2025-08-27 1:03:03

#12-1 言葉や文字の歴史・日本人の特性などについて

堀 寛史

https://x.com/hiromumi

田代雄斗

https://x.com/yuto_therapist

サマリー

このエピソードでは、言葉や文字の歴史、日本人の特性について語られています。特に文字の発生と文明の結びつき、初期の記録の重要性が深掘りされ、コミュニケーション手段としての口頭言語と文字言語の違いに焦点が当てられています。言葉や文字の歴史を通じて、日本人の特性とコミュニケーションの重要性が探求されています。漢字や金文の発展、日本における文字の変遷が強調され、平安時代における文化の発展が論じられています。このエピソードでは、平安時代における漢字の受容とその多様性について考察され、日本人の文化の特性と識字率の向上が言葉の変化に与えた影響が語られます。特に、鎖国と明治時代の影響を通じて、日本語がどのように発展してきたかに焦点が当てられます。また、日本語の由来と文化の国際的な影響について取り上げられ、パリ万博における日本文化の紹介や、鳥山明の漫画が世界に与えた影響が語られます。日本語の特異なハイコンテキスト性や言語的特性について深く掘り下げ、特に医療やビジネスにおける課題を考察しています。さらに、日本文化のグローバリゼーションに伴う変化や、それが日本語の未来に与える影響についても言及されています。

文学と言葉への関心
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapist〜エピソード12本目ということで、今回はですね、ちょっと最近自分が文学とか言葉とかその辺にちょっと興味を持ち始めてというかちょっと高まっていて、堀先生も元々その辺り結構興味強いところだったかなと思うので、その辺りの話をしていこうかなと思います。
よろしくお願いいたします。
経緯というかですかね、もともと自分はどっちかっていうと、文系理系で分けるのもあんまり微妙かなと思いつつ、理系タイプで結構問いに対する答えがはっきり分かりやすいとか、数学とか物理とかの方が方向自体も得意かなと思ったりしますし、どっちかというとセンター試験も現代文とかが結構苦手な方で、なんかちょっと勝手に苦手意識を感じてたみたいなところが背景としてあるんですけど、
最近逆にですね、なんか今になって歴史とかそういう文学とか言葉みたいなところもちょっと興味が出てきていて、どっから学んでいくといいかなと思ったりしてますし、この辺はセラピストとして活動する上でも言葉について考えていくっていうのはいいんじゃないかなと思ってるんで、話していこうかなという感じですね。
はい、まあ確かにどっからスタートするかっていうのはもう少し点灯が必要かもしれませんけれども、じゃあ僕自身その文系というカテゴリーにもしかしたら入る。
で、その文系のカテゴリーに入るっていうのは、数学ができなかったから無理やり文系入れてるっていうのは正確なところで、ものすごく国語が得意だったとかっていうわけでもなく、
唯一、学問的に得意だったのは歴史とか、知識よりもやっぱり歴史ですね。歴史が非常に好きだったという人々の連続性が好きだ。
その中でどうしても文学的なものを読み解いていくというところで、その本を読むようになった。それを文系と言えば文系と呼ぶであろう。
ただ、先ほど言いましたように、数学ができない人間を文系と呼んでる傾向には結構あるんですよね。
高校とかで文系、理系別れるとこってなんとなくそういうイメージありますよね。
文字と文明の関係
そうですよね。特に今、共通テストなんかっていうのは、理系の方が科目数がどうしても増えてくるので、文系の方が勉強してないみたいな言説がたくさん出てきたりするんですよね。
今のところがつなげていくところにはよくて、言説っていう言葉は普段使いますか?
そんなに使わないですね。
つまり言説っていうのは必ずしもエビデンスがあるわけではないけど、我々の中では言い伝えられているような場なんですね。
そういった言説というものが非常に世の中には多くあって、おそらく言葉を学ぶっていうのは、言説と言われるものを一つ見ていくっていうのがすごく追っていけることかなと思ってるんですけど。
言説って今自分で言っときながら、英語ではなんていうのかな?
ディスコースですね。
ディスコースなので、今最近だったらディスコードってアプリがありますよね。
あれにちょっと似たようなところなのかもしれませんけれども、言い伝えであったり、どちらかというと口頭で残っていることなんですね。
なので文字言語で残っているというよりは、口頭で残っているということなんですけれども。
このあたり、橋本さんは文字言語と口頭言語、どちらに興味がありますか?
そうですね。もともとというかどっちかというと、口頭言語のほうが個人的にはコミュニケーション取りやすかったというか、触れてきたかなという感じがして。
文字で現代文みたいなことを読むのが勝手に苦手意識を感じていたみたいなところなので、もともとはそっちの口頭のほうだったかなと思いますけど、最近は文字みたいな書き起こしたところにもちょっと興味が高まっているみたいな流れですかね。
だとすると、文字と言葉の間みたいなところを最初に話すといいのかもしれないですね。
結局、我々人類が文明と呼ばれるゆえんは、完全に文字が残ってるかどうかなんですよね。
文字言語として、その歴史が残っているところを文明と言うわけですね。
ただ、一部例外があって、そうか、因果文明とは言わないんですよね。因果は帝国って言うんですよ。
なぜかって因果って文字持ってなかったんですね。
なるほど。
だから、文明というのはあくまでも歴史を受け継げる何かを持ってた。
中学校レベルで習う歴史で言うと、四大文明と言われるところは全て文字を持ってたわけですよね。
その文字を通して、その人たちがどんなことを歴史を紡いできたのかっていうのが一つの歴史のスタートになる。
それ以前のものって歴史として扱いづらいわけですよね。考古学になっちゃうんですよね。
歴史学と言われると、いわゆる先ものが残っているというのがすごく重要な出発点になります。
なるほど。とはいえ、人間の動物的な本能というか、最初文字がなくても言葉だったりとか、非言語のコミュニケーションが行われてたのもあると思うんで、
原始的な人のやりとりで言うと、口頭だったりとか、そういうものもされてたのはもちろんそうって感じですね。
もちろんで。ただここが大事なところで、歴史になったときは残ってなければ歴史にならないわけですよね。
だから、本当にその人が喋ってたかどうかっていうのは追えないんですよね。
例えばアルタミラって、あれはどこだ?アルタミラとかモヘンジョダロとかって言われる壁画も描かれているところで、
非常に深い古い時代から人間というのは何かしら記録を残していくっていうふうに言われてたんだろうというような歴史はあるんだけれども、文字はやっぱりないんですよね。
文字というのは抽象的な概念なんですよ。
その抽象概念を表現できるようになっていったっていうのがやっぱり文字化と文明化の非常に大きなポイントになって、
だからあれとかそれとか犬とか水とかっていうのはおそらく他の動物でもコミュニケーションできてると思うんですよね。
そこに再現性を持っていくっていうのが言葉というところになっていくと思います。
なるほどですね。古代から言うと人の中の共通認識というかが、やっぱり神話みたいなところは結構大きな要素だったかなと思うんですけど、
それもおそらく最初は誰かが語り目的に喋ってて伝えてたところが、どこかで文字が生まれたことによって書物というか、形に残るような形になって、より広まりやすくなったとか、そういう流れがあるんですか。
そうですね。諸説あるんですけども、明らかに確実に文字が必要になった瞬間というのが、サブの概念なんですね。
要は馬1頭と米何キロみたいなのを比較するときに記録を残さなきゃいけないわけですよ。
馬の絵を5頭とか1頭とか書くのはめんどくさいし、もともと人って数の概念がなかったら、全て指だけの概念しかないので、10以上は数えれないんですよね。
なのでそこに数という文字化、いわゆる日本で言うと小の字、正の字みたいな感じで、1、2、3、4、5っていうような概念が最初に生まれて、それが書き残されてるっていうのは確かにあるんですよ。
言葉の発達と歴史
だから5を超えた概念、あるいは10を超えた概念というのを扱い始めたときに文字の発生が生まれてきてるというふうには言われてますね。
そうなるとどっちかというと数字の方がさっきのって感じなんですか?
だから数字という文字ですよね。
記号は?
一番確実で再現性が高い記号です。そういう言葉、文字というものが生まれてきてるということです。
そうじゃないと貿易とか、特に他の貿易をするときとかにできないわけですよね。
あとは損をする、得をするというところに関すると、その概念。
なので人間が非常に5進法とか10進法に慣れてるというのは指の数なんですよね。
別に6進法でも12進法でも本来はいいのに、10進法に動きすぎてるのは完全に指の数に影響されてます。
なるほどですね。
数字だと人と人の間でも認識のズレが起こりづらいというのはあるかもしれないですけど、またそれが文字で言葉みたいなところだと、
ちょっと人による解釈のズレとか文化間の違いみたいなところが出てきて、
そこからまた場所によっての文字の違いが生まれていくとかそういうのもあるんですか?
なので文字として一番わかりやすい、理解が深めやすいのはヒエログリフの小型文字だと思うんですよね。
文字ではなく絵をたくさん描いて、その絵で何かを伝えようとしたというのがいわゆるエジプトの文明です。
これはだから絵をだんだん似通らせてきたということですよね。
だから記号としては非常に難しい記号になるということです。
それに対してクサビ型文字と言われるインダスじゃなくて、チグリスユサラテスの文明の時の
クサビ型文字っていうのがもしかしたら最初の記号だから多分指とかそっちに近いのかもしれません。
そして中国の甲骨文字というのはあれは占いに使われていたので、
文字のパターニングを、雨のフォーラの割れ方のパターニングをしていってるわけですよね。
それを占い師という人が蓄積して、後に文字というような表現形態になってるというふうに考えられています。
なるほど。この収録のちょうど手前ぐらいでXで発信してたら白川静さんでしたっけ。
はい、そうですね。
漢字の研究とかされてた方も、その漢字も小型文字からの派生みたいな感じなんですよね。
ここが難しいところです。いわゆる甲骨文字っていうのを小型として取るのかどうか
ところがすごく難しいところではあるんですけれども、
甲骨文字が最初にできたのは先ほど言ったように占い。
同時にもう一個、完全なあれを忘れてしまってるんですけど、
中国っていうのは三皇五帝時代というのがあって、その次に家という王朝が生まれます。
次に陰。教科書的には陰で、一般的には商。商人の商と言われて。
その次に宗が出てきて、宗が倒れて真の始皇帝が生まれるわけですね。
ちょうど今、漫画キングダムっていうのは宗の最後の話をしてるわけです。
その宗から宗に移り変わる時に太孝坊という人が出てきて、
その太孝坊よりもずっと前の昭和朝の皇帝が、当時は皇帝じゃない。
王様が言葉が話せなかったらしいですね。
その人が何かしらの内容を人に伝える時に、その甲骨文字。
要は占いに使ってたものを記録して誰かに伝えられないかということで文字が生まれたらしいですよ。
それが甲骨文字と言われるもので、
そこから文字というのが記録媒体、特に中国の場合は直刊ですね。
アケニとか木刊に書き残していて、指示を出していたというふうに考えられています。
なるほどですね。
そうなると最初は口頭で話している言葉みたいなものがあって、そこから文字になって、
そこからまた文章として文字で伝える。
一連の連なったものになるのは、またそこから時間が結構かかるって感じですね。
甲骨文字というのは文字だけなんですよ。
その章の王様が文章化したってことです。
単語を作り、かつ意味をそこに与えて、
夜ではなくて、夜に行けっていう文章を作ったんです。
なるほど。
そこで初めてちゃんと文章が残っていったので、
中国っていうのは結構はっきりと章の時代からの歴史が残っているんですよ。
だから今キングダムとかがあんだけしっかりと話ができているっていうのは、
もちろん柴瀬の死の影響はありますけど、それ以外にも各王朝がちゃんと記録を残しているんですよね。
それが中国の恐ろしさです。
あの人たちはめちゃくちゃ記録するので。
なるほど。
ちょっと話がずれるかもしれないですけど、
歴史的に話す言葉から文字が生まれて、だんだん文章化されて記録されていくみたいな流れは、
子どもの発達みたいなところで見ると、
だんだん最初単語だけ話して2号分3号分になっていくとか、
そういう発達の流れみたいなところと、
歴史的な言葉の使われ方みたいなところって共通点があったりするんですか。
どうでしょう。
言葉とコミュニケーションの重要性
結局言葉が生まれることによって、
最大のメリットっていうのは、離れた人とのコミュニケーションが取れることですよね。
かつ、それが共通した何かが伝えられるということだと思うんですよね。
例えば現状、我々がアラビアの人と喋ろうと思うと、
言葉も文字もお互いに分からないんですよ。
それは文字か言葉かというと、すごく難しいんですよね。
でもそれが共通された何かがあることによって、
例えば英語という概念が中に翻訳できるものがあると、
分かってくるようなことが出てくるので、
遠く離れた人同士がコミュニケーションが取れた、
あるいは権力者がそういうのを決めて、
それを覚えろというふうに言ったっていうことになってくるので、
その発達とどういうふうに結びつけるかというと、
今のところアイデアがない感じですね。
中国と日本の文字の発展
そうですね。ちょっと急に思いつきだったので、
そういう感じなんですけど。
そこから歴史的にまた進んでくると、
何か文字とか言葉のイノベーションというか、
変遷はどんな感じになってくるんですか。
言葉の一番のイノベーションは、
すみません、僕は中国を中心にちょっとしゃべっちゃうんですけど、
漢と五漢というのがあって、
今ちょうどキングラムをやっているのは新の始皇帝で、
それが終わると孔雀流北というのが出てきて、
漢という国ができます。
漢という国というのは中国史上、
最も長く続く王朝なんですけど、
だいたい400年続くんですが、
一回王さんという人が国を奪って、
その10年だけ新、新しいという国ができるんですね。
その後の王朝五漢というんですけど、
その新という時代、王さんの時代に、
世界で革命的なものができたのがこれ紙なんですよ。
その言葉をたくさん伝えたい。
でも筆漢も漢って量がかけないんですね。
書いても重たいから運べないと。
だけど紙っていうのはめちゃくちゃ重量が軽い。
その重量が軽い上に作るのが容易であると。
ということで、それ以降残るものが紙になっていくんですよね。
もちろん筆漢、木漢はある程度使われたと思いますけど、
文字をちゃんと残していく上で、
革命が起きたっていうのは一つの意味です。
記録もしやすくなるし、
影響力の範囲がそれによってまた広がっていくみたいな。
そうですね。特に量が、
インターネットも技術としては、
30年前と今って変わってないんですけど、
何が変わってるかって言ったら、
ホーステル、テキストの量が違うわけですね。
昔はADSLとかISDLとか言われてたわけですね。
その前は本当に電話回線で飛ばしてた。
それが今は光ファイバーで、
何ギガバイト、何百ギガバイトぐらいで飛んでくるわけですよね。
だからホーステル文字の量が全然違うんだと。
それがいわゆる目観、実感から紙の革命というのと同じような意味です。
そうですね。文字自体は、漢字とかは古くからあるものだけど、
伝達の仕方とかが大きく変わったという感じですね。
同時に文字というものがこれまで、
量が少ないということは広がらないということですよね。
だから一部の人しか文字を使えないんですよ。
だけど広がっていくと文字が使えていくようになるので、
その文字というものがすごく進化するんですね。
その甲骨文字の後に金文というのが出てくるんですけど、
その金文というものが非常に広がってて、
白川静香さんの前の研究者は金文研究者なんですね、ほとんどが。
だから文字の成り立ちというのは白川静香さんが一番明確にしたと言われてるんですけど、
金文はいっぱい残ってますよ。
それはなぜかと言ったら広がりがあったからです。
なるほど。日本に入ってくるのもそのあたりの時期って感じですかね。
日本はなかなかこれが難しくて、
結局日本の歴史の中で最も古い記述というのが、
儀式和神殿になるわけですね。
つまり儀式和神殿というのは三国志の曹操の時代なので、
西暦の210年から220年の間に日本から使者が来て、
その日本の使者が王として認めるわけですよね。
なの和の国王という名称を授ける。
それが清御子ではないかと言われてるわけですよね。
おそらく歴史上最初に、
ちゃんと日本における王と言われる人たちが記載されるのはそれなんですよ。
その後に日本人というのが、
要は平安とか平安の前に飛鳥とか大和朝廷とかができて、
そこで歴史をいろいろ作っていく中で、
今から2600年前に神武天皇がというような歴史を作りますけども、
実際にちゃんと記録が残ってるっていうのは220年前後です。
なるほどですね。
その時に文字は伝わってないんですよ。
そこから少しまた時間が経って伝わってきて、
日本人でも文字に触れる機会が増えてくる。
ほぼ最初は全部漢文です。
日本の文字の変遷で言うと、
漢文を扱える人たちっていうのが、
いわゆる知識人だった。
女性は漢字を使わずに、
金文字を使うわけですね。
だから男性は漢字を使っていい、
女性は金文字を使っていい。
そこで日野貫之っていう人が女性に婚して、
土佐日記っていうのをカタカナで書くわけですよ。
それが漢字以外で作られた最初の文学になるわけです。
なるほど。
漢字でも伝えるための文書っていうだけじゃなくて、
文学的なものもあったっていう感じですかね。
そうですね。その時代に文学っていうのは平安になってくると出てくるわけですよね。
特に日野津川家においては、
色葉歌でアイウェーをちゃんと作ってるわけですよね。
それで人が使いやすくなった。
つまり文字が簡易化することによって、
文字が使いやすくなった革命がそこで一つ起きてるということになります。
で、女性だとか、あるいは庶民が、
庶民まではいかないと思いますけど、
基本的には貴族っていうのが文字が使えるようになってくるっていうのが、
その平安という時代が重要な契機だと思います。
なるほど。話してる途中でも、
国語の引乱を受かってみて、
お勧めされたのもあるんですけど、
その辺でなんか結構漢文とか古文とか現代文みたいな流れがあるので、
今日の話を聞くとまたそれも理解が深まりそうだなって感じがしましたね。
なので万葉集と日本書紀っていうのが、
日本に残る最古の文献なわけですね。
日本書紀っていうのがだいたい720年に成立しているもの。
特に万葉集っていうのは、
庶民が和歌を残してるわけですね。
別に有名な人だけじゃないわけです。
その人たちが書いてるのは全部漢字です。
漢文の和歌ですね。
平仮名の和歌じゃないです。
平仮名の和歌になってくるのは多分、
古今和歌集とか新古今和歌集になってからなんですよ。
だから720年っていうのは平安ではなくて現状の時代なので、
その後に794年に平安になってきますので、
そのあたりにやっぱり、
ある平和が訪れたことによって文化が、
いわゆる飛鳥文化から平安文化っていう流れで、
非常に大きな日本の中での革命が起きてるってことですね。
日本語の独自性と文化の融合
なるほど。
そうなると、例えば奈良とかあの辺の関西中心だったり、
また九州とかも結構中国とかのやり取りがあったかもしれないですけど、
そのあたりに古くからの文字とかはやっぱ残されてるみたいな感じですか?
中国との接続ってこれまた解明されてないんですけど、
要は秘密庫がどこにいたかってわかってないわけですね。
で、吉野刈っていう佐賀に遺跡があるけれども、
あれは秘密庫よりも前の遺跡じゃないかって言われてるんですね。
秘密庫自体っていうのは、
飛鳥とか大和とかそのあたりにいて、
そこにいたからその文字がちゃんと伝わったんじゃないかというふうにも考えられてるわけですし、
やっぱり昔からも虎井系の人たちって結構来てるんですよね。
例えば虎井人でおそらく非常に有名な人って、
秦の始皇帝の時代に、秦の始皇帝って不老不死を目指してたんですよ。
不老不死を目指してたから、いろんなところに物を探しに行けって言って、
どうやらその時に日本に渡ってきた人がいるらしいんですね。
その時に、もしかしたら文字を伝えてるかもしれませんけど、
開かれてないという状況です。
人が来たから文字が伝わってるっていうわけではないので、
要は文化を一緒に持ってくるというところ。
例えば文化をちゃんと持ってきて確実に、
歴史として残ったのはやはり仏教伝代なんですよ。
だいたい530年前後ですね。
それは完全に、今の大和川を登ってきてますので、
大阪から入ってきて大和川に登って奈良に入っていってるので、
そこの時っていうのは完全に版文がそこから入ってきてます。
一応アドバンストセラピストなんで、
医学的な情報がどう渡ってきたかみたいなことも聞き始めたんですけど、
その辺の漢字が入ってきたところで、
中国の中での東洋医学的な考え方とかも入ってきたりしてるって感じですかね。
医学的な部分はすごく難しいところではあるんですけど、
東洋医学というところで言うと、かなり古い時代、
いわゆる宗ぐらいの時期かな、
魚の小骨が遺体の横にある。
その時にハリ治療がすでに始まっていた。
そういうのが日本に入ってきてる可能性っていうのは十分あると思うんですよね。
漢方とか。
そうですね。
実際にその医療というものがほとんどどこの国でも発達はしないわけですよ。
もう死ぬもんなので人って。
だから医療自体が、我々が考える医療の発達とかっていうのは、
相当やっぱり後になってくるんですが、
そういうハリだとか、あるいはアンマだとか、
そういったものは中国から入ってきてる可能性が非常に高いと思います。
そうですね。
なるほど。
そこからなんで漢字が日本に入ってきて、
カナ文字とかカタカナみたいなものとか、
文字自体も派生してくるし、
自分は中国語とか詳しくないですけど、
文法みたいなこともだんだん日本独自のものになっていったりしてるって感じですか。
そうですね。日本文法はかなり日本文法で、
他の国と全く違う文法に発達していっているので、
中国語をきれいに受け入れたわけじゃないっていうのが、
日本人の面白さなんでしょうね。
もともと縄文とか弥生のところから話されてた言葉があって、
その言葉に当て字をやっているので、
文法自体は多分古いものの文法を扱っているわけですね。
その文法に漢字を当てていって、
そして今でいう日本語のビジネスパーソンが使うような、
横文字だらけの日本語みたいな形を使って、
漢字と日本語が融合していたんですね。
そういうことですね。
日本人って多分そういうのが得意ってことですね。
そう言っていますよね。
外国からのものをうまく輸入して、
完全に染まるわけでもなく、日本にアレンジしていくみたいな。
仏教の考え方にしても、律令という考え方ですね。
漢字の多様性と日本文化
特に平安というのは、随と等の律令という法律を受け入れる形でやってきたけど、
そこは完全にうまくいっていない。
やれることとやれないことというものはあるんですけど、
漢字と言われるものは、中国よりも日本の方がしっかりと形を残しているんですよね。
これがなかなか面白いことかなと思います。
中国の漢字って、かなり逆字になっていて、
しかも使わない文字がすごく多いんですよね。
でも日本って、常用漢字と言われるものだけでも2300あるわけですよ。
それ以外の漢字を入れると、おそらく何十万ぐらいの文字を扱えるわけですよね。
例えば、斎藤の斎とかっていうので何パターンあるんだって。
渡辺の鍋って何パターンあるんだみたいなですね。
なるほど。
織井先生が考える、そういう風になっている理由というか、
日本人の皆さんみたいなのはどういうところにありそうって感じですか。
漢字の使い方というか。
漢字の使い方とか多様性というか、それだけ数が残っているみたいな。
日本人そのものの特殊点は、先ほどのところで言ったところもありますけど、
やっぱり受け入れるということ自体。
外から何かが入ってきたときに、一旦飲み込もうとする文化圏ではあるということですよね。
割と一回受け入れたら排他的に扱わないと。
漢字がこんだけたくさん入ってきたら、この漢字全部使わなきゃということですよね。
これいらない、あれいらない、そうです。
取捨選択が多分あんまりできないんですよね。
これ、食べ物なんかもそうなんですけども、
世界でおそらく一番多様な麺、ヌードルの形態を持っている国なんですよね。
これってヨーロッパから最初に、マカロニっていうらしいんですけど、
っていうのがシルクロードから渡っていって、
中国もそこから麺ができていた話らしいんですね。
それを日本に入ってきたときに、
あれ?これって小麦だけじゃなくていろいろできるんじゃね?って言って、
めちゃくちゃ麺料理が多いんですよ、日本って。
なるほど。
そういうふうに入ったら、いろいろなものを麺にしちゃうわけですね。
そうめんとかもそうですし、そうめんとラーメンとかって全然、
半水が入ると入らないかでも違ってきますし、
かといって米の麺みたいなのはそこまで発達はしてませんけども、
いろいろな麺というものが生まれている、
それと同じように言葉も一旦受け入れたら自分のものにしちゃって、
その受け入れたものというのをめちゃくちゃモディファイルしていくわけですよね。
そういう文化の終着点というふうに言われるらしいです。
次に受け渡す場所がないんですよ。
確かに。
極東にあるがゆえに文化を次に受け渡すところがないので、
自分たちのところで止めるんですよね。
止めた結果、良いものは良いフォーズ、悪いものは捨てているという状態になっているところが。
識字率の歴史的変化
言葉というのは先ほど言ったように、最初にもともと喋っていたものに漢字を当て字していって、
そして良くも悪くも文化を潰される経験をしないんですよね。
例えば中国なんかっていうのは王朝が変わるときに民族すら変えていくから、
文字も多少変えていくわけですよね。
それこそ元という国はモンゴル系ですし、
一個前の神という強い方の神ですね。
あれは女人族ですし、今はメインが単民族ですよね。
民族が違ってきますので、文字とか文化とかがらっと変えちゃう傾向にあるんですけど、
日本はどこかに支配されるという経験がほぼないので、
そうなったときに文化がずっとじっくり残っているっていうのが特徴でしょうね。
なるほどですね。
その辺の日本人とはというか、その辺の文化感も結構気になっているところなので、
いろいろ喋っていきたいなと思うんですけど、
文字とか言葉で言うと、そうなるとまだだいぶ先になると思いますけど、
英語とかアルファベットみたいなものが入ってくるまでの間は、
そこまで日本の中だと文字とか言葉の変化みたいなのはあまり起こらなそうな感じなんですかね。
日本自体に文字を残す一つの大きなきっかけっていうか、やっぱり宗教でしょうね。
経典がたくさん入ってきているっていうことはあると思いますし、
その経典が入ってくる一つのきっかけっていうのは、やはり平安時代の空海最長あたりの時代ということですよね。
それ以降に、例えば鎌倉になってくると鎌倉仏教というのが出てきますし、
そういったところが経典をたくさん作るということで、文字というものを残していったと思うんですよね。
あとはやっぱり王朝が記録し、王朝って言ったらダメだな、幕府が記録していかなきゃいけないということで、
武家の人たちに文字教育が行われたということですね。
その文字教育の後に寺小屋っていう武家の子たち、
そしてその後に庶民教育をやりましょうっていうのが結構歴史的に見て早かったんですよ、日本って。
これが1720年とか30年ぐらいに静谷学園、静谷学校って知ってますか?
知らないですね。
岡山に静谷学校っていう法事のある何班になるのかな。
岡山の藩主が庶民の学校を作れって言って、世界でも珍しい1700年代に庶民の学校を作ってるんですよ。
それが今日本の建物に残ってます。北方になってます。
つい最近行ってきたんですけど、非常にいい場所なのでぜひ行っていただきたいんですけど。
その静谷学園というところで、要は儒教の教えをしっかりと教えてた。
藩の学問として儒教をちゃんと教えましょう。
いわゆる年長者を敬いなさいと、人に対しての仁の心を持ちなさいとかっていうのを、
1700年代からやってますから、かなり文化レベルが高かったんでしょうね。
特にそういうのを受け入れてやろうとしてる人たちが多かった。
だから識字率の高さっていうのは、庶民に学問がもういったっていうところは、
その静谷学園っていうのはすごく影響してると思うんですよね。
なるほど。ベネッセとかが岡山スタリーから出てるみたいなのは、通じるところがあるんですかね。
かもしれないですね。
でもぜひ静谷学園は外国人観光客がほとんどいないので、非常に静かな環境です。
ただここで、1700年代に経ってるにも関わらず、
改装してないけど、いまだにほとんど汚れてないっていう超特殊建築なんですよ。
床がピッパーなんですね。
あれはね、ちょっと本当に建築物としてすごく面白いので。
その静谷学園ももちろんそうですけど、寺小屋制度もそうですし、
早い段階で識字率100%っていうのを達成した国が出て、
なので日本語がこんだけ日本人に強く残ってるっていうのは識字率が高いからですよね。
鎖国と明治時代の影響
識字率が低かったら他の国の言葉を入れて、それで統一できるはずなんですよ。
例えばGHQが入ってきた時に英語にしてもよかったわけですよね。
だけど英語にせずに日本語の識字率があまりにも高すぎて、
日本人って日本語でやったほうが絶対に識字が通るわけですよね。
毛沢東が中国共産党で支配してた時代っていうのは、
毛沢東語録っていう本があるんですね。
それを中国共産党の人はみんな持ってたんですけど、ほとんどの人が読めなかったって言うんですよ。
つまり民族が多様化してるので言葉がいっぱいあるんですよ。
だからすごくそれは統一する上で、毛沢東、毛沢東って言っているが、
ほとんど毛沢東の言葉はわかってなかったっていう話がある。
それに比べて日本っていうのは、今から80年前ですが、
8月15日に玉音放送があった時に、全ての国民が天皇陛下の言葉を理解したんですよね。
これは特殊です。言葉を聞いても理解する、読んでも理解できるっていうのが、
例えば今のアメリカに、トランプが英語で何かを出したところで、
3割ぐらいの人たちは英語を読めないんですよね。
英語も理解できない人たちもすごく多いので、国家として言葉が統一してレベルがちゃんとあるっていうのは、
非常に珍しい国だというふうに言われてます。
なるほどですね。さっきのあたり、江戸時代あたりにかなり識字率は上がったみたいな感じですか。
そういうふうに言われてますね。
特に明治になってから、ほぼ100%を達成した珍しい国ですよね。明治大正の段階で。
なるほど。この辺でさっきの文字のところでいくと、鎖国みたいなのが終わって、
それ以前でももう外国からのものも入ってきてるかなと思うんですけど、
外国との言葉のやりとりみたいなところから、何かまた変化とかが起きてきたりするんですか。
鎖国っていうのがやっぱり日本にすごく影響していて、
1600年から1868年まで、約268年間、他の文化をほぼ拒止したわけですよね。
で、その間に唯一入ったのは中国とオランダだったわけですけども、ほとんどわからなかった。
つまり一部の人がデジマを通してやってたから、
江戸の方には多分オランダ語とか中国語っていうのがあんまり入ってきてないはずなんですね。
いわゆる乱学者だとか観学者みたいな人はいると思いますけど、
本当に一部の人。ということはほとんど日本語に勝手にやりかえてるんです。
なるほど。
なので特に杉田玄博と前野良拓っていう人は、
ターヘルアナトミア、つまり大体新書という本を翻訳したときって、相当むちゃくちゃなんですね。その訳法が。
それの一番代表が神経ですよね。僕も大好きなんですけど、神経というのは神が通るっていうふうに訳に立っているんですよ、ナーヴを。
だからそういうふうに、本当になかった言葉っていうのを作っていて、
そしてそれがちゃんと残っていってるのがすごく面白いことと、
江戸時代が終わって明治に入ってきて、急激に西洋の言葉が入ってきたわけですね。
そうすると西洋の言葉と日本語っていうのが全然折り合わないんです。
で、それをちゃんと折り合わせようといって、西山根、西州さんって書くんですけど、西山根さんっていうのがやっぱり自動を作って、
そして海外の言葉と日本語っていうのをすごく合わせていったんですね。
だから西山根の功績がすごく大きいと思います。
なるほど。それもこのアドバンスセラピュラーのかなり序盤のところで、哲学っていう言葉とか理学とかその辺で出てきました。
西山根が作った言葉っていうのをいまだに我々はあまり疑わずに古くから使ってると思ってるんですけど、江戸時代、明治に急激にできた言葉をいっぱい使ってるわけですよ。
それはなぜそう言えるかというと、書民が習ってた言葉って漢文と一つは大和言葉なんですよね。
で、漢文っていうのは中国語に非常に近いわけですけれども、今我々が使う漢字が二つ連なる言葉。
例えば経験とかもそうですし、哲学とかってもそうですし、念着とか学校とかもそうですけど、これって大和言葉にはないんですよね。
大和言葉ってのはひらがなで書けるような、いわゆる訓読みをするものです。
で、音読みをするものが漢字であったわけですね。
西山根はその漢字側の言葉というのを組み合わせていろいろな言葉を作ってるんですよ。
だから大和言葉自体の方が最近はどちらかというとちょっと失われがちで、何かしら英語の翻訳とかをするというのは漢字、いわゆる漢語で作る傾向に日本はあります。
なるほどですね。その辺も健康とかっていう言葉もその辺から、もともと養生っていう言葉で結構通ってたかな、みたいなのも読みましたね。
日本語の起源と影響
だから養生も大和言葉よりは漢語で、だから安らかとかっていうのが大和言葉ですよね。
なるほど。
そうですね、そこからなんでやっぱりそうやって西洋の言葉が入ってきて、辞書がまた整備されてっていうのがかなりまた大きいところですけど、
途中でその紙みたいなイノベーション的なものもあったみたいな話もあったんですけど、
またどこかで情報の広がり方とか、その辺も全身とかですかね。
だとするとあれですね、これがだから急に中国から離れてヨーロッパになりますけど、カッパ印刷でしょうね。
いわゆるカッパ印刷が誰でしたっけ、グーテンベルグだ、がドイツを中心にカッパ印刷を作って、
カッパ印刷によって起きた絶大革命というのが宗教革命ですね。
その時に聖書を読める人ってほとんどいなかったわけですね。
やっぱりヨーロッパって識別が非常に低かったので、聖書を読める人が少なかったもんだから、
いわゆる神父さんっていうのが好き勝手に聖書解釈をやってた。
で、それに意を唱えたルターっていう人が、「それっておかしくね?」って言い始めて、
そしてその後のカルバンというのが、聖書というのを本来はやっちゃいけないラテン語からドイツ語に翻訳して、
それでカッパ印刷で広げていって、宗教革命を起こしたわけですよね。
だからその文字っていうものが広がることによって、大きな革命があった。
そしてその後に文学というものが生まれて、文学というものも口頭言語ではなくて文字言語で受け渡されることになって、
人に感情が生まれたって言われてます。
いわゆる感情というものが受け渡すことができたってことですね。
この感覚みたいなものが文字とか言葉化されて伝わりやすくなったっていう感じですか?
もっとわかりやすく言うと、人が殺されたら悲しいんだとか、
自分だけの感覚だったのが文学を通してわかるようになって、
これはスティーブ・ピンカーという人の「暴力の人類史」の中で書かれてるんですけども、
文字が読めるようになって人っていうのは犯罪率が減っていってるんですよね。
いわゆる共感性が生まれたんですよ、そこで。
それまではどちらかというと宗教が全部作ってたわけですよ、感情。
そうではなくて文学を通して人の感情が作られるようになって、
そしてかわいそうだとか、悪いとかいいとかっていう人間の考えがちゃんと広まるきっかけになったのが、
発牌印刷以降ですね。
パリ万博での日本文化
まあそういうのか、道徳とか倫理観みたいなものもそれ…。
そういうことです、はい。
なるほど。
これも1700年代か1800年代かちょっと名数忘れましたけど、
日本の大好きなスイスのピストロックスという教育学者が子供たちに教育を施そうという風に流れをして、
ちゃんと教育が生まれたってことです。
なるほど。
さっきの西洋からの言葉が日本に入ってきたみたいなのもありますけど、
逆に日本の言葉が外に出ていくみたいなことはあんまりないって感じですかね。
日本の言葉とか日本の文化が最初に外に出ていったのはあれですよね。
パリ万博の時ですね。1892年でした。
パリ万博の時に日本館っていうのを作って、
その日本館っていうのに日本のいろいろな文化が出ていって、
その時にフランスでジャポニズムっていうのがワーッと花開いて、
それに非常に影響を受けた画家っていうのはゴホゴホですよね。
浮世絵とかそういうのが非常に広がりを見せた。
日本の文化が本当にヨーロッパにお披露目されたっていうのはそのあたりだと思います。
なるほどですね。
鳥山明と漫画の影響
言葉みたいなことはなかなかすぐ伝わりづらいかもしれないですけど、
鎖国大戦にあった中でもあんまり外に出てなかった日本の文化みたいなものが徐々に広がっていくっていう感じですかね。
言葉で日本の言葉を世界にある種統一化させた人っていうのが近代にいるんですけど、
これ誰だと思いますか。
誰ですか。
我々100%知ってる人です。
誰だろう。
これは鳥山明なんですよ。
鳥山明がいわゆるオノマトペを、
例えばズーンとかブーンとかっていう言葉を掴まずちゃんと使って、
物語の中に残した。
そしてそれまで普通本っていうのは左開きなんですよね。
西洋の本っていうのは旅行に進むので。
それをドラゴンボールって見開きのページで飛んでいってるからこれ逆になっちゃうんですよ。
それを鳥山明の本を読みたいからといって西洋の人が左開きを受け入れたんですよ。
で、その時に同時にオノマトペっていうものを、
もう繰り出しの中は書き換えられたけども、
本の中に入っている文字は変えれないんですよ。
で、それをどうしてもドラゴンボールを読みたいからといって西洋の人が全部受け入れたんです。
すごいですね。
そして未だに海外の人が漫画を書く時っていうのは鳥山明スタイルをやってるんですよ。
へー。
ただ今後その漫画の影響力が一つ失われるのは、
見開きのページっていうのがほとんど使われなくなるんですね。
それはもう電子化によるものです。
いわゆる冊子で読むんじゃなくて1ページで読むので。
だからその最後の見開きの王者はおそらく小田栄一郎です。
なるほど。ワンピースですね。
このワンピースがもうすぐ世界で一番売れているスーパーマンを抜かすらしいんですよね。
へー。
スーパーマンが60億かな。売れているんですよ。
で今ワンピースが58億まで来たので、
このまま完全に世界一の漫画コミックになるらしいです。
すごいですね。
だから海外に向けた文化っていうのはやはり、もちろんスタートは手塚治虫だとは思うんですけども、
そのうちに実は鳥山明っていうのが文化破壊を起こしてるっていうのはこれあんまり人が知らないんですよね。
へー。
やっぱりドラゴンボールの力がすごいですね。
いやドラゴンボールって本当にとんでもない影響力を持っているコンテンツなんですよね。
なるほど。
パリ万博みたいな話はそれはどのぐらいの年代なんでしたっけ。
1800年代後半です。
飛行機が飛ぶ前ですね。
船で運んでみたいな。
そうです。だから飛行機が飛ぶ前というのはつまりライト兄弟が飛ぶ前の話です。
で、エッフェル塔が建った時です。1882年だったか。
1880年はちょっと記憶が曖昧ですが。
理学的なところで言うと当時パリ万博の頃に非常に有名になったのがレントゲンです。
要は骨が見えるよーっつって。
いわゆる放射線を通して、そこでやっぱり一つの美学の革命が起きてるっていうことですね。
パリ万博っていうのはそういったひとつのきっかけになったものだと思います。
なるほど。
堀先生にオススメというか、トーマスマンの真の山も読んだんですけど、
あの辺のレントゲンの画像の話っていうか。
そうですね。
すごいあれをエロティシズムに使うという革命的な話なんですけど。
僕はトーマスマンって実は真の山しか読んでないんですけど、
真の山がいわゆるドイツの教養小説だっていうふうに言われてて、
ドイツ人の教養ってすごいなって思ったっていうのがあり、
真の山って小説はなかなか衝撃的な話で、
文学としての何なんでしょうね。
何がすごいかと言われるとちょっと一言では言えないんですけど、
僕はやっぱり衝撃を受けました。あの本を読んで。
この辺が第一次世界大戦前後みたいな。
そうです。第一次世界で最後主人公が第一次世界大戦に従合するんでしたっけ。
なんかそんな話。
戦争に従合するところで終わりますよね。
1900年代後半にレベル。
もちろん1900年代の前半に日本だと言うと創石だとかいたわけなので、
日本の文学レベルも明らかに高かったわけですよね。
そうですよね。創石とかもイギリスとかに留学してみたいな感じですか。
そうですね。あのあたりの人たちっていうのは、
とにかく日本の文化というものをちゃんと取り入れようとして、
だから創石は第二次か第三次だと思いますけど、
最初に岩倉智美たちが言ってるわけですよね。
岩倉智美が西洋の服を作ったわけです。いわゆるモンチケではなくて、
初めてスーツっていうのを作ったわけです。
だけどなんでスーツってセビロって言うか知ってます?
わかんないですね。
スーツだったらスーツでそのまま訳せばいいんですけど、
当時そのスーツを作る場所っていうのがサビルローというストリートですよ。
そのサビルローが生まれてセビローになったんです。
なるほど。間違えて入ってきてる感じですね。
そうなんです。だからセビロっていうふうに、
だから当て字を当てるっていうことですよね。
おそらく日本の言葉っていうのはそういうふうに、
当て字を当てて外国語を作った言葉もあれば、
完全に日本人が作った言葉もあるっていうところがすごく面白いところで、
セビロっていう背が広く見えた服っていうような意味かなと思ったら、
全然違くて完全な当て字なんですよ。
そうなんですね。普通なんか背中広く見えるとかそんな感じに思いますけど。
そうじゃなくてあれはサビルローなんですよ。
今もちゃんとサビルローストリートであります?
おそらく映画のキングスマンって映画ご存知ですか?
見てないかもしれないですね。
キングスマンがある場所が多分サビルローです。
日本でいう銀座みたいな感じなんですね。
なるほど。海外から思いがけない感じで入った言葉もあるし、
その辺のところだと肩こりみたいな言葉が夏目漱石の小説が最初じゃないかみたいな説もあったりするんですけど、
やっぱり日本独自の言葉みたいなこともその時代でまた生まれてるものもあったりするんでしょうか。
本当に文化がものすごくたくさん入ってくる中で、
言葉を自由に作るのが許されたんだと思うんですね。
学問というものがそれまで寺小屋というところとかで作られてたのが、
どうやら大学とかそういったもので系統立ててできるという風になってて、
ちゃんと作らなきゃいけなくなったっていう時代ですよね。
海外から急激に学問というものを取り入れた時に、
大量に何かを一気に訳さなきゃいけなくなった。
そして文学者というのも自由にいろいろ書いて良くなったということで、
たぶんめちゃくちゃ言葉ができたはずなんですよ。
そしてそれを日本人が割とちゃんと未だに使っているというところが面白いところかなと思います。
だからこれが先ほど言った真実にすごく影響して、
方言だったら伝わらないんですよ。
日本って沖縄から北海道全部共通言語を持ってるんですよね。
これがやはり日本の強いところで、
その共通言語として残っている言葉っていうのはきっちりと使っている。
かといって別の言葉として方言も使い分けてるんですよね。
こういう国は結構稀って感じですかね。
相当稀だと思います。
例えば今GDPが抜かれたと言われるインド。
インドのお札って見たことありますか。
ないですね。
インドのお札、正確な数は忘れましたけど、
16種類だったと思います。
の文字が入ってます。
紅葉語が16語あるんですよ。
日本ってその感覚がないんですよね。
だから日本語が全く通じない世界ってほぼない。
日本語の特性とハイコンテキスト
例えば今ちょっと外国人のいろいろな問題が起きてますけど、
一部そういう外国人地区みたいなのがもしかしたらあるかもしれませんけど、
例えばこのあたりで言ったら鶴橋とか、完全に日本語通じますからね。
でも海外ってそういうのが通じないところはほとんどのはずなんですよ。
コリコリアタウンとか中国の方が結構多くいるエリアとかいろいろありますけど、
それでも日本語が通じるみたいな。
日本人で日本語がちょっと疎い人がいるかもしれませんけど、
ほとんどの人が日本語を理解できるっていう特殊言語なんですよね。
しかも日本語ってすごくハイコンテキスト言語、
ハイコンテキストっていうのは文法がはっきりしていない、
文脈を読まなきゃいけないってことなんですけども、
ハイコンテキスト言語なのにほとんどの人が理解できるっていう不思議な言語なんですよね。
なるほどですね。
その辺前回の情報学みたいな話で、
データとして扱おうと思ったらそのハイコンテキストだから
それの難しさもあったりして。
そうです。扱いづらいです。
会話とかコミュニケーションは取れるけどみたいなメリットがあるって感じですか?
そうです。わりと英語とかってローコンテキストで、
もうはっきりしちゃってるんですね、言葉が。
表現形態が実はそんなにたくさんなかったりするので、
だからビジネスなんかでは英語がすごく有効だって言われるんですね。
でも日本語ってビジネスにはめちゃくちゃ向かないんですよ。
分かりづらいって感じがする。
分かりづらいんですよ、日本語。
だから結局場の雰囲気だとか空気だとかっていう、
これは僕の好きな木村ビンさんっていう人が言っている
間という概念がどうしても入ってくるってことですね。
何かしら間というソフトをインストールしておかないと日本語って読めないんですよ。
それは我々はどこかでインストールされる不思議な世界があるんですよね。
海外の人が分からないのはおそらくその間と言われる概念なんですよ。
それはどういう感じの考え方ですか?
なので主語がないとか、あるいは先ほどの夏目漱石で、
これは今は間違ってると言われてるんですけど、
月が綺麗ですねっていうのがI love youっていう字になるっていうような、
全然意味が分からない言葉が結構多いってことです。
特にやっぱり主語がはっきりしないっていうことは、
自分の相手が不明瞭なんですよね。
それを何で理解するかって言ったら、文脈で理解してる。
つまり間で理解してる。それが木村ビンさんが言う間ですね。
日本人理解する上ではその辺理解しておかないと難しいっていうことですね。
そういう感じもありますし、どうなんですかね。
日本人はそういうのが自然と暮らす中でインストールされてる、
何かしらの文化圏というか何か構造があるんですよね。
おそらく今後50年ぐらい経っていく中で、
日本がグローバリゼーションの中に完全に入り込んでいくと、
この辺りが多分失われるんだと思います。
そこがやっぱり日本の文化という意味では難しいけれども、
その文化を守ることと世界の中で戦っていくということは
必ず相反することなので、
だから学問というレベルで文化を残していかなきゃいけないし、
使っていくというところでは、
そういうハイコンテキストな部分というのは
文化とグローバリゼーション
無くしていかなきゃいけないなとは思います。
またその辺がビジネスとか政治とかいろんな領域がありますけど、
それぞれで悩みの種になりそうな感じですね。
医療の場合はめちゃくちゃハイコンテキストの理解をしなきゃいけないんですよね。
問診というのはハイコンテキストなので、
つまり患者さんも分かっていない言葉を
こちらが理解しなきゃいけないわけですよね。
だけどビジネスというのはここからここまでというような
テリトリーというのをはっきりとさせなきゃいけないので、
だから我々セラピストというのは、
一方ではテリトリーをはっきりさせたエビデンスというものを
やらなきゃいけないんだけれども、
患者さんのコミュニケーションにおいては、
それをはっきりとさせてはいけない世界があるわけですよ。
これはもちろん英語圏とかフランス語圏とかでも
そうなのかもしれませんけれども、
日本語のハイコンテキストの難しさというのは
やっぱり問診だとか、患者さんの広くいったナラティブの部分
医療におけるコミュニケーションの難しさ
というのがどうしてもあるということです。
そうですね。
今後そういうオンライン診療みたいなものが
もし発達していったとしても、
なかなかただ言語が翻訳できるだけでは
日本の患者さんとかを対応するのは難しさは
残りそうなんですね。
本当にAIの限界点というのは、
このハイコンテキストの理解が文化レベルまで染み込んでいるのが
ちゃんと読み込めるかということですよね。
もちろんパターン化しているので
読み込むことはできるのかもしれませんけれども、
とにかく人が介在しなきゃいけないというところは
こういう言語的な特徴というのが日本語にすごく
どういうふうに理解しなきゃいけないかというのは
相当俗人的なものなので、
その俗人性というものをどこまで我々が理解していかなきゃいけないか
そういうことは情報学の中でそれをやっていて難しいんですけれども。
なるほどですね。
英語とかは結構ローコンテキストっぽい感じがあって
日本は結構ハイコンテキストで
これまで結構中国の漢字とかその辺の話もしてきましたけど
その漢字とか中国語みたいなところは
どっちかというとハイコンテキスト、ローコンテキストとか
そういうのもあるんですかね。
ちょっとコンテキストの部分が少しずれますけれども、
日本語と英語あるいはラテン語をベースとした
ギリシャ語をベースとした言葉の絶対的違いというのは
分かち書きがされているということなんですね。
分かち書きというのはつまり
漢語、This is a penというふうにスペースが入るということです。
これコンピューター読みやすいんですね。
これはペンですってスペースがないんですよ。
なるほど。
これ分かち書きができないから
どこからどこまでが漢語なのかっていうのが
分からないっていうのが
これ実は日本語の特徴なんですよ。
確かに。
だからその分かち書きができない
だから最小単位を見ていくっていうのが
パターン化されているから分かるんですけど
そこに文法があって
分かち書きされている英語って読みやすいってことです。
日本、だからいわゆる母文系で基本的に形成されているけど
日本って文系がないんですよね。
ないことはないけれども
文系が非常に乱雑だと
その上に分かち書きがされていない
かつ漢字に読み方がたくさんあるってことなんですね。
これは難しいですね。なかなか。
日曜日っていうのも変ですよね。
我々は読めますけど
日曜日ってなんで読まないんだっていう。
確かに。
1個2個とか数え方も結構コロコロ変わるのも難しい。
そうです。
非常に複雑な部分があるというところで
日本人が日本人専用のARを作らなきゃいけないんでしょうね
という感じです。
確かに。
あと論理的な考え方も違うみたいな話もありましたよね。
ぐるぐる思考なので
直線思考ではなくて
今現状目の前にあること一つ一つを
1個1個説明しようとする文化圏なので
これであれでそれでこれがあれがっていう感じですよね。
だらだらしてるんですよ考え方が。
その辺がまたさっきのビジネスの
日本人とやる難しさもそのとこに出てくるとか
ありそうな気がしますし
もちろん医療とかで患者さんに関わる上でもあるでしょうし
結構文字とか言葉の成り立ちとか
日本語の特性みたいなことも
ある程度見えてきた部分がありますし
おそらく最初に話した文学みたいなところも
多分書き方とか
登場人物の思考の流れみたいなのも
やっぱり国とか文化による違いみたいのは結構あるんでしょうね。
おそらくあると思います。
なので村上春樹が世界で受けてる理由っていうのは
彼が英語ができるから
英語翻訳ができやすいような形態で書いてるんですよね。
逆にオイケン・ザ・ブローなんかが評価された理由が
多くの人に分からないっていう
オイケン・ザ・ブローの文章で
ひどいって言ったら怒られますよ。
ノーベル賞受賞者なので
何書いてるか分かりません。
逆に英語にすごい上手な翻訳者が
分かりやすく翻訳することで賞を取ったのかもしれません。
なるほどですね。
その辺もまた日本の中で受けるものを作っていこうか
グローバル受けするもの
理解されるものを作っていこうかっていうので
同じ方向性とかやることっていうのも
書き方とか結構違ってきそうな感じがしますね。
その辺り日本の文学を通して
もう一個次に深掘りしていってもいいかもしれないですね。
そうすると医療とかももうちょっと見えてくるかもしれません。
そうですね。
最初どうなるかなと思いましたけど
結構アドバンストセラピストらしいっていう感じっていうか
歴史的な話をまずして
後半でまたもうちょっと現代のとか
未来に繋がるような話ができそうな気がするので
面白かったですね。
では前半はこのくらいに。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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