に
ダニエルさんたちが作った
今でも使われている検査
何でしょう
MMT
そうですね
理学療法の歴史的背景
あれもポリオの神経学的検査として
作られたっていうので
それでバッと発展していったんですね
アメリカの中で
その次に起こってきたというのが
1914年から1919年まで続いた
第一次世界大戦
そして第二次大戦をいつからって
スタートするかというのは
なかなか難しいです
一般的な1933年から1945年
日本の場合は1939年から1945年ですけど
いずれにしろこの1920年から1945年の間に
世界で何億人
2億人ぐらいの人が死んでいるわけです
それの多分10倍ぐらいの
戦傷者が出たわけですよね
それに対してどうにかしなきゃいけない
というところで
うまく進んで這い込んだのが
フィジカルセラピー
フィジオセラピーなんです
なるほどですね
その中だとまだ日本では
理学療法士というのが生まれてない
という感じだと思うんですけど
世界の中で
医学が発展したりとか
戦争があったりとか
そこから日本に生まれるというのは
きっかけがあったんですか
リハビテーションという言葉よりも
おそらく最初にやっていたのは
多分看護なんですよね
ケアをする
看護をするというのが
医師と看護というのが明治の頃に
日本においては資格化されました
その次に資格化された
理学療法に近い職業というのが
梁氏旧氏
安波氏なんですよ
これが昭和20年から21年くらいに
国家資格化されているんです
戦後は割と早い段階で国家資格化されています
柔道制服師というのは
理学療法士よりも後の資格
要は安波氏が独立したような形になるので
梁氏旧氏安波氏というのが
理学療法の前身を担っていました
資格化とその背景
なので病院に行くと
よく物理療法室というのが地下にあるんですね
水を使うので地下なんですよ
地下の暗いところに行くと
安波氏とか梁氏の人たちがいて
理学療法の前身
つまりマッサージを中心とした
都市療法をやっていたというのが
日本の資格化の前の姿なんです
なるほどですね
そこから
理学療法士も資格化しなきゃというのは
2つの流れがあって
1つは九州浪災病院というのが
北九州市にあるんですけど
ここに1940年
いわゆる戦後すぐに
九大の整形外科教室のドクターが
染症者に対して
やっぱりちゃんと病院で
ケアをしなきゃいけないよね
ということを発案したんですね
これ外から
ちょっとすいません
そのドクターの名前忘れちゃったんですけど
その先生がかなり革新的な人で
さらに政治的なことを分かってて
これ厚生労働省に言うと
昔は厚生省と労働省
厚生省に言うと
絶対やってくれないって分かってたらしい
あまりにも染症者が多いから
そうではなくて
労働省に訴えて
仕事をする人たちを増やすよ
という概念で動かしたらしいですね
そこで北九州に
九州労災病院というのを作りましょうと
九州労災病院
いわゆる労働災害の人のため
いわゆる染症者とか
あるいは炭鉱とか
そういった人たちのための病院を作ったんですね
その旧大の整形系だったので
整形を中心としてやってたところに
そこにいたハリ氏
九州氏の人たちが理学療法
そこは理学診療という言葉も
その頃から使っているんですよ
というのでまず始まったんですね
その後に
GHQの支配の中で
WHOとかが来て
リハビリテーションというのがあると
日本もリハビリテーションをやりなさい
というのを東京で言ったわけですよ
そうすると東大系の人が取って
そして東大系の中では
染症者プラス
どちらかというと内科系とか
全体的なリハビリテーションの概念が
東大で生まれたんですね
だから日本には理学療法の流れというのは
その二本があるということです
国内から起こった動きと
海外から入ってきた動きと
両方が
そこは別々で
ダイレクトアクセスの現状
最初はだかもしれないですけど
どこかで交じり合うというか
そうですね
でも最初は交じり合わない
その理由が厚生省と労働省ですよ
なるほど
東大のほかに行くと
厚生省側からのアプローチですね
そうです
九大系は労働省管轄で
要はそこで本当に実践して
効果を上げていたわけですよ
1945年から労働系の病院というのをやっていて
バンバンバンバンやっていたわけですよね
いざ東大系の人たちと
厚生省の人が
理学療法という仕事を
作らなきゃいけないと言って
1950年代後半から
やんややっているところで
なかなか九大系の人たちは入れない
だけれども
もともと最初は物理療法師だったわけですよ
フィジカルセラピーなのです
だけどもそうじゃないと
物理というのは
理学という大きな学問の中の一分野だと
だからフィジカルというのは
理学として扱うべきだと言ったのと
あとは九老系の人たちというのは
もともと理学診療という言葉を使っていた
あとは理療師という言葉があったのですね
それはハリーの人たちが
その流れを持ち込んで
理学療法という名前にしたのですね
なるほどですね
世界で唯一じゃないですか
理学という言葉を使っている
中国系は全部物理療法なので
物理療法師です
中国語に翻訳すると
なるほど
その言葉が違いがあることによって
フィジオセラピーとか
理学療法のアプローチが
例えばハリーみたいな
物理療法的なことを重視するのか
運動とかも含めてやるのかというのは
ちょっと違うですか
まさにそうです
物理と言ったときに
物理刺激の方が入るのですけど
そうじゃなくて
物理運動というところが
やっぱり理学
つまり数学だとか天文学とか
いろいろなものも入る
大きな学問としての理学として扱えたというのは
言葉としてはすごく素敵な
判断をされているなと僕は思っています
なるほどですね
広く見れば確かにそうだな
理学というと力とか
エネルギーみたいなものも入るから
運動も入るんですけどね
もうちょっというと
明治の時代に
文明改革が行われて
そのときに世界から
いろいろな言葉が入ってきたわけですよ
当時哲学もなければ理学もない
物理学もないという時代に
西天音という人が
言葉の辞書を作るときに
言葉理学
もともと哲学というのは
言葉理学と言っていたわけですね
その言葉理学を
特に科学系のものに
言葉にしようとして
理学という言葉
そして理学部というのは
数学だとか物理だとか
基礎学問として
大学のいまだにその学部として
あっている
そしてそれをいただいた
理学療法という言葉になります
そう思うと
本当に理学療法士としての
職域の広がりというか
可能性がたくさんあるからこそ
いろいろ応用がしやすくなりそうな
言葉としての汎用性は
実は高い学部かなとは思っています
ただその
国土版としての汎用性というよりも
法律的な汎用性の中に
閉じ込められてしまったということがある
ということですね
法律的にというと
どの国にどういう執行に対応するとか
そういう括りが
それのごめんなさい
法律的なちょっと細かな話が
少しあるんですけど
理学療法士というのは
必ず医師の診断
医師の指示のもとなんですよね
これ何で医師の指示のもとになったか
ってご存知ですか
分かりません
当たり前のように医師の指示のもとで
この医師の指示のもとという言葉によって
我々は60年間
よく言うとディスクを
医師が取ってくれた
悪く言うと我々の職域を狭められたんです
これは一つは
まずはもうの人が
昔はやっぱりアンマさんというのは
もうの人だったんです
つまり目が見えない人たち
もうの人が
自分たちで独立して評価できないだろう
って言われたんですよ
そこで理学療法士の
国家資格を取る側と
そうではなくて特例でなる人たち
もうの人たちがいるからできないじゃん
と言われたんですよ
医師が指示しないとできない職業を
というのが一つ入ったということです
そこで結構狭められている
あとはもちろん政治的な関与で
医者からの圧力で
この人たちが独立されてやる
ということを作るなというのは
その二つの圧力で
最終的にはもうの人で説得された
というふうには聞いています
なるほどですね
そう考えると現状の
理学療法士の姿を考えると
特にもうの方が多いというわけでもないし
そうすると本来はもうちょっと
権利があってもいいというか
歴史的な変遷から考えると
確かにその時代はそうかもしれないけど
今はそうではない
あるいは世界の流れを見ると
大体70%以上の国が
ダイレクトアクセス
つまり理学療法のところにいきなり来る
ということが認められているんです
日本は世界で最大の理学療法士
参出国なのに
それが認められていないというのは
なかなかつらいところだよなという
なるほどですね
それがグローバルスタンダードに
日本もなるかというと
まだまだ先の話なのかどうかというと
なかなか直接的な
つながりは別かもしれませんけど
世界の80%近くが大卒なんですよね
日本はまだ35から40%ぐらいしか
大卒率がないので
いわゆる学歴のところで
厚生労働省を説得できないというのは
絶対あると思います
なるほどですね
そうなると教育の仕組みとか
一時に6年生にするかみたいなのも
聞いたことあるんですけど
そうですね
6年生の例を取ると
結局日本の中で
ダイレクトアクセスができる
医者以外の職業って
薬剤師なんですよね
長寿薬局もそうですし
松本清とかココラファインみたいなところにいて
薬剤師から薬を買える
処方箋をもらってもできるし
処方箋をもらってもできなくてもできる
その職業はやっぱり6年生なんです
なるほどですね
もし日本でそうするなら
そうならないといけないかもしれないですけど
そこはいろいろハードルもあるでしょう
そうですね
一旦ちょっとそこは置いておいてという感じで
日本の中で理学療法士が起こった流れとかは
世界的な流れでも分かったと思うんですけど
具体的に例えば
九州の流れと東京の流れであったときに
全く日本全国で
理学療法士が徐々に生まれていくと思うんですけど
例えば病院で所属したりとか
どういう疾患を見るのが
やっぱり土地によっても違ったりするんですかね
そうですね
西と東で結構違ったとは言われているんですね
日本で最初に理学療法の養成校ができたのは
東京の清瀬という
東京療養所
清瀬学院というのができて
そこに最初に15人かな
20人かなの
理学療法のコースができて
理学療法士の歴史と背景
第1回の国家資格
合格者でも108人かなんかいるんですよ
つまり大半が特例だったってことですね
特例の人たちっていうのは
もともと先ほど言った
張氏 旧氏 安馬氏の人が多いので
そこで働いてた人たちっていうのが
全国から集まって国家資格を受けていると
なるほど
なので張氏 旧氏 安馬氏
じゃあどの領域ですかって言ったら
もう完全に政経機関です
なるほど
なので対応するのも政経科領域で
アプローチとしても
ハリッキューに近いやり方
プラス運動とかが
最初は多かったっていう感じですかね
ただそれが面白いのが
特例の人たちっていうのを
多少流れとして
どうにか医者を含めて
輩舌したかった流れがあるんですね
要は理学療法というのは
ちゃんと学問的に独立して
理学療法の勉強した人が
その職業になるべきだ
っていう流れが一部あって
昔僕らが学生の頃は
買ってたんですけど
リハビリテーション技術全書っていう本があって
その中にマッサージって項目があるんですよ
めちゃめちゃ
批判的に書いてるんですよ
マッサージは理学療法の
主義ではないとか
マッサージはやっては
理学療法ではないぐらいの
強い言葉で書いてて
マッサージは運動療法ではなく
物理療法であるって書いてるんですね
物理療法というのはつまり
我々の理学療法の一個下の
主義であるっていう
扱いを当時してたんですよ
我々は
運動療法をやる職業であって
物理療法は
特例のアンマ師とか
ハリ師とか元々物理をやってた人の
仕事だろっていうぐらい
僕学生の時にびっくりしました
それを読んで
今でも
マッサージという言葉は
マッサージしやつしさんの
あるところでしょうし
理学療法の中で
マッサージはすることはあるけど
それは病院の中で
指示を受けたらマッサージできるみたいな
そんな感じ
それは昔からの流れ
世界から考えるとマッサージという主義は
理学療法の主義なんですよ
物理刺激で言えば
圧を加えるような
単純に運動療法です
日本は
歴史的な変遷の中で
マッサージ批判というのが
未だに色濃く残っていて
我々に刷り込まれているんです
マッサージする理学療法師は
理学療法師じゃないみたい
これは本当に
古い時代から昭和の時代の
生き残ったバイアスなんですよ
もちろん
マッサージ的な刺激で
評価学の進展
体の調子が整うみたいなこともあるでしょうし
実際に脳卒中にしろ
心疾患にしろ
呼吸にしろ
整形にしろ
マッサージ的な主義による全処置で
めちゃめちゃ効果があるわけですし
患者ニーズも
もちろんそれだけをやれば問題ですけど
全処置としての価値があるにもかかわらず
やらないというような
世界的にも
イギリス系がそうなんですけど
あんまりやらないですね
触らない
それをベースにして
その他の電気とか
温熱とかの刺激を入れていく
どちらかというと
体育教員に近いですよね
運動の指導をして
だからアスレチックトレーナーよりも
体育教員に近いような方法に
イギリスとか
そっちはなっていますね
なるほどですね
そんな形で
介入の方法もいろいろあったりとか
体系化されていったというのもあるんですけど
やっぱり理学療法士の専門性でいうと
評価をして介入するということだと思うので
評価の手法とか
そういうところは
最初は成形系が多かった
というところだと思うんですけど
いろんな疾患に広がっていく中で
評価の方法とかの流れとか
広がりというのはどんな感じなんですか
もともと
測定と評価という本があって
そこから今の評価学の本が
すごく発展しているか
実はほとんど発展していないですね
測定と評価という本を使ったらいいじゃん
と言うかもしれませんけど
測定と評価の中には
疾患別の評価が載っていないんですよ
今の評価学の本というのは
もうちょっと詳しく言うと
昔は評価法だったんです
今は評価学になったんですね
だけど書いている内容は
学になってエビデンスの話が
少し入ってきているんですけど
そのエビデンスというのは何かと言ったら
血液系の人にはこうしましょう
脳卒中の人にはこうしましょう
呼吸系の人にはこうしましょう
というのが含まれていて
ベースになっている検査主義というのは
実は古い時代から
1960年代からあまり変わっていないです
なるほどですね
そこにもうちょっと科学的な
エビデンスベースドメディスンとか
数学的な統計とかが入ってくると
その評価
疾患に対する評価に応じた
感度得意度とか
そういうのは徐々に
入ってきて
評価自体の
良し悪しみたいなのも見直されていく
という感じですかね
例えば
いろいろな呼吸系とか心臓系のデータとか
あるいは
脳卒中だったらMRIだとか
いろいろいますけど
これ全部医者のデータなんですよ
医者のデータの発展に対して
理学療法がそれを読み込めるかどうか
ということにはなっていて
理学療法士が特有に
扱える検査データ
というのはあんまり変わってないです
介入手法の変遷
それをネガティブに
捉えることもできますけど
ポジティブに言うと技術が高い人間ほど
高い評価ができるという風になっているということです
それは医者では別に
新人がやろうと
ベテランがやろうと同じデータなんですよ
でも理学療法士の場合は
熟達者のデータが確実に
高いレベルになっているという特徴があるということです
その辺はまた
理学療法推論学会の話とか
その辺もまた
できたらいいかなと思うんですけど
その辺の熟達者の考えているやり方とか
もう一回
これを越していこうみたいな動きはあると思いますし
その辺はまた
お言いを話していけたらと思いますけど
今評価の話で
介入のアプローチ
とかっていうのは
何か変遷があったりするんですか
いいですね
僕すごく
若手の人だとか中堅どころに
言いたいんですけど
介入という言葉は
これはおかしい言葉
おそらく海外の論文から
フィゾーステラピー
インターベーションという形で
入ったと思うんですけど
なんでフィゾーステラピーを抜くんだということです
インターベーションだけ残しているんですよ
介入
介入というのは間に入るとか
ということなので
我々は理学療法をやっているんですよね
これは治療と介入
例えば介入といった場合に
心疾患の人たちが
エルゴメーターを乗せる
これは治療というかと言われると
確かに治療的なものが少し少ない
どちらかというと
運動指示の介入なんですね
だけれども
早期離床のために
理学療法士が
起き上がらせて在練習をしている
これは介入かと言われると
これが理学療法なんですよ
だからあれは
理学療法中転介入
で使うべき言葉であって
介入だけを優雅に
治療的な概念が理学療法から
欠如してきているんですよ
これはとても危険なことで
我々は治療者でセラピストなんですよ
セラピーとインターベーションは違います
というところがまず
第一点
そこが歴史的変遷というところで言ったときに
我々が若かりし頃というのは
やはり都市療法だとか
その後に
ファシリテーションテクニックというのが入って
かなり手を使って治療する
という流れがずっとありました
1990年代後半に
突然EBMが入ってきたんですね
EBMが
入ってきた途端に
ある程度都市療法だとか
主義というのが
批判され始めたんですよ
それはなぜかというと
熟達者と若年者
諸学者の治療効果が違うわけですよね
それは
疫学的にはおかしいわけです
つまり
みんながやってみんながうまくいかないとおかしいでしょ
というデータの読み違いから
ファシリテーションテクニックで
効果ないじゃんと読まれ始めたんですよ
そういう
治療をしてしまっている人もいるけども
それは結局効果がない治療
という風に
先走っちゃったんですよ
ファシリテーションテクニックだとか
やってた人たちの講習会とか
どんどん廃れていくんですね
あんたたちの治療は効果がない
なるほど
実際に
主義的な部分は効果がないかというと
それは全然違う話で
よく僕は学生に
言うのは
イタリアン料理ってありますよね
例えば大阪でイタリアン料理で
すごく値段が高いところで言うと
ポンテベッキオというのがあると
すごくかかると
サイゼリアがあると
どちらが多く食べられてますか
これサイゼリア
じゃあイタリアン料理の代表でサイゼリアですか
ってなってくると
そうじゃないでしょと
いわゆるポンテベッキオの料理人たちが
卓越した技術だとか
これを評価しないというのはおかしいよ
ということはよく学生に言います
ただみんながポンテベッキオになれるから
これはなれません
なるほどですね
評価していくこと自体を
サイゼリアは美味しいし
価格も安いし
多くの人を満足させているのは事実だけど
それをイタリア料理の中心に据える
っていうのはおかしいよね
なるほどですね
その辺でサイゼリアと
比べるのは
よくないかもしれないですけど
例えばボバースとか
そういうメソッドというか
体系的なものは
熟達者が考えてやってきたこととかを
他の人でもできるように
体系化してまとめた
ものに近いようなものかなと
思うんですけど
認識としてはそういう感じですかね
そうですね
これ発音がどれが正しいか
わからないですけど
ヘルシュベルグというのか
ハーシュバーグというのかがわからないんですけど
僕が若かりし頃は
ハーシュバーグハーシュバーグって言ってたんですけど
スペルはヘルシュベルグっていう
ドイツ系のスペルなんですけど
1960年代に
ファシリテーション対
ちょっとハーシュバーグできます
ハーシュバーグ戦争というのが
あって
ボバースだとかウルストロームボイター
そういった人たちが
出たときに
ドイツのハーシュバーグというドクターが
こんな効果がないと
一番効果があるのは
立ち上がり練習だって言ったんですね
脳卒中になったら
もう旧世紀から
ハーシュバーグで立たせろと
そうしたら麻痺が出ないと
ハーシュバーグという人が
一番最初に我々にとって
一番重要な言葉を残してくれたのが
肺腰症候群なんですよ
病気というのはほとんどが
肺腰症候群だって言ったんですよね
寝かせてるから病気が進行すると
理学療法の基本的な考え方
だからもう旧世紀で
バンバンバンバン500回
立たせておけば
その人たちは麻痺が治るんだ
1960年代ぐらいに主張した人がいるんですよ
結局
ファシリテーション対ハーシュバーグ
誰が勝ったかって言ったら
ハーシュバーグなんですよ
だから今の回復キーの考え方って
全部ハーシュバーグ法なんですよ
どの方法ですかとか
ハーシュバーグ法なんですよ
ガンガン抜かせろでしょ
なるほど
だからそういう意味で
熟達者の考え方みたいなところとか
その途中で出てきた
いろんなメソッドみたいなところも
ちょっと一旦
それを押し抜けて
まず活動性を上げようみたいなところが
結構今は
中心になりつつあるという感じですかね
なのでハーシュバーグ法が間違っている
ボバース法が間違っているのではなくて
人によって正しい間違いがあるというところを
どうしても
エビデンスベースの考え方になった時の
これ間違ったエビデンスベースの考え方というと
みんなに適応しなきゃいけないという
考えで
EBMというのはそういう風にできていないんですけど
EBMって4段階あるんですけど
そのうちの1段階2段階だけで
みんな終わらせちゃうんですね
必ず3のところで
批判的吟味というのがあるんですよ
批判的吟味をした時に
この人は立ち上がりプラスに
マッサージをした方がいいとか
ボバース系のコンセプトで
軽粛に対するアプローチをした方がいいというのが
入らなきゃいけないけど
これすっ飛ばして
文献的に正しいものをやりましょう
90人にやったら
100人にやったら
90人に対して正しいことをやりましょうという
EBMの読み方の間違いというのは
誰も正さないんです
批判的吟味がないんですよ
批判的吟味が何かというのが理学療法推論なんです
熟達者の重要性
なるほどですね
その辺をまた深掘りしていきたいと思いますし
本当に広く見れば
人は肺を吸って
使わなければ衰えるから
動かした方がいいというのは結構広く当てはまることで
でもそれでもやっぱり
治らないとか改善しない人もいるだろうから
そこは広く見れば
何かしらのメソッドを元にしてやると
こういう疾患にはこういう吟味が
いいというのがあるでしょうし
またそれではよくならない
という人もいるでしょうから
そこは本当に熟達者が
より深く見てやるといいという
こういう段階があると思うので
そうですね
目の前の人にどう対応するのかというときに
どうエビデンスを
活用していくというか
そこはこれからも
また深めていくというか
一番僕が危惧するところは
熟達者が育たない
土壌になったということです
いわゆる本当に
達人とか先人みたいな人たちが
生き残れない世界になっちゃったので
今日本で伝統工芸が
されているような
感じなんですよね
本当に困った人たちって
その熟達者のところに行くことによって
助かる可能性というのはすごくあると
だけども今
本当にチェーン展開している
理学療法の考え方によって
必要なところに
必要なものが届けられないような感覚は
僕の中にはあるんですよね
もう一回
理学療法の起こりから
流れを振り返ると
理学療法士という人の
数が最初は100人とか
そういう100人だったところからだんだん増えて
何万人とかなってきて
以前個別に
お話聞いたときに回復期が
増えたとか
そこで結構ギュッと数も増えていく
というのもあったと思うんですけど
そこと
エビデンスベースドメディスンとか
広く同じような
ノウハウを
普及するみたいなところは
なんか被ってそうな気もするんですけど
特に序盤の方が
そういう熟達者みたいな人がやっぱり
いるって感じですかね
熟達者の数は
逆に言うと
特例の職業だったのでいなかったわけですよね
熟達しないと生き残れない
という特例の人たちがいたわけですよね
特例の人たちの国家試験合格率って
10%くらいだったので
すごくやっぱり
ちゃんとした人がいる
特例というのは
学校教育を受けなくても国家試験が受けられて
国家試験は昔実技試験があったんですね
ペーパーと実技試験を
通って
国家資格になると
いろいろ聞くと
骨がいろいろあったらしいので
どこどこ病院に所属していると通るというのがあったらしいので
まずその病院に就職することから
始めると聞いたことがあるんですけど
いずれにしろすごくやっぱり
なるのが難しかった職業が
学校教育が始まって
ちゃんと
いろいろできるようになった中で
切磋琢磨していく人たちがたくさん出て
その中で熟達者というか
パイオニアが出てきた
わけですよね
学校でいうとオバースでいうとキー先生とか
呼吸器系だとセンジュ先生とか
これだったらこれだよね
みたいな人たちがたくさん出てきた
んですけど
最近はそういった系の人たちが
あんまりいない
それはよく言うと
すごく学問的になって
人の名前よりも学問の方が出ていっている
という風にも言えますけど
これって誰を勉強したらどうなの
というのがわからなくなってきている
時代では一つある
先ほど回復機の登場で
理学療法が増えていくというところ
それは実はちょっと真逆で
回復機を作らなきゃいけないような
社会状況になったということですね
我々の要望でできたというよりは
社会状況つまりやっぱりこれは高齢化なんですよ
高齢化の波が急激に来ることによって
僕が理学療法士になった頃から比べると
今の患者層ってたぶん平均年齢が
10から15上なんですよ
つまり高齢者モデルに対応するために国が動いて
そこに理学療法士が入っていった
例えば治りにくい病気は
もう全部年齢のせいにできるようになっちゃったんですよ
90の人の膝の痛みと
70の人の膝の痛みになった時に
どちらに
本来は両方真剣に取り組みたいんだけど
90の人の痛みって取れづらいよね
ってやっぱり思っちゃうということですよね
なるほど
そこも治療の余地はあるけれどもっていう感じですかね
社会的変遷だとか
状況の変化によって
理学療法の仕事が変遷しているというのは事実です
なるほど
改めて対象となる方の特性としても
最初はやっぱり整形系が多かったけど
徐々に社会としても高齢化する中で
高齢化に伴う疾患とか
痛みもありますし
脳血管の障害とかもあるでしょうし
その辺が
日本においては特に高齢化によるところに
理学療法士も対応していたという感じなんですね
もちろん世界もその傾向にはあるんですけど
日本がやっぱり特化しているんですよね
65歳以上高齢者といった場合に
日本は約30%
29%ぐらいが今高齢化で
3番目に高い地域って
モダコとかそういうのが入るんですけど
統計として変なので
人数が元々国民が少なすぎる
いわゆる大きな国であった場合
その次に来るのはフランスなんですよ
フランスが大体23から24%なんですね
理学療法士の未来
5%違うんですね
いわゆる国内労働力5%違う
そしてその5%の方に
労働した権限が
そっちの方に移行するっていうところが
これが日本の特殊性なんですよ
フランスもすでに高齢化問題で
今めちゃめちゃ荒れているのに
日本はさらに5%進んでいる
なるほど
そういう意味では今
日本で生まれるノウハウというか
考え方みたいなことが
世界にも広げていける可能性もあると思うので
理学療法士がより探究していく意義は
ある領域かなと思いますよね
我々は輸出側の人間になれるんですよ
だから理学療法をちゃんと研究して
データを蓄積していくっていう部分
一方では熟達者を作っていくっていう
何本かの流れを持っていくっていうのをやれたら
我々の職業の価値っていうのは
どんどん上がっていくと思うんですけどね
なるほどですね
こんなところで理学療法士が徐々に増えていって
熟達者と呼ばれるような人も
今後増やしていけるといいですし
特に高齢化に対するアプローチができる人がまた増えたり
それが海外輸出していけるといいと思いますし
またエビデンスベースドメディスみたいな考え方が
そういう現場の臨床とか治療に
ちょっとデメリットというか悪影響が
及ぼしたものもあるでしょうけど
近年だと理学療法士の資格を取った後に
もうちょっと疫学的な公衆衛生とか
広いところに関わるような人もいるとは思うんで
そっちにとってはプラスの面もあるんじゃないですか
それはEBMは正しいんです
EBMの解釈を間違っているということなので
エビデンスを作るというのはとても重要
今公衆衛生という話をされていましたけど
いわゆるパブリックヘルスという言葉が
理学療法の中に明記されていないんですよね
なので本来は公衆衛生というのは
広く言うと予防系のところに入っていくので
理学療法は法律上
厚生省は理学療法は予防をやっていいよと認めてくれているけど
公衆衛生という言葉が入っていないので
今実は理学療法士協会は
公衆衛生の言葉というのを
いかに理学療法の中に入れていけるかというのが動いていて
僕はそこの委員なんですね
それを今やらなきゃいけないというところで
公衆衛生というのはすごく重要なキーワードだと思います
今後の理学療法には
なので個別対応する職人的なというか熟達者も増やす一方で
広く地域とか行政とかにかかわりつつやるのも
両方意義があると思うので
理学療法士が生まれてから
あまりまだまだ細かく追い切れていないところもあると思いますけど
今回のアドバンスドセラピストみたいなテーマでいくと
未来を考えるというと
新しく理学療法士になったとか
すでに働いている人の中で
今後のまた動き方とか考えていくときには
その点を考慮してやっていくといいのかなというのも気になるんですけど
理学療法士として今いろいろ考えている中で
例えば間違いなく20代から35歳ぐらいまで働くのには超絶いい仕事です
今割と問題になっているのがセカンドキャリアとかサードキャリアというか
年を取ったときに食えるか食えないか問題というのがあるんです
35歳ぐらいまでは普通に食えるし
実は何の問題もない職業なんですね
だけども要は給与が増えない問題というのは
その先の話になってきていて
実はここが一番の問題です
理学療法士のキャリアの現状
だから職業として進められるかというとめちゃめちゃいい職業です
ただキャリアとして給与を増やしたいとか
考えている人たちからすると
実はその先が詰まってしまうという問題が起きていて
我々ある程度の年齢を言っている人間だとか
教会だとかにいろいろコミットできる人たちというのが
それを作っていくつまり職能として作っていくのは
職域の拡大ももちろんそうですけど
仕事をする上でちゃんと調子にして給与が増やせる
そうじゃなくゆっくりやりたいという人は
ゆっくりやれるようにすればいいんだけども
やっぱりどうしても自分はお金が欲しいとか
地位が欲しいとかっていう人たちが
例えば病院の中で言うと課長止まりじゃなくて
部長までいける副院長までいけるというような流れができると
もうちょっと職業として変わってくるかなとは思っています
なるほどですね
そうですね
その辺は個人で頑張れるところもありつつ
制度とか教会からの動きもあると思いますし
これは個人で頑張れないんですよ
つまり行政が議市長止まりなんですよ
議市長というのはつまり課長
病院で言うと看護師で言うと市長止まりなんですよ
市長はその上に総市長だとか副部長とかいるんですよね
しかも看護師というのは
ある病棟あたりに病床数に対して看護師の人数が決められているから
それに対して市長が1人つくんですよ
例えば30人に1人くらい課長がつくんです
理学療法って回復期の大きな病院だとかって言うと
200人の部下に課長1人とかなんですよ
だから本当はそれは課長がそこに
6人か7人いなきゃいけないところに1人
役職者が給与が上がる人間って抑えられてるんですよ
制度を変えないと
そしてその上に部長をつけないと
制度上我々は負けです
例えば臨床検査官も放射線官もそうだよ
いや放射線官5人くらいなんですよ
臨床検査官も5人とかなんですよ
大きくても20人とかですよね
20人を超えて課長が1人の分野って
多分理学療法というかリハビリテーション科だけなんですよ
なるほど
その辺で長く理学療法士として活躍して活動するためには
そういう制度上の問題もありますし
あとは教育とか研究の方面に行くような人もいると思いますし
堀先生もどちらかというと
教育研究者的な立場かなと思いますけど
そちら側のメリットデメリットみたいなとか
未来どういう形になるかなみたいなイメージってありますか
一般的に教育は社用産業だって言われるわけですね
それは少子化の影響で
これから大学だとか専門学校というのの
淘汰が始まるよっていう
これはどの業界でも
例えば新聞社とか出版社なんてもっとひどい淘汰が起きてるわけですし
テレビ業界なんかもそうなんですけども
数が倍が減るということにおける淘汰は必ずあるでしょうと
じゃあどういったところが残るかっていうところを見定めて進学する
そして雇用を決めるということであれば生き残っていけると思うんですけど
単にもう潰れそうなところが仮にあると
沈みそうなところに入って
自分がダメだっていうのは
それはあなたが選んだんですよねっていうことになってくるので
そういう先を見るっていうことができれば
教育系とか研究系というのは
給与体系も臨床よりはもちろんいいですし
時間というのも余裕が出てきてするので
おすすめといえばおすすめ
ただ今後パイの取り合いは
一般の理学療法よりはすごく厳しくなります
特に今でいう30歳前後の人たちの
最初の雇用ってだいたい除去なんですね
PDをやった後に
ポスト区やった後に除去になる
この除去の公募争いが今えげつないんですよ
特に大きな研究室から来る人たちってのは
除去でも論文50本とかで来るんですよね
いやいやお前絶対50本書いてないやろ
だけれどもそういうのがポーンと公募で来るから
その人たちをやっぱり取ろうとすると
そうしたら実際取ってみたら
教育ができるわけでもないし
私は研究者ですみたいなのが
かといってすごい教育ができるけど
論文3本しか書いてない人を取るってなった時に
本部側からやっぱりなんでそっち取るの
とかいう話になる
なので今人を取るのがものすごく難しいんです
なるほどですね
その辺が現状で言うと現場で働くよりも
企業待機は少し良かったりとかするかもしれないですけど
今後ポスト争いとかがより過激になってくるだろうから
教育的な方もメリットデメリットそれぞれありますよね
一般の病院で働くほどポストを得るのが簡単ではない
ポストを得てしまって
ジュニアを取れるとある程度安定はしてくると思いますけど
あとは大学がどうなってくるかっていうのをちょっと気にしながら
教育と研究の重要性
これは病院にいても企業にいても一緒だと思いますけど
なるほどですね
そういう意味で現場でやるという形であれば
熟達する方向を目指して
制度の変化もあれば
もう少し昇進していける可能性もあるでしょうし
また別で公衆衛生という話もありましたけど
パブリックヘルスみたいな方に
関わる人も増えていくといいかなみたいなイメージですかね
そうですね
まさにその通りで
やっぱり多様な仕事ができる
ただそこにもう一個
先ほどの昇進制度ができるというのと同時に
美学療法士の法律改定というものに
60年ぶりに入っていただかないと
パブリックヘルスのところにどんだけ入ろうとしても
法律上止められちゃう可能性が
どうしても出てくるということです
それが法律が改定されることによって
パブリックヘルスの方にもう少し
動きが我々ができるようになると
ポンと職域が広がるので
ただそこに関しては
医者だとか多業種団体はやっぱり止めにくるので
なのでやっぱり政治の力が必要だということです
なるほどですね
また政治みたいな方に関わる人も
もっと増えていくといいなと
今結構増えているんですよ
例えば国会議員が今4人いますし
大統首は市長が理学療法士ですし
地方議会も理学療法士という資格を持っている人たちが増えているので
そういうふうにポジティブに
いろいろ社会を変えようという人たちが増えていってますので
これがどんどんどんどん増えていくことによって
理学療法士がやっぱり
さっき初めの方に言ったのかな
やっぱり行政の中に入っていって
そこで行政の中で必要な
あ、そうだこれ雑談の中です
いろいろな人たちというのが
予防だとかあるいは社会福祉系だとかのところに
医療の知識を持ち込めるというのは
すごくいいことだと僕は思います
なるほどですね
そういう形で
世の中にとってより価値が生み出せる
存在に理学療法士がなるといいと思いますし
あと自分の周りだとやっぱり
一般企業に就職するとか
独立企業をするような人も増えてきているので
今後そういう人も出てくるかなと思うんですけど
そういう動き方に対する
未来のイメージとかは何かありますかね
僕は一般企業に理学療法士が入るのを推奨派なんですけど
結構周りの大学教員だとか専門学校の人たちからすると
割とネガティブに捉えている人たちが多いんですよね
専門職なんだから資格を持って仕事しなさい
だけど僕はそれはそうではなくて
専門職こそ社会に役に立っていけたらいいと思っているから
一般企業就職というのはどんどん増やしていきたいし
ヘルスケア系でいく
例えば理学療法の学科を出て
ヘルスケア系に行くと
もともと医学的知識が強いのと
あとはインターン経験が長いんですよ
だからそういったインターンのこともやっているし
いわゆる礼儀だとか
朝起きて仕事をするというのも慣れているから
もしかしたら使いやすいんじゃないかと思うんですよね
なるほどですね
インターン1週間2週間じゃないですもん
20週くらい行きますから
確かに
そうですね
この辺途中で出てきた
理学療法士は医師の指示の下でやるというようなところが
実はそれも暗魔的な流れがあったりとか
そうじゃなくても理学療法士自身が考えて行動するというのも
もちろんできると思うので
それで踏まえると
結構何ですかね
理学療法士は医師の指示でやるものだというのが
頭にこびりついて
新しい動きができないという人も結構いるような気がするので
今回のこの音声配信のテーマのアドバンスとセラピストでいくと
何でしょう
それもこういう歴史的な流れがあっての言葉なので
意外とそこに縛られ過ぎずに
そうですね
動いてもいいんじゃないかというのは言えそうですね
だから理学療法士の教育が変わらなきゃいけないということと
個人でのメタ認知ですよね
いわゆる理学療法
要は教育学部に入ったから教育者になるわけではない
法理学部に入ったから法律家になるわけではないわけですよ
それと同じように理学療法学科に入って
別に理学療法士にならずに
その知識を生かしてその人のライフプランを立てていくということ自体は
僕は有用だと思うんですよね
なるほど
自分もまさにそういう動き方を結構しているようなタイプなので
その辺は話しやすいなと思うんですけど
その辺も理学療法士だから何をするとかだけに縛られずに
社会における理学療法士の役割
結局その回復期ができたというのも
社会的な流れの中でできたというのもあると思いますし
この日本の社会とか国際的な社会がどう動いていくとか
そういう要望があるから
じゃあこういう方向に進もうとか
そういう考えももちろんあると思うので
自分のアイデンティティをしっかり持つのが大事ですし
社会もよく見つつ行動していけるといいなという感じですかね
社会そのものが世界中の動きを考えたときに
結局長生きするということ自体が
その価値の根本になっているんですね
これ自体僕自身も長生きしたいとは思います
1900年代日本人の平均寿命が40何歳だったのが
100年ちょっとで倍になっている
その倍になった時の人生モデルというのを
未だに作りきれないんですね
社会保障というのがあって
医療費とか年金だとか生活保護だとかというものに
莫大な金額が入って
結局支え合いというもののアンバランス差
ここが今特に日本の問題になっているわけですけど
これ世界中でこれから起きてくる
今すでに起きています
アメリカなんかもやっぱり
医療制度というものの改革が
大統領選の重要な課題になったり
今後中国はひとりっ子政策の影響で
いわゆる医療者不足介護者不足というのに
陥ってくるわけですよね
ヨーロッパも労働者がいないということで
移民を入れて移民問題になっていく
世界中の人口は増えているにもかかわらず
人が足りないというめちゃくちゃアンバランスなことが
世の中で起きています
日本も結局高齢者に向けて
理学療法士の未来
全部全不利していくということ自体が
そろそろダメだよねということになってきているので
医療とか福祉だとかという考え方が
抜本的に変わってくる可能性がある
従来通りの理学療法士モデルで
動くということ自体ではないという目線を
我々教育者が学生にメッセージを出していかなきゃいけない
すでに理学療法士になっている人たちに対しても
職能という意味では理学療法士協会とかが
そうではないモデルというものを
作っていくというのは僕はすごく重要だと思っています
なのでそれを含めて今度の兵庫県学会で
田代さんスピーカーでよろしくというところになっているんですかね
そうですね
そういうふうに呼んでいただいて
自分の中でも結構今35歳で
今年6になる年なんで
途中の話でもあった
現場で働いてとしてもそのぐらいは大丈夫とか
年代も近い中で
自分はちょっと違った生き方をしているのはあるので
その辺も今後の働き方を考えている若手の人には
参考になる部分はあるかもしれないですし
その辺のお話もまたここでもしていけたらなと思うので
結構話せたような気がしますね
いろいろ喋りましたね
まだまだ一応アドバンスドセラピストっていうテーマなんで
理学療法士だけにまたこだわらずに
他のセラピスト諸君の話もしていってもいいかなと思いますし
もうちょっと社会の状況とか
また何か特定の疾患に絞った治療法の流れとか
そういう話もしても面白いかなとは思いますが
そうですね 紹介はこんなところで
ありがとうございます
結構しっかり喋りましたね
ちょうど1時間ぐらいになるので
いい頃合いだと思いますので
紹介はこんな形で終わりたいなと思います
ありがとうございます
またよろしくお願いします
お願いします
01:01:47

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