プロキャリアの始まり
ビルドアップローカル!!
ビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、スポーツを通じて、街を豊かにしようという番組です。
さて、今週もサッカー元日本代表で、サッカーチームスペリオ城北のオーナー兼監督、大津祐樹さんにお越しいただきました。
大津さん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今週はですね、国内でのプロのキャリアについて、いろいろお話をお聞きしたいと思っております。
前回ですね、アマチュア時代の話をいろいろお伺いをしてですね、高校が北区の成立高校を進学されて、その後なんですけども、Jリーグのカシオワレーソルに入団されているんですが、当時どんな感じのスカウティングだったんでしょうか?
入団した理由は、もともと僕の高校、成立学園の総監督が日本代表でもともとやっていたのが、今湘南でプレーしている鈴木裕人って選手のお父さんだったんですよね。スカウトの鈴木さんっていう方なんですけど、
その方が僕がレーソルと練習試合をした時に、レーソルのユースと試合をして成立が勝ったので、その後から気になって追いかけて見てくれていて、何回かプロのレーソルの練習参加をして、最初は僕らの高校の中の3人セレクションに行って、
その中から3人から2人、2人から1人みたいな感じで、サバイバルゲームみたいな感じになって、生き残って入団したって感じです。
最初は3人がスタートしたわけですね。
3人からスタートして、徐々に削ぎ落とされていった感じです。
プロの練習に加わったっていうことなんですけども、その時の状況どうだったんですか?レベル全然違いますか?
レベルは高いですし、高校の時からすると、もちろんプロとの戦いもないので、体つきもそうですけど、逆に若いからが故にみたいなところもある程度あって、そういったところで違いというか、引きみたいなところが出せたのかなと思ったりはしますね。
サバイバルで、1人最終的に残ってオファーを受けるわけですよね。その時の気持ちはどうでした?
めちゃくちゃ嬉しかったですね。プロになれるっていうところは、ずっと小さい頃からは描いてはいたので、ようやくなれたなというか、どっちかというとほっとした感じがすごくしましたね。
当初はプロとしてどんなキャリアを描こうというふうに当時は思われていたんですか?1年目というか。
1年目でいうと、本当にプロの世界についていくことだったり、自分の良さを出すことでいっぱいいっぱいだった。先のことはあまり考えるというよりは、目の前でとにかく試合に出るという環境を黙々とやっていたという感じですかね。
アマチュアからプロになって、プロ意識とか、プロとアマの違いってあると思うんですけども、その辺は当時どう感じられていました?
やっぱりサッカーで生活をする。サッカーでご飯を食べるっていうところが、やっぱり今まで高校生からするとなかったところなので、自分の中でプロ意識っていうのはどんどん大きくなっていったなっていうイメージはありますね。
その代わり、いつでもクビになる世の中じゃないですか。契約年数はもちろん置いておいたとしても、ちゃんと試合に出れなくなったら、自分の価値も市場価値も下がるんで、自分のことをプロデュースするというか向き合うっていうのはすごく考えるようになりましたね。プロに入ってから。
ネルシーノ監督との出会い
なるほど。どうやって自分を作り上げていくかっていうね、そういったところが大事になりますよね。
大事ですね。これが一番大事だと思いますね。あとは自己分析ですかね。自分がどのポジションにいてどういうことをして、どういう成長を求めるかっていうところですかね。
なるほど、わかりました。指導者なんですけどもね、当時外国人監督だったと思うんですけども、指導者の違いはいかがでした?
ネルシーノ監督はすごかったですね。本当に向き合っている熱量が、そこまでそんな熱を注げるんだっていうのはすごく感じましたけどね。
選手に対してのこだわりもそうですし、チームに対しての質だったり、自分がやりたいっていう思っているサッカーに対してこだわりを持ってその熱量を注いでいく。そういったのがすごくネルシーノ監督と会った時に、すごい監督だなっていうのはちょっと思いました。
やっぱり人を動かしていく言葉力というかですね、僕もベルディ時代に彼とちょっと仕事というか、僕はビジネスサイズだったんですけども、一緒にいさせていただいたことがありましたけども、やっぱりオーラがこの人はあるなっていうことはずっと感じていましたね。
すごいですよね。競争させるのがすごく上手な監督だなっていうのは思いましたね。あとは自分のやりたいサッカーを落とし込む能力だったり、そういう意味ではその週の試合すごく活躍して翌週普通に外されたりします。
なんでかっていうと、いやいやお前はトレーニングの時にちゃんとできてなかったからとか、なんかこうトレーニングでいい選手使ったりするんですよ。すごいなと思って。試合だけで判断してなくて、毎日本当にこの競争させるような環境を作ってたので、紅白戦水曜日によくやってたんですけど、サブの選手たちもここで活躍したら試合に出れるっていう環境下でプレーしてたので、
チームがすごくレベル高い感じで試合に臨めていたので、試合をやる時に紅白戦の方が嫌だったんですよ。
そういう監督っていうのは、あえてそういうシチュエーションを作りながら試合を動かすことができるような、そんなような監督という印象があって、やっぱりそういう紅白戦であったりとか、ガチンコでダメだったらすぐ外したりとか、そういうことの意識を生み出させることによって試合を動かしていくっていう、そんなようなマジックかよみたいな、そんな印象がありましたね。すごい監督だなって僕は感じましたね。
僕スタメンで出る試合のミーティングで1時間ぐらいずっと僕を怒られ続ける時がありました。
本当ですか。
でもその試合点取りましたからね。その言われたことをやれっていうので激詰められてたんですけど、でも詰められた時の内容は試合の時に僕が点取ったシチュエーションのシーンなんですよ。
なるほど。
なのであの人の言ってる通りじゃねえかよみたいな感じ。でもなんかそれがやっぱり信頼関係にもつながってくるんで、やっぱこう言ってもらうこともすごい大事だなっていうのはすごく思いました。
なるほどね。やっぱり偉大なんだなあの人は。
偉大です。
あとそれからの外国人といえば選手もそうだと思うんですけども、ブラジル人のいい選手がいたと思いますけども、その時のやっぱり上手さって全然違いましたか?
いやレベル高かったですね。僕が当時いたフランサー選手もそうですし、レアンドロドミンゲス選手もそうですし、ワグネル選手もレベル高かったですね。
フリーキックとかワグネル選手とかもう練習見ててもバシバシ決めるし、試合の時もバシバシ決めるし上手いですし、フランサーはフランサーでめちゃめちゃテクニカルな選手だったので、どういう発想でそのプレーするのみたいなのは結構ありましたね。
帰国後の思い
なるほど。
あとはドミンゲス選手は逆にこうすべての基準値が高くて、ドリブルもできるしパスも出せるしっていうのが日本人の最強バージョンみたいな器用だし、そういうところがすごく外国人の選手たちと一緒にやった経験はものすごく大きかったですね。学ぶものが大きかったっていうのはありますね。
またチームの中に入った一体感というか最強でしたよね。
いやすごかったですね。
分かりました。ありがとうございます。
今柏レスラーの話をずっと聞いてたんですけども、一旦その後海外クラブにチャレンジして、またその話は後日お聞きしたいなと思うんですけども、
その後また3年半ぶりにJリーグ国内復帰をされて、また柏に戻られるんですよね。その時の当時の思いっていうか戻ってくる時はどんな感じだったんですか。
レーソルしか考えてなかったですね。他のチームに行くっていう選択肢がなかったので、レーソルが好きすぎてレーソルに絶対戻るっていう思いでしかなかったので、他のチームからもお話いただいてたんですけど、レーソルしかもう選択肢がなかったですね。
ただやっぱりすごく僕はその3年間は自分の中ですごい迷った時期ではありましたね。やっぱり海外でプレイしていたので、そこでそのレベル間で僕通用しなかったんだっていう海外に行った時にその市場で。
ていうので日本に帰ってきた時にこの3年間は僕はもうなんか抜け殻というか、何のためにサッカーやってるんだろうみたいな感じの時期ではありました。
でもねなかなか経験できない3年間だと思うんですけども、サッカー選手としてはやっぱり自分は何だったんだっていうそういう思いでしたか。
もうそうですねやっぱりこうどう考えてもそのレベルにまで元に戻るってなると時間がかかりすぎちゃうのと自分の年齢も25、6ぐらいだったので市場感とマッチしないなぁみたいなのはちょっと思いましたね。
キャリアの変遷
あとJリーグで活躍して海外に行ってみたいな絵を描いていこうとすると、やっぱ当時で言うと若い時に僕も行けるチャンスがあって、若い選手は次に売れるので、なので海外のチームって取るわけじゃないですか。
もう今じゃあ失敗して帰った日本チームをもう一回取ってっていうような発散はそもそもならないじゃないですか。っていうのはなんかすごく思ってなんだろうなぁみたいな時期にはなってました。
なるほど。それでね国内復帰されてもう柏レースをするしか考えられなかったという言葉を伺ったんですけども、その時の目標っていうのは何だったんですか。
目標なかったんですよ本当に。やっぱり海外に行く、レースが好きだったんでレースに帰るっていうのは一つあったんですけど、本当に目標を失っちゃった感じなのは大きかったんですよ。
内心では日本代表になりたいなとかいろいろ思ってはいるものの思いと体全然ついてこずっていうのはあったんですね。そこでマリノスに一席した時にようやくやっぱりこうチームのためにやることってすげー大事だなみたいな方向に切り替えた時にまたサッカーがより面白くなってチームを勝たすためにはっていうことを意識しながらプレーしてたのが最後やっぱキャリアの終盤。
っていう感じではありましたね。あと楽しみ方がちょっと変わったなみたいな感じはあります。個人に対してのフォーカスってところからチームに対してフォーカスが切り替わったのがマリノスのタイミングですね。その移籍が僕の中でも経験としてはかなり大きかったですね。
でまたマリノスで優勝に多大な貢献もされて今おっしゃられた結果っていうことなんでしょうけどもその時の気分ってどうでした?
めちゃめちゃ嬉しかったですね。なんかチームのためにやることってかなり意味があるよねっていうこととチームのためにプレーしたことが結果個人のパフォーマンス評価につながってるなというふうには思っていたので
チームのためにやることをもっともっと若いうちから考えてたらもっといい選手になれたなっていうのは振り返ってみると思います。僕が気づいたのはもうキャリア終盤だった。
マリノスに移籍されてその後またジビロ岩田の方もね移籍をされますけどもここでもJ2の優勝かJ1昇格にも貢献されてこの時もやはりこうチームファーストというかそういうやっぱり気持ちでずっと戦われてたんですか?
マリノスでプレーしていて最後引退する前にもう一回なんかこう自分が中心的にプレーできてみたいなのを考えた一席がジビロなんですよ。それでジビロに行った時にただ柏の時はもうどっちかというと自分しか考えてない感じの中から今度チームということを考えて今度チームプラス自分みたいなのがジビロですね。
ってなった時にマリノスで得た経験をジビロ自体は入った時にはすごくチームはバラバラではあったんでなんかこれをチーム化した時に結果って出るのかなっていうのはすごく思って個人のパフォーマンスでも引っ張りながらチームを良くするっていうところをフォーカスしてタイトルを取るっていうのを目標にジビロに移籍したっていうのがきっかけです。
その中でやっぱりやってみたらマリノスでやった経験をジビロにはめてみた時にやっぱりジビロでもしっかりと結果が出たのでやっぱり大事だなっていうのはつながってきました。
なるほど。有言実行というかチームのために働いてチームを勝たせるということにつながっていくわけじゃないですか。しかもJ2タイトルを取ってJ1昇格させるというここのサクセスストーリーというか自分が思い描いてた通りに普通はこれならないと思うんですよ。
それを大津さんって見事に自分のレールをきちっと進められる方だなって思うんですけどその辺いかがですか。
なるまでやり続けるのもあるしそこに対してのモチベーションが高いのかもしれないですね。絶対にこう決めたことをやり続けるっていう描くようにどうやったらそういう風になるだろうみたいなのをすごく考えて行動するので
自分で描いたものを実現させるっていう強い思いがあるからその強い思いに乗っかってくる人もいるしなので僕だけじゃ結構厳しいなと思うんですけどそういう思いを巻き込んで人と一緒にやる達成するっていうのが僕の強みであるんで僕だけだと難しいなという感じがあります。
なるほどわかりました。ありがとうございます。今週はサッカー元日本代表でサッカーチームスペリオ城北のオーナー兼監督大津幸さんにプロのキャリアについてお聞きしました。
次回の展望
次週は海外遺跡や怪我についてお話を伺いたいと思います。大津さん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル本日はここまでとなります。
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