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こんにちは、あきです。
今日も、パリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さやみさん、今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最近は、どんな風に過ごしていらっしゃいますか?
最近、いつも変わらず忙しいんですけど、子供が病気ばっかり。
病気ばっかりというか、冬ですからね。
この時期、私もそうですけども、喉がおかしくなって、やっと声が出るように。
先週もちょっとあんまり出てなかったんですけど、今週もまだ引き続きちょっと声が変なんですけれども。
自育課とか、前足の専門医とか、いろんなところを駆けずり回ってます。
病院にぐり、いっぱいあるんですね。
私、プラス3人の子供、かける1つか2つずつぐらいの専門。
いつも病院に行きます。
この季節からしょうがないですよね。
あきさんはどうですか?
そういえば、1日ってあきさんのお誕生日だったんですよね。
おめでとうございます。
また1つ年を挟めました。
どうですか?新しい1年というか、1つ年を加えて。
どんな気分?
変わらないんですけど、12月の頭なので、1日っていうのがちょうど1年の1ヶ月前じゃないですか。
だから、自分の誕生日になると、同時に次の年のことも考えるいいきっかけになるんですよ。
そうですよね。だって本当に1月1日のちょうど1ヶ月前ですもんね。
だから自分の年が変わるっていうよりも、来年どうしようかみたいなのもちょっと同時に考える季節で。
バタバタ忙しいタイミングなんですけど、やっぱり自分の誕生日はどちらかというと、1日も自分のためにかける。
予定を入れない。仕事も入れない。
子どもが病気にならない限りは1人で入れるので、そういうところはどちらかというと意識的に作ったりしますよね。
ちょうどこれ、去年までの自分と今後の自分を考える、すごいいい日になりますよね。
何が変わったかって言われると、あんまり実は実感はないし、ある意味今でも自分の年だからわからない。
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その感覚わかりますよね。とってもわかります。
なんか節目の時は多分覚えてるんですよ。例えば45とか40とか。
私って何歳だったっけみたいな。
だからついつい引き算を始めちゃうわけですよ。2016引くみたいな。
だからやっぱり真ん中ぐらいになってくると、5と0の間の真ん中になるとちょっと46なのかな、47なのかなとか、もうその辺がわかるんじゃないかと。
私も確か去年46だったということは今年は7?え?みたいな。
青年月日を書くことが多いじゃないですか。
日本で例えば昭和何年とか西暦でもいいんだけど、必ずカッコ書きで何歳って書くランはあったりするじゃないですか。
だから自分の年を結構自覚してるケースが多い。
だけどフランスってまず年齢を書く場合ってまだないですよね。
ないですね。確かに。ほとんど書いたことないですよね。
だから自分の青年月日を書くだけだから、青年月日だと自分が何歳かって意識はもうないじゃないですか。
ないです。
ということで自分の年がわからない。
でもそれだけの年数生きてきたっていうことで、人によって中身の成長具合とか外側のメンテナンス具合とかっていうのは全然違いますから、ある意味数字は記号というところもありますよね。
これでね、やっぱり海外生活が3分の1を超えたんですよ。
すごい。
このイギリスも含めるとね、その腰下っていう感じで、だからそういう意味では多分もっとこれから割合は増えていくと思うんだけども、なんかこう海外に住んでる実感は増えましたよね。
そうですね。
自分の30代40代を結局ずっと過ごしてるわけだから、そういう意味では自分がこれからどうしていくかっていうのはやっぱり考えますよね。
次に50代に向けてどうするかとか。
もうちょっとしたら考えなきゃですね。
3年後考えるともうだって50になっちゃうので、そうするとやっぱりね、なんかうかうかはしてられないですよね。
そうですね。
だからどっちかっていうと子供の成長とともに自分の時間の使い方も変わってくるじゃないですか。
変わってきます。
そのタイミングでできること、やりたいことをやるっていうのが私のやり方なんですけど、来年は中学に子供、上の子は入るので、フランスでいう中学なのに日本でいう6年生なんですけど、ちょっとまた動き方も変わってくるかなと思います。
中学生どうなるでしょうね。
どうなるでしょうね。
フランスも中学生、私もうちの子もね、実はそうだね、今度ね、中学生ですけど全く読めないので。
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お互いにね、これから思春期をどうやって迎えていくかみたいなね。
どう対応していこうか。
だからその辺も含めて自分も同じような感じで成長してる。
親もね、成長してるっていう感じですね。
それは大事かなと思ってます。
またどういうふうに活動するかはね、また追って報告させていただければと思います。
はい、それでは本編スタートです。
はい、今回は岩本マナさんの2回目のインタビューです。
前回は美容っていう、美という視点でお話いただきましたけど、結構面白かったですよね。
ごく面白かったです。
やっぱりフランスと日本のどっちが良いとか悪いではなくて、
そのそれぞれの特徴っていうのを両方見た人が教えてくださるっていう視点はすごく共感というか。
共感でためになるというか、私も改めて考えさせられました。
今回はどちらかというとこの美容っていう皆さんが興味がある視点と、
もう一つやっぱりこの愛っていうかね、恋愛っていうことを含めて、
彼女もそれについて本を書いていらっしゃるということもあるので、
彼女の視点から今度恋愛についてお話を聞かせていただきました。
それではお聞きください。
マナさんはちなみにパリっていうかフランスにはどれぐらい住んでいらっしゃるんですか?
フランス自体はもうだいたい20年ですね。
20年いらっしゃるんですね。
で、その中で日本とフランスを行ったり来たりしているっていう感じですね。
そうですね。初めの頃は子供が小さかったので、
そんなに年に1,2週間頑張ってっていうのが、
最近はもう結構好きなように長く日本にも行っております。
今どっちの方が割合的に多いんですか?
若干日本の方が長いです。6,4ぐらいですかね。
でもほぼ半々に近いぐらいで?
自分の仕事もあるし、やはりパリの空気っていうか空気感とか、
生の声とか、そういうものは現地に来ないと入っていかないところがあるので、
どうしても子供が好きかってやってないかだけ見に来て。
チェックしてみたり?
ある時来たらとんでもないことになってたとかありえそうだもんね。
家が占領されてるとか、5人で住んでるとか。
だからたまに帰ってきて、一応チェックをしてまた戻るという感じですね。
マナさんにとってパリでもいいんですけど、どういう場所なんですか?
刺激っていうか、インプットする場所なんですか?
それともなんか違う?
そうですね。
本当にパリとかフランスっていうのは、もともとすっごく来たいとか、
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すごく住みたいとかいうのよりかは、
流れ的に一つ一つの運命の節目を渡って繋いで線を繋いだら、
ここにっていうところがあるんで。
本来なら私は、例えばイタリアの明るいところとか、
アメリカの西海岸のパッパラッとしたところとか好きで、
フランスってなんとなく保守的であって、
パリなんかも素晴らしい街なんだけれども、
そんなパリの文学をやってたわけでもなかったりして、
ただなんかモヤモヤと素敵なシャンソーが流れてて、
みんなパン持って歩いててみたいなステレオタイプだもん。
逆にだから、あまりすごいものを持ってっていうんじゃなくて、来た。
でもそういうので関わりを持って、美容だから、せっかくだから入り込んでみようと思って。
そしたら本当に大変この街は、先ほどセンシャルって言葉で言ったら、
大変な観音都市だっていうのが分かりまして、
男と女しかいないし、そこら中ではムラムラであるし、
なんじゃこりゃとか思って、それをまたね、
あんまり昔はあれですけど、ベルエポックの頃とか昔からそういうので、
その頃はまた女性の立場が違ってたにしても、
フランスごとの男性名詞、女性名詞があって常に男と女を意識してあるんですけれども、
カップルになって人生を楽しもうと。
それである意味びっくり。あまりに違う。
もっとびっくりしたのは、あまりに違うのに結構日本のこと大好きだったりして、
あと日本の昔の文化とか、江戸時代のネオジャポネスクみたいなの大好きだったり。
本当にこちらに来てつらかったのは、私理系だったから、
全く日本の文化とかお茶とかお花とか、あんまり置いてきちゃった方の女性だったので、
そういうのガンガン聞いてくるじゃないですか。歴史文化。
好きですよね。
もう普通の食卓でそんな話になるから、もう私なんかはフランス語もつらいのに、
しかもそれみたいな、そこ来るかみたいな。
日本代表として聞かれてるってことですよね。
源氏物語の原文を読んだ人とかがいたりして、私も真っ青になって、
パスとか言って、パスしてくださいって。
源氏物語とか読んでらしい。
そういうフランス人いますよ。やっぱりやること徹底してるし、好きな方は好きで。
政治とかでも、マナこれはどう思う?僕はこうなんだよって、目をしろくろしながら、どうしようとか。
そういうことばっかりって非常に多くありまして。
これはね、大変な違い。
違いがあるのに、どこかでも日本と通じてるようなところもあって、
これはすごく不思議なんですけど、全く接点っていうか、どうなんだろうと思うんだけど、
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なんかいろんなところを深く理解してたりとか。
あれはなんだろう?それこそセンシュアリティのあれで言うと、
なんかそういうものを常に感じて、不思議なところなんですよ、パリって。
でも、やはりね、私ベルエポークとかのパリが大好きで、後からキャッチアップして、
この時代に来てたらなと思うくらい大好きなんですけど、非常に魅力的な街であり、
経済的にはそんなに、みんな働く働きではないにしても、
なんかもう人生最後まで楽しんで、正直にしてるじゃないですか。
喧嘩しながら、文句言いながら、正直に。
それが面白いなと思って、私はすごくだから、
なんだろう、刺激も受けるんだけど、どっかでホッとする。
日本だと、どっか構えてるところもあったりするので、逆なんですよ。
こっち来る方が抜けますね。
どの辺が抜ける感覚なんですかね?
精神的な、私は特に空気を読めないタイプなんですよ。
日本の場合は、言われた言葉をそのまま受け取っちゃうので、
これって日本だと非常に暮らしづらいんですね。
裏の裏を読んで、さらに気を使わなくちゃいけないっていうことですね。
私いつも地雷踏んだり、全然関係ないところでものすごい気を使ったりとか、
すごい疲れるんですよ。
それは分かります。
もちろんパリも京都に一番近いところがあるから、
そういう意味では本音と建前があったりもするんですが、
そこは外人というか、違法人ということで許してもらったりすることを考えると、
こっちの方が楽なんです。
外国人としているっていうことを楽しめる場所でもありますよね。
そうなんです。その弱みを強みにするみたいな。
日本だとさえいかないじゃないですか。
でも最近日本で使ってます。
ちょっと頭がパリジェンヌだからって。
パリジェンヌって年齢介護とか言われて、
あ、マダムみたいな。
日本人の日本でも。
逆に言うんで。
だから最近のわからなくてとかね。
今のね、あらちょっと今のそういう作法わからないわとか言うと、
なんかね、丁寧に教えてもらって、
あ、これだとか思って。
向こうに長いのでっていうのも使って。
だからボヘミアンですね。
どちらも好きで、
どちらもふるさとであり、心のふるさと。
心のふるさとって言ったらトゥールーズかなって。
もともといらっしゃった場所が最初にいらっしゃった場所。
3年行ったトゥールーズは強烈でしたね。
何が強烈だったんですか?
やっぱりですね、
それまで留学とか行ったってそんな長く、
3ヶ月以上外国行ったことがない。
いきなり子供連れて、
しかも英語もよくわからないところにポンと連れ置かれてたもんですので。
もう毎日がものすごいカルチャーショックで。
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そこに3年いたんですね。
やっぱりパリではないので、
またちょっと違った感じの入り方して、
でもそれが良かったのかもしれない。
だから一段階減ってからパリ来たんですね。
いきなりパリ来たんですね。
パリ商工群とかあるじゃないですか。
ああいうのにはならないですね。
パリの中継プラットフォームが、
南仏ののんびりした田舎町にあって、
田舎町というか6番目の大都市なんですけど、
でもパリに比べれば全然田舎っちゃ田舎だね。
全部歩いて。
ちっちゃいですもんね。
そこで、
なんじゃフランス人とかね、
これはすごいとかマイノリティとしての傷つくこともありましたよね。
わかりやすく傷つくっていうか、
わかりやすく見せされることがあったりするので、
それがまた自分の中で非常に心地よい、
なんか今まで片肘張ってきたのが、
普通のただのこう、
ここで言ったらただの外国人みたいなのが、
これはこれで心地いいなと思っていました。
そうですね。
その大人の恋愛の話は、
どうぞどうぞ。
50代の思春期みたいな話もあったと思う。
カンカドね。
大人の恋愛、結婚ではなくて、
恋愛っていう視点で、
アムールの視点で、
日本人と、
わかりやすく比較するために、
両方見ていらっしゃる視点として、
その恋愛に対する感覚とか意識とかって、
違いはありますか?
そうですね。
それはもう、
それこそ秋さんもおわかりになってるんだろう。
違いだらけで、
同じところを見出す方が難しいと、
思いますね。
私が感じたのは、
でも本当に50なっても60なっても、
それこそ70なっても80なっても、
恋愛に対しては非常に、
一種ピュアで、
入っていくのを臆さない人たちですよね。
こちらの人は。
アムールなきが何が人生かぐらい。
退屈っていうのが、
最大の、
アンニュイインな暮らしとかが一番嫌なわけですから、
めっちゃかめっちゃかしていたいわけですよ。
そうなると自然的に、
男も女も、
非常に複雑な絡み合い方をしまして、
本当は、
あるパーティーとかフェットの状況なんで、
よく映画にあるじゃないですか。
元彼、元彼の元夫、元、
あそこでぐちゃぐちゃしてるやつですね。
もうこんな、
それが一堂に返して、
みんなそれぞれいろんな恋を、
してそれぞれジェラシーを感じ合いながら、
年代は違っても、
あの頃の彼女より綺麗なただの、
あの頃の彼よりも素敵なっているとか、
今の彼女のせいかしらなんて思いながらも、
自分には自分でいるわけですよ。
そういうややこしいことを常に考えて、
あと、
友達の間でもね。
例えば、
友達の間でも、
その友達っていうか、
18:01
例えば異性の友達ですよね。
私たちは誰か、
ムッシュがいて、
私ももちろん、
彼女がいてだったりしても、
一緒にいる間は、
そういうちょっと色気のある会話とか、
そういう仕草とか、
別にあの、
なんて言うんですかね。
日本で言うような、
激しいよって言っても全然なくてですよ。
会話の楽しみ方とか、
相手が気持ちよくなるあれとか、
だから日本だともうセクハラって言って、
みんなちょっと物応じするようなこと、
平気で言って、
しかも上品にね。
上品だとダメですよ、もちろん。
それはただの、
ただのしけべ親じゃない。
そうではなくて、
お互いにそういう風な、
セレクションとか、
ちょっとチラッとし合うっていう。
で、もうみんな大人なんで、
それで本気にはならないわけですよ。
で、そこがいいじゃないですか。
そこ分かってるってことですね。
そういうことですね。
そういうことです。
その場でいるときに、
すごく気持ちよくして、
で、せっかく男と女なんだから、
そういうありえない会話をするわけですよ。
例えばもう、
絶対もうありえないんだけれども、
って書いて、
そんな調子になったら、
いつか一緒にね、
その最果ての地に行こうよ、
みたいなのを言うわけですよ。
で、それは別に、
恋愛感じはあるなしじゃなくて、
その想像力っていう中で、
非常に楽しめるわけです。
お互いにそれをやると。
で、これはね、
やっぱり一つの美の哲学ですね。
あの、ホルモン活性化しますしね。
で、そういう粋な会話ができる。
なるほど。
これ、イタリア人もすごいんですよ。
イタリア人は、
もっと直接的な話がありますけど。
イタリア人はもう、
結婚しようっていう感じなんですけど、
でも、ほら、
日本で、
ありえないじゃないですか。
日本はもう、
目もしないっていうか、
ちょっと危ないね。
あれなんで、
目を合わせると、
っていうのもあるのでしょうけど、
視線もないし、
多分、
フランス人が日本に行っても、
つまんないって言いますよね。
全然見てくれないのよ、
ってみんな、
外すじゃないですか。
そうね。
見ないようにするっていう。
こっちだともう、
劇場ですからね。
見なくちゃいけない。
劇場。
もうどっちが劇場、
どっちが観客かわからないでしょ。
どっちも劇場になってもいい感じですね。
カフェなんかで、
一番二人並んで、
あれなんで、
歩いてね、
ここを確保する。
二人ともこう見て、
向こうはこっち見るみたいな。
で、
そういう、
やっぱ人生の、
限られた人生のところで、
とことん楽しむ。
で、最初から最後まで楽しむ。
っていう感じはします。
で、
これはでも、
私もね、
ちょっと話が飛ぶかもしれない。
日本のね、
茶の道で、
茶道なんか、
一期一会って言葉があるじゃないですか。
そうですね。
ああいう言葉があるんだったら、
もうちょっといろいろ楽しんでもいいんだろうな、
と思うんだけれども、
やっぱりその場ですね。
出会った場とか、
一緒にいる場っていうのは、
もう婚離、
生涯一度しかないわけですよね。
歴史の中でっていうか、
その一瞬しかいられない。
はい。
それにしては、
日本って割とそれを、
なんていうのかな、
ないことにするっていうか、
あまり思い気を置かない。
こっちはどうもにこう、
全てのものを食らう、
みたいなところがありますよね。
そういう意味では、
すごく野蛮なんですよ。
野生的なんです。
そういう野生的といえば、
21:01
本当に野生的。
こちらのものが。
でも人間はやっぱり動物なので、
野生の気持ちを捨てたら、
生きていけないと思うんですよ。
今ちょっと考えてるのは、
日本はちょっとそこが弱くなってきてるから。
理性のところとか、
そっちが重視されている。
そっちが頭でっかちになっちゃう。
そうなんです。
そうなってくると、
それそうですよね。
だってそういう、
まあ言い方あれですけど、
人類がつながってきたっていうのは、
そうなのに、
結局そういうことになって、
今はいろんな要因があって、
ソロ社会とか、
日本で非常に危ういなと思って、
そんなのがあって、
常に常に、
もう、
なんであの、
イルキチおばさんと言われようが、
何にしようが、
アムルってやっぱりいいじゃない、とかね。
そういう気持ちいいじゃない。
美の哲学って、
こういうのあれで、
どう思うっていうのは、
ずっと発信していきたいなと思ってるんです。
ものすごく寂しいんですね。
それだけで、
あの若い、
あんなあの、
若さでキラキラしてなくちゃいけない時に、
老後の心配をし、
コスパで考え、
結婚もできなく、
親と一緒にとか、
なんかすごくそこが、
どうしたらいいのかなって考えてます。
結婚のそのコスパの話、
私もたまたま記事に書いてあったのを見たんですけど、
そのコスパがいいかどうかで結婚するかを決めるとか、
独身のがいいっていうのが、
今回の婚活っていう流れもあると思うんですけど、
AMORとちょっと違う世界ですよね。
なんかスペックの世界っていうか、
さっきの美容の話に近いけど、
パーツ、
シワとかシリとかっていうよりも、
その世界観っていうのは置いてけぼりになってる感じなんですよね。
まさにそうですね。
婚活に関しては、
私は前の本かな、
センシャルゼロ時点という形で出したんですけれども、
センシャルっていうもので言ったりとか、
AMORっていうか、
人を愛する気持ちとか言ったら、
全くそうではなくて、
共同体の中で一番自分とこうね、
昔日本はお見合いっていう制度もあって、
それでやっていったからねっていうのもあるし、
もっと言えば、
女性なんて、
何もわからないときに出されて、
そこで子供なんていう歴史があったわけです。
こんな楽しいっていうか、
それを感受できるこの時代に、
自由な時代にね。
そう。
そこにやっぱりとらわれて、
しかもですね、
今日本の経済的なものとかいろんなもので言うと、
行動成長のことはもう忘れちゃいけないのに、
やっぱりそこにまだちょっと何かしらの思いが残ってて、
20から40までの女性とか男性でも、
4割ぐらいは、
例えば結婚したら妻は専用症でいてほしいとか、
そういう話があった。
こうなってくると、
もう婚活の場では最初の一言が、
女性からする一言がやっぱり、
年収はおいくらですかとか、
介護するお父さんお母さんいらっしゃいますかとか、
24:01
そういう全くいる気のない話。
これが今実情ですよね。
自分はじゃあ、
あなたはどうなんですかって言ったら、
私は家事が後手してどうだっていうスペックで、
年齢がいくつで、
子供はだから何人ぐらいいますみたいな。
だからもう全然、
なんて言ったらいいんですかね、
コジラレマンのインターネットとかで、
マッチングみたいなのがあるんですけれども、
それとはまた違う、
なんて言うんですかね、
気味の悪さっていうか、
私なんかはそういう意味では、
ある意味非常に単純な人なので、
結婚っていうのは、
昔は置いといて、
やっぱり精神的にも経済的にも、
ある意味自立できている男と女が、
二人で一緒にいる方が、
より豊かに人生を生きられるし、
いろいろ近くに行って、
この愛する人のために、
いろいろやったね対話とか、
お互いに綺麗に歳をとるために、
どうしたらいいかねっていうときに、
二人でいろいろ気が付き合った方がいいよねって、
そういう慈しみとか、
そういう心があっての、
二人が一人ずつでも大丈夫なのって、
ここがポイントなんですよ。
一人ずつでも大丈夫、
そうです。
依存し合って、
あれするっていう気持ちの良さもあるんです。
恋愛にはもちろん。
なんだけれども、
あえて言いますと、
そういう二人が一緒にいたらよりいいからって、
これはある意味健全であるんですよ。
それが結婚する前から、
そういう形でお互いに三男子あっていくっていうのは、
それだけで、
最近の美の最高の美が、
私はとにかくしみしわがなくていいっていう、
それと同じ考え方なので、
がっちりあっていれば、
それはそれでアリなんです。
人のことですから、
いいんですけれども、
でも少しでもね、
あれって思う人がいたら、
やはりそこから考えて、
もう一回そこら辺のところをね、
生命力が弱っちゃうよね。
こんなことだと思って。
しかもエロスないし、
そこにエロティックでもないし、
センシュアリティとか、
恋愛っていうか、
血肉湧き踊るじゃないですか、
そういったものもなくすがってしまう。
だからもちろん何十年もいたら、
それはお互いにいろいろやっていかないと、
そういう気持ちっていうのはね、
難しいかもしれないけれども、
例えばでも最初はそういうもので、
あれだったとか、
そんなのが全体条件として、
そういうことですね。
そうですよね。
私もクライアントさんと話したり、
女性の方たちと話をすると、
やっぱり真のパートナーシップを求めてるんですよ。
真のパートナーシップって聞くと、
別に全然スペックが出てこないんですよ。
練習とかじゃなくて、
27:01
やっぱりお互い尊敬し合い、
色気はどこまで出てくるかによるんですけど、
やっぱり自分もあって、
お互いに安らぎがあったり、
出てくる中にスペックが出てこないのに、
なぜかそういう場に行くと、
スペックになっちゃうんですよね。
そこ乖離してるんですよ。
非常に自己矛盾になっているので、
人生なんて矛盾だらけなので、
そういうものがあるのかなと思うんだけれども、
でもそうでないというか、
そういう風に思っている方は、
是非そこはもう一回考えてっていうのは、
本当に思いますね、そこはね。
なんて言うんだろう。
本当に明日世界がなくなってしまったらとかね。
もし、分からないですよね。
本当にこれからどうなのか分からない。
自分の命が。
一番側にいてほしい。
一番側にいてほしい。
その人とやっぱり一緒にいるべきなんですよ。
その人を。
だから、そこら辺ですよね。
なんか、アイアウイルスの今、
婚活のあれなんかも、
親がみんな出てきてるんですか?
4割ぐらいは。
ちょっと信じられないですけど。
そうですって。
それぐらいだから、
親子のまた、あれが強い。
親もやっぱり子供に入ってくるっていう。
ずーっと口を出すと。
こっちはまずないですから。
子の確率っていうのがそっからして違うから。
だからもう、
私この前若い可愛らしいのお嬢様、
ほんと25歳ぐらいの何人かとお話しすることがあって。
それぐらいでも。
その人たちは、
ちゃんと看護師さんとかエステとかしてる。
ちゃんと自分でお金貯める。
その人でさえですよ。
母がうんって言わないとやっぱりとかね。
父に反対されてとかね。
そんなことずっと言ってんですよ。
え?とか言って。
私なんか特に自分は全然違うからなんだけども。
私なんて親振り切って。
そうなんだって言って。
仲いいんだねって言って。
すっごい仲良くて。
でもこの口に関して反対してるんです。
今の彼氏さんは?って言って。
こんな風に聞いて。
いいじゃないって言って。
だからでもね。
できながら踏み込めないんです。
みたいなすごいのよ。
そこでやっぱりオッケーがないといけないっていうことですか?
その子どうなったんでしょうね。
でもずっと考えて。
もしかしたら親が彼を諦めるのか。
そこは分かんないですよ。
でも本当なんかね。
それはまた二次的なものなんですが。
それは後ろに必ずある背後にある問題。
怖いですよね。
背後霊のような。
背後霊のような必ずある問題。
だからそれもあって。
親も言ってるんじゃないですか。
年収はこれぐらいじゃなくて。
あなたね。
だって多分その親は高度成長期だから。
私と同じ家族ぐらいですよね。
だったら言ってる可能性ありますね。
30:00
会社の男だったらあなたに恥ずかしい。
ありえないとかね。
だからもう最初からやっぱりちょっと違ってる。
だからもう文化も土壌も経済上と全部違ってるから。
こちらの状況そのまんま移植するのは全く無理だってのは分かってはいるんだけれども。
人生って括りで考えると、え?みたいな。
センシュアル感はゼロですよね。
もう無いですよね。
無くていいって思ってた。
後から生まれるとかいう。
それはそれであるのかもしれないと思うんだけど。
自分は違うんですけれども。
そういうのがある人はあるのかなと思うんですけど。
そういうことですよね。
やっぱり一回でもっていうか最初のあれだったら何とかしてその気持ちをね。
もう一つ言いたいっていうか。
美はイメージじゃなくて意思であると表彰である。
愛って感情じゃなくてこれも意思なんですよ。
分かる。
愛は意思なんです。
これは人間だからこそできるっていうか。
感情でね。
恋には落ちるんです。
恋はいいんです。
愛は意思なんですよ。
これを愛されて結婚した場合これを保っていこうっていうか何とか常に考えるじゃないですか。
これは大変だし。
大変なんだけどこれがすごいことなんじゃないかなと思ってます。今は。
フランス人のある意味涙ぐましいぐらいの毎日毎日愛を表現する。
あれはすごいなと思います。
これは日本で聞いたことなかったんで。
こちらは本当なんかわーと思うんですけど。
でもね。
哲学だと思います。
そうですね。
素晴らしい学です。
綺麗だねとか愛してるって言われたらやっぱり女性規制になるので。
そういう意味ではこちらの人はそれもあると思う。
そうなんですよ。
やっぱり褒められたり自分のことを肯定される一つの形態じゃないですか。
それを普段から言い合える関係っていうのは。
そういう人がね必要なんですよ。人間って。
それがやっぱりね。
曲がっちゃうと子供に求めたりね。
そういう場合だからそこの母子とかね。
旦那にあれだったら今度は息子みたいになっちゃうよね。
子供に入っちゃう。
そうするとそこでまた連鎖しちゃうんですよ。
だからやっぱりそこは成熟した男女でちゃんと完熟していかないと
子供が見てたって結婚したくなくなりますよね。
そうなんですよね。
子談じゃないかなって思ってますね。
そうなるとじゃあするけどせめてコスパ?
どうせね愛情なんてあれなんでしょってね。
なっちゃいますよね。
教育側も全部そっちになっちゃいますね。
そうなんですよ。
だったらせめて。
でもそしたらそこまでお金かける男も女もいないみたいになって
もう最悪みたいな。
もうなんか低いレベルで働こう。
だからすごくそれはもう本当にキラキラしてて。
人生中で青春で。
ああいう時にそんなねもう老人みたい。
33:00
もう尊徳感情って。
えーみたいな。
なんかそこをすごく感じるのと
あと日本ですごく感じたのは
秋さんももしかして感じたかもしれない
すごくこの男と女って
男らしさとか女らしさとか
女はとにかく愛されたいし
男はねなんだかんだ言ってやっぱ男らしくじゃないんですけれども
そんなあれでね
例えばコミュニケーションにしてもこういう技とか
モテてくみたいな。
愛されなんとかの
なんとかのなんとかてくとか
すごいもう言葉が山のように毎日毎日出てきますよね。
私なんかも結構
何書いてるのかなと思って
ついクリックなんかして見ちゃうんですよ。
まあ当たり前のようなことが書いてあるんですけど
愛されなんとかとかよくある中の
サシスセソーってあるの?
ごめんなさい私滑舌だるけど
サシスセソーってご存知ですか?
いや知りません。ごめんなさい。
わかってないです。
よく間違えるんですよ。
さがねさすがかな?さすがでしょ?
しがね知らなかった。
すがね素敵じゃん。
せは何かな?センスいいかな?
でそうはそうなんだみたいな
これを使ってれば女はモテるみたいな
これをねまずね
言って相手をなんとかとか
多いんですよ。
私のサシスセソーは料理のサシスセソーしか知りませんでしたけど
モテてくにもあるんですよね。
愛され女子ですよ。神対応ですよ。
知りませんでした。
これこっちでやったら
最初は気持ちいいかもしれないけど
会話が続かないんですぐ開けられますよね。
なんじゃそれって。
むしろこっちの男性だったら
結構いじめられるのが好きだから
こんなこと言って
ネスなんのかみたいなのあるじゃないですか。
物足りなさを感じちゃいますよね。
日本はこれなんだよ。
会話じゃないでしょ。
確かに最初から挑まなくたっていいですよね。
こんな噛みつくような顔しながら聞かなくてもいいんだけれども
でもそれがね
愛されてくとか
人の話を聞いてにっこりする
それが愛されてくというのは
コミュニケーションとして当たり前のことであって
男も女もないしね。
だけれどもそういったものってすごく誇張されて
女はこうあるべきだ。
男なら逆に言えば
もっと聞いてやれみたいなのがあって
やってはいるんだけど
そこからして
やっぱり
日本では手のひらに転がすし
上で転がす。
すごく思うのは
そう思っている以上は
相手のことはある意味バカにしてるんですよ。
男なのか女なのか
そうやって気持ちよくさせて
自分のいいように
結局自分にプラスになるってところですよね。
本当に相手の
スッと回ってお得になるから
ニコニコして
そういうのが見える。
愛されるってこと自体
36:01
それは違うと思うんですよ。
人として
本当にその人のことが
あれだとしたら
最初からそんな態度になんて考えないでも
なるはずだし
逆にそこがなってないってのは
元々のコミュニケーションですっていうか
元々の教育がおかしいんですよ。
最低限のそこがあったら
あとは人としての誠意でしょ。
あと愛されるって私は変なんですよ。
人を愛さなくちゃいけないんですよ。
だって愛されるのは
向こうの自由でしょ。
そういうことですよ。本当にそう思います。
意思として自分を愛すことしかできないでしょ。
それなのに
欲しい欲しいって言って
相手からアレするように
これは自分はアレに比喩してるし
相手にもバカにしてる。
すっごい過激な言い方をすると
自分よりは綺麗になれない。
そういうことですよね。
美しさっていうのは
強さでもあり
優しさでもあり
本当に誠心誠意と
相手にするのかというところで
それをあった上での
テクは良いと思うんですよ。
相手を全部こうしたいからとか
こうやって持ち上げたり
すっごく多いですよね。
夫操縦術みたいなね。
それはそれで多分やれば
よくあると思うんだけれども
私はもっと
ぶつかってもいいか
これね、すごい難しいの
日本でぶつかるの難しい国なんで
ああなっちゃってるんですけど
こっち風に言えば
違う人間と違う考え方してるから
常にうんうんなんて言ってね
気持ちよくなることないですよ
どっかでぶつかるわけですよ
それが当たり前で人は違うんだ
だけどそこを乗り越えて
二人の環境を作っていく
こういうことしていかないと
結局は夫婦間でも
どっちかが我慢
今のあれだと
そうやっていくから曲がっていっちゃう
そこは正直にしたいなと
見る度に思うんですよ
あれ?違うなって
ぶつかっても当たり前の前提の
関係を
それでも壊れない愛情を育てる
やっぱり
それは人間としてたんじゃないかなと
そこを下げて下げて
二人にニコニコして愛されるように
これね違うと
最終的にやっぱり
どっちかが我慢してるから
なんか積もってきちゃう
可能性はありますよね
短い期間での
関係だったら
ビジネスとかで乗せて
相手を気持ちよくしてサインさせるとか
あるかもしれないけど
特に結婚とか長いターンで
見た場合は
もっと声援を尽くすっていうか
別の方法をちゃんと提示した方が
いいんじゃないかなって
すごく思います
非常に多いです
このあれはもうはびこってますね
だから一見
すごくお上品でこういう方
多いですよね
見てるのかあれか分からないですけど
39:01
でも私は
私はもう本当に
そこらへんやっぱり
自信が入ってるので
本当に気持ちが
上品っていうか
尊いものっていうのは
もっと違った
表面だけだったら
本当に逆にね
上品でさえないと思いますね
本当にそれがそこなんじゃないかなと
思いますね
さっきの世界観とか
スタイルの話と全く同じですよね
まさにそうですね
でも今のあれって
このへんのテクノは
確かに知っててもいいし
ことさらに
嫌なことしても全くないです
それはないんです
ただこれが全てでは決してないし
目的でもないし
技だけであって
その技だって
中身がないとすぐボロボロってきますから
そこをちゃんと構築した上で
ちょこっとやると
また分かるんだけど
これさえあれば
こうやって
本気にしてる人も
なんだろうなと思うんだけど
すごいですよね
そこらへんってどうかなって
20代くらいの若い人だったら
ちょっと会ってもいいかもしれないけど
大人の恋愛っていう中では
それはもう
なんだろうそれ
仕方がないっていうか
それなりのイロチェとか
もちろん必要だし
だって女だったら
それだけだったら
若い女性の方がずっと可愛いじゃない
じゃあ何持ってるのって思ったら
壊れるってことですよね
そうだと思いますよ
だからね
なんだろうね
私もそういうので言うと
男の女のみたいなのがバッと流行ったじゃないですか
1年くらい前からかな
最近また日本で流行って
私の知り合いの作家さんが
これやったからやってみてください
シートでやった
ああいうのやったことあります?
男と女のみたいな
やった?
自分で予想してたんですけど
8割男なんですよ
8割男でした
やっぱりそうかと思って
だから
男も女も確かに外形はもちろん違うんだけど
精神面ってのはどっちを持ってるし
両方あるって前提ですよね
全く両方あるんですよ
だからそこをあんまりしたところで
男女の超えた
人として
面白みがあるか
人としてどれだけ自愛があるか
人としてどれだけ心地いいか
ここしかない
それにトッピングしていけばいいんじゃないかな
と思ったんですよね
トッピングか
そういう発想ですよね
トッピングする方をメインにしちゃダメなんですよ
メインにならないし
だからそれが
美意識とかに全部つながるし
美っていうのが
日本の場合
男リズムもそうですけど
42:01
武士道の美もそうなんですが
どこを我慢
痩せ我慢なんですね
どっかで我慢して
これでいいんですよ
満たされるとか
美学を追求するんだったら
どっか辛いところを
クッと立つ
ここで美しさが出るんです
それもすごく思って
今また
自分の中での
一つの
考える核になってきてるんですけど
写真なんかで美しく撮られる方法ってご存知ですか
カメラマンに
教えてください
どっから撮っても美しいから
ちょっと無理をすることなんです
例えばこうやって座って
こうやっても
マナさん楽にしてる?
楽ってダメって言って
ひねってこうして
ちょっときついんですよね
常にそれなんです
美しさの基本とか
また面白いんですけど
これちょっとまた外れますけど
そういうのとかね
深いんですよ
とにかくこの話深いんで
今考えてて
またこの次お会いすると
今の段階ではこんな
すごくだから
そういう意味では
日本はね
文化も素晴らしいし
人で言ったって素直である意味で
素直すぎちゃうんですけど
だからもうちょっと
野生じゃないですけど
自分が生まれた意味で
実学をする時間と
教育ですね
求むって感じ
自分がしてこなかったから
キャッチアップ後で
フランスに来たから
もっと早く気がついてたらと思うんですが
それは言ってもしょうがないので
そうすごく感じますね
美学ですね
そこがカッチリしてたら
今の話とか美容も全部
つながっちゃうんです
ただ
テーマが違うだけ
カテゴリーが違うだけで
根本は同じっていうところ
その部分を
もっとより伝えていく
っていうのが
日本の場合
テープが多すぎるんですよ
これいくらやっても
中心のものが
出来てこないんですよ
トッピングだけ綺麗にして
フランスは
どちらかというと
こっちが結構ちゃんとなってるんですよ
あとのトッピングが雑だったりするんですけれども
トッピングなんて雑なんでしょ
我らもすごく
手先不器用だから雑なんですよ
遠目から見るといいんですけど
近くに行くと結構雑なんですよ
でもトータルのコーディネートは
ものすごく上手です
あれはもう
小さい時からの経験なんで
すごく上手ですね
だからそういうところ
それが全部一事が万事で
ライフスタイルも恋愛も
っていうことじゃないかなと
思います
45:01
今日は参考になりました
ありがとうございました
はい
2回目のインタビューでしたけれども
またすごく面白い
いっぱい聞けたなと思ったんですけど
面白いですよ
本当に
さゆみさんの中ですごく共感というか
ご自身で
気づきを得た部分って
どのあたりですか
やっぱり
日本の方ももっと
野生的に
貪欲に
本当にビビビッと来たら
いろんなこと考えないで
本当に
人間も動物ですから
本当に
惹かれるものに
行った方がいいのかな
というのがあります
いろんなことを考えて計算して
この人いいかもっていう
婚活においてはね
そうですね
スペックばっかり追ってると
心が燃えてこないというか
情熱が
炎が
どんどん火が消えていくような
感じがあって
愛されることとかばっかり
待ってるんじゃなくて
自分から愛して
追っかけろみたいな感じは
私もすごく
思いました
愛するっていうのは
動詞なわけですよ
動詞っていうのは意思を持って
行かないといけない
勝手に湧き上がるものでもないし
だから
愛するっていうのは私は
自分の意思だと思ってるので
そういう意味で本当にさゆみさんと同感なんだけど
自分が愛することによって
あるいは愛する行動とか
アクションを起こすことによって
生まれてくるもので
愛せないんですっていうのは
自分で愛する行為をしてないだけなのかな
自分の意思が
愛そうとしてないから
愛せないですよね
言ってましたよね
愛は感情ではなく意思である
努力しないと
一旦愛したら
保っていかなければいけない
愛せるためにはどうしたらいいか
っていう
その部分がないまま
本徳感情だけで
言ってしまうと
確かに楽しむ
恋愛は想像力を使って
会話を楽しむとかって
言ってましたけど
そういうところが楽しみがなくなっちゃう
ってことですよね
それだと
つまんないですよね
そうなんですよね
せっかく人生
一応一度きりですよね
一期一会っていうことも
言ってましたよね
その時を楽しむ
その時の会話とか
雰囲気とか
楽しむのって素敵ですよね
だからそういう
親がそうなってしまうと
また子どももそうなってしまう
って話も繋がっていくと思うんですけど
48:01
やっぱり
スペックで考える
親に育てられると
子どももきっとスペックで考える
になってしまうし
大人になったら
そういうのは楽しんではいけない
みたいな感じになっていくと
50代からだって
60代からだって
楽しもうと思えば
楽しめるってことですよね
年齢関係なく
そうなんですよね
楽しめると思います
人生って
だから
その辺はやっぱりフランスにいると
本当に
年齢関係ないなと思うし
その部分を
すごく楽しむ
人たちですよね
本当に
視線とかね
視線をわざとずらしたり
わざと合わせたりとか
それも楽しんでますよね
そうなんですよね
彼女も言ってたように
そこで何か関係が
進展しちゃう人もいるのかもしれないけど
そこを楽しむ
っていう人たちも多いので
そこのギリギリの線で
いかに
大人の線引きが
できるかっていう
知性がすごく私問われてるな
と思ったんですよね
野生プラス知性を
うまく使って
この人がおっしゃる通りですよ
野生プラス知性
頭だけでもダメだし
野生だけでも
野生だけだと歯止めが
危ないんですけど
でもこの都会に生きてる
人たちには
多少の野生みがないと
やっぱりちょっと
知性は皆さん終わりでしょうから
そこでいかに野生の部分を
うまく
出すか
見せながらやるか
っていうところですよね
そういう意味ではやっぱり
私もこの婚活とか
婚活史上とか
本当に外側から
眺めてるだけなんですけど
ちょっといろいろ感じる
というか外から眺めると
なんか不思議な
世界だなと思ってたので
彼女の話を伺って
すごく納得したというか
やっぱりアスペックで
そうなっちゃうんだよな
っていうところが
昔から私たちの
バブルの
時もやっぱり
参考ってあったように
やっぱり条件
っていう視点はあったと思うんですよね
確かにね
参考ってわからない方がいらっしゃると思うので
あえて言うと
背が高いということと
高収入と
高学歴
なんか私すっかり
忘れてる
過去の話になってますけど
こういう条件の人と結婚すると
人生
安泰だよみたいな
51:01
でも結局高学歴でも全然
会社が倒産した
レトラにあったりとか
高収入でも
今の世の中何が起こるかわからない
っていうところになったので
その概念自体は崩れていく
っていうことだし
その時のいいと思っているスペックが
10年後に
いいままでいけるかっていうと
明らかに別次元の話だと思うんですよね
時代は変わるし
人も変化するし
だから私がやっぱり
最近思ったのは
私たちがすごくいわゆる
人気企業だったところ
が今
一社も入ってないとするわけですよ
そうなんですよ
だからそこで当時
人気企業に入った人が
40代とかになっていても
今の若者の視点と
全然違うってことは
その人気企業に
入ることが目的になっていると
他社の価値観の
わけだから
全然人気じゃない
っていうこの状況を
当時はもちろん
想像できないわけだし
そういうスペックで
考えていくと結局
思いもかけないことは
いろいろ出てくるのかな
その時にどうするか
人気企業に入ったのに
って主張しても
人気企業でもリストラが
起こったりするわけだし
だから恋愛に関しても
この人と
恋愛を楽しみたいと思ったら
その毒感情が
つまらないんじゃない
みたいな話ですよね
そうですね
すごく私も日本に帰った時に
とても雑誌とか
見てると気になるのが
愛されなんとか
受け身なわけなんですよ
待ってる?
愛される女子になるために
そんなの
自分で愛しなさいよみたいな
さっきの同志の話ですよね
自分でどうするか
決める
当たって砕けていいじゃない
って思うんだけども
でも私は
自分でアタックしましたよ
そういう
やっぱり
いいと思ったら
他の誰かが取っちゃうかもしれないし
愛されるの待ってたら
時々男性は
自分から何も言わない人もいるので
そんなの待ってても
永遠に来ませんから
これという人がいたら
やっぱりそこは
自分で行動を起こす
本当に愛す
自分の意志で
愛するんだったら
そこで
何かやっぱり行動を起こさない
待ってても何も始まらない
さゆみさんの実態展開
それは私すごい思いますよ
でも今があるのは
そこがあったからってことですよね
54:01
愛されるのを待ってたら
彼は何もしなかったかもしれない
愛されるのを待ってたら
今の生活はないですね
そうですよね
そういう人もいる
っていう前提で
愛されることを待つ
っていう感覚は
フランス的には
不思議な感覚かもしれない
ないですよね
愛されるっていう
受け身系はないかもしれないですよね
ということで
次の話はまたまたつきないですけども
彼女から面白い視点をたくさんいただいたので
ぜひ参考にしてください
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秋でした