こんばんは、本谷有希子です。震動第9回始まりました。このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事象を、私、本谷有希子が持っておなりに読み解きます。
はい、ということで、9回、9回です。
えー、最近の私の近況を話すと、以前ここでも言ったと思うんですけど、私、今度、その、文振りっていう、コミケの文芸版みたいなところに出展予定なんですけど、
で、それを、まあブースはもう確保したので、いよいよ本を作ることに向けて動いていて、
で、こないだ、えーと、デザイナーさんと打ち合わせをしてきた。最初、そのデザイナーさん入れるかどうかもちょっと迷って、っていうのは、やっぱりその、私は、まあ、いつも、やっぱ出版社から出してもらう時は、
そうやってデザイナーさんと仕事して本作ってもらうことが、まあ通常なので、今回なるべくそういうのと違った感じの本作りたいなーって思ったんだけれど、今回私なんかちょっと、本の可能性についても考えてみたくて、
だから、今、本ってどういう形があるんだろうかっていうの、いろいろ見たことない感じの本とか考えた時に、聴ける演劇みたいな、ジャンルを超越するような内容がいいなと思っていて、だから私のちょっと書いたテキストとかを使用して小説みたいにしたってあげられないかなとか、今、こちょこちょ放送してて。
とはいえ、私デザインできないから、まあいつものやり方で、そのデザイナーさん紹介してもらって、そこでこういうのが作りたいっていうのを打ち合わせで話してきた。
私が今回の本に対して言ったのは、とにかくコンセプトとしては、とても個人的な執着を感じる、偏愛的な愛情がもう、にじみ出てる想定にしてほしいって言って、これで。
イメージはこうです。私の文学不倫まで出す本のイメージは、とにかく個人的にめちゃくちゃ作りたくて、もう変な愛情が歪んでしまっているものでありたいって言って。
で、あの、無効の吉本さんっていうデザイナーさんなんですけど、ちょっとあの、びっくりしてましたけど、今ってあれなんだね、私なんかその小説と儀曲の中間みたいな話をしてたら、その子が30代前半だった女の子なんだけど、デザイナーさんが、今ってさ、儀曲っていう言葉が全然ピンとこないのね。
え、儀曲ってわかる?儀曲ってあの、長寿儀画の儀に音楽の曲って書いて、儀曲って普通に読むんだけど、それは要するに芝居のテキスト、台本を儀曲って言うんだけど、その言葉にピンときてなくて。
いやでもこれ別に、世代じゃないか。普通に一般的な、言わないのが儀曲って。あ、そっかそっかそっか。だからちょっとそれで、あ、そうなんだと思ったの。儀曲コーナーとかあるんだよ、本屋とかさ、図書館に行くと。
私はだからもうずっとそれに馴染みがあるから、儀曲、儀曲って言ってたんだけど、だいぶ経ってからなんか通じてないなってわかって、ちなみにもう儀曲って言わないです。あの芝居の現場で、みんなテキストって言います。
そして私も言います。テキストの何ページとか言って、台本って言ってたのに、まあどういう流れで変わったか私はわかってるんですけど、でもなんかね、
やっぱオシャレですよね。テキストって言った方が。なんかダメ出しっていう言葉もあったの、演劇の現場って。でもそのダメ出しももはやなくなり、今フィードバックって言うんですよ。
フィードバックしますねーとか、ノート出しますねーとかって言葉も変わってて。それで言うと、あれですよ。
役者さんってもう言わないんですよ。役者さんっていう言葉は誰も現場で使ってなくて、今みんな俳優さんって言うんです。
俳優さんって言って、なんかそういう現場で使われる言葉がちょっとずつ変わってきてるなっていうのはあって、でもそれ別に意識したわけ。テキストになった流れは、まあおそらくなんですけど、ある人が海外でそういう風に使ってるからっていう風に使い始めた。
っていうそのシンプルなことだと思うんですけど、一人がそっちの方がいいよねって言い始めて使っていって、まあすごく多分良かったから周りが広げていったっていう感じで、もうすごくナチュラルに自分もテキストって言うようになっちゃった。
フィードバックっていうのはすっごい、あのやっぱ馴染むまで抵抗ありました。フィードバックしますとかって、若干今も抵抗があるので私はノート出しますって言うけど、
なんかやっぱダメ出しっていう言葉の中にあるそのネガティブな響きがおそらく今の時代的に受け付けなくなったんだろうなぁと思って、ダメ出ししますって言うとやっぱ基本的にダメなところを上げ連ねますよ、今からっていう時間じゃん。
もうその、やっぱ名称の力大きくて、確かにダメ出しって言って私なんかダメなとこばっかり言ってたから、なんかある人が途中で言い出し、良い、良き出しみたいに言い始めて、なんかそれも気持ち悪くて。
なんか多分みんなが今モヤモヤしてたところに、フィードバックっていう言葉が入ってきて、乗っかってるっていう感じで、でもなぁもうこれも多分私ももうすぐ何の違和感もなくフィードバックしますって、使ってるし言い始めるんだろうなぁと思って。
そう、で、デザイナーさんは演劇の現場のこととか全く知らない人だから、だからテキスト的な、まるでさ、芝居の稽古場で使ってたようなテキストの雰囲気を出しながら小説みたいにとか、私すごい無茶苦茶なこと言ってて
それをなんかその吉本さんは、「はいはい、ちょっと考えてみます。」とか言って。私なんかもう目の前にあったさ、テーブルの上にあったホッチキスこうやって持って、「あ、こうやってホッチキスでバチバチ止めていけばいいんじゃない?」とか言ってさ、目の前でバチバチバチバチ止めだして、こんなの手売りだからさ
私いくらでもホッチキス自分で止めるよって言って、バチバチバチバチ。これデザインにしちゃえばいいんじゃない?とかって言いながらやったりとかして、まあどれぐらい採用されるかわからないんだけれど、まあでもせっかく慈悲出版で手売りだから、そういうふうにお手製、一つずつ自分が関与して、で想定として仕上がるみたいなのも、なんか全然面白いなと思ってて
ちょっとせっかくだから、どういう想定、どういう判定、でどういう仕様が面白いかなと思って、今、本の想定を考えているところです
振動ネーム はるこさん
私の中の振動は、自分が30代に突入したことです。今年31になる私ですが、なんだか自分はずっと20代のままな気がしていました
でも、歳を重ねて気づけば30歳。ヤマピーだって40歳。ガッキーだって37歳。そんなこと言ったら自分ももう子供2人産んでいるわけで、若いだけで許される20代にはもう戻れないですよね。寂しいです
あっという間に終わってしまった20代に心が震えます。もとやさんは30代になった時、どんなことを思っていましたか?
また、歳を重ねることについて何かポジティブになれることがあったら教えてください
はー、なるほど。30代になった時、どんなことを思っていたか。
あー、なんだろうな。なんも考えてなかったかもしれない。普通に。なんか年齢に対しての
29から30になった時のその漠然とした得体の知れぬ不安みたいなものもあんまり記憶にないし
それで言ったらその私この、若いだけで許される20代にはもう戻れないですよね。寂しいですって言ってるのが
あ、そんなこと思うんだ。だって、そんな許されてきたの?結構だから春子さんは、あれだよね20代の時に結構いい目を見たってことだよね
だって20代で私いい目見たかな?見てたのか、見てたか。私20代、まず戻りたいんだっていう驚きね
戻りたいと思ったことある?20代に。その戻りたいっていう感覚で振り返ったことがなくて
なんでなんだろうな。20代、私、なんかね、所属がめちゃくちゃ早くて
えっとね、18で高校を卒業して東京出てきて、中区で専門学校入って、でもう、なんだったらもう、10区の頃に所条議局書いて
で、20歳になるあたりに自分の劇団もてゆき子作って、もう指導してるんですよ。劇団もてゆき子
で、そこから多分12、3年劇団やったので、20代って、もうその半年に1回劇団の本公演をやっているっていう状態だったから
なんかね、めちゃくちゃ走ったんですよね、全力で。あの時めちゃくちゃ全力で走った感があるから
やれること、かなりやったなっていう感覚で終わってるんですよね、20代。だって相当早くスタート切ってると思っていて
で、23で小説も書き始めたから、23以降は小説と劇団両方を走らせるっていうことになってて
結構体力を削って、寝る時間削って活動してた感覚がある。だから、なんか戻りたくないよね、あそこに私。
あとなんか、前世紀というのですか、その人の人生でピーク的なものがあったとしたら、なんか私多分20代なのかもしれなくて、客観的にはね
劇団とかが割と盛り上がって、小さい界隈ながら名前も知れるようになった時に、やっぱり小説も書き始めたあたりで、結構こういろんな大人が寄ってきたんですよね
一緒に何かやりませんかっていう大人が結構寄ってきた時代があって、あれがなんかいわゆるピーク的な
客観的に見たら、あの時私すごいなんか、もてはやされたなぁみたいな感覚があった。めっちゃ生意気だったよ。めちゃくちゃ生意気だったけど、なんかあったから。
で、それで言うと、追い詰められたか?20代。追い詰められてたな。逆風だったので、もうすっごくその劇団の活動自体が全然上手くいってなくて、上手くいってなくてっていうのは
風当たりが、バッシングがきつすぎて、あの全く上手くはいってなかった。ただその、今で言うと炎上昇法に近いのかなぁ。なんか結局その
なんだあいつっていう風当たりの中、芝居をやると、そのまあ風評でちょっと見とこうかって言って、割とこうチケットが売れて会場が大きくなっていくみたいな
ある小劇場とか。なんかそうだ、その時にだから芸能人とかと仕事し始めたりとかさ、やっちゃってるんだよ私20代で確か。
で、追い詰められていったのは、だからそうね、そういう意味ではすごい消費してんな自分って思って追い詰められていったのは20代かもしれないけど。
私さあ、それで言うと、今こう30歳の時に子供を産んで母親になって、今まあ40代に突入してってなってて、ただ一回もその年齢に関してあんまり気にしたことがなくて、私今自分の年齢よくわかってないんです。
で、はるこさん31でしょ。今私40、たぶん3か4か5なんですけど、この地点から言っても一緒ですっていうことが言えてて、何か坂を下っていくような感覚とか、何かを失っていくような感覚全くなくて、
むしろ得てる感覚しか私の中では今のところなくて、見晴らしめちゃくちゃいいよここっていうことは言えるかも。
あとさ、31でマジでこんなこと考えてるの?って思うんだけど、31って子供じゃん。31って子供だよね。
びっくりするんだけど。31でもう20代に戻れないって言ってることが。
だからこの人20歳があっという間に過ぎたよって言って、はるこさんって30歳に考えてるわけでしょ。
でも、20代あっという間に過ぎたよっていう時間によって30代がなくなっていくじゃん。だから、その時間もったいなって。
30代あっという間に過ぎたよっていう時間で40代使うんじゃんって思った時に、いや絶対もったいないって。
あと子供だよっていうことはすごい言いたいから、すごいなんかあのめちゃくちゃ良かったのかな、20代が。戻りたいはない。
どういうふうに老いたいか。 あのー、あーでもな、じゃあ私が老化という現象を受け入れてるかって言ったら別に受け入れてないんだよな。
嫌だよね。老いは普通に。 肌がボロボロにはなりたい。
肌がボロボロにだけはなりたくない。もう、あの髪の毛抜けても歯を抜けてもいいから。
あ、嫌だな。嫌だなやっぱり。 なんかだからといって、なんていうかな、私が素敵な女性代表みたいに、「老いも楽しいよ!」とか言ってる女性にもなりたくなくて。
うーん、なんかその、このまま老いていければとっても素晴らしい。今のところ。老いをまだあまり感じてないのと、年取れば取るほどやっぱり、昔想像してた景色じゃないから、こっから見た景色があまりにも。
子供の時にやっぱりその、大人たちを見た時に、「ああ、この人たちつまんねえ。人生送ってんだろうなあ。こういう大人になりたくないなあ。」みたいなことを、すごい勝手に一方的な目線で見てたんだけど。
やっぱそっち側になった時に、「いやいや、あなたの思ってる感じ違うから。」っていう感覚がすごいあって。
年取ったらつまんなそうっていうのは、そういう人もいると思うけど、確実にその個人的な想像でしかないかも。予想事ごとく外れる。
自分から見た時に、こうなっていくだろうなって、今までいろいろ予想してきて。そうそう、いろいろ予想してきて、人生ってこうなった時、こうなっていくだろうなっていう予想が、一個も当たったことがないから。
だから、あんまりその、老いた時にきっとこういう風なんだろうなって考えても意味ないなって思うようになっちゃった。
年取って楽になったことはね、楽になったかわからないけれど、私ある時点まで、自分をおばさんっていう風に辞任できなくて。
だからなんかその、一緒の年齢ぐらいの人が、「私おばさんだからさー。」とか言うと、「いやちょっと、おばさんっていうのやめようよ。」とか言ってたの。
いやおばさんっていうの、自分で言っていくのやめようとかって、止めてた時代があったのね。おばさんっていう言葉にすごく抵抗感があった時があって。
でもなんか、どっかのタイミングでなくなって、今一番私面白いのが、なんかわーって盛り上がってたりとかする時に、
いやいやでもまぁ、これ旗から見たらおばさんだから、みたいな。おばさんが喋ってるだけだからとかっていうの好きなの。
なんか一番残酷で客観的な視点だなぁと思って、それ言われたら何も言えんじゃんみたいなことを持ち込むのが自分の中で今すごい、普通に面白くて残酷だから。
おばさんじゃん!いろいろ言ってるけどおばさんじゃん!って、自分をメタ視点で突っ込むっていうのが、自分の中で一番鋭くていいな、何も言えないから、それ言われたら。
っていうのを面白がれるようになっちゃったんだよね、どっかのタイミングで。だから、楽になったって言ったらそれなのかなぁ、その現実のその鋭い視点を持ち込むことが面白くなってきちゃったっていうことで、
そのだからおばさんって言われたくないっていう葛藤の時期はでも確かに、でもなんかね私思うんだけれどね、その自分が何歳かを気にするより、自分が母親か個人かとかで考えた方がいい気がするんだよ。
母親じゃなくて個人でいるお母さんの方が素敵。母親ってやっぱりその役割な部分があるから、だから私なんか母さんたちと話す時に、なるべく個人的な会話に早く持ち込もうって思うんだけど、そのお母さんたちが集まった時に
わりとこう、保育園の話題とか子供の話題とかをしているんだけど、その時ってやっぱり別に距離縮まってる感じ全然しなくて、さ、なんかこう役割の話をしている。でもそれはそれでいい、情報交換とかもあるし全然いいんだけど、でもまあそれはそれとして
じゃあもう一個、お母さんじゃなくて、あなたってどういう音楽好きですか?とか、あなたってどういうものが面白いと思うんですか?みたいな質問に早く入りたいなとかって思って。お父さんってわりとそれが容易なんだよね。
お父さんたちと喋ってると、お父さんってわりと個人的な話しかしないんだよ。あの、あんまり役割の話しなくて。お母さんって、わりとやっぱお母さんっていう役割から抜けづらいのかな。だから結構私これ、一発で仲良くなれる質問を持っていて、それはもうこうやってみんなで喋ってる時に
じゃあみんなのソウルコミック言っていきましょうか。みんな今まで一番面白かった漫画何?みたいなとこから入っていくと、わりとそこからお母さんとかお父さんではなく、まあその人になっていくっていうことが近いなって今思ってて。
だから、まんま年齢とかじゃないよね、その域になると。年齢誰も気にしてないよ。その人が本当に役割か個人かとかの方が全然大事かもって思っちゃう。