1. アポカリ
  2. EP05|空気と透明(前編)
2025-07-18 58:22

EP05|空気と透明(前編)

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山本七平「空気の研究」/フランス社会でも空気を読むの?/山岸俊男「安心社会から信頼社会へ」/信頼と裏切りのインセンティブ/日本の秩序システムにおけるマジカルさ/恋愛関係に外部から関与したがる友人たち/結婚したら社会的立ち位置がアガるのキモい/日本的経営とは何か/直属の上司を刺すことのタブー/日本人は強力なリーダーが嫌い/独裁者が生まれにくいシステム/J.C.アベグレン「日本の経営」/ルースベネディクト「菊と刀」/日本人は個人主義/元々の日本が剥き出しになってきている/エリートが親分と見做されなくなった/権限がないのに怒っている人/日本生まれ日本育ちの日本人より空気を読んでしまうつかさ/民主主義の形が合ってないのかもしれない/欧米型民主主義のスキンが破れている/趣味としてのリベラル/小集団の親分としてすらリーダーシップを取れない/正義を言ってスッキリしてませんか?/こっから先は乱世/未来の希望を上品に話せや/文化的にも細分化/コロンビアにおける親分子分関係/コロンビアで強盗に遭った後の顛末/テクノロジーより速い暴力


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muro @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。


つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。


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1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年~株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]

サマリー

今回のエピソードでは、日本社会における空気の存在とその影響について議論されています。特に、同調圧力や集団主義の観点から、日本人特有のコミュニケーションスタイルがどのように形成されているのかが探られています。また、日本の結婚制度やリーダーシップの特徴についても語られ、空気という文化的要素が個人や社会にどのように影響を与えるかに焦点が当てられています。日本の独特な社会構造と歴史的背景が、リーダーシップのスタイルや信頼関係にどのように根付いているかについても考察されています。 さらに、権限のない人々が抱える怒りやその背景、そして日本社会における権力の影響についても取り上げられています。この中で、権力と権限の違いや、個人の表現が社会に与える影響についても触れられています。 また、リベラルの概念や小集団のリーダーシップについても言及され、特に親分と子分の関係が社会に与える影響が議論されています。グローバル化や細分化が進む日本の社会の様子も掘り下げられています。 EP05では、空気と透明の概念について探求され、それが日常生活や文化にどのように影響を与えているかが考察されています。

空気と日本社会の関係
じゃあ、アポカリ、第5回目、6回目、始まりました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回話したいのは、空気と透明。
なんのこっちゃ?って話をしたいんだけど、
今回、空気を扱いたいなと思ったのは、
いわゆる日本人って、同調圧力とか含めた空気っていうものの存在ってすごい強いよねっていうのはずーっと言われてるじゃないですか。
まあ、なんかその空気って言われてるけど、
なんなん?みたいな話になるかもしれないし、やっぱ空気ってすごく強いものとしてあるよねみたいな。
なんかどこ行ってもいいんだけど、そういう感じでまず話し始めたいなと思います。
70年代の地の巨人系の人で、山本七平っていう方がいて、
その方が書いた空気の研究っていう著書が、日本人の空気って言われてるものを語ったベースとなる本だと言われてるんだけども、
この人の例で言うと、戦後の振り返りみたいな引用が当然あるんだけど、
戦艦大和がなぜ沈んだのかっていう話題をこの本では語っていて、
沖縄を取られて、制空機が完全に奪われた中で、大和を出撃させたら、
まあ普通に100%沈むっていうのが、もう全員の同意のような形であったのにも関わらず、
なぜ大和は出撃したのかっていうのを、まあいわゆる幹部になんか聞いたところ、
当時の空気としては仕方がなかったって言ってたらしいっていうのは、まあこの山本七平さんは引用してたんだけど、
合理性とか論理で考えたら絶対あり得ないことが、空気によって大きい決断をしてしまうみたいなものの例として語っていて、
で、まあ多分ビジネスの現場にしても、何かしらの大集団小集団にしても、日本で暮らしていると、まあこういうことあるよねっていうのって、
文化の違いと信頼の構造
多分みんななんとなく、まあそうだよねって思うと思うんだけど、
で、ちょっとまあいつも通り、ちょっとつかささんから、いわゆるこの日本の同調圧力的な空気みたいなものって、
えーと、今5年目、6年目、日本に来て5年目、6年目のつかささんって、実際こういうものって身の回りにあるって感じる?
まあ海外生活が長い中で、そんな海外には空気読むとかがないのは絶対嘘ではある。もちろんある。
あるよね。
ただ、やっぱり日本でのほうが強く感じるなとはすごく思うし、そこは室さんも海外にいた期間があったので、すごい気になるところ、後で聞きたいんですけど、まあありますね。
で、まあ空気を読むイコール、なんか自分の言動の選択肢が狭まれているっていう感覚なんですね、個人的に。
で、狭まれてるから、自分の取れる道が少なくなり、自分の自由が奪われてる感じなのかなって思ってて。
で、まあそれはちょっとフレームワークみたいな話だと思うんですけど、なんか具体的に言うと、なんか仕事している人はこのように振る舞うべきとか、丸々であるべきとか、
なんかこうであるべきがめちゃくちゃ多い社会だなってすっごい思ってるんですね。
なるほどね。
で、それが僕個人的にはめちゃくちゃ生きにくい。
1、単純に生きにくいのと、2、丸々であるべきが多すぎて、普通になんか新しい物事とか現象が起きにくい社会だなとはすごい思うんです。
みんななんかそういう、まあ日本って言うのはかなり同質的な社会って言うんですか?
日本、まあ移民とかすごい少ないですし、変数がすっごい少ない社会だから、フレキシブルにならなきゃいけないという状況がとてつもなく少ないんで、
なんかそれの面白さとか新しさとかも、なんか成功体験が少ないのかなとは、なんか勝手に思っちゃう。
成功体験したらちょっと上からに感じてしまうんですけど、まあ正直そう感じちゃいますね。
よくも悪くも海外、まあ多くはフランスとイギリスが体験が長いんですけど、そこだと感覚的にはなんか、まあ移民など、多文化とかフランス人じゃなくても、例えばもうベルギーでもスペインでも、もう文化が少しずつ違うんで、
もう常にそこは理解しようとしたり適応したり、あ、こういうやり方があるんだっていう気づきが毎日あるもんなんで、日本ではないわけじゃないけど、やっぱりその幅が狭いかなっていう感覚です。
まあなんか今、すごく変化が激しい時代って言われてるんだとすれば、その変化をするっていうことを、まあ良しという前提におくと、いわゆる日本のこのスタンスっていうのは硬直化を生みやすいから変化しづらい、だからさっき言ったように成功体験がないっていう、そっちの視点から言うと確かにそうだし。
で、逆にそのべきみたいなものっていうか、こう、同一性のすごく高い集団で、あの不分立として共有してるものが多いから、こう別に支持がなくても、勝手にその全体で動けるみたいな有意性もあるしみたいな。
まさに、うんと感じますね、特に長く暮らせば暮らすほど、日本社会の便利さに意外とそれは当たり前と思わずに、ありがとうみたいなのが多いんですよね。
単純になんか郵便、まあ普通に安全、第一、安全、あの、久しぶりなんかフランス人と一昨日ご飯食べたんですけど、何か送ってもらったときに玄関前に置くと、やっぱりフランスだともう95パーで奪われるらしく、そんな時期あったなーみたいな。
置きはいないみたいな。
置きはいはありえない。うわ、懐かしその感覚とか、まあ普通に女性としてはもう危ないし、まあ男性としても危ないし、そういったところだけ捉えると、やっぱりなんかそういうの空気とか、ある意味制圧しやすい社会っていうのは、個人としてもメリットはめっちゃある。
そうだよね。
うん、すごい思いますね。
で、そんな中、室さんは、室さんのこれまで、まあ過ごしてきた環境で、今の空気っていうものをテーマに置くと、どんな考えを今持ってる?
えーと、空気の話をするときに、山岸俊夫っていう北海道大学の先生いて、もう亡くなっちゃったんですけど、
あの、この山岸俊夫さんが結構面白い研究をしていて、日本人が集団主義だっていうのは嘘だっていう話をしている人なんですよ。
で、この人の言い分っていうのはどうなってるかっていうと、日本の社会っていうのは、まあ安心がある社会、安心社会であって、で、アメリカの社会っていうのは、契約に基づく信頼による、なんていうかな、信頼に基づく社会なんだ、信頼社会なんだっていう言い方をしていて、
この違いっていうのはどうなのかっていうと、日本人とアメリカ人に対処実験してみたら、その日本人は仲間は裏切らないけど、見ず知らずの人を裏切るんですよね。
割に簡単に裏切る。でもアメリカ人は、案外なことに仲間は多少裏切るんだけど、知らない人を初手から裏切るってことはなかなかしないんですよ。
これは、アメリカにおいては信頼っていうのを積み重ねていかないと、自分を信頼してくれる仲間っていうのを作り出せないから、であって、
日本っていうのは、もうすでに村みたいなものがあり、その村の中の仲間を裏切ると、その村にいられなくなるっていうので、その信頼と裏切りのインセンティブ構造が違うんじゃないかっていう話を山口先生はされていて。
で、それはなんか、なるほど、そうなんだなって思ったんですけど、これが空気の話にどう関係するかっていうと、
会話と日本のシステム
まあ、なので僕たちはその、おのおのの村人たちみたいな、おのおのの仲間みたいなのが、何を考えているかみたいなものを、おそらく詳細に考えている。
で、それを無意識に考えている。要するに言語的なものだけじゃなくて、この人はこう考えてるからこういう戦略を取るだろうみたいなことだけではなく、あのような仕草をしたからにはこのような意味だろうとか。
限界のものをね。
そうそうそう。あのような服を着たのはこういう意味だみたいなものを、多分、感じながら仲間の考えみたいなものを見ていて、多分これを抽象的にっていうか、相対として捉えた言葉は世間っていう言葉なんだと思うんですよね。
なので、その世間に向けてどうするっていうことを考えていて、で、これが多分その日本人における出場システムの一つだと思うんですよね。
アメリカ人はその信頼を積み重ねた契約に基づいて社会を作るんだけど、日本人はこの仲間の認知みたいなものっていうのを総合的に判断した結果、大体このようなことを多方考えているのではないかということを取りながらやるっていうのがやり方であって、で、これがおそらくクッキーと呼ばれるものなんだろうなって僕は思ってるんですけど、これをなぜ聞き回れないのか。
さっき、つかしさんがおっしゃったような、何々すべきみたいなのが日本にいっぱいあるっていうのは、まさにこれの相対なんだと思うんだけど、言っといてくれやって話じゃないですか。始めからインストラクション作っといてくれよみたいな。
そうだね。マニュアル。日本説明書。
そうそうそう。なんか別に指示されてないのに、それをしくじるとめちゃくちゃ怒られるじゃないですか。でも、これは大事なのはそれを聞いて回って、表に出てしまうと、またそれ一つがまたメッセージになり、
世間の内容自体がまた変化してしまうんだと思うんですよね。だから決して事前に確認したり、表に出たりすることなく、みんなの動きっていうのを感じながらやらないといけないっていうのが、たぶんこのシステムのミソで。
で、そのようなシステムであるからこそ、僕たちは何かを書き換えたりすることができない。だから例えば契約型の社会では何々すべきっていう契約があるということを前提にみんなそのように動くと思うんですけど、
それを書き換えることができる。合意があれば書き換えられると思うんですけど、日本の場合はそれがないので、誰とどういうふうな合意を取れば何が書き換わるのか全くわからない非常にマジカルな世界の中で、それについて語った瞬間にそれについて語ったことはすでに意味がなくなってしまうみたいな社会になっていて、ようやってんなとは思いますね。
いや、本当マジカルっていうのがその通りだなと思う。よくさ、日本にはリーダーが生まれたことがないとかさ、日本の企業体におけるマネージメントっていうのは、西洋からするとマネージメントと呼ばれるものではないみたいなものとかもそうだし、
あとサッカーで言うと日本代表の監督っていうのが、いわゆる戦略とか戦術家よりは教師のようなというか、人を束ねるっていうのはイコール空気を支配するみたいな監督の方が上手くいくとかっていうのもそうなんだけど、そのマジカルさっていうのを理解してる人の方が実は上として優秀、でもさっき言ったような、
べきっていうものを名分化したりとか、ルールブックを作るとかトップダウンでマネージメントするっていうのをやるとうまくいかないみたいな、っていう意味ではまだまだ全然あるなと思うし、実感としても感じる。
で、今ちょっとそれ聞いて、少しいきなり脱線するんだけど、なんか結婚っていうものもそれに近くねえと思った。日本における。
結局、不分立としてのべきみたいな、最初の教会なんだか神社なんだか、どこでやるのかすらも定まってないところでした約束と書類上の結婚っていうものの書類のところには、ほぼ文章としては大したこと書いてなくて、でも結婚とはこうあるべきっていうような不分立的なものを大量に抱えて、
最初にお互い弁護し立てて、こういうことをやったらこういうペナルティーがありますとか、こういう愛を交わしましょうという契約書同士を結んだ結婚っていうのが成立するのって、なんかキモくねえって思うと思うんだけど、そうじゃない結婚が今なんだとしたら、書かれてないべきっていうものにひたすら縛られながら数十年一緒に生きるみたいな。
結婚はまだマシというか、一応民法上の規定があるじゃないですか、でも恋人関係は本当どこにも何も定まってないのに恋人関係になった瞬間膨大なべきに縛られますよね。
しかもその気配とか目線とか裏読みで言ったことじゃない裏を読んでっていうような、あの分かってくれない論争になるわけでしょ。
まあ分かんない、そういうこともあるかもしれないですけど、二者関係はまだなんかしょうがないかなみたいなあるんですよ、別にその縁深い人が揉めるみたいなのは、それはもうある程度しょうがないかなと思うんですけど、この二者関係を取り巻く友人関係とか、その恋人の友達とかからなんかめちゃくちゃ言われたりとかします。
自分が不在の向こうの友達間の中でそのありなしがなんか議論されてるらしくて、それっていうのはこっちの一緒にいる空気の現場ではなかなか現象として立ち現れてなくて、ずっとリアリティーショーのように観察されてるみたいな。
とかその自分の友達とかね、自分の友達が、二者関係は特に問題が起きてないんだけれども、ある日友達と遊んでるとどうかと思うみたいなめちゃくちゃ怒られるみたいなのとか。
うわー分かる。分かるというか。
聞く。
お前に何の関係があるって思うんだけど。
でも恋愛はめっちゃいいですね。この当てはまるの。本当に思います。結婚に戻ると確かにさっき僕が思ったことを言った要素とすごい近いかなと思ったんです。
例えば結婚前、結婚のような結び方をしようとしている二人がいるとすると、日本だとまあ社会的には大体結婚一択じゃないですか。少しずつ事実婚は本当マイノリティで増えたぐらいじゃないですか。
あと結婚したら社会的立ち位置が高まるのほんとキモい社会だったらすごい思う。すっごい思うこれ。
前回のコンサルと一緒だった。
いやほんとに。
コン生活集団みたいな。
なにこれみたいな。不思議って。それは誰にも伝わってないんですけどなんかうっすら感じる。京都で僕すごい感じたんですよそれ。
どんなことがあったんですか。
日本の結婚制度と社会的信頼
日本語は普通によく聞かれたり、まあ単純になんかほんとにもっとドライなところに言うと家の契約とかだったり、まああと僕が外国好きだからっていうのもちょっとあるかもしれないですけど結婚してんのみたいな。
復婚したらなんかイコールこういう意味だよねみたいなすごい読み取られるところとか、結婚前結婚の様式結婚後も全部なんかクーキアンみたいな。
結婚前とかも一見中ですよね。フランスとかだったら普通の結婚、あの事実婚、結婚せずに付き合う、結婚せずに子供作るとか。
もういろんな形がかなり許容されているから、なんか選択肢が少ないって思いましたね。
なんか今のこの話題にもう一個さっきの空気の方の構造に戻ると、あの日本って家っていう制度、家っていうものの力が強かったから、だから多分結婚とか恋愛っていうものもその家同士の約束事を交わしたっていうことが社会的信頼と、
まだ結びついている空気が残っているのかなとか。
確かに。
まあ家というのもあると思うし、なんかちょっと話がずれるんですけど、あの僕最近その客さんの会社さんたちと日本的系とは何かみたいなことを勉強会したりとかしてて、
で、これまた別のところから聞いた話で、僕が聞いてめちゃくちゃ面白いなと思ったのは、欧米の企業では直属の上司を指すのがめちゃくちゃ嫌われるっていう話を。
指す。
密告するとか、告発するとか、キックアウトするってことだと思うんですけど、
まあワークしていない上司がいたときに、それをまあハラスメントなり、あの業務上の応料なりで、それを告発してキックアウトするってことだと思うんですけど、
それってなんか多分会社に通って結構広域通報的なものがあると思うんだけれども、それをした人って中期的には会社にいられなくなるらしくて、直属の上司を指した人っていう感じで多分社内になるらしくて、
で、その転職のときもなんかその嫌われる傾向にあるらしいっていう話を聞いたことがあって、それを聞いたときに僕ちょっと驚いて、
日本だと多分逆というか、横暴なリーダーがいればその人をキックアウトして良いという感覚を結構みんなは持ってると思うんですよね。
これってなんか多分我々の世俗的な感覚と逆というか、欧米の方が革命をやる社会だから、その横暴なリーダーをキックアウトするっていう傾向にあるっていう。
直感的にはそう感じるよね。
で日本人は革命を経験したことがなくリーダーをキックアウトしたことがないって思ってると思うんですけど、会社が逆のことが起こってて、
僕はその時に思ったのは日本の方がその向上的にリーダーをキックアウトし続けてる社会なんだと思うんですよ。
日本に強力なリーダーがいないっていうのは基本的に日本人っていうのは強力なリーダーシップは嫌いなんだと思うんですよね。
なので強力なリーダーシップが現れると必ずキックアウトしてるから出てこないんだと思うんですよ。
強力なリーダーシップを発揮する人をキックアウトするのは良いことだって結構みんな思ってるんだと思うんですよね。
でなると日本のリーダーシップってどうなるかっていうとそのキックアウトされないように自分より下の人たちっていうのをそのに対して寛大に振る舞うというか、
その親分として振る舞うみたいなことをしないといけず、この親分子分のそのなんていうか信頼関係というのが保たれている限りにおいて自分はリーダーでいられるし、
これがなくなった瞬間一の子分みたいなやつからキックアウトされて自分は親分じゃなくなってその一の子分がまた親分になるっていうのが多分繰り返されるタイプの社会なんだろうなと思ってて、
だからさっきの同調圧力の文脈で言うとその何々すべきみたいなことがこんだけあるのは多分その辺にも関係していて、
リーダーシップに関する考察
リーダーが関わるべき、子分が関わるべきみたいな規範が我々の中の意識にあってその規範に基づいて振る舞いに人間というのはキックアウトして当然っていう考えなんだと思うんですよね。
たしかに。
あの独裁者を発生させないっていう目的だとしたらその日本型の方が実は強そうだよね。
まさに日本に似たようなこと。
だからべきの方が人よりも大きい支配力を持っていれば圧倒的なリーダーっていうものをその空気で転覆させることができるという構造だもんね。
勝手な解釈ですけど、なんかその空気っていうのはすっごい大きく見るともう社会全体が一つの空気を共有しているから、
それのラディカルなエキストリームな意見はだんだんと薄まって常になんかその全体の平均を取っているみたいな感覚で見てるんですけど、
それなるとそれは強力ななんか独裁者みたいな生まれず、なんか常になんかすごい左すごい右とかすごいなんか強いポリシーを掲げる人がいると、
あれ違くねみたいになってなんかまたなんか変わるみたいなイメージが強い。
だからあのフジテレビ帝国がもう万弱と言われてた比叡田体制が崩れるきっかけみたいなものも別に社内闘争とか政治によって行われたんじゃなくて、
本当にその空気の情勢みたいなところであんだけの権力が崩れるみたいなのも最近見たじゃないですか。
だから日本のその革命の仕方って確かにそういう構造で見ると面白いね。
だからなんかその比叡田さんの体制みたいなのが万弱だった場合は、それが絶対に突き崩さない一枚の岩のように見えてたんだけど、
おそらく比叡田さん嫌だなと思ってる人は社内にいっぱいおり腰淡々と狙ってるわけですよね。
で空気をみんなが見ていて、今だって。
空気が風に変わるみたいな。
そうだね。そっかで山本七兵衛はこの70年代の時に空気っていうものと対抗するものとして水っていうものを掲げて、
水を刺すっていう言い方をしたり水を流すっていう。
その日本の空気っていうのは実は水によって流されたりとか刺したり流されたりして循環してるんだみたいな話をしてたわね。
でなんかそこもわかるんだけど、今の室さんのこの見立ての話からするとより現代的には今の話すごくよくわかるね。
強烈なリーダーシップが生まれない。だから西洋との違い。
トップダウンのかなりロジカルに組み立てられた組織構造っていうものが日本になぜ定着しないかを考えると、
空気の文化的影響
そのなんかべきっていう名分化されてないどうにでも取れるっていう武器を全員に行き渡らせておいてるから、
勝手なことを独裁者ができないみたいな。
それって誰かが考えてやったことなのか、自然発生的にこの民族っていうのはやったのかどうか。
そこはまだ答え出されてないよね。
僕の理解だと、まだ全然不勉強なんですけど、日本人論って大きく分けて2系統あって、
ジェイシー・アーベグレンっていうボストンコンサルティンググループ作った人が日本的経営っていう本を書いてるんですけど、
この人とあとルース・ベネディクトのキクトカタナ。
で、ルース・ベネディクトのキクトカタナは多分元折りのりながらの国学みたいなものの流れを組むような日本文化みたいなのを考える人たちと、
そのジェイシー・アーベグレンは日本の組織みたいなものを考える人たちっていうのがいたと思うんですけど、
僕の理解ではこの2つの人たちは日本のキクトカタナで、キクっていうのは天皇制ですよね。
つまり古代日本の話をしていて、
で、カタナは武士の話ですから、近世日本の話をしている。
で、ジェイシー・アーベグレンもおそらくその侍的なものとしての近世的な日本を見ていて、
で、この2人に共通してるのは戦争協力してたんですよね。
ジェイシー・アーベグレンは従軍してたし、ルース・ベネディクトのキクトカタナは適正国民としての日本人を研究するっていうようなものだから、
日本の文化を語る上で、第二次世界大戦前後っていうのはやっぱりかなり特殊な時代だと思うんですよね。
で、この特殊な時代っていうのを理解するために、
江戸幕府の時代と古代の日本と平安時代の日本っていうこの2つに着目してたのがこれまでの日本人論だと思うんですけど、
でも日本史の大部分ってどっちかというと平安末期から江戸時代の初期の中世と言われるような時代であって、
この中世の特徴っていうのはやっぱり中央集権されていない。
で、日本は明治政府ができるまでというか、僕の個人的な見解だと今日まで別に中央集権化されてないと思うんだけど、
中央集権化されてない中で、どうやって民草が自立するかみたいな、自己統治するかみたいな原理みたいなものが突き詰められていったんだろうなと思っていて、
これが武士階級だとまさに武士団だし、農民だと宗孫と呼ばれるような村だし、
商人だと座とか公とか呼ばれるような同業者組合だったり宗教組合だったり作ったりとか、
自社も自分で領地を持って総兵という武力を持って自立していた。
この中央集権がないところで仲間で集まって武装して自立するっていうのが日本文化の核なんじゃないかなと思っていて、
で、この武装した集団っていうのは誰かの参加につくときにその親分が自分の生存を保証するかどうかで決めてると思うんですよ。
だからその感覚が日本社会に根付いてんじゃないかなと思っていて、
ジェシー・アベグルやベネディックとかいうような日本人が従順で服従しやすくて集団主義なんだっていうのは、
僕はむしろ逆なんじゃないかなと思っていて、めちゃくちゃ個人主義。
日本人って多分公共の意識がめちゃくちゃ薄いというか、自分の生存以外にあんまり興味ない人たちだと思うんですよ。
だからそのめっちゃ個人主義だし、その服従するかどうかも自分の生存が守られる限りにおいて服従するわけで、
自分の生存が守られないと分かった瞬間上司を刺す人たちだから、あのやばい人たちだなと思っていて。
ヤマギ氏と俊夫さんが安心社会と信頼社会でもやっぱりそういうニュアンスで語ってたよね。
そうだと思います。
だからその仲間討ちをどういう風にコンフリクトなく、つまり同士討ちをせずに良くするかっていうと、
いろんなべきで守られた安心社会を作るっていう話なんだと思うんですよね。
そうするとそのプロトコルに沿っている限りにおいては仲間から突然殺されることはないから、
でもそのプロトコルを守らないよそ者は自分を突然殺す可能性があるので、
そいつは裏切るし、そいつは警戒しますっていう話になるっていうのが日本社会なんじゃないかなって僕は見てるんです。
確かになんか、今僕この話題を話し始めたいなと思った時には、
いわゆるそう言われていた空気って、もはや日本っていうのは変化をしていて、
なくなってた新しい空気みたいな概念があるんじゃないかと思ってたんだけど、
でも実は日本っていうのはっていうのを今の室さんのように考えると、実は変わってなくて。
変わったと感じるのは、要は高度経済成長期、
だから本当この50年のすごく異例なマスメディアと国民国家っていうものの結合がすごくされた日本っていう、
要はイマジナリーな国家みたいなものにおいての大きい集団としての空気っていうのはそういう風に語られてたけど、
そういうものはなくなったんだけど、でも実は本当に中世以前からつながってるような、
いわゆる日本人的な空気感っていうのはあんま変わらずに今まで引き継がれてるなと思うから、
なんかやっぱその2点、戦後からの50年、70年みたいなものの日本っていうような考え方っていうのと、
もっと長いスパンで考えた日本っていうのを分ければ空気って話もあるよねって話はできそうな気がする。
おっしゃる通りだなと思ってて、今まで確固とした日本が崩れ始めてるっていうより、
なんか元々の日本が剥き出しになってきてるっていう感覚が近いんじゃないかなと思ってて、
それは前回前々回話したようなそのエリートの消失とかとも多分関係するだろうなと思ってて、
これまで日本人が自分たちのことを近代人だと思ってて、
日本社会のことを近代社会だと思えてたのは、
エリートが私たち近代人ですよねって言って、
そこに構造化されてるイデオロギー的古文達っていうのは、
あまり自分たちの生存とそれがバッティングしないので、
はい、近代人ですって思ってたっていう、ただそれだけの話で、
私たちって近代人ですよねって言ってる人たちが親分と見なされなくなった瞬間、
別に俺たちが近代人かどうかどうでもいいしみたいな話になり、
おそらくインターネットとかが出てきたことも、
そのどうでもいいし感がすごく剥き出しにでっかい世論になってしまって、
これまではある種親分を経由しないと他の人の意見を聞けなかった。
近代人じゃないって言ってる人もいるらしいぞみたいな、
でもうちの親分は近代人って言ってるからなみたいなところだったのが、
親分たちがバーッいなくなった瞬間、
TwitterとかSNSを通して、
あ、自分と同じ感覚の人はこんなにいるんだバーッなってるっていうのが今かなと思ってる。
だから前回まで僕が消費者クリエイターっていうのが最も今ハッピーなんじゃない?
ちょっとそういうところがあって、
実は権力者ってそっちにいるような気がするというか、
だからエリートいなくなるよねって。
権限と怒りの関係
当然だってエリートになるとかリーダーになるって、
要は不分立のべきによってパージされる対象に自らなるっていうことなので、
中芸能人になって有名になるとかも全部含めてなんだけど、
そのリスク考えたら、
室さんがこの前ねなんかツイートで言ってたのが一個聞かかったのはそれだったんだけど、
権限がないのに怒ってる人っていう言い方を室さんしてて、
権限がないのに怒ってる人の発言っていうものが、
こんだけ重要視されてる時代ってそこまでないはずで、
今ってそうじゃん?ノイジーマイノリティみたいな、
なんかそこの力が強まってるからむしろむき出しの個人として、
何か個人的な総会やっていうか圧力団体。
しかもそこが統率されてない。
個人としてのテロリストになるんだったら、
消費者クリエイターって確かに日本人っていう文化を今の世に語ると向いてるなと思った。
で実際騒ぐ一員になれば富士テレビっていう、
全員が嫌ってるっていう空気に賛同しちゃって、
しかも自分の名前を署名せずとも、
冷えた帝国をパージできるっていう気持ちのいいストーリーに参加できるしみたいな。
なんかその快楽性っていうのは絶対あるだろうなっていうのは。
権限みたいな発想自体が極めて近代的な考えというか、
誰がどういう風な権限があるからそれに参加し、それに意見を言うことができるかっていう、
そういう話だと思うんですけど、
でも中世的な話は自分に権限があるか関係なくて、
あなたが私に影響を及ぼしている限りにおいて、
私もあなたに影響を及ぼしているっていう充実的な世界観だから。
やっぱマジカル。
だからあなたが私を不快にしたのだから私は怒るみたいな話になる。
確かに不快にしたかは知らんが、
でもさっきの恋愛関係の話一緒で、
でもここは二者関係の話だから、
なんであなたが話しますかみたいなことってやっぱあるわけじゃない。
権限がないのに怒る人がいるんだよね。
日本社会における文化
周りに。
でもなんかそういうことってよくあるなと思って。
なんかこういうコミュニケーションの取り方って、
つかささんって今日本文化に普通にどっぷり5,6年関わる中で、
今言ったようなことの違和感や自分がマッチしてるなっていう感じってある?
もちろんありますね。
どっち側?今言ったような日本人的なところが、
すげえ自分が今マッチしてるなって感じる?
いや、マッチしてないけど、無意識なんですけど、
この社会にマッチしなきゃという理由で、
ケースバイケースで時によっては、
日本生まれ日本育ちの日本人より空気を読んでしまうことがある。
それは自分がアジャストしてるからっていう感じなの?
しようとしてるからより過剰になってる。
めっちゃ細かいところですよ。
メールの答え方とか、上司との振る舞い方とか、
特に信頼関係がない人であればあるほど、
そのコードとか、コードってルールとかを守んなきゃみたいなものになっちゃう。
それは母親とかの影響かな?
日本人、強い日本人である、今まで話してきた空気を、
大事だよみたいなのを伝授されたのかなっていうところで。
今のさ、権限がないのに怒る人っていう話題にひも付けた時に、
つかささんが今見てる世界、ネット世界も自分の周りの世界もだけど、
権限がないのに怒る人が強いっていう、この構造ってしっくりくる。
欧米的にはそれってありえるの?
それは全然ありえるのかなってすごい思います。
だから、今その話を聞いてた時には、欧米もそれはさすがに一緒だなとは思ってて、
サイレントマイナリティもいるし。
ベースとしての個人の国家に対する権利とか、
神と契約した自分みたいな、そこのベースが違うような気はしてるんだよね。
だから、なんか民主主義がしっかり、まあしっかりとか根付いてる国民による権限がないのに怒ると、
日本のような不分立なのにって、なんか結構違う気がしてて。
いや、まさにそれで、その現象としては全く同じだと思ってて、
それがどうの影響するのかは、今おっしゃった通りベースが違うから、
どう違うんだろうってすごい気になってました。
どのような影響をするのか。
例えば、すっごい簡略化して肉付けしてほしいんですけど、
例えば、欧米だったら、その強いリーダーがいることが多いので、
そのサイレントマイナリティがマジョリティっぽく見えて、
例えばネット上で、で、あの強いリーダー、もしくは例えば強い議員とかを、
すぐパッて落とせるとかキャンセルとかできると思うんですけど、
日本だと、その小さい単位がいっぱいある中での空気というベースがあるので、
それがなんか欧米ほど簡単にできることではないのかなとか思ったりしてて、
そこをその影響力は全然違うんだろうなっていうのはすごい感覚的に考えてたところです。
だから、組織だって何かっていうのを手続き上ちゃんと変えることができるっていう、
その構造自体を信じてる人なのか、日本のようにもう構造がもうよくわからなすぎるけれども、
権力の重要性
そのちっちゃい集団の空気っていうのが一気に変わったら一気に変わるみたいな、
信じてる変わるみたいな、なんかそこの感覚の違いなんだろうな。
だから、よく民主主義の話とか選挙の話をしてる時に、
日本人が一人一票持ってるんだから声を上げなきゃダメみたいなのを言って、
いかにも民主主義的なことを言ってる人たちの発言を聞いてると、
なんかその同じに感じないんだよね。
むしろ、僕のそういう人たちの声を聞いた時の直感は、権限がないのに怒ってる人に見えるっていうか。
だから、そこの感じの気持ち悪さみたいなのはすごくある。
同じルールでやってるかのように言ってるんだけど、
なんか全然言ってる意味とか、目指してるものとか、望む欠陥に対する自分のイメージが違う人たちの声に聞こえるっていうか。
何なんだろうね、この辺の差って。
いや、面白いですね。今採用してる民主主義の形がもしかしたら日本にはあってないかもしれない。
なんかもう適当なことですけど、もはや議会には各村の人がバーって集まるべきなのかなとか。
でも実際そうなってると思います。
地方の経済圏みたいな財界、地方財界みたいなのがあり、地方財界の仲間うちから国会議員を出して、
その国会議員が国会から予算を分投できて、それを地方の財界に分配するみたいな、
各地方の利益折衝機関みたいに国会が多分なっているから、
じゃあ日本という国家としてどう考えるのかみたいなのがそこまで議論されてるかみたいなのはちょっと思うところがあるし。
で、民主主義が日本にフィットしてないっていうのは多分そうだろうなと思っていて、
多分ヨーロッパ型の民主主義っていうのはヨーロッパでしかワークしない機能、仕組みなんだと思うんですよ。
それがその文化とシステムみたいなのが合致したときにそれが従前に機能するっていうやつだと思うので、
特にアラブの春がうまくいかないとか、中国で民主化がうまくいかないみたいな話をしたときに、
彼らの方針性みたいなものばっかり話されるんだけど、
僕は彼らは劣ってるからそうじゃなくて、彼らの歴史的文脈に沿った統治技術みたいなものと、
あまりにも乖離しているものを、じゃあこれ中立的なシステムなんで実装できますみたいな話をされても、
そうはならないみたいなOSのこのコード原理が違うのに、
アプリだけ入れてもワークしないみたいな話なんじゃないかなみたいなのをちょっと思っていて、
日本は多分その親分に絶対に従わないまんみたいなのがいっぱいいるから、
この絶対に従わないまんみたいな人たちがいっぱいいるっていうのが、
おそらくある種民主主義と相性がいいというか、
多分日本型の民主主義をやってるんだと思うんですよね。
で、それの上側にヨーロッパ型の民主主義っていうのを、
スキンとしてくっつけたみたいなのが多分今明治維新以降だと思ってて、
で、このスキンが破れてるっていう話だと思うんですよね。
一人一票だから声を上げましょうっていうのは、
どっちかというとスキン側の話なんだけれども、
僕がこのタイプの話に対してポジション取るのは、
じゃあ破れてるんで、内側の日本的なものでドライブしましょうっていうのが一つの作戦。
で、もう一つは、じゃあこの内側のドライブしているものを発展させて、
国際水準に見合った日本型の民主主義っていうのを発展させましょうっていうのが二つ目のポイント。
で、三つ目のポイントっていうのは、このスキンをとりあえず取り繕いましょうっていう話があると思ってて、
僕はこの三つ目の立場なんですよ。
本当はこの内的な駆動しているものみたいなものを発展させて、
日本独自の民主主義みたいなのに発展したらいいなと思うんだけれども、
それは明日突然現れるわけじゃないし、
明後日突然現れるわけでもないから、多分時間かかることなんだと思うんですよね。
で、その次のシステムみたいなのが熟してないまんま、今のスキンをビリビリビリって破ったら、
結局中世にいったら逆戻りなんで。
それまではこのスキンを一生懸命作ろうなければいけず、
その意味で一人一票あるんだから選挙に行きましょうと、
なんか言わなければならないっていうところに今いるかなって思って。
じゃあなんかせっかくだから少しまた大きいフレームの方に話したいんだけど、
ちょいちょいさ、俺リベラルと絡めて話すじゃない。
で、なんかその話に今近づいたなと思ってて、
そう、このアポカリ撮る前の準備会で一回撮ったけれども、公開できなかった回で、
それぞれのスタンス話し合った回があったじゃない。
で、これ多分また俺友達失うし、またなんか嫌われると思うんだけど、
俺これリベラルを話題にすることは大好きだし、
こういう思想の元となっている話されていることは全部好きなんだけど、
僕今のリベラルの人たちっていうのはやっぱどうしても一緒になりたくないと思う気持ちっていうのはその時話していて、
で、その時言った一番ひどい俺の例えがさ、
僕の今のリベラルを見ていると、ほとんどが地方豪族が東京に実家がある子どもたちの趣味と、
僕は思っていると言ったんだよね、あの時。
で、これって。
趣味まで言ったんですね。
そう、そう。
で、結局今言った欧米型の民主主義っていうものや、
その欧米型の合理性とかリーダーシップみたいなそのストーリーに相性がいい人たちって、
多分今言った人たちだと思うんだよね。
そうですね。
いわゆるエリートになれる人だったり、そういう知性やそういう人生観を身につけた人ほど、そっちの思想だと思う。
でも、日本っていう国においては、そこはマジョリティじゃないので、さっき言った親分に就くっていうことが、
アグリーできてる人が多分9割。
で、そこから外れちゃうのって今言った、
僕が言った地方豪族となんだっけ、東京に実家がある人たちのご子息たちっていうのって、
やっぱり欧米的な教育や教養を身につけたからこそ、
小集団の親分にくっついていくっていうことが苦手な人たちだと思うんだよね。
で、その人たちはその日本っていうものの9割を占める人たちを外側から見れるし、
要は世界ともつながれてるっていう実感があるから、声を上げるとかリベラルだっていうんだけども、
やっぱり自分たちってマイノリティ。
だから外から見るっていう立場しか選べないから、
だから日本を本当にコミットして改革したり革命を起こすような人にもならず、
やっぱり声を上げる側になってるっていうのが今のリベラルの実態だなと思ってて、
で、それは俺すごい大事なことだと思ってんの。
なんだけど、今そのリベラルの、僕も含めてね、リベラルっていうものを信じたり、
世界の情勢っていうものに対してその世界人として生きてるって実感がある人ほど、
日本のそのちっちゃい母集団で親分にくっついていくっていうこの感性っていうものに対する根源的な理解がないと、
おそらく本当に声を上げてる人だけ、あと室さんの言い方だと権限がないのに怒ってる人たちっていう部類になってしまうと思ってて。
そうか、えっとね、僕の感覚だとその人たちは権限がないというより権力がなくて怒ってる人たちですね。
そうかもね。
これは僕にとってはちょっと違いがあるので、
で、日本の社会を本質的に変化し得るのは権力だっていう話だと思ってて、
今のメチクロさんのお話、それは僕もそうだと思いますね。
日本史を見ていて小集団のリーダーじゃない人が、
じゃあ大集団のリーダーシップ取れるかって言ったら取れたことないと思うので、
リベラルとリーダーシップ
で、そのリベラルな近代的感覚を持った人たちっていうのが、
小集団の親分としてのリーダーシップを取らずに社会が変革できると思っているのは謝りであるっていうのはそうだなって思います。
なぜ僕がこうやって自分の名前を晒しながら、
自分の友達に対しても少しディスに感じるような言葉をあえてこうやって言うのかっていうと、
このリベラルっていうものに対する僕の実体験でいくと、
まさにこのテーブルでこの前しげのぶふさこさんが語ってらっしゃったんですよ。
このスタジオで。
で、彼女が何をやったのかとか、
彼女っていうのが現在何を考えているのかっていうのは、
当然まあいろんな人がいろんな解釈できると思うんだけど、
僕はまあ単純に実存としての彼女の立ち振る舞いや話し姿、
あとこの人の話を聞きたいと思わせる力とかみたいな、
そのいわゆるすごくチープな言い方するとアウラみたいなものの圧倒的な差はやっぱり感じるわけですよ。
へー。
感じるんですよ。
もうしっかりした、すごく凛とされている方なんだけども、
その方がとつとつと話していることっていうのは、
当然世界情勢の話もしてるし、
普段のような日常の話もしてるんだけど、
この人の話を聞きたいみたいなのって、
やっぱり小集団を束ねた親分みたいな、
やっぱりそういう佇まいが必ず潜んでいて、
で、リベラルと左翼をくっつける必要はないんだけれども、
何かその信念を実存を持って行動しようとする人と、
権力って言い方でも権限って言い方でもいいんだけども、
声だけでいいと思ってる。
だから僕は趣味っていう言い方をしたのはそういう選択ですね。
あなたの実存と何の関係があってそれを言ってるんですか?
正義を言ってすっきりしたいだけでそれやってませんか?
定義めっちゃしっくり。
っていう意味で言ってると。
だから僕は、そんな友達とも仲良く過ごしてるし、
別に隣人としての振る舞いとしては、
こういう気持ちっていうのは一切出すことはないんだけども、
話の説得力、実存としての説得力みたいなものって、
さっき言った小集団の親分の関係値みたいなものを
理解してるか理解してないかってすごく大事よね。
社会の変革と実存
そっから離れちゃった。
なじめないから私っていうのはグローバル人材として生きるって言った人って、
やっぱりどうしてもその中の力学みたいなものに対して
太くなっちゃうなっていうのを感じたんだよね。
おっしゃる通りですね、なんか。
そうですね、僕はやっぱりどちらかというと
趣味でそういうことを言ってるっていう感じかなと思うし、
そのような批判があるのを叱るべきかなとも思ってて。
で、おそらく90年代、まあゼロ年代の頭ぐらいまでの
なんとなく経済成長していくみたいな、
経済成長は本当はもっと先に止まってたと思うんですけど、
社会的雰囲気としてまだ我々の社会って上向いていくんだみたいな、
あったゼロ年代の頭ぐらいまでっていうのは、
それで良かったんだと思いますよ。
社会っていうのはちゃんと成長してるし、
どんどんリベラル化していくわけだから、
自分の実存をかけずにリベラル的価値大事ですよねっていうのが
やっぱり上品な態度だったし、
その上品さで良かったと思うんだけど、
おっしゃる通り多分局面が変わってるの、
盤面が変わってるので、
こっから先は乱世なので、
リベラルを本気で守ろうとするんだったら、
己の実存がかかってきますぞみたいな話かなと。
だからその恋愛リアリティショーを観察しながら、
なんかコメントを残してる人と、
リベラル的な発言をしてる人とのSNS上の差異っていうのは、
僕には感じられないっていう意味で趣味っていうふうに感じちゃってると思う。
だからこそ、関係がある人、
僕と関係がある人と関係のある世界っていう話をするときっていうのは、
実存をかけて話をするけれども、
基本的にこう空中線として飛び交ってるものっていうのは、
僕はそういう目で見ちゃうんだね。
僕の友達がそのSNS世界の中で参加してるのを見たら、
まあやってるなとしか思わないみたいな。
なんかそういう判断にはなるよね。
確かにそれはそうかもしれないですね。
それをおっしゃるとおりだし、
僕は逆に、
剥き出しの闘争みたいなのに、
収支買いというか、
という決断をしている人たちに対して、
もっと上品にやれよって思って。
もう少し、
なんていうのかな、
確かに何世から知らない、何世から知らんけど、
こんな子供の見てる前で、
そんな口汚く、
未来への希望を話せや、みたいな、
気持ちはすごいする。
分かる。
それが前代僕らが話していた、
品の話だったりとか、教養の話だと思ってて、
そこの手続きを踏まずに、
その実存をかけてやってる、
こっち側のと呼ばれてる人たちの姿っていうのは、
非常に自分たちにとっても迷惑だから。
そういうふうに離れて見てるとそう思っちゃうんだよね。
っていうところでまた空気の話に戻りたいんだけど、
さっき言った1550年、70年で作られた、
仮想空間上の日本のマスの大きい動きっていうのは、
崩壊しているので、
国全体の空気っていうのは、
もうもはやないと思うんだけども、
またチリジリになったところに、
空気っていう、
透明な存在と細分化
なんとなく全体的に共存する、
不分立の空気みたいなものっていうのが残ってる。
だから一気に動かすことできなくって、
やっぱ個別のユニットが変わっていかないといけないみたいな。
社会的な面にも、文化的に、カルチャー的な面もそうですよね。
それもなんか、ちょっと違う側面ですけど、
それがかつどういう影響があるかちょっと今、
頭もあんないですけど、
世界中そうですけど、
そうですけど、
細分化して、
カルチャー的にもなんか、
操作しにくい。
日本で音楽出版社がテレビと結託して、
なんかテレビでポンとやって、
大ヒット、100万枚。
全員みんな知ってる。
だからそういう全体誘導するための大ヒットみたいなものっていうのは、
どのカルチャーエリアでももう無理になってるし、
だからやっぱりその細分化したところをどう理解するのか。
あと、細分化されてるんだけれども、
それも共通してる何かっていうものが分からない限りは、
やっぱり全体に影響力を与えるようなヒット商品っていうのは作れなくなってるし、
だからそこなんじゃないって思う。
うんうん。
なんか、つかすさんに聞いてみたいんですけど、
どうなんですかね、
小集団で上下関係を作るみたいなコミュニケーションっていうのは、
やっぱりヨーロッパにもあるんですかね。
聞きたい。
小集団で上下関係は本当にない。
過不調性的な家っていうユニットだとありえる?まだまだ。
ありえますが、やっぱり日本語の、
まあ、これは運良く僕もそういった場面に向き合う必要がなかったっていうのは大きいと思います。
例えばフランスの地方で、カトリック系の家庭でとかがあったら、
まあ、そんなにボスは多くないですけど、
家族内で、プラス教会内とか、そういったなんか小さい社会はあると思うんですけど、
まあ、日本以上にリベラルですし、そこまで顕著ではないですし、
まあ、むろんさんも南米で体験したと思うんですけど、
別に企業内でのそこまで親分かんもないですし、
まあ、僕は、あくまで僕はなかったし、
上司とはどちらかというと、もっと健全な友情関係に近いことになるし。
南米については僕ちょっとよく分からないところがあって、
大使館にいたから、大使館の経済を担当している人たちの分析では、
それコロンビアなんですけど、コロンビアはやっぱり親分子分関係の社会、
例えばバランキージャとかサンタマリアとかカルタヘヌって言われる海岸諸都市があるんですけど、
公安都市なんで、経済的にもまあまあ。
ボゴタって山の上にある、諸都のボゴタは山の上にあるんですけど、
海岸の方が先に植民が始まったところなんで、
ある程度発展してるわけなんですよね。
で、各町というかディストリクトに一族がいて、
その一族が地方経済の会社も持っているし、地方議員も持っているし、
知事も出しているし、で、国会議員も出していて、
で、国会議員がやっぱりボゴタの国会で折衝して、
自分たちの利益を持ってくるっていう、
そういう社会なんだという分析を聞いてたんですよ。
で、最近コロンビア人の研究者と話したときに、
でもコロンビアはどっちかというとそういう社会じゃなくて、
ボゴタにものすごく中央集権化されていて、
地方の特色とかがあまりない社会だみたいな話をしてたから、
この2つの分析がめちゃくちゃ対立してるんで、
僕が言ってることが別に正しいとは思わないんだけれども、
僕はやっぱりどっちかというと、
南米は親分子分関係の社会なんですよね。
ありそこだね。
ありそうだね。
なーと思ってますね。
面白い。
なんていうかな。
意外。
喧嘩の強い地元の兄貴分がいるかどうかみたいな。
へー。
まあ、なんかその治安の悪さとかとも関係しているのかもしれないですけど、
その僕、コロンビアで強盗に会ったとき、
強盗は捕まらないもんだから当たり前なんですけど、
ずっと捕まらなかった。
携帯の追跡情報とかずっと出てたのに、
別に捕まらなかったわけなんですけど、
当時コロンビアのとき仲良くしてた友人の身内がやっぱ強盗にあったっていう話をして、
で、それしばらくしたら携帯の画面見てきて、
携帯の画面見たら血だらけの男が映っていて、
これ何?って言ったら、
あの、私の妹強盗したやつって言われて、
どうしたの?
いや、私の昔の恋人がフッドの親分だから、
まあスペイン語だとバリオって言いますけど、
ブロックの親分だから、
なんか特定して捕まえたらしいんだよねっていう話をして。
へー。
それなんか10時間ぐらいだったんですよね。
警察は一生捕まえないけど。
最先端のGPSの追跡技術や、
エアタグのようなテクノロジーよりも解決が早い。
早い。
で、国家権力は何もしてくれないけど、
フッドの兄貴分は問題を解決してくれるみたいな。
それは親分につけますな。
地方の話をされてた、
九州の話もされてた。
その暴力の気配があるかどうかと、
共用みたいなのを結びつけて前回語ってたのと、
イコールで言うと南米のその仕組み、
小集団の仕組みっていうのは、
なんかその話にも近いかなと思いつつ、
とはいえ多分今の日本とか欧米と言われてる、
菅田さんの言った欧米のようなものっていうのは、
その暴力装置を使った統治っていうものっていうのは、
できるだけ普段の中に存在させないっていう中で
作り上げた構造だったりするから、
多分その中での親分、子分だったり小集団、
それとダンパー数内で収まる範囲の親分、子分の関係。
親分っていうのは大きい権力に対して利益を持ってくる存在みたいな、
なんかそういうのって、
日本と欧米違いあるのかねっていう話を見てみたりとか、
じゃあ今僕らってそういうのの何か所属してるかねって話だったり、
あとここから先そういう小集団、親分、子分関係みたいなものが
うまくいく方法があるとしたら何かねみたいな話を、
ちょっと多分後半戦、話していきながら。
もう一個やっぱ作りたいのが、
エリートとかの振る舞いによって起きることもそうだし、
うまくアジャストできた人がやっちゃうことでもそうなんだけど、
そうすると小さい母集団の塊がいっぱい生まれていくと、
そこからパージされた存在っていうのが必ず生まれる。
で、その人たちへの眼差しやケアっていうものも全部含めて、
ようやくそれがいいねって言えるんじゃないかなっていう。
だからそこを僕は透明な存在って言うんだけど、
やっぱり結婚にしろ恋愛にしろ家族にしろ会社にしろ、
なんか集団を作っていった時に必ず生み出してしまう見えない人っていうのを、
で何なんだろうっていうところまでちょっと後半、
ちょっと話したいので、ちょっと引き続きでそれやっていってもいいですか?
はい。
58:22

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