1. 震動
  2. EP13|決めつけの震動
2025-08-14 28:30

EP13|決めつけの震動

全能感の減衰/あなたって意外と〇〇なとこあるから/雑なキャラ付け/加害者という意識/作品における両義性/決めつけないと作れないものがある/生意気な人間はオトナが面白がる/期限付きの魔法/オーディション後の理不尽/

「Ambiguous Intentions」 Venue 2

会期2025年8月1日(金)~8月31日(日)

開館日

水・木・金・土・日 (月・火は休日)

会場

Sequence,Environment,Neutral.

(東京都墨田区江東橋5-10-5 *Key Value Store)

アーティスト

秋山珠里、黒瀧紀代士、小林優平、関川航平、鳥井祥太、村田 啓、本谷有希子、涌井智仁、Kornieieva Varvara、Riyo Nemeth、Taka Kono

https://www.ambiguousintentions.com/exhibition/

あなたが感じ取った『震える』事象を、本谷有希子が読み解きます。

あなたの『震える』事象を募集しています。
感想のお便りも大歓迎。
お便りフォーム ▶︎ https://x.gd/5wWYl

毎週聞いて欲しいので、Spotifyのフォローとコメントもお待ちしています。

本谷有希子 X | @motoya_yukiko
1979年、石川県生れ。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。主な戯曲に『遭難、』(第10回鶴屋南北戯曲賞)、『幸せ最高ありがとうマジで!』(第53回岸田國士戯曲賞)などがある。2002年より小説家としても活動。主な小説に『ぬるい毒』(第33回野間文芸新人賞)、『嵐のピクニック』(第7回大江健三郎賞)、『自分を好きになる方法』(第27回三島由紀夫賞)、『異類婚姻譚』(第154回芥川龍之介賞)、『セルフィの死』など。近年、著作が海外でも盛んに翻訳され始め、『異類婚姻譚』、『嵐のピクニック』をはじめ、世界12言語で出版されている。

プロデューサー:佐伯ポインティ @saekipointy

ディレクター:メチクロ @maticlog

製作・配信:密談 @mitsudan_net

サマリー

本エピソードでは、本谷有希子が自身の体験を交えながら決めつけやキャラ付けについて話しています。また、自己評価や全能感の変化にも触れ、他者からの言葉に対する反応の心理を掘り下げています。このエピソードでは、共感の暴力や自己批判の重要性について深く考察しています。創作活動における決めつけの役割やその代償についても議論され、デリカシーと率直さの間のジレンマが浮き彫りになります。そして、決めつけに対する考えや自分自身の生意気さについての反省が語られています。

全能感の変化
こんばんは、本谷有希子です。
震動第13回始まりました。
このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事象を、私、本谷有希子が、本谷なりに読み解きます。
ということで、13回、何の話をしようかなと思ったんですけど、
何回か前の回に、セブンルールの話をした回の時に、自分がすごく調子がいいから、何からもダメージを受けないんだ、みたいなことを話した回があったと思うんだけど、
なんかね、それを全能感的なものと置き換えた時に、その今、全能感がゆっくりゆっくり薄れつつあります、私。
過虫ですよ、今。
あの時はね、私は私じゃんっていう絶大的な、絶大な、どうあれ私じゃんって思っていたんだけれど、
うっすら、ゆっくり減っていく感じなんですかね。
あれ、あの感じなくなってきたなっていうのがあって。
でもそれもう分かってるんだよ。あれってすっごく一時的な状態であって、あれが永劫続くとは思ってなかったから、もう完全に想定内のバイオリズムなんですけど。
バイオリズムなのかな、あれ。違うな。たぶん、全能感でいられる条件がたぶん3つぐらいあるんじゃないかと思うんですよ、私。その状態であることが。
この間それ言ったっけ、たぶん1つ挑戦していることで、もう2つぐらいたぶん何か組み合わさって、あの状態に入ると思うんだけど。
今何かが欠けて、ゆっくりゆっくり、あの、普通にダメージを受ける私になってきてる。
その3つの条件自分で確定したい。そしたらもうそれをさ、揃えとけばさ、いいじゃん。
挑戦が落ち着いたからなのかな、そのアートを作ったりとか、その文振りの、まあまあそれも全部動いてるし。
で、ポッドキャストももう13回だから、ちょっと落ち着いたことも関係あるのか、なんか、そろそろあれこれ新しいことしないとまずいなーって思ってきてるんだよ。
たぶんそれ小説なんだよな。あの、そろそろ小説さすがに、書かないとというよりは、なんかこれなら書けるかも、みたいなことをそうだ、この間思ったんだよな。
なんかそのこれなら書けるかもが出るまでは、正直その、無理に書かなくていいやって思っていたから、それがたぶん、これ書いたらちょっと書きたいなって思うことがあったから。
それもあるんだけど、まだちょっとめんどくさいなっていう。めんどくさいってどうですか?めんどくさいという気持ちとかってありませんか?
でも作家が小説書くのめんどくさいって言ってるのはまずいよね、きっと。
でも私、いつも行為は割と、出だしめちゃくちゃめんどくさい。
けど、それを結構そうだ。人と言った時に、それってまだ高まってないから、そんな高まってない状態でやるのって、間違ってない?とかって話を人からされたことがあって。
なんか私、それもそうか、高まってないか、高まってない、確かに。だってめんどくさいって思ってたからね。
でも、どっかで始めから高まってるわけなくない?っていう自分もいます。
始めから高まりMAXで始まってるものなんてあるのかな?世に。
私は、やってくうちに高まるでしょって。最初はあれでも。
だんだんやってくうちにすごい集中してって夢中になって、他のこと考えられないみたいな状態には割と持ってくのね、自分の持ってくっていうか学ぶから。
なんかあんまり逆に最初から高まってるやつ、怖って思う。絶対落ちるやんって。
絶対最初一番、出だしが一番ピークなやつじゃんって思うから、あんまり信用してなくて。
だからこれくらいの、そろそろか、みたいな。ちょっとやるか、みたいなぐらいから始まるのが、割とスタンダードというか、信頼できる始まり方かな。
憧れはあるけどね、もうその最初からこれを書かないとっていう。書きたくて書きたくてたまらないみたいなところから始まる。
いつも憧れるけど、なんかそんな風になったことないな。でもこれが嘘なのかな。
じゃあそのゆっくり始まってめんどくせえから始まっていくものが別に嘘とは思わないんだよな。
むしろ大体、大体がそういうもので、あれって思ってる。他の人もどうかそうでありますように。聞いたことない他の人に。みんなそうであってほしい。
けど、そう、ゆっくり今善能感は消えつつあるから、割とちょっとしたことでもダメージを受けるのかも、今。
この間なんか人から言われたことでちょっとダメージ受けたことあったけど、まあそれはそれで話しませんけど。
っていう今状態です。
他者からの決めつけ
振動ネームゆりしゃさん。
怒りに震えるとまではいかないですが、たまに他者から言われる、あなたって意外と○○なところあるから、みたいな言葉にざわっとします。
もしそれが自分でもわかってる一面なら、ああまあそうかもねってスルーもできるんですが、そうじゃない場合、え、そんな自分私も知らないんですけどってすごくもやもやするんです。
そして大抵の場合、言った本人に悪気はなさそうで、むしろ善意であることが多い。
けれどどうしてもその言葉に、あなたも気づいていないあなたを知ってる私みたいなマウントのようなラベリングのような絶妙な不快感を覚えるんです。
もたやさんはこの決めつけについてどう感じますか。
他者から決めつけられたことや逆に誰かを決めつけてしまうことあればお聞きしたいです。
なるほど。あなたって意外と○○なところあるから。
かあ。なかなかでも言われる?これ。興味そうそう聞かない気もするな。
なんか一般的にはこれが完全にマウントであることってもうみんなわかりきっていて、これって言った時点でもうさアウトな言葉じゃない。
あなたって意外と○○なところあるから。
で、私すごい何の気なしに言えないなあ人に。
あの恥ずかしい、これ。これを普通に言えてたら。
いや、意外と○○なところある。あ、あれ?言ってるか?あれ?ちょっと待って、自信ないな。
あの、ちなみに私この他者から決めつけられる、もとやさんって意外と○○ですよねって言われることあんまりなくて、もとやさんって意外とがポイントなのか。
意外とって確かにつけられたら、あ、もとやさん意外と○○ですね。
え、これ良かると思って言ってるんだ。
あなたって意外と弱いところあるから、みたいなことで落とそうとするみたいな、その駆動機のテクニックとしてのすごいなんか人物さあるよね。
でもこれ私、私はね、他者から決めつけられたことで苦悩するより圧倒的に誰かを決めつけてしまうことの方が圧倒的に多い人間。
で、あの、すっごい決めつけてきたかも。なんかさ、思い込み激しいんだよ、めちゃくちゃ私。
だから一回思うと、もう結構その視野が狭まってしまって、そのことをもうそれ以外のことから考えられなくなってしまうから、結構人のことめちゃくちゃ決めつけてて。
で、結構前の回で私、ポインティーについて話したことがあったんだよ。
キャラ付けの暴力性
ポインティーの言った言葉を私が言うみたいになった時に、すごいなんか誇張して喋ったの、私がなんか。結構キャラ付けしてたの、私が勝手にポインティーを。
で、それ聞くと多分すごいポインティーがすごい威圧的なプロデュースをしてくるみたいに、人が潜在的にうっすら擦り込まれるような、ちょっと誇張したキャラ付けをしてて。
怖!と思って、それ私終わってから。
あ、なんかキャラ付けの暴力性について語ってたのに、私普通に、めちゃくちゃナチュラルにポインティーのことを、わかりやすいキャラに持ってこうとしたと思って。
キャラ付けの暴力性からなぜ私は逃れられないんだろうか。
結構苦い話があって。
あの、昔、もっと荒かったの、私。もっとめちゃくちゃ雑だったの、その人に対してのキャラ付けが。
で、あー、言いたくないな。
ある人に、めっちゃ雑な男の人にキャラ付けをして、コミュニケーションと思って。
で、その人にいっつも、おかわりしないの?ってずっと聞いてたの。
おかわりしないの?って、ずっと、ずっとっていうか、なんかご飯食べに行くたびに聞いたりしてた。
で、そういうような雑なキャラ付けを彼にしてたわけ。
で、私はそれは楽しいと思ってたんだよ。楽しいっていうか、親しい仲だからこそできるいじりだって思ってたの。
ある日、その人に、ちゃんと話したいことがあるって、男の人に言われて。
え、なになに?とかって言って。
そしたら、本当にああいうこと言わないでほしいって。
雑すぎるって言われて。
雑すぎるから、本当にやめてほしいって。
ちゃんと、もう本当にキャラ付けするのは、もっとちゃんと丁寧に作ってほしいって言われて。
それで初めて、あ、そうかこれって暴力なんだって思って、めちゃくちゃ反省しました。
だからその、ね、なんか、でもそうだよな、雑であることの面白みとかあると思ってたんだけど、全然面白くなかったんだね。
だからもうそれ以来、あんまりその雑なキャラ付けしないでおこうと思ってるにもかかわらず、ポインティーなことをうっすらキャラ付けし始めてるんですよ、私が。
だから人って、私、いつも思うんだけど、カテゴライズとかラベリングとかはやばいと思っているけれど、じゃあ自分はしてないかって思った時に、これ、ラベリングに限らずだけど、あらゆることに全部自分に返ってくるんだよね。
だから、なんか私基本的に自分は被害者ではなく、あらゆるものに対して加害者だと思っていて。
共感とその暴力
なんか例えばこの間、そのアートを作った時もね、私がやりたかったことは、その痛みの成分を並べて、例えば人が痛んでいるようなそれっぽいエピソードと、それを想起させるオブジェクトとテキストがあって、3つ並んだ時に、それ全部生身に通して作ってはないのね。
GPTとか作って、作ったテキストと音声とオブジェクトだから、どこにも血は通ってないんだけれど、それでもこの3つ並べられたら、やっぱり共感とか痛みっていうものを想像しますよねっていうのを作品でやりたいなと思って作ってたんだけど。
だからなんでそんなあなたたち簡単に共感するんですか?その共感って暴力ですよね。分かりやすい共感することによって、本当の個人的な痛みとか苦しみの声を見えなくしてますよね、とかっていうのをやろうとしたのだけれど。
と同時に、なんか私は私で、あなたたちそれ暴力ですよって指向けてるんだけど、これがやっぱりちょっと気持ちよくなってる自分に気づいて、そう気持ちいいじゃん人の何か、あなたたち加害者ですよって言っている様って。
それがもう完全に自分に返ってくるなと思って。だって私、共感をそういう風に色あく的に共感って暴力ですよねっていうことを表現しながら、でも結局その作品作ってる私って、この作品を通じて私を分かってほしいとか、この作品を通じてそれを共感してほしいと思ってるわけだから、全部自分に返ってくるんですよ。
基本的にはなんか、ずっと自分が何事においても加害者だなと思っているんだけど。
例えばじゃあユリシャさんが、こういう、あなたって意外とこういうとこあるよね、マウント取られてるようで嫌なんですって言っているが、その同じ刀で自分も同じこと絶対にしてないんだっけって。
人って私基本的には決めつけから逃れられないと思っていて、絶対その同じことを誰かにしているはずでっていうところがあって。
だからごめんね、また作品の話に戻るけど、作品でめっちゃ大事なのって、その量儀性だと思ってる。何かをやるときに、同じだけ自己批判が含まれてたりしないと、その誰かを批判するんじゃなくて、同じ刀で、むしろ自分の方を深くえぐっていかないとダメだなと思っていて。
でも自己批判の癖は、むしろつけてる。意識的に。これなんか今自分が批評しようとしているが、同じことがないかとか、作品作るときも、被害者になってないかとか。
だから被害者になってないかっていう視点は、これはもう意識的に持とうとしてる。そして被害者になってたらやばいっていう、自分を被害者だって思ってたらやばいっていう感覚があって。
なんでだろう。なんでだろう。被害者であり加害者なんだよ、絶対全員っていう感じを持ってないと酔っちゃうんだよね。で、やっぱり深みもその表現においても誰かの作品見てもそう。やっぱり同じ深さでこっちもそっちも指してないと、表現として信用できない。
自己批判の重要性
良い面と悪い面、両方書いてくれないと信用できないみたいなものに近い?なんかなかったっけ、そういう実験ね。商品を売るときにセールスマンに、なんか3つ良いこと言われてこの商品買ってくださいって言われるより、2つ良いこと言って、1個その商品の欠点あげるんですよ。そっちの方が買うっていう話がなんかあった気がして。
それと、それに近いのかな。なんかこれによって悪い面とか、両面、両面見る。綺麗だなと思ったら汚い面ないかなとか、汚いなと思ったら綺麗な面ないかなとかっていうのはやるかもしれない。
で、あとはその、やっぱり決めつけてないとできないこともたくさんあると思っていて、例えばその創作の話だと、やっぱり自分はこれが面白いっていうのもある種決めつけだし、で私はこういう人間がいると思うって書くのももちろん決めつけだし、こんな人ってこういうこと考えるよね。
全部決めつけで。その決めつけがなくなった世界って、何かが生まれたりする世界なんだろうか。とか思ったりもするね。決めつけがある種の条件というか、何かを強く思い込まないと物は作れないような気もしている。
なんで決めつけちゃうんだろうな。楽なのかな。まず楽だよね。雑にできるっていう、細かいこと処理できないから。だから決めつけるやつってデリカシーないよね。
ただ単に本当に今腹立ってきた自分に、あの時の、あの時のめちゃくちゃ雑にこう、いや突拍子もないこと言いたいね私は。その時って大きく内包してそっからポンって言うとすごい突拍子もないこと出るから面白いんだけど、でもやっぱり、あ、デリカシーないやつやだな。
なんであんなデリカシーなかったんだろう。もうその、あれよね。面白さとデリカシーって紙一重じゃないけど、なんだな。だから今の時代は特にデリカシーないとダメだなと思いながら。
なんか昔から、そう直球でズケズケ言うみたいな風に率直な人間として生きようと思った時もあって、その率直さって結構デリカシーと割と接触する部分があって、率直なやつってデリカシーないじゃん。
だってオブラートに包まなきゃいけないのに、それをオブラートに包まず、もう生身で裸でバーンって出すってことはさ、もうデリカシーないんだよ。だからそれが、そう、そのバランスが取れてなかったんだ。私の中の率直な人間でありたいは
つまり本当にムキミで全部行くって、ムキミの言葉で行くってことだから、それはなんかやっぱり相手の聞きたくないことだったり、相手がそれ言わないでよみたいなことだったりとかするから。
でも私、今も率直な人間でありたいと思うんだけど、あとなんか結構、バカみたいにシンプルにコアの部分を突き詰めたいみたいなのがあるから、そうやってすごいシンプルな言葉じゃないとダメな時とかもあって。
あの、こないださ、私さ、舐めるのが大事だって話したじゃん。ちゃんと人のことを舐められる人間が貴重になってくるのではって話をしたけど、なんかやっぱり率直に言うってイコール生意気なんですよ。相手に対して忖度しなくて言うってことはめちゃくちゃ生意気な人間と思われるんですよね。
私やっぱり、その生意気さがこうそうしたことはすごくあって、基本的にめちゃくちゃ生意気だったから。それって、生意気な人間ってでも大人が面白がってくれるんだよな、結局のところ。
いやこれは覚えておいた方がいいよね。大人って生意気な人間大好きなんだよ。
それで多分やってこれたんだ。そう、生意気さとかその、むしろ魅力になってた時があったのかもしれない。デリカシーのなさ。でもだんだん大人になってきて、それもう魅力っていうか、あなたただデリカシーない人ですよね、みたいに移行してくんですよね。
だから、あれってそうか、機嫌つきの魔法なんだ。生意気さで打ってけるのって。え、ちょっとあれ何歳までの魔法なんだろう。私すごい結構そう、その魔法かかってたのかも。
20代はその魔法使える。生意気さで。しかもあんまり生意気な人っていないじゃん、あんまり周りに。生意気な人ってやっぱりウケてるよね。でも本当に失礼とちょっと違って。
基本何かを舐めてるっていう姿勢は、なんかずっと多分大人になっても必要な気はしていて。そう、なんかそれは私はなんかもう、意思というか、舐める意思というか、技術というか、なんかもうそこに腹決めて乗っかるしかないなって。
デリカシーと率直さ
なんかもうそういう人間になろうと思って、行くしかないなって思っていて。そう、あれじゃあ結局私あれか、デリカシーのない人間になっていくの?舐めてるってデリカシーないと同義?違う?ちょっと違うか。
なんかデリカシーありつつ、ちゃんと舐められる人間になるっていう。え、これあれじゃない?結構いいこと言ってない?生意気の他のメリット?大人に可愛がられること以外か。
でも多分もう希少性があるから、その時点ですごいメリットだと思うんだけど。なんか私人とどう違わせていこうかとかばっかり考えてたけどな。他の人とどう違わせていこうかみたいなことすごい考えてて。
昔、東京来て1年だけ役者俳優の学校に通ったのね。それが1年ですぐ終わって、チリジリになるのね。俳優ってその時、小劇場の俳優って結局自分でオーディションに応募して、そのオーディションで撮ってもらって、舞台に出してもらうっていう上がり。
もしくはどっかの劇団のオーディションを受けて、そこの劇団にしてもらうみたいな出方しかなくて。で、その時に自分がオーディションがあったから、ある公演をするっていうオーディションがあったから、それ受けて受かったんですよ。
で、初稽古の日に初めて会う人たち、他のオーディション合格者たちと初稽古があったんですけど、その初稽古の時に演出家と制作のプロデューサーみたいな人から、あなたたちにはチケットを買ってもらいますって言われて。
当時、当時結構多かったの。普通に5万円、10万円高のチケットを買ってもらって、で、それを人に売って、そのチケット代があなたたちのギャラですって言われたの。わかる?
2、30枚売らなきゃいけなくて。で、もしそのチケットを人に売れなかったら、あなたのギャラは無しです。だから自分で、自分のチケットにお金出してるようなもんだよね。みたいなことを、本読みの、一回本読みした後で言われたんだよね。こういうシステムですみたいなこと。
で、私その場で、え?って思って。え、オーディション受かって、それってちょっと意味がわかんないなっていうふうに、めちゃくちゃおかしいなって思って。で、その場で言ったんですよね。
え、それってオーディションに受かった人がやるシステムとしておかしくないですか?って言って。で、なんて言ったか覚えてないんだけど、その、なんか何か言われたの覚えてないんだけど、私はその時点で、あ、じゃあ降りますって言って、その場で降りて、その部屋出てったんだよ。
っていうのがあって、でも、なんでみんな逆に降りないんだろうって、すごいびっくりしたの。8人ぐらいいたのかな?他8人。他8人が、その後、1人だけ連絡取った子がいて、蓋開けたら結局、私の代わりに誰かが入って、まあ芝居は続行して、私しか降りなかったらしいんだけど。
それちょっとびっくりして、なんでみんなこれおかしいと思わないんだろう?と思ったんだけど。あ、そう、これは別に人と違おうと思って取った行動ではなくて、シンプルに、え、なんでこれをおかしいと思って、今この瞬間に部屋出てくるのは私だけなんだろう?とは思ってた。
でも、まあ生意気だよね、考えたら。生意気と違うか。なんか大人のシステムずるって思って、もう出たくないですって言って、その場で出てったんだけど。
あ、だからそう、今の話を踏まえると、生意気って結局その、やっぱり自分を持ってるとかの話になっていくのかもね。ただ単に失礼なやつだと多分意味が違って、自分の頭で理解できないことはちょっと納得できないですっていう態度になるから、それってまあその大人からしたらすごい生意気なのこの人って思うだけで。
だから私基本生意気な人間は好きで、自分持ってないと多分生意気な態度って取れないし、薄い生意気はみんなもうわかるから。薄い生意気は通用しなくて、そんな人は多分相手にされなくなるだけだけど。
人と同じじゃダメっていうのはずっと考えてた。今も生意気?いやこれ結構その私生意気、私の生意気さ死んできてんだよな。生意気じゃないよね。生意気じゃない気がする。
だから、そういう意味ではちょっとダメな大人になっちゃってきてるかもしれない。昔のあの、あんな輝いてた私の生意気さが今もちょっと陰りが、デリカシーかなとか言って、キラキラしない感じになってきたから。
だから今、生意気はもういい。生意気は卒業。それはもうあれは時期が関係するか。魔法のあれが効く魔法を使える時期があるか。だからちゃんと舐めるの方に大人としての舐め方に移行しようっていう感じ。
いやー、なんか全然違う話で終わった。決めつけについてどう感じますか?から入って。最終的にその、結局今自分が一番気になってること話してる。
リスナーへの呼びかけ
ちゃんと舐めないとなって、今自分で一番思ってること話しちゃって。全然違うとこに行っちゃったね。
はい。えーと、まあまあまあ、でも私違うと、なるべく遠いとこに行きたいと思ってて、スタートから。なるべく遠く行きますんで。お悩みを解消する気もないんで。遠いとこ行ったなと思ってください。
えーと、じゃあ、この番組ではあなたが感じ取った震える事象を募集しています。概要欄のリンクから送ってください。
なんかちょっとずつ増えてきて、でもまだまだなんでもある、なんでもいい、なんでもいい私がどうせ遠くに行くから、なんかください。
あと毎週聞いてほしいので、この番組のフォローとコメントもお待ちしています。
じゃあ今日もありがとう。またね。
28:30

コメント

スクロール