で、今回扱っておりますのは、ちょっとこのゲストでお邪魔させていただいた時に主に言及した連作エピソード、今日何食べる食イコール商品を問い直すというふうなものをもとに、似たようなことをポッドキャストでできないかというふうに思いまして、それで私の方では食べるというふうな検索テーマのもと、
食事とか食とかその辺のことを中心に話をしていそうな番組というふうなものをいっぱい検索をしてリストアップして、限界まで絞ってエピソード総数22本、総再生時間11.5時間まで絞り込むことになんとかやりました。
で、やってみて思ったことなんですけども、テーマが広すぎると思って困っておりましたね。本野レンラジオというふうな番組でやっている内容とかも調べてもそうなんですけども、例えば本野レンラジオでは他にはですね、例えばお金とかスマホ中毒とか、そういうふうないろいろ結構広めなテーマとかその辺のことを扱って、それについて考えるためにいろいろと戦証してたりするんですね。
だから、戦争とかそういうふうな形で題材をやってくると、多分膨大な量の本を選ぶことになると思うんですけども、それをポッドキャストで話すために、戦証として5冊まで絞り込むんですよね。だから、これをやるの結構、本でやるの大変そうだなっていうふうなのを思っておりまして。
で、同じようなことをポッドキャストで私今回やってみたんですけども、食べるだけで検索すると膨大な量引っかかるんですよ。だから、聞いて得がないだろうなっていうふうな番組もエピソードタイトルの中から出てくるのがいっぱいありまして、それでとりあえず関係がありそうなのはこの辺、この辺、この辺っていうふうなことをつまみ食いしてたらですね、本当に話せるものが2本ぐらいしかないというふうなテータルクになってしまいました。
で、そんなような状況下なんですけども、一応選んだポッドキャスト群っていうのはどういうふうなものなのかっていうふうなのからちょっと話をしていくと、まず当然のことながら食べることについて考えがちな人々が喋っていることが多かったです。
例えば、料理人とか料理研究家の方が喋られているポッドキャストだったりですとか、あと食べることが好きな人、それこそ有名ポッドキャスト番組アジナ副音声ですとか、そういうふうな人々っていうふうなのが食べるというふうな行為っていうのはどういうことなのかねっていうふうなことを割と皆さん話をされておりまして、それらのうち2本ばかしちょっと話したいことのテーマに沿いそうなものがあったので、それについて今回は話をしていこうと思います。
で、まず最初にですね、この話のコラボ元になっているきっかけの連作エピソードの紹介をするところから始めていこうと思います。
で、最初に紹介をするのはポッドキャスト番組ほんのれんラジオ食イコール商品でその連作エピソード31の1から7で特に今回ちょっと扱うのは31の7私たちは何に食われているのか食べるの本質から教職の未来へというふうなエピソードを聞いたのでこれについて話をしていこうと思います。
で、こちらの連作エピソードでは食べ物イコール商品だよねというふうなのをテーマにして食べ物についての本というふうなのを全7エピソードで紹介をしていくというのをやっております。
で、今回のエピソードの中で紹介をされている本は全部で12345冊かなまず1冊目が食べる経済学フードテックで変わる食の未来おいしさの科学素材の秘密味わいを生み出す技術食べる人類史火の発見からファーストフードの蔓延まで食卓論というふうな5冊の本をもとにそれぞれのエピソードで話をしていくんです。
で、この先初の夏からわかる通りですね経済学人類史フードテック会食あとは味とかその辺のことについてなどテーマがすっげえ広い感じになっているのがお分かりいただけるかと思います。
で、こういうような感じでテーマが横に横にどんどん広がっていくっていうふうなことが本の連ラジオのすごくいいところだなというふうに思っております。
で、そしてその広がった風呂敷を一番最後のエピソードで何とか保とうとするっていうふうなことをやっているのが面白いポッドキャストだったりするんですね。
で、私は自分のラジオのイベントでですねポッドキャスト過剰政策論というふうなイベントを先日やりまして今現在イベントの音源というふうなのが500円で販売中だったりするんですけども。
こちらの方でも理想の雑談ってどういうふうな雑談だろうねというふうな話をさせていただいているんですけども。
この理想の雑談の私が考える理想系に一番近いなというふうに思っているのは実は本の連ラジオのこの形式だったりしております。
だからとても強い形式を持っているポッドキャスト番組だったりするので話についていくのが結構難しかったりするっていうふうな部分ではあるんですけども。
でも知的好奇心とかそういうふうなものを刺激されるとても良い番組だなっていうふうに思いながらこちらの番組の方は普段から聞いているようなものだったりしております。
で、この食の連作エピソードの方についてはですねぜひとも皆さん一度聞いていただきたいなと思うんですけども。
行ってしまうとこういうふうな働き方ができるのって要は都会とかそういうふうなところでビジネスマンをやらっているからできることだったりしております。
大抵の人はそういうふうな働き方とかをしたことが多いし私もこれからそういうふうな働き方になっていくからあんまりじゃけんに扱っちゃいするのはどうかなと思うんですけども。
でもそういうような生き方というふうなのが前提にする不自然な資本主義社会の上で生きているからこそできるような生き方だしできるような食べ方だよねっていうそれが前提で当たり前だから当たり前なんじゃないのって言われるとその通りだったりするんですけども。
どこか非人間的な感じがしてしまうのは私だけではないかなと思うんですよ。
まあ言ってしまうとあの人間がどのようにするのが効率がいいのか言ってしまうとあの3食食べるというふうな食習慣ですらも多分あの小食とかその辺のぐらいにできているのでそれがの自然化って言われるふうに言われると別にそうでもないよなっていうふうな気もするんですけどね。
けれどもそういうような感じがしてしまうのは多分それが現実とかそういうふうな状況にコミットした結果そういうふうになってしまっているというふうなところに不自然さを感じるようになってたりするんですね。
で実際にあの子供とかそういうふうなのを育てても思うんですけどもやっぱりあの1日3食食べるようにあの子供には教えた方がいいなと思って我が家ではそういうふうな感じでやってたりはするんですよね。
これはの子供に対する食育でもありますしこれからの生活やら何やらをやっていくというふうなところで効率がいいようのがのが多分3食食べるというふうなやり方を教えておくっていうふうなことだと思うんです。
で少なくともこういうふうな習慣を子供のうちにつけさせておくとことでずっと食べずに何かゲームをやり続けたり作るとかっていうふうなことからは逃らせられるような状況にしておきたいなっていうふうな親心としてこの辺はやってたりするんですね。
だからこういうふうなことができるのって要は子供がいないとか面倒見る家族がいないからできることだよなっていうふうなのも聞きながら思っていたりするんですよ。
まあ家族いらっしゃるかもしれないですけどね。
まあほら一人見のおっさんというか家族がいるおっさんもですねこの辺の仕事を打診にしてこの辺の無茶っていうふうなのを押し通してしまっているっていうふうなのがありますんで多分そういうふうなことなんじゃないかなと私自身はちょっと聞きながら思っていたところですね。
で閣議を私はどうなのかというと実のところ3食食べてなかったりしますね。
同じような感じですね。
私も会食する時間が決まってる。
要は昼を誰かに用意してもらったり晩御飯を誰かに用意してもらったり。
昼は今現在は実家でうちの母親が用意してくれるので用意してくれたものを食べますし。
あと晩御飯は妻が用意してくれたものを家族と一緒に食べるというふうな習慣がありますからそれは合わせるんですけども。
じゃあ朝食どうしてるかというと朝食は抜いてることが多いです。
だから私も長らく1日2食で暮らしてたりするんですね。
で言ってしまうと確かにこの40代の摂取カロリーとかっていうふうなことを考えると3食食べてると簡単にバーストするようになってるなって私は思うんですよね。
実際あの40代の摂取カロリーで消費しきれるちょうどいいカロリーって1500キロカロリーぐらいだったりするんですよ。
1500キロカロリーって例えば吉野家の牛丼の並盛り食べたら多分あれ700から600ぐらいなんですね。
牛丼2杯食べたら簡単にバーストしてしまうんですよね。
あとは二郎堅のラーメンとかいったら1食で終わりだなっていうふうなものだったりするんですよ。
だからあのおっさんが好きなものを食べるというふうになると必然的に1食か2食で抑えないといけないような状態になるよねっていう。
それを1日3食も食べてたらそりゃ太るよねっていう状態に絶対になってしまうよなっていうふうな感じがするんですよ。
で、こちらのエピソードのゲストに来られている方はこの藤原達史さんというふうな方、本の連ラジオの食イコール商品のエピソードの中でも言及されていた本日を書かれている方でもありまして、この方、割と農業関連の本とかを書かれている兄弟の教授をやられている方だったりするんですね。
私が持っている本で言えばトラクターの世界史ですとか、あとナチスのキッチンとか、要はナチスドイツの研究とかその辺のことをやられてたりするんですよ。
で、面白いなというふうに思うのが、それを食べ物の方向で解説したりなんだりするっていうふうなことを割とやっている方だったりするんですね。
それこそカブラの冬というナチスドイツが生まれることのきっかけになったドイツを襲った飢餓の話とかっていうふうなのもあったりするんですね。
これはイギリスとかその辺に海上封鎖をされて食べ物がなくてカブラと呼ばれている。
要は本来だったら牛とかその辺が食べるような砂糖とかを取るような砂糖大根みたいなものを食べないといけないぐらいひもじい冬があったよっていうふうなやつだったりするんですけども。
それがあったおかげでナチスドイツっていうふうなのは、自分たちで食料供給基地になるような土地を持たなければならないというふうな考えを持ったもと、
生存権というふうな場所を得るためにいろんなところに侵略戦争とかそういうふうなことをやるようになっていくっていうふうなものが描かれてたりするんですね。
この辺の詳しい歴史についてはですね、ポッドキャスト番組カエサルの休日の第三帝国の攻防というとても長い歴史の連作エピソードがありますので、ぜひともそちらの方をお聞きいただけると嬉しいなと思っております。
このダイアログフォーピープルのゲスト回の方ではですね、新しく身長を書きましたよっていうふうなところの紹介から職権力というふうなものについて話をしていくんですね。
書かれている本というふうなのはどういうふうなものなのかというと、職権力の現代史ナチスキガ計画とその水脈というふうな本を藤原達さんが新たに書かれまして、
これをもとにですね、今現在イスラエルのガザ地区で行われている職権力というか職暴力というふうなことがどういうふうなものなのかっていうふうなことをこのゲスト回の方ではひたすら喋っているというふうなものだったりするんです。
職権力と職暴力っていうふうな言葉、たぶん皆さん初めて聞いたと思うんですけれども、どういうふうなものかというふうなところから話をしていくと、
まずこの職権力というふうなものに関して、これは食べ物を流通させたり、それを生産したり販売したりする、こういうふうなことが持っているフードパワーのことを職権力というふうに言うというか、この藤原達さんは新たに定義をしてたりするんですね。
で、この職権力を振るうというふうなのはどういうふうなことなのかというと、この食べ物を得たり作ったり流通させたりするような技術とか統治の力というふうなのを使ったりなんだりすることによって、どこかのところで意図的に飢餓を発生させる。それも罪悪感なしに飢餓を発生させるというようなことができるよねというふうな話だったりするんですね。
例えば、古くはナチスドイツがやっていた、どこかのところから食料を持ってきてドイツ国民に配り、その奪われた側の地域というふうなのは植民地から集雑をして食べ物を取ってしまうというふうなことをやっているのが、職権力の食暴力的な使い方だよねというふうな話だったりするんですね。
同じように日本国においても、過去、それこそ植民地にしていた台湾ですとか韓国ですとか、そういうふうなところからお米を巻き上げて日本国内に流通させて、韓国は韓国でこの飢餓やら何やらが起こったりというふうなことが起こったりだそうなんですね。
そんな感じで、職権力を振るうことによって、意図的に飢餓のような状況を発生させてしまうというふうなところを職権力というふうなことを言ってたりするんです。
これ以外にも職権力の中には、例えば生産させるものを選定させるですとか、それこそ日本が自分たちのお米を取るために韓国とか台湾とかで大量にお米を作付けさせるようにしたですとか、あとは技術とかその辺とかっていうふうなのをコントロールしていくとかっていうふうなところも同じようなものだったりするそうなんですね。
これが暴力的な形になっていくと、それが食暴力というふうな扱いになるそうなんです。実際に食暴力っていうふうなのがイスラエルのガザ支配でどのように行われているかというと、例えば国連とかそういうふうなところが食べ物をここに供給しようとするんだけれども、けれどもイスラエルがガザ地区に届く前に、
例えば、テロを試練するための兵器が隠されてるんじゃないだろうかっていうふうなところで、卵とかそういうふうなところをわざと全部廃棄したりとか、そういうふうな感じで何かの名目の下、食べ物の輸出入を制限することによって意図的に危惧を発生させようとするっていうふうなのが食権力の使われ方として話をされてたりするんですね。
それ以外にも、例えばイスラエルっていうのは結構農業技術大国として有名だったりして、私たちというか今現在私がやっている農業というふうなお仕事においても、イスラエル製の資材とかっていうのは割とあったりするぐらいになったりするんですね。
でも、そういうふうなものがどのように作られてきたかというと、例えばパレスチナとかそういうふうなところから本来は水源があったものをせき止めて、イスラエルで使えたりなんだりするようにするために生まれた技術をいろんなところに輸出して使わせているような状況になっているですとか、あとはパレスチナの中においていろいろ必要な農業資材とか、
本来だったらそこで食べるためにやっていたような農業があったんですけども、イスラエルで高単価で販売するために必要なイチゴとかにサクつけ変更とかをさせてたりするとかっていうふうなことがあるんですね。
こういうような形で食権力を振るっていって、意図的な飢餓のような状況とかっていうふうなのを振るっていくようなことができてしまうっていうふうな状況になるんですね。
そして、それを良きこととしてされてしまうようにしているお墨付きを与えてしまっているのが、食べ物が商品であるからっていうふうなところかなとは思うんです。
ここから先はちょっと私の話になっていくんですけども、こういうふうなのって、要は経済的に合理性があるからそれをやっている。
合理的でこういうふうな感じで経済を回すために必要だからしょうがないよねっていう。君たちが貧乏になったり食えなくなったりするのも君たちの努力が足りないからだよねっていうふうに言えてしまうようになってしまうっていうふうなのも、この辺が食べ物が商品であるからこそ起こることだよなっていうふうなの。
私はこういうふうなのを聞きながら思っていたりするんですね。
この食権力というふうな言葉自体というふうなのは、この本の中では特にイスラエルとかザチックの話で扱われていましたけども、でも世界の目を向けてみたりすると、割とこういうふうなことっていうふうなのは世界中で行われていることだよなっていうふうなのがあったりします。
例えば、トウモロコシがあったりしますね。トウモロコシって輸出とかそういうふうなところで、最近だとエタノールとかバイオエタノールとして、要は燃料として加工されたりというふうなこともあったりするんですけども、基本的にはお金がない国とか貧しい国で主食として食べられているようなものだったりするんです。
なんですけども、そういうふうなものがバイオエタノールになりますとかそういうふうなところで、穀物価格を陶器的にコントロールしようとした結果、食べ物として必要なところが食べ物として買えなくて、エタノールに加工するためにエタノールになってしまってっていうふうなことが起こったりするようなことがあったりするんです。
これを合理的とか全然やってもいいよねってふうになってしまうのは資本主義経済化においてそういうふうな状況になっているから合理的で、だからうちの方が金出せてうちの方が買えるからしょうがないよねっていうことを言えてしまうのも、この辺の食権力の横暴というか、そういうふうな子たちの現れだよなっていうふうなのがあるんです。
同時に、食べ物が商品であるからこそ、いろんなところに流通させない悩んだりするっていうふうなところが、結果的にどこか箇所に大量に余るぐらいあって、どこかの場所では全くないっていうふうなところが起こり得るっていうふうなのは、どうしてもこういうふうな食べ物が商品であるからこそで必然的に起こってしまうようなことだよなっていうふうなのが、今回もちょっとこういうふうな食権力とかそういうふうなものを聞いていて思っていたところだったりするんです。
言ってしまうと、食べ物は商品であるからこそ、結局のところ経済の問題に着地してしまうような状況になるんです。
だから、今現在日本国内でおいて、ほとんど餌とか燃料補給みたいな感じでご飯が食べられたりする。
そうした選択肢が取れるような状況になってしまってたりするのも、日本という国が経済的にまだどうにかなるような状態になっていて、これからどうなっていくのか全然わかんないなと思いますけども。
でも、そういうふうな変えるような状況にあるからこそできるようなものだったりするんです。
でも、広がって世界の方を見てみると、それが日本国内とかどこかに先進国を中心に偏在することによって、どこかの場所では飢餓が起きている。
で、その飢餓が起きているというふうな状況っていうふうなのを、我々が別に気にしなくてもいいような状況になっているっていうふうなのも、この食権力とか食貿力とかその辺の部分が、食べ物が商品であるからこそ許されているような状況にもなってるよねっていうふうなものだったりするんですね。
そういうふうなのがありますんで、なかなかこの食べ物とかその辺、あり余るご馳走がある一方、全く食べられないところがあってっていうふうなのがありまして、なかなか結局分配の話にどうしてもなってくるんだよなっていうふうなのが、今回いろいろと聞いていて思っていたところだったりするんです。
で、食べるというふうな行為自体っていうふうなのはですね、やっぱり人間に生きていくためには何かを食べなければならないっていうふうなのはすっごく当たり前の話だったりするんですけども。
でもこの食べるをめぐって本当にいろんな状況っていうふうなが複雑に絡み合うようになってきてて、そして食べづらくなるなっていうふうな話をね、今までひたすらしてきてはいるんですけどね。
でもそういうふうなことを考えたり迷ったりなんだりするというふうな道筋になるようなポッドキャストとしていい番組がありましてねっていうようなところで、
ポッドキャスト番組本野蓮ラジオの方をちょっと最後、もう一回紹介をして終わろうかなと思っております。
本野蓮ラジオの食イコール商品の方ではですね、こんなような感じで食べることについて本を通していろいろ考えていくっていうのはやってたりしております。
で、やっぱり話す内容っていうふうなのがですね、あっちゃこっちゃ迷子にはなるんですけども、でも結局のところ自分が聞きたいような話っていうふうなのはどこかのエピソードでは当たることになるかなと思いますんでね。
ぜひともこちらの方のエピソードを聞いていただけると良いかなと思っております。
私の方はですね、ポッドキャストでいろいろやってみたんですけどね。
まあ今回話そうなのはこれだけだったなっていうふうに思ったところで、今回のお話は締めさせていただきたいなと思っております。
というわけで、今回も長々とお付き合いをいただきましてありがとうございました。
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