1. BUILD UP LOCAL!! / ビルドアップローカル
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2025-04-04 18:08

#18‐1 ゲスト:日本トライアスロン連合オリンピック・ナショナルチーム次世代ヘッドコーチ 田山寛豪さん

今月のゲストは、

日本トライアスロン連合オリンピック・ナショナルチーム

次世代ヘッドコーチ 田山寛豪さん

にお越しいただきました。

 

【今週のテーマ】

・ご自身の経歴について


【番組内容】 スポーツ×街づくりをテーマに、30年のスポーツ界でのキャリアをもつ常田幸良が、 

スポーツを通じて街を盛り上げる様々な人にフォーカスを当て、掘り下げていく番組です。 

番組の感想は各媒体のコメント欄、または X(旧Twitter)で #ビルドアップローカル  

でよろしくお願いいたします。 


【配信日】  毎週金曜日  


【出演】  パーソナリティー: 常田幸良 


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サマリー

今回のエピソードでは、田山寛豪さんがトライアスロンの魅力や自身のキャリアについて語ります。田山さんは11度の日本選手権優勝や4度のオリンピック出場経験を通じて、トライアスロンの楽しさや挑戦について説明し、若い選手の育成にも力を入れています。また、彼はトライアスロンの経験を通じてトランジションの重要性を学び、自らの成長を遂げています。失敗を糧にしながら目標に向かう姿勢を養い、アテネオリンピック出場に至った過程についても語られます。

00:09
BUILD UP LOCAL!
田山寛豪の紹介と経歴
BUILD UP LOCAL!番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、スポーツを通じて、街を豊かにしようという番組です。
さて、今月のマンスリーゲストは、トライアスロンの元日本代表、現在は日本トライアスロン連合オリンピック・ナショナルチーム次世代ヘッドコーチの、田山寛豪さんにお越しいただきました。
田山さん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
トライアスロンというと、本当に過酷なスポーツというイメージが本当に強いんですが、今月は田山さんに、逆にトライアスロンの魅力というんでしょうかね、楽しさ、そういったことについてもお聞きしたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
お願いします。
今週は、田山さんご自身についてお聞きしたいんですが、田山さんは茨城県のご出身ということで、本当にトライアスロンの経歴がすごいんですけども、まず日本トライアスロン選手権を11度優勝されていて、そしてオリンピックの方もアテネ大会から4回連続ですよね、出場されていると。
この経歴ってご自身が振り返ってどうですか。
そうですね、特別なことはしてないんですけど、やはりトライアスロンが好きで、夢であるオリンピックというところに一生懸命やった結果が、日本選手権の11回とオリンピックの4大会というところにつながったんじゃないかなと思います。
なるほど、楽しくやった結果というか、トライアスロンの日本最高峰の選手権を11回ってすごいですよ。
2桁行きたいなっていう、途中から2桁行かないと自分のやってきた人生をかける、そうやって胸を張って言えるのはやっぱ2桁かなと思ってたので、11勝ってなった時には、これを超える選手出てくるかなっていうか、これを超える選手を育てたいなと、そういう風に感じましたね。
出るとしたら田山さんが育てた選手、そこを目指してやりたいですよね。
そうですね。
トライアスロンを始めるきっかけ
ということで、トライアスロン界のレジェンドということなんですけども、今度は逆にご自身のご経歴なんですけども、まずトライアスロンを始めたきっかけっていうんでしょうかね。
それをまずちょっとお聞きしたいなと思うんですけども、まずどんなスポーツから始められたんですか。
私は3歳から水泳を始めてまして、水泳だけをずっとやってたんですが、水泳では全国大会に出場したことが1回もないんですね。
そうなんですか。
高校に入って、高校2年生の時に駅伝部のメンバーが足りないから、ちょっとお前水泳やってるし、時給争大会もまあまあそこそこ走れてるから、ちょっと入ってくれないかって言われて駅伝部に入って、田山は泳げるし、走れるようになってきた。
あと自転車だけやれば、お前オリンピック行けるぞって言われたのがきっかけでしたね。
なるほど。水泳もずっと続けられてたってことですね。
そうですね。水泳はずっと続けてましたね。
他にスポーツって水泳以外に何かやられてなかったんですか。
短期間でいく、空手とかそういうのもあるんですけど、やっぱりこれはちょっと自分に合わないなとか、すぐに感じてすぐに辞めてしまったんですけど、ずっと続いてたのが水泳でした。
ただ全国大会に出たことがないっていうのもちょっと意外なんですけども、そこまで到達しなかったレベルとしては何かあったんですか。
やはり自分の中で競泳で結果が出る人と出ない人の差は、もう才能だって自分がやりながら決めつけてましたね。
全国大会に出れる仲間は才能があるから、自分は全国大会に出れない。もう才能がないからだっていうふうに決めつけてたのが、やっぱり全国大会に一歩踏み出せなかった。
同じ練習しててもやっぱりやらされてる選手と自分から取り組む選手では、同じメニューでもそれが成果につながるっていうのはもう天と地の差があるんですね。
私はどちらかというとやらされてたってずっと思い込んでやってたので、
自分が調子がいいときはもう楽しいんですけど、うまくいかないとそういう人のせいだったり、才能がないって言っていたのが、やはり全国大会につながらなかったなっていうのは振り返ってみて感じました。
なかなかその感覚というか思いで続けられてるんですけども、大きな大会に出られないと悔しいとかって思うじゃないですか。その辺はいかがだったんですか?
いや、悔しかったですね。同じスイミングで同じ練習をやってる仲間が全国大会に行く。でも自分は行けないっていうすごい悔しみはあったんですけど、
うちの両親はその大会の結果について一切私に言わなかったんですね。もっと頑張れとか、インターハイ行け、全中行けっていうことは一切言わなかったので、そこが私の救いというか、だからこそ競技を長く続けられたっていうのは本当に両親に感謝してますね。
なるほど、わかりました。それから駅伝部に入られて、水泳をやってて陸上もできるし、自転車をやればオリンピックに行けるんじゃないかと言われたんですよね、顧問の方に。
それ言われたときどう思われました?
トライアスロンっていうのは全くイメージがなかったので調べました。そしたら泳いで自転車に乗って走る。
これ一人の人がやるっていうのを聞いたときに、本当に自分にできるのかなっていうのと、やってみたいなっていう気持ち両方があったので、高校3年生で初めてイタコトライアスロンに出場したんですけど、その時の達成感っていうのは、今までに感じたことのない達成感とともに、このスポーツで何か自分を表現していきたい、自分の夢を実現していきたいなっていうのを感じましたね。
なるほど。当時の国内のトライアスロンを取り巻く状況っていうんでしょうかね。あまりにも情報がないというか、当時はですね。先ほどいろいろ調べられたとおっしゃったんですけども、不安っていうんでしょうかね。そういったものってあったんですか?
不安はなかったんですが、私が初めて出たのが1999年で、2000年のシドニーオリンピックからトライアスロンは正式種目になったんですね。なので、テレビだったり雑誌、新聞とかで、トライアスロンっていうところを詳しく教えてくれて、またそのトライアスロンが鉄人ってその当時はなってたんですけど、それを見てる自分がですね、なんかワクワクするような記事が多かったので、不安っていうよりも楽しみの方が大きかったですね。
大会での成功と今後の展望
ちなみにその1999年のイタコトライアスロン、これ初めて出られたというふうに先ほどお聞きしましたが、結果はどうだったんですか?
この時はジュニアで優勝しました。
優勝。ということは初めて出場したトライアスロン大会で優勝したと。
そうですね。
すごいですね。
ただ人数が少なかったので、そこまで評価ができるものではなかったんですけど、その全国大会に出れなかった自分がですね、本当に新聞に名前が載ったことがない自分が、このイタコトライアスロン大会翌日にですね、茨城新聞とかに大きく取り上げていただいて、次のオリンピック選手は田山だとか、期待の星っていうのを書かれたときに、いい意味で勘違いをしましてね。
この勘違いから自分のトライアスロン人生っていうのは大きく進んだなっていうのは感じますね。
なるほど。もしかしたら自分いけるかもしれないってそういう思ったんでしょうかね、きっと。
そうですね。テレビで見ているそのテレビの向こう側に自分が立てるんじゃないかって、この新聞を見たときに感じましたね。
なるほど、そうですか。なんか痺れますね。初出場で優勝して、また注目を浴びて、次は自分かもしれないっていうそういう可能性にチャレンジできるっていうのはすごく痺れますよね。
そうですね。やはり自分の可能性をどこまで信じてその可能性を引き出すかっていうのは、その当時ここまでは考えることはなかったんですが、考えてなくても自分の可能性がオリンピックにつながるかどうかっていうのは感じてましたね。
あとちょっとお聞きしたいのは、高校の時のトレーニングなんですけども、住みはずっと山西から続けられていて、陸上は駅伝部にも変えられて、バイク、自転車、これってどういうトレーニングされてたんですか?
バイクもやはりその当時も買えなかったので、近所のトライアスをやってる方に貸していただいて、自転車も陸上部の古物は外で走るのは危ないということで、高校の土のトラック400メートルあるんですけど、その外回りを走れということで、ずっと土の上をトラックを何周も何周もしてましたね。
校庭の400メートルトラックの外周を周回してたってことですか?
そうです。
それもまた結構昔ながらというか、やっぱり外危ないですもんね、やっぱり高校生。
そうですね。初めて見る先週ということと、高校生が一人で外に行くっていうのはどうしても危ないという古物の先生の考えもありまして、校庭だったら転んでもそんなに大きな怪我はないということで、校庭を走れという指示の下をやってましたね。
そうですか、なるほど。それからまたちょっとお聞きしますが、板子の優勝がまずあって、次はどんなステップを踏まれていったんですか?
その年に東京のお台場で行われたスプリント選手権という大会がありまして、板子で優勝してるんで、その大会によしこ自信を持って出場したんですね。
そのレースでスプリントレースなんですけど、私はスイムの得意なんで、スイムである程度戦闘集団に近い位置で上がって、バイクの時に衝撃を受けまして、なんと皆さんはバイクにバイクシューズがついてるんですね。
トライアスロンの経験
それがその当時は当たり前だったんですけど、私はそういうものを知らなかったので、もうトランジションに行ってからバイクシューズを履いて、カチャカチャカチャカチャバイクシューズを走りながらバイクにまたがって、バイクも乗ったんですけど、そのバイクのスピードの変化も全く違いましてね。
20キロで大体ラップされる選手はいないんですけど、周回遅れですね。私、周回遅れになってフィニッシュできなかったんですよ。
ラップされたと。
はい。
そうだったんですか。スプリントの選手権ですよね、日本選手権。そこは結構エリートの選手もかなり出られるんですよね。
そうですね、次のシドニーオリンピックに候補になっていた選手がたくさん出ていたので、雑誌に見る選手がたくさんいました。なのでテンションも上がって、よしここで自分の力を思い切り発揮してやろうという気持ちで臨んだんですが、もう惨敗でしたね。
そうなんですか。田山さんがラップされるというね、これはちょっとびっくりですね。そこが2戦目ということですか。
2戦目です。
そうですか、その経験、トランジッションっていろんなドラマが起きますよね。
そうですね、トライアソノは水泳からバイク、バイクから自転車のこの間のつなぎをいかに早くスムーズに勢いつけて次の種目に行けるかっていうところが大きなポイントになってくるので、最初はそこが大事なんてわからなかったので、水泳がんばる、自転車がんばるっていうところでしかやってなかったので、
それをスプリントレース終わった後ですね、トライアソノって奥が深いなとすごく感じることがありましたね。
なるほど、スプリントというのはとにかく距離が短いレースということですよね。
そうですね。
少し距離が長いのが、
スタンダードディスタンス。
スタンダードディスタンスか。
オリンピックで行われる距離ですね。
ロング、そういう風にあるわけですね。
トランジションの大切さを知ったっていうことでも、結構価値ある大会だったんでしょうね、きっとね。
そうですね、レース終わった後もやはりラップされたことでショックはあったんですけど、でもこの種目だったら自分の力を発揮できて夢を実現できるかもしれないっていうのは、改めてこの失敗から学びました。
目標に向かう姿勢
なるほど。やはりその後、トランジションのトレーニング、練習とかっていうのも始めたんですか?
そうですね、大会に出る前はヘルメットをいかに早く着けるか、また自転車の乗り出し、ランニングシューズを履くときの速さっていうところの練習は何回も何回も繰り返して行いました。
なるほど。残敗から力の差を大きく感じて、次に繋げるっていう、そういうことですね。
そうですね。
わかりました。あとですね、次に繋げる意味で何かトレーニングの変化というか、先ほどトランジションのヘルメットを早く被るとか、そういうことはお話しされていましたけども、トレーニングの方法っていうのも何か変化もあったんですか?
そうですね、トレーニングの方法だったり内容っていうのは大きくは変わらなかったんですが、やっぱりその目標を持って取り組むその姿勢で、同じメニューをやってても、それが自分にどう成果として現れるかっていうところの差を、やはりトレーニングしながら意識が変わっていきました。
本当に結果は残らなかったんですけども、逆に良い意味でアテネへのスタートが切れたということも言えるんでしょうかね?
そうですね、あそこで上手くいっていたら、もしかしたらアテネはなかったかと私は思います。上手くいかなかったことで、より深く考えて、どうすれば自分は次の4年後にあの舞台に立てるかって考えたときに、自分にはこのスポーツが合わないではなくて、もっと自分はやったらもっと上に行ける。まだまだできてないことの方が多いっていうふうに感じることができたので、自分に火をつけるきっかけをこの失敗から学びました。
いやでも本当にその失敗から4年後ですよ、アテネ。そこに出場してしまうという。この時間軸の、僕本当に短いと思うんですよ。本格的に高校でトレアストロングを始められて、大学に行って、大学でやられますよね。それからまたいろんな惨敗があって、そこから4年後でしょ。この時間軸どうですか?振り返られて。
そうですね。4年間を見ると、この短い時間で夢を実現できたなっていうところは感じることもあるんですけど、この4年って結構長いんですよ。
1回1回の練習も長く感じますし、振り返るとこの4年っていうのは短く感じるんですが、この4年で学んだことは夢実現するその大きな目標、夢の持ち方で自分を変えられる。自分自身に発見があるっていうのは夢の持ち方、目標の持ち方で変わるんだって、それを体験した4年間でしたね。
わかりました。ありがとうございます。今週はトライアスロンの元日本代表、現在は日本トライアスロン連合オリンピックナショナルチーム次世代ヘッドコーチの田山裕勝さんにお越しいただきました。来週は田山さんの競技について詳しく伺いたいと思います。田山さん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル。本日はここまでとなります。番組の感想は各媒体のコメント欄か、Xでハッシュタグビルダップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
そして、いつも番組をお聞きくださっているリスナー様に素敵なお知らせ。公益社団法人日本トライアスロン連合様よりプレゼントをいただきました。日本トライアスロン連合オリジナルドライTシャツとスポーツトートバッグのセットを抽選で、計3名様にプレゼントいたします。詳しくは渋沢君FM公式Xをご覧ください。皆様のご応募、どしどしお待ちしております。
お相手はビルダップローカル番組ナビゲーターの常田幸永でした。それではまた。
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