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2022-09-01 27:35

#144 読書感想回#011 カナエさんエッセイ集『四半世紀後悔』

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四半世紀後悔 カナエさん
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wish you were here よだかさん
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00:01
こんにちは、Moです。おはようございます。こんばんは。
皆さんお元気ですか?私はおかげさまで元気です。ありがとうございます。
今日は、樋口塾恒例の読書感想会、月書にやるやつ、9月1日分で話したい本があったので、ちょっと頑張って話します。
この本ね、先月出会いました。
最近たくさんの書籍と出会うので、出会ってしまって心が揺れたものは全部買うようにしちゃってます。
お金もかかることなのでね、本当は図書館とかあったらいいんだけど、
日本人図書館とかだと本も限定されてしまっててね、買うことになってしまうんだけど、
今Amazonがあったりとかしてね、2、3日で海外でも一応届くので、
Kindleもあるし、本当にいい世の中になりましたよね。
やっとね、最近自分と本の関係っていう感じをちょっとだけ語れそうになったので話すと、
だいたいね、買って読めてないんだけど、自分を自由にしてくれる練習になるなって思うようになりました。
本を読んだりとか、本と触れ合うことがね、パラパラってね、書いた人の思いを想像したりとか、
その時代の背景を妄想したりしてね、
あと鑑賞用としてはね、外側の表紙とかデザインとか、本の形とか厚さとかみんな違うし、
そういうのを楽しんだりとかもできるようにちょっとなりました。
で、だいたいの場合は、著者の思いに共感ポイントを見つけたくて、
その人がどうやって追い立ちをしたのか、生活とか生き方とかを調べてしまって、
だいたいね、それでヘトヘトになっちゃって、
目字と前書き、あと後書きを読んでね、あとは読めない感じになっちゃってたよね。
でも、個性のある著者がたくさんいるから、
最近は周りには普通の人しかいない感じがしちゃってね、
普通っていうか、本を書くような人はなかなかいないもんでね。
で、リアルがつまらなくなっちゃったりとかするのが怖いみたいな感じで、
で、本を書く思考力とか知力とか体力とかエネルギーって本当にすごいんだと思うんだよね。
だからその人の努力の結晶が、そういう書籍がね、そこいっぱいなんか今目の前にうじゃうじゃあるんだけど、
そうするともうなんかね、本当それだけで興奮してしまいますね。楽しいです。
まあ、で、すいません。そのくらいにしてね、本当はね、だいたい読めてない、あんまり読めてないんだけど、
共感ポイントがあったら、なんかそれ私もそう思いましたとかね、
03:03
なんかこう学んだことがあったら、それたくさん学びましたみたいなことをお伝えしたいんだよね。
今ね、ツイッターで結構、本当にね、著者の方とつながれるっていうのがあったりして、
それでワクワクして思ったらツイートしちゃうっていうのがあるんだけれども、
最近ね、結構関心があるのが、著者がもうね、ご存命でない場合が多くて、
で、そのね、なんかこう共感したよって言いたい思いはチューブラリーになったりとかしてます。
今日取り上げる本は、26歳のカナエさんが書いた四半世紀公開というエッセイ集です。
で、彼女は生きてるから、彼女の書いてくれたものをね、読んで、心を激しく動かされたことをお伝えすることができるって思ってます。
もし、これね、なんかカナエさんが聞いてくださっていたりしたら、なんか嬉しいなーって思いますね。
でも、ふとね、こういう時、どうして聞いてほしいのかなー、書いてくれた人に聞いてもらいたいのかなー、
共感したよって伝えたいんだけどね、それどうして共感したよーって伝えたいんだろうね。
自分の迷ったこととかね、感情とかね、なんか考えに共感してもらえると嬉しいっていう経験がね、
あるからなんだろうなーとは思うんだけれども、なんか共感されて、なんか嬉しくない人っていますかね?
心から共感してくれる相手にね、なんかこう、うわー嫌だなーとかって思う人っているのかな?
なんかね、でもそういう風に考える、なんかそういう風に言っちゃうのは簡単なんだけど、
なんか人に、人ってさ、なんか結構心から共感してるよとかって言葉で言ってても、実はそれ言葉だけだったりとか、
なんかこう、まぁ共感してるよなんていう言葉はわざわざ言わないかもしれないけどね、お話してて、
なんか適当にさ、話を合わせてくる人が多いじゃない?
なんかうんうんとか言って、本当はあんまり考えてないけどとか言って、適当に流す。
あとはまぁね、その時にその話をしたいわけじゃないのにね、こっちがこう話しちゃってて、流されちゃうみたいなね、
そんな感じが、会話をね、ついついしちゃう場合もあると思うんだよね。
で、そうすると、なんか本当に共感されてるのかな?とか、こっちのことわかってるのかな?みたいな、そういうのなんかあるよね。
なんか私最近ね、なんか思うのは、さすがですねとかって、本当になんかもう、あのー、
好意でね、言ってくださる人が結構いたりするんだけど、さすがってなんだろうなぁ?とかね、よくなんか考えちゃうんだよね。
なんか褒め言葉で言ってくださってるんだろうけど、さすが何?みたいな。さすがおばちゃんだから?みたいな。
06:06
さすが年の子みたいな。なんか何でもいいけど、本当なんかその辺のところって、なんかこう、
まぁ毎日の軽い会話だから、それはそれでいいんだけど、そのなんていうのかな?真剣さみたいな。
目の前にいる人との会話の真剣さというか、本当に思ってるかどうかっていうのとかがね、ちょっとね、
私が細かいのかもしれないけど、ちょっと買いまみれちゃう言葉だなぁと思ってますね。さすがっていうのは。
はい、まあいいんですけど。これで全然感想会になってないでしょ?感想って難しいよね。
で、相手にね、相手が本当に共感してくれるかどうかっていうのは、本当にね、自分でこのその人のことを信頼して、
話して、共感してもらいたいことに対して、やっぱりどういう人と話すかとか、本当に結構技のいることだなって思うんだよね。
本当だから思うのは、共感してますって本当にしてるかどうかってライトがなんか頭に乗っかっててね、ピカッとかって、
私も僕も考えてるよ、同じこと考えてるよとか言って、例えば言語化とかがすごい難しいよって、私もそうだけど、
なかなかね、どうやって伝えたらいいか、もう本当に同じことを思ってると思ってもさ、なんか言葉に出せないとかだったらさ、そのライトがピカッとか光ってくれればさ、
簡単なのにとかそんなことも思ったりとかね、して、なんか自分でも妄想の世界に入っちゃったって言ってるんだけど。
そうすれば簡単だよね。本当に共感してる人がわかればさ、なんか楽ちんちゃんとか思うけどね。
まあそういうことで、共感されてるような雰囲気で、雰囲気だけ出されてもなんか嫌な気持ちになる人とかもいるのかなーとかって想像したりします。
なんでこの話をしたかというと、私はなんかこう、本当に好か不好か適当に話を表せられない人に、
最近ね、なんかこう聞き心地の良い言葉を使って言ってもらうのは、なんか素直なんだそうですね。
素直っていうのはもう本当に素直なので、手段行動には向いてないんですね。本当にね。
最近はね、本当大人になったから、多数決みたいので、
私とは違う方向が決まりそうだなという時には、同調してね、そっちにした方がいいっていうような場合で、私が別にそっちでもいいよって思ってるような時はね、
何も言わずに黙っていることができるようになったんだけれども、黙っていることがね、もう精一杯ね。
それいいねとか言えないのね。だっていいと思ってないんだもん、本当は。
だけどまあ、いいと思う人がたくさんいるからしょうがないみたいな感じ?心の底ではね。
09:03
だから絶対にね、なんかいいですねとか適当に言えないんだよね。黙ってるのが精一杯、本当に。
だから、本気で共感したことしか言えませんっていうことを今ちょっと強調したかったんだけど、ここでね。
これね、またね、初めの雑談が長いので、今日はね、実は全然感想を言わないと思うので、この本のご紹介だけで終わっちゃうと思うので、感想を待っている方はここまで聞いてね、最後まで聞いてもがっかりしないでほしいんだけれども。
あのね、こういう人間なので、このカナエさんのエッセイを読んで、本当にね、適当な感想が言えません。本当に。心の底から一生懸命考えたんだけど。
だからね、皆さんもし興味があったら、本当に読んでもらいたい。
これはね、カナエさんがインタビューされてたのを聞いたので、そこでみんなに読んでもらいたいっておっしゃってたしね。
書かれてることの、その言葉の裏にね、どのぐらいの思いがあるのかとか、
もうね、私のふざけた経験、浅い経験からしか出てこない言葉とかね、私の浅い思考能力というか、そのね、想像力ではね、全然その後ろにあるものはね、
想像できない。もう本当はどこまでなんだろうって、まだまだわからない。だから、なんか簡単には言えないなって思ってます。
で、そのエッセイ集に書かれているものを文字通りに、
例えば自分の解釈で、
結局は、カナエさんに共感をしているのかどうかわからないなぁと思っています。
でも、とにかくそこに紡がれている一つ一つの言葉に、カナエさんの力が入っているのかどうかわからないなぁと思っています。
私は自分の考え方によって、自分が言うことは、自分の考え方によって、自分の考え方によって、自分の考え方によって、自分が言うことがあるのかどうかわからないと思っています。
いろんな人が読めば読むほど 別の意味がいろんなところに伝わっていくのではないかと思って
私もこれを今話せるようになっているのも このカナエさんが書いてくれたエッセイ集を読んで
力をいただいているという感じがあるので
きっと難しい
共感とか言ったら軽々しいんだけど
これが難しいからと言って 放棄はしたくないなと思っています
12:09
だからこれを今撮っていて
このまま必ず明日あげようと 今日前の日に撮ってますけど明日あげようと思っています
誰も知らないこのおばちゃんが いきなりあなたに共感したいとか言って
言われてもカナエさんもこれもし聞いてたら 気持ち悪いと思うんでね
どうしてこの本に巡り会えたか
私本と出会うのは 人と出会うのと同じで運命だと思っていて
そんなに深い関係になる本もあれば そうじゃない本もあったりとか
人間もそうだ人もそうなんだけどね
それと同じなんだけど どうやって会ったかをちょっと紹介したいなと思ったりしますね
この本に出会うきっかけはいつも話してるけど
古典ラジオというポッドキャストから発声した 火打宿というポッドキャストを配信する人だけが入れるというか
配信すれば入れてもらえるんだけど そこの火打宿仲間のラッキーさんという
今石垣島に住んでいてパイナップルとか 作ってらっしゃる方なんだけど
この方ねこの月書の読書感想会とかね 15日に推しのポッドキャストを配信しようとか
そういうのを提案してくれたり
音楽のことを語る音なりの音とかいうのを配信したり
火打宿生で活動してる多分これは宿長の提案なんだけど
なんかいいかねパレットを書くとして面白いことしようみたいな活動とかもね
人力を尽くしてもらってて
すごい私としてはねこうやって活躍していただいている方とは
なんか共通点があるっていうのはね 嬉しく感じちゃったりするんだけど
ラッキーさんが千葉県出身なんだよね
千葉県出身だからということでね
オンラインでこうやって出会う人たちと本当にリアルで話せるっていうのは
なかなか本当タイミングとかが合うもんじゃないんだけど
たまたまねあの私が日本に帰ってて
ラッキーさんも石垣島からご自家に帰っている時に
うちの近くを通るっていうことだったんでね
近所のイオンで会ったんですよ
それでねその話をしてた時まで
もう本当にこんなあの金谷さんの本とつながるような関係がそこまでなくてね
一個もだけどラッキーさんとこうやって話しててね
でもいつもねなんかこう樋口塾とかで
なんかいろんなイベントとかなんかオフ会とかね
オンラインでオフ会をするとかいう話をいろいろしてた時に
まあ私たちの幹事事であるねSDGsの話とか
まあいろんな話をねしたんだよね2人でね
でその中でラッキーさんがポロッと
なんかこう自資の話
自分が自資一族であるということを教えてくれて
15:01
でそこからこの話につながってるんだよね
で私も気になってたけど
その時は深い話をねする時間もなかったんだけど
でその後ラッキーさんがそのご自身でね
ポッドキャストの推し会っていうのを配信された時に
このあの樋口塾にね入られてる森もさんと
あとお友達のヨダカさんがなんかスタイフで
配信していらっしゃるのを紹介してくれたんですよ
でこのこのスタイフのね
あのが本当にそのタイトルがねまさに
えっとそのラッキーさんと私お話した時に
自資っていう言葉を使われてたのがすごい気になってて
でその自資となぜ自資という言葉を使うのか
となぜ自殺という言葉を使わないのかとか
その話をちょうどwish you were hereというその
あの紹介してくださったスタイフでお話しされてた
もうねそういうタイミングというか
自分があれって思ったことがあって
誰かが配信してたりとか
誰かがツイッターで投稿してたりしたら
私そこそれがツイッターに住んでる理由なんだけど
あーこれ私本当にちょっと不思議だなって思ってたことなんだよなって思ってすぐ聞いて
でそれがねなんかこう
あのここねちょっとヨダカさんのノート読むんだけど
ヨダカさんがwish you were hereという活動をされているということで
大切な人家族恋人友人好きな芸能人を
自資によって亡くした人たちが
出会いお互いの体験を分かち合い
一緒に生き延びていくための活動です
物理的な空間として存在しませんが
気が向いたときに出入りして
苦しい問いには心の隙間に少し
外の空気を入れられるような場所でありたいと思っています
っていうことをね
そういうのの活動の一環として
このスタイフを配信されてたんですね
ノートのリンクとかスタイフのリンクは概要欄に貼りますね
自死を自殺と呼ぶか呼ばないかについて
お話にお二人で語られたりするんですけど
本当にね知り合いにこの話をちょっとしてみたの
この配信を聞いた後とかに
そしたらなんで自殺って呼ばないの?
ってなんかこう
バッと返されて
少し説明その部分にしようと思ったんだけど
なんとなくすぐこちらがなんか疲弊しちゃって
なんか退散しちゃったって感じでその部分は
なんとなく自分事でないことだと
なんか人はあんまり考えずに勝手なことを言うのが
なんかこう世の常なのかなっていうふうに思った瞬間でした
なんかこうちょっと悲しかった
その人がどうとかではなくて
なんかこういうことってあるよなっていうのが
なんかこう目の当たりにした気がしました
18:02
で今のところね
Wish You Were Hereは9話まで配信されていて
最新のね9話が
たまたまちょっと私が話をさせて
参加させていただきました
カナエさんやヨダカさんが書いてくださっていることを
読んだりすると
なんか自死自殺その周りでね
起こる人間関係からの精神疾患とか
そういったものっていうのがね
よくあることみたいで
なんか普通って呼ばれる生活をね
されている方は聞き慣れないことかもしれないんだけれども
なんかこう私にとってはね
一言ではなかったんですね
1から8まで聞かせてもらって
それで私が最後
今のところ9話に
最新回に参加させてはいただいてるんですけど
でその中で
ヨダカさん
ごめんなさい
カナエさんは一個インタビュー
5話だったかな
そこでされてるので
お話しされてるので
それをね聞いていただけたらいいな
とか思うんですよね
まあね私はね
なんかこれ一言じゃなかったのは
どうしてなのかっていうのはね
ちょっとまだ深掘りできてない
自分でも
あの
なんか気になるんだよね
私なんか小さい時からそういう感じで
なんか
うーん
そうだね
でこういったねことを考えて
なんか
なんか自分
私が全然当事者でないのに
こういうところに入っていくのっていうのは
本当に
なんかエゴだろうなっていう風に思っていて
その部分もヨダカさんと森もさんに
説明をしてね
少し話すようさせていただいたんだけど
その中から
まあね
私の話とかを聞いていただいた後で
過去の自分への慰めになるんじゃないか
っていう風に言っていただいて
もしかしたらそういうことなのかなって
やっぱり
そうだね
なんか
人が亡くなっていく時に
誰もそれを説明してくれなかったし
そういったことっていうのは
なんかこう
普通は聞かないことみたいな
なんかこう
あって
それで
聞いてこなかったこともあって
とてもやっぱり傷ついたりとかしたし
あとはやっぱり自分が教師をやってた時に
えーっと
自殺をした教師の人がいたりとか
やっぱりその
人が自分のことを
謝めてしまうみたいな
ことっていうのは
誰も説明してくれなかったんだよね
そういった時に
とても深く多分傷ついてたんだよね
私ちっちゃい時は
でもそれがだんだん大人になるにつれて
まあなんていうのかな
あの
心臓の壁が
だんだん厚くなって
あまり感じないようにしようとはしてきたんだけれども
21:00
やはり
それは自分で
こうなんとか
森もさんの
言葉を借りると浄化させないといけないんじゃないかな
っていう風に思ったりしています
えっと
四半世紀公開っていうこの本にはね
金谷さんが自分のために書いてる
書いたものだっておっしゃってたんだけれども
あの
四半世紀も生きてきてしまった
という公開を
したというssuなんだって
二冊目の羊として飛ぶっていうのも出てます
まずねだからスタッフのインタビューお聞きになってから
まあ関心があったり読んでいただきたい本ですね
自費出版をされているので
もしかしたら売り切れちゃってるかもしれないけど
あの
金谷さんに
ちょっとお問い合わせください
リンクを下に貼っておきます
人に話せないような苦しい状況にいらっしゃる方とか
誰も自分のことを理解してくれないって感じる方とか
その
みんなね一人一人が感じ方とか
なんかこう
自分が不って思うことっていうのは
もうそれが真実だと思う私は思っていて
えっと説明ね
僕はこうこうこうこうこういう人間だからこういう風に感じちゃうんだとか
そういうことじゃないと思っていて
あと私はああいう風にしてこうしてこうしてこういう人間だからこういう風に感じちゃうだって
もうねみんなそんなのあるし
だけど感じるって
そこにある出てきてる気持ちとかっていうのは
どんな人がどんな状況に同じ状況にあっても別に
いろんな人がいろんな風に感じるわけで
その感じてることを
否定しない方がいいって私は思っていて
でもそれを否定しないでどうやって生きていくのかっていうと
やっぱり誰かが共感したりとか同じように感じている人が
そこにいればとか見つけられれば
それを読めれば話を聞ければ
なんか自分もそうやって思っててもいいんだなって思えると思うんだよね
でそれねもう本当私が
なんかこうこれ25歳の金谷さんが書いたものだけれども
私が50年以上かかってもまだ感じきれない
まだ経験不足によって
なんかそこまでいけてないことっていうのを
もうねなんかもう何もかも感じて
そこでシェアしてくれているっていう風に私は思いました
でそれをこと細かに書いてくれていて
それに向き合ってきた金谷さんの気持ちとかを考えると
どんなに大変だったんだろうなって思います
で誰かがこうやって書いてくれたから良かったなーで
そういう風に思える人はそれでもいいと思うんだけど
自分がもしすごい辛い思いをしているのであったら
その辛い思いをこう読むことによって
なんかこうちょっと流せたりとか
24:01
なんかちょっと別の方向に向けたりとかできるんじゃないかなとか
ちょっと思ったりしています
本当にねこんな私が生きてるのはごめんなさい
普通ってのは何
なぜ大人は助けてくれなかったのかな
理解者が欲しい
生きていることだけでいい
なんかそういうことが散りばめられているエッセイで
あのーそうだね
でヨダカさんの言葉から
この活動っていうのは成功談とかがあるわけじゃない
だけど話を聞いてみたい
この本読んでみたいと思う
世の中がねゴールを目指すことにばっかり
私とかも慣れちゃってて
なんかゴールに導いてくれるような話ばかり聞きたいのかもしれないんだよね
そうすると楽なのかな
だけど実際にはね
生きるっていうのは多分
いろんな経験をして
それぞれがどのぐらいの思いで
その大変だったことを乗り越えてくるかわからないんだけど
それはもうわからない
でも今ここにいるということだけはみんな一緒だと思っていて
そこからね
じゃあどうやって
あんまり遠いところを見つめなくたって
じゃあ今日ここにいてよかったね
じゃあもしかして明日の朝何しようかとか
それだけでもね
見えなかった光がちょっとだけ見えればいいし
それでもいいんじゃないかなって思ったりしています
本当にね
最近はやっぱり言語化をして
人に伝えて
なんぼみたいなことになってるけど
でも
伝えられない気持ちっていうのは
たくさんあるよっていう話でした
本当にここに
それをちょっとね
このカナエさんや
ヨダカさんや
森本くんの活動を目の当たりにして
私も少しだけ
でも自分が今までやってこなかったことで
できることがあったらと思って
勇気を出してここで話してみてます
もし感じることがあったりしたら
ぜひね私に言わなくてもいいので
自分の中で
書き留めてでも
止めて
心の中に止めてでも
あとはぜひ本を読んでみてもらったり
あとはスタイフを聞いてもらったりして
なんとなく皆さんの
気持ちが
優しくなれるような方向に
いけたら優しい気持ちを感じられるようになれたらいいなとか
思っています
ではそういうことで
27:01
本当に毎日お祝いするのはなかなか大変なことなんですよ
こういったいろんな心配とかもあるけど
それでも今日の生きててよかったねという話なので
ということで
いつも長屋でお付き合いいただいてありがとうございます
今日はここまでで
またねバイバイ
27:35

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