こんにちは、田代です。こんにちは、堀です。 Advanced Therapist エピソード34本目ということで、今回はまた改めて教育に関することですけども、
セラピストとして何を学んでいけばいいかとか、どういうふうに学んでいくと信頼していけるとか、任せていけるかとか、ステップアップに関するような話をいろいろ聞きたいかなと思います。
はい、よろしくお願いいたします。一般的に理学療法士の教育っていうのは、現状厚生労働省が定めた103単位、102から103になったと思うんですけど、103単位のものになると。
それが3年生の専門学校単大、もしくは4年生の専門学校大学という形でやられますと。
この中に一般教養というのも多少含まれてはするんですけれども、ものすごく構造化された理学療法教育というのがそのカリキュラムの中で出来上がっているかどうかと言われると、ちょっと微妙なんですよね。
なぜ微妙かというと、理学療法がいろいろ変わっていく中で、カリキュラムもやっぱり変えていかなければいけない。
だからどうしても単位数が増えていくってなった時に、必要に応じて増やしている。
例えば、理学療法管理学とかが増えたり、画像診断論とかっていうのが増えたのは、これは国家資源の変化によって影響されているものになってくるんですけども、
突然そういうのが増えていくっていうこと自体は、まあまあ教育現場では困ったりするんですね。
教育の専門家というものがそこに必要になってくるとなった時に、管理学を専門にする人たちとかがいなかったのに、やってくださいねってなってくるとどうするのみたいな形になったりはするんですけど、
数年前にはカリキュラムの変更に関しての連絡は、厚生労働省からあるんですけども、なかなかそこは大変だなと。
その分、カリキュラム編成委員を大学とかでやると、例えば物理療法って最近少ないよねとか、創具療法とかって最近少ないよねって言ってそこを削っていったりするわけですよ。
その削っていくっていうのも、結局必要か不必要かっていうのが国家試験ベースで動くわけですね。
国家試験の問題数で判断されるということになってくるので、
このあたりは、カリキュラムっていうのは何の理念において行われているのかっていうのは、見直す機会が実際の理学療法教育では難しい。
それは何度も言うように厚生労働省が決めちゃうからです。
そうですね。
この場合の、後ほどまた出てくるコンピテンシーとか、EPAとかいう言葉も出てくると思うんですけど、そのあたりは学校での教育と卒業の教育とかっていうと、どちらかというと卒業みたいな感じなんですか?
今のコンピテンシーということをもう少し丁寧に説明していくと、大学卒業っていうのは基本的に124単位あります。
基礎64、専門62っていうのが古くから分けられたものになりますので、この基礎と言われるものが基本的にはコンピテンシーだとか、あるいはリテラシーと言われるような、この2つのものによって構成されていったりするわけですね。
一般のカリキュラムっていうのはカリキュラムマップとかナンバリングというものがやられて、ナンバリングっていうのは簡単に言ったらカリキュラムにコードが付いてるんですね。
そのコード同士の繋がりでネットワークをニューラルネットワークみたいに組んで、ちゃんとそういったどういうものができているのか。
外国語単位はこれぐらい取りましょうとか、あるいは文系の単位はこれぐらい取りましょう、理科系の単位はこれぐらい取りましょうっていうのが全部決まってるけど、それの取ること自体は結構自由になったりするわけですね。
それを一つのナンバリングからマッピングしたときに一つの地の形っていうのが出来上がる。それを専門値としてカリキュラムは作っていくわけですね。
その専門値っていうのは本来ある程度の自由度と目的に対してやっていく。その目的っていうのが一つはアドミッションポリシー。入るときのポリシー。
そしてカリキュラムポリシーというどんなポリシーでカリキュラムを作っているのか。そして向かう先はディプロマポリシーで卒業時の目標っていう。
このいわゆるポリシー三つのポリシーとカリキュラムマップとナンバリングそこにベースになるリテラシーコンピテンシーという風にカリキュラムって作っていくんですよ。
これが理学療法の業界では先ほど言ったように103単位が厚生労働省によった専門職カリキュラムになってくるのでどうやっても基礎の部分が弱くなりがち。
なので基礎の部分が弱くなってくるとコンピテンシーの部分っていうのが一つ弱くなりがちであろうと。
コンピテンシーっていうのは職業っていうのみならずですけども人の根本的な持っている能力と行動力みたいなやつがコンピテンシーっていうわけなんですね。
リテラシーっていうのはその人が持っている基礎知識。リテラなので基本的には書くってことですよね。
いわゆる読み書きその番って言われたものがリテラシーでコンピテンシーっていうのはそれを駆動する能力のことを言うわけですね。
これを大学教育っていうのはちゃんと鍛えていきますよっていうのが今の文科省が考えることでそれを総合的に人間力って呼んでるんですね。
人間力ってどういうことかというと一つはコミュニケーションスキル。
ちゃんと自分の考えを言える人の考えを聞ける。あとは論理的思考。論理的に物事を考える。そして批判的思考。物事を見た時にそれが正しいかどうかが判定できる。
さらに言うとこれ自体は最近書いてるのかどうかちょっと忘れたんですけど想像的思考ですね。
物事を1から01で作り上げられるっていう能力っていうものを大学教育の中で育てていきましょうっていうのが文科省の一連の考え方なんですよ。
だけどそこって理学療法の中で論理的思考批判的思考想像的思考っていうのが理学療法カリキュラムの中でどれくらいありますかと言われるとちょっと微妙なんですよね。
っていうので最初からそのカリキュラムが微妙なんだっていうところにつながってきます。
そうですね。理学療法士として必要な知識、リテラシー的なところはある程度入ってるところかもしれないですがコンピテンシーってなると実習とかも結構大きくかかってくるとは思いますし
どちらかというとその行動面の学びとかさっきの批判的とか想像的とかっていうのは今のカリキュラムでは結構特に難しそうな部分なんですね。
もう一回EPAという言葉をまた触れていただけたらなと思うんですけど
段階としてはコンピテンシーの次にEPAというのが入ってくる?
EPAというのはEntrustable Professional Activityという言葉の頭で
日本語で言うと専門職として任せられる活動という意味なんですね。
なので理学療法士が何を任せられていますか?
非常に簡単なところで言うと臨床実習におけるEPAというのは
基本的に患者さんの治療だとか患者さんの評価だとか患者さんの単位を取ってはいけないわけですよね。
だから学生に任せられるというのはあくまでも模倣ですよとか見学ですよというのが臨床実習におけるEPAなんですよ。
じゃあ今度職業としてのEPAとなった時に
理学療法士がその病院の中で何を任せられてますか?と言われた時に
広く言うと医学的リハビリテーション、患者の医学的リハビリテーションの支援なんですよね。
この患者の医学的リハビリテーションの支援の中でも
特に運動を主体としたアプローチから活動を変化させていくというのが理学療法であると。
さらにそれを言った時に関節を動かすとか筋力を鍛えていくとか
痛みを取っていくとかっていうのが一つの任せられているものなんですけども
日本と諸外国で例えばダイレクトアクセスを持っている国なのかそうじゃないのかによって
EPAとかってのは変化してくるわけですよね。
だから日本版のEPAというのは一体何なのかっていうのを
もうちょっと考えなければいけないということと
このEPAというのは理学療法版のコンピテンシーが育っていないと
任せられないということなんですね。
誰かにこの仕事を任せたいっていうのは
チャレンジする時ももちろんありますけど
基本的に安定的にその仕事を遂行できる人に任せるわけですよね。
だからその任せられる理学療法士っていうのが一体何なのか
ということをもう少し問わなければいけないなということで
今回一つのテーマが教育そしてEPAなんですね。
そうですよね。そこが学位とか資格だけ
EPAとして任せられるかどうかの基準の判断にはなり得ない
それだけでは足りない部分かなと思うので
もっと本当に任せられる人っていうのはどういう人なのか
みたいなことを定義していかないといけないですか。
なのでそのEPAを語る上で必ず必要になってくるのが
先ほどから言っているコンピテンシーの部分だと。
コンピテンシーというのは論理的思考だとか批判的思考というものを
今度は捉えた時に理学療法においてはそれは
理学療法推論、臨床推論の能力ですよということを
僕は一つの主張とします。
特にコンピテンシーの部分で一定の流れを流せる
通せるというのが重要なんですね。
一定の流れというのはどういうことかというと
情報がある。その情報を見てそこから情報をピックアップして
必要な情報を分析できる。
その分析の結果アプローチというのが判断をできる。
そこにはある種科学的あるいは経験的なものが
必要になってくるんですけど
この一連の流れを通すことができるということですね。
この通すというのがすごく重要で
張りがあってはダメなんていうことなんですよ。
ただもちろん省略においてはひっかかりはあると思いますけど
基本的な部分で通すということが
再現性を持ってできるかどうかというのが
かなり重要なもの。
つまり再現性を持った判断というのを構造的に育てているかというのが
理学療法におけるコンピテンシーだと思っているということです。
そうですね。以前も理学療法とは
DBPUという話もあったように
評価だけとか介入だけみたいな感じじゃなくて
その一連の流れのユニットが理学療法という風に捉えると
通してできるというのが
やっぱり理学療法士のコンピテンシーという感じなんですか。
そうなんです。なので
肩が凝っている。じゃあ揉みましょう。
これはコンピテンシーではないということなんですね。
歩けない。じゃあ歩きましょう。
これもコンピテンシーではないということですよね。
まず歩けないというのはあくまでも
現象であって
その現象というものをどういう風に情報に変換させていくか
その情報というのはバイオメカニクス的な身体指標であったりだとか
生理学的な基礎の問題であったりだとか
あとはその人のそもそもの背景であるような
人類史みたいな部分
その人の人生史みたいなもの
そういったものを全部
一つの歩けないという現象を
いかに違う情報に落とし込めるかなんですね。
そしてその情報というものを
知識、理学療法の知識によって
統合と解釈などとして問題点というのを見つけ出し
その問題点というものに実際アプローチを仕掛ける
というのが理学療法なわけですよ。
だからスタートの情報をどういう風に読めるか
というのがポイントになるんだけれども
歩けないから歩行練習する
痛いから歩行練習というのは
情報を捉えてないということなんですよね。
ですね。
なのでそこで歩けない理由というのを思いつけるというか
そのためにはまず基礎知識が必要になるし
その中で出てきたデータをどう基準と照らし合わせて考えるか
みたいなところがステップアップして
学ぶ必要があるところなんで
そこは既存のカリキュラムでも
ある部分はあるかなと思うんですけど
学校のカリキュラムでもやっぱりまだ足りないところが
いろいろあるなというのが
森先生の見た目というか目線だとあるというか
コンピテンシーというのが先ほどから言う
論理的かつ批判的な視点を育てていくというものであるとするならば
その理学療法の厚生労働省が定めるカリキュラムの中に
そういう推論のカリキュラムとかを入れなさいというルールがないんですよ
要は評価学というのに何コマ
そして治療論に何コマとかというのは決まってるんですけども
論理的な思考を育てなさいというカリキュラム設定がないということが
一つの問題なんですよ
評価学でやったらいいじゃんって言うんですけど
今やっているほとんどのところは評価学ではなくて評価法なんですよね
学ではないテクニックなんですよ
だからそこを少なくとも学として評価の中に存在している
臨床推論理学療法推論というものを
もう少し明確に指導しないと
学生はやっぱり分かんないですよっていう
体の部位とか病気疾患の種類とか評価法みたいなことは
学んでいったり理学療法介入としてのアプローチはいろいろ学ぶと思うんですけど
それぞれが細切れで分断されている知識があって
繋げるところの繋げ方とかを学ぶのが体系化されてないなという感じですか
まずスタートとしては情報を統合できる能力が必要になってくるんですけども