00:01
3 ways
パーソナリティのjMatsuzakiです。
作家の佐々木翔吾です。
はい、今日も佐々木さんよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今回ですね、こんなテーマで話してみようかなと思うのが、
ダラダラ時間とですね、どう向き合うかっていう話をね、してみたいと思います。
1日の中でですね、ダラダラ時間っていうのは要するにですね、
何ですかね、最近だったらビデオストリーミングサービスをひたすら見てしまったとかですね、
特定のテレビ番組ずっと見てたとかですね、
そういう感じのなんとなくソファでゴロゴロするとか、
こういうダラダラした時間っていうのとですね、
どう向き合っていく、付き合っていくといいのかみたいな話をしていきたいんですね。
これはやっぱり僕たちはタスク管理、時間管理って話をよくするんで、
品質のテーマでもあるんですよね。
今日ダラダラしちゃいましたとか、3時間もベッドでゴロゴロしちゃってみたいなね、
こういう話がよく聞こえてくるんで、ちょっと今回はね、
ダラダラっていうところに向き合ってみたいと思います。
佐々木さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ということで、まずこのダラダラ時間っていうのをですね、
どう捉えていけばいいかっていうところなんですけれども、
佐々木さんちなみにダラダラする時間あるんですか?
いっぱいありますね。
いっぱいあります。
何をやってるんですか?
だいたいゲームか野球を見てますね。
野球好きですもんね。意外にって言ったらあれですけど。
相当好きですね。見ようと思えば一日で見てられますね。
それちょっとよくわかんないんですけど、佐々木さんって別に野球やってないじゃないですか。
テニスじゃないですか。
僕ね、今テニスもやってないんだけど、野球は少年野球やってたんですよ。
そうなんすか。
中高時代も中高の同級生と草野球ずっとやってたんですよ。
そうなんすね。応援してるチューブってあるんですか。
ないですね。日本人らしくここはもう、いわゆるミーハーにひたすら日本人応援。
そうなんですね。
今あまりにも同じ所に寄ってるんだけど、
今野さんとかね、10勝上げてるピッチャーいるんですけど、
彼とかできれば全部見たいぐらいな感じです。
ただ日本の方は一応ヒーキーのチームはあるんで、
そこだけ見るわけじゃないけれども、そこは見たいって感じですかね。
なるほど。ゲームはちなみにどういうゲームなんですか。
ゲームはもうスイッチで娘がやるやつで、面白そうなやつはやるみたいな。
今はゼルガコで。
そうなんすね。
そういう時間って要するに気分転換でもありつつ、再現なくやろうともできるみたいな。
そうですね。ゼルガは今は年を取ったせいなのか再現なくできないんだけどね。
意外と集中力が続かなくなったなっていう、昔みたいにはできないんですね。
そうなんですね。一日の中でどういう時にやるんですか。
03:00
なんか決めてます?時間決めてるとか。
どんな時でも決めてないですね。
今は別にすぐ仕事しなきゃいけないっていう理由がなければ、
そしてその気になってれば、結構その気が大事だったりするのが、
昔と違うなどは思うんですけどね。
その気っていうのは、ダラダラする気になってるかどうかみたいなことですか。
ゲームをする気になってるか。
でもわかるかもしれない、それは。
昔に比べてそんなに意欲的には慣れてないっていうか。
わかります。暇さえあればっていう感じじゃないですよね。
ないないない。もういいやみたいな。何回も死ぬともう嫌になってくるみたいな。
いやーわかりますね。
僕はだいたい映画見るか小説見るか弾き語りっていうんですか。
ギター弾いて好きなこと書いたり。
はいはいはい。みたいなのをだいたいやるんですけど。
でもやろうと思えば再現なくていいですね。
カラオケないんで、その代わりなんですよ。
あーそうなんだ。
そうなんです。
趣味としてはとてもいい趣味に聞こえますね。
いやいやいや。
僕カラオケでもまず歌うという趣味はないので。
あーそうなんですね。
そうなんですよ。わかんないんですよ。歌う歌う楽しさみたいなの。
僕ミーティングの後とかだいたい歌っても歌うかってなりますね。
えー。
全くわかんないですけど。
まあ面白いなと思いますね。
いやそれは素晴らしいじゃないですか。
特に暗いミーティングの後とかはだいたいそうなります。
えー。
ねー。
えー。
映画とかもねあれですよ。
あの映画って言ってもだいたい僕はホラー映画なんで。
なんですよね。
うん。
幽聖からの物体Xってあるじゃないですか。
あ、いやもうベスト。
オールタイムベストですよ。
そうなんだ。
僕もね、小学校6年の時の他人の先生があまりにも恐ろしいというので。
いやーいい先生だ。
子供たちを視聴各室に集めてみんなで見るっていう時間を作った。
めちゃくちゃいい先生じゃないですか。
僕はみんなで見た生もあるんだけど昼に。
これはそんなに怖いかっていうね。
えーまじっすか。
うん。
そのホラー感が。
いやホラーなのはわかる。
でもいやこれ口頭向けすぎてないでしょうみたいなノリの方が。
コミがすげー入った。
生まれて初めてに近いぐらいホラーをまともに映画で最初から最後まで見て
ほぼツッコミ同士だった自分がいましたね。
いやーあれはベストですね。
そうなんだ。
何回も見ましたよ。
あれ何回も見ると全然怖くないじゃないですかきっと。
全然怖くないですよ。
僕ホラーはコメディだと思って基本的に見てるんで。
なるほど。
ホラーってコメディですよね。
笑いながら見てます。
そうですそうです。
なるほどね。
それはいいんですけどこの話はそもそも何の話だったっけ。
06:00
ダラダラする時間の持ち合い方ということで。
趣旨に戻るとまずダラダラする時間ありますよねって話を今まで講じてきたんですけど。
よくタスク管理時間管理系だとダラダラしちゃったなっていう話になるわけですよ。
で罪悪感覚えてしまったり敗北感覚えてしまってですね。
うわダラダラしちゃったな。
で今日もダメだったなーになってっちゃうんで。
そこをねどうにかしようっていうことでこのテーマを取り上げてみたんですけど。
まあダラダラしますよねホラー映画見たりとかですね野球見たりとかするわけですよ。
でこの後ですよね。
そうしたらまずあのどうどう思います。
そうねその何を言わんとするかはしてるかは分かるんですよ。
そのダラダラという問題で僕はただなんつーんだろう。
サイさんJさんもおっしゃってる話ですけど物事をある受け止め方をするのは構わないと思うししょうがないと思うし。
いくらかは必要なのかもしれないんですけどその受け止め方を深刻に取りすぎないというのをいつもいつもある程度を注意しておいてもいいと思うんですね。
ダラダラするというのはそもそもその言葉からして一つの価値観というか評価が入ってるわけじゃないですか。
そうですよねネガティブなもうそれだけもネガティブですよねまずね。
まず2つそこだけでもあるんですよね一つはなぜそれをダラダラというダラダラというのをなぜネガティブに評価するようにしてるのかと。
自分がしてるんだからなんか訳があるわけでそうしなくてもいいのにそうしてるんだからこうそうしなくてもいいのにって僕が言っただけでも違和感を感じるって人はよっぽどそこを疑ってみる価値はあると思うんですよね。
もう一つ必ずそこには社会的な評価ってものが入っているのもなんで社会的な評価をそこにぶっこんでくるのかっていうのも大いに疑ってかかりましょうねっていう。
この2つがまず自分がダラダラしちゃったなと思ってネガティブな気分になった瞬間に僕はやるやりますね必ずやるようにしてますね。
なぜこの例えば僕の場合ホラーは見ないけどもなぜゼルダを例えば3時間なら3時間やった時にこれに対してネガティブになんで俺なったっていう何のためになるっていうそこは必ず僕は自分に問いますね。
そしてそこにいくらかでも例えばゲームをする代わりに○○をした方がいいんじゃないかと僕に問う自分がいるならばその自分何のために自分は作ってるんだろう。
自分だから自分で作ってるはずなの。今すぐ原稿を書かなきゃいけないわけでもなくそれこそ何をしなきゃいけないわけでもないのになおゼルダじゃないものをやるべきだったと思うならそれは何のためにそういうふうに思うのかということですね。
いやーそうですよね。
人によって若いが違う。
そういうことなんですね。
09:01
そういう時って必ず何かしら批判する自分がいるわけですよね。
いますね。
そういうことですよね。
批判の仕方は人によって微妙に違っているという。
もちろんですよね。大きく違っていると。
なるほど。
でそれを疑ってみましょうと。
それは絶対疑うべきだと僕は思うんですよ。
必要がない場合も多いんでね。
そうですよね。
必要だとしたらどんな必要なのかということですよね。
だから人によってはもっと充実した時間を人生の中では作るべきだっていう批判の仕方もあるでしょうし、
人によってはもっとシンプルに仕事をするべきだって人もいるでしょうし、
人によってはもっと違って、もっとお金を稼げることをするべきだっていう人もいるでしょう。
その違いだって大きいと僕は思うんですよ。
お金が大事なのか、人生の時間の塗り方の問題なのか、
それとも今は原稿を書く状況だからなのかっていうのはやっぱり違うと思うんですよね。
そういうのを一緒くたにして、
自責の念みたいなもので統一する理由は何もないはずで、
むしろ逆だと思うんですよ。
できれば解体していくべきものだと思うんですよ。
この目線、批判的な目線っていうのは、
ついでに言っちゃうと人にも向いてるんですよ、必ずね。
自分がそうしてるつもりはなくて、自分のことを批判してるだけだっておっしゃる人でも、
例えばお子さんがいた場合とか、お子さんができた時に、
子どもがゲームばっかりしているんです、何とかするべきだって女の子だったら、
それは他人に向けてるんですよね、やっぱりね。
僕は必ず子どもに対しても向くときも向くんですよ、やっぱり。
僕みたいな人間でも。
いやー、夏休み中ゲームしてるけど、
夏休み前にテストあるんじゃなかったっけみたいな。
僕はやっぱりこの批判者に対して、必ず自分は疑問の根を抱きますね。
このままゲームをしていたらテストの点で悪くなるって言えるかっていうのが一つと、
悪くなったとしてだからなんだって言うんだろうっていうのと、
将来この子は何を、結局これは将来の話にすぐするじゃないですか。
そうですよね。
その時に、じゃあこの子に何を将来してほしいと自分は思ってるんだろうっていう、
こういう風に考えるんでなければ、こういう目線って意味が全くない気がするんですよね。
ただその時僕は怒り始めるみたいなので、
昔自分は怒られた時にあんなに腹を立てたのに、
一体何なんだろうって感じがする。
でも僕はやっぱりここは疑問を自分に抱くためのタイミングだと思ってますね。
ダラダラって言葉が出てくる。
なるほどなるほど。
むしろそれをトリガーにして疑うきっかけにしてみるというか。
そうですね。
その一つ一つを疑うための僕はタイミングと捉えてますね。
12:00
面白い。
これダラダラした時って大体最終的に将来ダメ人間になるっていうところに収束しないですか?
そう収束しにくいです。
子供の場合は特にそれを定義で言うんですよね。
で一方で我々ってライフハックの人でさえさ、
例えば昔スティーブ・ジョブズも自分の好きなことに熱中していたのがよかったんですけど、
やたら好きじゃないですか。
僕ね、あの二つの気持ちの整合性が多くの人は取れてないはずだって思うんですよ。
えー、二つの気持ちだと。
つまりうちの例えば子がね、ガレージないけどガレージにこもって自作のゲームみたいなものばっかり作って、
親は必ず不安になるんですよ。
一体こいつどうするつもりなんだみたいな。
でも一方でジョブズはそういうことをしてました。
Apple作りましたっていうことになると、みんなの諸手を挙げてしょうがない。
確かに。
この二つは僕は多くの場合、実生活では矛盾すると思ってるんですよ。
一体この人たちは何を考えてるんだろうっていうか、何を考えてるつもりなんだろうみたいな感じですよね。
自分の子がジョブズ的なことをしていると不安になるんですよ。
でもジョブズがその成功談を取ってくるとみんなはそれを喜ぶ。
確かに確かに。
でもこの二つは僕の中では完全には整合はしないなって。
本当ですね。ちょっとあやはんしてる感じありますよね。
多分自分の子がジョブズみたいなことをしてたら辞めさせて計算ドリルとかがさせたくなるんですよ。
でもジョブズの計算ドリルばっかりやってたら絶対ああは慣れてないはずなんですよね。
だからどっちかを否定しなきゃならないはずなんですよ。
僕はそのことはよく思いますね。このダメ人言論の話を聞いたとき。
最後の結論はこうなるんですよ。
でもうちの子はジョブズにはなれずダメ人間になる可能性の方が高い。
そのリスクの方がでかいからそれぐらいだったらばここでジョブズっぽいことはさせずに
うちの子は凡庸だから計算ドリルをさせておいて平凡な幸せをつかませてあげようっていう親心のつもりでいるんですよ。
こういう人生のプランニングを人に課すとめちゃくちゃ過酷な人生をその子に追わせることになる気がするので
できるだけやめてるわけですよ。自分にできる範囲ではやめてるつもりなんですよ。
だからあれですよね。実際にやったことがあります。
サッカー見るでも野球見るでもホラー映画見るでもいいんですけど事実がまずある。
それに対してこのままだったらダメ人間になっちゃうよと将来。
これは自分でも他人でもいいんですけどっていう批判的な自分が出てくる。
この時に実際に起こったことだとそういう批判的な自分っていう2つまずある中でみんなどうしてもやっぱり事実の方を疑ってしまうというか
これが起こってしまうとはダメなことだと。これはやってはいけないことだったんだっていうそっちはやっぱり疑っちゃうっていうのは多分あるあるなんですよね。
15:08
そうじゃなくて逆にその批判している自分の方を疑ってみたらっていう感じですか。
ちなみになんですけどこれについてちょっとあのもう一歩ちょっと踏み込んでですねその批判する自分っていうのを疑ってみるじゃないですか。
ってことはダラダラすることを自分に許すっていうことになるんですけれどもこれがやっぱり怖いわけじゃないですか。
そうですね。
あのひたすらダラダラし続けて仕事も何もしないと僕たちに関してはねそんなにこう上司とかもいないわけですから。
1日中ゲームやって生活のままならないみたいなどうなるかどうしようみたいな不安があるからどうしても批判する自分を信じてしまうっていうのがあると思うんですよ。
ただですね僕はそこでこのままダラダラしてしまっていたらダメ人間になっちゃうというのってものすごく確率低いと思ってるんですよ。
というかもうちょっとマシな人間になれる可能性の方がどちらかというと僕は高いんじゃないかなと思ってて。
だってダラダラしてはいけないと思ってれば思っているほど歪んでいきますよ多分何からしい。
もっとダラダラしたくなる気がするそれやり始めたら。
もっと現実逃避したくなるっていうことにもなりかねないですからね。
これはダラダラしてはダメだこれはダメなことなんだと思えば思うほどですね。
ダラダラではないものに対して手をつけるのは億劫になるし暇さえあればダラダラするということに期待というか希望を抱いてしまうみたいなね。
剥奪がかかってしまうっていうことも充分にあり得るんで。
僕はどちらかというとねもうダラダラした方がですねまともな人間になるんじゃないかなっていう説をしたい。
歪まないから。
そもそもこのダラダラの基準って本当に人それぞれでこのダラダラの基準がめちゃくちゃずれてるっていうことがまずあるじゃないですか。
僕こっちに来てすごい驚いたんですけどなんか9時から5時まで学校行くじゃないですか。
それなんかすごいドン引きされたんですよね妻とか。
えーみたいな。
えーマジかよみたいな軍隊かよみたいな。
いやそんなんやったら本当なんか人生経験とかまじ詰めないじゃんみたいな。
他のなんかの何もできないじゃんみたいな。
学校だけみたいな感じで。
いやすごいちょっと惹かれてそうかみたいな9時5時って確かに当たり前じゃないんだなみたいな。
聞いてみると僕もドイツの仕組みよく分かってないんですけどドイツの学校の仕組みってめちゃくちゃ複雑らしいんで。
だからまあ学校によってはいろんな体制があるんだと思うんですけど妻が言うにはもう昼過ぎには帰ってきてあとは大体森に行って遊んでるみたいな感じらしくて。
18:04
イメージと合わないですよね。
そうなんですよね。
そんなやっちゃダメ人間にならないなとか思うんですけどね。
でもならない。
なのでダラダラの基準っていうのも曖昧だしそのつもつもそのダラダラを批判するっていうことに対してちょっと会議的になってみましょう。
でその代わりにですねそのダラダラを批判する自分っていうのは疑ってみる。
その代わりにちょっとね自分がやったことに納得してみるっていうのにその余ったエネルギーをちょっと注いでほしいとなんとなく僕は思ってるんですよね。
昨日キナさんとイラストレーターさんとインタビューしたじゃないですか。
その中でも彼が言ってたんですけど彼はサッカーが好きでサッカーを見るっていうのをいわゆるダラダラ時間にやってるらしいんですけれどもこれがやっぱりタスクシュート前後ですごく扱い方が変わったと。
何が変わったかっていうとタスクシュート以前の場合はですねなんとなく午前中無駄にしちゃったなっていう罪悪感を抱いていたと。
でもタスクシュート以降はですね何時から何時までサッカーを見たんだ楽しかったなぁになったっていう。
これはね確かにこの効果っていうのは僕はすごいいいなと思うんですよ。
まずは前者っていうのは抽象的に罪悪感抱いてるわけですよね。
午前中で超抽象的じゃないですか。
12時までなの?1時までなの?みたいな。
抽象的に午前中無駄にしたなっていうまたこれも抽象的なんですよね。
基準が何もない。実態がないわけですよね。
もうお化けみたいになっちゃってると。
でもそのタスクシュート以降はですね何時から何時までサッカーを見ました。
それに対して何時から何時までサッカーを見たの楽しかったなっていう具体的な出来事に納得できるっていうことなんですよね。
これはねかなり僕はねタスクシュートのねなかなかいい効果だと思うんですよね。
なんかそんな感じでタスクシュートも使ってみるといいんじゃないかなと思いましたっていう感じです。
批判的な自分ってのに疑いを抱くっていうのはもう少しですね。
とにかく批判的な自分に対して細かくやりとりしてみましょうってことなんです。
みたいな話で言うとダラダラしていても大抵いいはずなんですよ。
でもいちいち批判的な自分が出てきたということはそれの良い分というものをもう少し詳しく聞いて
今日はまずいって言うならばつまりそういう時だけはこの辺で打ち切って何かをするってことも可能だと思うんですよね。
なんかね一律にひたすら自分を批判的になるとか一律にひたすら自責の念を持つとか
その割にはダラダラするのがやめられないとか、ものすごく病的というのか機械的というのかわかんないんですけど
そういうふうになるっていう訴えが多いんだけどそんなはずはないと思うんですよね。
何かを見る別にいいじゃないですか。
だけれども僕が8時間ゼルダを見ていて原稿の締め切りごとごと落としますっていうのはまずいじゃないですか。
21:05
そういうのは区分けができるはずだと思うんですよ。
そのために批判的な自分というのは本来出てくるわけだから
なんかこう一律にダラダラを全部批判するとかいう形でなくていいはずなんですよね。
だから批判的な自分というのはさっき私が言ったように色々いるはずだしやったことも色々違うはずだし
人によって基準も全然違うわけだからもっと細かく見ていった方がいいと思うんですね。
そしてその批判的な自分にあんまり絶大な権力を与えないって。
面白い。
冒頭に言った通り過度に深刻にならないようにしましょうということなんです。
過度に深刻になるともうなんかダラダラしたから死ぬしかないとかね。
よくわからないことになっちゃって。
そういうことは見えないと。
いやーそうですよね。
いや面白い。
そんな感じです。
はいありがとうございます。
ということでですね今日も3waysやっていきました。
3waysということなんでポイント3つにまとめてみようと思うんですけれども。
まずですねダラダラ時間と向き合い方ポイント一つ目。
まずですねダラダラしている時間っていうのはあると思うんですけれども。
その時ですねダラダラを批判する自分っていうのが多分いるはずなんですよ。
このねダラダラを批判する自分っていうのを疑ってみるという選択肢をですね。
まずはちょっと思い出してみてください。
そして深刻になりすぎないね。
これがポイント2つ目批判する自分を疑ってみる。
深刻に捉えすぎない。
ポイント2つ目ダラダラした先の未来っていうのは誰にも予測できませんってことです。
大抵ダラダラしたらダメ人間になる。
これがやっぱ定番だと思うんですけれども。
そんな未来は誰にも予測できません。
逆のパターンあります。
ダラダラしすぎてめちゃくちゃいい人間になれた。
このパターンもあるわけですからね。
ダラダラした先の未来は誰にも予測できません。
これポイント2つ目。
ポイント3つ目がですね。
ダラダラを批判する自分ともっと細かくね。
具体的にやりとりをしてみてくださいというところですね。
そのためにですね。
タスクシュートっていうのは役に立つかもしれません。
というところじゃないでしょうか。
はい。
ということで佐々木さん。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。