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こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
神経系の理学療法の始まり
Advanced Therapistエピソードの第3回目ということで、前回は運動器の話を主にしていったんですけども、今回は神経系っていうところに着目した話をしてみようかなと思います。
神経系って言っても結構広いかなと思うんですけど、主に脳卒中とかの関わるリハビリテーションの話で、ちょっとそれたりとか他の話題も入るかもしれないですけど、
主にはその軸で、過去の歴史的なこととか、最近行われているアプローチとか、いろいろ話していけたらなと思います。よろしくお願いします。
お願いします。
前回だと運動器っていうと、もともと整形器官みたいなところから運動器っていう言葉に変わっていったとかっていう話があったんですけど、神経系っていうとどういう起こりになっていくとかって感じなんですかね。
神経系そのもの自体は一番古くというか、理学療法士にとっての大きな課題となったのはポリオですね。特にアメリカの理学療法士が社会に認知された大きなきっかけがポリオに対する検査。
そこに対するリハビリテーションというところで、1920年にMMTが生まれた。あれはポリオの検査のために生まれてますので、そこからアメリカで、特にアメリカは女性理学療法士協会に立ったんですね。
それが男女ということで、今のAPTAかな。
なるほどですね。ポリオでその評価とかそこからのアプローチが形作られていった。それ以前とかだと神経系の疾患に対してはどういう関わりがされてたって感じなんですか。
ここら辺は実はちょっと難しいところがあって、神経系の疾患というもの自体が古くから病気の中で神経ですという形で認められてませんよね。
例えば神経系疾患といった場合は精神科疾患も昔は入るということになる。だから神経というものが明らかにそれが元々日本で英語でいうニューロ、ナーブとかって言われるもの。
日本の場合の神経っていうところになってくると神経という言葉を作ったのがいわゆる解体心象ターヘルアナトミアを杉田玄白と前の領拓がやったときに使った言葉で、その文字考えたらおかしいと思いません。神が通るって書くんですよ。
そもそもよくわかんないけど、これが体を動かしてるんだろうとか、いろんな感覚を扱ってるんだろうみたいな感じでそういう言葉を手はめたって感じですかね。
そうです。なので解剖していくうちに血管と並走してあるすごい何か。血管は血が通ってるので、要は全体に何かを運んでるってのはわかったけど、神経が何が運んでるか当時電気的な変数がないのでわかんないんです。
だけどそれを切ったら人が動かなくなるっていうことは何かの命令だっていう。だから神経が通る道っていうので神経って名前をつけたわけですよね。
なるほどですね。
だからその後もずっとその神経というのがよく何かわからないまま、電気計算というのが始まって神経の流れというのがはっきりとしてきた。
なのでポリオというところでいうと神経の影響によって結果何が起きるかっていったときに筋力が落ちるよ。その筋力っていうのもその神経との関係がはっきりとわかるよというのでMMTがすごく意味を成したわけですよね。
なるほどですね。
その意味でまずは神経と運動の関わり筋力低下とかっていうのは見えてきたんですけど、また感覚とかそういう協調性とか運動を制御していくみたいなところはまだその頃は関わりきれなかった感じなんですかね。
そうですね。実際に脳卒中というものを定義を作ったのは1970年代らしいんですね。なので病気としてなかったわけではないですけれども、その1970年代に強く出てきた病気。
もうちょっと違う言い方をすると脳卒中って全てではないですけど、やっぱり高齢に伴って出る病気なので、高血圧とか腰結晶とかそういったものに影響するので人間の寿命が長くなってできている病気ですよね。骨折だとかは外症によって出るんですけども、脳卒中ってその難易性の自分の状態によって起きる病気。
昔からあったけれども、増えたのはやっぱり高度経済成長を遂げる世界の中、第二次世界大戦が終わって世界が発展していく中で出てきた病気という感じだと思います。
そうですよね。また長生きすることによって健康への意識が変わってきたりとか関わり方も変わってきたみたいな話も以前あったような気がしますし、そのポリオのリハビリテーション以降でいろんなアプローチとか関わり方が出てきたかもしれないですけど、前回もハーシュバーグ論争みたいなものもあったという話もありましたし、
その中で主義とかファシリテーションみたいなところと立ち上がりとか基本的な動きとか、その辺の何がいいよねっていうのも議論が進んでいってる感じなんですかね、途中で。
実際に理学療法というところになってくると、日本では前回のように運動器が非常に強かった。だけども脳卒中というのが、実際にちゃんとした定義を作られたのは1970年代なんですけど、病気の診断としては前にあった。
その診断の中で、やっぱり戦後からずっと長く日本人のうちの死因の第一位だったらしいんですね。脳卒中が。なので死ぬ病気だったと。その死ぬ病気が死ななくても非常に大きな麻痺が残ったり、中毒な状態になる。
昔は何かあったらすぐ安静というところだったんですね。その安静じゃないことが大事だよっていうところに生まれてきたのがそのハッシュバグ法になってくると。
あとはリハビリテーションという概念でどうやら変わってくるんだよというところで、世界的に一番恐らく影響を与えているのはブルーストロームなんだと思います。
つまりそのブルーストローム法という方法で評価を作って、その麻痺というのを6段階に分けて、いまだにそれが使われているということですよね。
実際ボバースとかブルーストロームなんかも戦後に出てきているもので、なのでもうやがて80年ぐらいの歴史を持っている主義になります。
なるほどですね。面白いですね。長生きできるようになってきて脳卒中というのが増えていったりして、でも最初は治療法も確立していないからそこで亡くなってしまう方も多かったけど、
医学的に治療法が確立されていったりとかすると生き延びれるようになってきて、そうなると機能が落ちたりとか麻痺が起こって、そこから先にリハビリテーションの重要性が増していってという流れなんですね。改めて言うと。
神経系というところにもう1個先に戻ると、おそらく理学療法の特に日本の歴史で神経といった場合は主には積存だったんですよね。なので積存の人たちに関しては結局理学療法というのはQOLだとかっていうよりも、その人たちがどうやって社会復帰をするかという労働系の結びつきが強かった。
ボバース法の影響
前回、特に九州では労働省官官さんが話をしたと思うんですけど、労働との関係が強かったので、労働における問題、そしてその人たちがもう1回社会にどうやって復帰するかのところが強かった。
あとは九州というのは、やっぱり炭鉱とかのものがあるので、積存と同時に切断が多かったというわけですよね。
脳卒中というのは、さっきも言ったように、やっぱり高齢の人が似合って出てくるので、社会復帰、つまりもう1回生産ラインに乗せるというのが難しい病気というところも1つあったと。
なるほど。リハビリテーションを行っていても目的が結構違ったわけですね。
前回も言ったように、東京の東大系の人たちというのは全人的なリハというところのWHOから入ってきているので、そっちの人たちというのはおそらく脳卒中だとか、あるいは小児麻痺とか、そういうのを広くやってきてたはずなんですね。
なるほど。神経系といっても、末症の方なのか中枢で、また脳なのか脊髄なのかというので、西日本方面だとどちらかというと末症の関わりが多かったかもしれないですし。
なので、関東方面だとどちらかというと脳卒中とか脳の中枢に近いところの関わり方というのが体系化されていった可能性があるなという感じですかね。
そうですね。ただ体系化と言われるとなかなか難しいところがあって、日本における脳卒中治療の歴史、脳卒中に中心を置くと脳卒中治療の歴史というのはそこまで長い歴史は持っていないんですよね。
特に日本オリジナルっていうところはあまり今になってはあると思いますけども、当時はやっぱり海外から入ってくるファシリテーションテクニックっていうところに非常に夢を見た時代です。
特に僕は1990年代に教育を受けてる段階で、1980年前後にボバースの本が訳されたり、ブルーストロームの本が訳されたりなんですよね。
ブルーストローム自体とかボバース自体は1950年代から70年にかけて動いてるわけですよ。日本は1965年に資格化されて、そこからどうにか入れてきたけど、やっぱり日本の理学療法はずっとアメリカとかヨーロッパから10年遅れてるっていう言い方になってたんですね。
なのでやっぱりその本が入ってくるまで1980年までかかったんですよ。1980年の中でその本が出てきたからといっても教えれる人がいないわけですよね。だから教育に定着するまでさらに10年かかって、僕らぐらいの時代のところでファシリテーションテクニックとかっていうのが現場で使われてた時代になります。
なるほどですね。なんでやっぱり日本の中から内部で体系化してたっていうよりは、こう疾患として対応する事例は増えていったけれども、自分たちでやるじゃなくてどっちかというと外部から輸入する形で学んでいこうっていうのがちょうどそのあたりの年代でかなりブームになってたっていう感じですね。
そうですね。なので本当に80年代なんかっていうのは、脳卒中といえばボバースっていうぐらいものすごく力をつけたんですね。それ以外のファシリテーションテクニックに関しては、小児でボイタが流星を誇っていましたけど、それ以外のルード法とかブルーストローム法だとか、あるいは脳卒中を受けるPNFだとかっていうのはそこまで日本で定着しなかったんですよ。
だけどボバース法っていうのがすごく定着した結果、大阪にボバース記念病院っていうのができて、ここに脳卒中の総本山ができたんですよね。
実際にボバース記念病院で、前も少し話したかもしれませんけど、理学療法師が非常に少ない時代にもかかわらず、理学療法師が50人ぐらいいる病院になって、チャイムが鳴るんですね。40分になったら患者さんが入れ替わって、40分でずっとやりながるっていう。
その結果どういうことが起きたかというと、奈良の県一つのリハビリテーションの売り上げとボバース記念病院の売り上げが同金額ぐらいだったっていう売り上げてたらしいんですよ。だから本当にそこで多くの患者さんが集まってきて、脳卒中に対して解決したい。そのためにボバース法っていうのがある。
ボバースっていう言葉が多くの人が知れ渡って、みんなボバースの研修会に来るっていう時代だったんです。
なるほどですね。それが結構長期間の長い研修って感じなんでしたっけ?
そうです。初期、中級、上級とか国際とかって、ちょっとすみません、ここ詳しく分かってないんですけど、段階があって、初期の段階でも確か20万ぐらいかかってる。1週間ぐらいで。だから僕らまだ手取りが17、8万ぐらいの時に、これはいけんなってみんな言ってて。なのでやっぱり大阪を中心に流行ったっていうのはあります。
なるほどですね。大阪、ただそれでも外から学びに来る人もいたりして、大阪以外で特にこの辺は力を入れてたとか、そういう場所もあるんですかね?
僕が少なくとも知ってるのは、例えば九州でいうと福岡の一つの病院がボバース法の本山になってましたね。だからおそらく地域地域でそういうようなボバース法を受け入れてやるっていうのは強くあったと思います。
これすごい僕らの学生時代の笑い話っていうのがあって、学校の先生が半分遊んだと思うんですね。それはなぜかというと、ボバースをやっている福岡の中心の病院の実習に行った後に、日本のハーシュバーグ法の中心の病院に行かせて、実習でその子めちゃくちゃ怒られるんですね。
要は考え方が真逆なので、そのレポート書いてこいと言ったら、統合度解釈とかがいわゆるボバースコンセプトの考え方なんですよ。
ボバース法とファシリテーションテクニックの変遷
要は寝かせて軽縮っていうものを調整する運動をする。できるだけ軽縮を起こさせないために歩行だとかっていうのはすごく丁寧にやるみたいなことを書いてたら、お前バカみたいな感じで早く立って動かせって言っちゃったって言って、これは僕らの時代のすごい大きな逸話です。
この学生大変だったなっていう。
そうですね、崖から突き落とすみたいな感じですね。
学生教員としても知りたかったんじゃないですか。本当に考え方が違うんじゃないかっていう。
かわいそうですけど、それで確かに。
僕らもそれでわかったんですよ。アプローチって違うんだなっていう。
なるほどですね。そこからまたエビデンスベースメディスンとか科学的な考え方が入ってくると、ボバースみたいな考え方の見直されとかが起こっていたりするんですかね、徐々に。
そうですね。一番僕らが衝撃を受けたのは、第1回の脳卒中ガイドラインなんですよね。
脳卒中ガイドラインが2010年だったかなに、脳卒中産学会が出したときに、リハビリテーションのところにボバースだとかファシリテーションテクニックのABCをCに下げられたというか。
要は医者の世界において、いわゆるファシリテーションテクニックというのは価値がないっていうふうに判断されたというふうに我々はすごく衝撃を受けたんですよね。
その1980年代から僕らが90年代に教育を受けて、僕らからするとボバース法だとかファシリテーションテクニックっていうのがある種重要なインプットだったんですね。
そこから10年ぐらい自分たちが仕事をして、やっぱり脳卒中っていうのはファシリテーションテクニックがいる、軽縮に対する安全な動かし方がいるっていう。
ちょうど自分たちがテクニックとして主流派になってこようとしたときにドーンと落とされたんです。
東洋のアプローチとハリの役割
僕は1999年に理学療法士になって、2010年に総理が起きたので、カスパストロフィーってやつですよね。
今までの自分は何をしてたんだろうみたいな。
なるほど。ちょっと1回話を戻すと、ボバース以外にもPNFとかいろいろあったっていう感じなんですけど、それは脳卒中以外の疾患に対しては用いられてたとか、どういう変遷をたどっていく感じなんですかね。
ルード法っていう感覚を刺激してやるアプローチっていうのは、ほとんど日の目を、日本では日の目を見ずなくなっていったけれども、その後の認知神経リハビリテーションとかっていうのはこの辺りの考えがあるんではないかなと。
詳しい人に言わせても違うかっていうかもしれませんけど、やっぱり感覚に対して刺激を入れていくっていうアプローチっていうのはすごくそこにある。
PNFもそれに多少違うんですね。プロプレオセプティブ、固有需要神経筋。需要神経筋にアプローチをするので、これは感覚を使ってるわけですよね。
だから今になってその感覚を使うっていうものが見直されている部分はあるんですけども、一旦収束していってますよね。
なるほどですね。あとなんか以前もこう物理療法とか運動に関するところで、なんか西洋と東洋の違いというか、そういうのもあった話もあったと思うんですけど、
例えばなんかその神経系にあったりするアプローチとして、東洋から出てきてるものとかそういうものもなんかあったりするんですか。
これは本当に正直知らないというのが答えで、神経系のアプローチっていうので東洋で一番、僕らはできないんですけどやるって言ったらハリですよね。
あれはねやっぱり抹消神経のみで、中枢神経にはアプローチができないので、抹消神経系の問題があるのであればハリにおける、だからヘルニアとか、
神経系はいけると思うんですけど、中枢系に関しては何をやってるんでしょうね。
そうですね。ちょっと難しいところがありますよね。そうなると関西とかだと抹消に対するアプローチとかだと、そういうハリとかでっていうのは行われたりしてたんですかね。
実際に昔は病院の中にリハビリテーション科とセットで神経を持ってた。僕が最初に行った病院も神経をリハビリテーション科が持ってたんですよね。
なので、特に僕らの時代は慢性頭痛だったんですけど、いわゆる痛みが長く続く人はハリの方に行ってって言って、これはドクターが処方書くとコストが取れてたんですよ。
病院の中でも。なので、ハリの人たちとは共存してたんですね。重症の人とは共存してないんですけど、ハリの人とは共存していたので、
もしかしたらその中で、例えば電速とか神経伝達速度だとかを取った後にハリを刺してやってたっていうことはあったと思います。
痛みのアプローチの変化
なるほどですね。あと神経系っていうと、これまで神経が問題になる運動に対するっていうところだと思うんですけど、
感覚、まさに痺れ感とか、先生だと痛みとかも結構探求してたと思うんですけど、そういうところに対するリハビリテーションっていうのは、
理学療法的にはどう考えていったらいいんですかね。
痛みというところに一つ視点を置くと、痛みの治療が非常に活発になってきて、今のような形はやっぱり2000年以降ですね。
それまでは都市療法が痛みを対応するという形であったので、僕が学生時代に非常に有名になったのはマイオセラピーって言って、いわば視圧ですよね。
名古屋系の人たち。IDストレッチだとかマイオセラピーだとか、その後にマイオチューニングっていうのが流行って、そこは都市療法の動きだったわけです。
それとは別にカルテンボーンエビエントとかパリスナとか都市療法っていうのが関節を動かすことによって、AKAも入れてます。
AKA SJFも入れて関節を動かすという形で慢性頭痛にアプローチをしていくっていう、痛みに対してアプローチをしているというよりは、機能制限に対してアプローチをしてたわけですね。
それが今の流れは痛みそのものを対象にし始めているので、根本的に考え方が違うと思います。
なので今のニューロじゃないな、ペインリハとかっていうのは痛みそのもののアプローチに近い。
ただそれを具体的にどういうふうに変化させるかっていうのは先ほどの都市療法に比べたら弱いのかなと。
評価項目とか評価形態を主に見ていっているような印象はあります。
あることですね。本当神経系っていうと幅広いんですけど、痛みっていうのとまた神経による運動の麻痺とかは結構根本的な考え方も違ったりとか評価の内容も違ったりとかっていうのがありそうな感じですかね。
そうですね。なので都市療法を起因とする痛みのアプローチは患者さんの訴えだとかアンケートとかってまず取らないですよね。
いわゆるどういうふうに行動が変わっているかっていうその行動の変容だけを見る。
つまり痛みっていくつかの見るポイントがあるんですけど、主観的なまず痛みの程度を見る。
それとそれに関する影響を見るわけですよね。
なのでその主観的な部分でその人の物語が大きく変容するとかっていう部分は都市療法の人たちは見ない。
その代わりそれにおける行動かつ特に動作の変化、その動作の変化が変わるということで全てが良くなるだろうというのが都市療法の基本的な考え方だったんですけども、
そういう主観的な変化っていうものに変容を与えようとするというのが例えば破局的思考とかこういうような検査方法が出てきてそこからそっちが変わるっていうのが重要だよね。
だからそれが変わることによって動作が変わっていくとかっていうのもアプローチになっているので、
どちらが正しくどちらが間違ってるというよりも視点が違ってるっていうことでしょうね。
そうですよね。なのでまたこう神経系の関わるところで運動とか痛みとかだけじゃなくて、この辺も森先生よく考えられているメンタルヘルスとか精神面みたいなところももちろん神経活動が影響しているというところだと思いますし、そちらはそちらでまたいろんな考え方がありそうな。
ここ腰痛を主に田代さん扱ってこられたんですけど、この辺り田代さん側から見るとアプローチだとか評価だとかってどんなふうな捉え方されているっていうのはありますか。
そうですね。自分だと腰痛の研究していて、運動から来るところと心理的なものが絡むものっていうのがあるっていうのはもともとあったんですけど、
特に物理療法に関わるような研究があったんで、心理的な問題をできるだけ少なく純粋な身体的な問題で腰痛が起きている方を対象にしようとしてたんで、スタートバックスクリーニングツールっていうような心理面を評価する指標があって、
それで一定の点数が超えていると、そういうさっきの破局的思考とか心理面が絡んでいる腰痛の要素が強めっていうのがあったんで、そうじゃない方においての運動とか物理療法による効果っていうのを見ていったんで、
個人的にはその精神面の探求をちょっと一旦しきらない状態で腰痛に対することを考えてたんで、その辺の精神面とかメンタルみたいなところは今後もちょっと深めていきたいなとは思ってますね。
むしろそこをペンディングするというか、哲学的に言うとエッポ系するというか、こういうアプローチの方が基本的には僕は重要だと思うんですよね。
それに精神面を巻き込んでくると、我々理学療法士ってどこまでその精神を定規格に評価してアプローチしていくかっていう難問に入り込んでいくので、その難問っていうのを一旦置いた上で、精神に関係なくこのアプローチをすれば痛みが緩和するので、まずこれをやりましょうっていう段階づけはすごく重要だと思うんだけれども、
今どちらかというと精神面でその人の行動変容が起きているので、どうにかそこを変えたいっていうようなアプローチが増えてきているような感じがあって、これはやっぱりドツボにはまるだろうなっていう気がします。やっぱりすごく難しくなっちゃうってことですよね。
そうですよね。自分ももともとスポーツに関わってて、特に同じ動作を繰り返すような水泳とか自分だとボート競技とかなんで、そこは結構本当に純粋に身体の活動で痛みが起きるっていうことが多くて、まずはそっちに着目したかったんで、その精神面を少し減らした状態でっていうのをやってたんですけど、結局一般の方とかを見据えた時だと本当に身体だけが問題っていうのは少ないかなと思いますし、
今後よりメンタル面とか精神面の理解っていうのは必要なんじゃないかなと思いますね。
ちょっと神経ではなく痛みのところもう1個だけちょっと深掘りすると、最近僕書いた論文で、やっぱり痛みの考え方って分解影響がものすごく強い。
日本の考え方とアメリカの考え方っていうのは全く違うわけです。
なのでその文化要素っていうのをちゃんと読み込まないとアプローチも考え方が変わって、どういうことが違うっていうと、日本では痛みは我慢するものっていうのがベースにあって、アメリカには痛みは早く取り去るものっていう考え方があるんですよね。
だとすると医者がどういうアプローチをするかというと、日本の場合、例えば整形外科で腰痛と言ったら、尻尾と鎮痛剤をもらうわけです。
でも鎮痛剤って基本的に3段階のレベルがあって、一番下がNサイズって言われるロキソニンだとかっていう非ステロイド系の鎮痛剤ですね。
2番目が弱オピオイドっていうもの。一番強いのがオピオイドなんですけども、日本がオピオイドを処方するレースっていうのは今までなかったんですよ、弱オピオイドも。
でも最近ちょっと海外の状況を捉えてトランセットだとかっていう弱オピオイド系を出すようにはなったんですけど、相当に慎重にやってきたんですね。
だけどアメリカって1990年代から腰痛でいきなりオピオイドを出すんですよ。それが今どうなってるかって言ったらトランプさんも懸念している、あれはコデインじゃなくて何でしたっけ?
薬の名前はオキシコンチンなんですけども、アンフェタミンじゃない、フェンタニルだ。フェンタニルの問題ってこれ実は鎮痛剤からなんですよね。
なので早く取りたい。1、早く取って仕事しなきゃいけないっていうのが影響だと、もう理学療法とかよりも薬で対応しよう。
文化と痛みの関係
そうしたら依存症になっちゃった。日本は逆に強い痛みであってもオピオイドを出さないので痛みが残るんですよね。我慢しなさいっていう状況なので、非常に文化との影響関係がすごく強いです。
そうですよね。今オピオイド系の問題は相当アメリカでは話題になっていると思いますし、文化みたいなところで、自分もともとスポーツの関わりが多かったですけど、どっちかというと自分の関わった水泳とかボートとか同じ動作繰り返す系は繊細な選手が多くて、ちょっと痛みがあるとすぐ気になるみたいな感じでしたけど、
堀先生関わるというのはラグビーとかコンタクト系のスポーツ系の人の方が特に我慢しろみたいな強そうな印象もありますし。
これはね、痛がりは痛がりですよ。
本当ですか。
僕も痛がりなので。
個人の特性もありつつ、そういうスポーツの文化もありつつみたいな、精神面は本当に深掘りしていくとちょっとドツボにハマりそうな感じがしてたんで、痛みに対するっていう時も純粋な身体で分かってたっていうのがありますし、
その辺のまた文化的背景による感じ方、痛みだけじゃなくて多分体の不調とか麻痺に対する捉え方も多分違うんですよね。
そうですね。神経系の病気に対する捉え方とかっていうのはもちろんそうだと思いますけど、今ちょっと文化的、比較文化論的に話すと、脳卒中が多い国かそうじゃないかってなった時に、
アメリカは脳卒中やれば心臓が問題が多いわけですよね。
非満者が日本の3倍いるわけで、非満になってくるとどうしても心臓がやられるって、脳も本当はやられるはずなんですけども、
心臓の方がやっぱりアタックをかけるのでも影響が強いので、心臓に対するリハビリテーションっていうのは非常に進んでいるとかっていうことにもなりますし、
脳卒中そのもの自体っていうのは今後恐らく東南アジアを含めて非常に広がってくると思うんですよね。
なのでそこをやっぱり日本がちゃんとデータベース化してそれを提供するっていうのはすごく重要だと思いますし、
早期立証と言われる考え方がとても重要であるんだけれども、
これちなみに早期立証って誰がそういうふうに訳したのかちょっとわかんないんですけど、
英語ではEarly Mobilizationなんですよね。早く動かせるんですよ。
だけどEarly Mobilizationと早期立証ってイコールに僕の中ではならないんですよね。
だからEarly Mobilizationであるということはすごく重要なんですけど、
早期立証っていうのは早く車椅子に乗せるみたいなイメージでどうしても強くなってくるって結果的には一緒なのかもしれませんけど、
ちょっと変わってくるので、そこはちょっと置いといて、海外でも理学療法士の数がいれば、
いわゆるEarly Mobilizationっていうのが達成されて、
Early Mobilizationが早く達成されるとどういうことがあるかっていったら医療費がかかりづらくなるんですよね。
再発が少なくなるので。だからそこに神経系というよりは早く動かすっていうこと自体の意味が、
どちらかというと世界的には確立されていっている感じはありますね。
なるほどですね。そのアッシュバーグ的な早く動かそうとか立証するっていう動きと、
ファシリテーションみたいなものっていうのは結構対立してたような感じがあったと思うんですけど、
それらをうまく組み合わせた、ミックスさせたモデルというか、
そういうのがいいよねみたいな動きとかは今後出てきたりしそうなんですかね。
その部分で、もしかしたら僕の解釈が間違ってるかもしれませんけど、
1995年前後かな、90年代に入って、一部の農卒中界隈で革命的に売れた本があるんですね。
それがStep to Followっていう本で、その続編がRight in the Middleっていう本だったんですよ。
これはボバースのコンセプトでもあるようで、そうじゃなくやっぱり寝た状態で理学療法をやるんではなくて、
座った状態と立った状態の理学療法を説明した本なんですね。
特にRight in the Middleっていうのはちょうど真ん中っていう意味ですけど、
体感に対するアプローチを農卒中にやりましょうっていうのを説明した本で、
僕らにとっては革命的だったんですよ。
あ、農卒中って体感が大事なんだっていう。
それまで農卒中っていうのは、ボバースでいうと手と足なんですよ。
だから体感に対する考え方ってゼロだったんですよね。
そこに体感という考え方が入って、体感をアプローチすることによって座るとか立つっていうのが変わるっていうのが出てきて、
これは本当にね、みんな読んでました、この本は。
そしてみんな、例えばバランスボールとかに座らせて体感のトレーニングとかをする。
全国一気に広がったっていう。
だからそれはハーシュバーグ法とボバース法のあいのこ。
クラインフォーゲルバッハがベースだったのかちょっとすいません、そこ忘れてしまったんですけども、
非常に今でもおそらく重要な考え方のベースになっていると思います。
なるほど、そういう意味では自分の場合は腰痛のアプローチとかよく考えてたんで、
結構体感に関することとかはよく考えてましたし、
そういうところがもしかしたら脳卒中のアプローチにも生きてくる部分があるかもしれないな。
おそらくですね、僕の感覚では逆なんですよ。
そのライトインザミドルとかが入ってきてスポーツが体感って言い出したんですよね。
ライトインザミドルが先にあって、その後にどうやら複合筋とかじゃないみたいな話になってきて、
複合筋とたれつ筋の連携だとかっていう、
連携って神経系の考え方なので、僕はライトインザミドルが先じゃないかなと思ってます。
なるほどですね、脳卒中の方でこういういいのもあるんだっていうのがあって、
そこから運動機とかにも入っていく。
僕はそういう記憶ですね。
これは僕のあくまでも主観的な記憶なので間違いはあるかもしれませんけど、
僕はライトインザミドルっていうのを学生ぐらいのときに知って、
仕事始めてあるときに2000年前後ぐらいに体感だよっていう話をした場合、
やっぱ体感なんだみたいな感じになった感じがありますね。
なるほどですね。
今のところ2000年前半ぐらいのところまでの流れが見えてきたんですけど、
これから先で特に最近注目されてきてるとか、そういうのもあったりするんですかね。
認知運動療法の重要性
脳卒中というところに行くと、ファシリテーションテクニックとハーシュバーグ法というところに加えて、
第三政局として認知運動療法、当時は認知運動療法と言ってたんですね。
今、認知神経リハビリテーションという言い方をすると思いますけど、
僕ら認知・認知という言い方をしてたんで、
認知運動療法というのが、それこそ1990年代後半ぐらいからまっと日本に流れてきて、
最初に高知医療学院の宮本翔蔵先生という方が、
イタリアのペルフィティの考え方とかを日本に導入されて、
先ほどルードの話をしたと思いますけど、
感覚を刺激するっていうところが、僕の中でつながったところが、
認知運動療法というのは、患者さんの感覚を使って、
感覚の中から運動に過疎性を起こさせるっていう。
スポンジとかを当てて、その人の感覚っていうものをどんどん復活させていったり、
正しい動きを誘導することから、その人の感覚を入力する、
吸心性を入力させて、そして遠心性に変化を与えるっていうのが入ってくる。
これは僕の中ではヒットはしなかったんですけども、
徐々に広がりを見せていましたね。
その中からイコールという形では捉えていませんけども、
ニューロリ派っていうのが生まれて、
今はニューロリ派というのが一つの主流派になってるんじゃないですかね。
なるほどですね。
そういう感覚とか使い出すと、
セラピストが客観的に評価してアプローチするっていうだけじゃなくて、
患者さん自身の感覚とか認識みたいなところが考える必要が出てくると、
認知神経リハビリテーションと減少学みたいなところとかもちょこちょこ聞いたりするんですけど、
そこで哲学とか減少学みたいなところの考える意義も高まってくるかなっていう感じですかね。
ここが僕が実はすごく苦手としている部分で、
看護もそうですし、認知運動療法、
今は認知神経リハビリテーションと認知運動療法の人たちが減少学という内容を捉えてやっているというところで、
おそらくメルロポンティがしたいような感じなんですよ。
僕実はメルロポンティはあんまりよく分かってないんですよね。
なので、メルロポンティを分かってない段階であんまり語れないっていうところがあって、
僕自体はあんまりそこにコミットしてないんです。
なので、ここって哲学って言うと認知ですよねとかって言われると、
僕らは割と答えないようにしてる感じがします。
そこは下手な話ができないっていう。
だいぶ込み入った内容になってきますね。
哲学的に批判ができるわけでもないし、
かといって間違った解釈を僕がしてしまうことで、
お互いにとって良くないっていう。
現象学っていう捉え方をすると、
いろいろな話はできるのかもしれませんけど、
メルロポンティを主体としていたりだとか、
あるいはペルフェッティだとかそっちの人たちが、
どういう現象学を扱っているかっていうのを僕は理解していないので、
同じ現象学っていう形でコメントをしないように割としているんですが、
確かに生きられた経験とか、
リブドエクスペリエンスっていうんですけども、
患者さん自身の経験というものをいかに表現させるかというのは、
確かにやられていたので、
どのように感じているとか、
どのように捉えているかっていうものを言語化させるアプローチっていうのは、
すごく面白いなと思ってます。
なるほどですね。
神経に由来する運動の問題に対するアプローチも、
今後また新しいものも出てきたりとか、
過去あったものが再発見されるみたいなこともあるでしょうし、
そこにはまた痛みとか精神面の問題っていうのも、
いろいろ絡んでくると思うんで、
単純にこういうノウハウでやればいいよっていうのは、
結構語りづらいところかなと思うんですけど、
さっき言われた通り東南アジアとか、
また高齢化が進んでいく国では、
そういう脳卒中の問題とかもどんどん増えてくるかなとは思うんで、
そこで日本の知見っていうのも、
まとめて輸出するとか、
定期的にできればまとめていけるといいかもなっていうのはありそうですね。
そうです。特に海外はどうしてもまだ運動器主体、
いわゆる高齢化をしていかないと、
高齢に対する病気っていうもののアプローチっていうのは先送りにされていくので、
必ず世界中で高齢化するんですよ。
その高齢化というのがどのレベルで高齢化するかっていうのは、
ちょっと正直わからない部分はあるんですけど、
少なくとも中国はひとりっ子政策によって、
日本よりも悲劇的な高齢化をするはずなんですよね。
その悲劇的というのは、生産人口が減って、
高齢の方に対してお金が行くということになるので、
でもそれは悲劇的にならないようにするためにはどうしたらいいかというと、
労働者として高齢になっても働ける状態を作っておいて、
納税していくっていうことなので、
これはいち早く動くことによって、
中国の理学療法の特徴
例えば日本の、世界の65歳は日本の75歳だって言われるらしいんですけど、
健康な高齢者を作ることによって、
長くやってもらって税金を納めてもらうっていうと、
おそらく中国も考えてはいると思うんですよね。
そこに一番役に立つのが、
医学的リハビリテーションなわけなので、
そこで理学療法というのがどんだけコミットできるかということなんですけど、
中国だけの話をすると、
中国の理学療法って世界の理学療法とはちょっと違うんですよ。
東洋医学との流れが強いというのと、
医学系理学療法とスポーツ系理学療法の2派に分かれる。
医学系リハビリテーションは医者の医学界の介部門として存在していて、
それはやっぱり少数ではあるんですよね。
体育系の方が実は人が多いんですよ。
2025年1月にWPTについに中国が加入した。
これがどういう風な影響を出してくるかっていうのは全く読めないんですけれども、
中国がどういう風な理学療法を展開していくのかっていうのは、
どっかで検索しておかないと、
すごく世界基準に影響を及ぼしつつ、
我々日本が逆に言うと指導できる状態なのか、
あるいは共存していくのか、あるいは押し込められるのか、
そこは一早く見とかないといけないんだろうなと思ってます。
神経系へのアプローチの歴史
なるほどですね。
途中で神経系に対するアプローチとして、
東洋のところは、中枢に対するところは、
そこまでこれっていうのがないかなみたいな話もありましたし、
そうなると世界で高齢化するにつれて、
農卒中の問題は確実に増えたり、
今までなかった国でも起こるだろうっていうところなので、
そこの考え方の必要性は増してくるかなと思うので、
また見ていけたらと思うんですけど、
一旦神経系に対する過去の流れとか、
どういうものがあったかっていうのはざっと見れたかなと思うんで、
一旦前半部分はこんな感じで締めて、
ちょっとまた後半で未来の話とか、
もうちょっと新しいこういうのもあったらいいかもねみたいな話を
ざっくばらんできたらなと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございます。