#34-1 任されるセラピストになるための教育
2026-08-19 37:03

#34-1 任されるセラピストになるための教育

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堀 寛史

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サマリー

本エピソードでは、理学療法士が「任されるセラピスト」になるために必要な教育、特にコンピテンシーとEPA(Entrustable Professional Activity)の概念について深く掘り下げています。日本の理学療法教育は、厚生労働省が定めるカリキュラムに基づいているものの、変化するニーズへの対応や、論理的思考、批判的思考といった高等教育で重視されるコンピテンシーの育成には課題があることが指摘されています。コンピテンシーは、職業人としての根本的な能力や行動力であり、リテラシー(基礎知識)を駆動する力と定義されます。特に、理学療法推論能力が理学療法士のコンピテンシーの中核をなすとされ、情報収集から分析、判断、アプローチに至る一連の流れを再現性を持って遂行できる能力が重要視されます。EPAは、専門職として具体的に「任せられる活動」を指し、学位や資格だけでは判断できず、個々のセラピストが「何ができるか」を言語化し、その裏付けとなる実績や経験を示すことが求められます。新人理学療法士は実績が少ないためEPAを持つことが難しい一方、経験年数だけでは高いEPAを持つとは限らないことが示唆されています。最終的には、コンピテンシーを基盤とし、EPAを通じて専門職としての信頼性を高め、さらに「アドバンス」なセラピストへと成長していく過程が重要であると結論づけています。

理学療法教育の現状とカリキュラムの課題
こんにちは、田代です。こんにちは、堀です。 Advanced Therapist エピソード34本目ということで、今回はまた改めて教育に関することですけども、
セラピストとして何を学んでいけばいいかとか、どういうふうに学んでいくと信頼していけるとか、任せていけるかとか、ステップアップに関するような話をいろいろ聞きたいかなと思います。
はい、よろしくお願いいたします。一般的に理学療法士の教育っていうのは、現状厚生労働省が定めた103単位、102から103になったと思うんですけど、103単位のものになると。
それが3年生の専門学校単大、もしくは4年生の専門学校大学という形でやられますと。
この中に一般教養というのも多少含まれてはするんですけれども、ものすごく構造化された理学療法教育というのがそのカリキュラムの中で出来上がっているかどうかと言われると、ちょっと微妙なんですよね。
なぜ微妙かというと、理学療法がいろいろ変わっていく中で、カリキュラムもやっぱり変えていかなければいけない。
だからどうしても単位数が増えていくってなった時に、必要に応じて増やしている。
例えば、理学療法管理学とかが増えたり、画像診断論とかっていうのが増えたのは、これは国家資源の変化によって影響されているものになってくるんですけども、
突然そういうのが増えていくっていうこと自体は、まあまあ教育現場では困ったりするんですね。
教育の専門家というものがそこに必要になってくるとなった時に、管理学を専門にする人たちとかがいなかったのに、やってくださいねってなってくるとどうするのみたいな形になったりはするんですけど、
数年前にはカリキュラムの変更に関しての連絡は、厚生労働省からあるんですけども、なかなかそこは大変だなと。
その分、カリキュラム編成委員を大学とかでやると、例えば物理療法って最近少ないよねとか、創具療法とかって最近少ないよねって言ってそこを削っていったりするわけですよ。
その削っていくっていうのも、結局必要か不必要かっていうのが国家試験ベースで動くわけですね。
国家試験の問題数で判断されるということになってくるので、
このあたりは、カリキュラムっていうのは何の理念において行われているのかっていうのは、見直す機会が実際の理学療法教育では難しい。
それは何度も言うように厚生労働省が決めちゃうからです。
そうですね。
この場合の、後ほどまた出てくるコンピテンシーとか、EPAとかいう言葉も出てくると思うんですけど、そのあたりは学校での教育と卒業の教育とかっていうと、どちらかというと卒業みたいな感じなんですか?
今のコンピテンシーということをもう少し丁寧に説明していくと、大学卒業っていうのは基本的に124単位あります。
基礎64、専門62っていうのが古くから分けられたものになりますので、この基礎と言われるものが基本的にはコンピテンシーだとか、あるいはリテラシーと言われるような、この2つのものによって構成されていったりするわけですね。
一般のカリキュラムっていうのはカリキュラムマップとかナンバリングというものがやられて、ナンバリングっていうのは簡単に言ったらカリキュラムにコードが付いてるんですね。
そのコード同士の繋がりでネットワークをニューラルネットワークみたいに組んで、ちゃんとそういったどういうものができているのか。
外国語単位はこれぐらい取りましょうとか、あるいは文系の単位はこれぐらい取りましょう、理科系の単位はこれぐらい取りましょうっていうのが全部決まってるけど、それの取ること自体は結構自由になったりするわけですね。
それを一つのナンバリングからマッピングしたときに一つの地の形っていうのが出来上がる。それを専門値としてカリキュラムは作っていくわけですね。
その専門値っていうのは本来ある程度の自由度と目的に対してやっていく。その目的っていうのが一つはアドミッションポリシー。入るときのポリシー。
そしてカリキュラムポリシーというどんなポリシーでカリキュラムを作っているのか。そして向かう先はディプロマポリシーで卒業時の目標っていう。
このいわゆるポリシー三つのポリシーとカリキュラムマップとナンバリングそこにベースになるリテラシーコンピテンシーという風にカリキュラムって作っていくんですよ。
これが理学療法の業界では先ほど言ったように103単位が厚生労働省によった専門職カリキュラムになってくるのでどうやっても基礎の部分が弱くなりがち。
なので基礎の部分が弱くなってくるとコンピテンシーの部分っていうのが一つ弱くなりがちであろうと。
コンピテンシーっていうのは職業っていうのみならずですけども人の根本的な持っている能力と行動力みたいなやつがコンピテンシーっていうわけなんですね。
リテラシーっていうのはその人が持っている基礎知識。リテラなので基本的には書くってことですよね。
いわゆる読み書きその番って言われたものがリテラシーでコンピテンシーっていうのはそれを駆動する能力のことを言うわけですね。
これを大学教育っていうのはちゃんと鍛えていきますよっていうのが今の文科省が考えることでそれを総合的に人間力って呼んでるんですね。
人間力ってどういうことかというと一つはコミュニケーションスキル。
ちゃんと自分の考えを言える人の考えを聞ける。あとは論理的思考。論理的に物事を考える。そして批判的思考。物事を見た時にそれが正しいかどうかが判定できる。
さらに言うとこれ自体は最近書いてるのかどうかちょっと忘れたんですけど想像的思考ですね。
物事を1から01で作り上げられるっていう能力っていうものを大学教育の中で育てていきましょうっていうのが文科省の一連の考え方なんですよ。
だけどそこって理学療法の中で論理的思考批判的思考想像的思考っていうのが理学療法カリキュラムの中でどれくらいありますかと言われるとちょっと微妙なんですよね。
っていうので最初からそのカリキュラムが微妙なんだっていうところにつながってきます。
そうですね。理学療法士として必要な知識、リテラシー的なところはある程度入ってるところかもしれないですがコンピテンシーってなると実習とかも結構大きくかかってくるとは思いますし
どちらかというとその行動面の学びとかさっきの批判的とか想像的とかっていうのは今のカリキュラムでは結構特に難しそうな部分なんですね。
高等教育におけるコンピテンシーと理学療法コンピテンシーの乖離
なので理学療法士としてのコンピテンシーというのと高等教育としてのコンピテンシーというのの差があるんですよね。
高等教育のコンピテンシーってなった時に例えば心理的安全性の話だとか自分自身の実存的な話だとかあるいは科学的なリテラシーとかそういったものが全部セットになって
社会を生き抜くための話になってくるんですね。
理学療法的なコンピテンシーってなってくると、どちらかというと僕はその理学療法推論と言われるものが理学療法のコンピテンシーだと思ってるんですね。
情報を見てその情報を判断してそしてそれを実行に移すっていう一連の流れがコンピテンシーだと。
それ自体を支える知識っていうのがリテラシーだという風に捉えてるんですけど
理学療法的なコンピテンシーと我々が生きる上でのコンピテンシーそれが特に高等教育で育てられるコンピテンシーというものはちょっとズレがある。
高等教育におけるコンピテンシーというものは先ほど言った批判的な思考だとか判断論理的な思考というのがすごい重要である。
そのコンピテンシーという部分が理学療法に移すと理学療法推論というのは批判的かつ論理的思考なので
そこのコンピテンシーというものをやろうとしたときに
例えば心理学とか哲学とか文系学もやっとく方が本来は考えやすいですよねってなるという風には思ってます。
そうですね。
理学療法的なコンピテンシーは戦後文学校とか大学どの中でも借り木でもとして学ぼうとするように入っているかもしれないですけど
高等教育ってなるとやっぱり大学院とかの方が重点的に扱うというのはありますか?
コンピテンシーと言われるとやっぱり学部教育だと思います。
大学院というのはそのコンピテンシーリテラシーというものをディプロマポリシーとして持っている人たちが
さらに研究レベルで鍛えていくのが大学院なので
コンピテンシーというのは基本的に本来は小中高で鍛えられて
そして最後に高等教育でそれを実践的に使っていくというのが高等教育のコンピテンシーなんですよ。
EPA(Entrustable Professional Activity)の概念と重要性
もう一回EPAという言葉をまた触れていただけたらなと思うんですけど
段階としてはコンピテンシーの次にEPAというのが入ってくる?
EPAというのはEntrustable Professional Activityという言葉の頭で
日本語で言うと専門職として任せられる活動という意味なんですね。
なので理学療法士が何を任せられていますか?
非常に簡単なところで言うと臨床実習におけるEPAというのは
基本的に患者さんの治療だとか患者さんの評価だとか患者さんの単位を取ってはいけないわけですよね。
だから学生に任せられるというのはあくまでも模倣ですよとか見学ですよというのが臨床実習におけるEPAなんですよ。
じゃあ今度職業としてのEPAとなった時に
理学療法士がその病院の中で何を任せられてますか?と言われた時に
広く言うと医学的リハビリテーション、患者の医学的リハビリテーションの支援なんですよね。
この患者の医学的リハビリテーションの支援の中でも
特に運動を主体としたアプローチから活動を変化させていくというのが理学療法であると。
さらにそれを言った時に関節を動かすとか筋力を鍛えていくとか
痛みを取っていくとかっていうのが一つの任せられているものなんですけども
日本と諸外国で例えばダイレクトアクセスを持っている国なのかそうじゃないのかによって
EPAとかってのは変化してくるわけですよね。
だから日本版のEPAというのは一体何なのかっていうのを
もうちょっと考えなければいけないということと
このEPAというのは理学療法版のコンピテンシーが育っていないと
任せられないということなんですね。
誰かにこの仕事を任せたいっていうのは
チャレンジする時ももちろんありますけど
基本的に安定的にその仕事を遂行できる人に任せるわけですよね。
だからその任せられる理学療法士っていうのが一体何なのか
ということをもう少し問わなければいけないなということで
今回一つのテーマが教育そしてEPAなんですね。
そうですよね。そこが学位とか資格だけ
EPAとして任せられるかどうかの基準の判断にはなり得ない
それだけでは足りない部分かなと思うので
もっと本当に任せられる人っていうのはどういう人なのか
みたいなことを定義していかないといけないですか。
なのでそのEPAを語る上で必ず必要になってくるのが
先ほどから言っているコンピテンシーの部分だと。
コンピテンシーというのは論理的思考だとか批判的思考というものを
今度は捉えた時に理学療法においてはそれは
理学療法推論、臨床推論の能力ですよということを
僕は一つの主張とします。
理学療法におけるコンピテンシー:再現性のある判断能力
特にコンピテンシーの部分で一定の流れを流せる
通せるというのが重要なんですね。
一定の流れというのはどういうことかというと
情報がある。その情報を見てそこから情報をピックアップして
必要な情報を分析できる。
その分析の結果アプローチというのが判断をできる。
そこにはある種科学的あるいは経験的なものが
必要になってくるんですけど
この一連の流れを通すことができるということですね。
この通すというのがすごく重要で
張りがあってはダメなんていうことなんですよ。
ただもちろん省略においてはひっかかりはあると思いますけど
基本的な部分で通すということが
再現性を持ってできるかどうかというのが
かなり重要なもの。
つまり再現性を持った判断というのを構造的に育てているかというのが
理学療法におけるコンピテンシーだと思っているということです。
そうですね。以前も理学療法とは
DBPUという話もあったように
評価だけとか介入だけみたいな感じじゃなくて
その一連の流れのユニットが理学療法という風に捉えると
通してできるというのが
やっぱり理学療法士のコンピテンシーという感じなんですか。
そうなんです。なので
肩が凝っている。じゃあ揉みましょう。
これはコンピテンシーではないということなんですね。
歩けない。じゃあ歩きましょう。
これもコンピテンシーではないということですよね。
まず歩けないというのはあくまでも
現象であって
その現象というものをどういう風に情報に変換させていくか
その情報というのはバイオメカニクス的な身体指標であったりだとか
生理学的な基礎の問題であったりだとか
あとはその人のそもそもの背景であるような
人類史みたいな部分
その人の人生史みたいなもの
そういったものを全部
一つの歩けないという現象を
いかに違う情報に落とし込めるかなんですね。
そしてその情報というものを
知識、理学療法の知識によって
統合と解釈などとして問題点というのを見つけ出し
その問題点というものに実際アプローチを仕掛ける
というのが理学療法なわけですよ。
だからスタートの情報をどういう風に読めるか
というのがポイントになるんだけれども
歩けないから歩行練習する
痛いから歩行練習というのは
情報を捉えてないということなんですよね。
ですね。
なのでそこで歩けない理由というのを思いつけるというか
そのためにはまず基礎知識が必要になるし
その中で出てきたデータをどう基準と照らし合わせて考えるか
みたいなところがステップアップして
学ぶ必要があるところなんで
そこは既存のカリキュラムでも
ある部分はあるかなと思うんですけど
学校のカリキュラムでもやっぱりまだ足りないところが
いろいろあるなというのが
森先生の見た目というか目線だとあるというか
コンピテンシーというのが先ほどから言う
論理的かつ批判的な視点を育てていくというものであるとするならば
その理学療法の厚生労働省が定めるカリキュラムの中に
そういう推論のカリキュラムとかを入れなさいというルールがないんですよ
要は評価学というのに何コマ
そして治療論に何コマとかというのは決まってるんですけども
論理的な思考を育てなさいというカリキュラム設定がないということが
一つの問題なんですよ
評価学でやったらいいじゃんって言うんですけど
今やっているほとんどのところは評価学ではなくて評価法なんですよね
学ではないテクニックなんですよ
だからそこを少なくとも学として評価の中に存在している
臨床推論理学療法推論というものを
もう少し明確に指導しないと
学生はやっぱり分かんないですよっていう
体の部位とか病気疾患の種類とか評価法みたいなことは
学んでいったり理学療法介入としてのアプローチはいろいろ学ぶと思うんですけど
それぞれが細切れで分断されている知識があって
繋げるところの繋げ方とかを学ぶのが体系化されてないなという感じですか
まずスタートとしては情報を統合できる能力が必要になってくるんですけども
論理的思考力の育成と教育段階
情報を統合させる機会っていうのはすごく少ないなというふうに思います
統合していくっていうこと自体が
たくさんの文献を見た時に
その文献の中にどういうことが書かれているのかという共通点を見出したりだとか
同じような文献を探しているんだけど違うことを言っているとかっていう
統合の部分っていうのがかなりやっぱり能力として必要だよね
それが多分論理的な思考なんですよ
批判的な思考というものよりも論理的に整理できる
情報を統合できるっていう能力を養わないと結構きついよね
きついというのは統合できない状態の情報っていうのは
恣意的に情報をピックアップしがちだということです
だから痛みだけを見て痛みというのが常に問題だから
痛みだけ対処しなさいってなって
薬飲んだら全部OKじゃんみたいな話になっちゃうということです
理想的には大学なり専門学校なり入学して
1年目2年目くらいのうちに一般的な論理学みたいなことを学んでおいて
3年目4年目とかで
理学療法における論理的思考の組み立て方とかに進んでいくのが理想的ではあるんですか
もう少し理想を言うと小中高の国語でしょうね
小中高の国語っていうのが読解ではなくて
やっぱり論理的な説明ができるっていう方向に
今共通テストとかそういう方向には動いているんですけれども
実際に国語って言った時に日本語を学ぶわけではない
日本語を使った問題設定をどうやって解いていくか
日本語を通して論理的にどう説明するかっていう能力が
国語に求められるものだと思うんですよね
そこの国語力と言われる部分のレベルを上げておかないと
大学でいざ論理学をやってもおそらくできないです
そうですね
その辺で小中高とかでも小説とか文学的な国語と
論理的なカチッと組み立てられた文章を読み解くみたいなのが
最近出てきているんでしょうか
最近は割とやっていると思います
ただどれくらいやるかっていうのはまた高校のやり方にもよりますし
どういう受験をするかによっても変わってくるし
かつどういう受験をするかによって
その学生の本気度が変わってきますよね
やっぱり教程を受けるとかってなると
相当長い文章を100分の中で読み込んで
なので長文を2台でしょ
随筆といわゆる論表そして古典と漢文なので
あともう一個表のデータを読むとかっていうのが今増えてるんですよ
なので教程の国語ってすっごいよくできてるんですね
僕はかつて国語の問題を作ってたからわかるんですけど
教程の問題はね本当に素晴らしいんですよ
ただそれが選択肢ではなく
記述になるとよりいいとは思うんですけども
あれを読みこなせる人たちっていうのは
やはり論理的な思考のレベルっていうのは
高くないと点数は取れないと思います
特に古文漢文のいた状態での現代文と論表と
何だっけな
論理的な部分っていうのも点数ですよね
聞いてる中で自分はどっちかというと
現代文すごい昔苦手なタイプで
用通テストとかもすごい苦手で
どっちかというと数学とかの論理的な物理とかの
思考は結構できるタイプでしたけど
最近で言うとある程度読み解けるようになってきたかな
っていう感じなんですけど
言葉による論理的な思考と
数学的な論理的な思考でいうと
言葉による論理的思考と数学的論理的思考の違い
何かその違いとかってあるんですか
AならばB BならばCとか
あるいはABCDで嘘をついてるのは誰かみたいな
論理的なやつの問題とかってやったことあります
あったかもしれないですけど
耐久テストとかそういうのであるんですか
僕論理的にとか言っときながら
僕あれめっちゃ苦手なんですよ
精査するっていうのが僕そこは苦手で
だけども全体を通して概要
いわゆるサマリーを作るのは要約力ですよね
要約みたいなのは得意なんですよ
だけどその細かな正しさを見つけるっていうのは
あんまり得意じゃないね
もしかしたら田代さんと僕は真逆なのかもしれません
読み方が
そうですね
どっちかというと数学でいうと
数学の細かいところとかを突き詰めるのが
思考かもしれない
論理的思考って言ったことによっても
いろいろありそうな感じがします
なので数学的に考えれる人って
図で考えたりできますよね
つまりベンズみたいな感じで物事を捉えて
そのベンズで重なっているものが何かとかっていう
それが多分数学的論理性で
さっき言ったABCの中で
誰かが嘘をついているのを探すとかっていうのは
多分図解するんですよ
でも国語的なものっていうのは
その図解というよりも
一番簡単な感情的なものを扱うことですよね
相手がどういうことを考えている
自分はこういった考えである
となった時にここでは悲しいとか嬉しいとか
それをどう表現して
なんていうのかな
昨日たまたま違うところで話してて
最近アメリカのニュースが
昔は壊滅的な被害を与えた
例えばイランに爆撃して
壊滅的な被害を与えたという表現が
イランに対して外科的処置を与えた
とかっていう表現に変わってきてるらしいんですね
そういう壊滅的な被害っていう表現の場合は
強いアメリカなんですね
だけど外科的処置を与えたっていうのは
アメリカがイランを治療してあげてるんだ
っていう表現になってくると
同じように爆撃なんだけども
そこに書かれている意味
そしてその背景が何なのかっていうのを
読み解くっていうことが
論理的な思考の一つでもあるが
さっき言っている田代さんの部分ってのは
おそらくベンズ的な図解の能力で
どちらも必要だし
得意な方でやったらいいと思うんですよね
そうですね
数学的だとベンズとか
方程式的な数式を組むとかっていうのが
論理的思考かもしれないですけど
理学力法人の臨床における
そのコンピテンシーとかっていうと
どっちかっていうとそういうのよりは
言葉の論理性の方が役立ちやすいし
科学的な例えば大学院で研究するとかっていうと
そういう数学的な論理的思考も
必要かもしれないんですけど
なので進む方向によって必要な
コンピテンシーとかも違ってくるのかな
と思いましたね
その進む方向によって変わってくる
コンピテンシーっていうのは
自分の得意なものをやればいいと思いつつ
例えばシステムなんかを作るってなってくると
これはベンズだとか
数学的にやらないとダメなんですよ
だから僕が今作っているシステムなんか
っていうのはかなり数学的な
ものになってきてはいると思うんですけども
僕は数学が得意ではないので
任せられるセラピスト(EPA)に必要な要素と裏付け
そのあたりはチャッピーに聞きながらやってます
これでいいのって
いいですね
そうですね
そこの中で
コンピテンシーと
EPAでいくと
具体的に言うと任せられる
理学療法士っていうのは
どういう要素が必要になってくるんですか
一つ少なくとも言えるのは
私はこれができますということが言える
それに対してじゃあこれを任せますなんですよね
なのであなたは何ができますかということが
言語化あるいは実績がないとダメだということです
だから新人理学療法士っていうものは
その実績がないので
EPAというものを持つことが難しいということですよね
かといって20年やってる人が
高いEPAを持ってるかって言ったら
それはまだ実は別なんですよね
私は何ができます
例えば私は都市療法ができます
じゃあそれの裏付けは何ですかなんですよ
裏付けというものを明確に言えるということが
すごく重要だというふうには思うんですよね
この裏付けというものが
これまでずっと言ってきた一つが学位だったりだとか
資格だったりとか
あとは症例数なんかもそうなんですけども
よく整骨院とかの広報で
延べ10万人の治療をやってきましたみたいな
10万人ってどうやってやるんだとか
かといってそれが延べ100人の治療をやりました
ってなるとおそらくその人たちは
お客さんが来ないということで
病院に来た人たち全部目に入ったので
そこの数の倍数に入れたりだとか
いろいろすると思うんですけど
そういうふうな人数の経験によって
裏打ちするようなEPAというのを
作り方をする人もいますし
例えば学会発表をしましたとか
論文を書きました
だから私はこれの専門ですって言って
それをEPAとして理解してもらおうとする人もいますし
何かしら自分のEPAを作ろうとするというのは
専門職にありがちなんですよね
料理屋だったら
例えばミシュランで掲載されましたとか
食べログだったら何点ですとか
っていう形になって
売上いくらですはあまり言わないんですよね
売上いくらは例えばホストは
売上いくらを言ったりするんですけども
それっていうのはすべてにおいて
EPAとの関わりがあるわけです
信頼っていうエントラスタブル
エントラストメントがあるわけですので
そうですね
人によって何に信頼感を感じるかっていうのが違うからこそ
多様な軸での信頼性を担保する根拠を
持っていた方がいいっていう感じですか?
そこが結局
EPAというのは複数あるが
僕が主張したいのは
理学療法推論というコンピテンシーが
持っている上でのEPAと言いたいわけですね
例えばものすごくマッサージがうまくて
例えばスポーツの現場とかで
筋筋腸を異常に落とせる人たちっていうのが
いたりするんですね
だけどそれはテクニックとしてのEPAだと
だけどその人が本当に専門家とした時に
どのような推論を通して
それをやっているのかということは
やっぱり語らないといけないだろうなとは思っています
ですね
最低性なんですね結局は
ですね
理学療法におけるコンピテンシーがあった方が
底上げされるっていうようなイメージなんですかね
失敗が起きづらくなるというか
そうですね
最低でも失敗しない
あとは何かあった時に巻き戻れるってことだと思います
確かにそうですね
一つの領域で信頼されて成功事例としてあったとしても
違うとこに行こうとしたらまたゼロからまだ分じゃなくて
元に立ち戻れば他のとこに行けるっていうこともあると思うんで
その中での根っこの部分が低い方推論になるかなという感じですかね
そこにやっぱりEPAという概念を持ち入れることでよって
EPAからアドバンスへの道筋:暗黙知と熟達
おそらくその先にアドバンスが出てくるってことなんですよ
コンピテンシーに
コンピテンシーを得ている状態にEPAが重なっていくと
そこから先の話が出てくるってことですね
なので先ほどからこう再現性とかいろいろ言うけど
これはベースであってその
名人みたいな人っていうのはその先のアドバンスがあるわけですよね
そのアドバンスっていうものは暗黙値と言われるものだと思うんですけども
この暗黙値ってなかなか言語化できない
実際にいろいろ研究していくけどそれをはっきりと明らかにできないので
なんかやっぱりあるんですよ暗黙値とか臨床値とか熟達値とかっていうのは
それっていうのは本来はそのEPAが進む
EPAをちゃんと得ることによって起きていることなんですね
だから例えば膝のスペシャリストとかっていう人は人よりも膝を見てるわけですよ
膝を見ていないけれどもコンピテンシーが高いから私は膝のスペシャリストにはならないんですよね
膝っていうのをたくさん見ていくことによってその治療的なレベルが上がっていく
そして自分の中でのデータベースが蓄積されて
これはあくまでも自分の中での再現性が上がることによって
EPAが高まってアドバンスになっていくっていうことだと思いますので
ただそれは自分の中でっていうことが限定になってきすぎるのも良くないと
再現性、つまり指導したりだとか
その集団自体がそれによって進んでいくっていうこと自体は必要かなと思います
まさに今度ポッドキャストはアドバンスとセラピストなんで
アドバンスなセラピストがより増えていくといいかなと思うので
そのEPAからアドバンス的な存在になるまでの過程とかも気になっていますね
本当なのでEPAという概念自体があまり聞き慣れないものなんだけれども
最近自分の中では割と重要なキーワードだと思っているわけですよね
結局何か一つの大きな能力を指しているのではなくて
やっぱりEPAというのは統合値であると
統合された結果、任せられますよ
専門家として自立できますよっていうこと
これはイコールではないんだけれども
ベナーとかドレファスモデルっていうのがあるんですけども
ドレファスモデルの方がいいか
ドレファスモデルの一人前と言われるっていうのが
自立してできるってことなんですよ
5段階あるんですけども
リーダーシップと管理者の資質
自立してできるっていう新人
ちょっと正確に忘れました
見習いみたいなのがある
新人初心者かな
違うな
すいません完全に忘れました
その中に一人一人前っていうのがあって
その後にベテランみたいなのがあるんですけれども
一人前というのはやっぱり自立して
とにかく自分で全部判断できるっていう
それを見ておそらく病院の中とかでも
テストをするわけではなく
例えば患者さんの割り振りとかが変わっていくっていうのは
上司がその人に対してのEPAを得ているってことですよね
エントラスタブルなものがあると
その人に任せようとするっていうことだと思うので
でもこれは病院によって
新人しかいない病院とベテランしかいない病院によって
ベテランしかいない病院っていうのは
どんだけ頑張っても
EPAが高まらないんですよね
新人しかいないところは
同期の住人の中で
この人が最初にちょっと難しい疾患を見るとかっていうような
俺ってすげえ任せられてるみたいな感じとかもあるので
本来はそういう一定のサーティフィケーションみたいな
認定書みたいなのが必要なのかなというふうには思います
改めてこのコンピテンシーからEPAになって
アドバンスっていう流れは
任される一人前的なセラピストになった後に
管理者になるとかっていうのは
さっき言ってたアドバンスとは違った構成になるんですかね
管理者イコール理学療法士ではない
究極その理学療法課の課長が
理学療法士じゃなくてもいいわけですよね
あるいはリハビリテーション課の人が
OTになったりSTになったりもするわけですし
つまりリハビリ理学療法におけるEPAというのとは
またちょっと違うのかなと思いつつ
アドバンスっていった場合は
一つは暗黙値とか熟達値といった場合は
あくまでも理学療法のっていうふうには捉えています
ただその結果この人はプレイヤーではなくて管理者にして
この人は理学療法推論が優れてるので指導者にしようとか
ということは言えるのかなと思います
そうですよね
例えば管理者っていった時に
一セラピストとして活動していて
そこから管理的な能力を身につけていくパターンと
もともと管理的な能力がある人が
理学療法についてちょっとおり学んでやると
どちらのルートも管理者にとってはあるんですか
僕自身の管理者というかリーダーですよね
リーダーの概念って年齢と経験に関係ないってことだと思ってるんですよ
どういうことかというとスポーツの場面なんかがそうなんですけども
キャプテンって一番年上がやる必要がないっていうことですね
例えばラグビーなんか今ワーナディアンズっていう
23歳の選手が日本のキャプテンをやっているんですね
彼はやっぱりチームのプレーの起点になる選手なので
起点になる選手っていうのがそのゲームの判断をしろと
だからゲーム判断っていうものができる人たちがキャプテンになればいいと
そこに年齢だとかっていうもちろん経験があったりとかすると
余計にゲーム判断はできるかもしれないけど
常にボールの密集の中心にいて
相手のことが分かっている人がキャプテンをやればいい
っていう判断が今の日本のラグビーチームにあるんですね
僕はその考え方がすごい好きで
リーダーになるべくタイプの人っているわけですよ
それは年齢に関係なく
逆に年齢が高くなったからといって
リーダーにされるのがやっぱりダメな人もいるわけですよね
だからやっぱり資質だと思いますそれは
そうですね
一対一で向き合うのが得意な人と
やっぱり全体的を俯瞰してみて
今どうするべきなのかっていうのを判断できる人は
やっぱり特性があるかなと思うので
その辺も自分の特性理解が必要な感じですね
あとはもう1個上の管理者が
どういうふうな選択をちゃんとできるかですよね
そうですね
またこのリーダーシップ的なところは
今後も触れられたらいいかなと思いますけど
アドバンスなセラピストへの展望
今回はまずセラピストとして
学んでいく過程みたいなことがまず話した
そうですね
その辺りいわゆるEPAという
おそらく多くの人にとって新しい概念というものの提供かなと思います
その先にもうちょっとアドバンスというのを
話していけたらいいかなと思います
そうですね
一旦結構いろいろ新しい言葉も出てきて
前半はこのぐらいでもいいかなとは思うんですけど
後半話していくとしたら
アドバンスですね
アドバンスの
もうちょっとアドバンスっていうのが
実際にWPTが
高度の理学療法師というのは何かというのは
定義付けてるんですよね
そういうのと我々が考えている
アドバンスなものが
どういうふうに整合性を持つ
あるいは違う部分
というものを見ていくのがいいかなと思います
初めてもしかしたらアドバンスとセラピスト
ここまで1年半しゃべってきて初めてしゃべるかも
そうですね
ついに到達したので
ぜひしっくり聞いてもらえたらと思います
後半もよろしくお願いします
ありがとうございました
ありがとうございました
37:03

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