1. academist Talks
  2. 第18回 救急と高齢者ケアの現..
2024-11-28 47:03

第18回 救急と高齢者ケアの現場から考えるこれからの「人生会議」

もしものときに望む医療やケアについて考え身近な人に共有することを「人生会議(ACP)」といいます。救急医療が専門の沼田賢治さんと社会疫学が専門の河口謙二郎さんに、私たちが実践できるACPについてうかがいました。

サマリー

第18回のポッドキャストでは、救急医療と高齢者ケアの視点からACP(アドバンスケアプランニング)や人生会議の重要性について語られています。高齢者が直面する医療の問題や週末期の課題、日本におけるACPの普及の難しさにも触れられています。また、「人生会議」の重要性についても考察されています。特に、アメリカと日本の医療制度の違いや、緩和ケアのトレーニングコースが医療現場にどのように役立つかが議論されています。エピソードでは、最近の進展に焦点を当て、ACPの普及と医療職と介護職の連携の必要性が強調され、家族とのコミュニケーションの重要性にも言及されています。救急医療の現場での高齢者ケアの重要性及び「人生会議」の進め方についても議論されています。

医療現場での自己紹介
安倍さん、こんばんは。聞こえますか?
今、お二人をスピーカーとして紹介したので、紹介をお願いします。
あ、安倍さん、こんばんは。
あ、こんばんは。
あ、ご無沙汰しております。
ご無沙汰してます。
声、結構聞こえますか?これ大丈夫ですか?
はい、かなりクリアに聞こえてます。
よかったです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
沼田さんがスピーカーになれるかな?
沼田さん、もしスピーカー…
あ、聞こえてます。
よくわからなくて。
はい。
ありがとうございます。そちらは早朝ですかね、まだ。
今、5時、6時前です。
ありがとうございます。
はい、朝6時。
ありがとうございます。
時間になったら、ぼちぼちリスナーも増えてくると思うんですけど、
今回こちら、録音もして、後からでも聞ける状態になっているので、
雑談的に始めていければなと思っていますので。
わかりました。
よろしくお願いします。
お二人、お話しするのは今日が初めて?
知り合いでもないです。
初めて知った。
本当に初めましてです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと簡単に自己紹介からお願いできればと思うんですけど、
まずは沼田さんからお願いします。
はい、私、医師15年目だったかな。
ちょっとここら辺が曖昧なんですけど。
聖マリアンナ医科大学の救急医学に所属している沼田健二と申します。
今回、アカデミストに応募した理由としましては、
救急をやりながら、どうしても週末期と考えられる患者さんが多くて、
対応に悩むことがすごく多かったということが経験があって、
それで一時期、飯塚病院という、
カマキアで比較的有名な病院で研修させてもらいまして、
それで考えが変わりました。
もっと後輩に勉強会とか開いたりしてたんですけど、
もっと系統的に学べる機会が提供が必要かなと思いまして、
今、アメリカのボストンに留学しに来ています。
アメリカのトレーニングコースを輸入するという目的で、
今は日米間の週末期量の違いがどういう点にあるのかということが
研究目的にしつつ、
トレーニングコースを和訳したりとか、研究したりを実施したりしています。
よろしくお願いします。
ACPと人生会議の理解
よろしくお願いします。
では、川口さんお願いします。
よろしくお願いします。
私は千葉大学の予防医学センターというところに所属して、
川口健次郎と申します。
私も医師をしておりまして、
一応卒後10年目かなと思います。
領域としては相互内科とか相互診療科といわれるような
領域をやっているんですけれども、
私自身が週末期に患者を持つようになったのは、
おそらく学生の実習のときで、
時々エピソードとしてお話しするんですけど、
認知症の患者さんが抑制されているのを見て、
その衝撃から、果たしてこの人生の最終段階を
こういう形で医療を提供していいのだろうかというところから、
すごく週末期に関心を持つようになりました。
それで、初期研修のときに沼田先生が働いていらっしゃった
東京病院らしい地下医療センターというところで
初期研修をしたんですけれども、
そこの総合内科の部長の平岡先生が
非常にこのACP、日本語でいう人生会議に
精通されている方で、そこで訓導を受けて
さらに関心を持つようになったと。
ただ、臨床していく中で、なかなか病院の中でやれることも
限界があるなと思うようになりまして、
それで今の千葉大学の予防医学センター、
近藤勝則先生というところで、もとでどちらかというと
このコミュニティづくり、コミュニティの中でうまく支えていく
そういうアプローチができないかなというので
研究をしているところです。
なかなか週末期をテーマに、まだ十分研究ができていないんですけれども、
それでもちょっとずつ論文が書けるようになってきていて、
これから少し加速していきたいなと思っているようなところです。
私自身もアカデミストでクラウドファンディングに
挑戦させてもらった経験がありまして、
やっている最中、本当にストレスだったので、
なかなか目標達成できないのがストレスだったので、
沼田先生の研究テーマ、非常に関心がありましたので
応援させてもらったという、そういう経緯になります。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
今回お二人、週末期医療という言葉が自己紹介の中でも出てきたと思うんですけれども、
その中で救急医という立場、あとは緩和ケアというところで、
それぞれが現場の中で、そういった週末期医療に関わっていらっしゃる中で、
ACP、人生会議がなかなか日本の中で普及していかない難しさみたいなことを、
ちょっとメールでもおっしゃっていたかと思うんですけど、
そもそもちょっとACPっておそらく聞き慣れない方がほとんどだと思うので、
ACPってそもそも何かというところと、
それがなぜ重要なのかみたいなところをお伺いできればと思うんですけど、いかがですか。
これは僕でいいですか。
お願いします。
いわゆるACP、アドバンスケアプラーニングというんですけど、
基本的に言うと元気なうちに、意識が発揮しているうちに将来いつかは人間なくなるので、
その時にどういった医療をどこまで受けたいかということを
具体的に話し合っておくということが、
日本大人生会議と表現されているんですが、
特に僕も救急外来で働いていると、
人生会議に話し合っていない方が急に悪くなって搬送されてきた時、
例えばおそらく平常な状態、元気な時であれば、
たぶんここまできつい治療、いわゆる延命治療と考えられる治療ですね。
望まないだろうなと思うような状態なんですが、
その場合本人は意識がないか、もうろうとしているか。
家族もいきなりの出来事で動揺していて、なかなか決められないというような状況になると、
どうしても助けてあげたいという気持ちが出てしむが強くなってしまうので、
実施するという形になってしまうと、
これは完全に僕の経験なんですけど、
1週間か2週間たってくると、これは本人にとってつらいんじゃないのかなというのが、
家族内でも芽生えてくるようなことになると。
若干日本では、始めたものを急にやめるというのが難しい状況がまだ続いていまして、
なかなかやめられないという、
やめるというよりも緩和に移行するというのがなかなか難しい状況があります。
そういうふうなことにならないためにも、
元気なときに自分の希望をあらかじめ表現しておくというのが、
人生会議と思ってもらえればいいかなと思います。
文化的背景と死の受け止め方
川口先生いいですか。
もう。
川口先生もそこで勉強してない。
私から何か付け加えることのないぐらい、
完璧なご回答でした。ありがとうございます。
ありがとうございます。
今お話が上がっていると、確かに聞くと、
それって自分の望む最後どう迎えるかとかって、
大事なことだと思いつつ、なかなか元気なときからそれを考えたり、
誰かと話し合ったりみたいなところって難しそうだなって思うんですけど、
川口さんってそのあたりって。
本当にやっぱり難しいなっていうのが率直な感想です。
沼田先生はどちらかというと受ける側の立場で、
受けるというのはそういう患者さんが急変したときに受けていただく立場。
我々は急変したときに逆に送る立場。
その送る立場としてやはりあらかじめ、
ある程度どういう治療を人生の最終段階に臨むか確認しておこうというのは
日々の外来で思うんですけれども、
なかなか話を向けても特に高齢の方だと、
それはうまく取り合ってくれない。
いや、俺はもう最後はどうなってもいいんだよみたいなところで話が終わってしまったりとか。
あと高齢ではあるけれども、通常時は当然普通の生活を送られている中で、
あえてそういう話を向けるっていうことの難しさっていうのもあるなっていうところですかね。
教科書的に言われるのは状態が少し変わったとき。
例えば簡単なところでいくと、
お家の中で転倒して動けなくなっちゃったみたいなエピソード。
ちょっとしたエピソード。
これちょっとじゃないな。
転倒してなかなか起き上がれなくて結構苦労したんだみたいなことがあったときに、
次こういうことがあったとき、どうしますかとか、
どういうふうに対応していきましょうかみたいなところから話を振って、
いざというときのことに話を向けていこうみたいなことは、
頑張るのは頑張るんですけど、
なかなかうまく話を聞き出すのは難しいなっていうのは率直な感想ですね。
まさに今コメントのところに沼田さんのプロジェクトを貼らせていただいたんですけど、
ここにも沼田さんが書いている、
おばあさんに尋ねたら泣かれてしまったみたいなエピソードがあって。
僕もこの件に関しては結構研究していることもありまして、
調べると日本人という民族性なんですかね、
死に関して話すことがいわゆる縁起でもないってやつですね。
話すと死につながるみたいな感覚があるみたいなんですよね、調べる感じは。
ただちょっと最近の若い人はあんまりないんじゃないのかなと感じています。
ただ確かに僕の祖母の世代は多分死について話すと死んでしまうとか、
死につながるという漠然とした意識があるんじゃないのかなと。
そういった要素があるからなかなか死について話す機会が出てこないんじゃないのかの要因なのかなと。
その一因としてその文明を書かせてもらいました。実体験も別に。
今川先生逆にアメリカでいらっしゃって、
アメリカの高齢者は死について割とフランクに話すみたいなことってあるんでしょうか。
やっぱりフランクですね。書面を割と残しているので、
いわゆる事前死書っていうのを4割ぐらいは普及しているので、
もちろん人によるというところもあるんですけど、
どう考えても日本よりは割合より行くと全然違いますね。
アメリカの救急外来で研究のおつつだいしているんですけど、
自分の死についてどうなりたいかっていうアンケートを平然と回答してくれるんでね。
まだ日本でやってないからわからないんですけど、
やろうとすると僕の中で抵抗感が出るところを考える感がみると、
アメリカと日本の医療制度の比較
若干こういうのを聞くことが相手にとって不快な気持ちにさせるんじゃないのかなっていう気持ちがあるんです。
それがアメリカに行くといいよいいよって言ってささっと書いてくれるんです。
たぶんいわゆる日本の全体主義とアメリカの自分のことは自分で決めるっていう形の違いがあるのかな。
最始最後の選択まで自分でやりたいというのが結構あるんじゃないのかなと思う。
あのその時にちょっとひとつ私仮説としてあるのが、
医療費、個人にかかってくる医療費の違いが影響することってないだろうかと思ってまして、
要はアメリカの場合だと救急受診するだけでも莫大な費用が請求される。
だからこそ自分が最終的な医療としてどういうのを受けたいかを、
嫌顔でも考えざるを得ない。
そういう可能性ってあり得ますか。
どうなんですかね。
何年前かからはちょっと覚えてないんですが、
いわゆる国民解放金みたいな制度がアメリカからなくなったからこういう状況になって、
多分皆さん莫大な医療がどれぐらいかってもピンとこないと思うんですけど、
例えば風邪で救急外来受診して、風邪薬もらって帰ったらだいたい25万円ぐらいかかります。
相場だと。
そんぐらいかかるんで。
なるほど。
こうなんかかかるので。
なかなかちょっとお急れと、
例えば脳出血とかで入院したら多分1週間か2週間で1億超え始めるというのが見えるので、
なかなかちょっとお急れとは日本の感覚とだいぶ違うと思っておいてもらった方がいいかなと思う。
ただそれがどう影響しているかといっても、
例えば頭ぶつけて子どもが犯行ばれてくることも確かにあって、
CT取るかって聞くときに、
確かにお金を前面に出すというのはあんまり見たことがないなと感じるんですよ。
正直そこで差がある。
影響がないことはないと思うんですけど、
でもなんだかんだ言って最後なんとかなるところもある。
なるほどなるほど。
だからどこまで影響しているかはわからないんですが、
少なくとも影響はしているんだろうけど、
ただそれが多くを占めているというわけではないんじゃないのかなと感じています。
緩和治療のトレーニングコース
ありがとうございます。
安部さん、このままどんどん質問してもいいですか。
はい、どんどんお二人で。
ありがとうございます。
沼田先生が今、日本に導入されようとしたトレーニングコースなんですけれど、
これはどういったもので、これを受けることで
日本の救急医療がどう変わっていくかみたいなところを教えてもらってもよろしいでしょうか。
そうですね、かなり基本的なコースなんです。
緩和治療に関する。
EPEC-EMがEmergency Medicineで救急なんですけど、
緩和治療は一般のコースがありまして、
その果て出てきた救急ガイダーに特化したコースなんですけど、
そもそも習ったことがない救急医がほぼほぼみんななんですよね。
その中でみんな、我流の経験とか、
上司のこうやってたとかでなんとなくやっているというのが
おそらくほとんどのところの現状なんじゃないのかなと。
やっぱり学ぶ必要があるのはコミュニケーションの仕方とか。
例えば家族がいきなり悪くなったとか、
心臓が止まって搬送されてきたときに、
よくある救急医が、蘇生しますかしませんかっていきなり聞くとか。
なるほど。
それいきなり聞かれるようにやってくれとしか言いようがないでしょうっていうのもある中で、
まずそうじゃなくて、ちゃんと場のセッティング。
話し合える適切な場所を作ったりとか、
相手の理解度を確認したりとか、
今の状況をどの程度理解してどの程度受け入れられているとか。
あとちゃんと患者がどういった人でどういった意向を持っていたかということを
うまく聞き出すということを教えてあげるというのが非常に重要。
もう一つは症状に対する知識と予防に関する知識ですね。
結局、主観も結構当たるらしいんですよね。
データを見るとだいたい半年以内に
この医師がこの患者を見て亡くなるだろうって思ったら、
細かい数字は忘れていたんですけど、
7、8割くらい当たることがあると。
それでもいいんですけど、具体的にどういった予防があるかというのが
提示されると家族に提案しやすくなるので、
そういった知識を増やしたりとか。
あとは例えば呼吸、息が苦しいとか、
そういった治療を緩和してあげるにはどうしたらいいか。
かなりハイレベルな、いわゆる緩和ケアのスペシャリストが
そういうものではなく、非常にベーシックなところを
教えられるトレーニングコースになっています。
ありがとうございます。
非常に素朴な質問なんですけど、
この救世記、しかも救急だと超救世記だと思うんですけど、
その段階での終末期判断って結構大変難しいのかなと思うんですが、
これも結構先ほど言われたような主観的な
医者の経験がわりと当てになるっていう、
そういうことなんでしょうか。
ここはちょっと難しいところで、あまりデータはないんですよ。
救急外来特化するというのは、でも大体当たる。
当たるというか、あんまりいわゆる救世記医療を提供しても
本人にとって益がならないだろうなと思うときが
大体当たっているということはよくあるとは思うんですよね。
ただ、益があると自分が思っていても、
本人がそれでもやってほしいと思っているような人であれば
僕は提供するべきだと思っているんですよね。
そこらへんはちゃんと話ができないと、
その気持ちが引き出せないので、
そこを聞きながらやっていくっていうのが重要かな。
話がちょっとずれちゃいました。
ありがとうございます。
人生会議と患者の価値観
さらにちょっとお伺いしたいのが、
このアドバンスケアプランに人生会議だと、
本人の価値観を大事にしましょうと。
つまり、具体的な治療として何を望むかを聞くのではなくて、
その人が大事にしている価値観を聞いて、
それをベースにして、
医療者が実際どういう治療を提供するのかを考えていく。
これは望ましいというふうに、
一応教科書的には言われていると思います。
我々もそういう価値観をなるべく聞き出そうという努力はするんですけれども、
我々というのは普段外来を担当している、
慢性器を管理している医者の立場からすると、
聴取したご本人の価値観をどういう形で救急の先生に
情報伝達していくといいのかなというのが悩みどころでして、
沼田先生の中でこういう情報を伝えてくれると、
本人の意識がない状態でも本人の代理として
十分意思決定できると考えられますでしょうか。
一番いいのは書面に残しておいてもらえると、
説明がこちら側も情報として受けやすいとは思っています。
アメリカに来ると確かに書類で残していることが結構あるので、
記載されている方は。
なのでそういうのがあるといいかなと思っています。
特に救急外来は初めて会う患者さんばかりなので、
なかなか向こうの家族もこっちに話しにくい。
特に同様しているときだと余計そういった壁が出てくるので、
こういった意向がありますよということを書面で残しておいてもらって、
かつそれが渡せられるように、家族がそういったことが起こったときに
渡せられるようにしてくださっていればよりいいのかなと思っています。
これは結構難しいと思うんです。
いきなりなのでだいたい持ってきていない。
そういうふうになっちゃう。
この意向の書き方でフォーマットがあったりするんでしょうか。
書面ですか。
そうですね、書面のところで、
この人がこういうことを考えてましたよっていう、
これを文章化するのが結構難しい。
あ、聞こえますでしょうか。
あ、私は聞こえてます。
聞こえてます。川口先生の声が聞こえないんですけど。
聞こえますでしょうか。
急に聞こえなくなった。
僕の表記だと川口先生ミュートになってるんですけど。
ちょっと一回マイク切ってみます。
これどうでしょうか。
私は聞こえてますが。
あれ。
沼田さん私の声は聞こえてますか。
川口先生がミュートになってるって表記です。
あれ。
一回退出とかしたら。
沼田さん聞こえてますか。
沼田先生は聞こえてないのか。
私の声が聞こえてないのかな。
そうっぽいですね。
沼田先生がリスナーになっちゃいましたね。
あら。
いやいや。
もう一回招待した。
あれですかね。
どうでしょうか。
それで沼田さんもし聞こえていたら。
沼田さん。
あれ。
川口さん前もこんなことありませんでした。
そうなんですよ。
そうですよね。
石垣さん時。
それからどうしましょう。
沼田さん聞こえますか。
あ、聞こえてなさそう。
そうですね。
あれ。
じゃあ沼田さんにミュートを送ります。
すみません。
ありがとうございます。
ミュート今DMを送りました。
ごめんなさい。この声聞こえますか。
あ、聞こえます。
私は聞こえてますが、沼田さんに私の声が聞こえていない。
なんでだ。
なんでですかね。
ちょっと対談中のトラブルで、なんか僕の声が出るんですが、川口先生の声が聞こえないということが。
あれ、リスナーの方って3人の声聞こえてますか。
なんかリアクションくれると嬉しいですが、リスナーの方で聞こえてるよっていう方、ちょっとなんかリアクションボタン押していただけますか。
え、どうしよう。誰も聞こえてないのかな。
あれ、困っちゃったな。
あれ。
あ、でも。
ありがとうございます。
100点。
あ、よかった。みんな聞こえてる。
沼田先生。
ですね。今DMを送ったけど返事がないので、ちょっとメールも送ってみます。
この間に、じゃあ川口さんの何か、週末企業に関するお話を。
そうですね。この対談機会をもらって、どうやったら普及していくのかなっていうのを改めて考えてみたんですけど、
人生会議の重要性
結局、本質的には、あまりメリットを感じてないんじゃないかな、患者さん自身がっていうのをちょっと思っていまして、
要は、本人がどういう形で亡くなるかっていうことがあまり問題にならないんじゃないかなっていう仮説をちょっと思っていました。
ただ一方で、日本人ってやっぱり家族に迷惑をかけたくないとか、周囲にすごく配慮する性質があるので、
メッセージの出し方として、この本人の自己決定っていうよりは、あなたが意思表示しないといざという時に家族が困っちゃいますよっていうメッセージの出し方の方が、
少し刺さるんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
どうせ死ぬし、最後どうなってもいいやっていうのは、なんとなく個人的には共感するんですよね。
確かにその周りの人が困るようは。
やはりこの今後どうしたいかって聞くのはお医者さんの出番になるんですか?
それとも家族がそれを聞き出した方が話しやすいんじゃないかみたいなこともあったりするんですか?
一応ですね、いろんな人を交えて話していくことが推奨されているんですけれども、
事実上この人生会議とかACPを推進しているのは、やっぱり医療者が多くて、
医療者が主導するケースが個人的には多いのかなと思ってます。
ただそれがいいかっていうと個人的には少し反対で、
やっぱり医療者から見える患者さんって本当にごく一部しか、患者さんのごく一部しか見れていなくて、
もう少し生活に寄り添った人が、やはりその価値観を聞いていくのがいいんだろうなと思います。
そういう意味ではやっぱり家族とか、あとは医療職より介護職の方の方がいいのかなとか、そんな思うんですよね。
医療職と介護職の連携
確かに、その介護職の方々の中ではこの人生会議っていうのは募集しているものなんですか?
やっぱりまだしていなくて、実はちょっとそれに関係する研究をしたいんですけど、
介護職系の人は医療職に対する遠慮みたいなのがあって、
要はこういうのってお医者様の仕事だから口出さないみたいな、
そういうスタンスがどうもあるんじゃないかなっていうちょっと今仮説を持っています。
あとは、なかなか介護職向けのそういう研修会とか勉強の機会って、
意外と限られているんじゃないかなっていうのが思うところで、
もしかしたら関心持っていらっしゃる方いるかもしれないんですけど、
なかなかそういう学ぶ、実践する機会が限定的なのかなというふうに思ったりもしています。
あ、沼田さんが復活。
Twitterから弾き出されて、今再起動して何とか入れるようになりました。
お疲れ様。今聞こえますか?
すみません。今聞こえます。
よかったです。今ですね、川口さんに、
ACPがなかなか普及しないっていうところで、
介護職の方との連携っていうのを今難しい状態だというお話を伺っていたところでした。
というわけで、名前ってどんな話してましたっけ?
あの、あれですね、ご本人の意向を書面に残すっていうお話で。
すごいと嬉しいなっていう。
その書面っていうものの具体的な内容はどんなものっていう話から続きですね。
そうですね。
悪くなった時にどういった治療を受けたいか。
よくあるのが人工呼吸器を装着してほしいか。
色をつけてほしいか。
食事が取れなくなった時に色をしてほしいかとか、
そういったもので、地区によってはそういったものを既に準備しているところもあると聞いてますし、
そこら辺を聞きながら作っていただけると、すごい良いんじゃないのかなと思ってます。
そうなるとやっぱりACPというよりは事前指示に近いフォーマットということなんですね。
そうですね。フォーマットですね。
そっちのほうが分かりやすいといえば、もし救急搬送されてくるとき、
ただその過程のアドバンスケアトレーニングは人生回避はしておいてほしいなと、
結果的に出てきたものとして、事前指示書があるとより明確に伝わりやすいんじゃないかなと思ってます。
そうですよね。
ありがとうございます。
なかなかアメリカの事情って分からなかったので、すごく勉強になります。
アメリカも困ってますね。
メールの中で沼田先生が施設から患者さんが送られてくるときに、
何にも事前に話されていないということをおっしゃられていたかなと思うんですけれども、
例えばなんですけれど、先生が救急をやられている中で、
特に二次救急だと送られてくる施設って結構限られてくると思うんですよね。
要は二次医療圏内にある施設から当然送られてくる機会が多いと思うので、
例えばなんですけれど、そういったところの施設と話をして、
何か事前に書面に残しておいてほしいといったような、
このシステムで解決する方法ってあり得ますでしょうか。
やりたいんですけど、結構難しいなと思って。
確かに話し合われていない施設に入られている方が僕のところに来るんですけど、
それが多分大多数ではないんだと思うんですよね。
いったん話し合っているところは話し合っているんだと思うんですよね。
話し合っていないところが多分僕のところにどうしても暗送されてくるというような形になっているんじゃないのかなと。
どうしてもアドバンスケアプランニングって悪くなってから話し合うものだという認識がある方々が
まあまあいると感じています。
そうすると、じゃあ悪くなった時に話し合えるかというと話し合えないという、
何とも言い難いような状況になってしまっているので、
またそこら辺の知識を改革することが必要なのかなと思うんですが、
僕もその施設とかで仕事したりすることもあるんですけど、
彼ら、彼女たちは多分いっぱいいっぱいなところになるんじゃないのかなというのは常々感じています。
やっぱり少ない人数で多くの方を見ていて、
また何かこけたりしたら責められるというような状況の中、
かなり精神をすり減らしながら働いているという状況なので、
その中でそういったこんじゃないよっていう気楽、
救急医療の課題
そんなに負担がかからないような形で学べる機会が何か提供できないかなと思っているのの一つが、
僕の取り組みが今後やっていきたいなと思っていることですね。
なるほどなるほど。
そういうシステムができれば作れたら嬉しいなと思っているんですけど、
考え方を変えるということがちょっと必要になってきそうなので、
かなり練りに練ってやらないと難しいだろうなと思っています。
なるほど。そうですよね。
結構施設側も実際救急でどこかに搬送をお願いするとき、
少し気を使われる面があるのかな。
なかなか依頼すること自体がストレスだったりもするのかなと思っていて、
逆に事前にそういうコミュニケーションがきちんと取れていればいつでも受け入れますよ、
喜んで受け入れますよっていうような組織間の関係構築ができていると、
そういう事前に考えるということのインセンティブにもなり得るのかなと思ったりもしたので。
僕もそれをぜひやってみたいなと思っているんですが、
なかなか糸口が見つからないという。
なるほど。
近くよくうちに僕の病院に搬送されてくるんですけど、
実際行ったこともなければ見たこともないというような感じで、
どうアプローチしたらいいのかな。
ある程度よく来るなっていう印象がある施設もあるんですけど、
同じような形で。
そこにアプローチできる術があればいいなと思うんですが、
なかなかその施設自体のスタンスも多分あると思いますし、
いわゆる雇われているお医者さんの考え方もあるので、
そこら辺を話し合いをとってしっかりできるような環境を作ろうというアプローチが、
僕の方からも発信できたらやってみたいなと思っているんですが、
そもそもどうやってアプローチしたらいいのかがよく分からない。
ヒントが来ないというのがかなり多い。
救急の先生だと救命士さんとかをお呼びして、
合同で勉強会されたりするじゃないですか。
ああいう施設版、老犬版とかそういうのができたらできないのかなと思うんですけど。
そうですね。やって、帰ったらやってみましょう。
ぜひ。
そうですよね。経営母体が全然施設と違うじゃないですか。
横のつながりとかあるんですかね。
施設間の経営母体が違う施設同士、同じ地区内の経営母体が違う施設間でつながりってあるんですかね。
救急とか、医者だったら勉強会しましょうって言ったら、
なんとなくのつながりがあるので、呼んだらいろんな人からやってくるとかいうのがあるんですけど、
そういうのあるんですかね、横のつながり。
あまり聞かないですね、やっぱり。
だから多分こっちから一個一個して声かけ、
施設の過剰に声かけをしてやりませんかって提案する草の根活動が必要ということで。
そうですね、ちょっと地道ですけど。
なんかすごくいい取り組みになるんじゃないかなって。
いいなと。そういうふうなことは確かに、
発想として持ってはいたんですけど、なんか出てこないみたいな感じ。
そうですよね、確かに。
なんかこう、二人がまた、
長田さん帰国後はちょっと新しい取り組みでご一緒できそうな感じですかね。
もし何かご一緒できる機会ある、ぜひ。
ちょっと海を隔てて反対側ですけど、東京は千葉と神奈川なので。
微妙に近いようで遠いという。
でも私住まいは都内なので、いつでも。
そうなんですね、ファンティアはぜひお願いします。
ぜひよろしくお願いします。
なんかちょっと進展をぜひ今日聞いている皆さんも、これからちょっと楽しみにしてもらえればなというところですが、
最後ちょっと時間が結構過ぎてしまったんですけど、
すみません。
いえいえ。
またさんが、今まさに川口さんもご支援いただいたクラウドファンディングチャレンジ中ということで、
ちょっとその内容、またさんのほうからご紹介していただいていいですかね。
そうですね。僕がクラウドファンディングに挑戦しているのが、
アメリカの救急員向けの週末休業トレーニングコースを日本に持って帰るという取り組みの人件費とか、
今後コースを開催するにあたっての人件費とか、そういったものも研究もしているので、
その他処刑費に関してのクラウドファンディングをお願いしています。
なぜこれをやろうかと思ったと言いますと、やはり日本は急激に高齢化が進んでいますが、
高齢者の救急医療
先ほど話した人生会議が全然進んでいないので、何も話し合われたことがない高齢者の方が、
救急外来に搬送されてくることがものすごく多いんですよね。
だいたい今、救急車の6、7割が65歳以上だと言われていまして、
その中にもちろんすごく元気な方で、しっかり適応治療して、
社会復帰できると考えられるような方も多数いらっしゃるんですけど、
逆に治療したとして本人が幸せになるかなという方も一定数いられます。
そのとき、そういうふうな考えが出たときに、
あらかじめ本人の意向が確認できていないときにどうするかというのを、
適切な知識を持ってうまいコミュニケーション、つまり相手の気持ちを考えながら
相手の考え方を引き出すコミュニケーションの取り方が非常に重要になってきますが、
救急医はそれを学ぶ機会がほぼないような状況なんです。
なので、自分で学習して、自分で何とかしようとしていると。
今、そのことに関して研究しているんですが、
そういった状況もありまして、
今回、アカデミストにそういった状況があるので、
アメリカでそういったトレーニングの構築が2000年ぐらいから始まってまして、
かなり広く普及しているということがあるので、
そこの担当の方と相談させてもらって、
テキストとか攻撃スライドなどを使ってもらってもいいよという許可が得られたので、
こちらに来て、それを日本に持って帰ろうという取り組みをしようと決めました。
僕自身も飯塚病院で緩和ケアを勉強しまして、
かなり考え方というかテクニックや話し方が変わったので、
おそらく僕が勉強化している中でも、
ちょっとしたきっかけでだいぶ変わるんじゃないのかなと。
特に、やはりこういうことを聞いていいのかなと思ってしまっている方がかなり多いので、
例えば相手の気持ちを持っている意思が多いので、
そういうのが適切に行えば問題ないよということを保証してあげて、
そのスキルを教えてあげることで、やはりご自身の医療がまた一歩進むと。
それを持ち帰ってもらえれば、また自分の施設で教育者となって教えることもできるという、
大きな効果が期待できるのかなとは思っています。
プロジェクトの紹介
完璧なものだと思っているんですけど、より良くしていきたいという目標です。
ありがとうございます。
ぜひ皆さん、プロジェクトページを覗いて、
今、当初の目標金額は達成しているんですが、
まだまだネクストゴール挑戦中なので、
ぜひ共感したという方はご支援いただければなと思っております。
そして、それが進んでいくと、また沼田さんが帰国された後に、
また新しいACPに関する取り組みとかが、
ひょっとすると川口さんと一緒に進むことにもつながっていくかもしれないというところで、
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
こんなところで、何かお二人言い残したことがあったりはしませんか?
大丈夫です。
僕は特に大丈夫です。
ありがとうございます。
初めてだったので、ちょっと際が悪くてごめんなさい。
ありがとうございます。
川口さんも本当に夜ありがとうございました。
本当に貴重な機会をいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
では本日は以上です。
皆さんどうもありがとうございました。
失礼します。
失礼します。
47:03

コメント

スクロール