こんにちは、Tashiroです。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistエピソード38本目の後半部分ということで、前半、デバイスの開発だとか、PTとしてどういう立ち位置を発揮できるのかみたいな話がありましたけど、
改めて、ものづくり、自分たち生活の近い範囲だったらこういうのできるかなとか、またそこからだんだん広がってくると思うので、やっていこうと思います。
はい、ものづくり。Tashiroさんが先ほど、ものづくりと言ったところを小学校ぐらいのところから振り返ってみると、そんなに何か作っていくとかっていうことはなかったなと思って。
僕はどうかと言われると、一番最初に本当に好きだったのは、とにかく幼稚園のときのレゴなんですね。
レゴを今みたいなレゴではなく、今のレゴってもう、ハリーポッターシリーズを作るとか、結構その専門のパーツが集まっているのがレゴだと思うんですけど、
昔のレゴって、本当に積み木みたいにある程度形が決まっているだけのパーツがあって、それから自分で自由に組んでいくという。
もちろん東大のレゴ部とかっていうのはそういう風にやっていると思いますけども、結構設計図がない。あるのはあるが、パーツがいっぱいあるから、自分で好きなものが作れるっていうことがあって、
もう日がなずっとレゴでブロックを積み重ねて、いろいろな街を作ったり、いろいろなものを作って、すごく僕は満足していたんですね。
その時に、例えばレゴだと、建物を作って、片方の壁がなくて中が見えるっていうのが大体よく作られるものなんですよ。
これはおかしいと思って、幼稚園ながら自分で壁を四方に囲ったら何も見えないということに気づいて、
大人はそういうことを考えているから壁、いわゆる現実と不可思議ですよね、というものをちゃんとその時に学んだという風なことがあったり、
あとはラジコンが流行った時に、うちの兄と一緒にラジコンをやって、プラモデル屋さんに行って、いわゆる回路だとか、モーターだとか、あるいはバッテリーだとかっていうのをそこで学んで、
小学校5、6年の時にミニ四駆ブームが来て、僕が5年生の時に第1回ジャパンカップが行われて、第2回ジャパンカップに出たんですけど、
オリンピック、オリンピックじゃない、自分の中ではオリンピックみたいな世界ですけど、それをやるためにどんだけの改造をやり込んでいったかっていう、
パーツを集めるのももちろんですけども、コロコロ、前もちらっと話したと思いますけど、コロコロコミックを読んで改造の仕方が書いてあったら徹底的にそれを試すと。
だからそういう意味では、エンジニアリングっていうものはその時にすごく学んでいたんだろうなと思います。
10年前ぐらいはずっと革細工で、自分で革細工をやってたんですけども、今は靴とかっていうのを、ビスポークってわかります?
ビスポークっていろんな言い方がありますね。オーダーメイド、ビスポーク、あと何があったっけな。
プレタポルテかなっていうような言い方があると思いますけど、自分の足型をちゃんと取ってもらって、そこから着型を作って靴を作ってもらう。
その時にずっと職人さんといろいろな話を組み交わしていく。だからビスポークなんですけども、ビスポークをしながらものづくりをやっていって、ああだこうだっていうのが今僕の楽しみです。
そうですね。森先生は無から一を生み出していくっていうか、結構そういうのも好きなタイプだなっていうのも思いますけど、自分はあんまりそういうことはやってなくて、
以前も昔好きなところでいくとゲームとかファッションとかって言ってたんでしたけど、だからGパン着てリモークしたりとか、新しい組み合わせ作っていくとか、そういうのは好きだったりとか。
メガネとかもビスポークで作ってもらったって感じなんですけど、スーツとかもオーダーで作るとか、自分が作るっていうよりもプロみたいな人と喋りながら作ったりするのは好きとか、
自転車も含めてちょっと修理してみるとか、アレンジしてみるとか、そういう感じが好きなんで、タイプがちょっと違うなっていう感じがしましたね。
今聞いてて思ったのは、僕20代ずっとパソコンを作ってました。マザーボード買ってきて、パーツ買ってきて、クロックアップとか今はもう多分しないと思うんですけども、
CPUの周波数を変えるために高電圧をかけて早く走らせたりするんですね。そうしたらCPU焼けちゃうんですけど、そのためにどうやって冷やすとか、
いわゆるWindowsとかMacではなくて、その下にはBIOSっていうのがあるんですけど、MacはBIOSないんですけど、BIOSをいじってハードウェアの操作をずっとやってました。
だからパソコンずっといじって遊んでましたね。
その辺が今だと理学療法推論のOSみたいなのを作るのも思考的にあったような感じですかね。
あえて比喩的にそういうBIOSとかカーネルとかっていうことは使いますけども、そういうときは単に機械、それが車でエンジンをボアアップして早く走らせるとかっていう、
男のロマン的な世界観っていうのをずっとやっぱり時代的に追いかけてきたっていうのはありますよね。
だからいまだに車が好きだとかバイクが好きだとかっていうのはそういうところで、できるだけ早く動かしてみようとか。
改造とかっていうカスタムに対する強いイメージがありますね。
先ほど田代さんがジンパンをリメイクするとか、それがカスタムだと思いますけど、それがカスタムの部分っていうのに自分の意思が強く反映してるんでしょうね。
あと、新しい筋力計みたいなの作れたら、世の中にもあった方がいいんじゃないかみたいなところをもし自分で作っていくとしたら、そこはまたものづくり的な違いがあります。
例えば、筋力計を今から自分がハンダコテ使って、フォースプレート組んで、3Dプリンターで外側作ってっていうところまでのエネルギーは今のところないですね。
それをやるためには、現状のいろいろな仕事を手を止めて、またいろいろ調べ尽くさなきゃいけないっていうところになってくるので、
もしそれをやるんだったら他のところに任せる。自分が今やろうとしている仕事の中で、重たさがそこまでないって感じですかね。
欲しいんだけれども、今のものを全部手を止めてやらなきゃいけないっていうことではない。
しかも、やり始めたら絶対楽しんじゃうから、悪魔の囁きなんですよ、それ。
なるほど。自分が今使っているニューボンドのイギリスのところだと、セクサを12個つけてとか、どうやったら巻きやすくなるのかとか、
エジニアと一緒にやってるのを横で伴奏しながら見てるって感じですけど、そこまで広がるイメージが持てたりとか、
楽しんが持てるんだったら、たぶん本雑誌入れてやるっていう楽しみもあるかもしれないですけど、
もし筋力系みたいなところで言えば、それを本気でやってくれる人のアシストするとかだったら、関わってもいいかなみたいな感じですかね。
そうですね。なので、先ほど前のときにランニングサポーターだとか歩行機とかいろんなものを携わったというふうに言ったんですけども、
それよりもやっぱり情報系の方が僕は気持ちが向くんですね。今はだからソフトウェアの方が向いてると思います。
同じエンジニアリングであったとしても、やっぱり新しく物理学的な力学的な要素っていうものが入りすぎちゃうと、
ちょっと全部が全部捉えきれないっていう。もちろん僕、CでプロビデオランニングできるとかPythonを使えるわけではないんですけども、
それはAIアシストがあるということでできると。もちろん物理学、力学系のこともAIアシストがあったらある程度できるのかもしれませんけども、
割とそこに自分自身の興味が向いてないというのは今気づいたところですね。
そうですね。自分もやっぱり材料も必要になるので物理なものを作るっていうのは結構ハードル高く感じるところはありますけど、
ソフトウェア的なものづくりが最近よくやってるなっていう感じで、最近もその家庭の中で、
うちの娘が算数勉強したいからって言って、算数を簡単に勉強できるゲームみたいなやつを作ってみたんですけど、
そしたらハマってずっとやってたりするんですよね。
いいですね。
そうするとなんか一つ物作れたなみたいな感覚があったりしますし、
そういうので、誰か人にでも刺さるものを作ると多分他の人にも広がるだろうなみたいなので、
しかもソフトウェアだったらまだ作りやすいから、そういう意味でもうちょっといろいろやってみたいなって感じがありますね。
究極だから本当はコードを読めるようにならないと次のステップに行かなかったりとかするのかもしれませんけど、
ただ1年前あるいは2年前には全く考えられなかった世界っていうのが今AIによって作成できるものが急激に増えたわけですよね。
アプリケーションなんて作ろうと思ったらかなりの金額を払わなきゃいけなかったものが、
自分一人でできるようになってくるっていうのはこれはやっぱり革命ですよね。
本当に一応形状はiOSでそのアップストアで買えるとかダウンロードできるアプリみたいなのも自分で作れたのもあるんで、
なんかそういう形はウェブサイトとか本当のシステムとかそういうアプリとか作れる形にはなってきたから、
だからせっかく作るんだったらより多くの人が知って買って作りたいなみたいなことが最近。
僕自身もパソコンを昔作ってたっていうところから、いわゆるデータベースを動かしたりだとか、
あとはVisual Basicっていう言語があって、Visual Basicはちょっと勉強したんですね。
このあたりのことは全然できないし、Javaも動かせないし、もちろんCもできないし、Pythonもできないし、Swiftもできませんけど、
ただそこの何ができるかっていったところをちょっと知ってるっていうこと自体が、
今やっぱりソフトウェアを組んでいたりとかするViveコーティングとの相性はいいんですよね。
だから全く何も知らなかったらそんなことできないと思ってたのが、
過去の自分との今接続が起きてきているっていうところはすごく意味があるなと思ったりします。
そうですよね。
なので自分もそのものづくりとかデバイスを完全に01で作るときは、
そういう現場で旅して、こういう情報がパートレイ低く、
あわれやすいとかみたいなところに行くと、結構そういうソフトウェア的なリンクが一緒になったりするので、
どんどん広げていく感じとかで上手くなって、
なので理学療法士として今後生きていくっていったときに、
もちろん目の前の患者さんというものはすごく重要な解決すべき目標であり命題なんですけども、
同時にその理学療法士の知識を使って何かを開発していくっていうのが、
一人でできる時代になってきたっていうのはあると思うんですよね。
だからアプリ開発というものをやってみるっていうところが、
お金につながるかどうかっていうのは一旦置いておいて、
自分が何か足りないなと思う世界を少し変えていくと。
これが3Dプリンターでも同じだと思いますけど、
例えば杖に付けるフックみたいのが欲しいといったのを、
それを100円ショップで探しに行ったりだとか、
どっかの業者に作ってもらうんではなくて、
自分で設計して作ってみるっていうことができる時代になったわけですね。
それが昔はアルミで削り出すとか、
木で削り出すとかっていうのがそうだったのが自分でできると。
さらに今度はそれ自体、
なんか装具とか何でもいいと思いますけども、
自分自身、先ほどの算数のアプリでもそうだと思いますけども、
患者さんの思考課題を作って、
iPad上でやってもらったりだとか、
あるいはスマートフォンにアプリを入れられるようにして、
患者さん自身の運動を管理をしてもらうとか、
そういったこともこれまでだったら探さなきゃいけなかったのが、
もう探すというのではなくて、
作るのほうに変わってくるということですね。
この探す手間っていうのがいらなくなってくるっていうのは、
すごいいいなと思います。
そうですね。そういう意味っていうのは、
今の現状に満足するんじゃなくて、
もっとこんなふうになったらいいんじゃないかっていう、
まさに探究学近いところかなと思いますけど、
ちょっとわがままでもいいかもしれないんで、
もっとこういうのがあったらいいんじゃないみたいなところを持てると、
そういうものづくりのモチベーションになりやすいかもしれないですね。
本当にそのものづくりということができるというものと、
あとはもちろん自分自身の理学療法の技術を探究していくということも、
もちろん重要なんですね。
それが技術というものが正しく成長しているかどうかというものを、
蓄積していくのかっていう、
手書きの日記帳がデバイスに入っていくとかっていうことでももちろんいいと思いますし、
例えば僕が筋トレするときで必ず筋トレの、これはもう売ってるアプリですけど、
アプリでどういったトレーニングをやったっていうのは確実につけていって、
筋肉がどう発達しているんじゃなくて、
俺は頑張ったのかっていうのをずっと見つけていくっていうことをしていくんですよね。
それと同じように学習をどういうふうにやっていたかとかっていうのは、
蓄積するアプリっていうものを先ほど言ったように探すんじゃなくて作っていくっていうのは、
すごくいいことだろうなと思いますし、
たまたま何かの動画で見てて、
AIを使う人が2015年ぐらいに、
放射線技師、レントゲンを見る医者っていうのは、
今後もういなくなる、10年後にはいなくなるって言ったけども、
何が起きたかというと、放射線医師不足ですごく現場が困ってるってことが起きたわけですよね。
結局技術っていうものがなくなるんではなくて、
人を減らすことによってその技術自体が発達しないってことが起きるわけですよ。
だからAIそのものが確かにできるかもしれないけど、
その先の部分というものは、やはり専門家と教育というものをしっかりやっとかないと、
実はAIだけでは発達しきれないっていうのが分かっているらしいんですね。
なので、奪われる仕事と思ってたものが、
例えばバスの運転手とかタクシーの運転手っていうのが、
もういらないよって言われたからどんどんどんどんやめていったら、
今全く足りないわけですよね。
結局これって何なんだろうなっていうふうに。
理学療法士は生き残ると言いながら、
生き残れないかもみたいなのは今度は経済的な問題で言ってるわけですよね。
なんか世の中って面白いなと思ったりします。
逆にですよね。
だからそうやって無くなるって言われたものが人不足になるって感じですけど、
だからどっちかというと今、
理学療法士とか含めて医療介護福祉みたいなところで言うと、
ここはエッセンシャルワーカーで人にしかできないよねと言われがちかもしれないですけど、
逆に一気にイノベーションみたいなのが起きて、
これもう人じゃなくていいやってなっちゃったら、
かなり困る状況になるんですよね。
そうなんですよ。
なのでそのイノベーションのところで、
もちろん理学療法士がいらなくなるってことはまずありえないんですけども、
どのような理学療法士がいるか、
どのような理学療法士がいらないかと、
つまり誰かがいいこと言ってましたけど、
職業がなくなるんではなくて、
いらない人がいらなくなるだけだっていう、
職業そのものは生き残るんですよね。
だから理学療法士だから大丈夫ではなく、
理学療法士としてこういうことができるから大丈夫という状態をいかに作っていくか、
それはもちろん僕は大学教員としてということもそうだと思いますけど、
例えば大学教員として生き残ろうと思うと、
自分の専門性一本で戦うっていうのはもう無理だって言われてるんですよね。
だからポジションをいくつもこなすことができる、
ポジションっていうのはすみません、
サッカーとかラグビーをイメージしてますけど、
野球のほうがいいのかな。
ファーストだけしかできませんっていう人は聞きられやすいってことですね。
ファーストの人がいい人が入ってきたら、
自分キャッチャーもできます、
いや実はピッチャーもできますっていうような人。
あるいは実は自分バッターとして活躍できるのでバッターとして使ってくださいとかっていう、
いろいろなことができる。
しかもそれが理系科目をたくさんできるのではなくて、
分離融合型の人が生き残るんですよね。
分離融合型かつ、
例えばそれは臨床という形でもいいと思いますけども、
何かしら自分が生き残るための複数の能力っていう、
それ最近僕は横断型と呼んでますけども、
横断型できる人間の方がおそらく生き残るだろうということは言われている。
ただ横断ができるイコール器用貧乏なので、
全部が中途半端になりがちだというところになるので、
自分自身のその横断というものが、
何が本当に具体的にできるか、
これまたEPAになってくるんですけど、
自分は何が任せられるのかっていうところまで鍛えなきゃいけないってことです。
そうですね。
絶好運としての横断型的な能力も必要ですし、
いずれも臨床的なところでも、
一つの疾患のせいもせいもせだけじゃなくて、
折れかしてくる中で複数複合してくるでしょうから、
いろいろ持たないといけないという感じもあるでしょうし、
今回のものづくり的なところも、
また新しい構成かもしれないですけど、
それも最初は一つのところでいいってなるかもしれないですけど、
開発的なところとか広げるところとか、
いろいろ求めたほうがいいよねってなるかもしれないんで、
幅広さと自分の独自性の強さと両方強いかなっていう感じがしますけどね。
本当にその幅広さって、
おそらくこれを聞いている人、
しゃべっている自分自身も、
そういう意味だと最近AIとかでも
ものづくりだけじゃなくて
情報漏洩とか結構倫理的な問題みたいなことも
結構起きてきてますし
あと体に関わるものづくりしてるところで
簡単に結構これにこれが効果あるとか言いがちなんですけど
言い方としてギリギリの線を攻めるというか
こういう人には変化が生まれるとか
結構そういう現場に言ってられる言葉だったり
倫理観のバランスみたいなところが
結構ものづくりのメーカー側が
持ちづらかったりするところもあるので
そういう目線でもセラピストって
やっぱりところってあるかもしれないなと
言葉の扱い方ってやっぱり医療者だからの言葉が
あったりだとか
例えば今日も研究のミーティングの時に
喋ってたんですけども
評価という言葉と検査という言葉を
我々は使い分けたりするんですよね
その時に言葉がどこまで何を含んでとかっていうところを
すごくやっぱり上手に扱わなければいけないし
今特にAIが発達したりだとかすることによって
どんどんどんどんやっぱり
バックグラウンドが分からない世界っていうのができてるんですね
それ最近ちょっとXで見てて面白かったのが
ユニクロがチーカーの映画のプリントをした
Tシャツかスウェットを出したんですね
その時にちょっとユニクロの正確な文言を忘れたんですけど
みんな仲良しとかっていうような文言を書いてたんですけど
それは精霊に捕まって今から殺されそうな時の絵なんですよ
これみんな仲良しではないんですよね
だからそういう背景までをやろうとした時に
じゃあ本当にAIがどこまでその背景までを理解して
その絵だけを判断して
なんかみんなが仲良くやってるなということをやるか
全然その作り手が人間のチェックを入れなくなってきてるっていう
すごい大きな問題が起きてくるんですよね
やっぱり人っていうのはそういった直感的なものに対する
反応が得意なところがあるので
人としてやらなきゃいけないっていうのは
そういう背景とあとは定義とかの部分ですよね
その部分をAIにチェックさせるのはいいと思うんですけど
最終的に知ってる人がチェックしなきゃいけないっていう
これ学生とかあるいは僕と学生のAIの使い方とかっていうのであるんですけど
例えば昨日変形性股関節症のことを学生と一緒に調べて
AIで調べたらいいじゃんって言って
AIがバーっと変形性股関節症のこと出してくるんですけど
横に置いている整形画のほうと説明が違うわけですよ
どっちが正しいか判定できないってことになります
これは僕らが読んだらこれは正しい
これはちょっと変形性股関節症に入れてると広いねとかっていう
分別ができないんですね知識の
なので知識というのは今後は知ってるか知らないかじゃなくて
分別ができるかになってくるんですね
チーカーの絵を見た時にあれはどのシーンだっていうのが
分からなきゃいけないっていうのがリテラシーになるので
よりリテラシーの深さが求められるだろうなと思います
そうですねさっきの哲学とかの話でも
広いマップみたいなのがないと
どこなのかっていうのが理解できないのと
背景と知識を持つかっていうのが近いようなところもあるかなと思いますし
自分も脳の認知機能を測るデバイスとか
ゲームみたいなのに関わってるところでも
認知機能の評価をしましょうって言うと
一生のデバイスを起こされて
結構高齢者とかが私はAIみたいな感じになりがちなのが
脳体力っていう言葉を作って脳体力を測ってみましょうみたいな
こうやっていくとちょっとポジティブな印象になって
受けやすいとかそういう言葉の一つ取ったり
使い方変えるだけでも受け入れやすかったり
さっきの地域科のところのキンクみたいなものとかって
多分そういう時代の背景の人だったら
これはあんまり言うと良くないよねとか
あるかもしれないし
そういうところの判断みたいなところは
多分AIとかだとできれなくて
セラピストがもしかしたら得意なところかもしれないんで
何らか生かしやすいかなと思いましたね
なので人が得意なこと
AIが全てが得意なわけではなくて
人が得意なことっていうものをしっかりと明確化していく
そしてその人っていうのは誰かといった時に
自分が得意なことっていうのは
先ほどの知識の幅っていうところがそうなんですけど
やっぱり最近本当に僕のテーマは
私は何ができるっていうのをちゃんと主張できることである
そしてそれを誰かに任せられることであるっていうのは
最近すごく僕は固定的にいろんなところで主張してるんですね
いわゆる先ほどからずっと言う EPA
Entrustable Professional Activity
これがプロフェッショナルじゃなくてもいいかもしれませんけど
エントラスタブルのいわゆる委託されることですよね
委託されることが一体何なのか
例えば我々はラーメンを食べる時に
カップラーメンとラーメン屋に行き帰るのはなぜかって言ったら
ラーメン屋さん自体に委託しするからですよね
作ること自体を
それはその人しかできないからその店に行くんだっていうことにおいて
我々は物を買っているんだと
じゃあ理学療法士にエントラスタブルなものが何なのかって言った時に
柔道制服士とどう違うんですか
作業療法士とどう違うんですか
看護師とどう違うんですかって言った部分の
このエントラスタブルな部分っていうのを
いかに自分が作っておくかっていうことをやっとかないと
どんどんどんどん自分がこう歪症化していくというか
自分自身がやっぱりちっちゃくなっていくんですよね
なので私はこれができますっていうものを
まず作っていくっていうこと自体を
学びの中で努力するっていうことはすごく必要だろうなと思います
これまでも理学療法士としての
こういう対象に関わるのが特異とか
この地域はみたいなのがあったかもしれないですけど
今回のものづくり的な視点を入れていくと
そういう特定の対象がよく使うものは何なのかとか
こういう言葉だったら響きやすいとか
そこもちょっと新しい自分の強みみたいなことで
持てるかもしれないので
ちょっと何か勘違いになればいいなと思います
本当になのでものを作るぞと言ったときに
理学療法士だからものが作れるんではなくて
あなただから作れるものっていうもの
これは本当に自己の存在意義的な部分の問いになってくると思いますけど
このアドバンステラピストを聞いてる皆さんには
できる限りこのエントラスタブル
自分が何を委託される存在なのか
例えばこれは家庭の中でもそうだと思いますし
友人関係でもそうだと思うんですね
例えば旅行行こうって言ったときに
自分は予約することをこれは委託されそうだなとか
あるいは車を運転することを委託されそうだなって
なんとなくあるわけじゃないですか
でその関係性がいい人たちっていうのは
スムーズに動くんですけども
それがお前が予約するんじゃなかったのっていう
この委託のズレができることによって
人間関係ってやっぱおかしくなってくるんですね
仕事するときにこれはお前がやることだろうっていうのを
自分がもちろん宣言することは重要だと思うんですね
俺車運転するわとか
俺がじゃあ予約取っとくねとかっていう
このエントラスタブルの部分っていうものを
今後の社会にはすごく重要だろうと
僕はAIを使うにおいと
AIを使うときにも必ずプロンプトに入れるんですね
あなたができること
僕がすること
コーデックスがやること
クロードがやること
全部はちゃんと説明しなさいっていう
それにおいてそのAIが
全部やろうとしなくなるっていうことも
すごい結構重要なんですよね
だからここは他の人に得意なことに任せましょうっていうのを
AIのプロンプトにはいつも書くようにしてるので
なのでその支持ができるようになっておくっていうのも
重要かもしれませんね
そうですね
AIでもそれぞれ得意不得意があるんで
その中で自分が何するのかみたいなことは見えてくるでしょうし
職場の中でとか家庭の中でとか
最初はちっちゃいところでも
自分にしかできないところとか
任される部分を作って
最終的にはそういう世界の中で
自分にしかできないこととかが見えてくると
本当に自尊心が溜まるというか
社会の中でも生きていきやすくなるかもしれないですけど
さっきの研究院の博士課程みたいな感じで
本当に世界見せるとそこは結構難易度高いところがありますけど
身近なところからでもそういう
自分の強みみたいなことは作っていけるかなと思うので
少しずつその範囲を広げていけるといいんじゃないかなと思いました
と思います
結構ものづくりからまた
教育とか生き方みたいなところに広がってきましたけど
何か考えるきっかけになればいいかなと思いますし
何か話してみたいとか相談したいみたいなことがあれば
またコミュニティに入ってもらえたら見させるかなと思うので
よろしくお願いします
よろしくお願いいたします
じゃあ今回はこの辺で
ありがとうございます
ありがとうございました