あるよね。
ありますね。
それってやっぱりかなり特殊?
いやこの、この人無視されてるよね、を退集するのは長くないって今思っちゃいましたね。
だよね。
で、僕はできるだけ個人で動けるように社会活動もしてるから、
あんまりそういうのに関わることはないんだけども、
やっぱり傭兵のような形でさ、仕事にアサインされたりすると、
やっぱり集団の中で、さっきの言い方だった水を指す役としてアサインされるので、
うまくそこの水をコントロールできたときに評価されてるって感じ。
なんかアウトプットの質よりも空気に対する水としての存在として、
お金が払われてるとすら感じるみたいな。
それは役割として室さんもあるんじゃない?
はい。
はいはいはい。
空気に対する水だよね。
でも空気の中には入れてもらえないよね。
そうですね、そうですね。
おっしゃおっしゃる通り。
塚田さんって今、組織にしっかり所属されていて、
今言ったような空気と水みたいな関係地で、
なんか日本っていうものの集団が運営されてるって感じる?
まあ感じ、もちろん海外にいたときよりかは感じますけど、
まあいい意味で、そこまでそこに向き合う必要はない、
あのハッピーな環境ではあるかなと。
じゃあかなり今所属してる組織や、
今プライベートで作っている周りの人たちっていうのは、
結構今の言い方は相当健全な。
相当健全ですが、そこは環境だけに、環境にありがとうのみじゃなくて、
海外にいたおかげで、
その環境にならないような言動ができてるのかなとも思っちゃいますね。
そこに吸い込まれない感じで。
なので大きい空気の一員にはなれないけど、
その不健全な空気感を作るプッチ社会に足を入れないようには、
すごい気をつけて。
だからバランスいいなって感じたのは今の部分で、
たぶん司さんって自分が今実存として関わる環境においては、
すごくリベラル的な、
自分にとって心地のいい場所を作ることがすごく上手い人である。
その上で社会に対してそういう発言をするっていうのができてるから、
そこに司さんのコンプレックスが透けて見えないから、
僕からすると聞ける話なんだよね。
でも一方、リベラルとして語ってる人たちの発言を聞くと、
そういう自分の身の回りに自分が心地のいいリベラルな環境を作れないからこそ、
おもろ。
社会の中で叫んでる人に見えるから、
コンプレックスの吐け口の発言を全体として語ってるように見えるっていう。
だからそこの差ってすげーあるよね。
かつ、本当にさっきのメジクロさんが使った言葉がめちゃくちゃしっくりきてて、
その趣味っておっしゃったじゃないですか。
で、そのちょっと後に趣味をもう少し違う言い方で言うと、
なんか気持ちよくなってるっていうだけで、
やっぱりそれは今言った通り、
主張したいか気持ちよくなりたいかの違いで、
確かにそのメジクロさんがおっしゃってる、
ザ・リベラルのペルソナって、
主張せずに投票行こうぜみたいな。
しかも投票日のみなんか言うみたいな。
それ以外は何も発信しないみたいな。
なんでやねんみたいな感じなんですけど、
そこは確かにけんちょに違うかもしれない。
欧米的な意味でのインディビジュアルみたいなものをちゃんと確立して、
自分の実存のコミュニティみたいなものも、
自分の価値観において形成された上で、
社会に対して意見を言ったりスタンスを示す。
で、実は本当にそういうことができてるといって、
権力に対して噛みつくとか、
パンクの活動をするんじゃなくて、
自分がケアしなければいけない対象に対して、
リベラルな行動をとるはずなんだよね。
だから、塚田さんの言い方で言うと、
相乗されてる方に対して挨拶ができるっていうマインドとかってそうなはず。
でも、僕が見るリベラルな人たちのペルソナって、
周りをケアする余裕がないから、
もう自分の気持ちを保つために上に噛みつくみたいになってるところが、
アベコベみたいな。
自由っていうものを実現するための主体としてやるべきことって、
大きな発言をすることじゃなくて、
実は本当に身の回りにある、
自分がケアすべき対象に対する実存でできる行動なんじゃないかなって思ったっていう話なの。
だから、僕は趣味っていう言い方をした。
いやー、すごいしっくりきてる。
ひどいね。
余談ですけど、そのような人たちの影響で、
違う人が同じような発言してて、
その人はすっごい立派な向き合い方してんのに、
その人すらライトリベラルみたいに見えるのが、すごい心痛い。
まあ、そうなんだよね。
時々身の回りにいて、
いや、本当に頑張ってんだ、この人みたいな人いるんですけど、
なんか空気感とか風合いとか、
コミュニティの形成の影響で、
大きいグループの一人に見える中で、
この人もなんか適当に言ってるだけなのかなって見えてしまうの。
いや、違うんだよ。
違うんだよ、この人は。
まあ、僕別におせっかいすぎるんですけど、
まじっす、まじっす。
言いますよね。
いや、この人めっちゃ向き合ってるのに、みたいな。
こう見えたら嫌だな、みたいな。
僕、東京の高円寺っていう土地に30年住んでるのね。
すっごい。
ほぼ直接高円寺民とは関わらずに、
バンド活動をやりたいやつ、
お笑いやりたいやつ、
演劇やりたいやつみたいな、
そういう創作に対する衝動を向けられたタイプと、
同じ質の、
ただそういうクリエイティビティっていうものの、
自分の能力をあんまり持たなかった人たちの、
その衝動の向けた先が、
そっちっていうパターンをよく感じるっていうか、
だから、
好きな音楽ジャンルがコロコロ変わるように、
今噛みつきたいものが、
例えば原発になったりとか、
今だと米になったりとかみたいな、
トピックは何でもいいんだけども、
自分の衝動の向き先がそこであればいいみたいな、
行動でやる人たちみたいな。
なるほどね。
いや、確かに。
君たちはどう生きるかの中盤ぐらいで、
魚を捕まえるシーンがあると思ったけど、
死者たちは生き物を殺すことができないから、
捌かれた魚を買いに来るっていうシーンがある。
で、魚を捌いてるのを、
みんな死者たちがぼーっと見てるっていうシーンがあるんですけど、
まさにそれで、
原発問題なり、米の問題なり、
フェミニズムの問題なり、
何でもいいんだけど、
魚があり、魚を捌く人がいて、
捌く人の周りでこうやってオケ持って立ってる人たちっていうのがいて、
オケもらう時に投票日だけ投稿したりしてるってことですよね。
でね、さっきの募集団のサイズの話で、
僕が本当に言いたいのは、
そういう人たちって、
お客さんとしてのムーブすごく従順にやってくれるから、
そこから、なんつーのかな、
種栓を吸い上げる芸人たちが一番罪深いと思ってて、
で、えっと、
なぜかっていうと、
親分になってねーじゃんっていう。
本来そういう名前を出して、
そこのコミュニティの代表のような人なんだったら、
そういう古文たちに配分する側じゃなければいけない。
外で戦ってしかない。
でも、それ保守の方では見るんですよ。
保守の方でやりますよね。
保守の方では自分たちの集団に対して、
外と戦ってきた親分が配分するんだけど、
僕が見るそこの集団の人たちって、
親分のように振る舞ってるようなオピニオンリーダーたちが、
自分たちの小集団の中から種栓を巻き上げてるんですよ。
そこの気持ち悪さを言う。
悔しいです。
めっちゃいい。
僕は保守が分配していて、
リベラルが分配してないとは思わなくて、
保守もリベラルも同じ構造を使ってると思うんですよ。
金を巻き上げて戦ってきてるフリをして、
それを持って帰ってきて、また種栓巻き上げるみたいなことをやってるなと。
両方やってると思うんだけど。
ただ、保守はそれでOKっていうイデオロギーな人たちで。
ないことにしながらやってて。
共通してるのが保守もリベラルも、
そこにいる人たちが実家が太いっていうことが、
なり上がってんだったらいいよっていう。
本当に下からなり上がってその立場にいるんだったらいいんだけど。
チェックリストがあるんだ。
両方とも同じ人材のくせして、
表裏やってるっていうところが、
僕のような立場からすると非常に気になる。
いやー面白いですね。
最高だ。
いやー最高ですね。
多分誰も当事者の名前も言わないし、
多分それぞれ友達関係にある人だったりもするだろうから言わないし、
批判もしないし、
僕は普段の中ではすごく仲のいい友達として付き合えるんだけども、
さっき言ったその空気を一緒にする募集団の一員には、
僕はなれないって。
分かった。
分かりました。
分かりました。
そんな話する日じゃなかったよ。
確かに。
空気の説明の一例だからね。
分かりました。
そう、で、で、なんだけど、
やっぱり僕ってそういうイデオロギーみたいなものを、
日本においてどっかに、
どっかの募集団に参加したいなと思うんだけど、
やっぱりそこでは透明な存在になってしまうんですよっていう。
で、でも僕はさっきのいじめの構造でいうとかの
無視をされてる存在とも感じてないので、
僕はフリーランスであり水をさす人っていう意味での
透明な存在としての生き方っていうのは構築できたんだけれども、
どこかに入りたいなと思って、
気持ちとしてはコミットしようとしてるんだけど、
排除され続けるような透明な存在って、
俺、増えてる気がすごいしていて。
で、実例を挙げられないぐらい透明な存在として、
ちっちゃい募集団の隙間隙間に、
なんか細胞壁と中間にいる何か、
直売のようにいるような存在でいると思ってて、
そこに対する眼差しみたいなものって、
さっき言った保守だろうがリベラルだろうが、
どんな階層でもいいんだけども、
そこをいかに現存化して実存として関わろうとするのか、
しかも自分の生活や何かを崩さなくても、
その人たちと一緒にいるよって思わせるような仕組みが、
セットじゃないとやばいなと思ってる。
世界情勢の話すんのもいいんだけど、
すげー大事、グローバリストとしてすごい大事なことなんだけども、
透明な人を結構量産体制に入ってるような感じがすごいする。
どういう属性の人をその透明な人と見出してるんですか?
結構ね、なんつーのかな、
僕らも意識高い話をすればするほど、
そういう人たちを排除した話になるだろうし、
今、僕はさっきのリベラルディスってむしろ優しさというか、
さっきの欧米的な喧嘩だから対立をしてるから無視してないんだよね。
でも多分こういう高度な話をしてる時に、
なんか排除されたと感じるような人って、
必ずこれを聞きに来た人でもいるはずで、
それで、なんかめんどくせえ話してんな、切ろ、みたいな、
そういうふうに自分で切り分けられる人はいるんだけども、
なんかすごく僕らの話を興味を持って聞いているんだけども、
なんかついてけないなと思う瞬間だったりとかにも、
その透明な存在の気配みたいのがあるだろうし、
僕らの中で透明な存在を作ってしまって、
その人を明らかに自分の行動によって傷つけてるっていう実感って。
僕、ちょっと抽象的だからこそ、自分の話をすると、
時々ふと自分がもしかしたら、
透明にさせられてることによって、
なんかむなしい悲しい気持ちになるのは、
アイデンティティがちょっと日本とフランスみたいなごっちゃになってることによって、
やっぱりふとしたときに、
そのダブルアイデンティティを理解してもらえないことによって、
ちょっと透明になってるっていうのは、
それは僕が言うと大変お前黙れみたいな感じになると思うとも言われるんですけど、
でもまあ一人の個人の話なんで、
それがどんな人にもあり得るってのは確かにって思って。
そういう感覚?
やっぱ、つかささんでも自分にそういうのあるって言ったら、
それ本当に一事例だと思うし、
ものさんって自分が透明な存在にされたと感じた瞬間だったりとか、
逆にそこに対してどう対処してきたとかって実例ある?
あるけど、
なんかそれが当たり前だと思ってたのであんまり気にしてこなかったです。
あの、舞台でクロッコっているじゃないですか。
なんかこの間僕初めて歌舞伎見に行ったんですけど、
歌舞伎ってその衣装を変えるときに衣装を持ったりとか、
なんか小道具を渡したりとかする役割の人いるんですけど、
その人たちもちゃんとした衣装を着てるんだけど、
たぶんあれをある種見ないようにするというか、
なんていうかな、全てが舞台の上で起きているんだけれども、
これは物語の上で起きたこと、これは物語の上で起きたことじゃないみたいなのを、
観客の側で辨別しないといけないんだと思うんですよね。
分けて考えないといけないんだと思うんですけど、
そういうもので、この場ではこれを見ないようにするみたいな、
さっきのクーキーの話だと思うんだけど、みたいなのがいろいろあるから、
それを、なんていうかな、自分が見ないようにするというのもそうだし、
自分が見られないようにするというのも、
そういうものだからとあんまり気にしてなかったですね。
あと翻訳をやってたときに、その会話の中で自分がいないものとされてるような気がするっていうのも、
通訳のときにね。
通訳。
通訳はみんなエリートの商社マンとかメーカーの人が来るんで、
僕、肩書きがないと、肩書きがない人はソサイティーの人じゃないみたいになるから。
通訳をやっていて、会話量は一番多いにも関わらず、
ムノさんはいないっていう前提で行われる会話に参加してる。
ほんと透明な存在として通訳者としている。
そういうとこでもいろいろ。
でもそれは、ある意味そういうもの、
Googleトランスレイトがいるなと思いながら喋る人はいないわけで、
そういうもんかなって。
いやだからさ、ちょっと関係ないけど、
通訳者のそのストレスって、
人の会話においていないことにされてるっていうストレスって、
実はすごいダメージを与えていって、
だから水原一平のような、
ああいう、
そう、そう、そう。
ありますよ。
それを織り込みながら、
めっちゃありますよ。
織り込みながら仲良くチームを、
短期間だけ付き合う空気能力。
そのゲームを遊んでいた自分もすごい嫌でしたもん。
転職もしましたし。
全然いけたでしょ、もっと。
いけました。
ロンダリング繰り返したはず。
ゲームですよ。
続けたら死にやなんたらになりますし、
で、なんか転職できるし。
そういうウハウハバイバイゲームありますよって、
ちょっと18歳の僕に教えといてもらいたかったんですよ。
え、でも全然。
今でも遅くないです。
遅くないですか?
ウハウハバイバイゲームできますか?
全然いけますし。
一回レールに乗ったらそのロンダリングゲーム参加できるんで。
マジですか?
しかもクビにされればされる。
ウハウハさんのキャラクターでいつでも入れますよ。
マジですか?
全然入れる。
もう入れてほしい。
ウハウハバイバイゲーム。
潜入ルポ。
潜入ルポでベストセラー出せばいい。
確かに確かに。
5年ぐらい後に僕がマジモンのバッチリ志向的人間だって
言ってるのを見て指差して笑った。
そこのネタバレを執筆するっていう前提だったら
どこまでもそのストーリーは見るよね。
見たいです。
だからなんかその空気の話、透明の話ではないんだけど、
今言った感じで、
今僕が明確に今ガイシーの無能な英語喋れるだけっていう言い方をしたのも攻撃なので、
僕は無視してなくって、
そういう人たちと会話ができるんだったらしたいなと思って言ってるんだよね。
分かります。
で、の時にこれってやっぱり常に常にいろんな人たちに
これってやっぱり常に常にいろんな自分が頑張れてるなって実感したり、
いい人とつながっていろんなことできてるなって手応えを感じれば感じるほど
僕って毎回寄るっていうか反数するのが、
なんかこれによって見えなくなってんのってどこだろうっていうのを
やっぱり毎日のように考えるんだよね。
へー。
うん。
だからこの自分が生き甲斐を持って生きられてるっていう実感を
ジーンって感じた時ほど、やっぱこれによって見えなくなってるものっていうのは
すごく考えるタイプで、
それは人の時もあるし、
何なんだろう、全然関係ないことだったりもするんだけど、
人としてなんか存在が浮かんだ時って、
なんか本当に自分の幸せな実感が一気に消滅するぐらい
なんか本当に痛い気持ちになるっていうか、
なんかそこってみんなあるのかないのか、
それとも自分に必死すぎてそういうものってどんどんないものにしちゃうのかなってどう思う?
自分と関係のない他者、関係のない、透明にしちゃってる他者に対して
想像を及ばせる時間って日々の中であったりする?
いや、ありますあります。ある方だとは思いたいですね。
もう本当にその日のムードとかに寄っちゃうところもあるので、
でもなんかすごいまさにエッセンシャルワーカーとか、
労働会計の人たちはすごい現状にあると思うんで、
時々はなんか外国人バイブスでなんか変な挨拶とかをするときはあります。
でも接する機会があった時には積極的にそういうコミュニケーション、そういうアクションを取るってことですね。
そうですね。ただ、透明にさせちゃっている自分も
時々あるっていう自覚も強くあって、そこはもう反省するしかないなとか思う。
最近めっちゃあるのが、まさに昨日今日で思ったんですけど、
コンビニでカード支払いするときあるじゃないですか。
で、あれってスイカほど瞬間的じゃないじゃないですか。
はいはい、遅いよね。
こっちは反応してんのに、鳴るのが1秒後、2秒後とかで、
で、僕急いでるとき、それを待たずに行くんですよ。
でもあっちはマニュアル上、音が鳴るまでありがとうございましたって言っちゃいけないマニュアルなのか、
絶対この僕が去っている間に、あの人がなんかありがとうございますって言ってるんですけど、
すっごいそれはなんか透明にさせちゃってんなとはめっちゃ自覚を持ってます。
面白い。現象としてそうだね。
ちょっと一瞬さ、今の方向性で割り込んじゃうんだけど、
前からさ、悪を引き受ける存在の話を僕してたじゃない。
やっぱ何かやるってことは、誰かを透明にするってアクションをするってことは、
やっぱ自分は悪っていうものを行使しちゃってるっていう実感がある。
で、たぶんこの感覚があると、さっきのリベラルな言い方で言うと、
上に対して何か正義を、声を上げてすっきりするってできなくなってくんだよね。
なぜなら自分のやってることが悪だって認識してるから、
公に対して正義みたいなものを言ってすっきりするっていう行動が気持ち悪すぎてできそう。
自分が正義を行使してない。
そうそう。だからなんかやればやるほど自分は悪を引き受けてるっていう感じがすごくする。
なんかそういう話でいくと、つかささんも今自分の実存を楽しくする一方で生み出してる、その透明な存在。
絶対生み出してます。
だよね。
だってそれを生み出すために除外してる説めっちゃある。
だから、財産があったら寄付をしたりとか、実際的な事前活動っていう関与もあるんだろうけども、
多くの人はそんなことできないわけだから、
だから本当にそういう人たちと接した瞬間にいかに人間として接するかみたいな。
で、その時間が終わったらまた自分の時間に戻るみたいな。
なんかそういうことでもいいんだけどみたいな。
なんかそこの感覚がずっと言ってる教養の話だと思ってるみたいな。
ムロさんは自分が透明な存在であることを引き受けてる存在。
だから透明側っていうのでいくと、自分の行為によって誰かを透明にしてるみたいな実感ってある?
実感はあんまないんですよね。正直。
でも論理的にはそうだなと思ってるし、
悪を引き受ける話も実感あんまいないんだけど、論理的にはそうだなと思っていて、
で、基本的に自分のことはオンザラックですよ。
はいはいはい。
棚添えに。
でもさ、ムロさんは前回さ、ちゃんと自分の言葉でさ、自分はケアされたいっていうことを欲望してるって言ってたよね。
要は縁側に寝っ転がって冷えた社員マッカットを持ってきてほしいって言ってるから、
ムロさんはむしろ透明な存在として、自分にケアをしてほしいっていうことを言ってる存在。
いや、僕はなんていうのかな、ケアされたいというより、多分もう一歩踏み込んでて、
結構多分されて当然と思ってるところがあるかもしれない。
そうだよね、そうだよね。
あの、よくボンボンですねって言われる。
別に僕、別に経済的にボンボンじゃないんだけど、
されて当然みたいに思っているところがあり、
してくれている人に対しても、なんか僕は可愛くてしてるんだろうなって思ってるところがあるから、
あんまり罪悪感も持ってないんだけど、
それが論理的に考えると、めちゃくちゃやべえことであるっていう認識はあるんですよね。
でも、あんまり魂の部分でそれが悪いというのは響いてなくて、
で、怒られるたびにこう、
はい、はい、みたいな、申し訳ない、僕は悪かったですみたいな感じで、
確かにどのロジックをどういうふうに取り切っても、僕がやっぱ悪いもんなーみたいな気持ちはなるんだけど、
全部並べると確かに僕が悪いなになるよねみたいな。
そうそう、なるよね。確かにその通りだなーみたいな感じになってて、
でまた円柄でなんかねころがってるみたいな感じですね。
絶対的安心感あるじゃん、室さんってさ。
ぶっ壊れない立ち位置っていうかさ。
そうですか。
ぶっ壊れない、透明な立ち位置っていうものとか、
怒られるっていう立ち位置を引き受ける器用もあるし、
しかもそこによって起きる現象によってぶっ壊れないみたいな感じがすごいあるから、
だからある意味、社会的存在としては透明な位置にいるんだけども、
ガチです。
相手が潰れちゃったことがあるので、
でもその時は僕は全く分からなかったんですよ。
なんでなのか。
なんか僕が体が大きくてヒゲだからかなと思って、
ちょっと怖かったかなみたいな、という理解だったんだけど、
そうじゃなくてコンプレックスを刺激してたんだっていうことに、
今日気づいて、そうなんだって思った。
でもその人たちに寄り添うと、その人たちにしてはその行動が、
人によってはその行動がとても勇気のある行動だったっていうケースもあるから、
そっちよく、さっきまではそのイマジネーションないまま進んでたからバンバン言いましたけど、
今、この解像度を持つと、なんか、なあ、みたいなそっちもあるんだよねみたいな、
その政治がタブーの中で、
投票しようって言うだけでもとてつもない、
頑張ったみたいな気持ちを持つ人はいるから。
そっか。
どっちも、どっちもそう。
なんか僕立場上、やっぱいろんな人から、
メンタリングみたいなことを僕がする機会があって、
なんかクリエイティブの悩みだったりとか、いろんなキャリアとか答えることはあるんだけど、
メンタリングみたいなことが唯一できないのは、
そういう僕の周りにいる友人と人生の話をすることが唯一できないことで、
リベラル的な思想を持ってる子たちとの人生観を語るのが一番できなくて、
なんでかって言うと、あなたの心の穴とその大きい話が実はつながってるんだよって話しちゃうって、
壊れるぐらいの話になっちゃうから、やっぱ触れられないよね。
近い関係地だからこそそういう話が唯一できなくなっちゃうみたいな。
なるほどね。
なる。だから、前面ぐらいなるっていう覚悟があったら言えんだけど、
やっぱ隣人の付き合いの友達だったりすると、そのレベルの話ってやっぱできないっていう。
逆だと思いました。
それはめっちゃわかりますね。
だから、これは僕からすると、
彼らとそういう会話ができないってことはイコールどこか透明な存在として、
ある膜を作っちゃってる。
近いかのように見えてるし、コミットしてるかのように見えるんだけど、
実は彼らに対する透明な存在にする暴力を振ってるっていうのはそういう部分で。
確かにね。人によってはそれを救い上げて、
なんでメチクロさんはこんなに僕は発言してんのに相手してくれないのかとか、
そういう人は少なくとも一人いそうですね。
いると思うよ。
なんかやべえっす。やべえっす。
なんかあんま考えずに多くの人を殴り続けてた気がする。
そうなのよ。だから正論っていうものが実は暴力になっちゃうも含めてだけど、
一番触れられたくないところに触れる可能性ってムロさんってかなりある人っていうか。
そうか。
でも今の話でいくと僕はそれはいいことだと思う。
なぜなら人を透明にしてないからっていうか、
ちゃんと素手で暴力として。
とりあえず引っ張ったりして。
相手に近くさせてるってことは透明じゃないってことだよね。
むしろ僕のアクションの方が暴力。ないことにしてるんで。
そっか。なんかちょっと自分の野蛮さみたいな。
ちょっとほとほと嫌気がさしません。
実例ね。コンフリクト起こした実例をいろいろ想像すると。
そうそうそうそう。こう引っ叩いてもらってたらパーンってパーンって。
しかも関係を結ぶ前にね。
そうそう。こっちはその引っ叩き返してくるかなと思ってやってるから。
コミュニケーションってそういうもんかなと思ってる。
なんかこう素振りをしてるからじゃあちょっとパーンってやってみたら黙ったので。
あれって。
って思い続けてたのはやっぱ僕側に問題があるんだなっていうのを今ちょっと思い入れたりはちょっと。
むしろつかささんは自分の属性とかを含めて、
暴力性を帯びたり勘違いされるっていう前提をあまりにも知っちゃってるから、
こういう会話ってかなりうまくやれる。
いやそうです。まさにそれを思ってましたし、
すごい最初の方に戻ると、
まあ空気とは正直ちょっと関係ないかもしれないですけど、
なんかその海外に住んでる海としたらちょっと日本ほどデフォルトじゃないし、
でさっき言った通りその対立がなんかデフォルトだから、
僕はまあそのネガティブな対立じゃなく、
小室さんと一緒でなんか普通にフラットで別に傷つける意図ゼロで、
なんかどういう意味みたいな。
これがこれでこうだからこうだよねみたいな。
でそれが僕はラジゴ8年7年してる中で、
それが日本では大変不自然なことっていうのを理解したんです。
いまだに僕はそれはそれをなんか強い批判とか、
それをなんか攻撃的だという人が本当に理解できなくて、
だから僕は公共の場で室さんがやってる、
そのお友達にやったことをやってて、
こいつやべえみたいなキャラにはなるんです。
でよくあるのが、まあ全部を言うとその三石黒さんが思ってくださった通り、
いやでも実存として人という生活ではなんかすごい違うのはわかるし、
すごい真摯なのはわかるって言ってくれた通りに、
毎回新しい、毎回ではいいや、
人によってゲストとして呼んだ人とかリスナーと会う時に、
塚田さんって意外とすっごい優しいんですよ。
そうなるよね。
素敵な人なんですねとか、時々言われることで、
え、なんか、え、マジでそんな思われてんだっていうのと、
びっくりしてない自分半分まだそうなんだっていうのが、
こんなに聞いてくれてる人でもそう思うんだっていうと、
ほんとびっくりします。
だからいつも言いますよ僕、
いや一番やばいのバルニーともう二人、三人でやってるんですけど、
もう二人、こいつら隠してるからみたいな。
僕表に出してる。全て出してるからみたいな。
もう何も隠してるもんないからみたいなスタンスなんですよ。
でも隠してるのわかるじゃんっていうところが、
ポートキャストすごいところで、
やっぱロングトークを聞いてると、
自己開示してる量みたいなもののゲージが見えるんですよ。
そうすると結果一番うざがられてたつかさっていうのが、
実は一番自己開示してるなとか、みたいなところがわかるじゃないとか。
しかも嬉しいですよね。
それを理解してるって言われたりわかると、
この人すごい聞いてくれてるんだろうなみたいな。
そう。
二つ思いました。
一つは、僕はつかささんがすげえ、
いろいろな立場の人にめちゃくちゃ配慮する人だなと思ったんですよ。
初回会ったときから。
僕特にポートキャストみたいなコンテンツで話すときに、
よくない仕草だと思うんですけど、
エッジを立てて仮想的を作って、東京ハイカルチャーインテリをやったほうが、
わかりやすいからやるけど、
なんかすげえ、そうじゃない、めっちゃいろんなところに配慮するから、
すげえ配慮するタイプの人だなってずっと思ってたんだけど、
ラジゴのリスナーにそう思われてたとはっていう。
アバレンボーキャラと思われてたとはと思って。
そっか、でもそれは価値観が似てるからそうなってるのか。
そうですね。
丁寧に表になってるって思えてんの。
逆に今のこのアポカリの座組みを作った理由がまさにそれっていうか、
ムルンさんはキャラとしてね、たぶん人は野蛮人だと思ってないんだけど、
実は野蛮人。
で、塚田さんは人は強要人だと思ってないけれども、
すごく強要人っていう、見え方のA面B面が逆の2人っていうところでむっちゃ相性がいい。
じゃあこれからは野蛮人の面を出してほしいですね。
全然感じてないですよ。
そう?