00:00
はい、こんにちは。今日はですね、特別時事ネタとかもないんで、なんかね、皆さんにとってためになるお話をね、させていただこうと思うんですけれど
あのね、統制の所在っていう言葉、皆さんご存知ですかね。これはですね、教育心理学の言葉なんですけど、今日は統制のね、所在についてね、詳しく解説させていただこうと思うんですけど
まあ、統制の所在っていうのは、行動や評価の原因をどこに求めるかっていう認知の傾向の話なんですね。
まあ、なんか難しいなって思うかもわかんないんですけど、まあ、要は簡単でして、自責思考とか多責思考っていう言葉、聞いたことあると思うんですよね。
例えば、自分の置かれている状況とか、勉強とか仕事とかね、成果が出なかった時に、自分のせいにするか他人のせいにするかっていうそのこと、まあそれについての話なんですけど
まあ、多責思考の傾向の人もいれば、自責思考の傾向の人もいますよと、それぞれどういう違いがあるかっていうお話をさせていただこうと思うんですけどね
例えば、仕事にせよ、勉強にせよ、恋愛にせよね、いろんなことでね、成果が出ることもあればね、成果が出ないこともあるわけです。
成果が出なかった時、うまくいかなかった時に、自分のせいにして自分を責める人もいます。
ただ、自分を責めないで他人のせいにしたりとか、あるいは環境のせいにしたりして自分を責めないっていう人もいるわけです。
これもちろん、ゼロ百で決まるわけじゃないんです。もう100%自責思考、100%多責思考とかじゃなくて、まあ人それぞれ傾向があるわけです。
ある程度自分を責めるけど、もう大部分は他人や環境を責めるとか、ある程度自分、ほとんど自分を責める人、で他人や環境はもうほとんど責めない人とかね、まあそういう傾向がありますよと、まあゼロ百の話ではないです。
あとは自分の置かれている環境、例えば世の中には俗に言う成功している人、お金持ちで、すごい幸せで、かわいい彼女がいて、いい生活してて、高学歴でっていう人もいれば、その逆の人もいるわけです。
で、その逆の人、どっちかっていうと、なんで俺はこんな生活なんだっていう人たち、それを自分のせい、自分を責めるか、あるいは他人や環境のせいにするか、まあそれほんと人それぞれで、例えば多責思考の人、自分が置かれている環境があんまり良くない人なんかは、それを親のせいにしたりとか、
学校の先生のせいにしたりとか、あるいは会社で働いている人は上司のせいにしたりとか、会社のせいにしたりとか、あるいは政府のせいにしたりとか、岸田首相のせいにしたりとか、日本のせいにしたりとかね、日本なんかに生まれてきたからこんなんなんだとかね、日本最悪、日本終わってるとかね、何でもかんでも多責思考で、他人や環境のせいにして、自分を責めないっていう人いるわけです。
03:23
で、これもちろん、多責思考が悪いですよって言ってるわけじゃなくて、本当に他人や環境が悪い場合は、それを責めるのも別に悪くはないと思うんだけど、問題なのは本当は自分が悪いのに、あるいは自分も悪いのに、自分をほとんど責めず、あるいは一切責めず、他人や環境ばっかり責める人、まあこういう人たちが問題っていうわけなんですけれど、
じゃあ、多責思考、自責思考、どっちがいいかって言うとですね、まあこれもゼロ百じゃないんですけど、結局、程よいバランスが大事なんです。
正しく状況を分析して、本当に他人とか環境のせいっていうことだってね、当然あるわけです。自分では何ともできないことってあるわけです。それはもうどうしようもないですよって割り切るのが大事で、で、自分にも問題があるっていうことは多くの場合あると思います。
なので、自分に問題があるんだったら、やっぱり自分を責めるべきなんです。そして、自分に問題があるんだったら、それを変えることができるんだったら、変える努力をすべきなんですよと。
なので、バランスが大事なんですけど、程よい自責思考っていうのは大事なんですよっていうことをですね、今回お話しさせていただくんですけど、多責思考、自責思考、人によって比率が違うわけですよね。
だけど、どっちかっていうと人間っていうのは多責思考気味の人が多いんです。それは長い人類の歴史においてね、結局多責思考っていうのは自分勝手なんですよ。自分のことを棚にあげて他人ばっかり責める人、そういう自分勝手の人の方が食べ物とかですね、いろいろ得ることができる、他人のを奪ってね、生き残ることができるので、
どっちかっていうと多責思考気味の人の方が長い歴史の中で人類は遺伝子を残すことができちゃうんで、なので世の中の人はどっちかっていうと多責思考気味の人が多いんです。そういう傾向があります。
世の中にいろんな世界があるわけです。いろんな業界があるわけですね。学校の中とか部活動の中とかスポーツ業界とか会社の中とかね、いろんな世界、いろんな社会の中でね、下に行けば行くほど多責思考の人の比率が増えるんですよ。
06:02
逆に上に行けば行くほど自責思考の傾向が多くなるんですよ。要するにある組織の中でも成功してる人とかいい結果を出してる人っていうのは自責思考の傾向が強くなります。
結果が出せない人、下の方の人は会社でも仕事でも勉強でもスポーツでも多責思考の人が多いわけです。だけど自責思考過ぎるのも問題なわけですよ。何でもかんでも自分のせいにしてしまったらやっぱり落ち込んじゃうわけですよね。
本当は正しく分析するとね、どうしようもできないこととか本当に運が悪かったとか環境が本当に悪かったっていう場合あるんです。自分ではどうしようもできないこともあるんだけど、それも全部自分のせいにしてしまったらですね、さすがに落ち込んじゃいます。
うつ状態になったりうつ病になって、かえってパフォーマンスが落ちることもありますんで、やっぱり最初に話した通りバランスが大事で、何でもかんでも自責思考になればいいっていう話ではないんですけど、世の中の人は多責思考気味の人が多いんで、自責思考気味にした方が世の中のことは何でもうまくいくし、成功したり上の方にいけるっていうことはありますよっていうことです。
結局ね、自分のことを頭にあげてね、他人や環境を責める人が世の中ですごく多いっていうことなんですよ。
なので、例えば自分自身を変えたいとか、もっと成長したいって思ってる人、そういう人でね、多責思考気味の人なんかは自責思考にシフトした方がうまくいくっていうことになります。
多責思考っていう自分の考え方をやめて、なるべく自分の悪いところはちゃんと自分を責めて、改善できるところは改善すると、そうすると成長して今までうまくいかなかったことがうまくいくようになるわけですよね。
物事がうまくいかない場合ってよくあるんですけど、結局多責思考の人って自分自身を反省しないんですよね。
自分にも問題があるのに、全部環境が悪い、他人が悪いってことにすると、それでその人終了なんですよ。そこから改善するっていうことがないです。
多責思考ってね、生き方としては楽なんですよね。自分を責めないで何でも人のせいにするとか環境のせいにすると、自分自身がそこから努力しなくていいから楽なんですけれど、
だけど本当に自分が悪いんだったら自責して改善して成長していくと、そうするとうまくいくと。多少努力しないといけないから大変だけど、
上に行きたいとか優秀になりたいとか、自分を変えたいんだったら自責思考にシフトしていったほうがいいっていうことでございます。
この考え方っていろんなことに応用できるんですけれど、例えば会社とか組織のリーダー、上司、部長さんとか、あるいは看護師さんでもお医者さんでも部長とか、
09:12
主任とか中間管理職の人とか、あるいは経営者の人とか役員の人とか、上に立っている人って、やっぱり下の人たちをですね、部下をうまくまとめる必要があるわけです。
その場合に部下をある程度見極める必要があるわけです。そういう時なんかに統制の所在っていうこの概念がすごく重要になるんですね。
例えば松下幸之助さんって言いますよね。松下幸之助さんが社員を面接する時にいつも聞いてたのが、君は運がいいのかってことを聞いてたんですよ。
で、はいって言う人、私は運がいいですっていう人を積極的に取るようにしてたんですね。
いや、いいえ、私は運が悪いですっていう人は取らないっていう傾向があって、結局運がいいのかって聞かれてね、はい私は運がいいですっていう人は自責志向の傾向が強いんですね。
自分に厳しいわけです。例えば今自分がすごく恵まれてた、すごくいい環境にあるとか、仕事もうまくいってて学歴も高くて、いろんなことで結果が出せてますよと。
それを君運がいいですか、はい私は運がいいですと。あるいは自分は環境があんまり良くないと、結果が出てないと。
例えば学歴もあんまり良くなかったりとか、仕事でも結果出せてなくてっていう人、君運がいいですかって言って、いいえっていう人、やっぱりそれはですね、何でもかんでも他人とか環境のせいにしてるっていう傾向があるわけです。
なので基本的に質のいい部下、優秀な部下を集めて生産性を上げて結果を出したいんだったら、自責志向の人を選んだ方がいいです。
そういう感じで松下幸之助さんはこの君は運がいいのかっていう質問をしてね、積極的に自責志向でガッツがあって優秀な人、頑張り屋さんの人を選んでたっていうのがあります。
多責志向の人間ってどっちかっていうと文句ばっかり言って働かない人が多いんですよ、どっちかっていうとね。
なので優秀な人間を揃えたかったらやっぱり自責志向の人を積極的に選んだ方がいいんですけど、
これもケースバイケースで、例えばスタートアップ企業とかであえて優秀でノウハウだけ身につけて独立しちゃうような人、そういう人を取りたくないっていう人はある程度多責志向の人を選ぶっていうのもありだと思います。
っていうのは適度に多責志向の人ってなんだかんだ会社の文句言ってね、ぶつぶつ文句言いながら結局ずっといるっていうことが多いんですよ。
12:06
こんな会社辞めてやるとか言う人もいるかもわかんないんだけど、なんだかんだ言ってずっといるっていう人もいます。
でもあんまりにもひどい人は、多責志向がひどすぎる人は、自分が会社の中で活躍できないのは会社が悪い、上司が悪い、こんな会社辞めてやるって辞めて、
新しい会社に就職してそこでも多責志向でぶつぶつ文句言って、こんな会社最悪だ辞めてやるって職を転々とする超多責志向の人っていうのもいるんだけど、
適度な多責志向の人っていうのはどっちかっていうとあんまり向上心がなかったりするわけですよ。
結局自分を責めないんで成長しないから、だから独立してほしくなくてそこそこの仕事をしてくれてずっと長くいてほしいっていう
昔ながらの年効助力型の会社を目指すんだったらあえてあんまり自責志向の人を取らないでやや多責志向気味の人を取るっていうのもありますんで、こういうことがいろんなことで応用できるわけですね。
多責志向、自責志向っていうのはある程度は生まれつき決まってるっていうのもあります。
だけど自分変わりたいっていう意思がある人、あるいは子供の頃とか若い時、特に10代20代ぐらいだったら多責志向でダメな人でもある程度自責志向に変わるってことはできると思います。
特に自分は多責志向だなってそういう傾向があるなっていう自覚があってもっと優秀になりたい、もっと頑張りたいっていう意思がある人は多責志向から自責志向の方に変わってもっと成長できる余地はあると思うんですけど、
やっぱり30を超えてくると多責志向の人を自責志向に変えるとかできないですね。もう頭の中で凝り固まっちゃってるし、やっぱり生まれつきそういう素因がある人って多いんですよ。
半分ぐらいは生まれつき決まると思うんですよ。人間の性格にせよ多責か自責かっていうのは。
なので結局人間って遺伝子レベルによってある程度生まれつき能力って決まってるわけですね。
例えば努力遺伝子っていうのがあって、努力できるか努力できないかっていうのもある程度遺伝子で決まってるってことがわかってるし、
あるいは知能指数なんかも大部分が7割とか8割ぐらいが遺伝によるものだっていう風に言われてますし、
あと体力とか忍耐力とか、あるいは様々な才能、計算が得意とか文章を読む能力とかトーク力とか読解力とか記憶力とかですね、
そういう能力もある程度遺伝子レベルで生まれつき決まってしまってるわけなので、やっぱり多責志向、自責志向っていうのもある程度生まれつき決まってるわけですね。
なので、生まれつきいろんな能力が備わってる人なんかはやっぱり努力ができるわけだし、努力するとそれなりに成果が出るわけですよね。
15:05
必然的に自責志向になっていくわけですよ。そもそも自分努力する意思があるし、変わりたい、優秀になりたい、しかも才能があるわけで、意欲もあるわけだから。
どっちかというと、生まれつきそういう能力がない人なんかは、結局才能とか能力もなくて、全くない人っていうのはいないんですけど、努力することもできない、努力遺伝子がない場合なんかは、結局成長しないわけですよね。
となるとやっぱり自責志向で頑張る人にどんどん負けてしまうわけなんですけど、だけど自分は能力もなくてダメな人間なんだって自責志向でそれを認めてしまうとやっぱり精神的につらいっていうのはあると思うんですよ。
すごい惨めになっちゃうんで、だからそういう人は多責志向になると思うんですよね。
だから多責志向だったら自分は悪くないんだって、自分が結果が出ない、今こういう状況なのは親が悪いんだって、会社が悪いんだって、先生が悪いんだって、学校が悪いんだって、政治家が悪いんだって、岸田が悪いんだって、日本が悪いんだとかね。
何でも人のせいにしたり環境のせいにすれば惨めにならないんで、精神的にも辛くならないんで、やっぱり多責志向って生まれつき能力がない人の防御反応っていうのもあると思うんですよね。
だから多責志向の人みんながみんな悪意があってやってるわけじゃなくて、別に悪くない、かわいそうなところはあるわけですよね。
というお話でした。
こういう統制の所在、多責志向、自責志向っていうものが人間にはありますよと。
これを頭の中に入れて多責志向の人はこうやって働いてもらう、自責志向の人はこうやって働いてもらうっていう割り振りに使ったりとか、あと自分自身を向上させるのにこういうことを頭の中に入れておくと、世の中でいろいろ役に立ちますよっていうお話でした。
ご視聴ありがとうございました。