自立の定義
皆さん、こんにちは。子育ての自分塾を育むコーチ、高橋ゆうのです。
七転び八起きのママLife。この番組では、完璧主義からくるイライラや子育ての自分塾迷子で、
ぐるぐる同じ思考をして悩み続けてしまうママへ向けて、自分塾を見つけるヒントや考え方をお届けする番組です。
今日は、早速テーマに入っていきたいんですけれども、
自立をしたいなら、まず自立ということで、このテーマでお話ししていきたいと思います。
音声なので、少し伝わりにくいかなと思うんですけれども、
自立、2回出てきてると思うんですけど、テーマの題目にね。
これね、漢字で分けてるんですよね。
自立をしたいなら、まず自立。
自分で立つという漢字と、自分を立するという方法を両方使っています。
これね、同じような意味合いに捉えてらっしゃる方もいるとは思うんですけれども、
調べてみると若干ニュアンス的に違ってたりとかするんですけど、
自分が立つ方の自立は何なのかというと、
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに自分の力で物事をやっていくことと書いていました。
もう一つの自分を立する方法は、自分の気ままを抑え、または自分で立てた規範に従って自分のことは自分でやっていくことと書かれていたんですよね。
私が今回お話をしていく上で、
こっちの自立の方の話をしていてというのを先にお伝えすると、
自分を立する方ですね。
こちらの方についてのお話、
こっちの方の自分で立てた規範に従って自分のことは自分でやっていくことを伝えたいなと思ってこのテーマを掲げています。
頼らない自立の苦悩
経済的自立とか精神的自立とか、いろいろ自立という言葉で聞いたことあると思うんですけれども、
皆さんどうでしょうか、自立。
どんなイメージをお持ちでしょうか。
ご自身のイメージで構わないんですけれども。
私ね、出産した後からね、結構自立って言葉をすごく自分の中で大きく捉えてたんですよね。
なんていうかな、自分の頭の中で結構割合を占めていると言いますか。
当時の自立ってどういうふうに捉えていたかなんですけれども、
それって頼らない、自分以外のものの助けなしで自分で立つっていう感じの自立の定義を私も持っていました。
そういうふうに誰にも頼らんと一人でやっていかないといけないことなんだろうなっていうふうに思ってたんですよね。
夫婦間の中でも結構何かうまくいかなかったりとか揉め方が起こるために自立したいなって思ってたんです。
夫に頼らず生きていけるような私でありたい。
精神的にも経済的にもっていうふうに思っていたことがあるんですよ、5年ぐらい前かな。
そうなんです、そういう時があってね。
でもね、ここで自分以外の人に頼らない、この定義でこのままやっていって大丈夫かなと思った時があったんですよね。
その時に自立の定義って何かなと、もう一回考え直す機会があって、
自分の中の定義って何だろうっていうふうに捉えた時に、自分立する方、自分で立てた規範に従って自分のことは自分でやっていくことの方がしっくりくるんじゃないかなと思って、
こちらの自立をね、自分の中の定義の定義というか、自立ってどういうことって言ったらこちらの字を使うことも増えましたし、思い描くというか浮かぶイメージも変わりました。
そうなんですよね。だからね、自分で立てた規範に従ってってどういうことかというと、自分で頼るかどうか、もう選んでいける自分の方がいいなと思ったんですよ。
誰にも頼らない自立を求めるよりも、この場面では得意なのは夫の方だからとか、この場面では娘の方の考え方の方が素敵だから、分かりやすいからとか、
家族の間の中でもね、頼らないっていうもので自立していくんじゃなく、必要なもの、得意なもの、その場に適しているものを自分で選んでいって、相手に頼っていく。
それ得意そうだし、そっちの考え方の方が私もいいなと思ったから、お願いしてもいいですかっていう風に頼れることを選んでいける自立を目指したいなと、自分の自立の定義が出来上がっていって、それに従った行動を取っていくことが自立なんじゃないかって私は思ったんですよね。
今ではね。そうなんですよ。今ではそうは思ったんですけれどもっていうところなんですよね。
でもね、本当になかなかね、この定義を出していくって難しいことではあるんですけれども、やっぱりその自分以外は頼らへんよっていう定義を持ち続けていると、
昔とか今でもそうですよ。蓋した時に手一杯になる時あるじゃないですか。精神的にも。手が足りないって実際起こるじゃないですか。子育てしてると。
自分次第の変化
年齢が低ければ低いほど少しね、どうしてもやらないといけないっていう言い方あれなんですけど、おむつ替えとかね。やっぱりたくさんのことのサポートがまだまだ必要な小さいお子さん持ちの方って本当に大変だと思うんですよね。
そうしたら絶対必然的にじゃないけれども、「なんで私ばっかり?」って思ったことないです?私はあるんですよ。なんで私ばっかりこんなんせなあかんの?みたいな。
そう。だってでも自分の中でね、自立をしたいっていうふうに思ってたから、頼らないことだって定義してたから、夫に頼ることはいけないこと。嫌だなってすごく思ったんですよね。
娘の子育ての時は正直、できるだけ自分一人で子育て、せめて育児、家事はやろうみたいなのを思ってたんですよ。
頼らないがゆえにしんどくなった時も、吐き出す場所もなかったというか、あったんですけど吐き出すこともダメだ。だってこれって弱音やしみたいなんで、夫に頼ることをしなかったんですよね。
でもそうなってくると、なんで私ばっかりあなたはいいよね?みたいなふうに思っていくようになって、うまく自分の感情のコントロールを失った時があって、
その時にすごく相手のせいというか夫のせいにしたりとか、自分のこういうところがダメだから母親に向いてないからなんじゃないかなみたいなことを思い始めたりとかして、できない理由、叶わない理由、自分はこうしたいのにこうできないのはっていうのを全部自分以外の夫や子供のせいにしてたんですよ。
でね、そんな自分が何よりも嫌いだったわけなんです私。
相手次第っていうのも何か納得いかなかったんですよね。
仕事の成果だったりとか、自分の感情の振り幅、自分の感情コントロールもできないのは相手のせいなんだって思うのはすごく嫌なのにその方がいいなってどっかで選んでね。
相手次第なんだからっていうふうに思ってたんですよね。
けどそこをちょっと捉え方を変えたいなと思って、全部自分次第じゃないんかなっていうふうに捉え直したんですよね。
仕事の成果だったりとか家事、育児を回していくのも、感情の振り幅も全部もしかしたら自分で変えていけるんじゃないのかなっていうふうに捉え直して。
そうやっていくことでちょっとずつ問いかけが変わっていったんですよ、自分に対する。
それってどうやって捉え方を変えていったのかっていうのは、自分が何を思っててとか、自分を深く知ることでこういうふうにしたいんだなっていう目指したい先がわかったからなんですよね。
その中の一つとして自立っていう定義、こういうことを自立ってしたいんだな、私はこんなふうに家族と関わりながら自立していきたいんだなっていうことがわかったから捉え方も変えれたんですよね。
そしてそれができたら問いかけも変わってきました。
なんで私がこれができひんやろうとか、なんで私ばっかりこんなことしないといけないんだろうとかっていう問いかけとか、そういうふうななぜっていう問いかけじゃなくて、今の自分に何をしたら不可能が可能になっていくのかっていうふうに問いかけが変化しました。
そうなると行動するのはいつも自分だし状況を変化させていけるのも自分なんやから、そしてこんなにも頑張って変化させる捉え方まで変えてる自分を楽しませてあげへんわけにはいかへんやろうと思うようになったんですよ。
自立の定義の見直し
自分のことすごく楽しませてあげたい。喜ばせてあげたいなーって。だってこんな頑張ってんねんもんって思ったんですよね。こんなふうに頑張ってる自分を一番近くで見てるのは誰なんやろうと思ったときに夫じゃないです、子供じゃないです、私自身なんだなってすごく思ったんですよね。
そんな自分に気づけてよかったって思っているんです、今ではね。そうなってから自立していくにも自立の定義を一人でやっていくことが自立、誰にも頼らへんことが自立やでって定義するよりも自分で頼るかどうかも決めるし、頼れる範囲だったりとかどういうふうにしていきたいのかっていうのを自分で考えて
そこに対して行動していける、それが自立なんだっていう定義に変えたほうが自分の心の状態に健康的やなって思ったんですよ。そんな自分が好きになりました、私ね今は。
なので具体的に自立、どうやってやっていったのか、今ではできているというかあれなんですけど、私こんなんできてるんでみたいなんですごく嫌なんですけど、そうではなくて自立の定義を変化させれて家族の中がギスギスしなくなったのは何をしたからかっていうことをちょっとお伝えしたいなと思います、具体的に。
それが一つ目が自分が思う自立とは何ですかっていうことを言語化していくということです。
先ほどお伝えしたように頼らないこととかね、そういうふうに思っているとそういう行動を取るようになっていくので、私みたいに自分で何を選んでいくのかって決めていくことが自分で選択していく、選んでいくことが自立なんだとかね、人それぞれの定義があると思いますので
この定義心地いいわみたいな自立の定義というか自立したい方は掲げると言ったらオーバーですけども書き出していただいて、これ好きかもなって思えるような自立の定義を自分に示してあげてほしいんですよね。
そして二つ目が問いを変えるです。なんでできへんねんみたいなことを自分に聞き続けるとしんどくなったんですよ、私苦しくなっちゃったんですよね。
だから今の自分で何をしたらできそう、どんなことだったら今すぐ取り掛かれそうみたいなふうに問いを変えていくことで行動に移せるようになっていったんですよね。
どんな小さなことでもいいし、これが実際行動してみたら心地よかったし、自立にもつながっているかもしれないみたいなふうにつなげていって、自分の定義をどんどん確信というかこれでええやって自分で認められるように問いかけを変えてどんどん行動していってほしいんですよね。
どうなりたいか、どういった自立をしたいのかっていうふうに行きたい方向性というか進みたい方向性をしっかりわかるとできない理由じゃなく、何をしたら実現できるのかな、何をしたら無理だなと思ってたことができるかもと思えるのかなみたいな問いかけにも変化が出てきますのでね。
なので具体的にやってきたのはこの2つかなと思っています。
問いを変えることの重要性
なぜできないか、なぜできないかって問い続けると本当にね、なぜって大事な問いかけなんですけれども、できない理由を探し続けても意味がないので、何をしたらできるかなっていうふうに自分ができるっていう前提で質問を変えていってあげてほしいんです。
で、進みたいというか、こうであったら私の中の自立って思えるよなみたいなことを少しずつ行動しながらでもいいので、言葉を集めていくというか感覚的なものからでもいいのでね、初めは。
こういうふうに自分で選んでやっていくと気持ちよかったなあ、心地よかったなあっていうふうなのが自立だったら、それはそれでね、それぞれの定義を持ち合わせてそれを自分で納得していくことが大事だなって私は思っていますので、
具体的にっていうと、自分が思う自立は何か、どうなりたい、どういったことが自分の叶えたい自立なのかっていうところを明確にする。
で、問いをなぜできないじゃなくて、今の自分で何をしたらできそうっていうふうに質問を変えてあげるということで、今私がやっていきたいなと思う自立へ少しずつですけども進んでこれました。
ということで今日は、自立をしたいならまず自立ということでお送りいたしました。いかがだったでしょうか。皆さんもぜひこのポッドキャストを聞いてきっかけにしてね、行動に移していただけたら嬉しいです。
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