00:01
こんにちは、ハリーです。
ヤマンです。
コヤマさんは、ネットで10年くらい前に話題になったヤマハの歴史のコピペを知っていますか?
ヤマハの歴史のコピペ?何それ?
ヤマハは、ピアノや楽器が有名ですよね?
はい。
それ以外にもバイクが有名です。
確かにバイクは有名ですね。
他にもネットのルーターを作っていたり、家具を作っていたり、いろいろやっています。
なぜそういうのをやるようになったかというのをまとめた、ニチャンとかで張られたコピペが有名です。
ちょっと長いけど読もうかな。
ちなみに、ヤマハのコピペというのが有名で、
ウェブライターのヨッピーさんという人がそれを本当かどうか確かめに行くという取材をして作られたヤマハのコピペ完全版というのを読みます。
はい。
最初は輸入オルガンの修理をする。
楽器関係を作るようになる。
楽器関係をやっていた流れで電子楽器も作る。
LSIも作る。
LSIってなんだっけな。ちょっと忘れちゃった。
その流れでパソコンも作るようになり、他にも利用しようとルーターを作るという流れで楽器電子機器ネットワーク関係の製品を作るようになった。
じゃあなんで発動機や家具も作ったのかというと、
オルガンやピアノ作りで木工のノウハウが蓄積される。
家具を作る。住宅設備を作る。
戦時中に軍から家具を作っているんだから木製のプロペラ作れるだろうと言われて航空機のプロペラを作る。
終戦後にGHQから返してもらった設備でバイクとエンジンを作る。
ヤマハ発動機、バイク屋さんを立ち上げる。
社長が球道をやっていたからFRP。
これは繊維強化プラスチック。
アーチェリーを作る。
強化プラスチックがあるから船も作る。
社長が自分で使っていたアメリカ製の船がよく故障するので船外機を作る。
強化プラスチックを利用してプールを作る。
ついでにウォータースライダーも作る。
インドネシアの駐在員の家族から水道水が汚いとクレームが来たから浄水機を作る。
バイクから出る二酸化炭素をなんとかできないかと思ってバイオ事業をやる。
という歴史があるんですよ。
めっちゃいろいろやってますやん。
そうなんですよ。めっちゃいろいろやってるけど、
03:02
この話を聞くと数字が通ってるようにも聞こえるし、通ってないようにも聞こえる。
そうだね。
風が吹けばオケ屋が儲かるくらいの整合性です。
結構変わった会社で、好きなんですよこの話。
この話も好きだし、ヨッキンさんが取材した記事はネット誌に残るくらいの完成度だと思っているので、
ぜひ読んでほしいんですけど。
はいはいはい。
ヤマハって、流れとしては今のような感じなんですけど、いつできた会社かって知ってますか?
さっきでも戦争とか出てきたんで戦前ですよね。
そうですね。
ってことはもう50年以上前か。80年くらい前。
というと1940年とかですか?
そうですね。
全然もっと前ですね。
もっと前なんだ。
はい。
ヤマハは1897年がヤマハ会社としてはらしい年ですかね。
創業者がヤマハ・トラ・クスさん。
名前からしてね。
もう昔の人の名前やもんね。
トラ年のトラにクスの記憶。
1851年。
かえ4年生まれ。
かえ4年か。
大正ってことか。
大正。
江戸時代かな。
そうだそうだそうだ。
江戸時代。
鬼滅の刃あれ大正じゃないですか。明治か。
大正大正。
あれ大正なんや。
鬼滅の刃より全然前ですね。
はあ。
と考えたら結構すごいなと思って。
すごいですね。
150年くらい?
そうですね。
うーん。
あ、そうなんや。
なんかバイクとかピアノ楽器とかのイメージがあるけど。
そもそも始まりはオルガン?
オルガンですね。
これが結構面白くて。
もともと奇襲班の武士の子供だったんですね。
このヤマハ・トラ・クスさんが。
はいはいはい。
武士とかそういう時代っすよね。
奇襲だから和歌山かな。
はいはいはい。
で、父親が幕府の天文係みたいなことをしてた人で。
家に天体望遠鏡とか測量機械みたいなのがいっぱいあって。
それを触ってたから子供時代から手先が割と器用だったと。
で、大人になってその手先の器用さを活かして。
最初全然違うんですよ。楽器とかと。
最初にやったのが時計と医療機械の修理。
医療機械の修理。はいはい。
その医療機械の修理をするために。
今ヤマハの本社が静岡の浜松にあるんですけど。
医療機械の修理で浜松にヤマハさん行きます。
06:04
そこで修理してたんですけど。
浜松の小学校でオルガンが壊れたと。
いうのを校長先生が困ってて。
当時オルガンって海外製で高級品だし治せる人っていなかったんですよ。
日本で誰も作ってないから。
はいはいはい。
困った困ったって言ってたら
どうやら手先が器用なヤマハという男がいるらしいっていうので
全然関係ないんだけど
校長に呼ばれて
何とかしてくれませんかって言って
修理に行くんですよ。
なるほど。
で、これがオルガンかって言って
初めて見たんですけど
パカッと分解して
中のオルガンって足のペダルを踏むことで
空気を押し出して笛みたいにして音を出す仕組みになる。
袋か何かが壊れてるなっていうのは
すぐ分かったんだけど
分解してみて
分解というか蓋開けてみて
これ私でも作れるなと思ったヤマハ氏は
すぐ治せるんだけど
ちょっとこれスケッチ書いていいですかって言って
その中の仕組みを。
器用だね。
校長は早直してくれませんかって言うんですけど
待たれ、待たれって言って
で、3週間かけてスケッチして
オルガンはすぐ治ったんですよ。
で、その後
そのスケッチを元に
今までオルガンって海外の地下なかったから
日本でも作らねばいかんと
これからどんどん学校でも置かれるようになるし
国力がみたいなことを言うんですよね
この当時の人たちって
最近はないですよね国力って
国力ね
まあそうですね一部の人は言ってますけどね
言っていこう国力があって
国力ね
国力を上げるために
オルガンを国内製作せんやいかんっていうので
それをやり始めるんですけど
やり始めたけど
部品が当然ないんですよ
オルガンに必要な部品っていうのがないから
金属加工とかを
自分でやったりして
いろんな足りない
本当は皮を張らなきゃいけないところを
和紙を張ったりして
ツギハギだらけのオルガンみたいな感じなんですけど
できたと
これを第三者に評価してもらって
襲みつきもらって
ちゃんとしたやつですよっていうのを
やろうと
言うんですけど
当時オルガン国内で作ってなかったせいで
誰もオルガンの評価ができないんですよ
それがいいかどうかわからんっていうので
困ったなと思ってたんだけど
オルガンできがいいかどうかわからんけど
その頑張りは認めるみたいな感じで
頑張ったでしょみたいな襲みつきをもらって
09:01
ようやくそこから
正式にオルガンを作り出すっていうね
いい話があるんですよ
ここから話すと長くなるんで
もういいか
ヤマハこの辺で
いい話ですねヤマハ
いい話なんですよ
この人がいたからオルガンができて
ピアノもできてっていうので
補足でこれだけちょっと言っておくと
雑学ですね
可愛いのピアノってあるじゃないですか
可愛いのピアノ?
可愛いっていうピアノメーカー
はいはいはい
知らないか?
いやわかんないですね
可愛いのピアノ
結構有名ですね
ピアノ、国内ピアノといえばヤマハか可愛い
あ、そうなんだ
全然ピアノブランドに詳しくないな
可愛いピアノ出てきた
はいはい
もともとその可愛いさんは
ヤマハで働いていて
なんか弟子みたいな感じだったんですよね
が独立してできたっていうことで
ヤマハがこの
なんていうの
人類の頂点みたいな感じの
ピアノの頂点みたいな
そのヤマハ社長のオルガン修理から始まったんですね
そう、だから関連でね
僕楽器好きなんで
ローランドとか浜松にヤマハがあるっていうので
それ関連でできてきたみたいなのがあって
日本の楽器の基礎はヤマハといっても過言ではない
なるほどね
ヤマハのバイクは
ヤマハトラックスさんではなくて
4代目社長の川上玄一さんっていう人なんですよ
この人結構やり手で
大前健一さんっているじゃないですか
結構日本経済に詳しい
大前健一さん
大前健一さんの紹介の仕方が全然わからないけど
あれ知ってます?
コンサルの人ですよね
そんな認識ですよねやっぱ
その人が言うには
戦後経営者の中で誰が一番すごかったかという質問を受ければ
私は間違わずヤマハの川上玄一さんだと答えるみたいな
言ってるような人で
ヤマハはいろんなことをやり始めてかつ
ぐんぐん成長させたのがこの4代目の川上さん
ヤマハのバイクね、僕全然関係ないですけど
初めて買った原付きが
ヤマハのYB-1っていうやつで
原付きってだいたいスクーターじゃないですか
いわゆるミッション
流行りましたね
めちゃくちゃかっこいいんですよ今見てもね
かっこいいなと思うんですけど
マジで使い物にならなかったですね
初速が遅すぎて自転車より遅いんですよね
いやでも乗ってる人いましたね
12:00
みんなが玄茶乗ってる中
ちゃんとしたバイク乗ってる人
タイヤ細いからすぐ転ぶし
荷物は入らないし
絶対玄茶の方が楽やんって思いながら見てました
けどかっこよかったんだよな
確かにかっこいいよね
50ccのね
そんなヤマハなんですけど
これいろいろやってるということで
やっぱりいろいろやるのは大事だなっていう
なるほどねそこなんですね
今日のテーマは
いやこれね
次回以降でやりたいんですけど
ツイッター買収劇やったじゃないですか
イーロンマスク
イーロンマスク
でツイッターって
この5年ぐらいもっとかな
毎年誰かが買収するって言って
やっぱやめる買収するやっぱやめるっていうのを
毎年やってるんですよ
でもうツイッターもどっちかというと
早く売りたいぐらいの感じなんですよ
なぜかというと
ツイッターって
株が10年ぐらい前から全然上がってないんですよ
株価
そうなんだ
はいはいはい
一時期上がったり下がったりみたいなのはあるんですけど
結局トータルして慣らすとほぼ変わってないよね
っていうところで
経営がそんなに良くないと
なぜかというと
それはやっぱりリスク取らなかったからっていうのが
結果論であるんですよね
Facebookとか見てたらやっぱり
当時Facebookとツイッターどっちが勝つんだ
みたいなの言ってたじゃないですか
ねえ言ってましたよね
もう圧倒的Facebookでツイッターまだいたんだぐらいの
経営的には
一時期だからツイッターなんかもう終わったみたいな雰囲気になりましたよね
Facebookとツイッターが
でもまた復活しましたよね
なんかねファンは多いんですけど
やっぱりそのFacebookがちゃんとリスクを取ってる
社名まで変えて
はいはいはいはい
社名変えたのが良いかどうかっていうのは
これからなんだけど
その変えたということ自体に意味があるんですよね
その市場の評価としては
ちゃんとその今のままでは
さらなる成長っていうのは望めないから
そのメタバースみたいなところに振り切ろうっていう
をしているっていうところは
じゃあこれから期待できそうだなっていうのがあるけど
ツイッターは別に何もしてこなかったんですよね
この10年ぐらい
はいずっとツイッターですもんね
そんなに目立った買収とかもない
ペリスコープとかぐらいかな
っていうところで
ヤマハはそういえば色々やってるなと思って
大事だなっていう学びですね
なるほど前回もね
なんかこう変えていこうみたいな話がありましたけど
15:01
はいやっぱりでも
いい時になんか始めとかんと
未来英語続かないですからね
事業って変わっていかないと
それはほんまに肝に銘じてます
自信
もう僕自身がね
なるほどね
今ある仕事ずっとあると思うなよって思いながらやってます
いや本当にそうですよね
うん
今ある仕事はもう本当にいずれなくなるっていう手で
そうですね
変えていかないとダメですよね
なんかね結構昔に言われて話題になった言葉で
今の小学生が大人になる時には
うん
その半分以上の子供は今まだ存在してない職業につくだろう
あーなんか聞いたことあるそれ
実際ねこの10年15年くらいでね
なんかスマホアプリ開発者とか
っていうのを考えたらやっぱこう
新しいことやるのにその時代
良きタイミングで新しいことをやるっていうのが
いやすごい大事だな
ヤマハとツイッターを見ながら思ったことですね
対照的ですねそういう意味では
ねということでね
なんでしたっけ
うまいこと言ってるうちに新しいことをやっていく
ことが大事みたいなこと言ってましたか
あれですよ銀行員は晴れた日に傘を貸すみたいなね
雨が降ってから傘を貸してほしいと言われてももう遅いっていうね
そうそうそう
そんな言葉がありますね
うまくいってる時に余裕がある時に
傘を貸してくださいって言っておくと
うん
なんかいいよねっていう
いやもうほんとそうですね
絶対でもそうやと思います
いい時にやっぱり準備しておかないと
絶対いい時があれば必ず悪い時も来るんで
準備しておかないとダメですねやっぱり我々は
ねということで今回の感想を
メールまたはアップルポッドキャストのレビューでお待ちしています
二人でコメント欄を全て読んでいますので
今後の番組をより良くするためにあなたの感想をお待ちしています
お願いします
はいそれではまた次回お会いしましょう
さよなら
さよなら