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2025-01-13 26:57

v137-1 俳優・鈴木愛子さんに聞く「困ると必ず助けの手が入る」

今回は、俳優・鈴木愛子さんにお話を伺いました。
俳優としての才能を活かし、地域に根ざした活動を展開する「きよみず」という会社を運営されている鈴木さん。その歩みについて、まずはこれまでの経緯をお聞きしました。
きよみずWebサイト:https://kiyomizu16.com/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、俳優・鈴木愛子さんにお話を伺いました。
俳優としての才能を活かし、地域に目指した活動を展開する清水という会社を運営されている鈴木さん。
その歩みについて、まずはこれまでの経緯をお聞きしました。
鈴木さん、お仕事は何をしていますか?
お仕事でいうと、俳優の力を活かしたお仕事を広げていくという。
俳優の力を活かした仕事を広げていく。俳優は俳優なんですね。
私自身は俳優です。
俳優をやっていく中で、自分で仕事を見出せないとか、せっかく実力はあるのに表に出ていない俳優さんがたくさんいらっしゃって。
アルバイトしながら俳優という。それがいいという人はもちろんそれでいいんですけど、
私自身はプロというふうに言うからには、俳優でせっかく培ってきた技術を社会に生かして、お仕事にしていきたいという思いがありまして。
もともとテレビは見ていただくとわかるけど、テレビはない生活をしていて、テレビはあんまり見てないんですよ。
テレビではなくて、もっと地域に根付いた部分で俳優活動をしていきたいというふうに思っていて。
その中で、例えば日本の中でいろんな歴史があるから、その歴史を地域の方が宣伝していきたいとなったときに、俳優がその当時のことを脚本も全部埋まると受け負います。
なるほど、なるほど。
なので、例えばイベントの予況でもいいですし、後は講習会とか、研究会とか、詳しく知ってもらいたい方のときに披露させていただくみたいな。
なるほど。
進化型の実演販売だねって言われたんですよね。
そうかそうか。
そういった方を受け負ったり。
あとは、私、本当の清水っていう名前が会社の名なんですけど。
もともとは禅の言葉で青山緑水っていう、青い山緑の水って書くんですけど、それを清の字を清いに書いて、青山緑水って書いてる四字熟語があったんですよ。
もともとの意味としては、日本の雄大な自然は素晴らしい、美しいっていうことを表した四字熟語なんですけども、それを清水とあて字したものを見つけまして、日本で育った私たち日本人がのびのびと演技ができる環境。
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そしてそこから生まれた伝統文化歴史をたくさんの人に知ってもらえる活動をしていきたいということで清水っていう会社にしたんです。
そういうことですね。
はい。
いろんな方から清水の舞台から飛び降りる覚悟で作ったのが。
そうなりますねそれは。
言われたりもしたんですけど。
でも気持ち的にはそういう気持ちもありますし。
あともともと清水寺京都は伝統芸能の発祥の地としてもあるので、伝統芸能とか伝統のことをやっていくっていう意味でも清水っていう名前はいいのかなっていうふうに思いまして。
はい。これはいつからこの清水ってものはされてるんですか?
3年前ですね。2021年の10月からなので。
さっきちらっとやる予定はないというか、5円があって始めたみたいな感じ?
そうですね。もともと私本当に会社とかはなくて俳優だけで活動してたんですけど、コロナが2019年からあって、ありがたいことにお芝居は続けられてたんですよ。緊急事態宣言中も。
ただイベント関係の仕事が全部キャンセルになって。これも不思議なことで、緊急事態宣言だから家出れないじゃないですか。
だから書類だけ提出しようと思って郵便局のポストに行こうとしたらそこで車に引かれたんです。
ちょっと待って。急にすごいの来ましたよ。え?そうなんですか?
そうなんです。それで、傷はほぼほぼなかったんですけど、たまたまぶつかってきた車が会社の車かなんかだったみたいで、ちゃんと届出を出してくれてて。
で、私もなんとなく、別に何も言わなかったんですけど、警察にはちょっとさっき引かれましたみたいな。
ちょっと大変なことですよ、それ。
でも無傷だったんです。ただ、警察もたぶん届出で出してくれないと思うよって、そんな感じだったみたいな。
で、全然いいですと思って。ただ、調べたら一応報告してくださいみたいなのが出てきたので、一応言いに来ましたって言ったら、その日の夜に電話がかかってきて、
相手側が会社の車だったからっていうことでちゃんと届出してくれたから、保険使ってちゃんと対応したいっていうふうに連絡をくれて。
それでイベントがなくなった分の生活費が入ってきたと。
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なんと。
それで、とりあえずじゃあのんびり過ごせるなと。
ああ、そうなるのか。そうか。
そしたら、今一緒に郷土代表でやってる秋葉美子さんって、今ちょっと病気で休んでるんですけど。
私が秋葉美子さんと出会った劇団っていうのが、劇団若草っていう、当時老舗の金髪先生とか、多く俳優、学生の俳優を出してた劇団があって、そこの劇団の講師だったんです、秋葉美子さんって。
で、私は1年だけ研究生としていて。
社長が入れ替わって、ちょっと私のやりたいことと違ってしまったので、すぐ辞めちゃったんですけど。
その時に気に入ってくださった演出家さんが、私に声かけてくれて、ちょっと新しい劇団を立ち上げるんだけど来ないかと。
そこの行った先に秋葉さんも行っていて、お手伝いできていて。秋葉さんとはつかず離れずみたいな関係だったんですね。
15年ぶりぐらいにお会いしたんですよ。
その時に、ちょっと今予定が空いてるから、もしよかったら、8月2日が前の社長の八重垣みどりさんっていう方なんですけど、お墓参りに行かないかと。明日だから。
八重垣は山口の下関なんですよ。山口県の。
ちょっと予定も空いてるし、ゆっくり、ちょうど私が入る前に社長が亡くなっちゃったんですね。
オーディション受けた時は生きてらっしゃるんですけど。オーディションの日にはもう亡くなられてて。
実はご挨拶できなかったから、今ちょうど予定も空いてるし、行きたいですと言って。
秋葉さん自身はもっと八重垣みどりさんのことを慕ってた。他の俳優さんたちにも、結構何人か10人ぐらい声をかけてたんですけど。
結局、ドタキャンとか、ふたを開けてみたら2人で行くことになって。
行った先で、不思議なことがいっぱい起きてるんですよ。山口で。
山口行くんですよね。行ったら行ったで、いろんなことが。
そうなんです。秋吉入道っていうのがあります。秋吉台の小入道があるんですけど。
そこに行った時に写真撮ったら、もう変なのいっぱい映って。
ちょっと待って、変なの。聞きたいような気がしない。
でも、不思議なことが起こるなって感じだったんです、本当に。
なんでこんなにいっぱい不思議なことが起こるんだろうと。
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秋葉さんとお話をしていく中で、やっていきたい演劇というか、それこそ俳優さんたちがもっとのびのびと活躍できる場所を作っていきたいということとか、
目指したいお芝居とかがすごい一致して、そんな時に山口で騎兵隊に入ったある青年の物語のお話をお耳にするんですよ。
その青年というのは、本当に世の中に騎兵隊って高杉晋作が作った、身分問わないで作った奇襲攻撃が仕掛けられる隊ということで作ったんですけど。
一人、有名人ではないけども、時代の中で生きた青年ということで、日本って自分自身が有名人じゃなくても、みんな一人一人にドラマがあるよねということにすごく気づいたのと、
有作のちっぽけな悩みなんですけど、そういうちっぽけな悩みを抱えて精一杯生きている人たちのことをもっとたくさん知ってもらいたいねということで、有作の話を映画にしようと。
作ったのが、君が笑う日という。
そこにあるのか。そういうことですね。
17分という短い映画なんですけど、この映画を作っていろんな人に知ってもらおうということで会社を作ることに。
そういうことなんですね。
なので、8月2日にお墓参りに行って、そこから有作の物語を作るために1ヶ月くらいですかね、脚本とかスタッフ集めとかやって、会社どうやって作るんだろうっていうのを調べて、10月13日には登記しまして。
すっごい早いですね。思い立ってからが早いですね。
トントン拍子で、必要なものがどんどん入ってくるというか。
タイミングというか、流れですね。
そうなんですよ。ここに引っ越すのもお金かかってないんです。
なんで?
最初は別の所にいたんですよ。同じ池袋にはいたんですけど、山口から帰ってきたら、コロナ期間中に周りの家が建て直しをするとか、リモートで多分引っ越したんでしょうね。工事が始まってて、たぶんネズミが私が住んでたアパートにブワーって入ってきたんですよ。
すっごいカリカリ言ってて。でも、大江さんに言っても何にもしてくれなかったんですよ。怖いものもあったし、ちょうど会社も作るから引っ越そうと思って、ここに引っ越してきたんですけど。
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その時に、区役所になんで引っ越すんですかって窓口のお姉さんに簡単に聞かれて。
実はちょっとネズミがっていう話を、その時は会社がとは言わなかったんですよ。まだ会社作ってなかったので。ネズミがっていう話をしたら、それちょっと言ったらちゃんと引っ越し資金出してくれましたね。
そういうことか。制度があるよと。
でも調べたら、外住は結構みんな泣き寝入りするっていうふうに書いてあって。ここはちょっと不動産の専門家みたいな法律相談の電話番号を窓口のお姉さんが教えてくれて、ここに聞いてくださいと。
で、電話したら、それは不動産屋さん、あんたが住んでる大屋さんにとっても財産が蝕まれて、今後使い物にならなくなるから、ちゃんと言ったほうがいいよって。大屋さんのためでもあるからって言ってくださって。
で、仲介会社さんにちょっとこういうことを言われたんですけどって言ったら、きれいにここの引っ越し資金ブンもらえたんですよ。
すごいですね。流れがこうちゃんと。
そうなんです。なので、会社これで資金ないかなと思ってたんですけど、できちゃったみたいな感じで。本当にトントン拍子で。ちょうど引っ越すタイミングにちゃんと振り込まれて。
それで引っ越しも完了して、映画監督さんとかも、どんどん必要な人をたくさん紹介してもらえて。もともと17分スマホ1個で撮るぐらいの映画にしようと思ってたんですけど、会社でやるんだったらダメよって言って、30人ぐらいのスタッフさんの。結構大規模。
大状態ですね。
でも11月末には撮り終えるっていう。
早い。それも早いし。
ものすごいスピードで終わったんですよ。なので本当にやっちゃいけない時にトラブルが起きたりとか。
止まりますよね。
止まったりとかなく。
スーッと流れが。
作っていく中でのちっちゃいやつがいろいろありましたけど、でも11月末でしかも3日間に撮り終えたんですよね、映画を。雨降ったら終わりだって言ってたんですけど、雨も降られずに。
それはもうそういうことですよね、どうやら。
終わって、その後字幕編集とか音楽編集があったので、最終的に出来上がったら翌年の2月にはなるんですけど。
でもそこまでも本当に、この映画を広めてほしいと言われるばかりにできたので。
やれって言ってもらえてるのかなという気持ちに、不思議なものになりまして。
会社を作る上で、困ると必ず助けの手が入るというか。
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それはやっぱり鈴木さんが発信してるからとかそういうことでもあるんですかね。
それはそうですね、やっぱり怖いじゃないですか。
なんかこう、自分では動いてなくて入ってくるっていうことは、たまたまの可能性ももちろんありますので。
なので一応、とにかく自分ができることは。
会社を立ち上げた経緯について、もともとはそのつもりがなかったにも関わらず、気づけば今の形に至ったという鈴木さん。
その道のりはまるで何かに導かれているかのようです。
困ると必ず助けの手が入るという言葉は、周りの人たちとの深い絆、そして信頼関係があるからこそと思います。
そんな中でも仕事を続けてきて、いろんな仕事ですよね。
そうですね、一応全部俳優が関われる仕事。
でのいろんな仕事をしているというか、やってくるというか。
そうですね。
それに対して対応していくみたいなことをしている。
そうですね。
鈴木さん自身がもちろん行かれるのはそうでしょうけど、誰かをお願いしてとか。
それもいろいろなんですかね。
そうですね、基本は私がこの人いいなと思った方にお声掛けしてお願いしたりとか、
あとは演出家さんがオーディションをしてほしいと言ったらオーディションになったりとか。
なるほど、なるほど。
はい、という感じです。
そっかそっか。
何かそれをやっている上で大事にしていることというか、何かそういうのってあったりします?
大事にしていることでというと、やっぱりクライアントさんとのイメージに合うかどうか。
相性みたいなものですよね。
そうか。
空気感。一緒に作るカンパニーの空気感もあるし。
やっぱり清水、さっきちょっと言ったように、いろんな方がのびのびとお仕事できる環境づくりをしていきたいというのがあるので。
ちょっと間に合っていない部分がすごくあって悲しいなと毎回思うんですけど。
でもやっぱりそういったことで少しでも人間関係って一番大きいって言うじゃないですか。
なので相性はすごく大事にするようにしていて。
俳優さんたちにもちゃんとお仕事ということでお願いしているので。
結構今は新フリーランシンポができたりとかしているので、やらなきゃいけないようになりましたが、
やっぱりちゃんとコロナ期間中も契約書がないがために仕事の証明ができないということで、
俳優さんたちが何を見るみたいなことが結構あったので。
俳優さんとしてリスペクトちゃんとしてますっていうのをできることはやろうっていう。
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なおかつお客さんにももちろん楽しんでもらえるっていう。
鈴木さん自身は会社を立ち上げるっていうことはあるわけですけど、それまでずっと俳優をしていた?
大学からですね。
大学までは高校生とかの頃はしてなくて、大学に入って演劇をするみたいな感じですかね。
それしたかった?
そうです。もともとすごい上がり性だったんですよ。
人前に出るのも嫌で、喋るのも苦手で。
俳優さんになると脚本があって、自分じゃなくていいというところで、
やっぱりすごい人とコミュニケーションを取るのが苦手だったので、
表現できるっていうことにすごい憧れを持っていたんですよ。
ただやっぱり当時、私がまだ小学校、中学校ぐらいの頃って、
芸能界に関する理解がちょっと怪しいとか、詐欺師とかもいっぱいいるし。
趣味にしとけみたいな感じで言われていて。
それで大学の受験の時に、就職活動の時にオーディションを受けてみて、
落ちたら運がなかったから就職しようと思って。
受かったらちょっとやってみて、一回でも下手くそって言われて、
お前は才能がないって言われたら辞めようって思って、
大学3年の時にオーディションを受けたんです。
やっぱりやりたいって気持ちはあったということですもんね。
ありました。
受けた?
はい。受けて、その時に受けた時に電話を買ってきて、
入団生代表で言葉を述べてくださいって、成績がトップだったっていうことで。
すごいですね。
言っていただけて、私もともと声が変に目立つというか、
それが結構小中高等、何にもしてなくても目立つ。
何にもしてないのに怒られるんですよ、先生から。
そういうことですね。
はい。
言いやすいっていうのもあって。
例えば、クラスでわーって皆騒いでて、何にも騒いでなくて一人で授業受けてて、
後ろから、あいこちゃん何ページ今やってるのって言われて、
73ページだよみたいなことを言ったら、
鈴木愛子、うるさいみたいな。
えー、みたいな。
自分も覚えないけどどうやら、でもそういうことですよね、声として。
そうですね。クラスの皆仲良しだったので、
友達が、あいこさん喋ってなかったですよって言って。
ちゃんと皆がフォローしてくれる。
あ、ごめんね、みたいな。
でも本当そういうふうに怒られることすごく多かったので、
目立つのすごく嫌だったんですよ。
でも演劇の世界に入ったら、目立ってば目立つほど先生が褒めてくれる。
その先生は結構、はっきり言う人だったので、
お前はちょっと本当に今向いてないし、人生もったいないから辞めた方がいいとかって、
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スパーンって言う人だったんですよ。
なので私もそのうち言われるだろうなと思っていた先生から、
お前は才能があるから続けた方がいいっていうふうに言ってもらえて。
何かしら私が無理かなって思うたんびに、手を差し伸べてくれる人が現れるというか。
俳優として何ができるかなって思った時に、
怖いもの知らずというか、どこにでも行けるタイプではあったので。
なので活躍して才能のある人たちを支える側で俳優としてやっていける仕事があるんじゃないかって思って。
ただ俳優としてご出演のご依頼をいただけているので、
もちろん自分の鍛錬は欠かさず。
だけど私が依頼を受けたことで、一緒にやる俳優さんたちは私が大好きな、
リスペクトした、この人いいだと思った人を知ってもらうという場を作れるんじゃないかと思って動いている感じですね。
そういうことですね。
両方やる感じになります、そうすると。自分もやるし、周りの方のことも。
マネージメントはやっていないんですけど、プロデュースですね。
また使う頭は違いますよね。
全然違いますね。
そうですよね。それがもし自分が出るし、そっちもやっているとなると、なかなか両方やる感じ?
そうですね。頭の切り替えが、秋葉が今ちょっといないんですけど、いた頃は、秋葉は演出家なので。
役割がこう。
私が出ちゃえば、秋葉さんに頭を任せられるという感じだったんですけど、今は本当に全部自分でやっていて、
演出家さんもゲストなので、演出家さんに裏方はあまりお願いできないという感じなので。
さすがにやっぱり、去年、あ、おととしですね、もはや。
おととしの初めて秋葉さんがいなくなってから一人でやった舞台は、本当に辛かったです。
頭が切り替わらなくて。
いつもだったら、もう1時間くらいあれば台詞を覚えられちゃうんですけど、それが全然入ってこないんですよ。
台本をゆっくり読めないという、お客さん対応してたりとか、ずっとやってて。
その時は、演出家さんが見かねて、「早くちゃん、時間あげるから、今読んでていいかな?」って言われて。
読んだ瞬間にキャラクターが変わったので、やっぱり時間なかったんだねってすごい言われて。
その時に、こうすれば切り替わるんだみたいなのが分かったので、
その時は本当に続けていくの無理じゃないかってくらい辛かったんですけど、
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たまたまその時に仲良くしてた映画監督さんが、
何かやったら結果が出るだけだからって言って。
そこで変に落ち込んだりとか、「もうダメなんじゃないか?」って考えちゃうから、人は続けられなくなっちゃうのであって。
運動して、普段やれないことやったら筋肉痛になるでしょ?それと一緒だよって言われて。
あ、これ筋肉痛なのか?
気づいたんですね。
筋肉痛ってことは痛いうちに色々やった方がいいなって思って、結構すごいしんどかったんですけど。
記憶が薄らがないうちにどうしたらいいのかみたいなのを色々考えて。
じゃあ次の公演の時は自分も伸び伸びできないと意味がないという風に思って。
何が自分がやらなきゃいけないかという方は、前回のことで分かったので、自分がこれやっちゃうとできないみたいな。
そこはちょっと手伝いしてくれる人にお願いしようとかっていうのができてきて、色んなことが上手くできるようになったのが去年だったって感じです。
なるほど。そういう実感はあるってことですよね。
全部できてるかと言われるとまだまだな部分はいっぱいありますけど、ただお芝居とスタッフっていうところの切り替えが前よりはできるようになってきたかなって。
結構大きいですよね、ご自身として。ずっと一緒にやってるとずっとしんどいじゃないですか。
しんどかったと思います。
そこが自分の中でもある程度仕分けられるというか分けて考えられるとなると、やっぱりどっちもモードが変えられながらということになるでしょうか。
そうですね。
裏方っていうのは劇団時代からやってはいたんですけど、やっぱりプロデュースっていうとまたちょっと違うなっていうのはすごい思いました。
主催をやって出演して演出もやってる方は本当に尊敬します。
いらっしゃいますね。確かに確かに。
本当に尊敬します。
すごい好きなのかイメージがちゃんとあって全部やるみたいな人を。
頭の切り替えがすごいんだろうなと。
さまざまな方がのびのびと働ける環境をつくり活躍をする人々を支えたいという思い。
その根底にはかつて上がり者だったと語る鈴木さんが表現への憧れを抱きながら俳優として歩む中で培った経験があります。
次回はそんな鈴木さんの俳優への思いをさらに伺っていきます。
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