1. 7trailsラジオ練
  2. epi89 僕がこれからやれること..
2024-02-19 1:17:23

epi89 僕がこれからやれること、やらなければならないこと。石川弘樹さんのハナシ。

1 Mention

今回のゲストは日本トレイル界のパイオニア、日本初のプロトレイルランナーである石川弘樹さんです!4月に開催される「平尾台トレイル」のプロデューサーとして関わっており、今回九州に来た際にわざわざ桜坂の事務所まで足を運んでくださり、ご出演くださいました。収録後は一緒にランチを楽しむという素晴らしい時間を。いち早くトレイルランニングというカルチャーを日本に広めてきた石川さんのお話はやはり面白かったです!まるで辞書をめくるように、次々と様々な話が展開されました。ぜひお聴きください〜♫


出演 : 7trails / @7trailsfun

石川博己 @rolleinar

7trails主宰。福岡市にて「F_d(エフ・ディ)」というデザイン会社を営む。天然パーマです。

Tomono satoshi @s_tomono

友納理(トモノウさん)/ 7trailsメンバー。走ることをこよなく愛すアラヒフランナー。福岡市にて「Tomono coffee」という焙煎屋を営む。 @tomono_coffee


にぎやかし: 猫2匹(ジロとアメ) / 泣き声がちょいちょい入ります。

だいたい救急車の音が入っています。


ゲスト :

石川弘樹 @dirtytrailrunner

1975年生まれ。神奈川県出身。「走る」ための魅力的なトレイル(山道)を求めて、世界中の自然のフィールドへ赴くプロアスリート。日本初のプロ・トレイルランナーとして活動を開始し、国内外の競技に参戦する傍ら、国内でのトレイルランニングというアウトドアスポーツの普及に力を注ぐ。国内でのレースプロデュースは北は仙台、南は北九州まで5大会に及ぶ。2007年 Grand Slam of Ultrarunning(アメリカの4つの100マイルレースの合計タイム)優勝。2016年5月 東海自然歩道FKT(東京高尾山から大阪箕面まで続く、全長1697kmの東海自然歩道のうち、メインルートの約1000km)17日10時間18分で走破するなど、時代の先端を走ってきたが2021年に先天性の臼蓋形成不全、変形性股関節症により両脚の人口股関節手術を行い第一線から退く。現在、さまざまな大会運営に携わりながら、トレイルワークなどの活動を通して自然環境の保全活動にも注力している。常にトレイルランニング界の最前線を走り続ける日本のカリスマである。


平尾台トレイル

http://www.hiraodai-trail.com


収録 : 2024年2月7日


#マラソン #トレイルランニング #石川弘樹 #パタゴニア #ハッピートレイル #人口股関節 #7trailsラジオ練 #7trailsfun #7trails


このPodcastは、九州のランニングメディア「7trails(セブントレイルズ)」のメンバーが、日頃のランニングにまつわる、ローカルな話を配信しています。


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シーズン3 エピソード8


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サマリー

ポッドキャスト「7trailsラジオ練」は、日本の初のプロトレイルランナーである石川弘樹さんをゲストに迎え、トレイルランニングとアドベンチャーレースについて話しています。石川さんは20年前にトレランニングの普及活動を始めるきっかけとなったイベントや、トレーニングのスタイルの広がりについて話しています。その後、石川さんは九州の平尾台も訪れ、トレランニングの開拓を行っています。エピソード89では、石川弘樹さんが全国でイベントを行う中で、福岡の平尾台でのイベントが地域のトレランニングの活性化に貢献していることが語られています。トレイルランニングのカルチャーが生まれ、トレイルランナーが環境保全活動に参加する仕組みが整備されています。石川さんは現在、他の県や国と協力しながら山小屋や登山道を整備し、ネットコミュニティを作り、トレイルランニングのレースとワークショップを開催することに取り組んでいます。また、石川さん自身が大腿骨折の手術を受け、トレイルランニングを再開していることも語られています。模索しながらも、日本のトレイルランニングは様々な方向に進化していると考えられます。

ポットキャット7trailsラジオ練の始まり
ポットキャット7trailsラジオ練。このポットキャストは、今週のランニングメディア7trailsのメンバーが、日頃のランニングにまつわるローカルの話をお届けしています。
こんにちは、石川です。こんにちは、トモノオです。
今日は2月の7日、桜坂の事務所よりお届けしたいと思います。トモノオさんよろしくお願いします。よろしくお願いします。
早速ですが、今日のゲスト、とんでもないゲストさんをお迎えしております。
早速ご紹介したいと思います。
トレイルランナーの、石川弘樹さんです。こんにちは。こんにちは。
とんでもないってなんですか?とんでもないですよ。
僕らのこの超ローカルな番組に、まさか日本の初プロトレイルランナーをお招きできるとは思っても見なかったです。
ありがとうございます。しかも目の前に。目の前ですよ。
桜坂の事務所ですよ。
ちょっと震えますね。
あの子に向かってきましたけど。
震えますね。本当かって思いました。
楽しいじゃないですか。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
先ほど、普通の雑談の中にも僕をお話しさせていただいたんですけど、
僕はこのトレイルランニングに入ったのは2018年9月ぐらいに山を走り出して、
初のレースがアソラウンドトレイルっていう40キロ50キロぐらいのレースだったんですけど、
そのレースに出るために最初に買った靴がモントレイルの石川弘樹さんがコマーシャルしてたバハダ。
トレイルランニングのスタイルとブランド
マダラオカラーなんですよ。
ここにありますけど。
これを初めて買ったんです、僕トレイルの靴で。
やっぱりあれかっこいいね。
かっこいいですよ。かっこよかったです、あれ。
またあのカラーだけ安くなってなかったんですよ。
当時。
違うカラーは安かったんですよ。
あれは安くなってなかったんですよ。
でも僕もあれ買いました。
その前にも石川弘樹さんが多分着てたのを僕見たんだと思うんですけど、
キャプリーの黄色のキャプリー。
バハダもマダラオカラー黄色じゃないですか。
これめっちゃ合うやんと思って。
それであの色買ったんだ。
そうそうそうそう。
もうしばらくずっとあれだったです。
勝負服はね。
勝負服だった。
未だに僕マラソンでもキャプリーの黄色を着りますもんね。
コーディネートって大切っていうか面白いところだと思うので、
靴合わせた時にはショーツ、トップスは何合わせるかとか、
トップス今日これできたいからシューズはこの内容か、リンボーかなとかね。
そういうこと面白いと思うんですよね。
でも今でこそたくさんメーカーがあっていろんなウェアとかシューズ出てるじゃないですか。
でも市川さんやられた時っていうのはまだ全然何もなかった時期でしょう?
そのカテゴリーがないんですよね。
例えば日本の、そういったストーリーも話し出しちゃっていいですか。
トレラーニュシューズっていうカテゴリーもなかったし、
例えばモントレルってブランドはアメリカで、
もともとジョギングシューズメーカーがトレラーニュシューズを作ってみようじゃなくて、
最初からトレラーニュシューズを作り出したブランドではあるんですけど、
それがやっぱりアメリカの中ではメインでトレラーニュシューズとしてありました。
それが日本に入ってきてはいたんですけど、
当時トレラーニュシューズっていう市場がないですから。
ですよね。それは2000年くらいですか?
いやいや、90年。
7年、6年くらい。
90年代か。
高2まで上るわけですよね。
その当時モントレルはABCマートに並んでたんですよ。
あるのはあったんですか?
あったです。
なぜあったかっていうと、今までこそアウトドアカジュアルのファッションっていうのは、
ブームじゃなくて、一直定着してるじゃないですか。
そういうスタイルがあるっていう。
その当時って流行りだったわけですよね、一部の。
ストリートの流行りで、例えばパタコニアだったりモンスペースだったり来つつ、
じゃあアウトドアブランドを身につけるっていうのがファッションの流行りが90年代の半ばくらいにあって、
アドベンチャーレースへの挑戦
晴れの一環として足元にトレランシューズ、
トレランシューズっていうよりもこういうシューズ。
トレランシューズってか、ソールが硬いぐらいのイメージですか?
トレ級シューズと違うし、
スニーカーとも違うみたいな。
カラーがそういうちょっとアウトドア、そういったものがあって、
そういう当時のファッションのアイコンなりの人たちが、
パタコニアの当時の古着であれば30万も40万もするような、
昔出た時はそんな感じじゃないですよ。
ただね、ブームになっちゃって、着てって揃えるっていうのが流行りで、
その時にはそういった入ってはいたんですけど、
じゃあこれを使って入ってトレランシューズするって人は買えるんですよね。
そこがですよ、ファッションリーダーっていうか、
ああいうスタイルありなんだ、かっこいいじゃんっていうのをやられてたわけじゃないですか。
僕の中ではパタコニアとの出会いもそうだったんですけど、
僕もやっぱりその頃まだトレランシュしてなかったし、
誰にも出会ってないし、やっぱりパタコニアってもの、
ああかっこいいな、色とか形もかっこいいなと思って買って使ってた中で、
全然トレラニー出会うまではそういう感じだったんですけど、
出会って、要はトレラニーを出会ってて、やまんしるこの出会ってからは、
パタコニアをこれもうボロボロにして使うのがかっこいいんじゃんっていうのは、
僕の中でやっぱり高いんですよね。
本当にキャプリンとか、今でこそストライダープロみたいなランニングショーツがありますけど、
その時はランニングショーツまだなかったんですよね。
だからバギーズショーツとかで走ったりして、
後々アメリカに行ったりすると、アメリカではランニングショーツがあったりはしたんですけど、
今は入ってきてない。
やっぱりバギーズショーツで走るのもかっこいいですよ。
当時やっぱりモジックスとかね。
当時ランニングって言ったら割とピチッとタイトな駅での人が走るような感じですよね。
ある意味水着で走ってるようなもんですからね。
ルーズな格好でね。色も奇抜なっていうか、アスカラみたいなもんで。
だからちょっといろんな順番飛んじゃいますけど、
僕最初に出たレースで、初めてレース出る前に、
僕2年間くらいもレースとか関係なしで走り回ってたから、
走り回ってた結果に結びついていきなり出たレースで2位になるんですよ。
そこが。
でも才能はあるんですよね。
そういう人いるんですよ。話聞いてたら。
まだまだ置いといて。
2位で帰ってきた時に、僕がふざけた格好で走ってるわけですよ。
みんながピタピタのハチ巻きとかして走ってるので、
本当にでかいパンツで帽子こんなになって被って入ってきて、
こいつ本当にレース走ってたのか。
横から入ってきたんじゃないでしょうって言われつつ。
でもその時は割と同世代の人たちと走ってたんですか?レースも。
もう同い年っていうかいないですよね。
20代前半。
上の方たちばかり。
破節年の前にまた違うレースに出て、
その出たのが21とかぐらいの時ですかね。
その当時そういう年齢で走ってる人たちっていなかったですよね。
ある意味、かぶいた格好ですよね。
でもそれが僕の中ではすごい自分のスタイルっていうか、
自分はこういう感じで走ってるんで。
だからそのスポーツブランドがかっこいいってわけではないですけど、
やっぱりその当時からアウトドアスポーツっていうところに憧れて。
もともとドライブ始めたきっかけみたいなところで。
アドベンチャーレースっていうものに最初出会って興味を持ち出したので。
アドベンチャーレースの中の種目って全てがアウトドアスポーツじゃないですか。
だからそういったスポーツに憧れがあったから、
やっぱりそのスタイルでトレーラーニングっていうものをやっていこうみたいなところがあったから。
自分の中でもその当時からこういうスタイルを自分で広めていったらいいんじゃないかっていうので。
それはもちろん周りにいなかったと思うんですけど、すぐについづいする方たち出ましたか?
まずいないですよ。
なんだこいつっていう感じだったと思う。
まだ真似しないんですね、皆さんは。
でもそういうふうに2位になったとか結果を残し始めたら、
それはそのスタイルっていうのは割とみんな憧れていくんじゃないんでしょうか?
僕も別に戦略的にとか意図はあったわけじゃないんですけど、
やっぱり自分の中でも、先ほどご紹介の中でプロっていう言葉、
プロランナーとして日本で初めてっていう紹介をいただきましたけど、
プロになろうと思ってね、プロで食っていくんだみたいな、
今の若い子たちはやっぱりいろんな目標があってそういう子たちもいるかもしれないですけど、
僕はもうそんなプロになっても一生食っていこうなっていう考え方は全然なくて、
自分でやらなきゃいけないこととかやりたいことをやっていこうっていうのを一つ一つやっていく中で、
まずはアスリートっていうかも走る分野でどれだけ自分が強くなれるかっていうところと、
あとは最初に見たトルランの世界がやっぱりアート・ダ・スポーツの楽しい世界っていうか、
ストイックじゃない、その当時のヤバい、別に否定するわけじゃないし、
それが今までの歴史を作ってきたんですけど、
山岳マラソン、登山競争っていう世界の根性、根性はちまきをして、
鼻水をたどるたどりしながらもうぜいぜいハーハー言って、
お前弱いな、誰が強いかそこの勝ち負けじゃない一つのアート・スポーツのカルチャーというか、
レジャースポーツとして広められたらいいんだ、
三角形の、昔は先の尖った三角形だったわけですよ、人口が。
それをもっと庭園の低い三角形にしたいなと思って。
本気で走れないとやれないっていう世界ですよね、昔は。
ただでもそれを伝えるのに、僕は尖っちゃいけないと思ったんですよ。
ただでも尖っちゃいけないけどヘラヘラ、
例えばレースに出て、後ろの後ろを走るのが悪いわけじゃないですけど、
ヘラヘラのんびり走りながらしてて楽しいでしょかっこいいでしょって言っても、説得力ない。
やっぱり勝って、もしくは強い姿、かっこいい走りを見せて、だからそれがいいでしょっていうのを。
それはもちろんですけど、それは難しいですよね。
だからそれもあって、やっぱり結果っていうのは自分としても残さなきゃいけない。
それでハセツネを2連敗したりとかして、やっぱりそこで伝えられたことっていうのは非常に大きかったですよね。
そういう思考になったのはやっぱり北米のカルチャーが。
そうですね、順番がすごいあって、もともとさっきも申し上げましたけど、
サッカー、サッカーバカだったので、
サッカーから違う世界に入ったのがアドベンチャーレースに日本で初めてアドベンチャーレースに出たっていう方に出会って、
アドベンチャーレースの話を聞いた時に、
もう人生が180度変わったっていうかね、
なった中で、アドベンチャーレースを最初は目指すんですよね。
何年かかけて、最初に情報としてアドベンチャーレースを知ってから、
じゃあ自分が本当に世界的なレースに出るまで5年かけてますけど、
20歳くらいという話を聞いてから、僕初めて、
今でこそね、もともとクレイジージャーニーとかで出てくる田中さんとか、イーストウィンドーとか、
僕はあのチームにもともといたので、
あの門を叩く。
それまでもいろんなお世話になった人とか、いろんな僕をそこの世界へ導いてくれた方がたくさんいるんですけど、
イーストウィンドーというチームに入って、3年間いろんな海外のアドベンチャーレースに出る中で、
石川さんのトレランニングの始まりと普及活動への意欲
その後、2001年から、自分の一番得意だった山足ウルトラランニングっていうものをフォーカスして、
僕は極めたいなと思ったんですよ。
勝ちに行こうじゃなくて、トライマスターみたいになりたいなと思ったから、
まずいろんなレースに行ったり、いろんな人に会ったり、いろんなフィールドで走ってみようっていうので海外に出てったんですよね。
そこで見てきたトレランニングの楽しまれ方と、海外選手の走り方と、ライフスタイルみたいなものにすごい感化されたっていうか、
こうだよねっていうふうに思った。
やっぱりもう外国では石川さんがイメージされてたような、そういうラフなカルチャーというか、
そういうスタイルで走ってるっていう楽しさはあったんですか?
敷居は低いです。
もちろん例えば欧米人、特にアメリカ人のアウトドアスポーツ、自然のフィールドに対しての敷居、距離が短いというか、
小さい頃からキャンプとかアウトドアっていうものが身近にあるじゃないですか。
ボーイスカウトとか普通にありますからね。
したい人に対して、アウトドアスポーツとかトレランニングしない人にとってみても、自然を遊ぶとか膝の中で何かをしているってことに対しての抵抗感も低いでしょうし、
やり始めるための敷居も低いから、本当にいろんなカルチャーショックまでいかないですけど、
すごいなと思ったのは、いくつもいろいろあるんですけど、
山を走っていて、林道みたいなのを走っていたら、なんか変な女の人が走ってくるなと思ったら、
ベビージョガーってわかります?
子供を押して、労働はあるんですよ。
労働はもちろんあって、そのエクササイズとして、お母さんが小さい子供をベビージョガーに乗せて、労働を走るみたいなスタイル。
トレイルをそういうことをやっている人もいたりして。
トレイルはどうやってやるんですか?
子供の子もこんなにゆらゆらなんですけど、すごい良いなと思ったんですよ。
そういうことまでして、このお母さんはトレイルランニングをしたいんだなと。
したかもね。
でも子供はケッケッケッやってたりとか。
トレイルランレースは僕が日本で始めた分もあって、やっぱりレースもレースシーンも好きだし、
例えば絶対的に当時のレースは、食べ物飲み物を絶対的に持って運ばなきゃいけない。
水しか出ない。
だからトレイルランレースは荷物を背負って走るみたいな部分がありました。
ハイドレーションパックを背負って走るものじゃないですか。
でもアメリカのレースに行ったら、ほぼ9割くらいみんなハンドボトルだけで走るわけです。
僕も最初トレイルランニングを始めた時に、今映像見れるじゃないですか。
これ何なんだってずっと不思議だったんですよ。
こっちはみんないっぱい持って走ってるのに、100マイルの映像とか見ても、
トップ選手たちはほぼほぼ。
持ってないですよね。
トップ10に入る人たちはほぼほぼハンドボトル。
なんでこれで行けるのってすごい不思議に思ったことがありました。
本当にロードを走る、ジョギングがトレイルに入ってきただけっていう感じで、特別なものがないんですよね。
そういう敷居の低さ。
当然そういったものを見ながら、これをそのまま日本に持ってきてもダメだと。
ダメだと日本に合わせ合った楽しみ方っていうのを伝えなきゃいけないと。
今いろいろな日本のことを考えながらやってきたんじゃないですか。
その頃には日本にどうやって広めていくかとか、そこを落としていっていくかっていうのも考えられてた。
自分がこういうことをしていて、やりたいことの一つに自分が楽しいから、これをシンプルに人に伝えたいなっていうのがあって。
スタイルも含めて、ライフスタイルも含めて伝えたいなと思ったので、やっぱりそういうところっていうのがあって。
ただ当時、自分で普及させるのに参考にするものがないんですよ。
トレーランナーって人がいないので、ノウハウもないわけですよ。
大会自体っていうのはどうだったんですか?
2000年前後ぐらいであれば、トレーランニングって名前のつくレースは片手もないです。
山岳マラソンっていう感じですか?
山岳大休レース、そういった名前のレースしかないので、
トレーランニングレースっていう、今ほどレースであってもレジャー感のある漂うレースはないわけですよね。
トレーランって通用するような言葉じゃないんですね。
通用するというか、じゃあみんなで行こうよわいっていう感じじゃなかったと思いますね。
山足レースであっても、タイムとか順位とかっていうところが割と比重が大きくて、
じゃあそこへ行って、今のようにね。
じゃあどこどこまで行って、旅の要素があって。
もちろん地方でそういうレースもないですよね。
日本自体に少ないんだから。
点々と各地方にそういう山岳マラソンっていうものは逆にあったんですよ。
福岡で言えばカントリーレースっていうのは山岳前の方たちが。
そういう名前であったり、まだカントリーみたいな名前が使われていれば横文字っぽいですけど。
日本で山を走る文化って言えば、修行僧とか信仰みたいなものがあって、
それの一環として山を走って鍛えようみたいなね。
精神を鍛錬しようみたいなところの延長であったような大会っていうのは、
結構地方にも点々と短い距離ではあった。
ただ長い距離はないですけど、そういったものはある。
トレーニング意識を欧米のトレーニングカルチャーに寄せていくのはかなり難しそうですね。
そこはでも面白いところではあった。自分のやりがいとしてはあったところなんですよね。
だからまずは自分のノルハウを伝えるのに何をしなきゃいけないかっていうので、
例えば走り方を伝えるのに。
じゃあ今でこそトレーニングのハウトゥーボーンがあったりとか、
雑誌とかYouTubeだ、いろんな人がいろんな走り方を伝えてるじゃないですか。
それを参考にするようなものがないから、自分がこうしたらいいんじゃないか。
走り方をこうやったらいいんじゃないかっていうことを、
自分もそういうことを伝えたことがないから文字起こししたんですよ。
当時はまだメディアのYouTubeとかがないからですね。
登りに関して走り方はこうしたらいいんじゃないかっていうのを自分の中では勝手に走ってるわけですけど、
それを人に伝えなきゃいけないから文字起こしして、
登り方、下り方、転ばないようにしたら危険なこと、マナー、モラル、そういったものを全部文字起こして、
トレーニングのスタイルの広がりとトレランニングの普及
それで最初にやったのが2002年かな、2002年に。
それこそパタゴニアとのイベントになったので、
最初でもいきなり最初やったのに40人くらい来たのかな。
20年前ですよ。
でもそれは本当にパタゴニアが、
パタゴニアエクスペリエンスっていう企画をパタゴニアでバーンと打って、
参加者で参加無料っていう。
パタゴニアさんらしいね。
経験をしてもらう、パタゴニアと見せて色々選ぶけど、
その一環として情報として、こんなスポーツが無料でできるんだみたいなところで来てもらうみたいなイベントで、
本当に人が集まって清里でやったんですけど、
そうやった時に、こんなことやるんだったらちゃんとやんなきゃいけない。
ある意味パタゴニアというプラットフォームがあったっていうことは、
そういう普及に関してはすごく弾みになったんじゃないですか。
そうですね。
だから今そこに参加した人もまだにやってる人もいたり、
場所によって本当にその地域のアイコンだって言われてる子たちもいるんですけど、
そういう子たちが当然ながら最初からトレーニングのスタイルになってるわけじゃなくて、
スタンスミスで着てたりとか、トレッキングシューズで着てたりとか、
本当にジャージで着てたりっていう子たちがバーッと集まって、
そこでやっぱり初めてトレーニングのスタイルっていうか、
こういう世界があるんだなっていうのを伝えられた、
そういう方たちにとっては知った時間だったと思うんですけどね。
しかもたぶんこれ10話ぐらいにまとめられそうで、
すごいヒストリーですからね。
ヒストリーがもう半端ない。だってまだ22年前ですからね、この話ね。
例明期で言えば、まだまだ初っ端の初っ端ですよね、またこれの話っていうのはですね。
そこから今もすごく飛ぶ話ですけども、
トレーランニングっていうのの裾野がすさまじく広くなってきてるんじゃないかなって思うんですけど、
僕らが知る範囲でもここ4,5年なんですけど、
石川さんも20年以上見られてきてるわけじゃないですか。
最近のやっぱり広がりっていうのはどのように感じられてますか?
でもすごい本当に一つのアウトドアスポーツであり、
ランニングであり、スポーツリズムにも通じる一つのトレーニングっていう、
日本のいろんな部分でのカルチャーに僕はなってきてるんじゃないかなって。
イメージ通りな感じですか?
そうですね。ただ本当にここまで、始めた当時にここまでの規模になるかっていうのは想像もしてなかったですけどね。
そういう状況だったってことですよね。
ここまで広がるとは全く思ってなかった。
この20年っていうのは結構爆発的にいろんなものが変わった感じですか?
メーカーにしても意識的には変わった感じも受けますか?
そうですね。
だってブランドも本当に、今でこそあらゆる手術メーカー、ウェアメーカー、いろんなメーカーがね、
例えばヘッドランプメーカーがウェア作ってたりとか、
あらゆるブランドが、ギアではないブランドが、もちろんガレージブランドも出てきてきましたし、
その広がりっていうのは日本国内だけではなく、
九州の平尾台でのトレランニング開拓
やっぱりその北米とかヨーロッパも含めて、世界的に広がったんでしょうか?
日本はそこがね、多分国民性もあるんじゃないかなと思って、
ハマるとグーッと行きますよね。
なるほど。
どんなことにも。
追求しがち。
ガレージブランドみたいなものもバンバン出てきて、それを着出す人がいるっていうのは日本特有じゃないかなって。
なるほど。
海外で、じゃあそこまで本当にそういうバンバンガレージブランドが出てきて、
それを出して、一般のトレーナーたちがそれを着て走ってるシーンっていうのは海外にあるかって言ったら、そうないんじゃないかなって僕は思っていて。
そういった意味では国民性も今の日本のトレーナーのシーンっていうのは国民性が作り出したものかなって思いますね。
なるほどね。
なんか本を読んでるかな?
全ての知識が手に入るっていう感じですね。
本当です。
石川さんと話してたらね。
面白いですよ。
石川さんは九州との関わり、まあまあ頻繁にいらっしゃってると思うんですけど、いつぐらいから九州には?
最初に来たのはそれこそ本当に平尾台なんですよ。
平尾台は2010年ぐらいですか?
大会自体はそれぐらいにやったと思うんですけど、僕が最初にこの平尾台に来て走ったっていうのは2006年とか7年とかなんですかね。
本当に山雑誌のどっかの何かのページの白黒の平尾台のカルストの草原の中に岩が掘ったときに違う写真を見たときに、これどこだろうと思って。
そこで調べたのが最初で、本当に白黒の本当に小さな木みたいな写真を見て。
独特ですよね、あの地形はですね。
それで行ってみようと思って、僕本当に行きたいフィールドは今でこそいろんなイベントとか仕事でいることが多いですけど、その当時はいろんなトリル開拓をしてたので、行ってみようと思って。
それは日本全国なんですか?
トレーニングの普及とコミュニティ形成
でポンと来て、平尾台を本当に飛行機で北九州駅帯で電車に乗って、その当時レンタカーとか借りてこなかったから下からタクシーになって平尾台で回らなくて、バーンと広がるわけですから下から見えないですよね。
うわーやばいなここって感動しながら走って、それが2006年とか7年くらいだったと思うんですけどね。
そこで走って、そのタイミングで僕はハッピートレイルっていうね、いろんな全国でパタゴニアとOSGA、パワースポーツさんですね。
トレーニングを普及させるために本当に日本全国でイベントをやってたんですね。
それこそ今でこそコミュニティってものが各地域にあるじゃないですか。
その当時は本当にみんな点だったんですよね。
みんなそのトレーニングをしてみたいけど、どこをどうしたらいいかな、どこを走ったらいいかわからないっていう人たちを点と点をつなげるようなイベントを本当に全国でやってて。
その中で福岡点ができた当時なんですよ、パタゴニアの。
それを回せて平尾台ってところで、まずはちょっとやってみようかなっていうのでやったのがきっかけみたいなところがあって。
最初一人で走りに来て、フィールドで合わせてハッピートレイラー、こんなイベントをここでやったらいいんじゃないかなっていうのがあって、平尾台でやったっていうのがきっかけなんですね。
なるほどな。
最初やった時もね、本当の最初平尾台来て、僕当時ドレッドだったんですよ。
だから2005年だ。
2005年です、来たのね。
2005年くらいまでドレッドだったんですか?
ドレッドで走ってて真っ黒じゃないですか、サービスもしてるから。
真っ黒で、チューブで出てる四国から。
当時だから。
変わり当てた時ですよね、でも。
1000年前ってチューブするって言われた時代ですからね。
平尾台観山センターとかでいろんな資料とか取りに行った時に、何しに来たんすかって。
高校で山走りに来たんです、みたいな感じになって。
すごい良いフィールドだから、じゃあそんなイベントをするのに。
こんなイベントをまず当然やるからには、こういったスポーツをちゃんと伝えなきゃいけないという話だと。
変なことしないでくれるかなとかって言われたわけですよ。
確かにね、国定公演だ。国立公演じゃない国定公演だし、そういうとこだなと思いつつ。
ただでもやるんだったら、いついつと人数とどういうコースを回ってくるかっていうのを教えてくださいねって言われて。
で、やったんですよね、平尾台。
なるほど。
ここからなんですね。
そう、そこからなんですよ。
本当に九州、初めてっていうのは、まず平尾台とそのボラティックトレイルドっていうとそのイベントっていうとこだったんですね。
その時のハッピートレイルドの人たちがまたコミュニティ作って、今では九州では割と主要なボラチームができてたりとか、そこで知り合った人たちがその後コミュニティになっているものってあるんですよね。
だからまさに平尾台に関してはそこのハッピートレイルドとその地元のアウトドアショップの人たちとの、でいた店の人たちがそこのイベントみたいなとこで繋がり、それでその後平尾台っていうレースが開始されるまでに至るんですけどね。
なるほどですね。九州も平尾台もそうでしょうけど、全国つつ裏裏そのような動きをされているわけですよね。
摩擦してきたんですね。
それをレースをしながらっていうのがすごいなって思うんですけど。
今でこそ戦っている選手たちが海外の成績出してますけど、そこまでの戦い方はできてないですけど。
平尾台でのイベントと地域活性化
2005年っていったら2007年、グランドスラムの予選は2007年ですよね。
バリバリやってた時ですよね。
レースは戦ってましたね。
すごいやっぱりコミュニティをね。
そこで自分の活動とコミュニティ作りとか国内のローカルなところにわざわざ行くっていうのは相当パワフルなイメージですけど。
そこがねでも面白いところなんですよ。
トレランニングっていうのはいろんなところでセミナーとかやったりするときに伝える話なんですけど、
トレランニングってネアウィティブに考えちゃうとフィールドまで行かないとできないスポーツじゃないじゃないですか。
でもポジティブに考えるといろんなところに行けるスポーツなんです。
行けるそれが楽しさなんですよ。
フィールドに行くこと自体が楽しい。
そこまで一つの飛行機なのか船なのか列車なのか。
その移動と食と地域の文化っていうのはその当時僕はもうそこがセットで魅力だったから。
当然あの移動の時間っていうのは確かに大変だったりレースタイムだったら時間もったいないなってのもあるんです。
そこが楽しかったからね僕はどこ行くのも楽しかった。
鹿さんよくトリップって言い方しますよね。
今でも普通にトリップって言葉が使われるようになりましたけどやっぱりサーフィンしてたから。
僕の中でトレランニングに本当にマッチする表現だなと思ったからそういった言葉を当時から使ってきてはいるんですよね。
確かに行くっていうことが必要ですもんねトレランニングはですね。
そこを合わせて楽しんだよっていうことをねスタートした。
だからそこが今一つトレランのレースみたいなものが地域の活性だったりとかそういったところでトレランレース大体地域の観光業界とか
そういったところがかかってたりとか青年会議所とかそういったところがかかってきてやっぱりそのトレランというのが一つの地域起こしとか地域活性に役立っている部分につながっているというのはそこがうまくリンクできてきたかなというふうに思うんですよ。
特にやっぱり日本は山の割合が多いですからですね。
そういうものがそのトレランニングが地域の活性化の役割を果たしてくれればかなりの地域でそういう活性化ができるということですもんね。
だから以前はその本当にこうトレランニングっていうのはまずその地域地域なりに伝えていくことから始めなきゃいけなかったんですよね。
トレランニングとは何ぞやっていうものをただ地域の人たち集めて本当にこうスライドを見せてこんなもんですとかこういうレースなんですこういう人たちが走るんですっていうものを伝えながら各地域でやってたものが今は逆にその地域の人たちがもう知ってるから知っててあの依頼をしてて来たら声をかけてくることも今は当たり前になってきて
その地域の誰々がそのトレランニングっていうものに興味を持ったかやりたいんだけどでも地域の誰も何も知らないからまずそこから伝えてほしいっていうところから始まってたんですけど。
ヒラオーダーのトレランニングといえば割とそっちに近かったんじゃないですか?
立ち上げから規模を決めていったというかスケールも含めていろいろディレクションされていかれたわけですか?
そこは最初にできたそのコミュニティの人たちがヒラオーダーの大会できるまでって最近大会の役員されている安倍さんがその経緯に関してをブログで書いているので
そこに細かくなってますけど
僕がやったハッピートレイルドイベントに役所に勤めている方がトレランニングっていうものを知って
ヒラオーダーとトレランニングの可能性を感じてもらってそれを役所内でいろんな形で伝えて
それがいい経緯があってじゃあヒラオーダーというところでトレランニングっていうものをしてみましょうかっていうところで再び僕は呼ばれて
そこへ行っていろいろ始まったわけですけども
石川さんの経験と海外での活動
四川さんが全国各地でコースのディレクションをやったり大会の規模を決めたりスケールを決めていかれるということを背景したんですけど
そういう枠作り自体も慣れていらっしゃる方っていうのは当時いらなかった?
そうですよね
どこから始めていいか?
レースを作ってるのがメインだから今プロデューサーのような立場だったりアドバイザーだったりいろんな形で関わってますけど
僕自身もレースを作るっていうところは自分でビジネス的ってやってるわけじゃないし手探りですよね
でもその手探りの背景にはやっぱりそこは僕の経験というか海外で見てきた経験
それを日本と比べて海外のレースを参考にしながら
日本の道場というか文化に合わせてどうやったらいいかというところをうまくやっていったかなって
だからそこは最初から人を呼びたいからって言って
じゃあ1000人2000人もじゃなくてやっぱり環境を配慮して
なんでトレーニングが楽しいかというと自然があってのスポーツ
CMオーバー対策しながらレースをしなきゃいけないというところから僕はアプローチをしていたので
だからそのからの規模ですよね
その差し加減がやっぱり難しいなっていう風に思うんですね
どうしても商売っていう風になってくると人数が多い方がいいしっていう風になってくるじゃないですか
そこが例えば自然とどこまで兼ね合ってそれが適切なのかどうかっていうのってわからないと思うんですよね
でも石川さんそういうような環境保全活動的なこともされていらっしゃるんで
そこの差し加減がすごい上手なのかな
上手というかそれは本当にもう海外見てきたところに尽きると思いますね
私もアメリカの最初のレース行った時にとにかくいろんな情報収集したりとかいろんなものを見るのに
とにかく参加人数の大きい大会とかまずいろんなところに足を運ぶんですね
最初出たのが600人ぐらいかな
でもそれでもいろんなレース出ていく中でこんなに参加者が盛り上がってるのに120人しか走れない大会があったりとか
そういった時に海外のレースディレクターとかオーガナイザーと話す中でいろんな話をしていて
例えば日本で大きな大会を2000人回してるんですよ
加藤羽瀬さんとか内藤さんや北田さんという大会を2000人回してて
海外のレースが100人しか走れない大会もある中で
そういったディスカッションをしている中で
そんな人数多かったら選手面倒見れないでしょっていうところと
やっぱりそれは自然に対するインパクトが大きすぎるだろうっていう話をやっぱり
そうだよね
まだ自分がレースをやる前にそういうディスカッションができたっていうのは大きいですよね
当時から日本よりはアメリカ、北米のほうが環境保全とかの意識は高かったんですか?
そうなんですよね
PRするようなレースとかっていうのは別にないですけど
当たり前に
自分たちのフィールドを守るっていう感じ
こういうことでやるからインパクトをかけないんだとか
こういうことでやってるから自然に対する参加者の意識が高いんだっていう
今でこそ聞くようになったトレイルワークっていう言葉がありますけど
当時から例えば100万円レースに出るにあたっては
トレイルワークっていうトレイルに従事した作業を8時間以上しないと
このレースには出れませんよっていうレギュレーションがあったり
そういうことがあることによって
なんでトレイルがあるのか
なんで安全快適に走れるのかっていうのは自然に培われますよね
こういうこといいなと思って
もともと僕もいきなりレースから出てたわけじゃなくて
さっきも雑談ながら走りましたけど
レースで2年間くらいレースなしでひたすら山を走り回ってたから
速さとか順位じゃなかったんですよね
サッカーやってて山の山地も知らない中で
いきなり山へのアプローチが歩くじゃなくて走り始めちゃったから
自然の気持ちよさとか自然の雄大さとかそこが大事だったんですよね
走ってての気持ちよさだったから
競技で初めて国体の人たちとかそういう人たちが
目の色変えてレースの順位を競ってるのを見たりして
本当に例えばなんですけど
ある選手がレースを勝つためにスパイクで走ってる
トラック競技のピンのついたスパイクあるじゃないですか
あれで走ってたので勝ち負けにはもう手段選ばないんだなと思って
そうじゃねえだろっていうのがあったりして
そうじゃなくて
ちょっとまた話し飛んじゃいますけど
トレーラーニングのカルチャーと環境保全活動
普及させるにあたっては
自然があってのアウトドアスポーツでありトレーラーニングだから
そこっていうのはちゃんと伝えなきゃいけないなと思ったわけですよね
それは本当にそういういろんな海外で見たものと経験したものと
知ったことによって自分の中で解釈して日本流に伝えてきた
っていうのがこれまでっていう部分もありますね
トレーラーニングのかっこよさっていうか
カルチャーの中でただ走って競技をやるっていうだけじゃなくて
今のようなトレイルワーク自分たちが自然に対して
どういうアプローチができるか
自分たちの遊び場を作っていくかっていうところまで含めて
どういうことをやってるのかがかっこいいなっていうような
カルチャーも今生まれてると思うんですよね
例えばパタゴネフィルムでやられた
強制のために走るという南三陸のぬわしの生息環境を
作っていこうっていうやつだったんですけど
あれとあれの中で防火帯を作るっていう作業があったじゃないですか
復活させるんですね 昔あったものを戻す作業
あれって九州で言えば阿蘇の草原でも
わちぎりっていうのが防火帯を作る作業
夏場にわちぎりするんですけど
僕はこの前講習会に行ったんですよね
そこで勉強させてもらった時に
相当大変な作業だというか危険な作業だと
それを今高齢化で従事される方が少なくなって
それの維持活動っていうのがかなり難しくなっているんですね
そこでボランティアっていうのを募って
その活動を今やってるんですけど
そのボランティアにトレールランナーが関わる仕組みっていうのを
こちらの大会運営の会社とかが
わりとそういうところにも積極的にアプローチして
今トレールランナーがわちぎりだったりとか
草原維持活動のボランティアに参加するっていう
仕組み作りっていうのはできてるんですよね
そういうのに参加して自分たちが環境保全だったり
日頃遊んでいる山に保全活動にアプローチしていくっていうのは
かっこいいなというふうに思って
そういうカルチャーが生まれたなという気がして感じてきましたね
トレイルランナーによるボランティア活動
それを本当にいち早く形として見せられたんじゃないかな
というふうに思ってます
なぜこのトレールを走れるか
なんでこの景色がこうに見えてるかっていうのを
何も考えずに走ってたら
それが当たり前なわけじゃないですか
その作業がなければ
例えば手つかずになっちゃえば草ボウボウになっちゃう
草ボウボウになっちゃったら景色が変わってきちゃうわけですよ
するとこの場所はそういった作業が行われてきたから
この景観があるんだなとか
こういう走りやすさがあるんだなというのがあって
そういったところを
そういった作業に触れないとわからなかったりもするわけじゃないですか
そういうことの上発信をしてくれる人がいないと
またわからないわけで
だから本当にそういう作業自体が大変かもしれないんですけど
面白くないですか
面白いと思いました
そこもあるので大切な作業であり
強い人に伝えなきゃいけないことでもあるんですけど
大会開催と地域への貢献
やってる本人が楽しいから
そういうことっていうのは本当に伝えていってもらいたいなと思いますね
そういったものを広げていって
かつて俺らみんな元気だから
そうなんですよね
しかも謝ってるから
ガンガンそういうところに行って
役に立ってほしいもらいたいなと思いますけどね
ASOでも燃焼するときに
リュックに20リッターぐらい水を入れて
手動のポンプで消す係みたいな
保険みたいに入ってたれてる人が一人いらっしゃって
その人っていうのは一番小高いところまで登らなくちゃいけない
そういうのって普通だったら嫌がる作業なんだけど
20リッターでああいう一人で
小高いところにいち早く行かないといけない
それ俺やれるんじゃないかなって
トレードなんだったら思いますね
面白がってやるんじゃないかなっていうか
むしろ
そういったところに
これっていうのは絶対付き物で
そういうことをされてる人たちって
年配の方たちが
後継者みたいなところは絶対取られないので
制御も含めて
役に振ってるんじゃないかなと思います
ぜひやってもらいたいなと
そういうこともね
今一般のおじいちゃんがやってることも
俺があれやるんだみたいな感じでね
なってもらえたらいいんじゃないかなと思いますけどね
そのASOも石川さんの
共生のために走るを見たときでも
自然って僕らが言ってるけど
自然って言ってしまうと
森深い自然になっちゃうじゃないですか
人が入れないっていう森深い自然になってるんですけど
僕らが遊び場として
トリエルラーニングをやろうとすると
ある程度人の手が関わった
明るい自然っていう
イヌアシの環境保全のことでも石川さんおっしゃってましたけど
明るい森
背の高い木ばっかりだと
そこにいる生態系も偏ってしまう
もっと開かれた明るい森にすることで
小動物だったりとかそれを捕獲する動物とか
生態系の広がりが生まれるっていうふうにおっしゃってたと思うんですけど
そういうところじゃないと僕ら走れないと思うし
そこには人の手っていうのが関わるんだなっていうふうには
勉強になりましたね
いろんな意味で人間が手を加えた以上は
手を加え続けなきゃいけないはずなんですよね
もともと日本の山の歴史の中で
当然いろんなものが変わって
いろんな風潮だったりとか文化も変わってきてしまってる
変わってる部分もありますけど
やっぱり山もそうで
道を作った以上はやっぱりその道は
手を入れ続けなきゃいけないと
道は存続できないし
植生なんかもやっぱり木を植えたら
もともとハイスのところに木を植えたわけで
だからそこに対しては
いろんな人間がちゃんと手を入れた人が
手を入れていかないと
その山だったりフィールドは景観も含めて
維持していけないはずなんですよね
そこは大事なことだと思うんですよ
そこを知ってもらう考えてもらう
でもそういう活動っていうのは
全国で結構並行していろいろ行ってるんですか?
僕自身やっぱり自分のレースだとか
関わってるフィールドでやるのが手一杯なんですよね
唯一三陸がそういったちょっと特集で
犬足っていう絶滅危惧種を守るための活動なので
そこはもう続けていかなきゃいけない
他のところでいえばレースに関わるフィールド
レースを行われることによって
そのフィールドが安全快適に歩ける
走れるようになったっていうのが
その地域に伝わってくれるといいな
レースが行われるようになって
トレーラーたちが増えて
なんかトレーラーあれだよねとか
なんか山行きにくくなったよね
っていうのは絶対あってはならないことなので
レースが行われるようになって
トレーラーは整備をしたりとか
あとはランナーたちがいることによって
いろんな意味で安全になる
例えば道迷った人に対して地元のローカルランナーが道を教えてあげたりとか
それだけでもいいと思うんですよね
あとは毎日走るホームマウンテンみたいな
山があるランナーたちが日々歩く走ることによって
本当に風の強い日
あといけばいろんな枝が倒れてたりするものをどけたりとか
石が転がっているものをどけたりとか
それだけでも道は歩きやすくなるようになるだろうし
大会があれば大会がそういったコース
大会ですからコースかもしれないけども
レースだけのためじゃなくて
トレイルのためのために整備をすることで
いろんな人たちがその道を
それは結構最近でも聞きますね
トレイルランニングの大会をすることで
その道が固められてずっと通りやすくなっている
それに対して地元の感謝の言葉もあるんですよ
っていうのは聞きますね
当然ながら全部がそういうわけじゃないので
当然ながら地元がかかっている大会もそうですけど
天候が悪化したとき雨降った後に
やっぱり集中的に
数百人が走ればぐちゃぐちゃになっちゃいますし
だからその辺はちゃんと大会の方で
ジャッジをしながら開催をしないといけないんですけど
でも基本的な大会の開催の仕方としては
まずトレイルを使わせてもらうんだから
その分ちゃんと自分たちでも
メンテナンスしたりとかしながら大会開催して
自分たちだけじゃない他の利用者の人たちにも
ちゃんと貢献できるように大会の開催の仕方
あとトレイルランナーたちも本当に各地の増えていると思うので
ランナーがいることによって
その山トレイルが本当に地元の人たちにとってみても
山が明るくなったとか
誰も人が入らなくて薄そうとしている山が明るくなったとか
明るくなったの意味はいろいろあって
当然ながらお道を通りやすくなったことの明るさも含めて
人気がするっていうんですかね
騒がな人たちが挨拶もしたりとか
そういったいろんな情報交換もできるような人たちが入ってきて
なんか明るくなった
いろんな意味でトレイルランナーが役に立てると思うので
やれることって本当に小さなことから
人が集まれば大きなことにつながりますし
もう一人一人がそういう個人で活動する時期ですよね
石川さんが各所回って講習するようなことでも
もちろん引き続き情報発信はされると思いますけど
トレイルワークをしたいんだけど
そういうトレイルワークの現場が見つからないとか
どういうふうにトレイルに関わって
地域に関わっていけばいいんだろうって思う方っていうのは
割とたくさんいらっしゃいます
そうですね
感度が高いというか
ある程度情報をキャッチできて
または知り合いからちゃんと誘われて
トレイルワークに参加してっていう人はいいんですけど
もやもやしたいんだけど何か見つからないっていうのは
結構周りにいるなという感覚はしますね
うまくそこらへんをつなげてあげられるような
情報発信だったりとか情報のキャッチの仕方があると
もっと増えるような気がしますね
そこはこれからというか今の課題で
いろんなものがあって
一つには簡単に整備ができないというところは
政治というか山道の例えば
治験者もたくさんいるわけじゃないですか
勝手にいじれないっていうところもありますし
やっぱり移住からには
自分が整備したところで人が怪我したら
やっぱり作った人の責任になっちゃうんでしょうし
難しいですねそうなるとですね
階段ができて転んだとか言われてもですね
やっぱりその仕組みを作ってから
ただ今そういう風潮にはなっていると思います
やっぱりいろんな登山道にしても
大体公に登山道が拝見コースになっているところは
その自治体が管理者になって
治験者から借りたりとか
場合によっては買い取ってみたりともあるかもしれないですけど
それが管理している中で
いろいろ例えば壊れたとかあれば
その自治体が他の出して整備したりとか
でもそこが追いついてないのが現状だったり
誰が整備するのか分かっていない状況があったりとか
そういったいろんな各地域でそういった情報が上がっているから
ネットコミュニティとトレイルランニングのレース
それじゃあどうにかしなきゃいけないね
例えば元に来たら住みたいなところで山小屋が整備したりとか
でもそこに対してやらせているわけじゃないから
他の県だとか国だとかそういったところも当然協力しながらやっているし
その仕組みを今作ろうとしているところだと思います
だからただやってみたい
やりたいんだけどと思いのある人がいる中で
そういった場を作らなきゃいけないのは
本当に今僕らの役割で
そこが今課題ではあるんですよね
そういう意識が割と僕の周りでも高い人いらっしゃるんですよね
これが正しいか分からないですけど
今レースって国内で300から400ぐらいあるわけですよね
そんなにあるんですね
あると言われていて
それをちゃんとレースに考えると
300箇所のコースが使われて
登山道が使われて遊歩道が使われているわけで
それを各大会が年間1つでも2つでも
どこかしら本当にわずかな距離でも
ちょっとずつ整備して整えていけば
それだけ綺麗になっていくわけじゃないですか
日本全国レースがあることによって
そのフィールドが整えられていくんですよ
それってすごい効率的なことで
九州自然保土は3000キロありますからね
ある意味一つレースってありましたけど
レースの大会主催者がそれをやっていくことによって
そのレース主催者は個人と違いますよね
それはある意味コミュニティだったり
ある意味組織に上がってますから
そこの信頼度って高いわけですよ
個人が何とかしたいですって役所に行って
勝手にしないでくださいって言われちゃうのが
まず第一なんですけど
でもちゃんと順序を
ちゃんと申請をして
信頼関係の取れた行政とかと大会主催者が
そういうことをするっていうのは
資金は高くないと思うんですよ
ちゃんとその信頼関係ができていれば
じゃあそれぐらいだったらやってください
僕らお金も人前でもないので
やってくださいって言われるケースが
僕は多いんじゃないかな
トレイルランニングのレースと
トレイルワークのワークショップも
同じくらい告知があって参加できるような
雰囲気になれば面白いですね
それのために課題というか
主催者もやりたいんだけどやり方がわからない
主催者が多いと思うんですよね
石川さんの大腿骨折の手術とリハビリ
そういったことでできるのは
当然コーミーヒロイとかもそうだし
もともとあった壊れてしまったところを
復元させるぐらいだったら
ぐらいだったらということもないですけど
いろんな人と
そういった当僕関係の人とか
もともとそれを作った人とかと一緒にやれば
それはできるわけで
結構達成感ありますよね
みんなでこの3キロ作ったぜってなると
3キロなんてとんでもない距離ですよ
100メーターでもいいんですよ
50メーターでもいいんですよ
進まないですよね
それがもう
一箇所で整えられていることは
利用する人たちにとってみたら
本当に貴重な植物がね
例えばヒラウダイみたいに
本当に道のすぐ脇に
絶滅危惧者が生えているようなところもあるので
そういったところで勝手に整備とか
ってのは当然誤発度ですけど
そういう知識も得られるのもいいですね
僕らが普段見過ごしているような
貴重なものっていうのが
自然の中にあるということですよね
発見できるということですよね
それは多いな
もう結構時間も経ってきたので
もう一つだけ聞きたいんですけど
石川さん怪我です
友人の友野さん
大腿骨折で
もっつい最近まで走れなかった
ちょうど僕がリハビリしていた頃に
手術されたので
2012年くらいですか
2022年くらいでした
股関節を手術したのはそうですね
僕は2020年の6月に大腿骨を
大腿骨が縦に9センチ割れて
転倒して
一緒にトレール行ってて
前で転倒して
木の根にキックしちゃったんですよ
膝を強打して
まさか折れてるとは
抱えて下ろしました
圧がかかったみたいな
膝は大丈夫だったんですか
膝が大丈夫だったのは奇跡的に
大腿骨だけで
それをボルトで締めた
ちょうどまだ
ちょっと走り出したくらい
手術されたから
すごく近い気持ちで
見ていたんですけど
手術後の走行能力とトレイルランニングの楽しみ
すごく最近は
先週も笠戸島を走られてましたし
どうですか
怪我が走れるなって
治ったわけじゃないので
僕の場合は
人工関節というものには
取っ替えちゃったので
治ったわけじゃないんですけど
でも僕の怪我っていうのは
もともとそういう
これいろんなとこで
この怪我の話をする前
怪我の話をするときに
必ず言ってるんですけど
こんだけトレーラーに
プロ第一が走って
人工関節になっちゃったっていうと
トレーラーしてると
股関節痛めて
怪我をするんじゃないかって
先天的なものなんですよね
僕の場合は
もともと股関節の
要は骨盤にあたる
球外って言って
大体骨から出てる
骨頭の収まってる場所が
人より浅くて
浅いことによって
動きが不具合が生じて
それを僕はもう40
生まれて40何年か
かなり激しい動きをしてたので
軟骨がすれちゃって
球外が浅いことを
球外形成不全
そして軟骨が減ってしまって
股関節炎が不具合を起こすことを
変形性股関節症
球外形成不全
変形性股関節症
っていうもので
僕は2020年
手術したんですけど
痛みに関しては
7年ぐらい前に
出てきてしまって
それは筋力の低下だと思って
それまでも
そういうもともと
持った骨格でしたけど
ものすごい筋肉と
カバーしてた
多分出てこなかったんじゃないかな
その前に
やっぱり自分の年だと思う
筋力低下もあって
あれでも
なんか違和感が出てきたときには
もう割と進行してた状態で
東海道のFKTをやった
翌年ぐらいじゃないですか
翌々年ぐらいかな
翌々年ぐらい
そこまでめちゃめちゃ強かったわけですよね
1000キロを17日で走って
その翌々年に
そういうのが出てきても
これちょっと疲れてんのかな
っていうぐらいしか思わないですよね
今までの
症状的には
マックモン先生も
ドクターに診てもらったときにも
いきなりやっぱり
走るのやめなさいぐらい
と言われたんで
でもまさかと思うわけじゃないですか
まさかですよ
一昨年も1000キロ走っても
全然平気だった
体が悪いみたいな感じだったので
ただでも
そういう症状があって
本当に
6年7年は我慢しちゃったから
やっぱ真っ気になった
もうどうしよう
再生医療とかも
九州まで来て
おっしゃってましたね
3、4ヶ月いて
1年ぐらい前に
出したんですね
そうですね
だって見たけども
ダメだったんで
僕の場合ね
僕の場合はダメだったんで
再生医療はダメだったってわけじゃなくて
僕の場合はダメだったんで
もう
手術しかない
ただ手術も
手術したら
もうトレラーは終わりだなと思ってたんですよ
やっぱそういう気持ちだったんですか
順行肝節なんかにしたら
やっぱりもう
基本順行肝節の
やってはいけないスポーツとして
登山
ジョギングなんですよ
それはもうどこのサイトを見てて
どの病院に関してもあって
それはダメだった
あとね
こういう時世だから
SNSとかでも
順行肝節とか入れても
他のスポーツは出てくるんですよ
ダンスとか
自転車とか出てきても
ランニングをしている順行肝節の人は
ほとんど皆無で
やっぱダメなんだな
っていうのがあったら
手術したら終わりかなと思ったんですけど
でも手術する
少し前に
手術を考える少し前に
順行肝節走っている
トレラーたちがいたんですよ
一人二人いて
でもう100キロとか100マルとか
走っちゃってたんですよ
そこまでの方が
そういう方がいたんです
すごい希望だったね
本当にまさに希望だったんですよ
それで
そういう観点からまた
お医者さん調べたりしてたら
大丈夫じゃないかな
ただお医者さんたちも
事例がないわけですよ
言わないですよね
言わないと言えないですよね
私は本当やっちゃいけない
極限のイエスポーズだと思うんですよ
ただでも
やっぱりもう
いろんな人工肝節の
素材とか進化してるし
手術とかも
やっぱり良くなってるから
先生によっては
走れるようになりますよ
楽しみにしてくださいね
って言ってくれた先生がいたんで
僕はそこで手術をして
しかも両足一気に
片足ずつじゃなくて
僕は一気にやってしまったんですけど
どういうお気持ちだったのかな
っていうのを今日すごく
僕は聞きたくて
僕にとっては
手術する前
寝てても痛いし
痛み止めも効かない状態で
だからその
2022年手術する
2021年
2022年
手術する前の
体幹ウエイトしてる中で
足引きずりながらね
手術ある意味
日常生活を取り戻すぐらいが
最低限と思って
手術するぐらいでも
あったわけですよね
それもでも
手術したら全く走れない
だろうなと思ったら
本当手術はね
もうどうしても
しちゃいけないな
と思ってたんですけど
先輩たちが言ったから
もうやって
今の自分にとっては
本当に手術
逆にもっと早くしておけば
よかったらぐらい
なるほど
勢いですよね
それぐらい
確かにもう
早く走ることは
できないかもしれないですけど
楽しさは取り戻してますか
ゆっくり
自分のライフスタイルの中で
気持ちよくね
走る
下りにしても上りにしても
当然なんか
稼働域が狭くなってしまったりとか
足が上がるはずのところが
上がらなくなったっていうのも
あるかもしれないですけど
やっぱりその
トライの醍醐味である
気持ちよく
自転車の中で
走り過ごすっていうのは
もうできるようになったって
そこはね
ありがたいなと思うんですよね
いやー
僕らも
僕らというか
僕も56なんで
どんどんどんどん
筋力も衰えていくだろうし
今までやってた
強度のものっていうのも
きつくなってくるわけですよね
そのうち
進んでいく日本のドライニング
走れないっていう時にも
なってくると思うんですよね
その時に
5歳上の人とか
10歳上の人が
健康に走ってるとか
走れないにしても
山を楽しんでいるとか
そういう姿を見ると
自分も励みになるというか
まだ5年後も
ああいう風な楽しみ方が
できるんだな
っていう風に思うじゃないですか
特に石川さんみたいなね
皆さんから
憧れな存在というか
見本になっているような
方が
人工股関節になって
っていうところで
実際爆感した人いると思うんですよ
僕はマジかよ
またここでもう
それで
歩くことだけでも
僕ら見てて
頑張れる人たちが
うわ良かったなーって
本当に思いましたし
それで
ジョブができるとかなったら
それはもうね
本当奇跡見てるようだな
っていう風に思いました
ただね
この間もレースもそうでしたけど
いろんなとこで
人工股関節の方
俺に負けないでくれよ
って思いました
でも何かで
ギロ4分台で走れるかも
みたいなこと
おっしゃってませんでした
今やっぱり自分の中でも
当然ながらやっぱり
ここはもう本当に
自分の性格だし
アスリートになってきたくらい
あって
やっぱりレースであっても
やっぱりね
自分の今動ける範囲内で
限界をチャレンジしたいわけですよ
そういった中で
無理はしちゃいけないですけど
スピードなんかも
徐々に徐々に
上げられるレベルまで
上げられる限界までは
上げていく中で
昔本当走れてる時なんて
4分もある意味
ジョブみたいな部分もありましたけど
今の4分走るのは大変ですけど
4分までね
5キロなり10キロ走ってる中で
じゃあこっからの1キロ
ちょっとマックスで
走ってみようかな
みたいなところで
走ると今4分ぐらいで
走ることができてる
ただ4分を
フルマラソンの40キロ走るかって
当然無理ですけど
そういうところまでは
上げられる体ではあるので
ただそれを今後
今1キロしか2キロしか
それぐらいのペースで
走れないけど
じゃあ5キロぐらい
走ってみようかな
走ってみようかなっていう
チャレンジをしていきたいな
と思うんですね
だから大腿骨の骨折
骨の骨折であれば
骨は再生しますから
もう全然問題ない
もう大丈夫です
もう1週間前の
ベップを置いた
毎日マラソン
先週
出しました
ベストが出ました
すごいすごい
怪我をするとね
またね
人か武家か
ちょっと違う感覚になります
僕らも見て
嬉しかったです
友人さんベスト出してよ
怪我をしたりすると
トラブルなり
なんかあると
その時のつらい思いが
動き出した時
ものすごいエネルギーに変わる
だから怪我しろとは
言わないですけど
それってすごい大事なこと
怪我でやめちゃう人もね
仲にいらっしゃるから
それを乗り越えたら
次の楽しみがあるんだよ
怪我をすると
旗から思えることが
するじゃないですかね
なんか
何度くらい
遅いですよ
3時間13分
でも3時間13分
どこ怪我しない
してない人
そこを走ろうと思う
難しいです難しいです
森立派だと思います
いつも力をもらってます
ユウキさん
しかもユウキさんは
シンボルとしてね
健康にそうやって
トレイルにいる姿で
僕たちからもらえるな
って思ってます
そう言っていただけないと
怖いです
だからもう
日本のラズぐらいになって
ヒゲがボウボウになってても
とにかく
佇んでてほしい
これからまた楽しみですよね
ユウキさんどういう
怪我を乗り越えて次の楽しみに
おじいちゃんになっていくのか
おじいちゃん
あのおじいちゃん
昔グランドスラも
優勝だよっていうぐらいの
いやいやいや
サブスリーになった人は
一生サブスリーって
僕ら言ってますけど
同じですよ
でもいろんな人がね
グランドスラだったら
ともくんがやってみたり
マルキーマウンテンスラムラ
だったり
磯浦さんとかがやってみたり
東海一線戻ったら
いろんな人がチャレンジしてくれて
なんかでも
本当に最初に
やった身としてはね
最初にこんなやつが
こんなことしてたんだよ
とかそういうことはね
言ってもらいたいですね
明らかにみんな
自分でやったかのように
言ってるから
そこは寂しいところでも
あるんですけど
でもみんながね
そういったところに
目を向けてくれたって
嬉しいです
常に先駆者って感じがしますね
今でもさ
ドレルワークなり
そういう活動もね
ずっと先駆者で
いれる活動っていうのも
今後もずっと
あるんじゃないかな
というふうに思います
なんかいろいろね
模索しながらではありますけど
ただ僕の立場としては
日本のドライニングっていうのは
こう進んでる
いろんな方向で進んでいくと思うんです
その時に
こういうことが
しなきゃいけないのかな
こういうことをやったら
いいんじゃないかな
っていうところ
あとはこういうことを
しなきゃいけないな
ってところに対して
何か気がついたりとか
何か見極めて
何かその
ネガティブな方向に行かないようにね
そこのバランスを取る役割で
いたいなとは思いますね
こういうことを
やってきただけにね
自分がいうことで
何かちゃんと伝えられるのかな
っていうのもあるかなと思って
もう本当にこう一線で戦う
その部分っていうのは
本当にね
ルイ君自明
ひたすらカブリオさんも走ってますけど
そういったところで
日本のドライニングを盛り上げて
ただ僕のバランスを取る役も
あれだなっていうのを
思ってますね
石川さんの将来の活動と走り
あとやっぱこういうふうに
ローカルに来ていただきたいです
そこはね
もう呼んでいただければ
いくらでも
やっぱりね
SNSとかでもね
ずっとこう
発言を聞かせてもらったりは
してますけど
こうやってやっぱり
本当に近くに来てね
聞くと
なんかやっぱ
伝わり方は違いますね
ローカルで目を落としてもらってね
いただければ
それは
出てくると思います
確実に芽吹いてると思いますし
九州にいろいろ来ていただければ
もちろんです
今ね
八津城とか
向こうの駒本にも
ちょくちょくいらっしゃってるみたいなので
そういう目がどんどん落ちてるんじゃないかな
というふうに思います
もうこうね
全然こう
なんかやらなきゃっていうよりも
やりたいから
行きたいから
いろんなところに行っているので
そこはね
楽しみながらやらせてもらってますよ
この後も
八津城まで行って
八津城ドラゴン
吉田さん
今回八津城に行かれて
その後車で行くんです
そうですか
吉田さん
それもね
当然
八津城っていうところと
やっぱ駒本
駒川の
ああいうことが中で
当然最初のアプローチというかきっかけは
八津城ドラゴン
駒川のアラームのところの話もあって
お会いした分もあるんですけど
でも今日なんか行くのは
なんで行くと思うんですか
聞きました
サッカーでしょ
サッカー
吉田さんがね
サッカーのクラブを見ていて
僕がその子たちに
サッカーを教えていくんです
読売クラブですか
吉田さん知らないでしょうけど
読売クラブ
ジュニアユースですよ
あの当時の読売クラブは
やばいですから
一応サッカー
汚いプレーを教えるわけじゃないですけど
サッカー
間接になっちゃうとやっぱり
思いっきりサッカーも
ボールを蹴れるわけじゃないんですけど
戦術じゃないですけど
楽しみ方っていうか
今のこの子たちだから
今こういうことを教えた方がいい
こういうことをやった方がいいんじゃないか
っていうところを
伝えられればいいかな
子供たちよりも大人の方が多いじゃないですか
僕からしたらサッカー界だと
キングカズですよ
トレーニングラリーだと
石川ひろけですから
偉いことですよこれは
ここにいらっしゃるっていうのはすごいです
好きなところにかかっていければいい
ぜひぜひ
僕の側のレースにも来ていただいたりとか
そのレースに来ていただいたりとか
もう少し動けるようになったら
100マイルとか50キロ、100キロ
そういったレースに出れるようになって
いければいいなと思ってるので
そういった形で
石川さん100マイルのレースに復活してた
これはもう日本のドレルラリーの事件ですよ
いやいやいや
もう走ってる先輩たちいますから
それはちょっと
僕もそれに出たいな
一緒に走ってみたいね
石川さん100マイル出る時は
僕も一緒に走ってみたいな
一緒に走りましょう
楽しみにしてます
別にレースじゃなくてもね
こういう場で話だけしに来ましたけど
次回はフィールドに行きながらね
走りながら
ひらうなりでもいいですし
本当に福岡、近郊の
ダザイズでもいいですし
めちゃめちゃ楽しみにしております
めちゃめちゃ楽しみです、それは
ひらうなりのレースの当日は
もちろんいらっしゃいます
はい、また今年も
今年は4月の20
まだ発表してない
21位ですか
21位ですね
にひらうだい、ショートとロングがあるので
昨日は実行委員会だったので
石川ひろみと石川ひろきの対談
ぜひ参加いただければと思います
ありがとうございます
ではこの後
八重城の方に行かれるということなので
この辺りで締めましょうか
本野さん
ありがとうございます本当に
ちょっともう2人とも緊張しちゃって
めちゃめちゃ緊張しましたよ
昨日の動画で緊張しました
なんで緊張させちゃうんですかね
いやいやいや
聞きたいことも山ほどあるけど
ご紹介したいことも山ほどあったりとかして
どこを抽出すればいいのかっていうのなんですけど
四川さん自体の情報が膨大すぎじゃないですか
どこを取り上げるかっていうのは
ちょっと終始固たかったと思いますけど
ありがとうございました
これからもどうぞよろしくお願いします
どんどん発信してもらって
僕らそれをちょっと噛み砕いて
またコミュニティに還元したりとかできると思うので
よろしくお願いします
この地域の2人皆さんがメッセンジャーだと思いますので
いろいろこの地域の方に力を入れたいと思いますので
これからもどうぞよろしくお願いします
本当にありがとうございました
健全に伝えていってください
ありがとうございます
コーヒーで申し訳ないんですけど
僕ら最後は乾杯で締めることになっておりますので
四川さん乾杯をよろしくお願いいたします
ではこれからもトレイルランニングの発展に向けて
みんなに情報発信とやっていきましょう
乾杯
ありがとうございました
めっちゃ緊張したでしょ
対談の終了と挨拶
めっちゃめちゃ緊張したでしょ
四川さんめっちゃ緊張してたじゃないですか
そこが面白くて聞いてる人もいるんじゃないですか
逆に面白くない回になっちゃった
石川ひろみと石川ひろきの夢の対談とか
01:17:23

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