キャリアデザインの概要
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistの前回結構キャリアに関する自分の話をさせてもらったところなので、
もうちょっと進んだ今後の話とか、社会も未成年の中で理学療法を学んだ方がどういう道を歩める可能性があるかみたいなところをちょっと広くしゃべっていけたらなと思います。
じゃあ、僕の方が今回司会的な役割をしつつ、前回田代さんの追い立ちとか、田代さんがどんなことをやってきて、そして今どんなことをしているかということを聞いていきました。
その中で、クライアントと社会の間に立つという役割を田代さんが担っていると。それを会社組織という形で実現しているというところなんですね。
これ自体はまだ分かるようで分からない人たちというのが、分からないというのはどういうことかというと、
例えばコカ・コーラを売って、コカ・コーラの代金をもらってお金を得るというのはすごくよく分かると。
理学療法士が20分患者さんを診療することによって、20分分のお金を得るというのは分かると。
田代さんは何をやって何のお金を得ているのかというと、分かりづらいところがあるんですね。
具体的な話は置いておいたとしても、物の行き来によって得られるお金というものと、サービスによって行き来するお金というものが分かりやすいことだと思うのですが、
皆さんの業態というもののお金の移動というのは何によって起きているのでしょうか。
そうですね。自分が一番今がっつり関わっている会社だと、具体例を出してもいいかなと思うんですけど、トータルブレインケアという会社があります。
これは脳の認知機能というのを簡単なゲームで測れて、評価とかトレーニングできるツールみたいなところなんですけど、
これは高齢者分野だけじゃなくて、今後企業で働く人のメンタルヘルスについても広げていけるんじゃないかみたいな構想があるような会社なんですけど、
こうやって新しい業態に広げていこうとすると、資金調達とか助成金獲得するとかしていかないといけないんですけど、
自分は現場での関わりもあったりとか、エビデンスもリサーチできたりとか、その会社と紐づいている共同研究先の大学とのやり取りとかに一緒に入っていったりしてますし、
そこで実際に何千万とか、一応資金獲得できた事例も中にはあるんで、
そういうところに予算を一部に演出してもらって、自分の人件費として当ててもらったりすると、それが収益にもなったりするっていうところで、
自分が関わることで、結局その企業側がよりプラスになっていくか、何か今までこのぐらい費用かかってたけどそれを減らせるとか、
結局相手の数字で測れる価値はそういうところなんで、もちろんその会社の中のいる人がリサーチとかしようと思うとめちゃめちゃ時間かかったりとか、
現場の繋がり作っていくのも大変みたいなところもあるかもしれないですけど、自分がいることで既に結構信頼関係があるところで検証できたりとかもするっていうのもあるんで、
プラスにもインスタグラスを減らす意味でも価値を感じてもらっているっていうので、月いくらみたいな感じでお金を払ってもらうっていうのは一つあるんで、
いろいろ価値を感じてもらえるパターンもあるかなとは思いますけど、一つ事例はそんな感じですかね。
今その流れっていうのはすごく流れとしてはよくわかったんですけども、例えばさっき言ったコーラっていうのは一般的に180円ぐらいだと、ペットボトル買いですね。
でもそのサービスって値段がわからないじゃないですか。そういうのって向こう側とやりとりするのか、私の3体がある程度、
自分がこれぐらいの時間を使うからこれぐらいで、みたいな値段設定をしてるかと言われたときに、値段設定ってどんな風な感じなんでしょうか。
そうですね。基本的にはもう相手との相談の上決めるっていう感じですし、これも最初はむしろお金発生させずに関わらせてもらって、
プレミアムとラグジュアリーの考え方
ある程度成果出たら費用発生させるみたいなパターンもありますし、プロジェクト的に一旦3ヶ月とか6ヶ月でいくらか払ってもらって、
それで価値を感じてもらえるんだったら継続しましょうみたいな感じとか、さっきの資金調達みたいなところだと、
実際に申請して獲得できたら成果報酬みたいな感じでもらうみたいなこともありますし、一応最近だと毎週1回ミーティング参加しますみたいな感じだと、
10万円ぐらいとか、月2回ぐらいだと5万円ぐらい、単発でセミナーみたいな感じだと数万円とか、そんな感じは基本パッケージというか、
最低料金みたいなことは決まりつつはあるんですけど、結構相手によってフレキシブルに対応してるみたいなのが実際のところですかね。
すごくそのあたりを今後起業しようとする人とか、今後自分が会社で働きたい人とかってなった時に、どうしても理学療法っていうのは20分いくらというものでの価格設定というのに、
ある種の呪いをかけられてるんですよね。この呪いから抜け出せないので、自分自身の給与とか売り上げとかっていうのがものすごく目に見えてわかりやすいところだけで動いてると。
だけれども、お金の設定って多分そういうところじゃない。前回の時に僕が例えば、自分が仮にゴッドハンドでそういった治療院を作って、自分はこれぐらいの単価で売りたいんだみたいな話をしたときって、
これって単価設定っていうのがものすごくわかりやすい設定で動いてる。おそらく社会っていうのはそういうふうにできていなくて、もっとお金って複雑に計算できるはずであろうと。このあたりって田代さんが仕事を起業していく中で、どういうふうな視点でこのお金というものの見え方が変わってきましたか。
そうですね。これまでの法人向けとかだと結構イメージ湧きづらいと思うんで、臨床業務というかそっちに落とし込んでもう1回考えてみようと思うんですけど、実際に今も自分も個別で依頼を受けて施術みたいなこともかなり人数限ってますけど、依頼があるんでやってたりするんで。
例えばその病院だと20分一単位っていう感じですけど、大体、個人で開業してとか自費でやるみたいなところだと、10分1000円ぐらいみたいなところが最低というか、事業を続けてこうと思うとそのぐらいかなと思ったりしますかね。
なので4,50分で5000円ぐらいもらうような形だと、ある程度納得感がある働き方になりやすいっていうところですし、そこからその例えば1時間を1万円もらうのか2万円もらうのかまたまた10万円もらうのかみたいなところとかで、結局相手にどのぐらい価値感じてくれるかとかによって値段設定って変わってくるかなと思うんですけど。
この辺だとなんか自分もやりながら調べる中、プレミアムとラグジュアリーの違いみたいな考え方があったりして、さっきの例えば20分一単位とか10分1000円ぐらいっていうのは基本自分の専門性をもとにして相手に施術をして体の症状を改善するとかっていうと、
特に場所とかにもそんなお金かかってなくて、ベッド一つでできるみたいなところだとそのぐらいの値段設定でもいいかなと思うんですけど、やっぱり自分で店舗も構えてベッドもちゃんと用意して、またまた物理療法とかも用意してとかっていうとやっぱりコストもかかってくるんで、
そのかかったコストに見合う費用をいただこうとすると多分1万円とかなってくる。それがサービスの質が上がれば上がるほど必要になるプレミアム的なものっていう感じで。
ラグジュアリーとかっていうと、本当に高級ホテルとかホテルのエステとかそういうのって多分なんだろう、どのぐらいものがブランド品みたいな感じですかね。そういうのってなんかもうちょっと意味が入ってくるというか、違う要素が絡んできて、車で言っても
なんかトヨタ車とかとまたベンツの違いとかまたランボルギーニとか、なんかそういうめちゃめちゃ高級車みたいなのって必要ないんだけどめっちゃ意味があるみたいなものってお金が高く設定されたりするんで、やっぱり同じようなカテゴリーのものでも見せ方とか意味の付け方によって値段は結構違うよねみたいなことは独立してから色々勉強もしてきましたし、周り見ても
感じるところなんで。さっき堀先生の言われたような、こう、施術コートハンドみたいな人で価格設定するみたいな時にもどういう見せ方をするとか、ブランディングするかによって値段設定とかも変えていけるかなみたいなのはありましたね。
確かに今おっしゃられたプレミアムとラグジュアリーってすごい面白い発想だなと思って、実際にラグジュアリーを作るっていうのは相当簡単なものではないっていうのが思いつつ、提供していくものっていうのがお金というものの数字をどのように翻訳していくかっていうことだと思うんですね。
その翻訳するもののところに一つはモノというものがあると。要は先ほどから言うコーラだとか、あるいは車だとかというモノというもの、そしてあとは時間、この時間をいくらに買いましょう、あとは成果、これを例えば1万円でこの成果を出しますみたいなやつがあると思うんですけれども、
モノ売り、時間売り、成果売り、それ以外って何か売る、翻訳できるものって何かありましたかね。
基本はその3つのような気がしますね。理学療法的なところで言えば、たぶんモノではないんで、時間とか成果みたいなところが価値になってくるかなと思いますし。
例えばなんか、施術もしつつ何かセルフケアのグッズを売るみたいな感じだと、そのモノ要素も入ってくるかなとは思うんですけど、基本的にその理学療法的な臨床業務で言うとその後半2つが入ってきて、それ以外のところも関わってくれば入ってくるかなみたいな感じですかね。
今その話を聞いてて勝手に僕が思ったのが、モノ時間成果とあとは経験を売るって感じなんですかね。
たぶん意味のつけ方が経験要素によって付与されていくっていうか、さっきのラグジュアルみたいなところにしようと思うと、意味を高めるときに過去どのぐらいすごい経験がある人で、どのぐらい研鑽積んできてみたいなところが価値を感じられやすいかなと思うんで。
たぶん成果とか時間、提供した時間だけだとそこにはあまり経験とかあまり考えられないとか関係ないかもしれないんですけど、違う立ち付けのところに過去の経験みたいなところが入ってきそうな気がします。
ものすごく乱暴に分けると、モノ時間成果っていうものでプレミアム感を経験と価値っていうのにラグジュアリー感を生むような感じですかね。
そんな感じはあると思います。たぶんラグジュアリーはもうちょっと深掘っていくといろいろ要素があるかもしれないですけど。
だとすると、例えば自分自身が起業する、あるいはお金を得ようとした時っていうのは、この2点とかっていうのを結構見ておかないといけなくて。
例えば僕が仮に治療しますと、そうすると成果として痛みが取れます。その成果に対して30分なり1時間なりのお金をもらいます。
そういうのはその人にとっては1つのプレミア感だと。だけどもそこに入るお店が、例えばものすごく美術館みたいな、あるいは高級ホテルのようなラグジュアリー感があって、
成果だけではなくて、すごい心地よい経験だとか、ここに来るっていうこと自体の自分ですごいっていうような価値を出すとかっていうと、その値段がバンバンバンと上がってくるってことですね。
そんな感じだと思いますね。で、多分そのプレミアムみたいなところでいくと、多分これ以上値段上げづらいっていう基準があるかなと思ってて、
どんどん資格を増やしていく人とかもいると思うんですけど、例えば理学療法士の資格を持ちつつ、何かいろんな協会の認定資格とかもどんどんあってとか、
ただ理学療法士の資格を持ってるだけじゃなくて、こういう経験とかこういう資格を持ってたらちょっとプレミアム感出るみたいなところはあるかもしれないですけど、
キャリアのバランス
多分それが過剰すぎるとあんまり意味を持たないところもあったりすると思うんで、そのちょうど適切なバランス、
なんか多分電化製品とかでも、なんか機能ありすぎてそこまでは要らないよみたいなところもあるかもしれないんで、
提供する相手に合わせてその適切な範囲まで持っておけば、なんで90点を目指すのか80点を目指すのかみたいな感じで結構値段設定とかは変わってくるかなとは思います。
なんかすごく自分自身が仕事をする、このアドバンストセラピスト全体の中の一つのテーマのところでもあると思うんですけど、
理学療法士とかセラピストが何かしら次のステップを踏むって言った時に、今回割と企業的なことに話を振っていたんですけども、
今の話を聞く限りでは、例えば自分が新たな資格を取るとか、自分が新たな学びをやるというのは、自分自身のプレミアム感を増しているということになると思うんですよね。
プレミアム感を増していくことによって、限定品になると。
要は、車でも普通に簡単に買えるという車から、限定品というのは数が制限されていたりだとか、買える人が制限されているように、限定品が欲しい。
つまりそこにプレミアム感というのがある。
だから資格を取っていったりだとか、学問を追加でやっていくっていうのは、時間成果というものに対しての認証を得るというか、
そこに正確性を得るということが一つあるから、プレミアム感があるので、学習の意味があるんですよ。
さらに、学習がラグジュアリーにやろうと思ったらどうなりますかね。
たぶん、掛け合わせかなとは思うんで、理学療法以外のところのすごい違う柱みたいなのがあると、かなり特徴的な人にはなれるかなとは思いますかね。
理学療法の中の分野のいろんな分野を知っているというだけじゃなくて、自分の場合だったらスポーツの中でもニッチなボート競技にかなり関わっていて、その中でも日本代表に関わっているみたいなところが、
専門性もありつつそれもあると思う。その業界では結構唯一無二の人になったりするかなと思うんで、もちろん理学療法のベースの専門性は高める必要はあるかなとは思うんですけど、
それちょっとそことは外れた、自分の強みみたいなのが持てると、よりラグジュアリー感も出せるかもしれないかなと思います。
確かに今のはそうですね。ATを持っています。理学療法士だけじゃなくて、ATを持っていますっていうのがプレミアムになると。
さらにそれをラグジュアリーにしようとした時に、自分は例えば日本代表のトレーナーでしたとか、わかりやすく言うと大谷の専属をやってますっていうのは、これはラグジュアリーになるということですね。
そうですね。本当に唯一無二なのかっていう感じで、例えば理学療法士とATっていうのも一つのプレミアム感ではあると思うんですけど、世の中見ていけばそれなりにいると思うんで、
それとまた違った、例えば大谷選手関わってますって言ったらもうその人しかいないわけなんで、それによってまた違うところから引き合いが増えたりとかするっていうのもあると思いますし、
どんどん自分の希少価値を高めていくみたいな考え方。
自分をどんどんブランディングしていきたい人はそうやっていろいろやる必要もありますし、ただある程度自分の独自性もできた段階で組織作りっていうか、
同じようなことができる人を増やしていく、人数の規模を増やしていくみたいなことも価値になる可能性はあるんで、自分自身をどんどん希少価値を高めていきたいのか、
もうちょっと組織を作っていきたいのかによっても途中で動き方が変わってくるかなと思います。
専門性と独自性の追求
今すごい話を聞いてて、僕の中でしっくりくるものと自分の考え方を少しモデレートしていかなきゃいけないなと思ったのが、
どうしても職人的と言いますか、理学療法士ってクオリティの変化、つまり質をどうにか上げていくことによって提供できるものっていうのが変えていけるっていう風に思ってきたんですね。
そのクオリティっていうもの自体が実はうまく言語化できてないところがあって、より良い治療というものをクオリティだと。
だけどより良い治療っていうのは、それはより正確に、より的確にっていう自分自身だけの問題だと思ってたんですけれども、
例えばラグジュアリーっていう発想が入ってくると、それを感じるのは相手側なんですよね。
なので、もの時間成果という質だけではなくて、相手側に提供するラグジュアリー感っていうものをうまくやっていくことが、
それが一つの大きなブランディング、自己のブランディングであり組織のブランディングっていうことになっていくので、
このクオリティを上げるという作業を、そのプレミアムとラグジュアリーということを考えていくことで、
例えば、学会とかって何の意味があるんですかとか、論文書くのって何の意味があるんですかというのは、
それは自分のラグジュアリーさを上げるためだよっていう風に言ってできるなって今ちょっと思ったんですよ。
単に勉強しているというプレミアム感を説明するために、必ずラグジュアリーというものによって自己努力と他社評価っていうのがあると。
他社評価っていうのはおそらくラグジュアリーのところに影響していくものなので、その他社評価を上げないとブランディングができない。
そのブランディングができたところに初めて売り物としての値段が上がってくると。
だから、他社と差別化しようと思ったら、ここが重要なんだよっていう話なんだなと今思ったんですね。
確かに。たぶん何か堀先生の好きな時計とかの話とかでもつながるかもしれないけど、
他の人が語りたくなるストーリーとか物語があるものとかサービスが作れたらたぶんすごい。
それがたぶん紹介もされやすいとか口コミもされやすいものになるような気がしますし。
なので、自分の中で興味があるものを追求するだけじゃなくて、こういう追求の仕方をしていくと、
相手から見てもこの人はこういう流れでこういうのを学んでいって、こういうすごい人なんですよって言われやすくなるだろうみたいな。
戦略的にそういうのも考え方としてはあるかなとはちょっと思いました。
今、僕の中でのラグジュアリーの一つの季節は、他社が他社に語りたくなる物語です。
本当にそうだと思います。
だから要は僕が田代さんに対して何かを自分のことを語っていくではなくて、
僕が例えばある時計のことを田代さんに語っているということ自体は、そのもの、時計としては最高のブランディングをやったわけですよね。
そう思いますね。
それがネガティブな要素にならずに、ある種自分が高屈感を持って、信頼を持って語れるということですよね。
例えば僕がランゲ・アンドゾーネに対して熱く語るというのは、ランゲ・アンドゾーネの職員が語るのではなくて、
僕が他の人に語っているということは、もうブランディングとして最高地点にいっているということですよね。
最高だし、たぶん作り手がこれはこうで、こうで、こうでって言っているだけだと、
なんかうさんくさいなみたいなことになる可能性もあるので、
やっぱり本当に作り手とかサービスの提供者じゃない人が熱狂的にファンというか、
語ってくれる状況ができるまでがたぶんすごい時間かかると思うんですけど、
それは目指していけると、独立企業とかだけじゃなくて、理学療法士としていろいろ仕事をする中で、
いろんな人を巻き込んでいきやすいとか、自分がより活動しやすくとかなる可能性はありますよね。
なので、それの表面的に出ている形っていうのがレビューですよね。
Amazonのレビューとか、Googleのレビューとかっていうのはそうだと思うんですけど、
他社が他社に対して宣伝をしている。
ただそこに本当に誰かが読んだときに楽じわり感があるかどうかっていうのはちょっと別かもしれませんけども、
そういうふうにして今の社会って出来上がってますよね。
希少価値の重要性
何レビューさせるかっていう。
ありますね。レビューの仕方とか、星何個なのか、言葉なのかとかあると思いますし、
やっぱり人間は社会的な生き物なのもあると思うんで、
自分が全部情報精査してやるのは難しいと思うんで、
信頼できる人のレビューだったりとかっていうのはかなりそれによって動く部分あると思いますよね。
確かに、いかに他社の評価を信頼させるか、信用するかっていうのは、
自分のところでは何を信頼の証にするかといったときに、
今ちょうど僕がロボット掃除機についていろいろなレビューを見ているんですね。
そうすると各会社というものがいろいろなポイントを持っていると。
その中に同じ並列にやると値段が変わってくる。
だとしたときに、レビューでどういったトラブルが起きているかとか、
どういう満足度を持っているかというのを追っていくんですよね。
だから数的なものから、次は経験的なものを追っていって、
最終的に落とし込んでいくことをやっていくんですよ。
おそらく多くの人がそういうやり方で物事を考えていったりするし、
短絡的に言うと、信頼できる人がこれっていいよって言ったらそれを買うっていう。
例えばテレビなんかがそうですよね。
ある芸能人がこれを紹介したからいいっていうようなものもあるし、
そうじゃなくて深々と考えていく場合は、数的なレベル。
つまりプレミアムの部分を探すと、このロボット掃除機っていうのは
拭き掃除も自動にやってきて、モップもきれいに洗ってくれますよ。
さらにこのモップもお湯で洗ってくれて、温風で洗浄してくれるってなってきたときに、
後でそのモップの部分っていうものをきれいに自分で洗わなくてもいいんだ
っていうところが一つの価値になるんですね。
だけども、実際に本当に床をどれくらいきれいにしてくれるかっていうのは、
数字ではなくてレビューのが信用できるんですよ。
うちは猫を飼っている。うちは犬を飼っている。
それが猫の毛も取ってくれた上に床自体のぬめりがなくなったとか。
これって会社側が言ってるのはなぜか信用しなくて、人が言ってるものを信用するんですよ。
だからそういうところでそのものを買うっていう行動に、
言ってしまったら今日の一番最初の話で、お金からものに変化させるときっていうのは、
そういうような感じでやっていくと思うんですけど、
田代さんってそういうものの売り残し方をしてるような感じがするなと勝手に思ったんですけど。
自分は自分の希少価値を高めていけたらとか、
自分にしかできないことをしたいみたいな欲も結構あったはあったんで、
前回からの話で、理学療法士を取るだけだと、
ごまんといる理学療法士の中の一人みたいな感じになるのもなりやすいかなと思ったんで、
スポーツの中でも冒頭競技のところは追求していこうとか、
やっぱり研究もして大学院で博士を取るみたいな人も中には少ないですし、
そこも希少価値を高める一つにはなりますし、
そこからまた自分で独立して会社も作ってやっていくみたいな人も少ないのもあると思うんで、
それも戦略的なのか本当に自分がやりたいのかって結構混ざってる部分もあると思うんですけど、
自分が面白いと思うことはどんどんやり続けたいと思ってるんで、
徐々にラグジュアリー感のある人になるとか、
希少価値の高い人になっていくと生きやすくもなるかなと思うんで、
自分の活動もそう繋がってるところがあるかなと思います。
理学療法士としての希少価値
すごく今後自分の生き方に迷ったりだとか、自分の仕事に迷ったとき、
これは理学療法士として迷うっていうところも一部あるかもしれませんけど、
やっぱり広く仕事っていうところに迷ったときに、
田代さんに相談したらすごくいいところに導いてくれそうだなというところを今思いながら聞きながらのところで、
その希少価値を出していこうと思ったときに、
希少価値なので本来は近道はないと思うんですけども、
例えば僕が理学療法士として今生き方に困ってます。
いろいろな転職とかっていうのも踏まえてもそうだし、
自分は努力はできるんだけれども、
どういった努力をすると希少価値っていうのが、これは理学療法士としてもそうですし、
仕事をしていく上でもそうなんですけど、
田代さんにアドバイスをもらおうと思ったら、
どんな希少価値っていう言葉に対してどういったアドバイスができそうですか。
そうですね。
なので一つの分野で深掘るタイプか広げるタイプかは結構あるかなと思うで、
まず理学療法士としての希少価値とするんだったら、
やっぱりある程度理学療法士としてはやるとこまでやるというか、
臨床的な経験を積んでいくのか、学問として追求していくのか、
私は理学療法士ですって言える自信と外から認められる実績みたいなのがあった方がいいかなと思うんですけど、
それと何で何と組み合わせていくかっていうところかなと思うんで、
それはこの土地で唯一の人とかでもいいですし、この領域だったらこの人とか、
この領域の理学療法士なら私みたいなふうに言われるためにはどうしたらいいのかなっていうところで、
掛け合わせるところは何だろうな。
逆に理学療法士を目指す前、子供の頃にめちゃめちゃ好きだったものとか、
ハマってたこととか、それと組み合わせるみたいなのができると、
まずはその希少価値つけるのを見つけやすいかなと思います。
不安感と社会実装
じゃあちょっとあえて田代さんを困らせていこうと思うんですけど、
僕自身というある程度理学療法士として生きてきたんですけど、
自分は深掘っているのか広げているのかわからないんですよ。
これで自分、要は先ほどの田代さんの話を聞くと、
自分が自分であるって言えるのがすごく重要だと思うんですね。
僕それがあんまないんですよね。
ある種の常に理学療法士としてもそうですし、
人間としてもそうなんですけど、常に実存の揺らぎがあるんですよ。
これは自分が深く掘っているのか広げているのかが自分自身でわかってなくて、
僕はどうしたら良さそうですか。
どうなんですかね。
多分理学療法士って言っても、またレジェンドみたいな人がいたりすると、
自分なんてって思ってしまいがちなところもあると思いますし、
哲学も琥珀市まで行ったとしても、哲学者っていうにはまだまだだなみたいなのもあるかもしれないんで、
あえて理学療法とか哲学以外の部分でめちゃめちゃ好きなところとか、
これは他の人知らないでしょとか、自分にしかできないでしょみたいなところが、
なんかもう1個軸あると、自分とはやっぱりこれだよねみたいなのが見つかったりするのかなと。
僕自身の感覚で、多くのことは多くの人が先にやってるだろうという感覚があるんですね。
例えば今自分自身がメンタルヘルスだとか、情報系だとか、理学療法推論だとかって言ってるんですけど、
他の人は明らかにやってないんですが、ニーズがあるかもわからなくなってくるんですよね。
要は多くの人っていうのは誰かと一緒に手をつないで歩く方が楽なので、そっちの方に行くんですけど、
孤独に1人で戦い込んでいくことに対する不安感だとか、その不安感っていうのは行き着くかなという不安感ではなくて、
本当にこれは価値あるものなのかがわからなくなってくるんですよ。
価値があるっていうふうに信じようと思うにはどうしたらいいんでしょうね。
どうなんですかね。自信持ったら。
それが内的な自信とか内的に感じる価値なのか、外からの評価なのか。
でもどっちも答えないですよね。
多分外からどこまで答えてもらえたらそこ価値を作れたかなと思うのは。
だからそこは自分の中で決めてちょっとずつ進んでる感を日々味わえてたらいいのかなと思っちゃいますけどね。
ちょっとずつ進んでるのかな。
進んでるんじゃないですか。
進んでるといえば進んでいるんだけれども、
やっぱりこれは本当に形ができて使ってもらうある種の社会実装までいって、
その社会実装の後に評価を受けるっていうところまでのものが自分の中でうまくいけてない感じが。
これ例えば他の理学療法研究だとか理学療法をやってる人が社会実装まで持っているかっていうと
割とそれでもないんじゃないと思ってるんですよね。
結局自分自身一人で作っていくんではなくて、
気づいたら何かどこかで使われているものっていうのが、
そういうものが多いと思うんですけど、
俺がやるっていうところが欲しいっていうよりも、
本当に社会自体がより良くなってもらわないと困るみたいな焦りがあるんですよ。
究極は世界平和なんですよね。
その究極の世界平和のところに急いでいかないと、
世界平和っていうとちょっと広くなってくるので、
もうちょっと分かりやすく言うと、
例えば苦しんでいる人を減らしたい。
それはメンタルヘルス的にもそうですし、
痛みの問題もそうですし、
例えば理学療法師が自分の臨床に困っていることを減らしたいとか
のが常にあるんですね。
それはもちろん自分自身が人助けをしたいとかっていうよりも、
目の前に困っている人がいるのに、
助けられていない自分に焦りを感じるんですよ。
なるほどですね。
あんたもっと助けんとって思っちゃうってことですね。
でも自分も根本的な最終目標で言うと、
やっぱり平和とかそういうところかなと思いますし、
なんでやっぱり自分が生きている間にもちろん、
いろんな課題が解決できたらいいですけど、
多分死んだ後も続くだろうなみたいなことも思うんで、
自分の会社を作った組織は、
社会の変化はいろいろある中でも、
より良い価値を提供し続けていく存在であり続けてほしいなとは思ってるんで、
ちょっとずつですけど、
託せそうな人っていうか、
自分が死んだ後でも託せそうな人なのか仕組みなのか、
みたいなのがちょっとずつでも出来上がっている感を感じれると、
ちょっと不安は減るのかなみたいな気がしますし、
自分が死んだ後も自分の意思を継いでくれるシステムなのか、
ものなのかができているなみたいな感じが感じられるといいと思います。
確かにそうですね。
社会における評価システム、
それは個人におけるものなのか、
成果におけるものなのかを一旦置いておいたとしても、
何かの評価の軸に乗らないとおそらくダメであろうと。
僕そのものの個人を評価してもらいたいというのはあんまりないんですけれども、
できたものに対しての一定の評価を受けて、
使えるものだったら使っていってもらいたいというのがやっぱりどうしてもあるんですが、
なかなかそこまで行こうとすると、
深掘りをすると理解がされないし、
ニーズとシーズの軸
広げると軽くなってしまうんですよね。
そのあたりの調和というのがどうしても難しいなと。
だからもしかしたら深掘りを広げるともう一個なんかあるんですかね。
どうなんですかね。それもちょっとまた考えて。
その希少性みたいなところかもしれないですね。
深掘りを広げるって二軸なんですよ。XとYだと思うんですよね。
そこに三軸目のZがもしかしたらあるのかもって。
今はおぼろげにしかないので、
話の中で勝手にそう思ったということであって、
僕が何か思ってるわけじゃないんですけど、
なんか三軸深掘り広げる。
でもやっぱり時間の積み重ねとかじゃないですかね。
自分個人で言えば、
やっぱり長く続いているものっていうのは無意識でも、
やっぱり自分の個人の価値観を感じるところが強みになるかなと思いますし、
社会の中でも歴史的な中で、
いろんな変遷があるけどつながっているものは、
多分価値が出やすいかなと思うんで。
例えば日本の中で何か新しい価値を生み出そうと思うと、
うまく日本の中の歴史とか長く続いているものに
うまく乗っかりつつちょっとアップデートするようなことができたら、
今後もまだ長く続くものになり得るだろうみたいなのが感じやすいですかね。
深く広く長くっていうところの時間軸なんだけれども、
もうちょっと歴史軸みたいな感じなんですかね。
それは社会が必要とする軸って感じなんですかね。
破壊タイミングがありますよね。
例えば僕が今めちゃくちゃ宗教的なものを深掘って、
強く良い神様を見つけても社会はそんなに受け入れないと思うんですよね。
そうではなく、社会に向けるタイミング軸みたいなんですかね。
タイミングはありそうですね。
これを長く社会実装していきたいなと思っているものが自分の中にはあるけど、
確かに今のタイミングではなかなか目が出ないなみたいなものがあったとしても、
過去の歴史的な中で新しいテクノロジーとかっていうのが出てきても、
普及するのはやっぱりちょっと時間が遅れて普及するみたいなところもあると思いますし、
今作っているものを社会実装していこうと思ってもやっぱり時間差のギャップがあるから、
例えば10年後なのか30年後なのか50年後100年後のタイミングだったら
受け入れられそうみたいな、いいタイミングで導入すれば良さそうみたいな時にも
続けられていく仕組みというか、
そういうのを社会実装したいと思う人が全面と繋がっていくことで、
今は難しいかもしれないけど、いつかされるだろうみたいな確信を感じれたら
満足しそうかなみたいな気はしますかね。
今すごく3軸にならないかもしれないけど、
深く広くって一つはシーズだとか興味の軸、
社会シーズと自己シーズです。
自分ができることとその興味っていうシーズがあるところに、
時間とか文化だとかっていうニーズ軸みたいなのがあって、
そのニーズっていうのが今現在のニーズと、
例えば10年後のニーズと100年後のニーズっていうのが恐らくあって、
例えば環境問題とかっていうのは今であり未来である。
だけども歴史認識とかっていうのは今であり過去であるわけですよね。
そういうふうにニーズ軸とシーズ軸っていうのがあって、
そこをもう少し自分で見つめないとダメだなと今ちょっと思いました。
そうですね。またその価値が生み出されるのが他者が語る時みたいな話だと、
何があっても自分は語り続けて、
それを語り続けたいと思う人を少しでも多く醸成しておいて、
そういう人たちが語り続けてくれることで、
どっかのタイミングでワッとムーブメント的に起こるかもしれないんで、
個人の価値を考える
本当に種を巻き続けるみたいな感じなんですかね。
かつ僕自身のわがままさっていうのがあって、
他者が他者に語りたくなる物語っていうふうにラグジュラリーを言いましたけど、
その他者を限定しようとしてます。
あなたは語らなくていい、あなたは語ってほしいみたいな、
そこが自分自身のわがままさであんまり良くないことだと分かっているんですけど、
そこがなかなか乗り越えれないんですよ。
それはどっかのタイミングで一定の語りが出てくると、
多分押さえつけれないところもありますし、
多分思ってもない形で語られることもあるかもしれないですけど、
それをちゃんと精査できる人もいれば、
そこでは言ってるけど本当はこうなんだよねっていうのが分かる人には分かってて、
ただす人もいれば、まあまあそこは強要しつつやるみたいな。
動画発信して切り抜きされたいかどうかみたいな違いが。
そこでそういうことですね。
動画の切り抜きは僕は見ますけど、
僕がそれをやられるとちょっと嫌だなって。
決まった人に切り抜かせるっていうルールにするか、
もうどうせ伝わる人には伝わるし伝わらない人には伝わらないから、
もう好き勝手切り抜きしてよって思うかのスタンスの違いって感じですかね。
なんかそこは今よく自分の中でもそうか、
動画の切り抜きってそういう意味なんだというふうにちょっと思って、
だけどもまずはプラグマティックに考えると
広がらないとダメだっていうことはあると思うんですよね。
広がった上で広がった後を調整していくしかないのかなという。
プラグマティズムっていう考え方は基本的に僕は理解して、
受け入れているんですけど、
他の人がそういうふうにプラグマティックに
間違った形でやってるのはすごく苦手なんですよ。
やっぱりそれもよしよしで間違ったプラグマティズムみたいな感じになる可能性もありますね。
そうなんですよね。とはいえやっぱり
社会のニーズを受けて自分のシーズを合わせていこうと思った時に、
社会をあんまり意識しすぎてはダメだなと今話してて思いました。
社会は意識はしなきゃいけないんだけど、
社会の個人を意識しないってことです。
社会は意識するが個人は意識しないっていう考えが結構僕の中に必要な。
そうすると自分自身の希少価値ということと、
自分自身を認めていくということがもう少しすんなりいくかなとちょっと思っちゃいました。
この話の中でちょっと見えたならそれは良かったですね。
本当に僕自身がコンサルをしてもらったみたいな感じなんですけど、
働くことの意義
企業をするとか仕事をするっていうのは、
もちろんお金を得るっていうことは明らかに重要であるんだけれども、
お金っていう軸っていうのは一軸になりすぎちゃってるので、
その一軸の評価っていうのはどうしても自分を不安にさせるんですよね。
だから10万円もらうよりも100万円もらった方がいい。
だけどその10万円と100万円というものの他の軸を与えた時に、
物と時間と成果とかっていうのがどういうことなのか。
例えば10万円のどういう仕事がいいかな。
例えば理学療法として患者さんに提供する10万円の仕事ということと、
100万円の例えばマグロ船に乗るとかですね。
ってなった時にお金軸で考えると10倍。
だけども時間とか成果軸で考えるとすごく違うわけですよね。
だから多くの人はそれはいいですっていうわけです。
同じドイツ業務で高い給与をもらうということに対する難しさというものを
もう少し我々は理解しなきゃいけないし。
だとした時にそのラグジュアリーなものを自分が提供できて
選ばれる側に向かっていかなきゃいけないし。
だから同じ理学療法として戦おうと思った時には、
やっぱり努力値っていうのがすごくいるんだということ。
場合によってはそういうことをなくなぜか売れてる人たちでもいるんですよね。
そっちだけを見るなってことですよね。
そうですね。
なんでやっぱり自分は理学療法とか理学療法学みたいな
すごい面白い社会的な価値もあるものだなと思ってるんで。
自分自身も理学療法士っていう名前もある程度持ちながら
自分の希少性を高めていくみたいなことは今後もするかもしれないですけど、
やっぱり社会の中での理学療法っていうもののブランディングというか
そこは価値あるものですっていうのは感じてもらった方が
理学療法界全体にとってもいいかなと思いますし、
個人単位であればそういう基礎価値もつけていく。
業界としても社会の中でいいものだみたいなことは
みんなで作っていけてもいいかなと思うんで、
その辺もちょっと考えていってもいいかなと思いました。
今回全体に田代さんの今の仕事に至るまでの経緯、
そしてなんでこの仕事をしているのか、そしてどのような仕事をしているのか、
さらにその仕事を通してどういった価値を提供しているのかっていうのが
全体的に個人的には見えたと思っているんですけども、
田代さんの方から伝え足りないこととかありますか。
どうですかね。一応あんまり理学療法士としての
一般的な働き方はしてこなかったので、
逆にそういう方に興味ある人は相談に乗りやすいかなとは思いますし、
でも難しさもある程度分かっている分、現実的な話もしますけど、
本当に単にお金を稼ぐっていうだけじゃなくて、
社会にいい価値を作っていくとか、社会課題を解決しつつ、
現実的にちゃんと独立して生きていくためにはみたいなことも
結構個人的には考えたりしているので、
そういう物語的に語れる意味も持ちつつ、
ちょっと新しいことをしていきたいみたいな人は、
ぜひ相談してもらえたら話せるところもあるかなと思いますし、
個人的にもその辺はまた喋っていこうかなと思いますという感じですかね。
確かに今、今回何が分かったかというと、
田代さんの希少性は分かったんですね。
例えば理学療法士という一つの枠組みで捉えると、
例えば臨床経験だとか、管理者経験とかというふうに捉えるかもしれませんけど、
その軸ということだけではなく、まさに広く、
かつ今のニーズ軸というようになった時に、
理学療法士として困っている人たちが、
これはいつの時代もいたとは思うんですけど、
表出しやすくなったんですよね。
その表出しやすくなった人たちが困っているという先を、
例えば単に転職のエージェントとかというわけではなく、
ある種自分の中にシーズを持っている人は、
そのシーズを田代さんとか、あるいはそういった人たちと話すことで、
自分がやりたいことが見えてきて、
自分自身の希少価値というのを、
希少価値を持つ田代さんと話し合うことで出てきそうですね。
できる限り頑張りたいなと思います。
多分僕に同じような相談をされたら、
もうちょっと固定概念的に僕は埋め込むと思うんですよね。
一つは努力しろっていう、ある種の昭和的な発想をまだ持っているので、
そうではなく、その人の可能性という部分を、
シーズだとかニーズという宝で見極めてもらえることがあるなと。
かといって、無料相談が増えてもよろしくないと思いますので、
そのあたりはまたちょっと業務を作っていきましょう。
ちょっと考えます。その反響次第で。
ちょっと社会保障の財源とかも、なかなか今後増えづらい。
国的には増えづらいかもしれないし、制度の中で働くだけだと、
ちょっと収入とかも頭打ちしやすい環境にはあるかなと思うので、
なかなか制度全体を変えるみたいなのは難しいかもしれないですけど、
一人一人個人が価値をつけていくというか、
自分が社会でも求められるように振る舞っていけるみたいなことは、
個人にとってもいいし、全体にとっても良くなるんじゃないかなとは思っているので、
できるだけ自分もサポートできることはサポートして、
自分もできることをやっていきたいなと思っています。
個人的にはすごく話がよく田代さんのことが分かったになりますし、
セミナーの目的
今度のセミナーの中で話す時間というのが30分程度ですよね。
30分から20分の間ぐらいですかね。
その中で足りないものを持ってさらに。
つまりやっぱり悩んでいる人たちというものが来る場所の一つになり得る。
そういった窓口というのがどこかでできていけるといいですよね。
ただ一つ考えておかなきゃいけないのは、
何も分かっていない人が簡単に相談してはいけないと思うので。
そういう場所ではないですよという、
そういう懺悔部屋ではないので、
やっぱりやりたいことに困っているということ、
そして自分自身のある種の邦画的な可能性を見ている人たちというのは、
ぜひ田代さんがいいでしょうし、
たとえば心が病んでとか、キャリアそのもののスタートのところで悩んでいるとか
僕に来てもらった方がいいです。
そうですね。
今回は兵庫県の医学療法室の学術集会というので、
コングレスセミナーというのにちょっとお話しさせてもらうので、
兵庫県の医学療法室の方は、
それでちょっと伺われる機会も安いかなとは思うんですけど、
もちろん日本全国いろんなところで活動されている方がいると思いますし、
一応自分もXとか他の媒体でもいろいろ発信しているので、
興味ある方はそういうところを見ていただいたりとか、
コンタクト取ってもらえれば可能な限り連絡取ったりとか、
何か本当に興味ある人多そうだなってなれば、
どこかで別でセミナー的なものを開催するのか、
相談会的なものができてもいいかなと思っているので、
今後も考えてやっていこうかなと思います。
本当に多くの人に必要な会社というか人ということが、
今回の話を通してわかったと思いますので、
引き続きこういう話も続けていけたらいいですね。
そうですね。これまで結構理学療法士の教育とか、
専門性みたいなところの話も多かったので、
ちょっとこういうキャリアの悩みみたいなのは、
結構今後も感じる人が多いかなと思うので、
適宜できたらいいかなと思います。
本当に具体的なキャリアとして、
例えば今回最初の話の中で学歴とキャリア、
そして例えば行政だとか、
企業だとかっていうところの話に
持っていかなきゃいけなかったんですが、
持っていかなかったので、
それをまた具体的に話す機会というのをぜひ。
そうですね。その辺もありますし、
自分の周りでも企業で就職しているとか、
個人で独立しているとか、
会社作っているみたいな人もいるので、
そういう人の話を聞く機会とかも、
またあってもいいかもしれないので、
いろいろ今後も喋っていけたらと思います。
それでは、ある種番外編という形でいきましたけど、
これで終了いたしましょう。
こんな感じで。ありがとうございます。
ありがとうございます。