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2025-04-03 27:49

#109 怠惰と衰退とAI

生成も指示も総括も全てAIが勝るわけで「AIを使いこなすためには一定のスキルが必要」と言える時代もすぐ終わり、仕事もやる気もAIに奪われて、じゃあそこでどう立ち向かえるのか、という話。

サマリー

このエピソードでは、怠惰と知識の衰退、AIの影響について深く考察されています。特に、AIを用いた学びや仕事の効率化の可能性、年齢とともに感じる能力の低下について語られています。AIの進化により、クリエイターのやる気が奪われる一方で、手作りの楽しさや自分自身の作品に価値を見出す重要性が強調されています。また、AIと共存する新たなスタンスが求められる現代のクリエイティブな労働環境についても描かれています。

怠惰と知識の衰退
こんにちは、シロクロの伊藤です。
ホットキャスト、109回目。今回は、怠惰と衰退とAIというテーマで話していきたいと思います。
今日は、2025年4月の上旬です。よろしくお願いします。
前回の録音から3ヶ月ぐらいたぶん経っていて、その辺の話も踏まえてやっていきたいなというところで、
よく言う話で、仕事とか勉強とか、宿題とか、やる気が出ない時には、
とにかく手を動かせと、何も考えずに最初の5分だけでもやるんだと。
そうすると、やっていくうちにやる気が出てきて乗っていくっていう話がよくあって、
実際それは結構理にかなっているじゃないけど、その通りで。
そういうふうにやっている人は多いと思うんですけど、その逆もあるよねっていうところで、
何もやらなくなると、何もやらないのが当たり前になって、
何かをやる記憶がどんどんどんどんなくなっていくっていう状態。
それがここ3ヶ月だったわけではないんだけれども、
今年の一発目に来たときに、今年はポッドキャストを少し控えめにして、
文章を書くことをやっていこうっていう自分の呪いに引っかかって、
ポッドキャスト撮らなくていいんだって勝手によくわからない方向にシフトしてしまって、
まあいいかというふうに。
じゃあ文章書いてるのかって言うとそんなに書いてもなくっていうところで、
やらないやらないの悪善感でよくないよね。
じゃあちょっと無理やりでも撮っておこうかっていうので、今に至ります。
それと近しい話じゃないけど、人の能力だったりっていうところの話で言うと、
これ前も話したけど、20代のうちは学生終わって支援社会人で働き始めて、
何やっても新鮮でどんどんどんどんスキルになって、
コミュニケーション能力しかり、いろんなものが身についてどんどんどんどん成長していくフェーズがあって、
ただそれは20代くらいまでで、30代とかに入ってくると、
ただその延長でやってるだけだとなかなかスキルが伸びない、横ばいになっていって、
40代くらいになると、何なら現状維持、ただ頑張ってる、普通に仕事を頑張っているだけっていうのは、
横ばいにしかもなってなくて、徐々に徐々に衰退していってるんだろうなというところ。
だから無理やりにでも新しいものを取り入れていかないと、考え方が固まってしまうし、
常にある手法を自分の引き出しだけからあって、
その中から今までと同じようなやり方で淡々と対応していくっていうことしかできなくなる、固まってしまう。
それの何が悪いのかっていうのはちょっと後でおいておくとして、
だから無理やりにでもインプット、アウトプットをしていかないと、
凝った権力を保護していくっていう行為を、
40代とかになってくると、支発的にやっていかないといけないなと思った次第ですね。
AIの役割
なんでかっていうとこそ、今非常勤専門学校はもう、
非常勤の事態はもうやめたんだけれども、
なんとかかんとか委員会っていうのに入っていて、
年に1回か2回ぐらい、学校、専門学校と話をして、
いろいろこっちの意見を言ったりするんですけど、
その時に、同じ質問されるからっていうのもあるんだけど、
結構半年前、1年前と同じような返答をしてしまうっていうのは、
いかんなと気づいたというか、
そんなコロコロ変わる必要はないはずだし、
マシンがないことになってしまうので、
根っこは変わっていなくても、
その細部の意見、感覚に合わせるっていうのは、
追加していたり、前はこうだったけど今はこうだねっていう風になっていってないっていうのは、
すごい危機感を感じてしまって、
いかんなっていうところですね。
それもなんでいかんのやって話ですけど。
それに加えて、
時間の不公平さっていうのはどうしてもあって、
時間に限らないけど、
世の中は基本的に不公平であることが前提なんだけど、
やっぱり自分で言えば40代で子どもがいてってなると、
物理的なリソースがないっていう、
土日祝日もなんやかんや対応さないといけないし、
それは好き好んでやってるのもあるけど、
自分の学びとか仕事の延長線上のこととかに、
時間を使うことができなくなってきている。
それは自分に限らず、
たぶんほとんど多くの同じ条件の人はそうだろうなと思っていて、
なんかのツイッターで見たけど、
若いうちは、たとえば徹夜だったりとか、
土日も仕事したり、
別に嫌じゃなくて普通に前の森にやって、
そういった物理的なリソースでカバーしてただけだったんだねっていう話。
今は40代で徹夜とかは無理だし、
仕事以外の時間は家のことやんなきゃだし、
だからなかなか時間も取れず。
さっきの話でいくと、やる気も出ずっていうところで、
よくないよこれはっていう。
この40代の仕事というか性格に対する取り組み方っていうのは、
未来の仕事の形
非常によろしくない気がしているので、
手始めにもう一回ポッドキャストをきちんとやろうっていうあれなんですけど。
みんなどうしてるんだろうね。
もりくり。
もうちょっとしたインプットじゃ追いつかない。
月に何冊か読んでますとかだと、
あんまりインプットになってないっていうか、
普通の範囲内というか、
そこをどうやっていくかっていうのと、
あと近しい話でAIの話。
よく言われる、
最近の大学生はレポートテイストがほとんどAI使っているっていう話をよく聞きますけど、
そんな使うのは当たり前だしね。
自分が今大学生ならAIしか使ってないだろうし。
じゃあなぜ使っちゃいけないのか。
使っちゃいけないとは多分学校とかも言ってないんだろうけど、
何かしらルールがあって、
ルールの範囲内でうまく活用してくださいっていう話だと思うんだけど。
そこでよく言われる反論としては、
AIだけ使うんじゃなくて、
結局花火の輪だから一番は、
大学で何を学ぶかだし、
ここで考える力、
自分で理論、静然と論理的な思考力を身につけるための訓練の一環でもあるし、
っていう話を聞くんですけど、
論理的思考とかもAIが得意じゃん。
人が考える理由ってあるのかしらっていうのが最近の疑問で。
さらにここ数ヶ月、
イラストの生成のやつとか、
ウェブデザインもロゴデザインも、
コード周りとかもすごいことになっていて、
ある程度知識がある人だと、
本当にアプリとか数分で作れちゃって、
ズームとかももっと簡単にできているし。
そこでまたよく言われるのが、
でもコードならコードで、
ある程度自分で書ける理解力がないと、
そこのアウトプットから触ることはほぼ不可能だし、
何がダメなのかも分からないし、
デザインに関しても、
生成した後で自分で整える力だったり、
ちょっと調整する必要があるかないかの判断だったり、
いいか悪いかの判断含め、
結局ディレクションする力、
AIコントロールしていく力っていうのが
必要なんじゃなかろうかっていう話。
めっちゃ目にしますけど、
結構有名な方々が同じような話をしていて、
マジかと思うんだけど、
どう考えてもそこもAIが強いわけでさ、
今がこの状態だったら、
あと数ヶ月か数年か分からないけどさ、
絶対ディレクションするところも
AIがうまくやってくれるわけで、
なんであれだけの絵やコードを生成する
AIがディレクションできないと思うんだろう。
全部できるに決まってるしさ、
修正とかも含めて。
だから統括するような役割もいらなくなる。
シンビガンがどうなとか言ってる人は、
大丈夫かしら。
そんなの全部AIの方が強に決まってるじゃん。
ロゴとかもそうだけど、
結局大きな企業とか、
そういったちゃんとしたデザイナーがいるし、
必要だしって。
それはもちろんその通りだし、
単純にロゴってロゴだけじゃないしね、
ブランディングをひっくり返って、
ひとつの形がロゴなわけで。
そういった本当に人の手が長い時間かけて、
その中でももちろんAIが活用するんだろうけど、
っていうところももちろん必要だけど、
大半のケースで言えばロゴとかってね、
正直ほとんどの企業やサービスのロゴって
別にどういう状態でもいいと思ってるし、
なんならなくていいぐらいだし。
に関してはもうAIで十分事足りる。
多分別にロゴに限らず、
どういったグラフィック、パッケージ、ウェブ、
何に関しても、
特定のあれを言うとあれになるので、
あれだけで。
だから上流の上流、ピラミッドの頂点とかの
一部の企業やサービスに関しては、
今まで通りのスタイルが必要だと思うけど、
どうじゃないところっていうのは、
手っ取り早いAIの生成したアウトプットで、
一旦運用して小さく始めてっていうスタイルが
ぴったりくるし、
多分そのほうが絶対コストもかかんないし、
コストとか一番は時間だよね。
そこまで準備する時間っていうのを
AIが持ってくれるんであれば、
相当短い、今までの3分の1の時間とかで
サービスとか始められるし、
そこらへんはうまく使っていくと
いいんじゃないかなと思うし、
特にイラストのコス実は大だった。
GPTでもだり使ってイラスト生成して、
あれの、
著作権・肖像権的な話はあるけど、
あれだけのクオリティをパッと生成してくれる。
写真投げてこんなにイラストに置き換えてっていうので
パッと出てくるっていうのは、
大半のイラストレーターが絶望してるんじゃなかろうか。
AI出始めの頃のライターと同じぐらいの心境になってる気が、
完全に一部の個性的なイラストレーター以外、
自分で書く意義を見失うというか、
仕事としてはやり方次第で、
まだまだここの先何年も何十年も、
AIとクリエイターの関係
イラストでも文章でもデザインでも作っていけると思うんだけど、
やる気がなくなるんじゃなかろうかと思っていて、
自分個人でやる必要あるの?
本当ひどい話をするなら、
AIの方がクオリティ高いっていう状態のクリエイターは、
多分時が経てば経つほど出てきて、
書く自分も自信はもう既にないけど。
でなると、仕事を奪われるって言うけど、
やる気が奪われていく気がするんだよね。
最初の方に話した話と繋がるんだけど、
なんでやる気がないとダメなの?っていうところに繋がるんだけど。
だから近年のAIの進化の影響で、
ただ消費するだけが趣味っていうのも別にいいけどね。
いいよ、いいですよ。
自分もそうだし。
多分DIYとかキャンプとか、
わざわざ自分でやるっていうことに楽しみを見出す。
デザインにしてもイラストにしても。
今めっちゃレンジでチンとかでご飯作れるくらいの世の中だけど、
手のひまかけて料理する。
どっちが美味しいとかはありによるからいいんだけど。
その過程を楽しむ。
ロゴ10番20番AIに出してくれた方が早いし、
何なら思った通り狙った通りのものが出るけど、
自分でダサく含めてたくさん出して並べることが楽しい。
っていう風に思わないとやっていけないし。
そこで楽しいと思う人は全然続けていけるだろうし。
うまく共存というか、
自分が活用する側、ディレクションするっていう共存はもちろんだけど、
AIに作ってもらうし自分も作るよっていうスタンス。
それは都度都度臨機応変に変える。
時間がないときはAI使うし、
自分で考えた方がこのケースだとちょっといいものができるんじゃなかろうか。
っていうときは自分でやるしとか。
このケースはいいのが多分最適解出すとこだったらAI使うとかね。
そういう自分の手仕事にも誇りを持ちつつ、
AIも使うっていうスタンス。
将棋ですよ。
将棋で言うと完全に、
実力で言ったらもう今完全にコンピューターの方が強くて、
ちょっと前からだけど。
じゃあ人間が競ってる意味ってあんのっていう。
人間のトップ棋士よりコンピューターが完全に弱まってしまったら、
将棋の人気なくなるんじゃなかろうかみたいな風潮が一時期あって結構前だけど。
だから最新のコンピューター対トップ棋士の対決とかって、
一時期話題になってトップ棋士が負けないようにみたいな風潮があったけど、
最近はもう誰もそんなこと言ってないし、
今結構中継とかだと、
AIが非常に相性良くて、
次の候補手とかももちろんだし、
形成判断とか50パー49パーとかいってさすごとに変化していって、
時間が経つごとに変化して進化てる候補手とかも。
見てるとめっちゃ楽しくて、
うまく共存というかできてるなと思っていて。
だから完全にAIが勝ったとて、
だって今でいくと、
例えば音楽とかも今ボーカロイドとかもあるけど、
作詞作曲とかも全部AIとかになっても何らおかしくはないし、
アニメとか映画とかも多分遠くない未来にできるんじゃない?
どこどこのブランドの企業のAIによる映画とかわからんけど。
だからどこの分野においても、
人が勝てるところってフィジカルしかないじゃん。
フィジカルはでもロボットに勝てないから勝ち負けじゃないしね。
優れてるのはしょうがないので。
だから究極的には人間がやる意義。
人間がAIに劣る状態で仕事を奪われる、やる気を奪われる。
別に奪われたっていいじゃんね。
奪われた上でじゃあどうするかだし、
奪われないためにとか奪われる前にじゃなくて、
どうぞ奪ってくださいだと思うし、
その上でAIによる優れたデザイン、
しかも5分10分でできる優れたものを横目に、
それより劣るクオリティのデザインを自分で何十時間かけて作る楽しさと、
それを求める人に説得して対価をいただくっていうお仕事をしていく。
AIによる、AIバージョンも提案しつつだけどね。
そういうふうに考えていくのが、
こういった何か作り出す仕事をしている人たちの一つの甲斐かしらねとは思うんだけど、
その上でやる気がない状態っていうのがいいか悪いかじゃないけど、
別に何のためにやるのか、何のためにやる気が必要やねんっていう、
仕事は必要だからやるけどね。
やる気と個人の欲求
その上でインプットアウトプットできるのか。
リソースもないのにっていうところ。
これは逆に他の人がどうやってるのか。
みんなどうしてるんだろうね。
どうしてるんだろう。
昔はそう、睡眠時間削ってやるんだよってブラッシャーが言ってたけど、
睡眠時間、今もう40代で削れないしね。
かといって、自分がゆったりしてる時間があるかって言ったらそんなにないじゃん。
40代の人たちっていうのは。
お皿を洗うわけじゃん。
食洗機使ってもその前後の時間もあるし、洗濯もするし、掃除もしなきゃだし、ご飯も作んなきゃだし、
ご飯作るための材料を買わなきゃだし、
冷蔵庫に何があるか確認しなきゃいけないわけでしょ。
なんで洗濯もん畳まなきゃ。
洗濯ってさ、畳む行為までコンピューターがやってくれないとやっぱり懐かしいよね。
そこは、掃除機、ルンバは一つの甲斐だけど。
洗濯はパタンで片付けるところかな。
それをロボットがやってくれるのは、自分たちおじいちゃん次第になって間に合うかどうかっていうところだよね。
何の話だっけ。
タイだとスイタイとARっていう話ですよ。
でもやる気が自分の好き嫌いの話になってくるので、
別にインプットアウトプットしていなくても何も悪い話ではないし、
家のことして健全に過ごしているのであれば、それ以上幸せなことはないわけで。
さらにそこからの欲求がある人たちだけ、やる気を出して頑張っていけばいいし。
やる気の何かを作りたいっていう欲求が減ってくるっていうところよね。
20代のうちはいろんなものを作ってた記憶があるけど、仕事じゃないものを。
それも作りたいから作ってたわけでね。
年を重ねたときになかなかそういう欲求が減ってきて寂しいよねっていう話だよね。
なんか今すっきりした。
だからやりたいんだったらやる人はやってるわけだからね。
時間とか言い訳にせず。
だからやりたいことをやろうっていう話です。
AIはうまくいい意味で共存していて、クリエイターとしての矜持っていうところは持ちつつ捨てなきゃいけないんだろうなっていうところですよね。
固執してもしょうがないけど、プライドは持ち続けたほうがいいし。
なのでポッドキャストも月に1回か2回は続けていきたいですね。
そんな感じで終わりましょう。
今日もありがとうございました。また次回。さようなら。
27:49

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