でもそれって会社以外の時間でやってるじゃないですか。
会社9時間拘束されてて、その前後朝の時間と会社が終わった後の時間を使って、
大体そのくらいの額なんで、会社を辞めたら多分5倍くらい働ける。
確かに。
そしたら今5万円副業、5倍で25万いけるなっていう。
なるほど。
時間を使えばもっと伸びるでしょうっていうね、発想なんですよ。
なるほどね。
で、知ってる人は知ってるんですけど、Jさんはそういうふうにして大変なことになりまして、ブログにタンボポを食べたとかいう話もありまして。
あれ食べたんですか?
食べましたよ。僕と共同代表の。
経管理さん?
経管理と。
これはとりあえず雑草を食べれるスキルがいるっていうことになってて、パンポポとか毒ダミとかも食べました。
料理して。
なるほどなー。結構ほんとに追い詰められ感はあったんですね。
いやそうですね。隣の家の毒ダミを拝借して。
隣の家の方にも挨拶して、ちょっと毒ダミをいただきたいんですけど。
もうそしたらね、快諾してくれましたよ。
どんどん取っていってって言われて。
あの隣人の方もまさか毒ダミを食べるために拝借してるとは思わなかったと思うんですけどね。
なるほどなー。
いろいろ聞きたいことは尽きないんですけど、それは不安じゃないですか。
もちろん不安ですよ。
その不安というものと、基本まずお金の不安だと思うんですけど、
最初にその不安と格闘していく中で、Jさんがこういろいろ考えられたと思うんですけど、
払拭できるようなきっかけになったことって、稼ぐ方法でも何でもいいんですけど、何だったの?
正直これって言うのはあんまないんですけど、ただね、まず一つはですね、僕はほんとにバカなんで、
こんなことをJまさきポッドキャストリストさんの方はやんない方がいいと思うし、
あなたほどエレガントな人だったらやんないと思うんですけど、僕は辞めて時間ができたら、
その時間を事業を作るのに投資して売り上げ絶対上がるはずだっていう発想なんで、
本当はアベレージでも生きていけるっていう額を確保してから辞めた方が当たり前ですけど、いいんですけど、
僕はそれをやらずにもう見切りで辞めたんですよね。
で、見切りで辞めて、当然そんな急には伸びないじゃないですか、事業なんて。
だから当然伸びない。でも辞める時までは辞めて全力でやったら多分、まあまあ5倍はいかないにしても、
3倍くらいはいくんじゃないかみたいな。15万くらいあるとギリ生きていけるんですよ。
当時都内でワンルームのマンションに住んでたんですけど、家賃7万円くらい。
ってか家賃でなくなるじゃん。
そう、家賃ですよ。7万円だったら。で、プラス7万円くらいで15万くらいあったら、
たぶんギリ生きていけるみたいな感じだったんで、2、3倍になったらいいなっていう。
で、その月は7万円みたいな。その時に初めて、時間が増えただけじゃダメなんだってまず思ったんですよ。
なるほどね。
普通事前に気づくと思うんですけど。
唯一良かったのは、そっから大体半年くらいでお金がなくなっていくんですけど、
貯金がね。で、半年くらいで実際実家に帰るんですけど、期限ができちゃうじゃないですか。
あるいは強制的に。そっから初めて死に物狂いでというか、ビジネスってどうやって作るんだろうって、
真面目に勉強をしちゃって。
なるほどな。
まずそこのスイッチが入ったっていうのがまず一つがあります。
それまで本当に頭お花畑みたいな感じだったのが、やっと切り替わったっていうのは一つあります。そこで。
なるほど。もしかしてタスクシュートクラウドを作り出したのはその頃の発想?
その後ですね。そっからたぶん1年くらいは後だと思います。
あ、そうなんだ。まずはそこには行かなかったんですね。
まずは行かなかったですね。多分行ってももう遅くって。そっからサービス作るってなると半年でリリースは多分できない。
ギリできるかもしれないけど。でも多分もういろいろギリギリで、多分もっと側金がないといけないみたいな感じだったんで。
そういう意味でもあんまり今からウェブサービス作ってみたいな発想にはならなかったっていうのもあるし、
特に辞めたときって僕ってシステムエンジニア辞めたくって辞めたんで、会社。
はいはい、そうですよね。
じゃあウェブサービス作るためにシステム組もうっていう発想に多分避けてたっていうのもあると思います。
だからブログということにすごいフォーカスされてたんですね。
そうなんですよそうなんですよ。
実際あのたまたまですけどブログブームが来ていたということはあったから、
ジェインさんが言うみたいに3倍やれば3倍になると、僕でさえそうは思いませんが、
なんかでもJマスキブログは僕がやったのとかとは違って伸び率が半端なく良かったんで、そういう気持ちになるのも分かる気はしますね。
いや本当に今と比べたらもう段違いくらいのアクセスというかね、読者さん読んでくれてたんで、ある意味そこが唯一の希望というか、
知ってくれてる人は多かったっていうのが唯一僕の武器、唯一僕のその時の良いニュースだったんで、
それはありますと事実として。会社辞めて現実を突きつけられて、時間使うだけじゃお金って稼げないんだって思って、
もうサラリーマン志向ですからねそこまでは。働いてもお金もらえるっていう発想が。
確かに。 だめなんだってなって、でも読者さんはいると、
ブログを読んでくれてる人はいるんで僕のこと知ってくれてる人はいる、これはめちゃくちゃ良いニュースだなということで、
その読者さんたちにどうやったら自分の商品とかサービスを提供できるんだろう、
どうやったらお金を払ってもらえるんだろうっていうところだけはある意味考えれば良かったんですよね。
課題は割と絞られてたんで、そこからすごく真面目にビジネスモデルって何なんだろうとか、
人が物を買いたくなるのって何なんだろうみたいなことを考え始めたり調べ始めたりして、
半年くらいかけて少しずつ実験とかも重ねながらコツを掴んできてどうにかなったっていうのが実際のところだね。
なるほどな。大変だなあということが、実感としてタンポポ本当に食べたんだなあというのも実感としてわからないけど。
やめる前ってすごい余裕というか、ついにやめられるっていうのもあるし、すごい気分ポジティブなんですよ。
不安ももちろんあるけど、でもついにやめられるし、全力で本当にフルで時間使ったら結構いけんじゃねみたいな希望もあるんですけど、
やめてから現実が迫ってくるんで、全然心境は一変して、もうマジでなんで、もうあと2ヶ月遅くやめてればとかね。
あのですね、そのフルで使ってた時間は何に時間を使った?
やめた後ですよね。
はい、そうです。
ブログを当時はメインでやってたんで、ブログを書くっていうのは継続してやってました。
それはたぶん1日に数時間くらいはたぶんやってたんですけど、まずはその記事を書くっていうのが一つ。
それとは別に講座の経験っていうのはあったんで、講座をやろうと。
当時はリモートの講座とかって全然なかったじゃないですか。
だからオフラインの会場を借りて、みんな呼んで話を聞いてもらうと、勉強してもらう。
そういう講座を作るっていうことにかなりの時間を費やしましたね。
なるほどね。なんかJさんの人気と講座に来ていた人の数から考えて、もうちょっと収入になりそうな気がしちゃうんだけど、
それがさっき言ってたビジネスモデルの話になっていくんですかね。
そうなんですよ。当時ね、僕って講座で何回も登壇したことあるんですけど、単独でやったことってなかったんですよ。
だから30分話すとか、15分話すみたいのはもう死ぬほどやったんですけど、5000万回くらいやったんですけど、
それやめてみて、これはやめてみて気づいたんですけど、じゃあいざね、講座でキャッシュポイント作ろうってなった時に、
共同ではできないんですよ。なぜならお金も安分になっちゃうから。
もう収入を安分する、レベニューシェアするなんて余裕がないわけですよ、自分でも。
そうなるともう佐々木さんと一緒にやろうとか、もうそんな悠長なこと言ってられなくて、
自分に収入が入るっていうものじゃないといけないんだって、これって全然違うじゃんってなって。
そっから一人でフルの長尺の講座っていうものを完全にフルで終わりか結末でできる。
それで良かったな、この講座って思ってもらえる。こういう商品を設計始めたのがやめてからなんですよね。
なるほどね。
それめっちゃ早いんですよ。
その前はなかったってことだね。
なかったんですよ。それまでってオープニングとかで話すんで、正直その講座があんまり良くなくても責任は佐々木さんだろうみたいな。
頭のどっかであるからちょっとそんなにガチじゃないんですよね、どっかで。
なるほどね。
単独でやると全ての責任は自分。売れるかどうかも全ては自分っていうことになるんで。
商品を作る、設計する、世に出す、めっちゃ怖いんですよね。
それだけで多分1ヶ月2ヶ月くらい、その講座を作るだけでもう1、2ヶ月は経ちました。
なるほど。だから合わなくなってくるわけだ。
そうなんですよ。そうなんですよ。
その設計中は収入当然入ってこないんで、収入は全然増えない。
翌月も7万円。そんなもんで。いよいよやばいな。
でも講座は設計できつつあるんで、どうにか形にして世に出して、それがあれですよ、佐々木さんも来てくださった大雪の日の単独講座。
あー、そういうことになるんですね。
あれがデビュー1発目みたいな感じで。
なるほど。でもそんなようなことを言ってた気がする。
そうなんですよ。幸いね、やっぱ本当にブログの読者さんがいてくれたっていうのは本当によくて、
オフラインの講座だったんですけど、当時50何人くらいの部屋で、それが多分埋まったんですよね。
良かったと埋まったと。収入もそれで入ってくるしっていうことで、収入もそれで得られて、自信にはなったんですよね。
自信になったんですけれども、一方で新たな課題が分かって、大体その講座の収益が10年、5万ちょっとだったと思うんですよ。
20万円いかないくらい、経費とか全部さっぴいて、会場代とかも経験あるんで。
20万円いかないくらいで、これだったら1ヶ月間生きていけるんですけど、1ヶ月間の収入なんですよ、それって。
っていうことは、毎月これやらないといけないじゃんってなって、そこでまた絶望したっていう記憶があります。