社会学の基本概念
この番組は、中学の同級生の40代男性2人が、文学、社会学、経済等について、本で学んだことを肴に話す雑談番組です。
じゃあ、ちょっと画面を共有されとるかね、というところで、今回はですね、
先週話していた、古市くん社会学を学びなさい、という新書を読んだというところなんで、
この内容について話していこうかなというふうに思います。
じゃあ、この書籍について話そうかね、というところで。
とはいえ、この本はどんな感じかというと、
メディアとかでよく出ている古市さんが、この人はもともと社会学で、
たぶん一番バズったところが、希望並みにご意向様だけ。
あれがたぶん確か、卒論だか修論だかの論文ベースで出されてて、
それでバズって、そこからメディアに出て、みたいな感じの流れだったと思うんだけども、
ある意味は社会学の人で、とはいえ、完全に専門家としてはやってはいなかったタイプの人なんで、
その人が改めて社会学ってなんぞやというところを、
12人の社会学の学者の人たちに聞くよというところで、
その上で、社会学者って結構メディアに出てる人も多いんで、
よくメディアで見るよねっていう人。
わかりやすいところで言うと、宮台新二だとか上野千鶴子だとか、
そこら辺かな、結構出てて。
それ以外の、本当に、書籍とか出してるけども、
あんまりメディアとかに出てないような人もいたりとかっていう感じで、
結構その意味では、幅広いというか、ある意味でこの12人見てて、
やっぱ幅広くて、よく捉えどころがないなっていうのは個人的に思うんだけど、
どうでした?とりあえず読んでみて。
捉えどころがないっていうところは、
結構皆さんもね、それは前提として社会学って何?っていう問いに対して答えてる人が多いし、
著名な社会学者の分析
それだからこその質問なのかな。
で、あとあれね、思ったのは、化け学って何ですか?っていうことに対して学取ることができないじゃないですか。
化け、ああ、そういうことね。はいはいはい。
文学だったらさ、別に学問のためにさ、
漱石読んだり、太宰治も読んだりする人っていうのもいるけど、
どっちかと言うと趣味で読む人の頭数の方が多いのかなという気がしてます。
そうですね。
で、じゃあ、物理と物理学も切り離せるよね。逆に言えばね。
社会と社会学も切り離せちゃうんだよねっていうところ。
それは、多分研究対象が独立して存在してるかみたいな、そういった話かなってところかね。
で、その捉え方に対する、その2つの揺らぎっていうところがね、
分野によって出てきちゃうんだよなっていうところもちょっと思ったんですね。
なるほどね。はいはいはいはい。
あとあれだね、個人的にちょっと思ったのが、さっき捉えどころないって言ったところで言うと、
これ多分ね、別の本で読んだやつなんだけども、
やっぱり社会学が対象するのが、いわゆる個人レベルでやるっていうのもあれば、
コミュニティレベルでやるっていうのもあれば、いわゆる本当に国レベルのところの社会を扱うってところがあって、
結局その幅広すぎるということです。
結局そのフォーカスのところによって結構変わってくるってところがあるんで、
そこでやっぱりそれも全部一つの社会学っていうふうにまとめちゃうから、
より全体像が見えづらいっていうところがあるのかなっていく。
それはまずあるかなって感じはしますね。
うんうんうん。じゃあそうしようかね。
これ12人いるけど、なんか気になる人、ちょっと深掘ってみる感じにしましょうか。
なんかちょっとこのふわっとした感じでいくのはなかなか進まないかなって感じはするんで。
誰が気になった人いる?
私が一番気になったのは本田由紀先生かな。
本田由紀先生はなあいうやつ。
ああそうだね、ファミリーマーリンのやつをやっている方でしたね。
この人の場合だと、結構社会学アプローチするあたりに本当に研究として離れた視点で見るってパターンもあれば、
いわゆる活動の一環として問題だと思っているところがあって、
それをある意味訴えるための手段として現状分析、ある意味マルクス的定義でいればいいような感じなんだけども、
そういったアプローチの人で、どちらかというと本田さんは後者のほうに近いかなと思ってて、
結構この人の場合、どこら辺が問題意識として持ってて。
ちなみにサブロとしてはどこら辺がこの人に気になったところなのか。
社会が回るというのは、これ274ページね。
社会的に排除される人をできるだけ生み出さずに社会が続いていくということですと。
とても苦しい人を少なくすることと、それほど苦しくない人たちもどこかにはめ込まれたり、
自己否定的になったりしないでやっていけたらいいなって。
本田先生のインタビュー本文に出てくるのはすごく情熱的だなって思う反面、
この社会が周りに対する答えっていうのが肩の力が抜けてていいなって思ったんですよ。
ある意味そこら辺の答えに関しては結構リベラル的というか、
いわゆるみんなほとんどにいい感じで、本当に強いだけでいられる人がいないよねってことが結構重要かなというところで。
そういう意味では上野さんほどすごいアクティブじゃないしっていう、そういう感じか。
上野さんはそのね、わりとね、その情熱的なところは、
わりとね、実は本心を直球では出してるのかな、あの人と思ってて。
いや、あの人はすごい戦略的だと思ったよね、結局。
そうそう。プログラミング的にあるしさ、ここはもう煽ったれっていうところをすごく計算ずぐで言葉を選んでる感じがする。
そうそう、そうだよね。まさに結構言ってたのがあれだもんね。
完全に嘘つくわけじゃないけども、ある意味自分の主張したい都合の、必ずしもやっぱりそう、何かその主張したいことがあったとしても、
それにちょっと都合の悪いデータって絶対あるはずなんだけども、そこら辺をあえて主張しない。
いわゆる多分そこら辺でリベートとかディスカッションにおける多分戦略的なものなんだけども、
そこら辺をあえて出さないようなのも手ですよみたいなところを言ってて、
結構やっぱり学者の人にしてはだいぶ珍しい発言だよなっていうのが思ってて。
そこがまさに戦略的というか、主張したいものがあってそれにかなう、ある意味情報を集めているというか、
いわゆる直感的にあって、それは多分大きく間違ってないだろうっていう前提で多分進めてるのかなって感じがするよね。
ただ本当に東大のあれだっけ、名誉教授ぐらいだったっけ。
そうそうすごい偉い先生なんだよね。
それぐらいやっぱりベストとしてしかりとしたところがあるから、そういった戦略やっても別にそんなつこまれるようなところがないっていうところで、
そういう意味ではバチクソすごい人なんだなって感じがするけどね。
東京大学名誉教授。
そうか、そういった上野さん的なところに比べたときにちょっと同じようなある意味活動家的なところがありつつも、
リベラルな視点
そんなにかたし果てない、その上で粛々とちゃんといわゆるエビデンス的なものを集めて、
これいい感じですよねってところを主張していくっていう感じかな。
うん、そうそう。
なるほどね、面白いですね。
なんかホンダ先生リベラルねって言ってて、
なんか上野先生もやっぱりリベラル中のリベラルで社会学だけじゃなくていろんな分野で、
リベラルって言うと結構著名な方っていうイメージがあるんですが、
あれなのかな、この10人選ばれてるインタビュー員の方っていうのはみんなリベラル寄りなのかな。
まあ普通に社会学、いわゆる学術で結構いろいろと実社会ベースでいろいろ調べてたら、
その社会の実態を見て、いわゆる特に社会的にあんまり火の当たってない人というかですね、
マイノリティかもしれないけどもですね、そういった人にある意味火を当てる仕事なんで、
自然とやっぱりそういうマイノリティ的なところに寄り添うっていうところはあるのかなっていう気はしてて、
そういう意味では社会学やってて、すごい浮力的になるっていう要素はつきづらいのかなというふうに思いますよね。
必ずしもそうじゃないかと思うんだ。それこそ反原発的な活動をやってる方も確かいらっしゃったと思うんだけどもですね、
やっぱなんかそういう前代の行動としてはそっちに寄りがちな学問なのかなっていう気はするよね。
それともう一つには、俺は公立中学出て、公立高校出て、国立行ったから、あんまり私学と関わりがなかったりもするので、
そうすると保守の論脚が身近じゃない、みんな割とリベラルなこと言う先生ばっかりだったみたいな。
そうなんだよね。意外と大学行ってる人そんなにいないよね、保守系の人って。
今の保守系の人って、ここの辺はあれだけど、古典的な保守系の人は普通に学者系の人でもいるかなって気がしてて、
いわゆる今の日本保守党とかがわかりやすい例だけども、あそこの辺っていわゆる在野の人ばっかじゃん、基本的には。
それこそ作家の人もいれば、政治家の人もいればみたいな感じで。
なんであんまりそういうアカデミア出身では、今のカッコつきの保守みたいな感じになりがちなのはあんまないよなって気がするよね。
意外と実業界にいる方が名を打ったときに、そういうふうに社長を呼んでる?
そうだね、だいたい社長が多いみたいな感じ。
多分そうだね、いわゆるわかりやすい例が高須クリニックの高須さんとかそうだけども、
やはり社会的に成功しましたよってところと、多分その上で自分にとって好ましい社会像みたいなのが多分あって、
それを押し進めようって言ったときに、多分いろいろそういうふうな空いた感じの保守的なところに行くってところはあるのかなって感じはしてて。
宮台真嗣の影響
そういう意味では結構ね、元田知事もここはあれだけど、経済面で言うと比較的儲かってる人というか、
今の現行の社会における成功者って言われてる、カッコつきではあるけども、お金を儲けてる人が結構多いイメージだよね。
確かに。確かに。確かに。多分儲かってる人が多いっていうところで言うと、
要は現行の社会においてうまくいってる人っていうふうに言えると思っていて、
逆に言えばこの現行の社会をある意味維持したいっていうところかなというふうに思っていて、
それを変革していこうっていうのがさっき言ったリベラル的なアプローチなんだけども、
今用は自分の好ましい状態を崩されるっていうふうな認識になって、それで反発するっていう、
そういった流れなのかなと、ざっくりとしたイメージだけどもね。
そういう意味では結構やっぱり経済的には、やっぱり稼いでるほうが補修、そうじゃないほうがざっくりリベラル。
金津氏もそういうわけではないけどもね。そういうふうな傾向がでかいかなって感じはするよね。
いいですね。あと、そうですね。ちょっとそこら辺の絡みで意外で言うと、
あ、そうだ。個人的にちょっとね、この本を読んでて結構ね気づいたところで言うと、
宮台真嗣が思いのほか結構、日本の社会学において結構重要な立ち位置を占めてるんだなっていうのが、
ね、応募書って感じがするよね。
なんかね、結構いろんな人が宮台さんが宮台さんかって言ってて。
そうそうそうそう。
結構90年代ぐらいに、やっぱあの、いわゆる円弧とかそこら辺を調べた制服女子なんだろうだっけ。
あそこら辺のリサーチって結構インパクトあったなっていうところ。
逆に言えば他にやっぱりなかったのかなっていうところだよね。
そういう意味では宮台真嗣ってなんとなく、なんかそれっぽいこと言ってけどあんまりまた当たってないっていうざっくりとしたイメージなんだけど。
意外とすごい人だなっていうのは、ちょっとなんかここ見て見直したじゃないけどもですね。
ちょっと認識改めたところではありますね。
リベラルと保守の対立
俺はあとは宮台先生に関して言うと、うちの父親がわりかし保守寄りだったで、小林隆成先生の漫画なんかをしてたわけですよ。
それにやたら宮台先生がブーブー書かれていたっていう。
まあそうだろうね。確かにそこまで否定する感じ。
まあまああそこら辺は相性悪そうな感じはするから、あれかなってところではありますけど。
あとあれだね、宮台真嗣あたりがフューチャーされたところで言うと、結構80年代ぐらいで、金指氏もその年代だけじゃないけども。
要は戦後60年代ぐらい、安保闘争とか分かりやすいけども、マラクス主義的なところで、共産主義的なもんで、そこのグランドセオリー。
要は資本主義そろそろ限界に向かえるよねみたいな、そういうようなイメージで言ってきたんだけども。
70年代、80年代になっても一向に資本主義を衰える感じじゃない。
そもそも80年代ぐらいってバブル期なんで、資本主義万歳みたいな感じはするというところで、マラクスとかさすがにないでしょみたいな感じになってきたときに、ある意味新しい理論として、
たぶんこういう宮台真嗣とかがフューチャーされたってところが語られてて、なるほどねって感じはしましたね。
でそこで、グランドセオリーってのここはあるけど、まさに、まあでも別に宮台真嗣はグランドセオリーではないよねというような感じではある。
まあそこら辺できればいいよねってところになったけど、まあ必ずしもそこまでは絶対さすがにマラクスレベルは無理だろうって思うんだけども。
いや、なかなかね。
まあでもやっぱグランドセオリー的なものができたらいいなっていうのが、なんとなく認識としてあんだなっていうのを見てて、
なんか聞いてて、いろんなところでグランドセオリーっていうワードが出てきてはいったんだからね。
出てきましたね。
そこはなんかね、やっぱ分かりやすい成果としてそういうのがあんだなっていうところですね。
まあ確かにね、まあマラクスちょっとその理論の使われ方とか置いといて、
まあ少なくともその資本主義自体の構造とか問題点ですね、そこら辺を明らかにしたっていうところに関しては、
まあ間違いないと、まあ確かに間違いないんで、だから未だに引用されたりするってところがあると思うんだけども、
まあ確かにああいうのみんな作りたいんだなっていうのはなんかね、面白いね。
まああとはそのあれね、あの社会主義の方はまあ割と個性力としてはね、
ソ連の崩壊以降はどんどんアチャーって感じになっていて、
まあ資本主義まあ生き残っちゃってるっていうところでいくと、
まあ左派っていうのが割と社会主義共産主義寄りですよ、
右派っていうのが資本主義寄りなんですよっていう軸があった方が、
まあ冷戦時代みたいに、まあ割とその20世紀的な議論の延長には幸せすぎよねっていう感じなのを、
まあこれは社会学だけじゃなくて、なんかこう政治とかの議論でもちょっとちらっとなんかそんな雰囲気があるなーってね、
ネットに落ちてるようなこう知らない人の言説なんか見てると思ったりする。
で反面じゃあ、その対立軸じゃなかったとして、
じゃあ今の日本で左派と右派って何?って言われると結構混沌としてるんだよな。
まあそうだね、いがに合ってはいるけど、何で対立してるのかっていうところではあるけども。
象徴的なところで言うと、なんか前もなんかちらっとLINEしたけどさ、
別に左派の人ってさ、野党第一党の党首である野田さんが政権取ってほしいって本気で思ってる人あんまりいなくないって思うよね。
まあちょっとその人のパーソナリティ的なところもちょっとあったりはするだろうけどもね。
確かにあるべき姿というかね、そこら辺がなんかふわっとしてる。
やっぱりなんかね、ここら辺ちょっと今のリペラルがだいぶ全体的に迷子になってるなっていうのはね、ちょっと思うところではあるけどね。
いわゆるリペラル基本的に問題点を抽出して、これ問題ですよねっていうのをアピールするところまではできてんだけど、
じゃあそこからどういうふうに改善しましょうかだとか、そのためにはこういう体制でいきましょうという、要はビジョンだよね。
そこがやっぱり示せてないっていうのはやっぱりでかいんだろうなって気がするよね。
だからそこら辺が良きも悪きもビジョン風のものを掲げてる賛成党とかが伸びてるのもそこら辺だかなって気はしなくもないけどね。
資本主義の課題と未来
なかなかね大変ですよね。
まあちょっとこんな感じで。
保守とリペラルがあるみたいな対立の話だっけ。
ちょっと政治の話に脱線はしてしまったんだけど、やっぱり社会学の議論に戻ってきたとしても、この本2016年、そこから今9年経っているんだけど、
リペラル対保守っていう見方でいくと、多分社会学の土俵で議論をしたとしても、やっぱり簡単としてるなーっていう。
まあそうだね。
現状をいい感じに理解するために社会学が有効に機能しているかと言われると、
個別の小さいイシューごとに解像度を上げるとかできてるんだけども、全体を見通すみたいなところにはわかってないというか、
なんかよくわかんない現象がポツポツ生み出されてきてて、これって何なの?って今わかんない状態になってるのかなって気がする。
そういう意味ではさっきのグランドセオリーじゃないけども、そこまで俯瞰して見えるようなビジョンが今示せてないのかなっていう感じね。
あとは、もう一つ思うのは、サハのほうがよいしょって担いできた共産主義っていうのはさ、
最近だとシーカーズオさんが解説をしてる本、なかなか難しそうだなと思って手が出ませんが、
資本論がバイブルっていう扱いね。
それを体験しようとして、何十年も国家としてやってきたソ連っていう国がありましたよと。
あそこはありとあらゆるものづくりっていうのは計画の中でやっていくよねと。
生産計画ですせと、国家が作りますせという世界観の中でものを作って、国を回していったよと。
それだと当然ながら、新しい技術とかがスタートアップ企業から生まれにくいだろうなっていうことは、
今こうして資本主義の世界で生きてると容易に想像ができるんだけど、
逆にマルクスが資本論を書いた当時からずいぶん時間が経って、
パソコンだとかAIだとかが身近になっているにも関わらず、
いやちょっとそれは無理くさくない?特に国家がそういう計画めっちり作るとかってさ。
データが集めやすくなっているにも関わらず、俺はそう感じちゃうっていうのはなんだろうな。
共産主義というか資本論自体の立て付けというか、
そこら辺が資本論のどこに集まるかによって結構変わってくるかなと思っていて、
資本論の一番の価値というか、いまだに支持している人が多いというところで言うと、
要は問題的なんよね。
資本主義ってこういう問題あるよねっていうところを、
アホみたいに解像度高くいろいろ調べた結果、
全部が商品化しちゃうから、
さらに資本を稼いでさらにその資本を投資することによってどんどん増えていくよねっていうところで、
それがもう止まらなくなっちゃうよねっていうようなところ。
それによって大切なものがやっぱりもう全部商品になっちゃうから、
人間としてどうなのみたいな状態になっちゃうというようなところをちゃんとそこを提示して、
その問題自体は今でも結構問題になっていて、
だからここ最近ポスト資本主義みたいなのを結構言う人がだいぶ増えてきてるのかなという感じはしててですね。
なのでその問題的自体はいいんですよ。
そういう問題があるから、マルクスとしては一応、
どっかで限界来るよねっていうところを言いましたよと。
リベラルの課題
じゃあそこからどういうふうに解決すべきかっていうところに関しては、
実はそんなに言ってないというところがあって。
で、それを要は体現したよっていうようなふうに言ってたのが結局ロシアであり、
それ以外の中国も一応そうだったりするわけではないけれどもね。
結局だからある意味どういうふうに実現するかっていうところに関しては、
いわゆる宿題として残されているようなところがあるわけで、
結局それをちゃんとやっぱりそこも考えなきゃいけない。
それがまさにさっき言ったリベラルの課題みたいなところで、
どういうふうにそれを解決するのっていうところ。
そこをちゃんとやらなきゃいけないんだけども、それができてなくて、
じゃあマルクスでこれ問題できたから。
だからこのリベラル基本的にこれが問題だよっていうふうに言われて、
解決策を済ませないっていうところに言われているかしらがそうなのかなというところなんですよ。
なので、そういう意味ではちょっと必ずしもロシアがダメだったから、
その日本の時代の価値がないかって言われると、
そうじゃないかなっていうところは一つあるかなというふうに思います。
結構ここはなかなか解決策を示せる人はいないわけじゃない。
この本じゃないんだけどもね。
まさにその流れで、資本論絡みで最近話題の斎藤興平さんの本を一冊読んでみたんですけども、
まさにそういう感じの書き方でして。
どこやったっけな、斎藤興平。
とりあえず斎藤興平の新書を読んだんですけども、
それで言ってたのは基本的にさっき言ったとおり、
こういうところが問題だよねみたいなところをちゃんと丁寧に語ってくれていて、
そこはなるほど納得だなという感じはしたんよね。
その上でどういうふうに解決策をやろうかというところも一応その新書の中では4枚ずつですね。
そこに関してはさっき言ったとおり、実はそんなに語られていないよと。
その上でこういうのがいいんじゃないかなというところで、
出てくるのが結局脱成長みたいな。
いや、さすがに言えたろみたいなことは言いたい人たちですね。
個人的には解決策の部分に関しては全然乗れねえなというようなところなんですよね。
この入門書みたいな感じでゼロからの資本論っていうやつ出してて、
ここで語られているのはさっき言ったとおり、
資本論の基本的なこういう問題だよねというところ。
最終的な結論としてはさっき言ったとおり、
別に本当に必要なものだけ作りゃいいじゃんというところを言ってて、
要は本当に人の欲望が合うようなものを作らなくていいよねというような結論で、
そうなると結局脱成長だよっていう話なんだけども、
本当にそれができるのかだとかですね。
そういったところに関しては非常に疑問があるというか。
結局この斎藤さん時代が結局いわゆる学者さんで、
いわゆる実際にそんなに働いたことはあんまりないような感じなんで、
ビジネス絡みの話になると一気に改造とかクソ下がるっていうところがあって、
そこら辺が弱い。
多分これが全般的に自分が感じているリベラルもしくは共産主義系の人から感じる違和感というか、
そんなもんできないだろうみたいなところが結構あるというような感じですね。
ちょっと簡単ではあります。
ではちょっと廃棄で終わりますが、こんなところですかね。
斎藤興平の新書
はい、じゃあお疲れ様です。
お疲れ様です。ありがとうございました。
ありがとうございました。