1. 3 ways
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2024-11-20 32:12

パーソナリティ二人(jMatsuzaki&佐々木正悟)の関係性について振り返る回

サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、jMatsuzakiさんと佐々木正悟さんの関係性が振り返られ、彼らの出会いや初期の活動について語られています。また、タスクシュートを通じた共同プロジェクトやその影響についても触れられています。このエピソードでは、jMatsuzakiさんと佐々木正悟さんが二人の関係性の変化や進化について話し合います。特に、彼らのコラボレーションや意見の相違がどのように彼らの成長に寄与したのかが語られ、再会後の気持ちの変化についても触れられます。 このポッドキャストでは、jMatsuzakiさんと佐々木正悟さんの関係性の変化について語られ、特に100日チャレンジが二人の信頼関係を深めたことが強調されます。また、著者と読者の関係からの転換や、相互に率直に意見を言えるようになったことの重要性が述べられています。 ポッドキャストの中で、パーソナリティの二人が著者と読者として出会ってから10年以上を経て、共に活動するまでの変化について振り返ります。さらに、コロナ前後の影響により意気投合し、関係性が深まった経験についても触れられています。

jMatsuzakiと佐々木の出会い
最近、ハロウィンが近いということで、一作目のスクリームという映画を改めて見たんですけど、やっぱりあれ名作だなぁ。jMatsuzakiです。
ただいま、日本ではプロ野球のドラフト会議をやっていて、ものすごく気に入っている佐々木です。
いやー、野球好きですね。
もう何でも見ますからね。
ということで、今日も3waysなんでね、あなたなりの大山の密集を見つけてほしいということで、我々は集まりました。
今回はですね、ちょっとこういう話してみたいと思います。
私、jMatsuzakiと佐々木の関係性について話したいと思います。
これね、なんでこういう取り上げようと思ったかっていうきっかけなんですけど、3waysカフェっていう100人チャレンジのクローズのイベントでですね、
企画してもらって、3waysリスナーの方たちとですね、ちょっとこうクローズドで集まって話すみたいなオンラインのイベントをやったときにですね、
佐々木さんとjMatsuzakiさんって結構息がぴったりで、すごい良いですよね。
なんか関係性とかすごい気になりますみたいな質問というかね、声をいただいたんですよ。
確かに僕と佐々木さんの関係性、いつからとかね、そういう話って全然表で話したことなかったなと思ったんで。
ちょっとね、こんな関係性の僕たちがパーソナリティーでポッドキャストやってるんですっていうのを知ってもらうためにも、
これ知るとね、他のエピソードも何か深まって、理解が深まっていくんじゃないかなと思ったんで。
今日は私jMatsuzakiと佐々木さんとの関係性をね、ちょっとこう振り返ってみたいなと思いました。
ブログセミナーとタスクシュート
そんな感じなんですけれども、もともと最初に僕と佐々木さんが会ったのって結構前ですよね。
13年前。
そのぐらいには何でしょうかね。
13年前ですね。
相当、2011年とかだったと思うんで。
そうそう、そのぐらいになるんじゃないですかね。
そうなんですよ。
僕は佐々木さんはもうその時ビジネス小作家さんとして活動されてて、普通に本出されてて。
僕はその時はもう本当にただのシステムエンジニア、ただのって言ってあれですけど。
システムエンジニアでサラリーマンやってて、なんかもうその時ね、僕は結構会社忙しすぎてですね。
もう会社なんか辞めたいな、転職したいなみたいにずっと思ってたんですけど。
なんかそういう時にですね、佐々木さんの本とか。
最初はやっぱりしごたのですね。
大橋さんとね、佐々木さんで記事を書かれてたというか。
管理人大橋さんで佐々木さんが定期的に記事を出筆されてたしごたのっていうですね、非常に有名なビジネスブログがあるんですけど。
このしごたのっていうのをですね、読んでたというか、読み始めたんですよね、ちょうどその頃。
なるほどです。
読み始めてブログセミナーをお台場でやりますみたいな話があって。
ブログメディア道場みたいな。
ブログメディア道場みたいな。
なんかそれの説明会みたいなやつですね。
単発で参加できるやつ、お台場であって。
なんかちょっと本に見てみたいなと思って。
ブログもなんか興味あったんで行ってみたんですよね、イベントに。
それが多分本当に一発目、最初にあった時じゃないかなと思いますね。
その後ですね、僕もブログを開設して、その時にJ松崎っていう名前でブログやろうと思ってですね、J松崎と名乗り始めたのをその頃で。
で、ブログを書き始めてですね。
僕もともとやっぱりタスクシュートっていうのを仕事で読んでたので知ってたんで、結構それからタスクシュートの発信とかもするようになったし、やっぱりタスクシュート系のイベントとかですね、定期的に開催されているものがあったんで、それも気になってたんで。
割と頻繁に声、顔出してるうちにちょっとずつ顔と名前が覚えてもらえるようになったみたいな感じですか。
ジェネさんのことはタスクカフェで何か発表されたのが最初の僕の印象として。
はいはいはい。
しましたね。渋谷でやりましたね。
タスクカフェっていうあれ何ですかね、週次レビューをみんなでやろうみたいな回でした。
あれね、突然大橋さんがね、Xかなんかで当時ツイッターで、週次レビューっていうのをみなさんなかなかスムーズにいかないようですけど、僕はもう毎週のようにやってますから、これを月に1回でもみんなとシェアしてやっていきましょうみたいな、ただひたすらレビューする回っていう。
彼はそういう割と非常にこうユニークなものをパッと作るんですよね。
で僕はそれで、ふーんへーって思っただけなんだけど、そしたら気がついたらなんか安崎さんも行くことになってますみたいな。
そうなの?みたいな感じが、僕はだいたいそういう役回りなんですけどね。
僕はレビューとかしてないしなっていうのが本音のところにあったんですけど、大橋さんのことで驚くべきことに土曜の午前にやるっていうね。
そうでしたっけ?
そう。
当時盛況だったんで。
すごかったですよね。
Jさんがその中で何か発表するっていうことがありました。
そうですよね。ショートプレゼンみたいな。
あれがね本当に個人で登壇した初舞台かもしれないですね本当に。
以来私はJさんのことをはっきりと記憶に残る。
そうなんですね。そんな感じで最初は普通に僕が読者で佐々木さんの文章とか読んでて、その後で佐々木さんのイベントとかで少しずつ顔を出したりとか、むしろ僕が発表するみたいな機会ももらえるようになって、少しずつ一緒にやっていく関係性が始まったみたいなところが始まりですかね。
そうですね。
コロナ禍での挑戦
で、僕あれなんですよ。その後1年後くらいに僕会社辞めて独立してフリーランスになったんで、そこからもやっぱりことさら個人で活動するというか仕事をするっていうのがね、すごくメインになっていったんで、その辺からより仕事としては佐々木さんとご一緒させていただくことが増えていった気がしますよね。
そうなんです。
そういう時に僕に念頭にあったのはあれなんですよ。Jさんご存知だとは思うんですけど、ダンプ松本って知ってます?
名前もわかります。
女子プロの悪役ですよね。
ブル仲乗って人と組んでね。なぜか僕それを時々ね、なんか意味もなくすっごい退屈していた中学高校時代に女子プロを見ていたんですね。
別に好きで見ていたっていうか、他にやること何にもないから女子プロでも見るかみたいな感じでダンプ松本を見ていて。
他に何もやることない結果女子プロを見ることありますね。
テレビとかもね、僕時々言ってますけど、うちの親ってテレビ僕小学校の頃買ってくれなくて、やむを得ず買って。
テレビの見方がわかってないですよ、僕は。そういう人間って世の中にいるんですよ。
いつどういうのを自分に合ってるから探すとかができなくて。
なんかもう本当に昼の夕方の4時半とかっすよ。
何にもやることなくて、もう気持ちが悪いぐらい何もやることがなくてダンプ松本を見てるみたいな。
選択できてないですよ。ダンプ松本がついててたまたまなんか奇抜ですっごいインパクトに残ってるから見てる。
絶対Jさんはこういう路線で行くべきだと思った。
そうなんですか。いいっすね。
なんか絶対あれって、僕の目にも、女子プロが何もわかってない僕の目にも、絶対これはやらせに近い何かだ。
やらせじゃないのかもしれないけど、演出じゃないですか。
質問する人がライフハックにいると、ライフハックもタスクシュートもタスク管理も絶対界隈にはプラスになるはずだと思って。
Jさんのブログを読んで、もうダンプ松本イコールJ松崎ぐらいな勢いだったんですよ。
それは初めて知りましたけど。そうなんですか。
言ったことないからね。
いいですね。なんか嬉しい。いいですね。
この人が目立てばいいんだみたいに思った。
このわけわかんないのに、割とJさんが乗ってくれて、どんどん髭が赤くなるとかね。
どんどんダンプ化してるみたいな、僕の中ですごいもうこれでいけるか。
知らなかったですけど。
知らない。言ってないもん。
そういうのにJさんが乗ってくれる人だ。
そこが僕との関係ですね。さっきおっしゃってたように。
すごくそういう方向で僕は見てて。
一緒にイベントとかその後企画したりとか結構やったじゃないですか。
やりました。
これまで12年くらいですかね。いろいろ講座とか独立してからやってきたわけですけど。
その時どうでした?一緒にやっていく。
時々3waysで言ってる通り、僕とJさんのは特に最近のこの2期、
僕の中では前期と後期があるわけですよ。
第1期と第2期なんだけど、さっきのダンプ松本的なものをイメージしてた時は第1期。
その頃はJさんと僕はタスクシュートに求めるものが全然違うんだけど、
でもタスクシュートだし結局求めるものが違ったとしても、
僕が見るとJさんは7つの習慣でトップダウンで何かを成し遂げるために
タスクシュートの毎日を積み上げていくっていう発想の人だと思うんですよ。
しかもそれはビジュアルも奇抜だしインパクトもあるから
この人はこれでいってどんどん伸ばしていってくれればいいんだみたいに思ってて。
僕らはそうやって増えていくタスクシュートユーザーに向かって
タスクシュートな情報を出していくっていう僕と大橋さん。
僕の中ではそういう立場。
なるほど。
だけどJさんはドイツに行き、その後調子を崩してテイドアウトされていくんですよね。
はいはいはい。
そしてコロナが始まり、そもそも外に僕らも出られなくなり、
どうしたらいいんだよみたいな感じの中で僕はかなり苦し紛れに
グッドバイブスってものを投入して。
えー。
クラゾン・テイドアウトさんのね。
それでJさんがおっしゃってたような前回ね、前回になるのかわからないけど
こう受動的にやってるんだみたいな。
でも僕はあの時すっごい危機感強かったから
この状況で受動的にしたらなんかただ何もなくなって死んじゃうんじゃない?みたいな感じもあったんですよ。
そうですよね。
これはJさんから聞いたんじゃなくてクラゾンさんから聞いてるんだけど
さっき言ったの受動的に身を任せてあるがままってんだけど
いや何もないんだけどなっていう。
身一つになっちゃうんだけどそれやってると思いながらもう大変だったから
どうせ主体的にやったこともううまくいったことないし
そもそも主体的にできない人間だし
もう身を任せておこうみたいに思ってて
もうほとんど何にもなく無風感があり
収入も一時はそうですねピーク時の10分の1以下になって
ヤバいでしょみたいな。歳子もいるしね僕はね。
二人の初期の違い
ヤバいだろうと思いながらも受動的に身を任せてたらなんかJさんから声がかかってきて
受動的偉大だって思いましたね。これが第2期
それ100チャレンの時ですよね?
100チャレンの時。これで僕は息を吹き返した感が非常に強かった
今までほぼ死んでたんで
最初僕それこそ最初10年くらい一緒にやってる時は
めちゃくちゃやっぱね方向性が違うっていう話ありましたけど
すごい違いましたもんね話す内容とか
なんかねこれがコントラストがいいとか言ってくれる人もいて
そういうのに任せるしかないなみたいな
そうなんですよすごいね噛み合ってないくらい
噛み合ってないレベルで全然方向性が違う
僕はやっぱりね本当トップダウンですよね
やりたいことやりましょう好きなことやりましょう
価値観に従いましょうみたいなね
こういうね今だったら口が下げても言わないことをねずっとやってたわけですよ
僕は今Jさんがおっしゃるとか
さっきの倉園さんがおっしゃるようなことだったんだけど
僕の中に別にイデバロジーはないんですよ
なるほどなるほど
大橋哲夫さんの見習ってただタスクシュートで回してるんだけど
これでとにかく回すことだけ考えてて
別にあるがままでやろうとか思ってるわけじゃなくて
これで日々がもういっぱいいっぱいだから
これしかできないんだよみたいな感じでやってたわけですよね
Jさんはトップダウンでやってる
僕はとにかく流れに身を任せてるというか
流れに巻き込まれてこの状態が続いてる
本音のところ
僕がトップダウンみたいな緊急なことだけじゃなくて
うんうんみたいな話をしたりするじゃないですか
講座とかやる時に僕が先に話して
佐々木さんがその後話すとかもあるわけですよね
そうなると僕がそういう話をして
佐々木さんがそんなことはする必要なくってみたいな話になっていて
全然噛み合ってないみたいな
でもね僕はそういう人間で
良し悪しはわかんないんですけど
これを許してくれる人としか付き合えない人間
そうなんですね
だから大橋さんとかともなんだかんだ噛み合ってないところがいっぱいあるんですよ
彼はこれを許してくれちゃうんですよね
Jさんは内心どう思ってたかわかんないけど
当時僕が一緒にやることについて
僕がやってることは許しがたいとは言われなかったから
これで付ければいいんだみたいに
イデオロギーはイデオロギーとして
僕はイデオロギーないんだけど
これで付き合っていけばいいんじゃんっていうのが僕のスタンスだったんで
これで結構仲良くやれてたっていう認識ではいるんですよ
僕の中では
何だかんだ別に見学とかは別になくて
僕も噛み合ってないな
でも本当にコントラストが面白いですってめっちゃ言われるんで
これはこれでもやっぱ面白いんだっていう
面白いんだっていうか
いろんな選択肢を結構持ち帰ってもらえるみたいな感じだったんですよね
佐々木さんのいいところと僕のいいところを受け取って
明日から上手いことできそうですみたいな声も結構すごいもらってたんで
これはこれでいいんだなみたいなのがあったし
そもそも僕は佐々木さんの本とかを読んで
こういうブログとか始めてるんで
最初から別に佐々木さんのやり方には非常に肯定的なんだ
これが不思議なんだけどね面白い
見学とかは別にないけど噛み合ってない
関係性の変化
噛み合ってる
あといわゆる第1期第2期みたいな話ですると
僕は第1期の時は
佐々木さんは話しかけづらいっていうのは正直思ってたんですよ
そうなんだね
仕事上の定型的なミーティング
じゃあ次これやりましょうやめましょうみたいな
企画はこうですねみたいな
形式ばったやつは全然できるんですけど
あんま小雑談とかしないみたいな感じだったんですよね
そういう意味であんまり人となりは
多分そんなに分かってないみたいな感じで
だから野球好きとかそんな知らなかったし
野球なんてなんで見てんだろうみたいな
つい最近というかね
ここ数年でこう分かってきた
なるほどね
だからその第2期で付き合いが変わりましたもんね
僕が驚いたのが第2期になって
だってJさんに何が起きてたかって
誰も知らなかったわけですよ
日本ではね
もちろん僕も知らなかったし
伝え聞いたところでは体調が悪いぐらい
体調が悪いんだぐらいな感じしかないから
ドイツって病院高そうだなみたいな
そういう気の回し方しかできないから
なんかそれでもう自動的にするしかなかったから
グッドバイブス流に自動的になって
もともと自動的だったからね
それで前に戻ってきたところで
なんか全てが好転してる
グッドバイブスすげえっていうか
この流れに身を任すってすげえって思った
いろんな流れが合流していって
Jさんの考えまで変わっちゃってるから
前の噛み合わなさが今回はなくなってるみたいな
なんでこんなに何でもかんでも黙ってて
うまくいくんだろうな不思議だなみたいな感じはある
いや素晴らしいです
僕もその時コロナの時に
なさひさんが仕事がうまくいかなかったって
おっしゃってた時期ですけど
僕自身も仕事がうまくいかなかったっていうのもあるし
プライベートもうまくいってなかったし
コロナでドイツで一人孤独で
これはもうマジ無理だみたいな感じだったんですよね
仕事独立してから初めて多分仕事休職っていうんですかね
休職も何もないんですけどね自営業なんで
数ヶ月も全く仕事しないみたいな時期が初めてあって
その後になんかわかんないんですけど
ミーティングしましょうみたいになったんですよね
なさひさんとね
それが僕の仕事復帰戦第一発目が
ちょうどそのミーティングで
結構そのミーティングは普通に
何か特別何かあったってわけじゃないんですけど
普通にミーティングできて
まず僕はめっちゃホッとしたわけですよ
ミーティングできるんだみたいな
すみません仕事できるんだみたいな
ちょ久々だったんでね
ミル知らないからね
そうですよね
そのミーティングをきっかけに僕も
なんかまた仕事できそうだなみたいな気にもなってきたし
やっぱりその辛かった時期っていうのがいろいろ減って
僕もやっぱ死体的に生きるって限界があるんだなって思ったし
なんなら死体的に生きていたことなんて
今まで一回もなかったんだなっていう
考え方にもなってきたんですよ
後から死体的っていう意味付けをね
ラベリングをしてただけで
もともと自分は本当に生きてるんじゃなくて
生かされてるんだなっていうことが
本当によく分かったっていう
その後だったんですよね
偶然の一致ですよね
そうですね
この辺でね本当にささきさんとも
初めて話が噛み合うようになってきて
これが多分3年前くらいですか
そうですね
2021年とかそのくらいですよね
コロナがまだ終わるか終わらないかみたいな時期だったと思う
最初は終わってなかったから
100チャレもオンラインだけっていうのは
もう何にも悩むことなくそうなるしかなかった
そうですよね
コロナの前なら一回くらいはリアルに集まるとか
そういうことやると思うんですよね
そういう発想が取れなかったってことは
コロナだったってことですよね
そうですよね
僕的にはやっぱ話が噛み合うようになったなっていうのと
僕がトップダウンっていう話を
新たなコミュニケーション
全く信じなくなったっていうのもあるし
あとやっぱりささきさんが
なんとなく話しやすいなっていう
話しやすくなったなってその時は思わなかったんですよ別に
なぜかというと僕は久々だったんで
確かに
ささきさんってこういう人だったっけって思ったんですけど
今は思うとささきさん以前よりも話しやすくなったなっていう
そうなんだ
その時ついでに思い出したのは今
たまたまどうでもいいこと思い出したんだけど
僕が野球好きなのがJさんに伝わったように
私はJさんがホラー映画好きだというのをその頃に知る
でもそうかも
ヤクザ映画好きですよね多分
ヤクザ映画も好きですよ
仁義なき戦いとか見ました
仁義なき戦い
そんなことは第2期ですよJさん
だってそれ以前の映画を見るという認識すらほぼな
ましてホラーを見るなんて全然なかったですよ
これはでもほんとそうですわ
これね前回のね流れに乗る話で収録したばかりなんですけど
その流れに乗るっていう話でやっぱ好きなことで自由に生きるってなると
なんかこうやるべきだっていうものと
こうであってはいけないっていうのが明確にあるじゃないですか
僕の中でそのホラー映画とかオカルト好きみたいなね
表に出しちゃいけないじゃないんですけど
なんかちょっとね違うよねみたいなのがあったんです
なるほどなんか第2領域でホラーを見てるのはダメなのか
何回も分かんないけど
第2領域でJが作曲とかはokなのに
なんでホラー映画見るのはダメなのか分かんないんだけど
そうなんですよ
なんか物体Xが見せるのはあいつ第4領域だなってなっちゃうそうですよね
そうなんですよ
映画でもなんかその崇高な映画だったらいいじゃないですか
シンドラーのリストみたいなね
すげー
いやでもホラー映画かいみたいなのかなと思って
別に隠してるわけじゃないけど
別に表だって言わなかったっていうのはありますね
で誰も知らなかったんだわ
そうなんですよ
あれですよね内に聞こうそういう雑談みたいな
しょうもない話とかもできるようになって
やっぱここからね
100日チャレンジってやっぱ最初に僕たち
第2期で初めて企画したじゃないですか
この時に話が噛み合うようになったし
そういう話をプライベートも含めて話しやすくなったなみたいな
のがやっぱなかったらあれはできなかったと思うんですよね
信頼関係の構築
だって100日あるんで結構
そうだね
結構これを2人3脚でやっていくって
それなりの信頼関係はできないし
単発のセミナーだったらセミナーやって
噛み合わなかったなまあいっかでいいんですけど
100日だと100日間やっていかないといけないわけですから
結構阿吽の呼吸じゃないとできないっていうのがあって
やっぱ100日チャレンジがうまくいったっていうのは
こういう関係性の変化っていうのは一つ大きかった
気しますね
確かにあまり考えなかったけど
言われてみるとそうですねそういう気はします
意見が合わなくなることはありますからね
結局生く仕事をしてればね
そうですよね
だから関係性としてはそういうふうに
ザックバランで打ち解けてるに越したことはないですよね
そうじゃない
そう思います
コミュニケーションの重要性
これはねドイツで学んだいいことなんですけど
それに関連してなんですけど
ドイツでやっぱドイツ人って何でも言うんですよ本当に
言いづらいことを
そうなんですよ
言いづらいことでも言った方がいいみたい
言う方が誠実みたいな人なんで
これどうかと思います
料理とかもまずかったらまずいって言った方が誠実
そうなんですよね
びっくりですよね
これもね結構大きくて
何となく言いづらいこととか
僕って佐々木さんとの関係性って
もともとが著者読者だったっていうのもあるんで
割と言いづらいこと言えなかったっていうのも
多分どっかであったんです
日本人ですしね
そうなんですよ
やっぱちょっと空気読む的な感じで
言わない方がいいぐらいのノリはありますもんね
そうなんです
これがねちょっとやっぱドイツの中で
ここも変わってきて
何か言いづらいこととか
野球そんな好きなんですかとか
ゲームやってるんですねみたいのも
あんまり聞けなかった
僕にとってのホラー映画みたいな
感じかもしれないしみたいな
こういうの割とあんまり気にせず質問できるようになった
日本人はねそういうのを
もう少し取り入れた方がいいとは思う
そうですね
言わない方がいい文化強いよね
めちゃくちゃ強いと思います
本当にそこは極端っすね
ドイツと日本を
確かに
これでそのなんかミーティングとか
100人チャレンジの企画とかも
これだったらすごい上手く
やっぱ噛み合った方がいいなとは思ったんですよ
それはそうっすよね
コントローラーがあるのはあるので面白いかもしれないけど
やっぱ噛み合ってた方がいろんな
この3waysもそうですけど
噛み合ってるなりに新しい視点っていうのは
どんどん生まれてきて
やっぱ面白いですよね
言うたびに逆のこと言ってるっていうのは
非常に聞いてる方が面白さもあるかもしれないけど
かなりわけわかんなくなるからね
いや本当ですよね
こういうのを経てですね
やっと3waysもできるようになったっていうのはあると思います
じゃないとやっぱこういう
ポッドキャストで2人で話すみたいな
コンテンツを定期的にやってくって
多分以前の関係性ができなかったなって思いますね
そうですね
なんかフェードアウトしそうですよね
いや本当ですよね
多分疲れるし
疲れる
また逆のこと言われてるなみたいな
お互い思わなきゃならないから
でなんかミーティングもねあんま盛り上がらず
盛り上がらない
お互い勝手に言いましょうみたいになっちゃう
プロジェクトの進展
そうなんです
じゃああとはその場のノリでみたいな
ノリで
みたいな感じで終わるんですよね
だからそういう意味だとやっぱり
この第2期を経てようやく
こういうポッドキャストの形になるようになったし
そもそもやろうという気持ちにも
僕たちの中でなってきたみたいな感じですかね
それはそう思いますね
そうですね
いろんな人とこう仕事してきましたけど
結構ガッツリ2人でやるってなった時に
佐々木さんは難しいだろうっていうのは
なんとなく思ってたんですよね
そこがねやっぱ完全になくなって
むしろめちゃくちゃやりやすいみたいな感じになった
っていうのはすごくいいっすよね
いや良かったです
ということでスリーウェイズも立ち上がったと
やっぱあれですよ本も書きましたしね
そうですね
あれすごい僕デカくって
ジェイさん書かなかったかもね
とにかくこれまで
そうなんですよ
本書かない方がいいってことでしたから
なぜか
だから本を書くっていうことに抵抗がなくなって
しかも佐々木さんと協調っていうのも
抵抗がなくなって
100日チャレンジもやってましたしね
2人でやっぱね
一冊の本を仕上げるっていうプロセスの中で
またなんかこう2人の共通意識みたいな
共通の意識みたいなのがすごい醸成されて
結構消化されたなみたいなのがあって
あれを経て一つになれたというか
もうこの人と考えてることは一緒だなみたいな
確信感がより深まったって意味では
あのプロジェクトは非常にターニングポイントだったなって思いますね
細谷さんとの出会いもね
非常にこう気分に満ちていて素晴らしいですよね
そうなんですよね
担当編集の細谷さんもね
100日チャレンジに参加してくれて声かけてくれたっていう
僕たちは知らなかったんですけどね
編集さんがいるっていうのは
これもね前回お話した流れの話と近くて
あれ技表の細谷さんから来てる話
以前の僕なら相当困惑したと思うんですよね
そうなんですか
技表担当がずっといたからさ
なるほどそうですよ
他の担当の方でしたもんね
そうですそうです
僕はそういうことにすっごいこだわってやってましたから
そうなんですねなるほど
別にそこにこだわりを持つ理由は何もなかったんだけど
でも僕の中はそういうものがあったんですよね
こうであるべきみたいな
先送りゼロを書いた時
そのプロジェクトでもう1個すごい良かったのは
やっぱり佐々木さんって
ずっと本50冊とか書かれてるじゃないですか
僕の中ではピンとこないわけですよ
本を書く書いたことないんでね
紙の本なんて初めての本だったんで
あんまりよくわかってないわけです
実情みたいな
本を書くっていうのはどういうことなのか
これを佐々木さんに色々とアドバイスもらいながら
本っていうのはこういうプロセスで仕上がっていくみたいな
こういうの全部佐々木さんに聞きながら書いていったわけですけども
良かったこのプロセスの中で
本を書くってすごいんだなって
当たり前なんですけど
改めてねリアリティを持って
こんなことやってたんか内部ではみたいな
っていうのをわかったし
佐々木さんってめちゃくちゃ職人芸というかね
すごいなみたいな
こんなことまで考えて書いてるんだみたいな
こういうことっていうのが
なんかそのね佐々木さんの凄さみたいなのをね
わかったっていう意味でも
リスペクトが高まって
良かったですね先送りゼロは
そういう感覚は全くなかったけど
なるほどね
良かったですすごかったです
プロだなって思いました
そんな感じで今に至ると
そうねもう一つ付け加えると
J.松崎さんはですね
タスクシュートクラウドを作った人ですね
僕の中でやっぱりね
あーそうですねはいはい
アンプ松本館では済まされないんですよ
演出だけではできないものなんで
あれはもう長年のタスクシュート界隈の懸案で
クラウドに載せなきゃみたいなのはあったけど
どうやって誰が載せるのみたいなので
あーそうですよね
どうやって誰が
あれ結構簡単に作れるというように見えるかもしれないけど
あれ簡単には作れないものなんですよ
不思議なロジックがあの中にはあるので
あの並べ替えに一番現れるんですけどね
ルーチンと何かを並べ替えた時
こういう順番で見たいんだよっていう
人間の望みって実は結構フワッとしてて
そうそうそうフワッとしてるんですよ
大橋さんがすごいエクセルに大量の番号を付けて並べ替えしてるのは
あれはもうちょっとした職人芸なんですけど
あれをどうやってクラウドで実現
しかもエクセルじゃないしね
っていうのはずーっとあったんですよね
ずーっとあったのJさんがやって
しかも今2ですから
それはやっぱりJさんのもう一つの側面で
今日はあんまり語れなかったんですけど
これは本当それこそプロだなって感じが僕はしました
ありがとうございます
今日の話で言うとその第2期が始まった時の
一発目曽佐崎さんとミーティングやって
そこから100日チャレンジが立ち上がったりとか
いろいろこう連鎖的に起こってきたじゃないですか
これはねなんかこう僕の中では結構大きくて
言い方があれなんですけど
タスクショートから逃れられないんだなって
そうそうそれはね僕にもある
なんだかセッションやるみたいなところで
もうセッションってタスクショートやってるわけじゃないんだけど
でもやっぱり自分はタスクショートの人になってしまってるな
すでに
そうですよね
そうそれは僕にもある
これはねだからある意味それを受け入れたっていうんですかね
やっぱそうなんだなみたいな
それを思ったっていうのは結構でかくて
そう
曽佐崎さんのミーティングは僕2,3ヶ月くらい
完全に仕事何もしてなかったんですよ
ミーティング一つも
社内ミーティング含めて何もしてなかった時期が
3,2,3ヶ月あって
深刻な欲打つだねそれ
そうなんですよ本当にベッドでずっと寝てるみたいな
時とかも普通にありましたから
そういう中でやっぱ復帰
関係性の変化
第1発目何が来るかって結構あるじゃないですか
そうですよね
ギャンブルというか
どうなるか分かんないですもんね
そうなんですよね
これが1発目曽佐崎さんだったんだっていうのもあるし
そのやっぱねそれまで僕の中では
やっぱタスクショートって自分のものじゃない
大橋さんが開発されて曽佐崎さんが広めてるものであって
別に僕のものじゃないよねっていうのがあって
特にこれ前回でもお話しましたけど
好きなことで自由に生きるって考えた時に
他人のメソッドで生きるってのはどうなんっていうのも
頭のどっかだったんですよ
だからもちろん本気でタスクショートクラウド作りましたけど
Q1の時ですね
でもやっぱりどっかで自分の本当に
ものじゃない
なるほどオリジナルではないみたいな
オリジナルじゃないっていうのが
やっぱどっかで引っかかるようになった
面白いなぁ
僕にはクラウドはオリジナルはJだって
イメージしかないんだけどね
そうなんですよね
言ってもらって気が付くんだけど
僕いっつもね3人いるじゃないですか
タスクショート協会の理事は
僕はいらないだろうみたいに思う瞬間って
結構ありましたね
オリジナル大橋哲夫でしょ
クラウドJマスだけでしょ
僕なんか何にもしてないじゃんみたいな
使ってるだけじゃんみたいな
そういう感覚ありましたけど
でも自分はタスクショートの人間なんだよな
それにしてもっていう
こういうのがめいくり合わせってもんなんだろうな
そうですよね
ちょうど佐々木さんから話あって
タスクショートから
上ではなかったんですけど
なんとなくそれはポジティブな意味では
タスクショートからは逃れられないのかなって思ったし
その時には別にタスクショートが
自分で考えたとか自分のものじゃないとか
っていうことに対する抵抗感っていうのは
もう一切なくなってたんで
それでも非常に良かったですね
または私はいかにして心配するのを止めて
タスクショートを愛するようになったか的な
感じの
そうですね確かに
心配しなくて良くなったみたいな
別にタスクショートに本腰入れて
それがオリジナルじゃん
あんま関係ないよね
そうこういうことでは
多くの人が実は結構悩んでる気がするんで
あまり思わないほうがいいと思います
オリジナルかどうかって
すごくやっぱり現代社会では
特許って話もそうですけど
すごく大事にされてますけど
それは大事だけど
大元を作った人がある程度
少なくとも食えるってのは絶対必要だと思うんですけど
それが流行るんだらね
オリジンじゃないからどうこうってのに
そこまでつまり二番煎じとかね
そうそう
ピペとか悩まないことですよこれ
そうです
ということで今日はですね
この3WAYSのパーソナリティの2人でございます
私J松崎と佐々木さんとの関係性についてですね
ちょっとざっくり振り返ってみました
3WAYSなんでですね
ポイントも何もない回なんですけど
一応ねポイント3つにまとめてみようと思います
ポイント1つ目なんですけれども
最初僕と佐々木さんは
著者と読者の関係だったっていうのがですね
結構そこが出会いでした
13年前ですね
佐々木さんが本回僕はそれを読んで
漢字の関係から始まったよっていうのが
1つ目最初のターニングポイント
共に成長する
2つ目のターニングポイントとしてですね
やっぱコロナ前後ですね
先ほど第1期第2期って話があったんですけれども
それまでですね
全然話が噛み合わなかった
僕と佐々木さんがですね
このあるねコロナ10年
出会ってから10年以上経ったような時に
2人ともいろいろ会ってですね
以降なんかいきなり
話も噛み合うようになったし
こういう二人三脚で何かをやるっていうことも
できるようになったということで
噛み合わない人でもですね
10年とか経った後に一気になんかこう
意気投合するみたいな
関係性がガラッと変わるみたいなこと
あるんだよっていうのがポイントの
2つ目だったんじゃないかなと思います
ポイントの3つ目なんですけれども
噛み合わないよりは噛み合ったほうが
前提です
それはそうです
ということで3つ目でございました
はい
そんな感じで今日は3A面以上にしたいと思います
佐々木さん今日はありがとうございました
ありがとうございました
32:12

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