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ビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、
これまでの経験とゲストの皆様とともに、スポーツを通じて街を豊かにしようという番組です。
さて、今週は特別演です。
ビルドアップローカルプラスということで、アスリートのセカンドキャリアについて、現役引退後に働いている元アスリートにお話を聞いてみようと思います。
今週のゲストは、上北信用金庫が運営している上北アスリートクラブの元アスリートで、
現在はセカンドキャリアとして上北信用金庫に勤務している元フリースタイルスキーハーフパイプ選手の鈴木沙織さんと、
元フェンシングフルーレ選手の倉知美穂さんにお越しいただきました。
お二人ともどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず鈴木沙織さんの方から簡単にですね、プロフィールをお聞きしたいと思うんですが、
ご出身はどちらなんでしたっけ?
北区の島井都市でもある山形県坂田市がある山形県に出身です。
山形県、北区と島井都市なんですか?
そうなんです。山形の坂田市というところが島井都市で、私はちょっと長い市というところで違うんですけども、
島井都市で繋がりを感じています。
なるほど。冬の競技ですよね。雪がたくさんあって、そちらのご出身ということですかね。
競技を始めたきっかけというのは何なんでしょうか?
自分の姉が小学校のスキー授業の練習に行くっていうので、
3歳の時について行ったのが一番最初で、そこからもう虜で一人でも行きたいとずっと親にせがんでたっていうのが一番最初で、
地元チームの選手たちを見て憧れを持ってやりたいって言って、ずっとスキー場には通ってたんですけど、
なかなか親もやらせてくれないっていうことがあったんですけど、
地元チームのコーチから直接入ったらどう?とか毎日毎日スキー場にいたので、声をかけてもらったのがきっかけです。
なるほど。そこから競技人生がスタートしていると。
そうですね。
すごいですね。長いな。
しっかり競技としてやり始めたのは小学校5年生なんですけど、やっぱりそこから私の競技は始まってたんじゃないかなと思うので、3歳の頃かなと思っていました。
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小、中、高、続くわけなんですけど、その後、女服信用金庫の女服アスリートクラブに入るわけなんですけど、そのへんの経緯っていうのはどうだったんでしょう?
私は高校までアルペンスキーという競技をしていて、そこから一度引退をして、子供の頃から美容師という夢があったので、
美容師になろうと思って、美容学校に行って、美容師になってという道があったんですけど、どうしてもスキーを諦められない、
オリンピックに子供の頃から出たいという思いがあって、それでもう一回やろうかなとなったのが、フリースタイルスキーハーフパイプという競技。
今までやっていた競技なんですけども、それをやり始めて、まだその時女服信用金庫に所属しているわけじゃないので、
最初はパチンコ店でアルバイトをしながら、週7とか8とかでセブ9畳でチケット切ったりとか工場行ったりとかそういうことをやりながらやっていて、
でもその時に怪我をきっかけに、やっぱり環境を整えないとまた怪我するかもしれない、もっと練習しないと怪我しちゃうという思いがあって、
何かしなきゃと思ってテレビ局に自分から売り込んだり、いろんな会社にお手紙を出したり、そういうことをやっていた時期があって、
その時にこのJOCがやっているアスナビという就職支援制度に出会って、それをきっかけに女服信用金庫に入港という形になりました。
なるほどね、いろいろ苦労されて、すごいな。
フリースタイルスキーハーフパイプという競技って簡単にどんな競技なんですか?
そうですね、コース自体は雪山でやるんですけども、半円形の形をしたスキーを滑るようなコースの中で左右にジャンプして技を決めていくような競技なんですけども、
見ていてとにかくアクロバティックで楽しい競技ではある、反面やっぱりすごく危険な競技ではあるので、
自分自身やっていて怖いという思いもありながらも、その怖いを通り越した後、すごい楽しい、気持ちいいという、
その先の部分をどうしても見たいという、この欲がすごく強くなるような、ワクワク感があるような競技かなというふうには思っています。
一方ですね、倉知委員長さんにまたお聞きしたいと思うんですけども、ご出身と競技を始めたきっかけ、ちょっとこの辺を教えてもらえますかね。
出身は福岡県の田川郡という郡、なかなかこっちじゃ聞かないと思うんですけど、すごい田舎出身です。
一番最初にフレンシングに出会ったのは中学2年生ぐらいだったと思うんですけど、公式テニスを私はずっと習っていて、
その公式テニスのダブルスのペアの子がフレンシングもちょっとやっていて、その友達がフレンシングもちょっと面白いから体験一緒に来ないっていう誘いをしていただき、
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それが中学2年の時にフレンシングをやっている福岡県の高校の方に体験に行ったのが初めての出会いです。
なるほど。きっかけはテニスのダブルスのペアの子に誘われた。テニスを始めたきっかけは?
テニスを始めたきっかけはうちの家業と言いますか、実家がテニスクラブを運営しているのもありまして、やらざるを得なくて、
私はあまりその時無意欲で何に対してもやりたいって思えない感じで、スポーツも中途半端だし、勉強もできないしっていう状況だったんですけど、
親の方から家業がテニスやってるのに自分の娘がやってないのはどうなんだって言われて、テニスだけは週1か2くらいなんですけどやっていたっていう感じです。
そして中2の時にフェンシングに転校してしまうと。
フェンシングに転校はしなかったんですよね。
急にフェンシングって言われてもあんまり自分の中で想像もできなくて、どちらかと言えばテニスの方が楽しかったかなっていうのもあって、
体験に行ったっきりフェンシングにはハマらなくて、そのままやってなかったです。
高校入る前、私は地元の高校に普通に一般で受験しようと思って受験勉強を始めたタイミングの時に体験で行った高校の先生から、
東京の方でフェンシングの合宿があるから観光がてら行ってみないかって言われて、
観光でね。
福岡からほとんど出たこともなかったんで、東京に観光行けるなら109って言葉に惹かれて。
東京の合宿に行くことになって、その時に当時中3だったんですけど、
同じ年の子たちで5人ぐらいで東京であったフェンシングの合宿に参加させてもらって、
その時の合宿が同世代のジュニアの日本代表の子たちの合宿で行ってびっくりですよね。
自分たちは剣持ってたぐらい。本当にフェンシングを知ってもない状態で参加させてもらって。
なんじゃこりゃって感じですね。
すごい日本のトップとの壁というか、急にそのトップを見たので、全然無理だわって思って。
ただその時に教えてくださったコーチが日本代表のコーチで、
フェンシング向いてるんじゃないかなっていう声をかけていただいて、
福岡に戻った時に親の方に高校からフェンシングをぜひ始めてオリンピックを目指さないかっていう話が来ていて、
ちょっとしばらく考えて、中学卒業と同時に高校のタイミングで東京に上京する。
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そしてフェンシングを始めるという異例だと思うんですけど、そういうスタートでした。
でもね、そういうコーチの時からチャレンジしないかって言われて、どうだったんですか、その気持ちは。嬉しかった?
いや、自分がスポーツ選手になるイメージも全くなかったですし、
ましてやオリンピック目指すっていう今までに全くなかった目標が急に現れたことで、ちょっと戸惑いしかなくて。
あと地元から本当に離れたくなかったっていうのが一番強くて、幼稚園からみんな中学校まで一緒だったんで、田舎特有で。
そんな子たちと離れるっていうイメージも自分の中ではわかないですし、親もと離れる不安しかなくて。
親は東京に行ってほしいっていう、できればチャレンジしてくれないかっていう思いがあって、
ただ私はそんなにその乗り気じゃなかったので、そこでちょっと反抗期が出てしまって、全然口聞かない時期がありましたね。
確かにね、初めてやる競技でね、不安の方もね、技術もね。
不安しかなかったですね、正直。
わかりました、ありがとうございます。
ここからずっとフェンシングを続けられて、女博アスリートクラブの方に入られているんですけども、そのきっかけっていうのは何だったんでしょうか。
私も鈴木さんと一緒で、JOCの就職支援サポートっていうのを利用させていただいて、それがアスナビって言うんですけど、
そのアスナビに大学の3年のタイミングで登録して、就職の活動をして、説明会っていうのがたくさんあって、
自分の自己PRをマイク1本で5分から10分ぐらい、たくさんの企業さんの前でするっていうのが、その就職のシステムだったんですけど、
それで2、3回、説明会に参加させていただいて、最終的に女博信用金庫の理事長とお会いすることができて、就職できたっていう感じです。
一方、ところでですね、今回はね、セカンドキャリアっていうそのお話を中心にお聞きしたいと思ってまして、
競技生活、長い生活を送られてきて、引退をするじゃないですか。引退をしたきっかけ、それってどうだったんですか、これ鈴木さんから。
そうですね、もともとハーフパイプを始めた時に、ぴょんちゃんオリンピックに出るっていうのが私の目標で、
それに向けて一生懸命やっていたので、結果的にぴょんちゃんオリンピックに出れたんですけど、やっぱり怪我とかいろんなことがあって、思うように滑れなくて、
その時に滑り終わって、テレビカメラの前でこんな姿をしてしまって申し訳ございませんでしたって言ってしまった自分がいて、
でも終わって振り返ると、なんでそんなこと言ったんだろうと、やっぱり応援してくれる人っていうのは笑顔で楽しかったとか、全力尽くせたとか、
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そういうふうにいう選手の姿が見たいんだろうなって思ったんですね。
なんでそれをもう一回やり直したいという気持ちと、それにプラスしてオリンピック始まっても終わっても全く実感がなかったんですよ、オリンピックに出たっていう。
なんでその二つをきっかけに次の北京オリンピックを目指そうと思って、結果的に北京も出ることができて、一言で言ったらもうやり切ったっていうのが私の中にすごくあって、
やり切った、よかったっていう気持ちと、本当に皆さんに応援してくださってありがとうございましたっていう一言を言えたっていうのと、
その時はすごくオリンピックに出たっていう実感があって、それがなんでかなって思った時に、やっぱり当時のアスリートクラブに所属していたので、
その時のマネージャーをはじめとして、いろんな活動をしてくれて、北区の中でアスリートっていうのをちょっとずつ確立がされていったっていうのがあったから、
オリンピック出た時にいろんな人から声をかけてもらえたりとか、確実にぴょんちゃんの時よりも北京の時の方が頑張ったねとか、いい姿だったよとかそういう声をいただいて、
これはもう私のやるべき仕事は本当に終わったんだなっていうふうに、もうその時思ったのがきっかけで引退をしました。
ぴょんちゃんの時のインタビュー、相当後悔したっていうところから始まって、次の北京、そこでやり切ったと。
一方ですね、倉知さん。
私も東京とパリオリンピックを目指してずっとやってたんですけど、東京オリンピックが先行から外れてダメだってなった時に、次4年後のパリを見据えてすぐ準備しようっていう切り替えができて、
パリオリンピックを目指していて、オリンピックシーズンが2023年からスタートしてたんですけど、私の中では競技人生で一番うまくいっていて、一番楽しんでいて、
結果もおのずとついてくるだろうなっていう自信がついたタイミングで、国内戦でしっかりと結果を出さないと年齢的にも最年長でずっとやっていたので、
国内戦の成績がかなり重要になるんだろうなっていうのは理解はしていて、全日本選手権で思うような結果が出せず、そのタイミングでちょっと怪我をしてしまって、
それがちょうどオリンピックシーズンの真っ最中だったので、それで3ヶ月間ちょっと疲労骨折っていう形で全然思うようなフェンシングができなくて、
オリンピックシーズンに大事な国内戦もしっかりと結果が出せるような状態でもないっていうのが続いていて、
この状態だとワールドカップだったりグランプリ大会っていうのに出場するのも厳しくなってきたなっていうのは自分の中で本当に分かっていて、
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このままだらだらとやるっていうイメージが自分の中でもできなかったのと、引くタイミングとしては今がベストなのかなっていうのがあって、それが3月の末だったので、
4月1日から社会人として一進したいなっていう気持ちもちょっと芽生えてきたので、そのタイミングで引退決意しました。
現在はネクストキャリアということでは、上北信用金庫の方に引き続き在籍されて職員として仕事をされているんですけども、お二人今どんな仕事をされているのか、ちょっとその辺をお聞きしたいんですけども、杉澤直里ですかね。
はい、現在は上北アスリートクラブの現役アスリートをマネジメントするというのが中心の仕事にはなってきます。
なんですけども、上北信用金庫の広報の活動だとか、上北信用金庫を主催するイベントだとか、そういうような幅広い仕事はしています。
そういういろんなことをしているんですけども、やっぱり何よりも一番大事なことっていうのは、現役のアスリートがオリンピックに出場して、
その時に地域一丸となってじゃないですけど、そういう風になるためにどうしたらいいかっていうのを考えることが私たちの一番の仕事だとは思っているので、
本当に毎日毎日試行錯誤してどうしたらいい、どうしたらいいっていう風に考えているのが私の仕事です。
なるほど。倉知さんは?
はい、私も鈴木さんと一緒でアスリートのマネージャー業をメインとしてさせていただいています。
アスリートのサポートするのはもちろんなんですけど、金庫内外の向けたイベントっていうのを企画だったり実行する仕事をしていて、
こんなにアスリート素晴らしいんだぞっていうのをしていただくために、スポーツイベントだったり地域のイベントに積極的に参加するっていうのをメインにやらせていただいています。
なるほどね。お二人も現役時代は、いわゆる上古信用金庫さんですとか、アスリートクラブのブランディングにかかってきたっていうことですよね。
それを今管理する立場として地域に対するアプローチですとか、全体のマネジメントをされているっていう。
以前大前理事長にお越しいただいたときに、完全な雇用制度を惹かれているっていうふうにちょっとお聞きしていたんですけども、現役アスリート時代の支援や現在のセカンドキャリアの対応などいかがでしょうか。
実際、私が現役の頃っていうのは結構海外で活動することが多くて、私自身出勤が他のアスリートよりもすごく少なかったっていうのがあったんですけど、やっぱりその中でどうしても社会経験がなかなか詰めないっていうこともありながらも、やっぱりいろんな課題を出してくれたりとか、そういう提出物をしっかりやろうとか、報告連絡相談。
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アスリートだけじゃなく一般の方でも当たり前のことではあるんですけども、そういう当たり前のことをしっかりやっていこうというふうにマネージャーの方からもその時からずっと言われていたので、やっぱりそういう一言一言っていうのをいただけるっていうのはアスリートにとってすごく幸せで大事なことなのかなっていうふうな思いと、
あと私自身、社会に出る準備が全くずっとできていなくて、でもそれを何も言わずに待っててくれた上北信用金庫っていうんですかね。本当にこう、もともとは引退したらもう先が見えてないし、その絶対ずっと働きますっていう感じじゃなかったんですよ。
でもそれでも自分のやりたいように今は競技しっかり頑張りなさいと、出勤したらそういう温かい雰囲気があって、そういうところも金庫内でアスリートを雇用しているっていう理解が深まっているっていうふうな形なんじゃないかなってちょっと思ったので、空気感っていうのはすごくありがたくて、
私にとってのセカンドキャリアの準備をさせてもらえたなっていうふうな思いがあります。
ありがとうございます。じゃあちょっと倉知さんの方にもですね、聞いてみたいんですけど、上北信用金庫のアスリートへの対応。
現役の時は私も年に半年以上海外が続く期間があったんですけど、その時も金銭的なサポーターももちろんですし、競技に専念できる環境っていうのは間違いなく本当に素晴らしい体制でやらせていただいていたので、自分のフェンシングに対する不安以外の部分っていうんですかね。
そういう不安はもう全部取り除いてくれたのは本当にありがたかったなっていうのを今改めて感じています。
セカンドキャリアに関しても現役中からできれば週に1回出勤するっていうふうにやってくださっていて、その1回来たタイミングでいろいろパソコンの使い方だったりとか、金庫内での職員の方とのコミュニケーションを取るっていうのがあったりとか、
社会人としての経験も多少詰めたかなって思っていて、私はその引退するタイミングを自分でちょっと考えさせてもらえる期間をいただいたので、その間にしっかりと自分で頭も整理もできましたし、逆に4月からしっかりと働こうっていう気持ちの整理もできたので、現役中から引退後にかけても何も不安なく働かせていただいているなっていうのを感じています。
海外での活動っていうのは長期に及ぶと、いろいろと戻ってくると受け入れがどうなんだろうとか、不安になりがちだとは思うんですけど、今お二人の話を聞いているとかなりファミリー的な温かいお迎えがされているというような、そんな感じの本当にいい雰囲気の企業ですよね。ありがとうございます。
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そういった上億信用銀行さんに勤めていられるんですけども、これからアスリートを採用したいという企業が、世の中にたくさんあると思うんですね。その企業に向けて、何か元アスリートの目線でアドバイスがあったら、これをちょっとお願いしたいなというふうに思うんですけども。
やっぱりその採用しようと思ってもアスリートの対応をどうしたらいいかわからない。そういう声をよくいただくんですけど、正直アスリート競技のことしか考えてないです。それはすごく私自身もそうでしたし、すごくいいことなんですけど、やっぱりそのアスリート自身環境を作るっていうのも自分の力であって、でもそういう環境を手に入れられるアスリートっていうのは応援してもらえる。
当たり前のことを当たり前にやってるアスリートっていうのがほとんどだなっていうふうに今感じていて、でもやっぱり競技にのめり込むとなかなか周りが見えなくなってしまうっていうのが実際あるので、そういうのは所属の企業がしっかり言ってあげる。
これやってない、やらなきゃダメだよっていうのは言ってあげないとアスリート気づけないですし、もう遠慮せずにもし所属したアスリートがいればどんどん行ってほしいなっていうふうには個人的にすごく思います。それをきっかけに本当にお互いウィンウィンになれるような関係性になれるんじゃないかなと思うので、ぜひバンバン言ってあげてほしいなと思います。
ありがとうございます。
クラシスさんいかがでしょう。
実際にそういうタイミングもあって、ただ何でも任せてっていうのはちょっと違うと思うんですけど、構わず言ってほしいなっていうのは思っていて、あと自分たちからも言えるような環境っていうのを作っていただけるのが一番かなって思っていて、会社さんとアスリートとのコミュニケーションっていうのを一番大事にしてほしいなっていうのを思います。
なるほど。ありがとうございます。
今お二人の話を聞いていると、勝つために環境を整えてあげられるかということと、その辺の信頼関係が非常にバランスというか重要かなというふうに思ったんですけどね。ありがとうございました。
最後なんですけども、お二人の今後の目標をお聞かせいただけますでしょうか。
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引退して今2年半ぐらいになるんですけど、1年目はすごく自分のために自分の目標を立てて、どうやったら目立つかとかそういうことを考えて前に前にって思ってたんですけど、それが2年目になって変わってきて、今の目標がやっぱりアスリート、今の現役のアスリートをいかに地域の人たちと交流を深められるかとか、そういうことを常に考えられるようになってきて、
自分よりも今の現役アスリートをどうにかしてあげたいという気持ちがどんどん芽生えてきたので、やっぱりオリンピックの舞台に立つ上北アスリートクラブのメンバーが立ったときに地域の皆さんが頑張ったねって言ってもらえるような環境づくりっていうのを日々やっていきたいなと思ってます。
ありがとうございます。倉氏さんどうでしょう。
鈴木さんと一緒で今の上北アスリートクラブの現役選手がオリンピックという舞台で精一杯戦えるようなサポートっていうのを第一に考えてやっていきたいなと思っているのが一つと、
もう一つは地域の子どもたちに向けてもっとスポーツの楽しさだったりフェンシングの楽しさっていうのを知ってもらいたいので、そういった機会をたくさん増やしてイベントだったりフェンシング教室、スポーツ教室っていうのをどんどんやっていきたいなっていうのが直近の目標です。
なるほど。お二人どうもありがとうございました。これからもですね応援しておりますのでぜひ頑張ってください。
本日は上北アスリートクラブ、元アスリートで現在はセカンドキャリアとして上北信用金庫に勤務している元フリースタイルスキーハーフパイプ選手の鈴木沙織さんと元フェンシングフルーレ選手の倉地美穂さんにお越しいただきました。
お二人どうも本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル、本日はここまでとなります。
番組の感想は各媒体のコメント欄かXでハッシュタグビルダップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
お相手はビルダップローカル番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。