かつて「現状を良しとしない」という決断をしたから今の生き方があるのではないですか?
という質問をリスナーからいただきました。私たちはよく、過去や未来に囚われず現在に生きようと言います。では、私たちの人生に大きく影響を与えたであろう出来事については、どのように向き合えば良いのでしょうか?
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サマリー
このポッドキャストでは、現状を受け入れない選択が現在の生き方に与える影響について深い議論が行われています。特に決断や時間の捉え方に関する哲学的な考察が示され、過去と現在、未来の関係についての視点が述べられています。現状を良しとしない若者たちが抱える悩みや、過去を振り返った際の自己のアイデンティティに対する考察が展開されています。特に20代に向けたアドバイスを通じて、自己の認識や現実を受け入れる重要性が探求されています。このエピソードでは、過去の決断や現状についての疑問を提起し、自身の生き方への影響を考察しています。特に、一貫した自己やアイデンティティを手放すことが本質的な解決の鍵であると考えられています。
はじめの問いかけ
最近、Amazon、Kindle、Scribeめっちゃ欲しくて、次のクリスマスプレゼントはこれかなって思っている、jMatsuzakiです。
へー、誰が使うんですか、それ。
僕です、僕。
今年は温暖化のせいで、茄子がしぶとくなっていて、今年の5月に植えた茄子がまだ残ってて、まだ食べられて、まだ秋茄子が食べられて、なかなかお得な感じで。
さっきです。
なんかいいですね。
結構取れるんですよ、全部合わせて。60個は取れるからね。
まじっすか。1年分じゃないですか。
すごい。
そんな3waysなんですけども、今日もですね、あなたなりの第三の道を見つけてほしいということで、我々会ってました。
今回はですね、非常にちょっとディープな話になっていると思いますので、最後までお付き合いください。
あのですね、Podcastって今ね、Spotifyで見ていただけるとコメント残せるんですよね。
お感想とか質問とかですね、何でもコメントできるようになっておりますので、ぜひね、3waysリスナーの方々、感想とかですね、質問、コメント使ってほしいんですけれども、
この前ですね、非常に素晴らしいコメントで質問をいただきまして、今回は質疑応答というか、Q&A回にしたいと思います。
コメントいただいたなんとさん、ありがとうございます。
まずはですね、いただいたコメントに質問だったんでね、こちら読み上げさせていただきます。
いつも楽しく拝聴しています。今回もそうだよなと頷きながら聞いていたのですが、今回もっていうのは、現実を受け入れる覚悟と効果というエピソードですね。
今回もそうだよなと頷きながら聞いていたのですが、一方でお二人もどこかで現状を良しとしないという決断をしたから、今の生き方があるのではと思ってしまいました。
特にJさんは起業されてますよね。きっと現実を受け入れるという言葉の解釈が私とお二人では異なるので、そういう構想に感想になってしまうと思うのですが、
仮に今お二人が20代の自分に声をかけられるとしたら、どういうアドバイスを送りますか。
いつか配信テーマとして取り上げていただけるととても嬉しいです。これからも配信を楽しみにしております。
ということで、こういう非常にディープで確信をつく質問だなと思いましたので、これは回答していきたいなと思い、今回のテーマにしたいと思います。
ありがとうございます。そもそもコメントをもらうことがほぼないですからね。
めちゃくちゃ嬉しい。これ今二つ目のコメントですので、ぜひ3waysリスナーの方々はSpotifyのポッドキャストからコメントできるらしいので、楽しみにしています。
ということで、今回の3waysテーマはですね、
Q.現状を良しとしないという決断をしたから今の生き方があるのではないですか?という質問に答えていきたいと思います。
過去の自分との対話
これはね、なかなか面白いというか深いと思いますね。これどこから切り込んでいくといいと思いますか?
そうですね、一番僕は確信から行くべきな人間なんですけれども、そもそもどこが確信かな。
現状を良しとしないという決断をした。しましたか?Jさん。
そうですね、これは説明難しいんですけど、僕はね、説明難しいな。これ二つあるんですよ。
僕は今僕が考えている過去の自分って信用しないんですよ。
過去の自分。
つまり過去の自分で作り出されたものじゃないですか。
だから僕は現状を良しとしないという決断によって起業しました。
っていうことはできるんですけれども、僕は常に本当にそうかなっていうのは思いを必ず思い直すようにしてるんですよ。
過去について、だからこうだなっていう因果関係を何か思考が作り出そうとした時にはですね、
必ずその時にですね、それ本当にそうかなっていう。
まずそういう因果関係あるっていうのもそうだし、そもそも過去の自分なんてもう分かんないわけ。
過去の自分の感情とか、ある意味作り出されてるんですよね、過去っていうのは。
だから僕は過去に対しては非常に懐疑的ですね。
そもそも存在自体、僕は懐疑的であって。
まず現状を良しとしないという決断があったから今があるのではって言われた時に、
現状を良しとしない決断を本当にしたのかっていうことに僕は答えを出さない。
っていう非常にちょっとややこしくなっちゃうんですけど。
なるほどね。
まずはポイントはそこかなと思いますね。
要するにですね、過去、現在、未来っていうこの直線的な時間の捉え方をね、僕はしない方がいいと思う。
まずはこれが一番最初確信かなと思います。
こう考えるようにすると、そもそも過去こういう決断をしたから今は自分があるっていう考え方起こらないはずだよね。
時間ってこういう直線で動いてない。
まずはね、やっぱ確信は一つここにあるかなと思いました。
なるほどね。
どう思いますか。
まあ、いろんなことを言う。はい、どうぞ。
あともう1個あるんですけど、今回の質問、非常に具体的でとてもいい質問だったけど、
今は現状を良しとしないという自分があるから、企業をしてね、今は自分があるっていう話があるんです。
これは全然またはずじゃないですよ。
これ僕もそう思ってた時期結構長くありますから。
僕はある時点でこういう考え方やめるようになったんですけど、
まず僕が企業を決めたっていうのは、25歳のサラリーマンの時にこのままじゃダメだということで企業をしようということで、
そこから約1年後くらいですね、会社独立して辞めたんですけれども、
辞めたという。
現状を良しとしなかったように話ですよね。
そうですね。という説明まで長くしてきたんです。
そういうふうに僕自身も捉えてたってことですね。
だから今会社とかにサラリーマン辞めてですね、自営業やってるんですよ。
こういう説明まで長くしてきました。
僕自身。
まずね、この時によく思うのは、今自営業10年以上やってますけど、
今自営業として僕が続けられている理由っていうのは無数にあるんですよ。
別に決断したから今があるんじゃなくて、決断して半年後にもう辞めようかなとか思いましたしね。
そういうのもいろいろあって、今続いてるんであって、
別にあるどこかの時点、ある瞬間、ある決断とかある行動によって、
今こうなってるっていうよりも、いろんな説明しがたい、
うぞうむぞうのいろいろなカオスの結果が今なんで。
たとえある時点で会社を辞めようって決断を本当に僕がしてたんだとしてもですね、
やっぱりそれによって今があるっていうのはやっぱり僕は成り立たない。
その間に無限のことがありますからね。
そもそも僕はあの時、本当に自分で会社を辞めようって決断したのかっていうことに対して僕は怪奇力だし、
本当に決断したとしても、その結果によって今があるっていうのは全く言えない。
自己の一貫性の探求
その間に無限のことが起こってるから。
みたいなことを僕はまずは考えますね、こういう話に対して。
佐々木さんどうですか。
佐々木さんちなみに現状良し悪しないという決断をしたと思ってたような出来事。
これはね僕はないんですね。
ご質問には申し訳ないんですけどね。
まず物心ついた頃から僕はやっぱり現状という捉え方をあんまり、
これはパーソナリティ、性格もあると思うんですけどね。
現状という捉え方をしたことがない気がするんですよね。
だからだって現状って言うけども、
なんかねタスクシュートとかではそれこそ毎日ルーチンが繰り返されますと、
説明は僕もしたことがありますよね、他の人に向かって。
でもだから現状という言葉が何かを指してるかなと言うと、
これはよくその当時Jさんもそういう話をされてましたけど、
Jさんだけでなくいろんな方がそういう話をしてましたよね。
現状を変えるとか、現在の自分を変えるとか、今のままでは。
だけど僕はやっぱりそういうところは割と哲学的かつ粘着的なんですよ、きっと。
今のっていうのは何のことを言ってるんだって思っちゃうんですよね、僕はね。
その時そういうことを言っとけばよかったのかもなんだけど黙ってましたから、僕は。
多分そういうふうに思われてたかどうかもわかんないんですけども、
僕は内心では現状を変えるっていうには、
その変えるべき現状を特定しなければいけないって思っちゃうタイプで、
で、それが特定できない。
やることは毎日違うし、微妙にでも違うし、その違いは結構バカにならないし、
僕はタスクシュートを使ってて、やっぱりこうなんていうんですかね、
こうそういういろんな言い方があるんですけど、
時間の使い方のバランスとかいろんな言い方があるんですけど、
それこそモードのバランスとか、昔で言う第4領域とかもあるんですけど、
それはある観点をそこに当ててるだけであって、
そうするとそう見えるっていう見え方が現れるだけであって、
現実ってのはそうは言えない。
結局現状ってのは今が寝てれば寝てる現状しかないし、
で、それは起きた瞬間に変わっちゃうし、
食事も違う時間に違うものを食べてますからね、
似たようなものを食べてたって同じではないですからね。
だからやっぱり現状を変えるっていうのは何を変えるってことなんだろう。
思い切って何かを変えると大きく環境が変わるってことはあるんですけど、離婚するとかね。
でも、結婚だけが現状を意味してませんし、
もっとしょぼい話で言うと、
うちにあるトヨタの車を買い換えれば現状何か変わる感じもしますけど、
その車買い換えるとかはね、何か人生変えるっていう話とは僕は全然遠遠いと思いますし、
なんなら毎日何かは変わってる。
だから現状を変えるっていう時に特定できる現状ってものがない以上、
僕は現状を変えるために何かをするぞっていう、
そういう発想をしたことはないですね。一度もないですね。
現状は良い、今の状況の中の何かが辛くて嫌だから変えたいって思うことありますよ。
コロナにかかった時とかね。
それはコロナを良しとしてるわけじゃないんだけど、コロナは現状ではないですからね。
どうせ変わるし。
だからそういう変える、良しとしないという決断をしたことは僕はありません。
したがって今の生き方は、この決断をしたが故にあるのでもありませんね。
それは勝ちで僕はなかったと思ってますね。
そうですよね。これ本当にね、やっぱね、ある種のアイデンティティの問題なんですよね。
そう思いますね。
まず前提として一貫した事故があるというのが前提にあるんですよ。
もっとちゃんと言うと、一貫した事故があってほしいという欲求がある。
それを見つけ出すために過去、現在、未来っていう時間軸を作り出して、
ある一つの特定の部分だけにスポットライトを当てる。
それが必ずしも事実じゃないことも部分にある。
こういうふうにして、現状の良しとしないという決断によって今があるという考え方は、
要するに最終的には一貫した自分っていうのがあってほしいよね。
変わらない自分っていうのがあってほしいよねっていうのが、やっぱりそこに欲求としてあるんですよね。
これがまず目的としてあって、そこからいろいろな過去の捏造みたいなことが起こり始めるんで。
やっぱりここを、まず自分っていうのは一貫している。
自己認識とアイデンティティ
要するに現状が言い表せられるっていうことは、何か一貫した確固たるものがあるっていう感じがあるんですよ。
たぶんどっか。そんなものはないんですよ。
過去の随分昔のタスクシュートのログ見ると、僕はよくそういうこと思うんですよ。
例えば退職した日とか、いつでもいいですよ。
その決断をした後されるような日まで遡ってタスクシュートやってましたから。
そのログ見たらどう思うかっていうと、
この時にこの決断したんだっていうポイントがどこにもないんですよ。
むしろ見れば見るほどですね、よくわかんなくなってくるんですよ。
そのいわゆる人生を変えるような決断をしたとされるような日っていうのは頑張ってこの日にしようっていうね。
勝手にしたとして、その日のログをまず見ていますと。
そうするといつも通り睡眠をしてるし、いつも通り朝起きたらトイレに行って顔を洗ってみたいな。
そういうことを見ているうちによくわかんなくなってくる。
これが僕は正しいと思うんですよ。
現状もないし、何か特定のポイントでの決定的な決断とか出来事、ターニングポイント、こういうところもやっぱりないんですよね。
これはどこかある時点で自分が過去を振り返って勝手に決めてるんです。
それはなぜそういうことを決めたいかっていうと、一貫した自己、要するにアイデンティティが欲しいからです。
アイデンティティ、一貫した自分っていうのにこだわらなければですね、多分こういうことに悩むこともなくなると思うんですよね。
この質問の後半にもう一つ大事なポイントがございまして、
要するに僕と佐々木さんの会社がこんな感じですと、そもそも過去っていうのは曖昧だし、
過去に対する自分の捉え方っていうのもものすごく信用にならないし、
そもそもだからこそ現状っていうのも何なのっていう、一貫した自己がないでしょ。
過去へのアドバイス
現状っていうのも何か簡単に表せられるようなものはないと、要するにカオスであるということなんですけれども、
そういうことを前提としてですね、仮に今お二人が20代の自分に声をかけられるとしたらどういうアドバイスはありますかっていうね、
こういう質問が続いていくので、ちょっとそういうふうに踏まえた上でですね、
我々は過去、自分が20代だった時に自分にどういうアドバイスをしますかっていうのを答えていきたいと思うんですけれども、
これ佐々木さんなんかあります?
佐々木さんこれね、僕こういう考え方をやっぱりあんまりしないんですよね。
僕は昔の自分に向かって書くとか本は絶対やらないんですよ。
一度もやったことがないし、今後も、今後やらないと言い切れはしませんが、おそらくやらないだろうと思いますね。
一つには本を書くというのはそういうことでは全くないと思って僕はおりますから、
本を書くというのはリアルな人に対するリアルなサービスでなきゃいけなくて、
過去の自分に向かってアドバイスするっていうようなものであってはならないと、
お金取る以上ね、思うのでそういうことはしないんですが、
僕はそもそも人にアドバイスってしないですが、
あんまり過去の20代の自分に向かってアドバイスはだから結局言うべき言葉がないんですよ。
というのは一つには、僕は例えば昨日の自分より今日の自分の方が昨日の自分についてよくわかってる気が全くしないので、
20代の自分よりも今の自分の方が人生わかってるような気がするけれども、
それはさっきJさんが言ったのと同じいい加減なからくりに基づいてるんだと僕は思うんですよね。
過去の自分より今の自分の方が現実についてわかってるかのようなつもりでいるんだけど、
そんなことはないような気がする。僕がわかってるのはただ自分のエゴについてわかってるつもりであって、
別に僕は現実とか人生については何もわかってたためしかかつて一度もないんで、
年を取るからわかるようになるはずもないような気がするんですよね。
まあそれでもアドバイスね、一個もないとこの話あまりにもあれなので、
一個をするとすると、無理やりするとすると、どんなタイミングでも死なない方がいいような気がする。
どんなタイミングでも生きてる方が死ぬよりはマシな気がする。
これも何の確信もないんですけども、死ぬほどのことってこの世の中に今のところ自らっていう意味ですよ。
これもね、やっぱりわかんないんだよな、わかんないんだけど言えることとして、
唯一言えることがあるとするのがこれぐらいかな。
でもそれは当時の私もそう思ってた気がするんで、あんまり意味がないとは思いますね。
ちなみになんですけど、現状を良しとしないと今思ってる20代の若者がいて、
わからないです、サラリーマンとかでね、ハードワークしてますみたいなブラック企業で超働いてます。
いやこのままじゃダメだなみたいな。ちょっと一生別断して人生変える必要があるなみたいな感じの人がいたらどうします。
どうするって僕に聞かれたらってことですか。
こういう件で結局どういうことを話してるかっていうと、僕はサンチャレなんですよね、これね。
サンチャレというのは僕にある意味アドバイスを求めてこられる方もいらっしゃる世界で、サービスで。
この時僕が必ずどうしても必ず、結局そうなってるなっていうのはアドバイスはほとんどしないんですよね。
一生全くしないんですよね。なぜならば、わからないからなんですよ。
相手の人が言っていることはどういうことなのかはわからないんですよ、僕に話を聞いた程度では。
その人の人生生きてきたわけじゃないんで。
現実を受け入れる
だから今のお話は家庭のお話で、家庭のお話なら家庭の答えを出すしかないんですけれども、実際にはリアルな話になってしまうんで。
どうしてもわからないことがいっぱいあって、いっぱい聞くしかないんでしょうね。
その人にカスタマイズしなければならない、そういう言い方をする。
ものすごいカスタマイズしなければならないんですよね。
ものすごいカスタマイズするっていうことにはめちゃくちゃたくさんの、さっきのJさんが言った無数の要素があって、
もうあまりにも要素が多すぎてですね、一般論を出す気がしている間は何の意味もないことを言うことになるので、
一般論というものからどんどん離れていかなければならないんですよ。
それで話をめちゃくちゃ聞いているうちにわけわかんなくなってくるんですよ。
ここからなんですよね。だからもうそれ以上のことは申し上げられないんですよね。
わけわかんなくなるところまでは行き着かなければ、言うべきことは何もないって感じがします。
何の答えになっていないとは思うんですけど、以上はですね。
重要なヒントそこに僕はあるかなと思うのは、一つは多分そういう悩んでいる20代の自分という話がありましたけど、
20代の若者みたいな方がですね、今ハードワークですごく辛い現実を受け入れられないと、
どうにかしたいと、人生変えたいと思っている人がいたとしますと、
まずはね、あなたが思っている現実は何ですかっていうところから入るしかないですよね。
当然前提としてやっぱりケースバイケースなんです。
だから確率的に会社辞めたほうがいいとも言えないし、辞めないほうがいいとも言えない。
どちらとも絶対言えないわけですけれども、まずはただやっぱりこのパターンで必ず陥りがちなのは、
そもそも現実がわかってないっていうことだと思うんですよ。
その人が、現実はわかってないというか、もっと言うと現実がわかってないということをわかってないのかもしれない。
なぜならこういう悩みを持つっていうのは、まず第一に何かしら決めつけをしているはずなんですよ。
その人がご自身なりにご自身の現実を決めつけていることがあると思うんですよね。
まずはこの決めつけっていうものをどうにか観察していかないことには何とも言えない。
多分こういう時って会社がブラック企業で、このまま会社に消費されて、自分はズタボロになって、
冴えない中年を迎えるという決めつけが多分そこにある。
そこには二つ決めつけがあって、自分の人生っていうのは仕事によって構成されているっていう決めつけが多分そこにあるんですよ。
そういう人が多い。
さらにその仕事を続けることによって未来がズタボロになる、冴えない中年を迎えるっていうのはやっぱり決めつけがそこにあるじゃないですか。
少なくとも二つあるわけ。
まずはこの辺から入るしかない。
この決めつけに基づいて決断してもあまり良いことはないんで、何か自分で決断をしてどうにかしようというよりはまずは、
現実っていうものを決めつけなしに眺めるというところから入るしかないんじゃないですかね。
抵抗している自分が必ずいるはずなんですよ。何かに抵抗している、何かを判断している、何かを執着している自分っていうのが必ずあって、
それをちょっと見てみる、ちょっとそれを観察してみるっていうところがまずは第一なんだと思うんですよね。
これを少なくとも僕はそれを現実を受け入れるって言ってるんですよ。
ハードワーク、若いうちは頑張って働いた方がいいっていうことが現実を受け入れるってことじゃなくて、
まずは自分が現実を何に抵抗してますか。
何を執着してますかと。
何を判断してますかと。
何か決めつけてるんじゃないですかね。決めつけは絶対あるはずだ。
それを観察してみましょうというのを現実を受け入れるというところなんですよね。
そこに帰結するのかなって僕は思いましたね。
多分その現実を受け入れるっていうところから、それでも会社を辞めた方がいいになるかもしれないし、
実は結構いい会社だったなってなるかもしれないじゃないですか。
もしくは転職するかもしれない。それは分かんないです。
何がいいかも分かんないし、その方がどうされるかも全く想像もつかないんですけれども、
でも多分この現実に対する抵抗感、何かしらの決めつけ、こういったものに自分で気づくところから、
多分何かね、転がっていくとは思いますね。
ていうかな、20代の自分にっていう話になったら。
だからそうなるとちょっとタイムパラドックス的になって、僕が20代の自分にそういうこと言いました。
そしたら多分僕がそうなんだってなって、じゃあ会社続けようってなるかもしれないじゃないですか。
そしたら会社を辞めたりとか、今佐々木さんとこうやって話すみたいなことはできなくなるわけですよね。
確かにですよ。
SF小説的なイメージを聞いてほしいんですけど。
じゃあそうなったらどうなんですかと、残念じゃないですかっていう気が来るじゃないですか。
気がしてくるから何か過去のアドバイス、過去の自分に戻って、
現状を予想しないという決断をした方がいいっていう話になってきちゃうんですけど。
やっぱりこうやって、じゃあ今手にしているものをことごとく失います。
佐々木さんとも会えません。仕事一緒にできません。
これいいんですか、残念じゃないんですかって言われたら、全然残念じゃないんですよ。
何でもいいんです、それは。
ここがね、やっぱり今ここにいる自分として受け入れられない、受け入れる現実だと思いますね。
なぜかというと、報道によって存在の価値が変わることはないから。
なるほど。
過去の決断と現状の疑問
やっぱそこを叶うかな。
なるほどですね。
ということで、今回はですね、3waysリスナーの方からの質疑応答会ということになりました。
ありがとうございます。こんな感じでスポットファイの方でコメントできるらしいんで、
感想とか質問とか取り上げてほしいテーマとかいただければ幸いでございます。
今回は本当に本質的な質問だったんで、素晴らしかったと思います。
いろいろ話しましたからでも、全然的外れって意味じゃないですよ。
ものすごくいい質問だったんで、取り上げさせていただきましたしね。
非常にこうやって盛り上がってよかったと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。
3waysなんでですね、ポイントを3つにまとめていきたいと思います。
ポイントが3つあるんですけれども、ポイントの1つ目はですね、
まずはね、ちょっと自分が考えている過去、もしくは自分が考えている現状、
これちょっと疑ってみるといいと思いますね。
25歳の頃に会社を辞めようという一大決心をして今があるんだっていうね、
過去あの時決断した自分っていうか、こういうのでちょっと疑ってみるといいと思いますね。
本当にそういう人が存在しました。
また現状っていうのもですね、疑う価値十分にあると思いますね。
現状を良しとしないと、その現状ってつまり何のこと言ってますっていう、
現状っていうのが多分何か一言でシンプルに言い表せられるような現状って、
多分本当はないはずなんですよね。
犬のように朝から晩まで働いている自分とか、
こういうね、何か簡単に言い表せる現状って本当は多分なくって、
一つ一つ見ていくと多分ね、わけのわからないものなはずなんです。
現状って存在しないはずなんです。
こんな感じで過去の自分と現状とかっていう言葉が出てきたら、
ちょっとそれをね、中身を疑ってみてください。
一貫した自己と人生の価値
これポイント一つ。ポイントの二つ目。
なぜそういうふうに過去の自分を振り返って、
あの時の自分がいるから今の自分があるとか、現状は良くないよねって思う。
考えるとか、なぜこういうことが起こってしまうかというと、
そこにはですね、一貫した事故があって欲しいっていう、
多分願いがあるはずなんですよ。
一貫した事故っていうものにこだわり始めると、
時間っていうのは直線的に流れ始めます。
過去、現在、未来という感じですね。
一貫した事故っていうものが生まれ、求め始めると、
現実に対して抵抗し始めるというか、
何かしらいびつな決めつけっていうのをし始めます。
なので何かね、アイデンティティ一貫した事故みたいなものを
少しね、手放してみるっていうところが
多分本質的な何か解決につながっていくんじゃないかなと思います。
こういう過去、現在、未来、あの時の結果があるから今の自分があるんだとか、
現状は良くない、今日から明日から人生を変えたい
みたいな思うことが多分あると思うんです。
これっていうのはポイント3つ目なんですけれども、
これっていうのは何かが達成できないと残念だっていう信念に基づいているはずなんですよ。
例えば過去振り返った時の自分がいたからって考えた時は、
会社が独立して自営業を始めて自由に生きる、
こういう人生が手に入らないのは残念だよね。
こういう誤解があるんですよ。
もしくは今ですね、非常にハードに働いていてですね、
良かとか全然ないと思ったふうに生きられてない、
こういう人っていうのもやっぱりですね、
今のままだったら自分の人生は残念なことになってしまうっていう
多分抵抗感、誤解がそこにあるんです。
なので是非考えてほしいんですけれども、
何かをやった、何かを手に入れた、
もしくは何かをやらなかった、何かが手に入らなかったからといって
残念になるようなことで何一つとしてないっていうことなんですよね。
これはもう行動が存在の価値を変えること、
上下させることは絶対にないということ。
何かを手に入れたから人生の価値が上がるっていうこともないです。
でも逆に探ることもない。
なのでですね、こういう何かをやった、もしくは何かを手に入れたことによって
人生が残念になったり交渉になったりすることっていうのはないんだっていうのをですね、
ちょっと念頭に置いておいてもらえるといいんじゃないかなと思います。
これがポイント3つ目でございます。
そんな感じなんですけれども、よろしいでしょうか。
ということで今回ディープな回でしたけれども、
小崎さん、今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
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