1. 広告を楽しむ『アドバタラヂオ』
  2. #200 SPゲスト嶋浩一郎さん!..
2024-06-03 38:37

#200 SPゲスト嶋浩一郎さん!嶋さんに聞く広告業界に入った経緯や博報堂ケトル誕生秘話など ゲスト:嶋浩一郎さん

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サマリー

今回のエピソードでは、クリエイティブディレクターの嶋浩一郎さんが、富永誠さんと須貝健さんに広告業界の経験や博報堂ケトルの誕生秘話などについて話されています。 島浩一郎さんは90年代にインターネットのコンテンツ作りを経験され、広告以外のすべてを行うPR局で勤務されていた中で、新しい価値観の普及に挑戦する決意をされ、安藤照彦さんと共同経営の「ケトル」という会社を立ち上げられました。 島浩一郎さんには、博報堂ケトルの起源や広告業界への参入経緯についてインタビューされています。 広告のあり方やクリエイティビティの重要性についてもお話しになりました。 島浩一郎さんには広告業界への参入経緯や博報堂ケトル誕生秘話についてインタビューされました。

00:03
広告をやって楽しむ、見て楽しむ、話して楽しむ、アドバタラヂオパーソナリティの富永誠です。
須貝健でございます。
須貝健さん、今回は、平番組200回スペシャルでございます。
ビバ!
200回もやってまいりました。だいたい4年くらいやってますけども、200回まで来るとは。
ちなみに100回の時は、CMディレクターの中島真也さんでしたね。
そうですね。中島真也さんを収録させていただいて、
僕ら2人だけだと200回弱いなと。
とてもじゃないけども、引きは弱いんだと。
今回、またまたスペシャルなゲストが来ていただいてますね。
ぜひご紹介いただけますでしょうか。
嶋浩一郎さんの経歴
クリエイティブディレクターの嶋浩一郎さんです。
こんにちは、嶋浩一郎です。皆さん今日よろしくお願いします。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
いい感じに収録場所だね、今日ね。
5月8日のオープンエアのところで、B&Bのテラスからお送りしています。
ありがとうございます。
すごい、本当に天気もいいですし。
こういうところで収録ができるということは幸せですね、先生。
素敵な機会、そしてお越しいただきありがとうございます。
ありがとうございます。
いや、来てもらったんだけどね。
ありがとうございます。
ありがとう。すみません、わざわざ下北沢まで。
ありがとうございます。
そうなんですよ。今回200回のスペシャルゲストというところで、
嶋さんにお越しいただいておりますが、
ちょっと早速、皆さん知らない方もいらっしゃるかなと思いますが、
ご紹介いただいてもいいですか。
では、読み上げさせていただきます。
白鳳堂執行役員、エグゼクティブ・クリエイティブディレクター兼
白鳳堂を受け取るファウンダーの嶋小市郎さん。
1968年、東京都生まれで、上智大学法学部法律学科を卒業後、
1993年、白鳳堂に入社。
コーポレートコミュニケーション局で企業のPR活動に携わられて、
2002年から4年、白鳳堂で発行されている
報告の編集長を担当されていました。
2004年、本屋大賞の組織に参画されて、
現在、NPO本屋大賞実行委員会の理事をされております。
2006年に、既存の手法にとらわれないコミュニケーションを実施する
白鳳堂ケトルを設立。
多数の統合キャンペーンを実施されて、
カルチャー市のケトルの編集長や、エリアニュースサイト、
赤坂経済新聞編集長など、メディアコンテンツ政策にも
積極的に関わってられます。
2012年、下北沢に、ブックコーディネーターの千山慎太郎さんと一緒に
共同事業として、ここ、本屋B&Bを開業されています。
ここから、いっぱい本出してます。
たくさん出されてますね。
島幸一郎のアイデアの作り方、企画力、このツイートは覚えておかなくちゃ。
人が動く、物が売れる、編集術など、多数著作がございます。
そして、カンヌクリエイティビティフェスティバル、ACC賞など、
多くの広告賞で審査員も勤めてらっしゃいます。
ラジオ日経、ラジオ第二外国語、今すぐには役に立てない知識、
という番組で、音楽家の渋谷圭一郎さんと一緒に
パーソナリティを務めてらっしゃるという流れでございます。
嶋浩一郎さんとの交流
ありがとうございます。よくできました。
渋谷さんが温かい目線で。
ちょっと不安が混じってたね。
ちょっと混じってましたけども。
ちょっと噛んでたからね。
というようなプロフィールを。
素晴らしい。
すごいですね。
プロフィールを拝見すると、純粋な広告会社に入られて、
クリエイティブにずっと行ってるっていう流れではなくて、
一回コーポレートコミュニケーションという広告会社の広報というか、
作るところからコミュニケーションの、
そういうところに行かれたというところで、
ちょっと変わったキャリアを生まれているというのが、
まず面白いという。
何よりは問題ございませんでしょうか。
ありがとうございます。
調べが結構厳しいなと思って。
刑事みたいな感じですね。
確かにずっとこういうことをやってますよね、というところ。
ありがとうございます。
というところで今回ですね、
渋谷さんお越しいただいて、
いろいろお話を聞いていきたいなと思っておりますので、
よろしくお願いします。
まず最初に、今回すなけんさんのご紹介でというか、
ご連絡で島さんに来ていただきましたけど、
なぜ島さんと知り合ったのかというところ、
お二人の記憶を伺ってもよろしいですか。
先ほどプロフィールでもお伝えしましたけど、
2006年に島さんと、
あと木村健太郎さんという箱音の方で、
一緒に箱音ケトルを創設されて、
その時自分は広告業界史の新聞記者をしていたので、
当時の箱音さんの広報の方から、
こういう会社を作るので、
取材に来てくださいませんかというような流れで、
島さんと木村健太郎さんに取材をさせていただいたと。
それ覚えていらっしゃいます?
覚えてますよ。
覚えてます。
覚えてますよ。
本当ですか。
そうそうそうそう。
今よりね、すなけんさんまだスラッとしててね。
半分ぐらいですね。
かなり鋭いツッコミもしてきましてですね。
そうですか。
今ちょっと体型がね、ワイドサイズになって丸くなってるんですけど、
やっぱりジャーナリストとして当時鋭い質問で、
ケトルは何をやるんですか?とかっていう感じで、
鋭い質問をしていただいたのを覚えてます。
そうですか。
その感じもすなけんさんは覚えてる?
そこは、それは多分。
そうですね。
そういうこともあったと。
そういうこともあったと思います。
結構ツッコム系ジャーナリストだったんですね。
なんかバカにせるお前。
そんなことないですけど。
そっかそっか。
それがもう、ごめんなさい。
2006年なので。
もう20年近く前。
そうですね。それぐらいになりますね。
広告業界への進出
そこから当時、僕の勝手な印象なんですけど、
すっごい広告の、メインのCMを作るとかっていうところじゃない、
街中の壁を使ってとか、
一つひねったアウトプットのそういうコミュニケーションとかっていうところを
積極的にやっていた会社さんだったので、
それを取材させていただくとか、
島さんの部下の人にインタビューさせていただいたときに、
島さんが横で作業されているとか、
白板の前でこうやって、
頭こうやってかきむしりながらみんなに説明しているとか、
会合か何かのときにこれから飲み行く?みたいなことを言われて、
下北に飲みについていっていただいたっていうことも。
なるほど。
曲があります。
当時ね、会社の部屋が全方位ホワイトオードだったんだよね。
はい。
200ページくらいの企画書を当時書いていたんだけど、
パラパラ紙芝居で、
例えばOLさん向けの女性向けの商品だと、
会社勤めの女性が朝起きて、
情報番組特打で見るとどんなニュースが流れてて、
電車で乗って会社に行くときに、
ヤフーニュースを携帯で見るときこんなニュースがあってみたいな、
物語としてその人がどうやってそのブランドとか商品を知っていくかみたいな、
企画書をよく書いてたんですよ、当時。
それを200枚くらい壁に貼りまくるんですよね。
マグネットが使えるホワイトボードで、
会議室を全部覆い尽くしてましたね、当時。
そうですね。
そのときもカレーとかに興味が、ショックとかね。
もちろんそれで一冊、あれってポプラでしたっけ?
食のお出しになったりとかね。
そういう雑誌も作っておられて、そこで編集長もされていたりとか、
もうね、後々話出てきますけど、
知識量が半端ないんですよね。
知識量とあと、その情報が集まっていくところのトップの人たちとつながってるから、
シマさんに話を聞くと、新しいのが出てくるから、
一緒にいて楽しくて、そこの角度から来るかみたいな情報もたくさんいただける、
当時からそういう風に思ってましたね。
そこからじゃん、付き合いが始まったっていうところであってますよね。
そうです、あってます。
あってますよ。
ダブル尋問な感じがメタ構造になってるね。
いいね。
普通にそれって最初仕事仲間というか、記者側としてシマさんに伺うところで、
普通だったらそこで関係はおしまいですけど、話を聞くといろいろそこからも交流があった。
いやいやいや、たぶんその後下北引いて一緒に飲む人が必要だったんだもんね。
なるほど。
たぶんね。
一緒に飲みに行くかみたいなことですね。
飲み屋さんにたまたま友達と行っていたら、
夜中にシマさんがやってきて、ここのパスタ美味しいんだって言って、
一人でパスタだけ食べてお帰りになったりとか。
大事ですよね、そういうのね。
大事ですよね。
と思ったら、シマさんどうしたの?
この時間だからねパスタ食べたくなった。
パスタだけ食べてじゃってお帰りになった。
そういうところでお会いしたりとかもしますよね。
そういう接点大事ね。
確かに。
そうするとそこのマスターの人がビールか何かをポンって、
これ注文したらシマさんから一杯って言って、わざわざ。
あら、あら、いい人じゃないさ。
女の子を駆属バーのよくあるダンディなやり取りみたいな。
ここでパスタを食べていたご人からですみたいな感じ。
それが最初だとして、直近はどうですか?
もう忙しいですし。
結構忙しくなって会ってなくて、
このポッドキャストの番組やられてるのは知ってるんですよ。
ありがとうございます。
日本放送でやってるアワードとかをポッドキャストで撮ってるとかね。
お、頑張ってるじゃないかみたいな。
いいことだけお伝えするんですね。
感じで。
今日も呼ばれて嬉しいですよ。
もうありがとうございます。
本当にありがとうございます。
さっきいろいろお話があったように白色な頃だったりとか、
実際編集をやっていらっしゃるというところを伺ってたんですけど、
広告の業界に来たっていうのは、
シマウさんのきっかけは何だったんですか?
でも多分基本ミーハーだったんでしょうね。
メディアにすごい興味があって、
会社入った当時だとまだインターネットがそんなに発達してる時代じゃないから、
広告会社でのキャリア
それこそ雑誌とかラジオとかすごい好きだったんですよね。
それにまつわる仕事ができたらと思って、
出版社とかも受けたんですけど、広告会社もありかなと思ってね。
で、運んで会社に入っちゃったんですよね。
その入社するときは一応、
この部に入りたい、この局に入りたいみたいな、
第一志望、第二志望みたいなのあるじゃないですか。
マーケティングとかの局に入りたかったんですけどね。
結局全然違うPRの局に配属されたけど、
意外にその後好き放題いろんなことさせてもらってるから、
どこに入っても一緒だったのかなと思いますけどね。
それって好き放題にできるような地盤があったのか、
なんとなくこの地盤使えるぞと思って作った感じですか?
インターネットのコンテンツ作り
PR局っていうのはね、今でこそPRの時代とかって言われて、
すごい重要視されてるけどね。
当時、広告会社のPR局ってすごい返協の地だったんですよ。
見えないから意外に、
なんかいろいろやっても大丈夫だぞみたいな、
注目されてない感があったんで、
広告作る以外は好き放題以外にできたっていう感じですよね。
そのときにすごく返協と言われてるそこのとこで、
自由にできるぞって思ったときに、
志村さんが目立った瞬間があったんですよね。
たぶんその仕事っていうか。
どうなんですかね。
でも、例えば普通にPR局に入ると、
企業トップが記者会見するときの原稿書いたりとか、
CMのタレントの芸能記者会見とか、
そういうこともやりつつ、
でも90年代ってすごいインターネット創生期になったんで、
企業が今でいうオウンドメディア、
当時企業のホームページとかって言ったけど、
そういうオウンドメディアを作る仕事とかって、
別に広告会社の中でどの部署がやるとかっていう、
サイバーエージェントとかもなかったですからね。
誰がこのインターネットができたらしいぞって言ったときに、
企業がページを作ってるらしいぞって言ったときに、
作る人誰とかっていうのをやりますやりますとか、
作ってましたね。
今も残ってる食品会社の大きいサイトとか、
アルコールメーカーのサイトで、
小山くんどうさんとワインを作る連載とか、
この人とこんなコンテンツ作りたいみたいな、
例えばくんどうさんとか、
僕学生時代に彼が作っていた、
可能性の屈辱っていう番組大好きだったんですけど、
この放送作家の人と一緒に仕事したいと思って、
人から携帯の電話番号を聞いて、
ワインのホームページ作るんですけど、
一緒にワインを作る連載やりませんかっていう、
くんどうさんはスチュワーデスと毎月ワインを飲む企画だったら
やってもいいけどねっていう、
いやそれも楽しそうですねってのもあったんですけど、
それだとちょっとね、
お前らだけが楽しんでるんじゃないかみたいなね、
ことになるんで、
ちゃんと畑に通って食べるネソウビニョンっていうブドウを、
1年かけて育ててワインにするっていう連載をね、
今でいう企業ホームページのメディアに作ったりとかやってましたね。
そこからなんですね、PRっていうのが。
ケトルの設立
PRというか、
そうね、
なんか広告以外のすべてやっていいみたいなところがあったから、
インターネットも当時そういう専業クリエイティブ会社とかがなかった時代だからね。
でもすごいそこでエディトリアルっていうか、
インターネットならではの編集とかって覚えましたよね。
だから普通の紙の雑誌とかって大乱し中乱し小乱しっていう風に、
大きいお酒があって醸造酒があって日本酒があるっていう感じの、
大乱し中乱し小乱しで進むけど、
インターネットって小乱しの方がクリックされるわけじゃん。
お酒のページってあまりクリックされない、
フランスワインのページよりもフランスワインのページの方がクリックされるし、
フランスワインよりブルゴーニュワインのページの方がクリックされるみたいな。
なんか大乱しと小乱しの順番をひっくり返すのがインターネットの編集なんだとか、
そういうことをすごいいろいろ発見しながらコンテンツ作ってましたね。
インターネットがこれから一般的になる時のタイミングだから、
誰も事前の情報というか教えてくれる人もいなかった。
すごかったですよね。
ある食品メーカーさんとかは結局、
お母さんとか毎日お弁当作るの困るからレシピを全部あげちゃえばいいじゃんとか思って、
レシピを一覧でバーってあげるデータベースみたいなこととか作り始めたりね。
そういうことやってましたね。
今だったらもうみんなやってるみたいな。
旅館とかホテルの予約サイトも作りましたよ。
もうゼロからってことですもんね。
本当にだから一件一件こういうの作りたいんでっていうのを送ってあって。
もちろんクライアントさんもね。
もちろん。
でもそういうものがネットでできるんじゃないかとかっていう発見するのが90年代すごく面白かったですね。
でもそこでそういう発見ができるところにいて、そこから。
PRも面白かったですけどね。
でもよく考えたら人が物買うときってもちろん当時はまだ広告の影響力があったから
そうだ京都行こうって言われて京都行きたくなるしね。
新幹線乗っちゃうし。
広告ってすごいなって思うと同時に、
でも意外に洋服買ったりとか店に行くとかって雑誌で読んだりとか人に聞いたりとか。
それで行くよなとか思って。
そっちの方が逆にすごくないかなと思って。
PR自体もメディアがどういう情報を伝えるか自体を解像度高く分析して働きかける仕事もすごく面白かったですけどね。
最初の島さんが工藤さんに入社する前の気持ち、要するに編集とかメディアをやりたいっていうところは
割と自分が入社してから思わぬ形で実現ができたと思うんじゃないですか。
そうですね。インターネットのコンテンツ作ることとか。
でもそのうち本当に30ぐらいになったときに、
朝日新聞さんの仕事で若者が新聞読まないどうしようみたいなことで、
多分広告屋さんは新聞を読もうみたいな広告を作っちゃったと思うんですよ当時。
でもだったら新聞をスターバックスって当時ね、今でもすごい素晴らしいチェーン店ですけど、
日本に上陸して、スターバックスに新聞を置いたら読んでくれるんじゃないかなと思って、
スターバックスで新聞を売りましょうみたいな提案をして、
でもそんなのできるのかよって言われて、いやできると思うんですよね。
アメリカのスターバックス、ニューヨークタイムズと提携してるし、
コーヒーを飲みながら新聞をニューヨークタイムズ読むっていうのは
一つのカルチャーと文化としてアメリカ人は認識しているし、
だったら日本だったらアサシムがそれやってもおかしくないですよねっていう感じで、
セブンっていうタブロイド紙をスターバックスで売るっていうのを作ったんですけど、
本当にその時はメディアの編集もそうだけど、
印刷し終わった新聞っていうものを、
印刷所から全国のスターバックスにどうやって届けるかとか、
ディストリビューションの仕組みとか、
じゃあそういう習慣で出る若者向けの新聞にどうやって広告を入れるかの
アドバタイジングの売り方の話とか、
要はいわゆるメディアプロデュースみたいなこととかも、
だからそうですね、意外に誰も見てないところでやれたんでしょうね。
誰もやり方がわからない、この設計をどう組み立てていくんだっけみたいな、
かなり垣根を超えたPRっていうものだけじゃなく。
でもPR自体は別に手段は選ばないビジネスなんで、
一番みんながイメージするとパブリシティだけど、
メディアに情報提供して報道してもらうことだけど、
PRって合意形成の仕事なんで、
世の中に新しい価値観を広めるためには官僚や政府や議員にも交渉するし、
学会とも交渉するし、
結局新しい価値観が世の中に定着するために、
誰と何をやってもいいっていうか手段は選ばない、
ある意味サイコパス的なビジネスなんですよね。
だからこうしなさいっていう決められた枠がない仕事なんですよね。
だからPRの仕事を最初にやったことは後に蹴取るっていう会社を作ることに
ものすごく影響してるとは思いますけどね。
手段は選ばず課題解決してますかっていうことに関してね、言えば。
僕でも今お話に寄る気で、
確かにお運動で何か企業がやるっていうのは本当に
90年代から始まった流れだと思うんです。
それまでは新聞とかテレビでしかそのルールに則ってやるけど、
自社で何かやれるっていう環境になったのは、
確かインターネットのおかげかなとは思うんですけど、
そこにコネクトしていくっていう企業は確かにおっしゃってたように、
その部署がなかったなと。
なんとなくやりますよっていう感じで入っていったら、
どんどんいろんな新しいことができてきたっていう。
そうだね、インターネットのビジネスはそういうところがあったと思うね。
その中で島さんがやっていきたいなっていうことを、
具体化するためにケトルっていうのを作られたっていう名前になるんですか?
ケトルはね、安藤照彦さんっていうボスがいるんですけど、
グルマンで、とりあえず言うこと聞いとこうって思うオーラが。
オヤビンが。
オヤビンからね、オーラが出てるでしょ?
出てますね。ご存知ですか?
お前会社作れっていうね、木村健太郎とある日呼ばれてね、
言われたんですよ。
でも来たと思ってやりますって言ったのに、
木村健太郎はちょっと待ってください、考えますっていう。
おい!みたいなね。
島さんは待ってたんですね、その機会を。
待ってたというか、乗らなきゃ損だからね、そういうのはね。
木村健太郎はその後共同経営者になるんですけど、
考えますとか、お前何言ってんだよみたいなね。
ありましたね。
これはチャンスだぞと思ってる。
そういうの寝かしちゃダメじゃ!みたいな。
旅突くと。
そうですよ。
喜んでと。
そうそうそう。
なんなんだって思いましたね。
仲いいんですよ、仲いいんですよ。
仲いいです。
それで安藤さんから、ちょっと2人で会社やれよって言われた時に。
基本的にね、その前もね、ケトル的な仕事は多分相当してたと思うんですよね。
博報堂ケトルの起源と広告業界への参入
ポータブルゲーム機を駅の広告にくっつけちゃうとか、
そういうバズル広告とかすごい作ってた気がしますね。
それはやっぱりボスが、2人なんか目立ってなんかやってんなーみたいなのが、
連絡なんかこう来て、で、分かりませんけど。
レシピを考えちゃった。
このこいつとこいつを混ぜたら美味しいものができそうみたいなことを考えちゃったんだね。
なるほど。
それって多分時代を見た時に、多分このコミュニケーション手法が今後注目されていくよっていう視点ももちろんあった中でですよね。
多分組み合わせをお二人で。
確かに2006年ってネット画自体が始まって10年ぐらい経ってたから、
うすうす何かが変わっていくというか、
広告のありようとかコミュニケーションのありようが変わっていく、
なんか変わらなきゃっていうのはあったんでしょうね。
木村健さんと一緒にやりますってなった時の、ケトルのメンバーのキャスティングっていうか、
よくこの何やるかわかんないとこ来てくれましたよね。
船木とかね。ありがたいですよ。
結構だから自分たちと同じことをやれる人、プラス自分たちがやれないこともやれる人っていう。
ケトルで大事なのは、今持っている技術より何かやらかしたいという欲望の方が大事で、
技術は最終的に自分でできなかったらどなたかにお願いすればいいし、
その欲望の方がすごい大事な気がしますね。
その仕事とかそういうのしてる中で、欲望出てる、何かやってるみたいな人たちをなんとなく見てて。
そうですね。今から考えると、ほとばしりすぎてる人を集めちゃいましたね。
欲望がね。漏れてるみたいな。あれちょっと漏れてないみたいな。
溢れると漏れる、ちょっとまた違うからね。
溢れたり漏れたりしてる人をちょっと集めちゃったんですよ。
企業の課題解決に対して貪欲にやりたいっていう。
でもそれはもう一つのチャレンジで、
やっぱり広告会社にとってメディアを使って広告を作るっていうのは、
ある意味一つのビジネスモデルとして出来上がっているわけですよ。
メディアの枠を買ってコミッションをいただくっていうビジネスはね。
でも本当にCMは素晴らしいと思うんですよ。
短時間で多くの人にメッセージを伝えるっていう。
だから別にCMはすごいんだけど、
でも全てのマーケティング課題がCMで解決するわけじゃないよねっていうところも思うわけですよ。
でも前沢佑作さんとか本当そうだけど、
CM一本流すより社長が記者会見やった方が世の中に伝わるっていうこともあり得るわけ。
色マスクとかアップルとかも一回社長がステージでプレゼンテーションするけど、
そっちの方がよっぽど世の中動くこともあるわけですよね。
だからそこをニュートラルに考えたかったんですよね。
でもそのためにはクリエイターがフィーをもらわなきゃいけないっていう調整も同時にあったわけで、
ある意味ケトルは今まである意味おまけ敵だったかもしれない広告会社のクリエイターが
ちゃんとアイディアで商売になるかっていう挑戦もしたってことだと思うんですよね。
僕なんとなく最初たまたま取材をさせていただいて原稿を書いてそれからお付き合いする中で、
当時ケトルにいた若者たちというかその人たちが、
もうその時島田さんは金剣さんと共同代表でぐんぐんいろんな仕事をされていて、
広告業界紙とか見ると奇抜な広告特集みたいなのがあるわけですよ。
今話題のみたいな。
そうすると必ずケトルって書いてある。
そこにCDで島甲一郎それから金剣って書いてあるわけですよ。
これ僕の勝手な絵ですけどその時にいろんな人を島田さんがつなげて
広告じゃない人たちをね。
それをその時のケトルにいた若者たちが花開いてる今があるって俺勝手にちょっと想像してる部分があって、
渋谷のラジオとかさ、それもラジオ好きを辞任する島田さんが、
もうその時からラジオ好きでバーっていろんなこと言うとか出演とかされてたし、
でもそれが時期に矢内さんを。
大木くんっていうケトルの社員がね始めたね。
始めたねそれはね。
それもなんかこう島田さんチルドレンって言っちゃったらすっごいなんか平たい感じに来ちゃうかもしれないけど、
ダイバーシティと能力の組み合わせ
種をまいてたのを若者たちがちゃんとこう水あげて開花してるっていうか、
原門もそうだけどね俺からするなんとなくっていうような感じが。
あと島田さんはこう社員をこう引っ張るのセンスもすごくあると。
タワーレコードに勤務していたお兄ちゃんを引っ張り込んだりとかね。
北野あずし君ね。
いやそうなんですよ。もうね今もうバリバリいろんなことやってますからね。
そこもある意味なんか編集的な部分あるのかなと思ったんですよ。勝手ながらですけど。
ご自身がやってらっしゃってることの中で会社を作るっていうのも一個こう編集的要素の中で何が必要なのか何を目立たせるべきなんだっけっていうところはやっぱりこうご自身でやってる中でも
意識されてたりした部分はあるんですか。
まあでもジェームス・ヤングが言ってるようにアイデアは既存の知識の組み合わせにしか過ぎないから、
どんだけ伸びしろのある組み合わせができるかってすごい大事ですよね。
いや本当にだから名古屋人ってすごいと思うし、
いやね質問あぶしもご飯とうなぎとお茶漬けの組み合わせであんだけ楽しめるし、
いやもうマウンテンって喫茶店が名古屋にあるじゃないですか。
いちご抹茶スパとか普通そんなもん作んないだろうっていう、
名古屋人一応作っちゃいますからね平気で。
ビレッジヴァンガードも本と雑貨とかお菓子とか平気でごしゃっと混ぜて売っちゃうし、
名古屋でしたっけ?
そうキクチさんっていう方が作られてね、
普通その組み合わせないだろうっていうのをやっちゃうところの名古屋人の素晴らしさを見習って、
意外にこれずれてるんじゃないかみたいなヘビメタと吊り竿ぐらいの距離感があるぐらいの方が、
意外に合わせた時に伸びるんだよねみたいな。
そういうやっぱりどこかしらそういうマインドを含めてメンバーと会社をつくって。
これとこれ合いそうもないなっていうのをつなげるの好きですね。
本当に組み合わせ悪い時はありました?
いやそれはあるよね。
ダメだこれ。
もうどうにもなんでやられてるんだけど。
でもさっきの欲望が同じベクトル向きすぎてると、やっぱ近すぎると近親像が起きちゃうんだよね。
違いすぎた方がよっぽど相手にリスペクト。
キムケンと全然違うわけ。
キムケン夜型で自分超朝型だし、キムケン映像好きだけど自分文字好きだし、
でも意外に仲良くやれてるんだよね、もう20年もね。
そうですね。
確かに真逆だわ。
そうですよね、ご存知ですもんね。
確かに。
それこそやっぱり広告を作ってる人たちこそやっぱりさっき組み合わせとかもそうですけど、
欲望ダダ漏れな方々も多いじゃないですか。
僕も今回くしまさんをお会いさせていただいて、
初めてクリエイティブ集団を統括されるポジションの方にお会いさせていただきましたけど、
僕が知る限りクリエイターの方が結構エゴがあって当然というか、
どう表現していくかで勝負かけてる人たち、
それをマネジメントするっていうところの面白さとかっていうのはやっぱりありますか?
あると思いますよ。
でも本当にもしかすると、もちろん最後の表現にディテールにね、
神様が宿るから、
なんで大洲康二郎は原節子にこの台詞を何回も繰り返させるんだろうとかっていうのは、
きっとむちゃくちゃ意味があってやってるわけで、
そこはそこですごく大事な表現物としてのクオリティをキープするのはすごい大事だと思うんだけど、
多分なんかケトルの人たちがやっぱり大事にしてるのは、
課題解決をちゃんと自分の中でやるっていうのは、
表現は課題解決の手段だからね。
なんかそこの課題解決することに快楽を感じるっていうところが、
自分にはそう多分あったんだと思うんだけど、
自分の中でやっぱり大事にしてるのは、
課題解決をちゃんと自分がしてるかどうかの宿題を解いてるかっていうところに、
ところが、自分にはそう多分あったんだと思います。
問題を解いていくっていう。
より良いものに、クライアントさんなりが望むより良い世の中とか、
より良い何かをより加速させるとか、
そういうことに自分が役立ててると嬉しいなって思うってことかな。
やりがいにつながっていくっていう。
意外とでもそれってお客さんとのやりとりだったりするじゃないですか。
そうだね。
社内ってなった時に、なかなかモチベーションを上げづらい職種かなと思うんですよ。
どうなんですかね。
でも、結局、何らかクライアントさんの課題解決をしようと思ったら、
世の中の人がそれいいねって思ってくれたりとか、
共感してくれなきゃいけないから、
自ずと面白いことはしなきゃいけなくなるし、
そのやり方が既存のルールに乗らなくてもいいんだよっていう。
でもそっちの方が難しいですけどね。
制約があった方が表現は掘り進められるし、難しいなそこ。
でも、そこを俺らがやるんだって思ってたんでしょうね。
僕も仕事柄、そういう方々とご一緒するときに、
ポジションが欲しいわけで、もちろんポジションは偉くなればいいですけど、
その表現する人たちにおいての一番の嬉しいのは、
お客さんからの評価、社会へのインパクト。
この二点が大きいかなと思ったときに、
結構今、自分でもやれちゃうじゃないですか、会社を。
独立しますとか、割としやすくなった中での、
このケトルの中での島さんのチームの人たちのマネージメント、
どこを気にされているのかなっていうのは、すごい僕は興味持ってて。
そういう意味でいうと、本当に、
それはハコード自体のポリシーとして、
粒ぞろい、粒違いっていうのをずっと言ってるけど、
やっぱり最終的には、
自分ができないことができる人が周りにいっぱいいるとか、
異彩が違ければ違う人が周りにいればいるほど、
クリエイティビティが発露するっていうか、
結局クリエイティビティって、
みんなクリエイティブクリエイティブって言うけど、
そんな簡単に育つもんじゃないと思うんですよね。
それってすごくクリエイティビティを会社や組織に内在させるためには、
実はすごい努力が必要で、
異なる価値観を持つ人たちが、
それこそダイバーシティだけど、
違う能力を持ってる人たちが、
広告業界に入った経緯
普通めんどくさいんだよね。
能力が違う人とか、違う価値観を持ってる人たちが一緒のとこにいたら、
普通めんどくさいんだけど、
あえてそのめんどくささがあったほうがいいよねっていう風に、
分かった上で、粒ぞろいより粒違いが会社の方針ですっていう、
それすごい大人な判断で、
めんどくさいけどそっちの方が絶対クリエイティビティが発揮されるっていう、
分かってるなっていう、
っていう、
ハッコードがもともと持ってる価値観を、
さらに、
アンプリファイしたのがケトルな感じがしますけどね。
だから普通に広告会社が採用する人じゃなくて、
編集者とか、
そういうちょっと広告会社が取らない才能の人とかを、
どんどん取ったし、
その人たちをぐしゃっと同じチームの中に入れ込むし、
そうですね、すごい圧力で入れるわけですよね。
博報堂ケトル誕生秘話
あと、たまに1年に1回なのか分からないですけど、
ケトルの研修?
合宿ね。
あれすごい。
そう、あれはね、必ず習い事しに行くんですよ。
だんだん年取ってくるとさ、
仕事でそれなりに代表作とか出てきたりすると、
持ち上げられちゃうわけ。
それが一番危険。
なのでケトルの合宿は年1回、
習いに行くわけ。
デッサンしに行くときもあるし、
着付けとかを習いに行くときもあるし、
日本舞踊を習いに行くときもあるし、
グレーシージュージュースを習いに行くときもあるわけ。
みんな何らか賢いし、
何かタレントはあるから、
多分デザイナーのやつとか行くと、
デッサンとかむちゃくちゃ上手いわけ。
そりゃそうだろうっていう。
でもさ、グレーシージュージュースとか全然ダメなやつとかいるわけ。
そうするとさ、先生からボロカス言われるわけ。
だから、
むちゃくちゃ怒られるわけ。
そうやって人に怒られるの大事なんですよ。
それはあえてそういう機会というか環境を設けるんですか。
そう。
そこではもう別に、
もともとケトル自体は階層がある会社じゃないから、
別にディレクターとプランナーしかいないっていう世界だから、
キャリアがある人だろうがない人だろうが、
対極的に、
なんかこいつ、
先週仕事でミスしたくせに小籠包の包み方やたらとうまいじゃんみたいな。
なんで13個もそれ包めんの?みたいな。
それ何?
へー。
はい。
はい。
すいません。ありがとうございます。
はい。
いろいろ高堂ケトルさんの合宿の話だったりとか。
そう。
作られてから、そしてさらにこう、
まあ、
いろいろ伺いましたけれども。
ちょっとこの後から、
より小島さんに広告かけるPRの話だったりとか、
ちょっとまあこれからの先、未来の話みたいなところを、
次の回、その次の回という形で伺っていきたいなと思っております。
はい。
なんか、ちなみに小島さん、なんかこうPRしておきたいことあります?
本出します?とか。
なんかこう、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
てことあります本出しますとかなんかこれ今度なく学校 本屋を下北沢で内沼慎太郎とやってるんですけどはい
12周年を迎えましておめでとうございます87月のですね 20日
土曜日はい12周年記念イベントをねはい b & b やろうと思います夕方からはいいろんな ゲストをお呼びしてはい
まあラジオ形式で 12人のゲストがほぼ役に立たない情報を話している
はいはいこれはもう入場無料 これは p 今考えてますああどうしようかなとビールぐらいは飲んでもらおうか
なるほどはいますんでちょっとあの b & p の 検索していただいてはいいろんなゲスト水戸橋博士の
来場決定ああああああそこはもうリリースしても大丈夫はいはいということではい 皆さん今日ありがとうございましたありがとうございました引き続き宜しくお願いしまーす
38:37

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