1. Flexible Podcast
  2. #73 教育と属人性
2023-09-25 24:37

#73 教育と属人性

親の体験ベースで教育させるループから抜け出して、社会が教育指針を提供できる仕組みが充実すれば、ある程度の格差は緩和されて、子供たちにより公平で健全な教育を与えられるのではないか、という話です。子に対するゲームの制限とかを各家庭でやってることがもうナンセンスでは、という。

サマリー

教育と属人性について話し、親から子への教育は親の体験ベースになっていることや、ゲームやテレビの制限についても探りながら話しました。教育の属人性についての考察と、地方と東京の格差社会についての話もありました。

親の体験ベースによる教育
こんにちは、シロクロの伊藤です。
Podcast 73回目、今回は教育と属人性というテーマで話したいと思います。
今日は2023年9月25日、月曜日です。よろしくお願いします。
教育については、結構初期の方に一度取ったことがあるんですけど、
その時はわりとコミュニケーション方法みたいな話をしたんですけど、
今回は、例えば親から子への教育だったり、
教える側の属人的な体験ベースになりすぎてるんじゃないかっていうところを
少し話していければと思います。よろしくお願いします。
うちもそうだし、そのご家庭、友達だったり、いろんなケースを見ている限り、
やはり親の体験ベースを子に伝えている、子に教育しているんじゃないかなと思っていて、
例えば、自分がこういうスポーツをしてきたから、結果こういうふうにいいことがあったから、
子どもにもそういうふうに教えたり、
あるいは自分が中学、高校受験頑張って大学に行けてっていうふうな成功体験があるからこそ、
子どもにも同じようにさせたいという、あくまで全ての教育の基本が親の体験ベースになっているんではないかというところですね。
これはなんでそうなっているかというと、いくつかあると思うんですけど、
やっぱり自分自身の成功体験、僕で言ったら首をさせてもらって将棋もちょっとやっていて、
そこで努力したらその分結果がつながるとか、そういう体験があって、
じゃあ子どもにも同じようになってほしいなとやって、首を進めたりとか、
ちょっと頭使う将棋とかもバランスよくやれるといいよねとか考えると。
自分の成功体験があるからこそ同じことをしてほしいと思う。
プラス、同じような話なんですけど、結局それっていうのは自分の子ども時代の頃を否定したくないというか、
間違ってたっていうふうに思い込みたくないから肯定したいがために子どもにもそれを伝えようとするっていうケースもありそうなのと、
あとは単純にそれしか知らないっていうことですよね。
前にほうかさんとインタビューで話したとき、この辺の話を少ししましたけど、
親は親の経験値ゼロの状態で親になっているので、
子を育てていくための知識っていうのがやっぱり相当少ない状態で手さぶりでやらないといけない。
単純にさっき僕がラグビーをやってきたって言ってるんですけど、
チーム競技だから個人競技の陸上をやってたらどうなってたかっていうのは自分自身体験してないので、
陸上がおすすめだよとはちょっと言いづらいんですね。どういう結果になるかわからないので。
音楽とかもそうですよね。
だからそれしか知らない、自分の人生しか知らないからこそ、どうしてもそこに頼ってしまう。
自分がやったことをベースになってしまう。
それは夫婦だから父と母が同じような自分の体験ベースをもとに子に接していると。
これは何でしょう。
例えば経済的にも精神的にもいろんな面でいろんな良い条件が揃っている場合、
非常に健全な教育が適用されるとは思うんですけど、
そうじゃない場合、例えばそうですね、
ご両親があまり勉強が好きではなくて、学校もあまりいいところに行けず、
でも社会人大人になって働いてきちんと自分で幸せを手に入れているっていうようなところだと、
勉強せんでもなんとかなるよっていう自信を持っているので、
子供に対しても勉強はそこそこ、
別にやらんならやらんで社会に出てからは勝負だしみたいな、
っていう価値観になっているんですね。
そうするとその子も、そうなんだ、
お父さんお母さん見て育つので、なるほどと、
というふうになってしまう。
これ一例でそうじゃないかでもあるだろうけど。
逆もありますよね。
頑張って勉強していいところに行ったからいい結果になったっていう人は、
子供に対しても早いうちから塾に行ったり、勉強するといい学校に行けていい大学に行って、
いい就職先に恵まれてっていうふうになるから。
という体験ベースでやっていく以上、
一部のいいところでは好循環は続くと思うんですけど、
そうじゃない場合、悪循環っていうのがなかなか抜けられないんじゃないか。
よく言われているのが貧困層だったりっていうのがなかなかそこから抜け出さない。
難題も続いたりとか。
なのでその親の体験ベースじゃなくて、
ある程度マニュアル化じゃないけど、
子供に教えるときはこういうことを教えよう。
学校でね、もちろん学校でいろんなことを教えてるとはいえ、
何のためにいい中学、いい高校、いい大学に行くべきかっていうのは多分、
でも今の学校だったらどうなんですかね、教えてるのか。
少なくとも僕が小中高の時代に、
なんで学校に行かなければいけないかみたいな話っていうのは多分なかったと思うし、
あったとしてもちょこちょこだろうしね。
何のために生きるのかっていうのを、
学校が伝えられない以上、親が伝えないといけないんだけれども、
親がそういうふうに自分の体験ベースで話すのであれば、
自分の生活、生き様をなぞるような教育しかできない。
それはやっぱり非常に狭い話なので、できる限り、
その時点で可能性を狭めている気がするので、
もうちょっとそれは国というか社会が間口を広げるべきだし、
社会が子どもを育てるくらいにしないと、
子どもに対して公平な機会を与えることができない。
親に任せてる時点でどうなんだ。
ゲームやテレビの制限について
学校が何かしらの授業を削って、将来設計みたいな、
道徳の時間とか、少し増やせればいいんじゃないかなとは思うんですけど、
どうなんですかね。
それに近い話で、うちでも直面するし、
よその話もよく聞くんですけど、
子どもにゲームとかテレビとかYouTubeとか制限している
っていうところの製品についてちょっと話していきたいんですけど、
これもやっぱり大半は親が幼少時代どういう過ごし方をしてきたかによるので、
親も子ども時代に制限を受けていたところは、
子どもに対して堂々の厳しい制限をしたり。
僕、自分自身どうだったかな。
結構早いうちからファミコンが来て、幼稚園ぐらいのときに来て、
ファミコンもでも1日1時間とか、
土日は無制限みたいなルールだった気がするけど、
平日の1日1時間ってそこそこできるというか、
他に宿題してご飯食べてテレビ見てお風呂入って寝るとかだったら、
1日1時間やればもっとしたいって思うような時間配分ではないかった気がするので、
だから自分自身でいくとそんなにこう、
もっと幼少の頃ゲームたくさんしたかったっていう記憶はないんですね。
十分やってたっていう。
テレビも制限なくバラエティーとか見てたし。
っていうので、僕は自分の子どもに対して、
まあそれは見たいよね。
それは楽しいし、
ゲームもテレビもYouTubeもそれは見たいよね。
やっていいんじゃないとは思うんですけど。
じゃあそれらの良し悪しというか、
メリット・デメリットの話をちょっとやっていくと、
ゲームとかテレビとかやっていると、
単純にもちろん面白いっていう理由が一番先にドーンと大きく締めて、
あとは友達と共通の話題、
今で言ったらゼルダみんなでやったりとかしているし、
YouTubeの誰々のチャンネルがどうのこうのっていう話をしているし、
子ども同士で共通の話題になるというところ。
あとメリット。
ゲームとかだったらそれなりに複雑な話をやっていかないといけないとかありますかね。
あとデメリット。
デメリットとすると、
本当に楽しいコンテンツなのでそれしかやらなくなるんじゃないかという指摘ですね。
他の本を読んだり宿題したりみたいな時間が取れなくなるんじゃないか。
あと勉強しなくなる。
たまに目が悪くなるみたいな話も聞きますけど、
目が悪くなるのは因果関係ないみたいなデータが出てたような気がするので、
それしかやらなくなるとか勉強しなくなるということに関しては、
そもそも勉強しなくなるは多分あんまり根拠としては弱くて、
自分の幼少時代の友人とか見てると、
頭の良し悪しとゲームやってる奴にはほぼ関係なかったし、
それしかやらなくなるのは多少あるかもだけれども、
じゃあゲームやテレビ取り上げたからといって、
勉強するか活字を読んでくれるかっていうと多分読まないでしょう。
別の他の何らかで遊び出すだけなので。
だから例えば活字に触れる子に育ってほしいとかであれば、
よく言われるのが家にたくさん本を置いて、本をたくさん買い与えて、
子どもたくさん読むところを見せると子どもを読んでくれるとかね。
うちそれやったけど全然読まなかったですけどね。
本当これ言うと身も蓋もないんだけど、
人による、遺伝子によるとしか言えなくなるので、難しいですけどね。
制限のメリットとデメリット
いくつかこの辺りの話で、
本文というかデータ出てないんだろうかと思っていろいろ探してたんですけど、
あんまりたくさんドンズバなデータっていうのはなかなか掘れなくて、
探し方が悪いのかもですけど。
なので、要は幼少時代にゲームやテレビを制限を受けたことでどうなったかというところ。
結構古い、2、30年くらい前のやつだったんですけど、
制限を受けただから反動で大人になってもゲームをよくやるようになったとか、
そういう数値が出てたんですけど、
そこら辺も統計的に見ればそうなのかもしれないし、難しいですよね、ここは。
実際の理想論と現実問題として、ゲームばっかりして宿題もやらなくなって学校の勉強についていけない。
因果関係がある場合とない場合、いろいろあるだろうから一概に言えないので、
そこそこ不満にならない程度の制限が出た、
小学校の学年に合わせて、習い事の時間に合わせて、
現実は1日このぐらいだね、テレビはこのぐらい、ゲームはこのぐらい、宿題は先にやろうねとか、
そういう風な決め事をする。
まあ土日は場所いいよねみたいな。
制限ってよく聞くよね、いい学校に行った子供の例、
子供時代特に制限もなくやりたい放題でいろいろやってたとか、
教育の属人性
結局人によるし、電子によるので、なかなかこうしなさいっていう枠自体当てはめるのは良くないけど、
ガチガチに制限する必要性はやっぱりどう考えてもメリットがない。
YouTube禁止とか、ゲーム禁止と日に30分しかしちゃいけないみたいな。
よく聞きますけど、それが結局どうなんのっていう。
でもそういう人たちが親になったら親になったで、
自分の子供時代を否定されたくないために、やっぱりどっかで肯定しちゃうんですね。
制限されたことを肯定してしまうので、また同じことを繰り返していくっていう。
自分が可哀想であったっていうのは人って認めたくないらしいんですよ、どうやら。
だから制限されてたっていうのがある程度肯定的に見てしまう。
だからそれをどんどんどんどん繰り返す。子供に対してもそういう風にすると。
そこら辺を打破するような社会がやっていかないと、
たぶん各家庭に任せてたら延々終わらない。そこそこ2000年っていうこの近代の時代に。
なんか全般的にそうだけど、だいぶ30年前に比べていろんなことが進化して、
テクノロジーが進化して、社会に対する理解とかUGBTとかも含めてだいぶ柔軟な社会になったけれども、
まだ野蛮というか、そうなんだみたいなところがちらほら残ってる感じがなかなか面白いなあと思うんですけど。
あと、例えば東京都地方の違いとか、格差社会とかと言われている。
僕は福岡で生まれ育って、その時にいわゆる10代の頃に東京に対する憧れだったり、いろいろあったけれども、
東京生まれ東京育ちだと全然違うし、文化の受け方が全然違うし。
あと、僕は全然良い大学行ってないけど、
例えば東京大学、早稲田大学とか、頭が良いとされる大学を身近に見ていて、そこを目標にしている人たちと、
地方で全然ネットとかでしか見たことのない大学に対して行きたいっていうようなモチベーションに差が出る気がするし。
でもそれも結局親の経済的豊かさによって左右されてしまう。
かつ流出な遺伝っていう風になると、
好循環のところは延々好循環ですけど、悪循環はやっぱり抜け出せれないので、社会がコミットしていくべき。
あと、だいぶズレたけど、
早生まれの子は、中学・高校ぐらいの辺の人たちのところでいくと、
数ポイント低いっていうのが統計的に出ているっていうところで、
それはマックス1年違う人たちをひとまとめにして教えるので、
肉体的にもそうだし、頭もね。
それは特に10歳以下の頃の1歳の違いって相当でかいので、
それを一緒くたにしてなっていればそれが差が出るのは当たり前だしけど、
それは非常に難しいよね。学校っていう区切りでやってる以上、
早生まれを無くしたところで1年という区切りを変えるのはなかなか難しい気がするので、
どこで区切ったところで早生まれ的な存在っていうのが存在しているので、難しいですよね。
そこからこそ、でも統計で出るなら最終的に合格率とかちょっと差分つけてあげればいいだけの話は気はするんですけど、
地方と東京の格差社会
でもどうなんですかね。難しそうですね、それはね。
なので、教育の格差をなくすとかそういったところのためにはやっぱり、
親をどうこうするっていうのは、もちろん一つの手だけど難しい話なので、
社会が直接子供に対してコミットして、子供、親は好きだけど、
私身としては社会が教えてくれることの方を信頼するみたいな流れだと、
だいぶこう、よろしくない連鎖を抜け出せる気がするし、
勉強する意義とか、働く意義とか、そういったところをある程度公平に伝えることができる。
それは各個人もそうだし、国としても明るい未来な気はするんですけど、どうでしょう。
もしくはそういう取り組み、めちゃくちゃやってるけどどうっていうことも当然、
いろんな団体だったり、いろんな場所でやってる気はするけども、
そういうのがもっと明るい社会になっていければいいんじゃないかなと思ったんですけど、
どうです?あってます?
なんかここらへんはちょっといろいろ、予想のご家庭の話だったり考え方とかを聞いてみたいところですね。
はい、じゃあちょっと早いけれども、ちょっと早いっていうか、別にいつも30分話す必要はないんだけど、
なんかいつも30分目標にしているっていうところですね。
あとあれですね。
よく聞く、こういったコンテンツの最後によかったらフォローしてくださいとか、
いいねしてくださいとか、そういう話をしないといけない。
するとしないで全然違うっていう話を聞いてえーと思ったんですけど、
でもこんな弱小コンテンツをこの最後まで聞いてる人ってもうごくごく限られた人たちだし、
多分そういう人たちはフォローしていただいてる気はするので、
誰に向けてフォローしてくださいやねんっていう気はするけど、
でもまあ、僕もよく聞く人のコンテンツとか動画とかも、
フォロー自体してなかったりするのはたくさんあるので、
そっか、じゃあもしここまで聞いてフォローしてない方とかが、
もしいればSpotifyとかAppleのポッドキャストとかでフォローしたり、
いいねしてくれたりするととても嬉しいです。
でもこれ単純にモチベーションの話なのと、でもなんかあれですね、
ランキングに何かしら影響してると、
Appleのポッドキャストのこれデザインカテゴリーなんですけど、
そこでの露出とか順位とかに影響しているらしいんですよね。
どこまでホントか分かんないけど。
でも確かにこのポッドキャスト自体Spotifyの配下のところで配信しているので、
Spotifyのほうのフォロワー数とか分かるんでしょうね。
そっちの視聴回数、視聴回数自体は全デバイスのAppleとか、
その媒体のも集計できてるっぽいんですけど、
Appleだとランキング多少出たり出なかったりこのコンテンツはしているんですけど、
だからフォローしてくれたり再生してくれたり、
いいねしてくれたりすると、
単純に僕のモチベーションが上がるとか、
ランキングにも上がってすると、
一元さん聞いてくれる人も増えるっていうことになるので、
そんな感じでいいねしてくれたり拡散してくれたりしてくれると嬉しいです。
以上です。
じゃあここで終わろうと思います。
ありがとうございました。
さようなら。
24:37

コメント

スクロール