ゆる言語学ラジオの水野さんから、彼から一冊の本を勧められて、それがDavid MarksによるStatus and Cultureという本をリファレンスとして教えてもらったので、そこから引用しますね。
高ステータス集団は、平等と友愛と自由という理想をものともせず、大衆の選択と価値観と物の見方に大きな影響力を与える。
これは後財の話だよね。財としてネガティブな面で高ステータス集団を腐すことは可能ではあるのだが、後の部分、言うてもやっぱりそこの影響力というものに大衆というものは影響されちゃうよね。
なのでちょっとそこを今3社の立ち位置からもう一回進めていきたいんだけど、じゃあちょっと今回は司さんに質問したくて、司さんはヨーロッパで教育を受けて、そこからいわゆる工学歴と呼ばれるキャリアを経て、社会に出たのでいくとコンサルっていうとこからキャリアスタートしたんだよね。
そこから今現在、多分クリエイティブに携わるところに来たと思うんだけども、まずそこの理由って何だったのかちょっと簡単に。
そこまで何をしたいかに向き合わなかったせいで、大学生活、高校大学生活、大学院生活の時にちゃんと自分の将来に向き合わなかったせいで、良くも悪くもその工学歴ルートを取っていると、その人たちは気づいたらコンサルにいるんですよ。
まあ今のキャリアでいうと、一番スタンダードな形だよね。
本当に、なんなんこれってぐらいそうですね。
かつては勝者だ、勝者に、勝者官僚を選んだ。
日本だったら勝者、なるほど。
普通にストレートに何も考えずに工学歴になっちゃった人ってコンサルに行くっていう話。
まさにそれで、それの恥ずかしいことに一人のメンバーで行きました。
最初は楽しめたんですけど、まあ1、2年経って、なんこれみたいになったんですね。じわじわと。
で、まあ1、2年目からキャリアチェンジするんだろうなっていうことになって、
コンサルってすごい社会的地位は、特に日本ではすごい社会的地位が高く感じるんですけど。
だから無条件でさっきの僕の引用でいくと、高ステータス集団という人に属することができる。
能力の有無に問わず。
まさにで、なのにそんな別に大したことしてないってすごい思うんですよ。
もちろん何千何万プロジェクトの中で、数プロジェクトはもう国家をレベルのすごい大事なプロジェクトは全然あります。
コンサルをでかく見たら、めっちゃ大事な業界でもあると思うんですけど、
1個人のコンサル従業員としたら、全部ちゃんとやろうとしているはいるんですけど、
別に何の結果にもつながらないプロジェクトの方が多いんですよ。
で、多くはほとんどデリバリーまでいかないんですよ。実現までいかないんですよ。
まあ良かったね、この戦略ね。ちょっとインターナル企業、クライアントの企業内でちょっと相談しますで終わるのが一般的だし、
別に実装しようとしても上手くいかないのが大半だし、
ってところでなんなんこれみたいになって、で、かつ僕の同僚とか見てると、
まあいろんな理由ありますね。それにうぬぼれてるっていうんですか、
うぬぼれてる、うぬぼれているそのステータスに、
金もいい収入だし、いいステータスだしっていう、
でもいやお前何もやってないじゃん、僕込みお前何もやってないじゃんっていうのは僕は捨てれなかったんですね。
で、もう一つは普通にセンスの無さっていう超主観的なものですけど、
それこそ文化的資本の話になっちゃうんですけど、
僕から見たらなんかセンスなみたいな人がに囲まれて、それもなんかすっごい辛くて、
で、あのキャリアチェンジを心をやりたいってなりました。
で、まあこの作家キャリアチェンジした人ってめっちゃいるんですけど、
なんかみんななんか、僕はするとしたら、せっかくするとしたらこんなご収入になるんだったら、
逆になんかそれをキープするっていうよりかは、そのステータスとその収入をキープしたいというよりかは、
本当になんか実に興味あるものかなり、かなり犠牲をするとしてもやりたいなっていう、
それがいい悪いはわかんないです。今自分でもちょっと不安なところなんですけど、
まあそれを選択を選んだっていうところで、それに至って今は建築事務所で働いてるっていうことですね。
高ステータス集団から外れるっていうこと自体に対する恐怖とか、
自分のなんか尊厳が失われるみたいな、そういう感覚っていうのはなく。
いや、もちろんありましたし、すっごいもう自己開示なのに超キモいんですけど、
それが怖くて、最初にフランスで役船長いたんですけど1年半くらい。
で、いくつか転職して、最後は日本のBCGのBCGXっていうところに所属してたんですけど、
なんかそこまで戦略的ではなかったんですけど、おそらく振り返ると恐怖があったからこそ最後は、
最後はメンバリーマルBCGにいたら何とかなるかなみたいな感覚がすっごい超ありました。
そこは意識はしてましたね。で、やめて、恐怖はありますけど、
でも今思い返してやっぱり、生きていけんのかどうかのほうが恐怖のほうがでかいですよね、正直。
ステータス動向よりか。
だから、実存を問われてるってことだよね。
いや、そうですね。
日々。
いや、もちろん。もちろんそれを防ぐためにお金とか貯金とかして、で、大丈夫っていうのはわかってても、
やっぱりね、聞いてる人たちはそれを、僕じゃない人たちはそれを理解しにくいかもしれませんけど、
僕は個人なんで、感情があるのか、まあ心配はしてます。
ムロさんってキャリアチェンジをしたっていうような実感とかって、今の立ち位置ってあるんですか。
経営歴からすると、いわゆるアカデミアのど真ん中にいながら、
そこからいわゆる、まあ明確な官僚ではないんだけども、その国家に関わる仕事としてコロンビア、
コロナも含めて海外封印している状態から、今って要は寝なし草的な、
哀れみを拾って生きてます。
哀れみ、霞みも食わず、哀れみを拾って生きてます。
哀れみを拾って生きてます。
今そこの、今の立脚してる立ち位置に留まる、いるにあたって、キャリアチェンジをしたっていうような自覚ってあるんですか。
あんまない、落ちこぼれたという感覚はありますね。
安定を失っている状態が今だとしたら、安定を失ったっていうのを自ら選んだのか、それとも他者によってそうさせられたのか。
安定を失うという決断は18歳の時にしたっていう感覚ですね。
研究者になりたかったんで、研究者は食えないってことはもう分かってたんで、
だから安定しているところから不安定なところに行ったという感覚はなく、不安定なところをやってみた結果落ちこぼれて、不安定な上に何者でもなくどうにもならなくなっている。
本当生存の危機に晒されてますから。
で、僕が今の話を始めた理由なんだけど、僕は常々発言の中で言う一つの基準として、僕は世の中に風俗的なたしなみと文化的なたしなみっていうのを二つ分けてるんですよ。
風俗っていうのは僕の言い方だと、今ここのためにする人の言動、行動、たしなみのことを言っていて、文化っていうのは過去から引き継いで未来にバトンタッチをするっていうその結節点にいる今の存在としての行動やたしなみのことを言っていて、
人は何を選んでもいいし、明確にどこか分けられるものではない。
当然文化に立脚してるって言ってる人にも風俗的な、やっぱり日々生きてきたり、今を生きるために風俗的な言動をすることもあるので、
0、100で分かれるものではないんだけれども、じゃあ自分はどっちの立場なのかっていうものが分かった方が多分今って行きやすいなと思ってて、
前提として消費者とか消費者クリエイターとかプロフェッショナルって言い方はしたんだけど、どの立場でもいいから、
自分が文化的な行動をする人間なのか風俗的なことをする人間なのかで、どっちを選んだ方が自分っていうのは喜びを得られるのかっていうことを自覚することだなと思ってて、
で、僕はさっき代理店っていうものを像をしてたのにもつながるし、さっきの司さんのそのコンサルの現場の話を聞くのにもつながるんだけど、
僕は常にエリートに対する態度が厳しい人なんですよ。
なんでエリートがこんなに使えねえのとか、エリートが無能なのっていうことに対して異常に僕は攻撃をする人なんですよ。
で、その点でいくと、やっぱさっきエリートが気づいてないっていうことに対する話に今持ってきたからこういう話してるんだけど、
さっきのステータス&カルチャーの引用からいくと、高ステータス集団は大衆の選択と価値観と物の見方に大きな影響力を与える存在にも関わらず、
能力を持たず風俗的な生き方をし、自分たちの結果責任っていうものに責任を取らずみたいな行動をすると、
あなたたちの行動が大衆や国家に対する悪影響を及ぼす存在になってるんじゃないのっていう意味で僕はエリートに対して厳しいですね。
で、つかささんがコンサルの現場を見てなんそれってなって、いわゆるクリエイティブって言われるところに入ったってことは、
ある意味富を得たいんだったら絶対やっちゃいけない行動だったわけじゃないですか。
僕はもう実感としてあるんだけど、世の中においてクリエイティブって最も価値の低いものとされてるとすら感じるというか、
形状は褒められるし尊敬されたり羨ましがられたりするんだけど、じゃああなたたちはその言葉通りの富っていうものを分配してますかって言ったら、
さっきの代理店の話で言ったら、なんかの予算がついたときにもう無条件で8割代理店が抜いて、
で、子受け孫受けっていう現場には0.5%ぐらいしか予算なんてこないんですよ。
で、そこで最も膨大に時間に向き合うのってクリエイターなんですよ。
で、そこでクレジットされるのかされないのかっていう支配も別に自分たちはできないんです。
あっ違う。
向こうサイドがやることなんですよ。って考えたら富を得たからこんなとこ来ちゃダメなのに、
なぜステータスのすかずさんはクレイティブっていうものに離脚しようと思ったのかまた改めに聞きたいんです。
一つこれは超個人的な話で、なんかすっごい抽象的なことをやっぱりコンサルはやるんですね。
その実装可能性はまだ遠いものに携わってたもので、
なので戦略とか計画とか数字とか分析とかをするので、すごい抽象度が高いものを扱っていたことによって、
その一方で建築っていうのはすごい高校生の頃からうっすら興味あったんですね。
なんかいろんな数学的な構造的な話とかもありつつ、その美的衣装的な話もできるっていう、
そのミックスがすごい興味あって、でかつ抽象的の正反対、超具体、超実存みたいなところに興味を持って、
で、いろんなことを検討しながら、そこは自分に埋もれてますけどなんかロマンを感じて、
そういったことをやりたいなみたいな、挑みたいなっていうところで建築を選んだので、
ちょっとその実在するとか具体的なものに携わりたいっていうのはたまたまめちゃくちゃ今リンクしてるなとは思いながら聞いてましたね。
抽象の正反対だなっていうのは、今も仕事しながら痛感しますね。
で、そのマインドセットのチェンジがいまだにまだ設定調整中だなとはすごい思います。
なんか明らかに、例えば床材のサンプルをいただきました、そんなのやれよって話に突っ込まれるかもしれないですけど、
僕1ヶ月、2ヶ月目だったら、まあ届いたなって終わりだったかもしれないですけど、
一つの動作であっても床にOKみたいな話で、そこでどうなるかは見るべきなんですけど、
そういったなんか抽象的なことをしすぎちゃってとか、まあ性格も自分の問題もあるんですけど、
そういったマインドセットチェンジは大事だなっていうのをいまだに思ってます。
まあでもそういった理由で。
で、今実感としては今のキャリアを進んでることに対する喜びっていうのは過去に比べてると増してるんですか?
いや、もちろん。幸福度は。ただなんか難しいのがなんかそこはどの評価軸でその幸福につながってるのかちょっと自分では分析しにくいんですけど、
なんかアイデンティティとか属しているところとかにも関係あるかなと思います。
単純にやりたいことに携わってるっていうのは第一、理由。
すごい毎日なんかすごい大変な時もあるんですけどなんか成長してる感覚とか、何かやりたいことをやってるとか、
ファスト教養を求める人たちみたいなことかなと思う。
ショート動画とか部分的にはポッドキャストのアレンジゲームもそうだと思うんですけど、
地というものを人間の営みから何か切り出して、それを何らかのスキルセットのような感じで自分にトランスファーすることが可能で、
そのバッジっていうのをつけておけば、自分がその階級に入れると思っている人たち。
めっちゃ面白い。
でさ、今僕らの言ったその仮想的な設定の人ほど、現代って富が集中しやすくはなってる。
まあそうですね。
要はフォロワー数っていうものと経済っていうものがもしイコール、すごく親和性が高くなってるんだとするんだけど、
すごく富を集めやすくなってる。だからその富が集中しやすい。
イコール僕らのような方の分配が減るという意味では仮想的だと思うんだけど、
えーとね、僕は露骨にそういうものが起きやすい現場なんだけど、対立する気はないんだよね。
あの持ってきゃいいじゃんと思ってるというか。
でそれによる富や名声っていうのは他者が持てばいいし、あと実際僕のやったことの結果の、
で何を表して欲しいかっていうと引用数なんですよね。
アカデミアの世界って論文っていうものってまあそれなりの人がある一定の能力があれば論文は提出できるじゃないですか。
でまあ査読がついたりする中で、僕の外から見た印象だと論文の評価って引用された数なんやな気がして。
その人の論文っていうものがその未来の他者の論文の中で引用されたかどうかだと思ってるのと同様に、
僕の世界クリティブ世界って一時ソースとしてどんだけパクられたのかっていうのがある意味評価だと思って。
富と名声とはまた全く別な、逆に見えない評価だと思って。
文化的な価値のあるものを作った人って風俗的な現場でパクられるんです。
その引用数だと思ってて、僕はすごくそれが多いので、自分でやったことっていうのはすごく誇りを持ってる。
その代わり僕っていうのはそのクレジットも載せないし、だからなんかそういう守り方というか境地を持ってやったんだけど、
何を言いたいかっていうと、僕の力がもし優れているんだとしたらそれは公共のために使うべきだと思ってるからこそ、
自分にリターンを集めない方がいい。
ってことは文化的である、名もなき人として文化の結節点にただいた人、
たまたま僕っていうのはギフテッドとして能力を持ってしまったので、その役割をすべきだ、その文化史のために、みたいなことを考えているので、
僕に富を集めるぐらいだったら、風俗側に富っていうのは分配された方がいいっていう生き方をしてるんです。
なんかそうやってバランスを取ってきたんだけども、とはいえさっき言ったように日々の生活っていうのがあるから、
NPOじゃんって今聞いてる。
そこでやっぱりいろんなからくりやいろんな抜け道や、お金と言ってないんだけどお金っていうものがある仕組みっていうのは、
人以上にオリジナルに考えなければいけないんだけども、基本的な振る舞いとしてはそういう考え方をするんですね。
なんかそういう意味で、もろさんやつかせさんはさっきの言い方で言うと、風俗側に立脚してると感じるか文化側に立脚してると感じるかだと実感としてはどっち?
何にも貢献してないって感じか。
文化にも風俗にも。
何にも貢献してないし。
それは謙遜とか全部抜きにして現象だけ見ても。
それは違いますって。
流れ者の権利みたいな。
でもさ、研究者を18で志したってことは、研究者として何かを残すっていう欲望や責任みたいなものっていうのを感じて生きてきたわけじゃないですか。
そうですね。で、その結果僕論文書くの好きじゃないんだって思ったから。
論文と違う形のクリエイトをするっていうのはいつ頃感じたんですか?
いやクリエイトしてる感覚ないですね。
だから本当十分なお金があれば何にもしないと思います僕。
そっち派だ。
作ったりとかもアウトプットとかもしたりしないと思う。
たぶん喋るだけで十分でこういうことを考えたんだよねって言ってわー面白いってなったらたぶんそれでもう十分。
だから全く何にもアウトプットしないとは思わないんだけど、
でもその文化認識するために100年後のためにこれを書いとこうみたいなのもあんまり思わないし、
めちゃくちゃ受けたいからこれを出そうみたいなのもあんま思ってなくて、
なんか思いついたっていうのをたぶん誰かに話したいっていうただそれだけで、
思いつくために情報を摂取したり何かあちこち行ったりとか人と話したりとかするけど、
ただそれだけ。
でもたびたび大学時代の本誌というか師匠っていう言葉を使ったりとか、
今のジャンルとかを含めるとなんか系譜にいる存在っていうのはムロさんから外れてるようには感じないんだけど。
だからあれですよね、聖書に出てくる宝刀息子みたいな。
聖書の中で宝刀息子の機関っていう話があるんですけど、
あるすごくよくできた男の人のところにお兄ちゃんと弟がいて、
弟はもう出気が悪くて家を飛び出して帰ってこないと。
帰ってきた息子がある日もんなしになって帰ってきて、
それをすごくお父さん還元したら、
お兄ちゃんがこんなやつなんで還元するんですかって言ったら、
名簿の中にいる人の方を授業しないといけないみたいな話をするらしいんですけど、
キリスト教の神を恐れた人っていうのを授業しろっていう、
そういう物語なんだと思うんだけど、
多分古代の中東の感覚から言うと、
そういう困ったちゃんいるよねっていう話だと思うんですよ。
いろんな人にいろいろ育ててもらって、いろいろお金も払ってもらって、
いろいろ教えてもらって、いろいろやったんだけれども、
本当息子だなって自分のこと思ってません。
その感覚僕もありますね。全然あります。
どういうところが近い?
プロセスは全く違うんですけど、
結果的にそう思ってしまうっていうのはすっごい近いんです。
教育費めっちゃ出してもらって、
いろんな希望と願望と夢を抱き、
ちょっと強い言葉が相手じゃないですけど、親はそう思いながら、
知ったら大企業は入って、
で、今なんか新卒1、2年目みたいな感じになってるから、
自分の幸福度を優先するべきだとは思うので、
もう一つもそんな気持ちはします。
要はその環境や親から継承したものがあるっていう実感はあるんだけど、
それを未来に引き渡すための文化人としての何かができてると思えないっていう話。
でもさ、お二人の言動から見ると、
このディスタンクション的なものだったり、
エリティズムが室さんはあるって言ってたりすると、
何か知らぬ戦いっていうものは、
要はステータスの獲得っていう意味なのかどうなのかともかくとして、
何かの戦いに参加してる人には見える。
確かに。
何もしてないと言いながら。
室さんに対しては僕もそう。
現状は生存ですよ。
でも確かに。
生存をするなら18歳の時の選択を反省して、
生存のために180度の火事で起きるっていう手もあるじゃないですか。
いい攻撃です。
確かにね。
ちょっと思いっきり分かったけど。
リングに上がるっていうことが、中毒性があるから上がってるようには見えないというか、
何かの矜持やプライドっていうもののベースに、
あなたはリングに上がってるように見えるんだけど、
もしそれがなくてリングに上がってるんだったら、
普通にすぐ降りて、
何かそれこそ風俗的なお仕事をすると思うんだ。
確かに確かに。
そういういわゆる生存含め、
三大欲求的な欲望は室さんはすごくある人には見えるので、
そこを満たしたいんだったらリングから降りて、
風俗な場に出るみたいな方が、
これだけの賢さを持ってる人なら、
スマートな選択としてすると思うんだけど。
え?
僕できるものならやりますけどね。
めっちゃ具体的に言うと、
就職とかですよね。
就職とかもそうだし、
もっと風雷棒的な生き方の中では、
日々暮らすとか日々の欲望を叶えるのに、
すごく富を集めやすいところにスイッチすると思うし、
僕はそういうのが上手い人がコンサリア大抵にいっぱいいると思ってるし、
そういうこと今、外資をキャリアホッピングしてるようなやつはほとんどそうなんで、
クビになっただけなのに、キャリアチェンジして、
バリュー上がって、数百万ずつ年収上げてターン1するみたいな。
いやだからほんと偉いなぁと思うんですよ。
生存に対する感覚があるというか、
生き延びていこうとしてますよね。
そっちの方がってこと?
なんていうのかな、やっぱそこのところ僕はぼんやりしているというか、
恋のエサやりをしながら大きくなったというか。
そこはハングリー精神がないのか、もしくはそこに裏に何かの自分のフィロソフィーか、
自分の理念があんのかがちょっとすごい気になりますね。
僕は自分ではあんまりないと思ってます。
そうなんですね。
でも前前段で言ってたエリーティズムって、
その室さんがどこにはまってるピースなんですか?
エリーティズムというのは、受け継いだものがあるので、
受け継いだものに対してお前エリートだよねって言われたら、
はいって言おうっていう感じですよね。
じゃあ他社からの評価のエリーティズムかもしれない。
あんまり自分がエリートと思ってない極潰しだと思ってるので。
いやでもさ、前回だと室さんの発言だと、
思んない人とは関わりたくないっていうお話の演奏でエリーティズムを言ってたんです。
だからそこの思んない人ってことは、
そこに技術や能力の優劣がある多分判断だと思うんだけど。
そうね、美的判断がありますね。
はいはいはい。
美的判断はあります。
はいはいはい。
美的判断があって、
この間ね本当でパッと思いついたんだけど、
なんかよく人間とこじれますよねみたいな話を友達にされて、
でその時具体例、具体例を出すとその本人に届くか悪いか言わないんだけど、
言ってこうこうですよねみたいな話をした時に、
なるほどなー。
おもろ。
そっか。
いや、そこが面白さでもあると思うんだけども、
でもなんかムルさんからそこをもっと引き出したいよね。
なんかすごい。
プライド、美のお話はしたけど、なんかもっと根源的なプライドみたいなものを選んでそうな気がする。
か、勝手にそれをそうしてるのかが気になりますよね。
そうですね。
まあそれは結局、美的センスというより快楽の話だったけど、
なんていうかな、さっきの地をバッチにしてる人はやだなみたいな、
どっちかというと美的センスだなと思っていて、
やっぱこの21世紀のこの時空だとその切り分けて、
分かりやすくしてそれをどんどんマネタイズした方が良いわけで、
良いなと思ってるんですけど、
なんか僕の感覚からするとそれってすごく植民地主義的っていうか、
まあ研究者なりアカデミアの人たちっていうのはこれまでやってきたことがいろいろあるわけで、
その成果みたいなものにそのやってきて、
で、お前たちは社会に何も還元していないと、
で、何の経済的利益も生み出されないと、
で、私たちがそれを社会に還元しますといって成果を持っていって、
それをバラバラにして本来の文明から切り分けて、
で、それをお金にしてそれを儲けて、
で、その研究者に対してはお前たちは金を稼ぐ能力がないのであるから、
これぐらいで満足すべきなのであるっていう、
その儲けからすると非常に小さいお金を渡すみたいな、
そういうこうめちゃくちゃ植民地主義的なことをやってると思うんですよね。
だから双方をバカにしているのに双方からの上がりを取ってるっていうのを、
だからそれを買う人たちもバカにしてるわけですよね。
こいつらこのもん買い上がってと思って、
で、それを生み出してる人たちにも、
こいつら金を受ける能力ないからなってやってる人たちがいるなと思って、
で、これをやってる人たちが非常に素晴らしいことをやってるといって、
そのバッジをみんなで買っている人たちっていうのは、
なんかやっぱ何のために生きてるのかなみたいなすごい思うから、
であれば、極潰しであるという自覚を持ったらいいじゃんみたいな。
逆だよね。
僕も極潰し、あんたも極潰し、あんたもお金を稼いで、
余裕しょうもないバッジを買ってお喜びしてる極潰しなんだから、
社会に難羅してするところのないという意味では同じなのに、
なんか室さんは極潰しだからなみたいな感じで言ってくるから、
面白いですねみたいな。
だから共通して、
悪を行使する存在であるってことを認めろって話だし、
その悪を行使するのが自分のためなのか、
公のためなのかっていうもので今分かれているとみると、
室さんの仮想的っていうのは、
悪を行使しながら自分に利益を集中させておいて、
かつ他人を悪だと断定してる人たち。
ぼうやけのふりをしている人たちはやっぱ悪いやつらだなと思いますよね。
最悪の発想なんですよ。これをショート動画にしたいです。
まだ言い方が難解だったんじゃない?
さっきの本からの引用でもう一回ちょっと引き直すと、
エコシステムの終焉部で複雑さが押し進められるようになると、
どの文化も豊かになるっていう言い方をまずしてるんですよ。
その次は、少数の白色な観客は難解な芸術を楽しみ、
その簡略版は学識の浅い観客を魅了する。
複雑な作品は長く生き延び、
後のエコシステムに貢献し、
天才が出現する可能性を高める。
と、さっきの本では書かれていて、
これが多分風俗と文化の話だと思っているんだけど、
僕らのこういう話って難しい話をしている
自己満足な厄介な存在と、
ある人からはされる可能性もあるじゃないですか。
でも僕らは多分この言葉を使っている理由があり、
こういうテーマを扱う理由があるっていうので見ると、
おそらく僕がそうだからかもしれないんだけど、
僕は文化的な会話もしたいし、文化的な行動もしたいので、
よりここの書かれ方でいくと白色な難解な芸術を楽しむんですよ。
決してその簡略版によって観客を魅了して、
自分に富を集めるっていうことには興味がないので、
おそらく複雑、難解な話をすると思っていて、
ムルさんやつかささんって、
おそらく本を読む難しい話っていうのを意外と好きな、
もしくはすごく好きな人だと思うんだけど、
そこに関して周りとのギャップって何か感じることあります?
めんどくせえこと考えて喋っちゃう人だなっていう自覚と、
あとそれによってハレーションって日々あるなとか。
僕は別に書く人とはしてないんですけど、
僕全然本読まないんですよ。
言ってる言ってる。
僕全然本読まないし、読むのがめっちゃ苦手で、
死ぬほど苦手なんですよ。
で、理系だし、本当に文章を読む習慣がなくて、
僕、ポッドキャストより本当救われてるんですね。
耳から。
耳で、それがいい情報の接種の仕方かどうかよくわかんないんですけど、
ほぼすべて耳からで。
かつ、それは一つの情報。
もう一つが、今の質問を答えると、
感覚的にですけど、お二人よりかはその感覚が強いかなって思います。
いや、そんな考えたって。
何がしたいの?みたいなのはよく思います。
で、リスペクトするような人でも思っちゃうこともあります。
で、すごい変なこと言うと、アポカリでも思います。
何だっけこれ?みたいな。
何だっけ?みたいな。
っていうのがあるんで、全然それはありますね、個人的に。
でも一方、つかささんが日々見ている、
音楽だったりファッションだったりみたいな、いわゆるカルチャーと呼ばれているものに対して、
しゃばいセルアウトしたものっていうのを見下すみたいな発想はあるでしょ?
もちろん。
で、そこに複雑性なものがあるものとか、新規性のあるものとかっていう、
そういう何かを、文化をステップアップさせたり前に進めるための基準みたいなもので見ている。
でも確かに無意識にはすごいそこは、
もうなんか、ティンダーとかバンブルでレフトライトのように、
いろんなコンテンツが出てきて、風俗的、文化的、風俗的、文化的って自分なりにできる感覚はありますね。
その見てるモードも、なんか脳の裏でなんか、今しゃばいの見てるなっていうのはすごいありますね。
別にそれが悪い、今から言うコンテンツが悪いとかじゃなくて、
それを楽しんでる自分が今いるみたいな感じで、
ソシナを見たり、シュワーボー、レオジャザフードボール見たり、
水曜日のダウンタウン見たりの時はなんか、しゃばみたいな感じで、
でも、あーおもろーみたいな感じもあるし、
でも例えばなんか、もうちょっとドキュメンタリーみたいだとしたら、
なんか、いいものを説明してるなみたいな感じを見ながら、なんか見たり。
その基準の時って、いわゆる大衆的であるかどうかのしゃばいじゃなくって、
ムロさんが言った、知識を簡略化してバッチをつけて、
そこの成果だけを得たようなものってクリエイティブサイドにもあるじゃないですか。
流行りっていうものをトレンド作り出されたものに対して、
より最適化されたものだけを表面上だけパッケージングして、
大衆に瞬間的に力を集めて富を集めるみたいな、
行動する人もクリエイティブいっぱいいるじゃないですか。
そっちのしゃばいっていうのに対する目っていうのは厳しい。
ムロさんとの意見で、もしかしたらちょっと違うのが、
クリエイティブのコンテンツであるない関係なく全てのコンテンツにして、
そういった地位を丁寧に扱わないこと自体に対しては、
そこまで僕は兼用感はないです。
そこは一つの、ある意味のエリチズマが思ってます。
一般の方とか庶民にそういった情報が流れ込むには、
そういったコンテンツタイプは必要だと思っているんで、
そういった視点があるからそこはネガティブとはしていませんでし、
そういうふうに簡略化しているコンテンツをかなり多めに摂取する方です。
所詮本読まないんで。
うん、かなと思っていて。
だからあんまり文化か風俗かみたいな評価軸で世の中を見てないかもしれず、
ただなんていうのかな、僕は竹林の七軒の話が好きで、
原石という人がいるんですけど、
この人って気に入った人が来たときは普通に黒目、
当時の言い方じゃ青目って言うんですけど、青目で見ていて、
気に入らない人が来ると白目で対応したっていう、
こう目グイってやって対応したっていう小字があって、
これが白い目で見るっていう語源になってるんですけど、
結構やってるなと思うんですよ、僕これを。
だから僕は話が通じる人っていう言い方をしてるけど、
僕に白目向かれてる人は多分話が通じないから、
僕の方でも選別が行われている。
だから相手の能力とかではなく、
なんか僕が勝手にやってるみたいなところがあるから、
なんかそれ客観的に良いとか悪いとか言うの、
本当良くないと思うんですけど、
ただなんかそういうのはあるなとは思って。
あの以前さ、品の話をしてたときに、
その公共に対しての態度みたいなものを
室さんと品の話でしたと思うんだけど、
今の室さんの語りって、
自らの実存においての立ち位置や、
選択をするときの基準っていう意味では聞けたんだけど、
なんか室さんが公に何をするのかっていう欲求に対しては、
なんかのらくらかわされてるっていうのをずっと感じていて。
公に?
そう、そういう今の社会的規範においては、
美も含んだスタンスを得てる室さんは、
公に対して自分はどういう存在だっていう感覚を持って生きてるのか。
公に対して自分をどういうふうに打ち出していきたいかって感じですか?
どういうふうであるかってこと?
そう、他社に対してはすごく明快な基準を持って語ってるように聞こえるんですよ。
得た値を語るときに。
室さんの立脚してる場から、
室さんの生き方において公に対してどういう振る舞いをしようと思って生きてる人なんか。
文化的系風にもいないと言っていて、風俗ってことも言ってない。
でも自分にはこういう欲求のためにやってる。
じゃあその室さんっていうのは社会と公とどういう接点を持って生きてる?
あんまりモテてないなって感じはするけど、
でも結局津田大輔さんのポリタス館に出してもらわれるじゃないですか。
出してもらった時はここは公だなっていう感覚がすごいするんですよね。
だからここは公だっていう時にそこで僕は、
どっちかというとリベルナ知識人として見劣りしないことを一生懸命喋ろうとするっていう態度はありますよね。
フェミニズムに対して理解がある態度。
貧しい人たち、弱ってる人たちに対して理解ある態度っていうのは取ろうとしますよね。
それは公の人としてみんなが見てるから公の人である時にそのように喋るようにしてる。
そういった意味での公に対してどういう態度を取りますかっていうと、
僕の政治性みたいなのがあって、この政治性を全面に押し出して基本的に喋るようにしていて、
その時にはメイチカロさんが言うところの風俗側のメディアから依頼されても多分僕は出ると思うんですね。
出るし、お金ももらうと思うし、風俗側の仕事が来てもやると思うんですね。
やるけど、やるところで僕は公の人と喋って、
なんか違うなって思われて次から呼ばれないみたいなことが起きるだろうなと思ってやってるっていう感じですね。
それは彼らが求めてる、こうやったらみんなに受ける、こういう風に喋ったらいい、
室本さんをこうしたらこういう風に当たるっていう意図はある、分かる。
多分そうしたらいいんだろうなみたいなのは分かるんだけど、それはあんまり意図に乗らないことが多いかもしれない。
なるほど。
それはどっちかで言うと、自分が文化の中に資するからみたいなのは無くはないと思うんです。
自分の先生の教えに背きたくないなみたいなのもあるから無くはないと思うんだけれども、
それがすごく広く公のことを志してやってるというより、
まあでもそうなのかな、やっぱ厚生素子寮を受けたくないなみたいな感覚でやってるかもしれない。
厚生素子寮、やっぱそれって家で引き継いだ、環境で引き継いだものがあるから、
厚生室越隆之助っていうことに実存が素子寮を受けるっていうことは、引き継いだもの自体も怪我されるみたいな、そういう意識はある。
室越隆之助個人で閉じてんの、それは。
どっちかと言うと引き継いだものなのかもしれない、個人もあるんですけど、
だからそれは僕の家というか家庭というよりは、小さい時に三国志が好きだったからだと思うんですけど、
中国の歴史観というか、古代の中国人の感覚って、自分が歴史書にどう書かれるかっていうことが一番大事だったらしいですよね。
僕もそれを考える。
だから今ここでパッと取って500万の仕事をパッと取りたい、取りたいけど、これをパッて取った時に、100年後にどう書かれるかみたいなことを考える。
その基準なのか、やっぱりそこはあれだよね、僕のクリエイティブとまたちょっと違うけど、なんか近い気がするな。
つかささんはどうその辺?
自分が離脚してる今の場所っていうのは分かったんだけど、それが公共に対してどういうスタンスを持ってると。
いやー、リピートになっちゃいますけど、僕がどういうイメージを出したいかっていう感じですか?
今のクリエイティブに結構なリスクを負ってクリエイティブサイドに来たつかささんは、
自分の作品を、要は自分の建築心の中に何かを残したいっていうようなモチベーションでやってるのか、
それとも単純な自分のクリエイティビティっていう欲求にドライブするための今の話なのか?
うーんと、自分のものづくりとか、そういう衣装的なものに携わってきてない身として、
そのスキル、その職能を成長したい、そして成長した喜びを得たいというモチベで、今現時点ではやっています。
じゃあそこよりは卓越してる言葉の発信?
おそらく今の建築家のキャリアで得ているスキルよりは、おそらくつかささんってパブリックから見たイメージでも喋るっていう大切な評価が今来てるじゃないですか。
そっちのサイドのつかささん、要はポッドキャストをやってるつかささんって、今の基準だとどこにあたる?
公に対してどの立ち位置にいると思ってる?
プライドは感じるんだよね。ポップだし、本を読まないっていう言い方でいくと、血をしょってる人には聞こえないんだけれども、何かしらのプライドや。
プライド、どう見せたいかで簡略化すると、普通に政治好きで、めっちゃもう恥ずかしいこといっぱいいますよ。
政治好き、センスある、カルチャーちょっと理解してる、言語得意、なんか素直だけどいい奴そう。そんな感じっすよ別に。
最高やないですか。
宇野さんから賛同を得た。
僕、つかささんが良かったな。
でも、することしないことの基準の中には、さっきの淡いの何かの選択はしてるよね。
でも、そんな宇野さんと変わんない気がしますよ。僕、相当ヤバい感じのもんじゃないと、僕何でもイエス言うかも。
まあ、でもどうなんだろう。確かにな、過去で何でこれ出たんだろうとかあるな。
さっき言ったセルアウトの話をしたくて、宇野さんはさっき風俗の場でも文化の場でも、
例えば500万円提示された時に、今美味しいなと思って受けるか受けないかみたいな、何かがあるんだと思うんですよ。
そうですね。
それって、どっち取ってるって話をしたくて、食うには困るぐらいの稼ぎに落ちるじゃないですか、クリエイトをやると。
その時って、目の前に差し出されるエサって、ビジネスの普通の現場よりはかなり安いエサで釣れるじゃないですか。
そうですね。
名声もしかり、何かの取材出ますかもしかり。
その時に、とはいえ選んでると思うんだよね。
いや選んでます。
今日あと6だっけ。
今日あと6です。
おめでとうございます。
自分に来た誘いみたいなものは絶対選んでるはずで。
そうですね。
そこの境地の、そこに俺ディスタンクションがあると思ってて。
なるほどな。
僕はもう圧倒的に、もう本当自分じゃないんですよ。
文化的に意味があるかないかだけで全て判断するので。
当然僕の側からお金が大量に出てしまう選択をすることもあるし、ほぼ入ってこないってこともあるしとか。
その意味だとあんま境地ないかもしんないね。
楽だなこの仕事みたいな感じで受けてることも結構あるんだけど、楽だなこの仕事と思って受けて、なんか妙なことさせられそうになって。
ずっと向こうの思い通りにならなくて、なんか怒られるみたいなのがあったりとか。
謎に。
みたいな感じかもしれない。あんまり何にも考えてないかもしれない。
多分ね、メチクロさんのいう意味での仕事と、多分僕が今受け取ってる意味での仕事が多分違ってて。
確かに。
多分メチクロさんのアレントが3つに分けてるんですよね。仕事と労働と。
労働と作業。
僕結構報酬が発生する系の仕事を全部労働だと思ってるから、あんまりそこに何かを持ってない。
で、自分の名前が出る時だけ、なんか妙なことさせられると困るなって思って、困るなって動いてるだけで。
これがどうなるかみたいなことを、あんまり思ってないかもしれないですね。
なんかそれがすごくいいことが起きますみたいに言われて、途中で嘘だってわかるとやっぱやだけど、
大抵わかるじゃないですか。初めに依頼された時に。
なんかなんだかなって。で、なんだかなーだなーと思ってやってるかもしれない。
そっかー。じゃあディスタンクション的な何かとして、自分の言論活動みたいなものをあんまりつなげてないか。
自分個人としては卓越しようとしてるけども、社会的に室越龍之介のブランドに関しては別に卓越みたいなものを意識せずに動いてるってこと?
意識せずに動いてる。なんかそれは僕の頭の中にあるから、そこで進んでいっているので、仕事は。
それが文化か風俗か自分で決めることができず、何か表に出た時に、いずれ歴史に判断されることだなーと思っていて、
で、ちょこちょこ出てるのっていうのは多分歴史に残らない仕事だから、どっちでもいい。
その軸が僕ら。僕らなさすぎじゃん。歴史とかなんでもないんだよね。その評価軸が面白い。
塚田さんはセルアウトするかしないかの基準はある人だよね?
ありますし、僕さっきの質問に答えるとしたら、僕はやっぱり高ステータス、どういった人たちにアソシエートされたいかどうかはめちゃくちゃそこは評価軸だと思います。
で、それがもちろん一緒に見られた、一緒の一枠で見られたいっていう人であればあるほど、何かやりたい、仕事受けたい。
で、その別軸で、例えば地とか、例えばカルチャーとか、例えばその人の努力とか、活動の素晴らしさとか、何かしら主観的なイデオロジーの強さとかがあったら、
母数とかを無視して、一緒にやらせてください、やりたいですっていう気持ちはめちゃくちゃ芽生えます。
でもそこはそこも主観的なんで、その人たちの態度をどう僕が捉えるかっていうところかなって思いますね。
今の活動、例えばラジオ屋さん本校みたいなものがスケールしていくみたいなイメージっていうのはあります?
その先で母数が増えていくとか。
いや全然あるんですけど、100パー僕らは3人ともその本業じゃないので、その程度でどうやって母数を増やしていくかっていうのはすごい意識してるとか、そうせざるを得ないんで。
別にラジオ屋さん本校一本で行きたいわけじゃないんで。
まあまあそうだよね。
そういった自分は見っくだすと思うんで。
あ、そっちにゼンブリしてる自分っていうのがいいんだなって。
増やそうと思ってるんですか?
増やそうでは絶対100パー思ってますね。
僕は自分がやってるラジオは全然増やそうと思ってないんですよ。
だから何の説明もなくネームドロッピングするし、これ聞いてる人何にもわかんないんだろうなって思いながら喋ってるんですよ。
それを美しいと思ってやってるか否かだとどっちなんですか?
ただ単に流れるままにやってるのを出すっていう、そこに何らかの美意識っていうものが入ってる。
僕が野ラジオを始めたのは一緒にやってるかえちゃんっているんですけど、僕の大学の後輩で。
かえちゃんの話面白いから、これきっと面白いって思ったんですよね。
でもそれが聞かれるか聞かれないかあんまり。
母数が増えたからといって別に言ってることがわかる人も増えるわけじゃないと思ってるから。
なんかその届けばいいなーみたいな、それは多分絶版になってる本とかも多分そうで、
全然誰にもリーチしてないんだけど、僕のところには書いたみたいな本ってあるわけじゃん。
文振りの本とかも多分そうだと思う。誰も持ってないんだけれども、
僕はここに何が書かれてるかわかるみたいなことって多分あると思ってて。
だからそういうもののために置いてあるっていう感じですね。
素敵な人間ですね。
スカスさんからはそういうふうに。
そう、みえちゃん。
いや僕、思想体的な評価ですけど、そういった話を聞くと、
わー、セルアウトに左右されてんな、うちらっていうのはすごい思いますね。
うちら、僕も。
いや僕は、僕自身はセルアウトしたいですよ。
全然その行動を取ってないじゃん。何も取ってないじゃん。
僕は風紀になりたいんで、飛びたいなーって思ってるけど、なんか飛べないなーって思ってる。
叶わぬ欲望であるっていうことを自覚しながらも、欲望し続けるっていうところをやってるっていうか、
そのゲームをやってるって感じ。
そういうことなのかな。これ僕が飛びたいっていうのは、念がらでね、
転がったまま誰かがマスカット持ってきてほしいに近いってことなのかな。
かもしれないですね。
じゃあナチュラルボーン貴族。
英達によって得るんじゃなくて、それが瞬間的に叶ってくる、状況として叶ってほしいっていう。
そうですね。で、叶わなければね、歴史に選ばれなかったってことだからしょうがないから。
出た、歴史。
ダザイオウサムの社用で、お母さんが、没落貴族の話なんですけど、
お母さんが没落していることを全然どうも思ってないみたいな話なんですよね。
なんかちょっと尊敬があるなみたいなのが。
このまま行くと死ぬなーって思いながら、何のアクションもしてなくて、やばいなーってずっと思ってるっていう感じ。
僕が冒頭、前回前編で述べた、消費者の才能って今のポイントにあると思ってて、
そのフィクショナルな欲望ってあるじゃないですか。朝角を曲がったらパンを食われた少女とぶつかって、
なんか、あと白馬に乗った王子様が来たらいいなみたいな。
フィクショナルな欲望に対して、夢という形や憧れという形や自己投影という形で、
それを望んで欲望して行動を起こすっていう人は、僕消費者としてすごく才能があると思うんですよ。
今のモロさんってすごく消費者としての才能がない人だなって。
消費者の才能すらないんですか、僕。
そう、同じ。
やばい、22世紀で生きていく。
フィクショナルな欲望を、すごくフィクショナルな欲望を持ってるのに、
それが叶わなくてもいいやと思いながら、そこに万全と立ち続けるって。
消費者としての才能なさすぎなんですよ。
買いに行けばいいからね。マスカット買いに行けばいいんですよ、自分でね。
そういう意味で行くと、メチクロとムロっていうのは近いステータスにいる。
消費者の才能だね。
確かに下手かもしれない。
一方、つかささんはフィクショナルなものに端的するような幼稚さはないんだけれども、
世の中のトレンドとか流れとか風とか地流っていうものに対する感度がすごく高い人だから、
そこのいいポジションだったり、いい距離感みたいなものを誰よりも取り続けていくと、
より消費者的なセンスがすごいあるなって思う。
でも確かに今のまとめ方をしてもらうと、そう見られたい自分もいます。
だから両方、マッチしてるのか。
すごく現代的だなって思う。
確かにこのステータスアンダーカルチャーは、
すごい現代をよく説明していることによって人気だと思うんですけど、
すごい響きますね。
かつてって消費者って、
物を購入することによってステータスを見せるっていうものしか得られてなかった。
スマホがなかったから、事故っていうものをアピールする場を持ってなかった。
だからより消費っていうのはお金の経済行為として結びついてたんだけど、
今って別にそういうのがなくても、事故、こう見られたいっていう姿って今言ったようなことができる。
まさに今言われたのすごいな。
まさにそれで、いい消費者って言ってくれたんですけど、
僕ほぼ消費しなくて。
文化にも恥ずかしいことにマジで消費してないんですよ。
Spotifyぐらいみたいな感じで。
経済活動の中にいる民としての消費者っていうものはやってないんだけども、
コンテンツを消費したり、
トレンドを消費したり、ミームを消費したりしながらっていう、
全体の風俗的な流れの中に参加するっていう時間っていう資産を渡すっていう意味での消費。
むっちゃしてるでしょ。
むっちゃしてます。まさにそれです。
モロさんはあんまりやってないよね。
積極的に世のトレンドみたいなものに乗っかるっていうことに対して、
時間っていうものをそれこそプラットフォーマーに捧げるっていう消費者活動。
あんまりしてないかもしれないですね。
優しいと思うんだよね。
入るも出るも自由だし、
そういう測られ方じゃなくて、
シンプルな富とか時間の消費、時間とか。
そういうの。
だから、やっぱその平等なゲームなんですね。
その平等なゲームだからこそ、
みんながそっちに流れていくし、
資本主義というゲームとすごく神話性がいいという。
そう思う。
貨幣によって換算可能なところに
全員が同じ競争の中で行くっていうことが。
だからやっぱエリートいなくなりますね、このゲーム。
だと思う。
それエリートになれるぐらい知的能力とか
文化資本とか経済資本とかがある人なら、
エリートになるゲームやるのバカバカしいもん。
消費者ゲームを買っていった方がいいから。
そうだよね。
確かに。
だからすごくかつての研究者を選んだ室さんのような、
そういう既得な人しかエリートに来ないと思う。
だからちょっと頭の悪い人しか来ない。
だからすごく古典物理を今から学ぼうとする人たちみたい。
量子力学の方に行かないで古典物理を学ぼうとする人みたいな。
そんな気はするよね。
そうかもしれないですね。
なのでちょっとまとめ的に言うと、結局ステータスゲームというのは存在します。
ステータスゲームの選択肢というのはものすごく増えてます。
だからそれぞれに合ったスケールサイズや場所というのを見つけて、
それぞれの立場でやるっていうのを得られた人がすごく
ベルビーング的に満足する人なんじゃないって話だと思って。
なんかその話になるんじゃないかなと思って、
ここまでの序列だったり、そういう文化資本格差みたいな話っていうのは
捉えてほしいなというか。
今この3人でもこんだけ違うんだもんみたいな。
今のこの摩擦点で話をしたらこんだけ面白くなるんだもんみたいな。
その話じゃないかなと思うんだけど。
確かにそうですね。序列の話するとすごくやだみがあるのは、
すごく固定的なものと関連されるというか、
しかもそれも時間的にすごく長い時間を固定的に判断されるからっていうのがあって、
そのような大まかな階級っていうのは確かにあるんだけれども、
でも実際に起きてるのはもうちょっとミクロな、
微分的な世界の中で、その瞬間の力関係みたいな中で起きており、
その瞬間の力関係っていうものの中で、
そのゲームにおいて力強いものと弱いものがいるのはしょうがないじゃないかっていう話ですよね。
ましてや今って自分がクリエイティブサイドに急いで憧れを持たなかったとしても、
例えばBTSのアーミーになるとかみたいな、
推し勝つっていうことによる新しい商品の参加の仕方とかも増えてたりするから、
そこのエリアってそれぞれが選べばいいと思ってて、
そこに序列っていうものは作ろうと思えば作れるんだけど、
別にフラットにしてしまえば関係がないっていう、最初話した話、やっぱ戻るよね。
そうですね。それはそうかなと思いますね。
確かに。
って感じで大丈夫ですかね。
はい。
ちょっとごめんなさいね、皆さん。
何が悪いですか。
まとまらない話がいるんですよね。
また次回はこのまま共有した感じなのでやろうと思うので、
またさらに回収していくような話にしたいと思います。
そうですね。
じゃあまた次回もよろしくお願いします。
またまた。
3名の僕による草も生えない声のディストピア
アポカリ
シーズン1は毎月第3金曜日配信
詳しくは番組概要欄をチェック
次回をお楽しみに。