2025-09-07 19:24

此岸の家事③ #437

女と世代シリーズの続きです。

▽オススメドラマ
『ダウントン・アビー』
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サマリー

このエピソードでは、日本における教育機会の平等やキャリアの変遷、戦後の経済状況について考察されています。特に、アメリカとヨーロッパの社会的価値観の違いや日本のアイデンティティの混乱が深掘りされています。日本の社会では、目立たないことが重要視され、成功するためには周囲との調和を保つことが求められています。また、信仰心や文化的背景の多様性が、社会の秩序維持に影響を与えていると考えられています。

教育機会の平等と背景
お聞きの皆さま、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
家事のシリーズをいくつかやっていたのですが、間、いろいろ挟んだりとかしつつ、続きなんですが、結局、女性にも男性と全く同じ教育機会、そして徐々にキャリアの機会も与えられるようになってきたという現在があるのですが、
ところが、私がこのシリーズを通してテーマにしているのが、結局、日本においては、イデオロギーが不在のまま、職業と教育の機会と選択肢が広がってきているというのが、
自分たちで求退善とした価値観がもう駄目だということで反抗したり抵抗したりして、革命を起こしながら手に入れていった変化ではなくて、徐々に時代の、日本においては特に経済が、戦後からだけ今考えているので、戦後、高度経済成長に向かって、
どんどんみんなが経済活動を一生懸命回していくという段階から徐々に頂点を経験した後、どんどん自利品にずるずる下がっていっている状態ですよね。
どんどん経済が落ち目になっていき、なおかつ人口もじわじわと減っていき、おのずとそういう社会情勢の中で必要とされる触手であったりとか、そこの触手にどういった人材を当て込むことができるかとか、そういったことも80年代、90年代、2000年代、2010年代、2020年代と、
どんどんこの4、50年で変わっていっているわけですよね。だから慌てて、今まで女性は家庭に押し込んでいたんですけれども、これはちょっと女の手も借りないと回らないみたいな感じになってきて、今までだったら扶養工場というんですかね、
夫の扶養の中にいた方が税金も安くて済むしとかね、もろもろで優遇されてきた主婦の立場というものを生かした形でしか社会に関わってこなかった女性たちにも、これは働いてもらわないとマジでやばいというふうになってきて、どんどんどんどん女性も働くようになってきたという背景があって、
実はこれはだから女性をもっと活躍させようとかってね、綺麗な言葉で言ってますけれども、単純にもう人が足りなくて困っているから女も働かせようというね、国を動かしている偉い人たちが考えている悪自衛に過ぎないんですよね。
だからここがね、私が再三言っているように欧米とは決定的に違うところなんですよ。欧米にももちろんそういう上の女神がね、いろいろ操っているところっていうのはもちろんあるんですけれども、それ以上にですね、女神の言う通りにはならないとかね、女神の言うことを信じてたら自分たちは搾取されるだけだっていうね、長年のいろんな何て言うんでしょうね、この身分制度であったり格差社会であったり、
そういった背景の中で、やはりね、もっと下々の一般の市民の中にね、そういう反骨心みたいなものがね、もう遺伝子が埋まっているとしか思えないんですよね。
例えばちょっと話が逸れるんですが、アメリカ人が、銃寄生という問題がありますよね。頻発そこら中で銃の発砲騒ぎが起こる。ある日突然小学校とか中学とかそういったところにいきなり不審者が乱入してきてですね、銃を乱射してたくさんの死傷者が出るっていうような事件が毎年何度も繰り返されて、その度に銃寄生をしなければいけないって言って、
でもなかなかね、それが進まないっていう背景がありますよね。ああいうのとかって日本人には理解できないですよね。どうして銃を寄生しないんだって。なんでそういう危ない武器を持っていたら、当然おかしな人がいて、それをやっぱり悪用したくなる人が出てきても当然だろうっていう風にね、思うと思うんですよ。
で、それをどうして寄生しないのかっていうと、これはもう保守対リベラルの戦いだけだっていうふうに単純に思われがちなんですけれど、それだけじゃないんですよね。実は銃を持ってるっていうことは、自分の命は自分で守る。敵が攻めてきた時に自分がそれに対して戦えるようにするっていうね。
それはね、個人個人が与えられている権限だったりするんですよ、アメリカの場合はね。だから要するにすごく物騒な開拓で、アメリカっていう未開というか、インディアンの人たちがね、実は先住民が住んでいたところに開拓者としてどんどんそのいろんなヨーロッパの人たちが移住してきて、どんどん開拓していくっていう背景の中でですね、自分の身は自分で守らなければ、
もう誰も守ってくれないっていうね、無政府状態で長らくやってきたような、そういった歴史的な背景もあってですね、やはり個人に与えられている栽培っていうんですかね、権限っていうのはね、結構やっぱり日本の中に比べて大きいんですよね。
その一つに、やはり自分の命、自分の財産、自分の不動産、そういったものは自分で守るんだということがね、ちゃんと憲法で約束されているんですよね。
それはあなたは守る権利がありますよって、そこまで国が介入して、あなたからそういったものをいろいろ奪ったりされる危険性に合わないように、自分の身は自分で守る権利はあなたにありますよということは、憲法でちゃんと保証されている国なんですよね。
日本のアイデンティティの混乱
だから単純にね、あれは銃は危ないからさっさと取り上げりゃいいじゃんっていう議論にはちょっとね、やはりそれはね浅はかな議論にどうしてもなってしまうんですよね。やはり銃を持つ自由っていうのもあって当たり前でしょっていうのがアメリカ人の考え方なんですよね。
だから単純に保守とリベラルで銃を持つことを固執している人たちが保守で、銃をさっさと取り上げてより子どもたちに安全な国にしましょうよってリベラルの人は言うんですけれども、それだけでは片付けられない問題が実は潜んでいるのでなかなか解決しないんですよね。
話を戻すとですね、だからこういうふうになりたちがね、やはり個人個人が自分たちの権利を自分たちの尊厳を守るっていうね、強い気概に裏打ちされて国づくりをしてきている欧米と、欧米というか特にアメリカですよね。一方の日本というのはまるで違うんですよね。
日本はね、結局いつもいつも思うんですけれど、やっぱりヨーロッパ、特にイギリスから強い影響を受けてやはり近代化していく中でね、明治時代に、明治時代より前ですね、鎖国を解いてですね、徐々に近代化していく中で、やはりヨーロッパに多くを学んでいるんですよ。
だからあの当時の日本の優秀な人たちっていうのがみんな、イギリスかドイツに留学してるんですよね。他にも他の国にも行ってるかもしれませんけど、多くはね、その辺りに行ってるんですよ。だからやはりね、このヨーロッパの石杖に自分たちの国づくりをしてっているっていうのがあったんだけれども、第二次世界大戦で負けて占領されたのがアメリカだったためにね、いろんなイデオロギーがおかしくなってるんですよね。
だからここがね、まず日本の悲劇の一つだなと私はよく思ってました。だからこのままヨーロッパ的なイデオロギーが続いていた大正時代あたりまでがね、一番日本が幸せだった時だったんじゃないかなと思うんですよね。
確かにヨーロッパの社会に模範を置くとするならば、すごい格差社会ですよ、ヨーロッパは。だから持つものと持たざるものとが明確に分かれていて、貴族がいて、平民がいて、農民がいたりとかっていうふうに、もう完全にだからカーストっていうんですかね。
この首脳交渉みたいな身分制があって非常に差別的であると同時にですね、やはり持っているものが持たざるものを庇護していくっていうね、ノブリス・オブリジュっていう考え方ですよね。これは身分が高い人たちが身分の低い人ひいては貧しい人たちを庇護していくっていうね、義務があるっていう考え方なんですよね。
日本でも大ヒットしたイギリスのダウントン・アビーっていうドラマがありましたね。これはもう貴族の落日っていうんですかね。社用の貴族の、とある貴族の家庭の日常を面白おかしく描いた人気ドラマで、私も大好きでずっと見てたんですけれど、これがまさにこのイギリスにおけるノブリス・オブリジュをドラマにしたものなんですよ。
だから貴族っていうのは一見とても裕福でとても贅沢な暮らしをしていて、大きなお家に何人も使用人を抱えて暮らしてるんですよね。だから何だよあいつらというふうにも見えますが、そうじゃないんですよね。あの人たちはあれでたくさんの人を養ってるんですよね。
たくさんの雇い人、館の中を秩序正しく、大きな大きなお城みたいな家をね、ちゃんとこのいろんな地域社会の中の名刺なわけなんで、いつでもそこにいろんな人たちをね、地元の人たちを招いて、そこが社交の場であり政治の場であり、いろんなこの活発な、これからどうやってこの地域を良くしていこうかっていうね、
そういう議論の場でもあったわけですよね。同時に社交の場でもあり、文化のサロンというような意味合いでも活用されていたんですよね。だからすごく大きな役割を担っていたんですよね、実はね。
そこに雇われることによって多くの貧しい労働者とか、あとはその農民であったりとか、肉体労働者とか職人たちも、みんなこういう貴族たちに雇われることでぐるぐると社会が回っていたんですよね。これがどんどんどんどん、産業革命以降ですね、だんだんこういった身分制度とかもなくなっていき、みんなが中産階級になって、
中産階級というより貴族よりもですね、この今まで持たざる者側だったね、労働者であったりとか、商売人とかね、そういった人たちがどんどん財力を持つようになって立場が、形勢が逆転していくっていうね、どんどんまたこういう違う話になっていくんで、ちょっとここらでこの話は止めていくんですけど、こんなようにね、どんどん社会というのは変換していくわけですよ。だから今まで立場が強かった人が立場が弱くなったりとか、こういううよ曲折を経て現代に近づいていくんですけれども、
日本はですね、イギリスとかヨーロッパに近いような形の社会で、特に文明開化して明治時代に近代化していく中で模範としたのがヨーロッパの社会だったわけなので、非常にヨーロッパ的な要素が強い国だったんですよね。
それが戦後、がらっと180度価値観の違うアメリカのような国に吸収されたようなもんなんでね。ここでね、そもそもだから、みんな私たちも無意識のうちに、もう価値観がね、ぐちゃぐちゃになってるんですよ。
だからヨーロッパに礎を持つ社会の規範を、この明治時代以降は埋め込まれた上に、もともとの日本人が土着に持っている日本人的なものがあるわけですよね。そこへさらにですね、全く異次元なアメリカの価値観も混ざってるんですよ。
だからぐちゃぐちゃで混沌としてるっていうね、このアイデンティティが、だからね、不在っていうよりは、やはりね、混乱している状態のまま今に至ってるんだっていうふうに私はなんとなく認識してるんですよね。
日本の社会と成功
まあこんなね、多分他のどこの国とも違うね、独自の、だからガラパゴスって言われるんですよ、日本はね、おそらくね。どこの国ともちょっと違うけれども、同じところも踏襲しつつっていうね、すごい変な国で。
だから日本で成功するためには、だから例えば今はね、アメリカに近い政策っていうか国づくりをしてるんで、非常にアメリカ人的、アメリカ的な考え方とか、そういう弱肉強食で、逆に言うとヨーロッパと違ってですね、要するに持って生まれた人がいろんな社会的特権もあると同時に義務もあるっていう考え方とは逆で、
アメリカっていうのはもう土平民のね、あの底辺中の底辺であっても、もう一発逆転で大統領になれたりするっていうアメリカンドリームの国じゃないですか。
だからアメリカ人的にですね、もう全然人と違うことをやったりね、始めたりとかして、もうなんていうかな、すごい事業を始めたりとかして、もう昨日まで無名だった人が突然有名人になったり大金持ちになったりということが全然実現可能な国の、そういった国らしい自由な価値観であったりとか、
なんて言うんでしょうね、オリジナリティとかね、あとその野心とか、そういったものをメラメラと思った人が、じゃあ成功できたら、なんかアメリカらしいじゃないですか、アメリカのこれ何だっけ、50週目の週みたいなね、実はっていうふうにも思えるけど違うじゃないですか、日本は。
日本はやはりいろんな予定調和とか、見えざる暗黙の同調圧力とかね、そういったものにうまく合わせていかないと絶対に浮上できない国になってるじゃないですか。
そういうこともだから気を見たり、絶対に自分が隣、両隣、上下から浮かないように気をつけて気をつけて、薄い氷の上をそーっと歩くようにして、ものすごくそういう政治力が必要ですよね。
ガッと一気にアメリカみたいにね、だから一気に成功したりとかすると一気に潰されたりするんで、実は負け犬のフリをしながら、実は隠れて勝ってるみたいなね、ずっともう負け、ルーザー、ルーザーですよね。
負け組のポジションを取ってないと潰されるんでね、とにかく悪目立ちしないように、いいことであっても目立たないように、目立たないようにするっていう、わかりやすく言うと学校でとても成績が優秀だったらみんなからいじめられるんで、実はめっちゃ勉強できるんですけれど、
100点取れるところわざと82点とか90点とかいう微妙な点数で親からも怒られないけれども、もうちょっとあんた頑張りなさいぐらいの点数で抑えておく。そうすると何々ちゃんってそこそこできるけども、私たちに危害を及ばさない程度の優秀な子だから見逃してやるかみたいなね、そういうポジションにいないと絶対にダメな国じゃないですか。
だから結局ヨーロッパ的でも、なんかあの子スカしてるわねってなるしね。じゃあアメリカ的な俺やったるでみたいなのだとなんかうざいって言って叩かれるしね。だからものすごくね、だからもう四方八方全部考えて、結局とにかく目立たないカメレオン戦法みたいなね、そういうことじゃないとうまくいかない国にできてるんで、まあ本当に大変ですよねっていう話がどんどんどんどんカジの話から離れていってるんですけれども、
もう一回戻すとですね、こういうふうに日本というのはイデオロギーが不在というよりはいろんな外圧とか戦争とか歴史的背景で混沌としている状態の中で、要するにね、
なんて言うんですかね、ここがね、信仰心の厚い国だったら、もしかして救われていたかもしれないなって今ふと思いました。
例えばイタリアとかね、スペインとかっていうのはカソリックで、これもだから良い悪いっていう議論ではなくてね、ただ信仰というものがある種その社会秩序を保つ役割を担っていたりね、あと共同体にとってのアイデンティティとしての役割を担ってたりしますよね。
ところが日本というのはもちろん宗教あるんですけれども、これも日本人独自というんですか、そんなに一つの信仰を熱心に信じているっていう感じの国民性じゃありませんよね。もうずっとだから神道と仏教と、なんかあと途中からはキリスト教も入ってきたりして、私も正直詳しくないんですけれども、
例えばお正月とかいう季節の行事っていうのはあれ、神道式って言うんですかね、に当たるんですよね。確かね、あのやよよろずの神に当たりますよね。で、一方ジョヤの鐘とか、なんかあの辺は多分仏教ですよね。だからぐちゃ混ぜなんですよ。
さらにあの途中から宣教師とかで、いろんなオランダとかヨーロッパの宣教師とかが来て、キリスト教の文化も入ってきてるんでね。だからクリスマスも祝っちゃったりとか、最近になるとハロウィンとかね、もう何でもやってるじゃないですか。
バレンタインはなんか変なように、本来のバレンタインとは全然違うバレンタインデーになってますね、日本だけね。チョコレートを配る日みたいになってたりとか、とにかく信仰心になって、私は正直日本人の信仰心ほどいい加減なものはないなと思ってて、全然信用してないんですけれども、結婚式、日本の結婚式ってもうその最たるもんですよね。
途中でウェディングドレス着てるかと思ったら和装にしたりね。あんなのもふざけてんのかっていうね。本当にもう日本人ってよくわかんないですよね。私も日本人なんですけど一応ね。話がどんどん終わらないので、またちょっと次回にこのカジノシリーズ、すいませんちょっと思いのほか長引いてるんですけど、次回に続きます。ごきげんよう。
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