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ポトフ
はい、どうも。My cup of tea、シーズン3のエピソード36となります。
どうもポトフです。 前々回のエピソード34でですね、
反出生主義というのを話しました。人々が子供を持つことは不謹慎だという信念ですね。
これはですね、井上真花さんという方からですね、 どう思いますかということを振られてですね。
で、改めてちょっと調べながら、自分の考えをまとめつつ話したんですけども、今日はその井上真花さんとこの反出生主義について
ディスカッションというか、意見を話し合うというか、対談みたいな形になっております。
そんなのをお届けしたいと思います。
My cup of tea、この番組は気になることや興味のあることを考えて話すことで情報に向かい合い、
理解を深めていくことを目的としたスローポッドキャストです。 スローポッドキャストとは、食を見直すスローフードのように、
情報を手軽に扱うのではなく、自分で考え、自分の声で話し、リスナーと共有することで受け取る情報や自ら発信する情報について
じっくりと向かい合い、自分の生活をより豊かなものにしていこうというポッドキャストです。
はい、どうも改めましてポトフです。 今日は反出生主義の続編みたいな感じになりますね。
エピソード34で一人でですね、まず自分の考えをまとめて話しました。 その上でそれを聞いていただいてですね、井上真花さんとちょっとこの件について話していくんですけども、
その前に井上真花さんですね、シーズン2のエピソード10でもですね、ゲストで出ていただいております。 その時はですね、インタビュアーとしての
井上真花さんのお仕事にちょっとスポットを当て、インタビューについて聞いたりしていますが、井上真花さんはですね、編集プロデクションでもある有限会社
マイカの代表取締役であり、そこでは編集者でありインタビュアーでもあるんですけども、その他にですね、PDA博物館の初代館長っていうですね、
肩書や日本冒険サッカークラブ会員、そして哲学カフェアット神保町の世話役ということをやってるんですけども、その他にですね、
名古屋哲学カフェのオンラインカフェの世話人みたいなこともしているというですね、まあいろんな顔を持ちなんですけども、特にあの哲学カフェなんかにもですね
関わっておられて、そのあたりで話題になっているということで、反出書主義どう思いますか?っていうことを振られましたね。
で、その他にね、バンワークということをしてですね、なんで井上真花さんは東京にお住まいなんですけども、この1,2年だったかな、特にあの最近ですね
バンワークという形で、ハイエースですね、ハイエースを改造して、そこで寝泊まりできるようにしつつ、仕事もできるようにして、全国あちこちいろんなところ行きながら仕事をね、バンの中でしつつ、
そういうね、働き方をしていると。で、名古屋の方を通ると、目的地はもっと向こう西なんですけど、名古屋を通るということで、じゃあせっかくなんでこの話、
実際に対面でしませんか?ということで実現しました。はい、で、一緒に話しております。で、まあ発端としてはデビッド・ベネターという方ですね、南アフリカのケープタウン大学の哲学の教授ですね、その方が書いた本、
もともとは2006年かな?に書いている、生まれてこない方が良かった、存在してしまうことの概約というね、本を書かれて反出生主義を唱えていると。
で、生まれてくることは常に概約であり、もう幸せとか不幸せとか関係なく生まれてくること自体、常に概約であり、人類は絶滅すべきであると主張しているんですね。
で、このベネター氏の生まれてくることの概約論によれば、どんな人にとってもこの世に生まれてくることは生まれてこないよりも必ず悪いということを言っています。
で、ミカさんも私もこのベネターさんの主張に対してどちらかというと懐疑的、二人ともそういう立場なので、まあちょっと議論としては偏っている部分はあるかもしれませんが、
井上真花
反出生主義の話をすると、
ポトフ
はい。
井上真花
えっと、大体2つぐらいあって反応が。
ポトフ
反応が。
井上真花
そうだよね。
ポトフ
あーそうだよね。
井上真花
人間って地球に害だよね、みたいなことを言う、なんて言うんですか、ちょっと情緒的にそっちに。
ポトフ
はい。
まず、内容知らなくても共感する人と、またそういうバカみたいなことを言う人。
井上真花
あの、全然くだらないんじゃない?みたいな。
あの、たぶん反応しちゃう感じで、どっちもね。
ポトフ
うんうんうん。
井上真花
っていう2つがあって、どっちに対しても私は何か言いたいなと思う。
ポトフ
あ、どっちに対してもなんですか。
井上真花
そうそうそうそう。
ポトフ
ほうほうほうほう。どっちから行きましょう。
井上真花
うーんと、そうね。
ポトフ
共感する方。
井上真花
人間はいない方がいいわよね、っていう方。
ポトフ
はい。
井上真花
はい。
ポトフ
それは、最初さらっと聞いたときは私もそうは思うんですけどね。
井上真花
あの、ポトフさんたちは基本的に地球には人間がいない方がいい。
いない、うーん。
人類は滅びるべき。
ポトフ
私が、最初だからDMで聞いてもらったときは、もうちょっとそこまで考えてなかったんですけども、
これは自分で話すためにいろいろ見たりした感じで言っても、結局、いた方がいい、いない方がいいっていうのがわからないんですよね。
井上真花
今わからない感じ。
ポトフ
わからない、まあ、だから、いなくてもいいけど、いてもいい。
井上真花
どっちでもいい。
ポトフ
どっちでもいい。
で、人類はいなかったら、地球としてはいいかもしれないけども、けど宇宙からしたら別にそんな誤差だなと思ってるんで。
井上真花
えっと、その、地球、地球という生命体から見て、人間は、この間のポッドキャストだとちょっとがん細胞的な、がん細胞がいるかいないかは、やっぱ気になるけど、宇宙規模で見るとどうでもいい。
ポトフ
適室、もちろんできたらしてもいいんだけど、できるのっていうのもあるし、えっと、けどがんってもう、割合、確率的に出てきちゃうからしょうがないから、出てきちゃうものを、いた方がいい、いない方がいいって論じるのがちょっとよくわからないというか。
井上真花
発生している現象であると。
だからもうその発生するんだよ、ある程度の確率で発生するんだよっていうのももうあることだから、で、なんでその人間がそれ自体をいた方がいい、いない方がいいと論じるのかがわからないというか、なんか。
ポトフ
あー、はいはいはい。
っていうのが正直なところです。
ポトフ
それはつまり、人間が、にがん、がん細胞があるとします。がん細胞が、俺たちここにいていいの?って考えてる問題が、変でない?っていう。
井上真花
地球からしたらいない方がいいと思っていても、なんで自分たちでそれを言ってるのかなっていうのが。
なので、結構どっちでもないと言えばないんですよね。
ポトフ
一応言いたいことはどっちもの言いたいこともわかるっちゃわかるんですけど。
井上真花
ラポトフさんはがん細胞的立場として。
ポトフ
そうです。
井上真花
別に自分がそんなことを言う立場でもなかろうと。
なるほど。
ポトフ
ですかね。
井上真花
そもそも。
ポトフ
そもそもそもそも。
井上真花
真花さんは今はどっちなんですか。
出生主義に賛成か反対かっていうことで言うと、
ポトフ
申し訳ないんだけど、私もどっちでもないと言う。
そんな気はしてました。
言い方が違うんですけど、誰見せんよってずっと言ってて、
井上真花
私ごとき、人間ごときってちょっとツイッターで言ったのはそういうことなんですけど、
私ごときがどうこう言う問題ではなかろう、人間ごときがどうこうする問題ではなかろうって、
そんなに人間って素晴らしいものじゃなかろうみたいなところ。
ポトフ
なんで、その本、人類滅亡計画の本、ちょっと事前に。
ポトフ
なんか裏表で急に変わっちゃうこともありますよね。
井上真花
魔王教になっちゃうと急に。
ポトフ
逆にね。
だからその辺もあるけど。
けど、命を奪うっていう意味では肉食獣ももちろんそうですし。
ただ人間はその食事という生命維持以外の目的でも他の命を奪うこともあるとか、
なんかそういうことがあるとは思うんですけど。
井上真花
だからっていうのもあるね。
そこまで行くと今度は善悪とは何かという話なんですけど、
善悪ってただの判断であり、
それは人によって違うことであり、そんなに大事かなっていうこと。
ポトフ
絶対的なものじゃないですよね。
井上真花
その時の社会通念的なところがあるんで、変わることはありますよね。
ポトフ
だから善悪が存在意義に結びつけるのはちょっとなんか強引な気はするんです。
井上真花
なんか悪の存在だから消えた方がいいっていうと、どのぐらい消えるんでしょうかね。
人間以外にもいっぱいあるだろうし、それを決めるのは誰なんでしょうかね。
100%善100%悪っていうのはありえないと思うんで、
ポトフ
なんか悪い悪の部分があるから無味するっていうのは、
分かりやすいけど、分かりやすいのが注目される理由でもあるかと思うんですけどね。
井上真花
そうですね。分かりやすく見えるんでしょうね。
ポトフ
分かりやすく見える。
井上真花
なんか中身を見ると結構いろいろねじれみたいになったりして複雑なんだけど、
あと人間は動物を食べるっていうことをおっしゃる菜食主義者の方。
は、さっきポトフさんが言ってた、草には意識はないのかっていうところに私はすぐ行ってしまって、
結局命を奪うものなんじゃないっていう。
ポトフ
そうですね。
あの、昔なんか全然話変わるんですけど、何教かな。
なんか宗教の勧誘みたいなのが家に来て。
勧誘みたいなやつが家に来て、まだ中学ぐらいだったのかな。
このパンフレットを見せられて、肉食獣も草食獣もみんな仲良く暮らしてる世界、素晴らしいですよねって見せられたんですよ。
斬新。
何言ってんだろうと子供ながらに思い入れ。
肉食獣が他の動物を食べないっていう世界が本当に良い世界なのかっていうのが。
井上真花
ここでも良いが出てきたんですね。良くないみたいな。
ポトフ
結局、弱肉強食で食物連鎖があって成り立ってる世界だから、それが起きないっていうのはもう破綻するんじゃないかという気もしていて。
それにも通ずる。善悪。他の命を奪うものっていうのがもうそういうものだから、それに善悪いってもっていう感じも。
井上真花
基本OSに仕込まれてるものに対して、そのコマンドは違うだろうみたいなことを言ったらOSが動かないみたいな。
ポトフ
そう言われてもなっていう気がしますね。
井上真花
そうなんですよね。でもそこにすごく相性が良い感じはする。
ポトフ
で、共感するっていう人がいてすいると。
井上真花
そういう人に対して、なかなかどう言えばいいかわかんないんですよね。
ポトフ
そうですね。結局さっき言ってたように、ゴールは似てるけども、そこに至る考えが違うかもしれませんもんね。
井上真花
そうですね。
そういうものだっていうのがそのまま通じるとは思えないんで。
井上真花
だから基本的に、とてもこうであってほしいっていうものが、
草食恐竜と肉食恐竜が仲良く暮らす世界であってほしいという思いを持っている方、とても優しい方だと思う。
ポトフ
だけど、それって成り立たないよねっていうしかない。
成り立たないと思うんだよな。
それで、人口のみならず世界中の生物が増え続けたらどうやって。
井上真花
あ、そうか。殺す人はいないから。
食料がなくなりますよねっていう話になりますよね。
ポトフ
今でさえもう食料なんというかいっぱいいっぱいなのにっていう気はしますけどね。
私たちは人間じゃないですか。私たちは今食べられないじゃないですか。誰かから。
井上真花
でもアニメで、人間が食べられるんじゃないだっけ。
ポトフ
巨人とかが出てきてですか。
井上真花
あの世界だったら人間は生きててもいいのかな。
ポトフ
つまり食べられる側にもなれるんだったら食べてもいいのかな。
食べられない。
だから今は人間が、ある意味地球上の最強の生物で最高の知能を持っているという前提でみんな話されると思うんですけど。
その場合、自分たちは罪じゃないか。いらない存在じゃないか。
井上真花
贅沢な悩みですけどね。
無存な悩み。
ポトフ
ある意味、そうですね。
じゃあそれで超えるのがいたら、逆に言うと食べられる存在だとそんなこと考えてる余裕がないのかもしれないですけどね。
井上真花
だから食べられる存在だったら罪の意識も感じずに済むのかしら。
ポトフ
私たちがそうじゃないから罪の意識を感じなきゃいけないのかしら。
その部分はあるかもしれないですね。
井上真花
なるほど。
ポトフ
変に責任感があるんですかね、その変な話。
この地球というものを成り立たせるために実情を持たせて、成り立たせるために自分たちの存在がっていう。
けどそれだとまた違う存在が出てくる可能性がありますよね。
井上真花
で、その存在がまた悩むわけですね。
俺たちはこんな人間みたいな可愛い生物を悲しませていいのか。
これはなんかキリがないですね。
キリがないですね。
ポトフ
それ極論いくと、宇宙なんて発生しなければよかったんじゃないかっていうところに行き着くと思うんですけど。
井上真花
そうですよね。
ポトフ
そのベネタさんが言ってた、地球と火星、火星の方が幸せというか良い星だっていうのにも通ずると思うんですけど。
井上真花
人間がいないからね、火星に。
ポトフ
幸せだと思う人がいないのに幸せだっていうのが意味があるのかどうか。
井上真花
それは今生きているベネタさん目線でそう感じる。
それはベネタさんという比較する受け皿がいるから成り立つ比較であって。
でも人類が滅亡した後はベネタさんもいないわけだから、比較する人がいない状態なわけですよね。
それに対して良い悪いって誰が言うのかな。
これは一つ私は不思議に思ったところです。
けど良いと言い切ってたんですよね。
ポトフ
そうやって思う人がいないのに良いっていうのはおかしいという反論に対しては、
井上真花
そこは実際にいる、いないじゃなくて、いたらっていう文章的な問題であって。
ポトフ
本当はいるかもしれなかったのが、もしいたら苦しみの方が多いから、それがいないということはいいことだと。
井上真花
ありましたよね。言葉で考えるからそうなるんですよね。
でも言葉って人間が獲得した歴史の中の割と最近の話であって、
それをあの本でいうところのもともとあった真実として語られてたじゃないですか。
発見されたものである。
でも言葉がない以前はそういうことも比較できないわけだから、やっぱりおかしい。
ポトフ
存在を否定するということは多分その発明された言葉も否定するというか、なると思うんで。
井上真花
ああそうか、人間いないからね。
全く意味がない議論になっちゃうなと思うんですけど。
どん詰まりになっちゃいますね。
それに対してどう思うかですよね、その共感する人たちが。
そうですね。
ポトフ
人間が地球にいない方がいいっていう考えは別にいいんですよ。それはね単独ではいいんですよ。
井上真花
だけどその不出生主義の考えに基づいてって言うとやっぱりいっぱい穴があるので。
ポトフ
穴はありますね、確かに。
そういう方に関しては別の方法でって言うんですかね。
だからそうなんですよ、アノロンディがおかしいとは思うんですけど。
井上真花
手放しがたいじゃないですか。
ポトフ
手放しがたいですよね。
井上真花
手放しがたい執着がしんどいわけですよ。
そういう意味ではベネッタさんはすごくいろんなものに執着されてるのかもしれない。
ポトフ
そうですね、自殺とかは進めてないですし、
結局今生まれてきちゃったものは命を絶つのは苦しいから、別にわざわざ苦しみたくない。
だから自殺とかは進めないみたいな感じだったりするので、幸せなのかもしれないですね。
井上真花
あ、そしたらそれを言えばいいんじゃないですかね、人類はいない方がいい説の方に。
不出生主義はそういうんじゃなくて、
すごく幸せな人がちょっと傷つきたくない理論だからやめた方がいいよ、どうだろう。
ポトフ
そうですね、だから自分が、
井上真花
たぶんその不出生主義、反出生主義は、
ポトフ
基本幸せで、生に対する、生きていくことに対する執着が強いのかもしれないですね。
だから生まれない方がいい、不思議な逆説。
生まれてこなければ、その手放すっていう苦しみがないから、
で、みんなを巻き添えにしてるような気がします。
井上真花
一人でおやりください。
ポトフ
いや、みんなもそうでしょ、みんなもそうでしょ、だからみんなを生まないようにしようって言ってるように聞こえますね。
井上真花
寂しいのかな。
なんかそんな感じもしますね。
寂しい説が出た。
なるほどね。
そんな気がする。
それはちょっと納得ですね。
手放しがたいから、辛いから、生まれてこない方が良かったっていう、
その理論はすごく説得力がある。
ポトフ
そうですね、なんか苦しい人ほど言うのかなって思っていたけど、
逆だったのかもしれないですね。
井上真花
なるほど、じゃあブルーは共感しちゃダメですね。
ポトフ
ブルー、人類滅亡計画の中のブルーは、今まで良いことが全然なかった。
だからもう死にたいから賛成ですって言ってた人ですよね。
井上真花
はい、そうです。
ポトフ
確かに。
井上真花
反対だよ。
ポトフ
たぶんあの人は、確かに話の中でも理解してるようには見えなかったですもんね。
井上真花
そうですね。
ポトフ
ゴールは共感してるけど、なんか理解してる感じじゃなかったですね。
井上真花
そうですよね。
ポトフ
ブラックはそういう、ブラックってのは、その反修正主義を唱えてる人。
井上真花
あの人は、そういう自分のあれは出さなかったですね。
ポトフ
ベネターさんも自分の個人的な話はしようとしないんですよね。
井上真花
確かに。
ポトフ
で、一般化してるように見せつつ、結局やっぱり個人的な思いから来てる気がしますけど、
ブラックの人も、客観的なふうに見せていってはいたけど、
やっぱりとこどころは結構おかしかったんですよね。
井上真花
どの辺が。
ポトフ
なんかだけど、上から目線なのが気になったんだよな。
井上真花
なんか、ずいぶんご立派なんだね。
上から目線なのが、そもそも反出生主義の人間を特別視している考え方になんかつながってる感じがしたんですよね。
そうですね。
さっき言ってた、人間より上の立場が出てきた途端に崩れ去る罪悪感ですよね。
ポトフ
その宗教を信じている方には、それを言われたらそこには何も言えないみたいなことで、簡単に逃げる感じがあって。
井上真花
簡単に逃げるっていうのはですね、ブラックさんの主張を聞いてる限りは、すごく条件がいっぱいあったなって思ったんですよね。
その条件っていうのが、道徳観とか、不幸より幸福の大きい、みんなの義務は幸せではなく、害を与えないことだとかっていう、条件をいっぱいつけた、そこに宗教もあるんですけど。
ただその、反論できない条件を最初に立てた上で、その上に建物を建ててるので、反論できないねっていうのがあって。
でもその条件を一つずつ外していくと、わりともろく崩れ去るっていう反論はできるよねっていう。
ポトフ
一番道徳感がすごくベースにあったような気がするんですよ。
ブラックさん以外も道徳的にって、結構道徳が出てきて、道徳的に善悪を語っていたような気がするんですけど。
井上真花
そうですね。道徳以外で、わりと善悪って語れないものなのかもしれないですね。
ポトフ
ああ、そうか。
井上真花
善悪って言うとついてきちゃう?
ポトフ
善悪というと道徳感がついてくるんですか?
井上真花
気がします。哲学アプローチの善悪もありますが。
はあはあはあはあ。
ポトフ
道徳ってけど、変わりますよね?
井上真花
うん。ちょっと中にもありましたよね。すごくヨーロッパとかもあったけど、最近に限って言えること。
そもそもそれ以前は、個人すら意識に昇っていなかった。
個人っていうものを際立たせて、個人の自由を保護するための道徳みたいなのがついてくるわけだから、
地域のごく限られた期間にのみ適用されるもの。
ポトフ
道徳って、私の考えだと、人間が社会生活を行うために、その秩序を守るためにあるものだと思ってるんですよね。
井上真花
ですよですよ。
ポトフ
だから、一番矛盾を感じたのは、道徳っていうものが人間の存在があってこそのものじゃないのかなと。
井上真花
そうなんですよ。社会を成り立たせるために必要なルールですよね。
ポトフ
ですよね。そこで善悪によって存在価値があるかないか。ないってなったらもう道徳も必要ないわけだから。
井上真花
社会がなくなるので道徳も一緒に消える運命なんですよ。
ポトフ
すると善悪の概念もなくなりますよね。
井上真花
なくなるんです。それはさっきの人類の生きるべきか死ぬべきかも同じで、
人類がそれを考えてなくなるべきだって思ってなくなった瞬間にその問い自体が消える。
ポトフ
問いがなくなりますよね。
井上真花
全部そういう成り立ちをしてるわけですね。
ポトフ
なのに道徳が大前提で議論をしていて、人類が必要か不必要かを語ってるっていうのが。
井上真花
善悪で考えてるからなんだけど。
ポトフ
だからやっぱり善悪が存在価値に結びつくってことはおかしいんじゃないですかね。
井上真花
なんかそれでいい気もしますけど。
ポトフ
魔王が理を求めたじゃないですか。
井上真花
理由ですね。
その理に対して善悪であるっていうふうに解釈したところはちょっと想定でしたよね。
ポトフ
最初のですね。
井上真花
そういう理を求めてるかどうかもわかんないってグレーが言ってたんだけど、それはそうだよねって思いました。
ポトフ
けどあの結末を見るとやっぱり前提がおかしかったのかなっていう気はしますよね。
井上真花
そうですね。魔王の間違い。
ポトフ
結局最終的にリセットするような形になったんで。
井上真花
そうそうそうそう。魔王自体が自分の存在に自己矛盾を感じていたから、それを知るための実験をさせたって感じで。
ポトフ
そうですね。だからこの議論自体が意味がなかったと。
井上真花
それを書いてらっしゃるのかしら。もしかしたらあの本で。
ポトフ
そう見えますけどね。
井上真花
なるほど。そうかもしれない。
じゃあその不出生主義の方に対して、私が何か言うとしたら、今の話をまとめると。
ポトフ
主義の議論の前提がおかしい。
井上真花
おかしい。入れ子になってるぞみたいな。
井上真花
ですね。
あの、不出生主義の、どっちだっけ?反出生主義だっけ?
井上真花
反出生主義です。
ポトフ
実は真花さんずっと間違えてるんですけど。
井上真花
そう、間違えてる。最初になんかふんほで覚えたんですよね。
その時に、子供をただ可愛いから、欲しいからっていう、親のわがままで産むことによってっていう話を聞いたことがあって、
それは親のわがままなんだって思った時にすごく違和感を。
ポトフ
子供を産むことが、親のエゴであり、虐待であるって話もありますよね。
井上真花
ありますよね。
ポトフ
ベレタさんはそこはあんまり言ってないんですよね。
井上真花
それは後からついてきた。
ポトフ
いや、たぶんベレタさんは以前の人が言ってた感じがあります。
井上真花
ベレタさんはそれとは別に論理的に産まない方がいいよって言ってる感じで、たぶんその前からあった話ではあると思うんですけど。
ポトフ
確かに、親のエゴであり虐待であるっていうのも、反出生主義はあるんですけど、
井上真花
それはそれでまた、ベレタさんとは別の意味で違和感を感じるなって思うんですけどね。
なんかその、罪悪感を持って何かを説得すること自体には割と違和感は元々はあるんですけど。
ポトフ
それがあれですよ、道徳をベースにしてるっていうところにも通じますよね。
それは分かります。
井上真花
そうか、あれは関係ないんですね、ベレタさんとは。
ポトフ
なんか見てるとなんか違う気がします。
でも、そのベレタさんの考えをずっと広げてる人って、割とその辺全部混ぜていたんですよね。
だから、ベレタさんとさっきの人類滅亡計画を書いた人で、なんか微妙に違うなって感じている部分もあって、
古代からいろんな人が生まれてこなければよかったとか言ってる人たちも、やっぱ微妙に違うなっていう感じはして、
井上真花
多分反種性主義って言ってる人は、全部ひっくるめてる人もいれば一部も言ってる人もいるんだろうなと思うんですけど。
ポトフ
だからその反論できるかどうかって結構個々にあるなと思って。
井上真花
いいとこ取りして、全部それを使えるってこと?
全部を否定する必要があるかどうかもわかんないですけど。
ポトフ
なんで、反論できるかどうかって言われても、その人は何を言うのっていうのもちょっとあるんですよね。
井上真花
だからどっから来るのみたいな。
ポトフ
どの部分を反論したらいいのっていうのはちょっとあるんですけど。
とりあえずベレタさんの言ってる、論議的に人類は生まれてこなければよかったっていうのはさっきみたいな話で、議論がおかしいなっていうのはあります。
井上真花
子供が産むことがエゴであると、虐待であるっていう話も聞いたことあるんですけども。
ポトフ
それはまた別の話かなと思ってはいるんですけど、それもそれで、
なんだろう、中には個人的に産んでくれなければよかったのにって人ももちろんいるとは思うんですけど。
井上真花
子供側から?
ポトフ
子供側から。
けど、自分のために産んだのか、それもそうとも限らない、そういう人もいるとは思うんですけど。
ポトフ
全体的に、人間はやっぱり増殖したい、発展したいっていうところがあると思うので、子孫を産むっていうことが、生まれ持ってのプログラムされてるものだと思うので。
もちろん、産みたくないっていう人がその中にいる、20%、30%ぐらいいるけども、
過半数は産みたいっていうか、産む方向にいるんだろうな、だから100%全員が産んだほうがいいんだとは全然思わない。
井上真花
そうですね、選択の自由はある。
ポトフ
だからそのうちの20%、30%とか産みたくないっていう人がいて、ただ全体としては増えていくんだろうなっていうのがあるので、
そこに自分の意思で産むことは全員がエゴだ、罪だっていうのが強引に思いますね。
井上真花
ちょっとね、感情が乗りすぎてる感じもするし、言われた側も感情で反応しちゃうじゃないですか。
産んだ身としては、私虐待してませんけどプンスカーってなるじゃないですか。
ポトフ
自分が否定されてるような感じになりますからね。
だからそれは良くない仕掛けですよね。
それは思いますね。
井上真花
生まれてきて良かったって思う人もいれば良くなかったって思う人ももちろんいると思うんで。
なんかそういうふうにあんま思ったことないんだけど、
生まれてきたこと自体云々って考えるときって、あの本ではちょっとした安らぎっていうところがあって、
そこもちょっと分かんないポイントだったんですが、何を安らげるんですかね。
ポトフ
生まれてこなかった世界を思うときに。
私も別に安らげないんであれなんですけどね。安らぎでしたっけ?
慰め?
ブルーみたいな人が、生まれてこなければ良かったって言ったときに、ちょっと良いみたいな。
井上真花
そこ何も思わなかったな。
思わなかったんですよ。
井上真花
で、それって、こっから先は私の勝手な考えですけど、
ポトフ
それって自分が幸せにならなきゃいけないっていう価値観さえ捨てれば、別に感じなくて済むことなんじゃないかなって思うんですよね。
そうですね。
あの本でいくと道徳で善悪のペースがあって、人は幸せにならなきゃいけないんだっていうような、
井上真花
なんか共通認識があったんですけど、そこは確かに私は共感できないなと思ったんですよね。
そこを手放せば、別に生きててもいいし、生きてなくてもいいし。
井上真花
ブルーは幸せじゃない自分にコンプレックスを感じていたわけですよね。
ポトフ
でも幸せじゃなくてもいいもんって思えば、全然ブルーは平気だったんじゃないかなと。
井上真花
私も思いました。幸せにならなきゃいけないのかどうかっていうのはちょっと思いましたね、確かに。
ポトフ
なんか勝ち組とか一時あったじゃないですか。
ありましたね。
井上真花
今は言わないみたいですけどね。なんか勝たなきゃいけないんですかね、みたいな。
ポトフ
勝ってるのかな、勝ってるかどうかもちょっとわかんないんだけど。
井上真花
勝負なのか、そもそも。
ポトフ
金銭的に。
井上真花
小さく、声が小さく。
ポトフ
自分がどう思うかだから、社会的に成功しなくても自分が別に良ければいいし、
周りからの判断でもないかなとは思うんですけど。
井上真花
お風呂に入れて、美味しいもの食べて、寝れたらそれで十分じゃないかと。
渋丸子のおばあちゃんが言っていた?とかなんとかいう話を聞いたんですけど。
割とそこまでハードル下げれば全然別にいいんじゃないかなみたいな。
ポトフ
そういうことで言うと、結婚式とかでも言うかもしれないけど、
井上真花
生んでくれてありがとうっていうのも違和感があるんですよ。
ポトフ
私もあります。
生命が誕生するっていうのは多分すごいことなので、
そういう意味では生まれてきただけですごいなとは思うんですけど、
親に返してありがとうっていうのはあんまりないんですよね。
井上真花
そんなこと言っていいんですか。
いいんじゃないですか。
いいんですか、私もあんまりないんですけど。
ポトフ
その辺の意味で子供を産むことが罪であるとか、
エゴであるとかいうのはちょっと私は納得できないですね。
納得できないですね、確かにね。
それは逆に問い伏せて欲しい。どうしてって。
井上真花
分かった分かった。分かりました。
どっちも価値をつけすぎなんですよ。
ポトフ
価値をつけすぎなんですね。
井上真花
ベネターさんも子供を産むことは虐待だという人も、
どっちも言葉を選ばずに言うと大げさなんです、どっちも。
ポトフ
出産というものに特別しすぎてる。
井上真花
そんな気がしますね。
ポトフ
自分でコントロールできるものだと思いすぎてる。
井上真花
そんなわけないのにね。
ポトフ
そんなわけないですね。
井上真花
やっぱそこは人間を多く見積もりすぎてるんじゃないでしょうか。
ポトフ
それは確かに感じますね。
人間は他の生物とはちょっと違うんだっていう意識が見えるんですよね。
井上真花
そうですよね。なんでそう思っちゃうのか。
ポトフ
それこそ人間を食べてくれる巨人がいないっていうのもあるのかもしれないですね。
井上真花
最強の生物とか思っちゃってるから。
なるほどね。宇宙人とか来ると変わるかもしれないですね。
ポトフ
変わるかもしれないですね。
井上真花
神が本当に実存して現れたら変わるのかもしれないですね。
神は絶対者じゃないですか。
ポトフ
絶対者なんですか?
絶対者のこと神っていう定義があるとして、ベルダー的に条件をつけます。
井上真花
その時に私たちがいるっていうのは、相対者がいるという意味で絶対者になり得ないらしいです。
ポトフ
昔からギリシャ神話とかが好きなんですよ。
失敗ばっかしてるじゃないですか。
井上真花
すごい人間らしい神。
ポトフ
全然絶対者と思えないんですけど、一番リアリティがあるなと思っていて。
一神教の絶対神の方が勝手に人間が作り上げたものであって、
きっと存在しないんだろうなって思っちゃう。
井上真花
でもポトフさんが前のポッドキャストで、
何か超越した存在みたいなものはって言ってたのは神じゃない?
ポトフ
神と呼ぶ人もいるかもしれない。
今一神教の人はこういう絶対的なものを想像して作り上げて、
神みたいな神格化してそれに支配されてるって思っているみたいなところがあると思うんですけど、
同じように個体がいろいろ生活している中で、
やっぱりその秩序を守るためにこうあるべきだみたいな、
そうした意識っていうのがなんとなく共通認識をしてできて、
それが常識みたいな形であって、それに従わなきゃいけないみたいな、
それを神と呼ぶかどうかわかんないけど、
常識が神。
常識というか、生活者、人々が、
作り上げてこれに従わなきゃいけないっていうような思い込みみたいなのがある。
作り上げてしまうんじゃないかなと思ってて、
それをわかりやすくしたのが神かなと思って。
井上真花
人工的神みたいな感じ。
ポトフさんが思うのは人工物としての神ではない何か。
ポトフ
神という人もいるかもしれないけど、
そういう概念みたいなものに支配はされるっていう部分はあるのかなと思うけど。
井上真花
概念がある。
秩序みたいな?
ポトフ
そうですね。これ何だったっけかな。
いや、なんか、
個体がいろいろ生活していくとみんな無秩序だったらたぶんおかしくなるような気がしていて、
個体があるとなんとなくそれを安定させるために概念を生み出してしまうんじゃないかなと思っていて、
そっから影響される部分があるのかなと思っていて、
自分たちで勝手に作ったんだけどそれに影響される。
ポトフ
別に名文化したわけじゃないけど、なんとなく考えてしまう。
それもそうだと思います。
井上真花
そのぐらいの感じだったんですね。もっとすごいことを想像していた。
それぐらいの感じです。
それこそ存在を生み出したものがあるみたいな。
井上真花
そんなわけないじゃないですか。
なんでないんですか?
ポトフ
わかんないけど。
そもそも神を信じていないので。
なんかよくわかんないですね。そういう系の神は信じていない。
人間を誰かが作ったとか、万物を創造したとか、そういうのは信じていない。
井上真花
これベネタさんの話にも関係あることなんですけど、
ポトフ
たびたび哲学カフェで話題になる自由意志があるかっていう。
井上真花
自由意志がない派っていうのもいるんですよ。
それはビッグバーンの時にもう全て決まっていたっていう人もいるし。
ポトフ
運命がね。
井上真花
いろんなのがあるんですけど、それはどうなんですか?
ポトフ
それもなんか考えても仕方がない部分はいいんですけど。
そういう可能性はあるなと思いますよ。
井上真花
自由意志がない。
ポトフ
全部決まっている。
一個ボンとやったら結果が全部アカシックレコードに刻まれていてとか。
井上真花
物理が好きな人は結構そっち派の方が。
そうなんですね。その可能性はあるなと思ってます。
ポトフ
ただ個人個人として自由意志がないって思うのはきっと嫌だろうなとは思うんですけど、
そう思うことさえもプログラムされてるかもしれないなと思います。
けどこれ証明のしようがないので、考えても仕方がないし、
自由意志じゃないにしても自分では自由だと思って行動しなきゃいけないなと思っています。
そういうプログラムだったとしても気づかずに。
それが自由意志がないんだから考えてもしょうがないなって思ったとしたら、
それさえもプログラムされてると思うんですけど、
自由意志がないにしても自由だと思って行動するものだと思ってます。
井上真花
それもベネタさんの話とまた関係あるんですけど、
自由意志がないっていう考えの中に平和があるんですよ。
ポトフ
平和があるんですか?
井上真花
安らぎがあるんですよ。
ポトフ
安らぎなんてあるんですか?
井上真花
ブルーさんが生まれてこなければよかったっていう安らぎはそれと似てるのかなとちょっと思ったりしました。
ポトフ
安らぎがあるんですか?
井上真花
自由意志がないのでこうなったのは僕のせいじゃないと言える。
自由意志がある。
つまり選択の自由があって自分が何かを選んだことによって何かが起きたときに、
ポトフ
その責任を感じるじゃないですか。
井上真花
感じなくていい。
ポトフ
感じなくていいのもおかしいですよね。
井上真花
しょうがないよ。なるようにしかならない。
ポトフ
なるようにしかならないよ、またちょっとね。
それは自分が責任を逃げてるって言い訳ですよね。
井上真花
で、逃げてるって取られがちなんですけど、
ここがね、またいつか別のポッドキャストの話をするかもしれない。
ここも結構面白いんですよ、掘っていくと。
ポトフ
そうですか。
井上真花
自由意志がないっていうか、自分の選択権がすごくあるわけではないって思う世界に平和があるっていう考え方もある。
それは逃げてるわけじゃなくて、受け入れてる、諦めてるって世界なんですけど。
ポトフ
自分が選択する必要がある、自分が選択しなきゃいけないってことも込みで自由意志がないと思ってます。
井上真花
そうそうそうそう。
ポトフ
なので、選択するってことはするので、それで失敗したら責任感じてもいいと思ってます。
自由意志はなくても責任感じてもいいんじゃないか。
井上真花
責任を感じるということが決まってたんです。
井上真花
それが納得できない話だった上、まあまあそうか、違ったなっていう。
別は当たるかみたいな。
ポトフ
なるほどね。
はい、ということで聞いていただきました。
井上真花さんと反出張主義。
どう思うっていうことと、
反出張主義の人に反論をするんであったらどうすればいいだろうみたいな感じで、
ちょっと脱線もしながら話しました。
結局はですね、2人ともなんですけども、
幸せになることが目的か人生のみたいなところだったりですね、
不幸せだから絶滅しなきゃいけない、
あと善悪で悪だから絶滅しなきゃいけないってのはどういうことだろうみたいなことであったり、
それは人間ごときが決めていいものだろうかみたいなね。
皆さんはどう思いますですかね、どう考えられましたでしょうか。
よろしければ教えていただきたいと思うんですが、実はこの収録の後ですね、
正しい人類滅亡計画ですね、これをもう一度ね、読んでというかオーディオブックなんで聞いてたんですけども、
もう一度聞いてると、ああなるほど、この話はここがおかしいなとか、
やっぱりちょっとおかしいなっていうのがね、よりね、ちょっとね、
理解するのに解像度が上がりましたね。
すごくもう一度聞き返したら、なんか自分の考え、あと、
どう反論というかどう思うかっていうことがね、すごく分かりやすくてよかったんですけども、
同時にですね、ふとですね、こんな言葉が目に留まりまして、
これなるほど、やっぱこうやって言ってる人もいるんだみたいな形でね、
思った言葉がありまして、それを最後に紹介したいと思いますね。
アルフレッド・D・スーザというですね、アメリカの牧師であり詩人の方なんですよ。
その詩の一節をですね、目に留まりまして、
それはですね、幸せとは旅であり目的地ではないっていうですね、言葉だったんですよ。
幸せは旅であって目的地ではない。
これがね、ちょうど話してた時の幸せっていうのが人生の目的かっていうところにちょっと通じて、
やっぱり幸せっていうのはその目的地ではなくて、その旅、つまり幸せ、
旅自体が幸せなんだっていう言葉がね、いいなと思って。
目的地にこだわるのではなく、人生の旅に感謝するよう読者に呼びかけているっていうですね、詩なんですね。
これはもうちょっと長い詩の一節だったんですよ。
詩自体はですね、Happiness is a journey, not a destinationっていう英語でですね、
幸せとは旅であり目的地であり。
この長いバージョンとかなんかちょっとあったんですけど、ちょっと見つけてきまして、
これを私なりに翻訳したので最後にそれを紹介したいと思います。
英語の前文はサイトの方に載せておきますので、英語の方気になる方は見ていただければなと思います。
ではアルフレッド・D・スーザさんの詩です。
長い間、私にとって人生はまさに始まろうとしていると感じました。
本物の人生です。
しかし常に障害物がありました。
すぐに取り掛からねばならないこと。
いくつかの終わらない仕事。
果たさなければならない時間。
返さなければならない借金。
そこから人生が始まるのだと。
そしてついにその障害物こそが私の人生であることに気づいたのです。
このような観点から私は幸福への道はないのだと考えるようになりました。
幸せこそが道です。
だから今あるすべての瞬間を大切にしなさい。
あなたが持っているすべての瞬間を大切にしてください。
そして特別な人と分かち合うことをもっと大切にしてください。
特別な時間を過ごすために。
時間は誰も待ってくれないことを忘れないでください。
だから待つのをやめてください。
学校が終わるの。
学校に戻るの。
10ポンド減るの。
10ポンド戻るの。
子供ができるの。
子供が離れるの。
仕事を始めるの。
仕事をやめるの。
結婚するの。
離婚するの。
金曜の夜になるの。
日曜の朝になるの。
新しい車か家を手に入れるの。
家か車の支払いを終えるの。
春になるの。