1. BUILD UP LOCAL!! / ビルドアップローカル
  2. #9‐2 ゲスト:東京ヴェルディ..
2024-07-12 18:31

#9‐2 ゲスト:東京ヴェルディビーチサッカーチーム選手 茂怜羅オズさん/ 東京ヴェルディビーチサッカーチーム・ゼネラルマネージャー 篠原千賀子さん

今月のゲストは、東京ヴェルディビーチサッカーチーム・日本代表選手兼任元監督

茂怜羅オズさんと、

東京ヴェルディビーチサッカーチーム・ゼネラルマネージャー

篠原千賀子さんにお越しいただきました。

【今週のテーマ】

・茂怜羅オズ選手の経歴②

【番組内容】

スポーツ×街づくりをテーマに、30年のスポーツ界でのキャリアをもつ常田幸良が、スポーツを通じて街を盛り上げる様々な人にフォーカスを当て、掘り下げていく番組です。

番組の感想は各媒体のコメント欄、または X(旧Twitter)で #ビルドアップローカル でよろしくお願いいたします。

【配信日】

毎週金曜日

【出演】

パーソナリティー: 常田幸良 ▼しぶさわくんFM公式サイト⁠⁠https://shibusawakun.fm/ ▼公式X →@shibusawakunfm⁠⁠

⁠⁠https://twitter.com/shibusawakunfm▼しぶさわくんFM 公式YouTubehttps://www.youtube.com/@sibusawakunfm/featured⁠⁠

▼常田幸良X →@for_VERDISM

⁠⁠⁠https://x.com/for_verdism?s=11&t=QeZdPyid7Oso6KjbKn6rdA


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BUILD UP LOCAL!
BUILD UP LOCAL! 番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、
これまでの経験とゲストの皆様とともに、スポーツを通じて街を豊かにしようという番組です。
さて、今週も東京ヴェルディビーチサッカーチームと、日本代表の選手・兼任監督の茂怜羅オズさん、
そして、東京ヴェルディビーチサッカーチーム・ゼネラルマネージャーの篠原千賀子さんにお越しいただきました。
オズさん、篠原さん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今週もですね、先週に続きまして、オズさんご自身のご経歴についてお聞きしたいと思いますが、
まずちょっと海外遺跡についてお聞きしたいと思うんですけども、
先週はですね、ドイツに渡ったお話もお聞きしたと思うんですが、
ドイツ以外にもヨーロッパ、バロセロナに遺跡していたという、そういったご経歴もあるんですけども、
このビーチサッカーでの遺跡というのは、サッカーと比べて楽に簡単にというか、遺跡できるものなんでしょうか。
そうですね、ビーチサッカーの一つの特徴は、やっぱりその遺跡の数がないですね。
選手たちがフリーという感じですけど、
例えば私は今現状、東京ベルディビーチサッカーチームに所属しながら、
イタリアのチームからオーバー来て、今月はこのチームに来てくださいと言っても、
そのままベルディに登録しながら、イタリアに出たりとか、ロシアに出たりとか、
世界中を回して、いろんなチームに出ることができています。
そうなんですね。
普通サッカーですと、海外遺跡をする際に、チーム間での何か契約のやり取りだとか、
そんなようなことも発生しながら、遺跡しますもんね。
そういったものがビーチサッカーにはないという。
ないですね。
なるほど。
海外のバルセロナというのは、非常に有名なビッグクラブですけども、
バルセロナには何年くらいプレーされましたか?
バルセロナは3大会に出まして、
毎年世界クラブ選手権、世界クラブワールドカップが行われまして、
バルセロナ選手としてその大会に出ましたね。
なるほど。
バルセロナに所属している時は、日本ではどこにいらっしゃったんですか?
その時はまたベルディでプレーしました。
ベルディでやっている時にもバルセロナに行かれていたと。
バルセロナに行きました。
なるほど。分かりました。ありがとうございます。
ベルディの前に、2015年ですかね、新潟のフュージョンに遺跡をするんですけども、
この時はどういった時だったんですか?
そうですね。それまで東京レッキュースでプレーしまして、
新しいチームは動き出しまして、新潟のチームからプロビーツサッカーチームを動き出しましたね。
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そこから初めて国内のチーム一席することになって、
本当にゼロからチームが立ち上がったんですけど、
選手人数とかもやっぱり少なかったんですけど、
新潟で寒いところで、ドイツの色々思い上がったんですけど、
本当に新潟の柏崎っていうところですけど、海もあって、
ただもう雪降ると練習できない体育館の中で普通にフットサイドとかで練習したりするんですけど、
ただ1年間やって、結果は日本一になりましたので。
ただちょうどその年にアスレタスポーツメーカーと契約しまして、
東京から離れると撮影とかいろいろアスレタとの仕事が遠くなるっていうところなんですけど、
1年間フュージョンと所属してて、
アスレタがシーズン終わったらロキに戻ってほしいなっていう話がありました。
そうなんですね。
新潟に行かれてて、アスレタさんと契約があって、
それをきっかけに東京に来るような、そんな話になってきたってことなんですね。
そうですね。
その時に東京はレキオスのチームではなくて、
ベルディーっていう選択肢なんですけども、
やり方というか、どうやってベルディーに入られたっていう、その経緯はどうだったんでしょうか。
そうですね。
ただ東京に戻ってきてって言われても、
やっぱりその時まだ美術作家チームが今ほどはなかったんですけど、たくさんね。
じゃあどこでプレイするかっていう疑問が出て、
自分がやっぱり海外で出た経験が、
自分の美術作家チーム立ち上がったら、
そういう日本の美術作家界のためになるかなっていう。
海外はやっぱりどんどん進んでいってるから、
そういうビジョンがあって、
アズレタさんと話して、
自分のチームを持ちたいなっていう目があったんですけど。
アズレタさんから、
じゃあいいよ、ベルディーと話してますって言われたんですよ。
ただそれなんか食事しながらその話できたんで、
そこまで私本気思わなかったんで、
ただ次の日の朝に社長から電話があって、
もうベルディーOKですって言われました。
そんな簡単な言葉だったので、
じゃあ今からやらないといけないなと思ったので。
ただそういう美術作家チームだけじゃなくて、
Jリーグのチームと美術作家チームを作りたいなと思ったので、
やっぱりそういう日本の美術作家、
もっと皆さん知ってもらうために、
やっぱりJリーグだったら、
ベルディーどこ行ってもみんな知ってるから、
そこから海外そんな感じにしてるので、
今までそれ日本もなかったチキチームしかなかったんですけど、
そういう機会があって、
いろいろ日本の美術作家界が少し変わってきましたね。
そうなんですね。
もちろんおじさん、東京ベルディーっていうチームは、
美術作家がない時でもご存知だったんですもんね、お父さんね。
そうです、はい。
自分はブラジル住んでた頃から、
やっぱり東京ベルディーっていうチームはしてたんですけど、
昔イジモンドとかビーズマーク選手とか、
それこそウランモスさんとかプレイしてて、
ブラジルの中でも有名なチームなので、
やっぱりベルディーの中でやるとすごい嬉しかったですね。
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ということはそういったお話をいただいた時は、
もう自分の気持ちの中ではすごく喜んだというか、
嬉しかったんですかね。
いや、その瞬間は嬉しかったですね。
ただそれ、やっぱり次のステップはどうしていこうかっていう、
クラブを応援したいという気持ちだったので、
ただその経験とかも、そこまで勉強してなかったので、
そこからやっぱり次どうしていこうかっていうのが、
すごい心配してましたね。
なるほど。
日本の美術作家チームと海外の美術作家チーム、
この違いってどういったところにあるんですか。
そうですね。海外の美術作家チームが、
普通のクラブチームから予算が下りてくるんですよ。
なるほど。
だから美術作家だけじゃなくて、
いろんな競技がその予算から運営できるので、
私もその作りだと思ったんですよ。
だからしっかりメンバーだけ集まって、
遠征とかスケジュール組めればいいかなと思ったので、
実際にそのやり方ではなかったです。
自分たちがスポンサーを探して、
自分たち遠征に行く感じだったので、
ただその時にスポンサー営業の経験も全くない。
そこまでの日本語も、営業する日本語も全くわからない。
なるほど。
そういう本当に辛がったっていうのはすごいですね。
なるほど。選手はすぐに集まったんだけども、
今度はチームを運営していくための資金集め、
スポンサー探しを自分たちでやらなければならなかったっていうことですね。
そうですね。
全国からベストメンバー12人すぐ集まって、
本当に日本代表のレベルぐらいのチームを作ったんですけど、
ただどうやってクラブを運営するか。
自分が選手をしていくときに、
いろんな会社さんとかに出会いがあって、
その時に名刺を交換したんですよね。
名刺はいろいろ家に集まったんですけど、
そこから連絡してみようかなと思ったんですけど、
ただ自分が連絡していても、会社まで行ってどんな話をするか、
それは全くわからなかったですね。
なるほど。
そういう時にね、
ゼネラルマネージャーの篠原さんとの出会いがあるという、
それをきっかけにチームの歩みが進み出すっていうことなんですけども、
篠原さんね、オズさんとの出会いの中で、
何をきっかけでオズさんと出会われて、
ゼネラルマネージャーの仕事をされてますけども、
その辺の経緯ってどうだったんですか?
そうですね。もともと私はウェブ制作の仕事をしていまして、
片原サッカーはフットサルを好きでやってたんですよね。
そのフットサルをやってる中でビーチサッカー選手に出会って、
ビーチサッカーっていう競技を知るようになったんですけれども、
その中でベルディを立ち上げるっていう話がありまして、
ちょうどホームページを作ってもらえないかというところから、
出会ったというところが最初のきっかけですね。
なるほど。ということはウェブの制作がまずあって、
オズさんのほうからチームのホームページを作ってくれと。
そういう依頼があったと。
それってすごい出会いなんですけども、
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ホームページが作られて、またさらにスポンサーを獲得しなければいけないという、
そういったところにもどんどんマネージメントが入られていったわけでしょ?
そうですね。実は当時、もう他に営業の方がいまして、
その方が担当する話だったんですけれども、
いろいろ問題がありまして、辞められてしまって。
そうなんですね。
それが立ち上がってから、もう3ヶ月ぐらいですよね。
その中でどうしようかというところで、
当時運営メンバーがその方と私とオズ選手。
3人しかいなかったというところで、
じゃあ2人でやっていこうかというところから、
徐々に徐々に私も営業のお仕事とか、
そういったところをどんどん広がってやっていった。
なるほど。
ということは、本当に2人3客で、
篠原さんにとってはウェブから入ったんだけども、
セールスのところも含めて、
オズさんと一緒にチームを引っ張っていったということなんですね。
そうですね。
いろいろ試行錯誤で最初はやっていったというところですかね。
そうですか。
なるほど。分かりました。
あと資金を集めと同時にチームを新しく作って、
今度は練習場で一体どこでやるのかと、
そういった問題ってどうだったんでしょうか。
そうですね。
最初は海外に行けば練習できるなと私たちは思ったんですけど、
なかなか人口のところが密かくことがなかったので、
今でも少ないんですけど、
それですぐ平塚の方で行って、
ボールを蹴って、いろいろリリースしたら、
神奈川県のクラブチームからクレームが来たんですよ。
なるほど。
東急ビルドは自分のホームグラウンドで、
ホームタウンで練習してくださいっていう。
東急でやってくださいと。
そうそう。
でも私たちは密かかの世界、それないですね。
海外でもないので、ホームタウンとかそれなくて、
私たちも全然分からないんですけど、
じゃあホームグラウンドは練習する場所もない。
やっぱり密かか、砂の上で練習しないと、
人口シェアはふたつある練習しても、
やっぱりレベルアップとか、
もうあまり練習ならないっていうことですけどね。
またそれを話して、
1年間はやっぱり練習グラウンドがないので、
1年間を許可取りました。
それで横浜の西野で1年間練習しながら、
もうずっと東急いろいろ回して、
練習グラウンド探してましたね。
なるほど。
今ホームタウンは立川市なんですけども、
それをどういうふうに探してたんですか。
そうですね。いろいろ探してる中で、
実際はないっていうところがあったんですね。
あってもビーチバレーコートですとか、
狭いとかいうサイズがないというところがありまして、
たまたま大洲選手が立川の近くに住んでいまして、
ララポートに買い物に行ったときに、
ちょうどモノレールから立日ビーチが見えたんですよね。
見えた。
そこでビーチコートがあるじゃないっていうところで、
一回行ってみようかっていうところから行って話をして、
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そこがきっかけで立日ビーチとの出会いがあったというところですね。
なるほど。お二人で飛び込み営業ですね。
そうですね。
スタッフの方の印象ってどうでした。
電話で最初連絡をさせていただきまして、
当時バーベキュー場だったんですよね。
砂浜はバーベキューのお客様が遊ぶための大きな砂場施設っていう
アウトドアコンセプトで作られた施設だったんですね。
スポーツ施設としては作ってないっていうところだったんですけど、
最初に伺わせていただいたときに、
営業時間前で構わないので空いてる時間に使わせてほしいっていうお話をして、
それだったらぜひいいですよって。
向こうとしてもできたばっかりだったのでアピールしたいっていうところもありまして、
それであれば空いてる時間にちょっとだけだったらいいですよっていうところから始まったっていうのが最初のきっかけですね。
本当に練習場を見つかってよかったですよね。
本当によかったです。
本当に1年間の最後の最後の方でタイミングを見つかりました。
モノレールから乗ったらなんでこんなに砂。
コードのサイズちょうどサイズだったんですよ。
本当にあの日車で行かなくてよかったなと思いました。
本当ですか。そうですよね。
あとちょっとお話戻りますけども、
先ほどスポンサー探しを2人でいろいろやられてたってこともお話伺いましたけども、
その時の苦労ってどうでした?
自分がプロになってから始めてビッグサー買えるために自分でお金払って遠征に来ましたね。
本当に今まで自分のことだけプレイして自分のことだけ集中してきたんですけど、
ただチームを立ち上げてからもう選手たちスタッフとかのことも考えないといけないから、
すごい責任感が感じましてプレッシャーがすごい強かったですね。
1年目は選手としてってよりやっぱり運営の方すごいストレスとか感じたんです。
今大変だったと思うんですけど、こういうきっかけでいろんな出会いとかチームが徐々に大きくなってるんですけど、
練習ぐらいの方で来て感謝してますというところですね。
日本に帰化されてるっていうことなんですけども、
そういったこともスポンサー探しにも影響してたっていうこともおっしゃってましたけどね。
いろんなスポンサーさんとか会社の方いて、ほとんどの会社がやっぱりビッグサー買うのかわからないですね。
ただ私たちはこういう毎日の努力をやったりとか、私がブラジルから来て日本大好きに帰化して、
こういう話したら応援したくなる気持ちが社長たちから出てきました。
そういうきっかけでスポンサーになった会社がたくさんありました。
本当に大洲さんの日本に対する思いっていうのが通じたってことなんですかね。
本当に皆さんがこういう助け合う気持ちがあって、日本の素晴らしいところがありますね。
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キカーについてちょっと今お話し出ましたけども、ラムスさんの存在が大きかったっていうことなんですけども、
どんな感じだったんでしょうか。
そうですね。日本に来てからずっとラムスさんとかニュースとかテレビで見てたんですけど、
本当に鏡の存在っていう感じですね。
ブラジル来てJリーグできる前にラムスさんがJリーグが盛り上がるためにいろいろ協力してきたんですけど、
私は本当に同じ道でただ競技が違う競技で目指してきたんですけど、
ラムスさんに出会った時に、私がまだブラジル国籍だったんですけど、
ラムスさんみたいに日本人になって日本代表のために戦いたいっていう気持ち伝えたら、
じゃあ協力するよ、応援するみたいな。ラムスさんは広い心温かい心で気持ちでいろいろ助けてくれたんですけど、
本当にそのキッカーするためとか日本代表が入るためとか、キャリアのためにもいろいろ相談を受けましたので、
本当に弟さんというイメージだった感じで。
今でももちろん連絡取り合って会ったりとかやっぱりするんでしょ?
そうですね。よく食事とかもしたりするので。
なるほど。分かりました。ありがとうございます。
今週は東京ベルディビーチサッカーチームと日本代表の選手兼任監督の森浦雄さんと、
そして東京ベルディビーチサッカーチームゼネラルマネージャーの篠原千佳子さんにお話をお伺いいたしました。
来週はですね、大津さんの世界でのご活躍についてお伺いしたいと思っております。
大津さん、篠原さん、今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルドアップローカル、本日はここまでとなります。
番組の感想は各媒体のコメント欄か、Xでハッシュタグビルドアップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
そして、いつも番組をお聴きいただいているリスナー様に素敵なお知らせです。
東京ベルディビーチサッカーチームのロゴが入ったターポリンフラット防水バッグと、
ゲストの森浦雄選手のサイン色紙のセットを2名様、
また、東京ベルディビーチサッカーチーム全選手のサイン入りユニフォームを1名様、
抽選で計3名様にプレゼントいたします。
詳しくはしぶさくんFM公式Xをご覧ください。
皆様のご応募、どしどしお待ちしております。
お相手はビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。
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