2024-12-25 26:29

EP.447 今の日本の教育の問題点について私の意見を話します【子供を叱れない大人】

元動画:
https://www.youtube.com/watch?v=LY1H4Hizfgw

サマリー

日本の教育の問題点として、子供を叱れない大人が増えていることが挙げられています。教育には褒めることと叱ることのバランスが重要であり、現在の誤った文化が子供の成長に悪影響を与えているとされています。今の日本の教育において、子供を叱らない大人の存在が問題視されています。また、甘やかされた子供が増えた結果、多くの不登校や社会に適応できない子供たちが生まれていることが深刻な状況となっています。日本の教育制度には課題があり、特に幼少期の教育や叱り方についての見解を共有し、学校に行けない子供たちへの支援が必要とされています。

教育の問題点と大人の役割
はい、こんにちは。今回なんですけれども、タイトルにもある通り、日本の教育の問題点というテーマで私の意見をお話しさせていただこうと思うんですけど
日本の教育ってね、いろいろ問題点あると思うんですよ。素晴らしい教育制度だと思いますよ。
小学校、中学校という義務教育の中にたくさんのプログラムが詰め込まれていて、道徳にせよ、あと最近、体育という言葉はあまり使ってはいけない空気になったんですけど、そういう教育もあるし
国語、算数、理科、社会、英語教育に関しては難しいところがあるんですけど、日本人が英語を習得するのは極めてハードルが高いんですよね。ドイツ人とかイタリア人が学ぶのに比べれば、文法とかアルファベットとかそういう問題でいろいろあるんですけど、日本の教育って結構優秀だと思うんですよね。
だけど、間違っている教育方針とかがあって問題点もありますよっていう話なんですけれど、いろいろ問題点あるんですけど、やっぱり一番の問題点は、今は子供をちゃんと叱れない大人が増えている。これが一番の問題点だと思います。
で、僕と同じ意見の人はね、実際世の中たくさんいますね。教育学者、テレビのコメンテーターとして出てる教育の専門家とかとお話しする機会があっても、僕と意見が合う人が多いです。実際ね、テレビに出てると比例言しか言わないんだけど、実際のところっていう話でこういう話をするわけなので、
教育学者とか教育のことを語る人って表向きに喋っていることと実際に頭の中で考えていることは全然違うんですよ。実際に頭で考えていることをテレビで話しちゃうと、ものすごいバッシング批判を受けてしまうから、表向きには比例言しか話さないっていう人が実際多いです。みんなはみんなそうじゃないんだけど、結構そうなんですよね。
なんで子供をちゃんと叱れない大人が増えているかというと、それはですね、褒めて育てるっていう概念が日本で間違って浸透しているっていうことだと思いますね。ここ10年、20年ぐらい特に日本で褒めて育てるのは素晴らしいと。もちろん子供を褒める、大人も褒める。
社会人でも仕事がよくできた部官に対して褒めるとかね。褒めるってことは素晴らしいことなんですよ。いいことをして褒められれば自己肯定感が高まって、もっとこれいいことをやろうって考えてくれるから。褒めることは大事なんだけれど、日本の褒めて育てるっていうのはひたすら褒めればいいって考えている人が多いんですよ。これは間違いで、欧米でも褒めて育てるっていうのは素晴らしいって言われてるんだけど、
本当の意味では、正しいことをしたら褒める。いいことをしたら褒めると。悪いことをした場合、間違ったことをしたときはちゃんと叱ると。そういう場合の褒めて育てるっていうことなんですよ。日本人は間違って解釈しちゃって、ひたすら褒めればいいと思ってるんですよ。本来だったらいいことをしたら褒めて、そこを伸ばしてあげると。
悪いことをしたら、例えば友達をいじめるとか、弱いものをいじめるとか、弟とか妹をいじめるとか、生き物を殺すとか、1円玉をハサミで切り刻むとか、これ絶対やってはいけないことをした場合はちゃんと親とか先生とかは叱らないといけないんですよね。これはやってはいけないことだぞって教えてあげないといけない。
それが教育であって、教育っていうのは子供を正しい方向に導いてあげる。それが大人の役目なんだけど、これがちゃんとできていない大人が多いです。今多いです。増えている。それは褒めて育てるっていうのを間違って解釈してて、結果的に子供を叱れなくなっちゃう。
教育の必要性と現状
子供のご機嫌をうかがって叱れない。褒めてばっかり。そういう空気になると、叱るのがよくないみたいな空気になって、それは大罰とか、ひたすら最初から怒鳴って怒るとか、それはよくないですよ。まず段階っていうものがあるわけであって、まず論理的に説明してあげるわけですよ、優しく。それで正しい方向に導いてあげてわかってくれたら、もうそれでいいんですよ。
そもそも本当に賢くていい子っていうのは、間違ったことをするってこと自体が少ないんで、何でも最初から叱らなくていい子ってはいないんだけど、たくさん叱られないといけないことを、あんまり叱られなくていい子がいるのは、これは確かなんです。
たくさん叱らないといけない子っていうのはいるんですよね。それは間違ったことばっかりやっちゃう子っているんですよね。生き物殺したりとか、カンニングしたりとかね。それはちゃんとそもそも叱ってあげないといけないんですよ。
だけどなんか叱るのが良くないみたいな風潮になっちゃったから、叱る大人が悪いみたいな感じになっちゃう。それは親も、学校の先生も。例えば学校の先生が悪いことをする子供がいてね、それはちゃんと叱ったと、正しい方向に導いたと。でも何回優しく論理的に説明してもわからない場合は、ちょっと強めに言うわけですよ。
これはいかんだろうってね。そうすると子供がね、先生に怒鳴られた、トラウマになったって言って。そうすると親が学校に乗り込んできて、なんてことをしてくれるんだ、子供が傷ついたじゃないか。
いきなり大罰とかはいけないんですけど、どんだけ論理的に説明してもわからない子に強めに強い口調で話しただけでトラウマで、親が乗り込んできて、教師が悪いっていう形になっちゃったりとかするから、学校の先生も子供を叱らなくなっちゃったんですよ。
僕、学校の先生の知り合いいっぱいいるんですけど、中学時代とか高校時代の先生と久々に会って話したりとかするんだけど、もう今はね、子供叱れないよって叱ったらとんでもないことになるからってものすごい嘆いてて、だから学級崩壊とかしちゃったりとかする問題だって。
だけどもこれはもうしょうがないよとかね、みんな嘆いてるっていうのはあるわけであって。
で、親も子供を叱らないと。もう親なのに子供のご機嫌を伺って叱らない。でもそういう子供がですね、叱られないまま大人になって社会人になって会社に就職して、仕事でミスしたりとか、ちゃんと仕事しないでサボったりとかすればやっぱり上司に怒られるわけであって。
突然今まで叱られたことがない人が大人になって叱られるとものすごいメンタルを病んでしまったり、プライドが傷ついてしまったりとかやっていけなくなっちゃうっていうことがあるわけなんですよね。
そういうことなんですけど、本来は正しいことをやったら褒める。悪いことをしたらちゃんと叱って正しい方向に導いていくと。そういうことなんですよね。
ということなんですけれど、日本だと間違って伝わってて、例えば勉強しないとか宿題やらないとかサボるとか。本来ならちゃんと頑張ればやれるのにやっぱり子供って楽な方楽な方に流れちゃうんですよ。放置しておくと。
本当に優秀な子はほかといっても自分で頑張りますよ。勉強も運動も宿題もちゃんとやるんだけど。大部分の子っていうのは放置しておくと楽な方向に逃げちゃうんですよ。
だって勉強って子供にとっては嫌じゃないですか。僕だって嫌だったんですよ。無理やりやらされましたよ。
嫌だったけど無理やりやらされたから今になって無理やりやらされてよかったって思うんですよ。
僕がこう話すと多分コメント欄で子供の自主性に任せるべきだって。無理やりやらせるなんてとんでもない。子供がやりたくないんだったらやらせないのも大事だって。それもありますよ。
本当にできない子っていうのもかわいそうなんだけどいるんです。学習障害とかで本当に計算とかできなくてできない。頑張ろうとしてもできない。
意欲も湧かないっていう先天的な精神疾患を抱えている子っていうのもごく一部いるんで、そういう子は本当に無理やりやらせたら精神が病んでしまうんで大事にしないといけないんだけれど、
ちゃんとやればできるのに実践に任せたらやらないんですよ大部分の子っていうのは。だからある程度はちゃんとやらせないといけないわけですよね。
そのための義務教育なわけなんですよ。なので子供って短期スパンでしか考えないんですよ。
短期スパンっていうのは勉強つらいな。やりたくねえな。だからやらねえ。スマホでゲーム楽しいな。こっちのほうが脳内でドーパミンが出て快楽を感じるか。
じゃあこっちやろうっていうふうに今は楽しいことをやるっていう傾向になっちゃうんですけど、だけど大人っていうのはいろんな経験を積んで長期スパンで見ることができるんですよね。
今はスマホやると楽しいんだけどずっとスマホばっかりやってるとそっちに依存しちゃって、もうあれも依存物質ですから。スマホとかゲームとかSNSっていうのはアヘンと一緒ですからね。
子供にアヘン与えてるようなものであって、子供ほどそういうものに依存しやすいんで、そういうのはあんまりやりすぎて取り上げないとダメなんですよね。
ちゃんと将来のことを考えて勉強させないといけない。義務教育の間の勉強って国語、算数、理科、社会、どれも社会に出てものすごく役に立つことですから、一部間違った歴史観とか植え付けるとかありますけれど、それでも多くのことは勉強になります。
国語、算数とかね。数学もね。本当は勉強がすごいためになるんですよ。今になって僕すごい身に染みてますんで、長期スパンで見れば短期的な快楽よりもある程度今やりたくないっていうことをやらないといけない。
でもやりたくないことでもやってるうちに楽しくなったりするわけですよね。得意苦手誰でもあるんだけどね。得意なことをやってたほうが楽しいわけで苦手なことをやらせるのも辛いかもわかんないんだけど、ある程度はやらせないと社会に出て本当にダメな大人になってしまう。それが本来の教育っていうものなんですよ。
これはね、賢い親はみんなわかってて、賢い親は自分の子供に対してちゃんとやってるんですよ。悪いことしたら叱ってる。ダメな親っていうのが一定数いて、ダメな親は本当に子供を叱ることができなくて、本当に先天的な精神疾患とか持っててね、病気で叱ることもできなくて、やるけど好きなことさせてあげないといけないとかね、そういう方も一定数いるんですけど、
ちゃんとやらせればできるのに、やらせなくてひたすら甘やかしてっていう、僕はダメな親だと思うんですよね。
親の教育の重要性
例えば、富裕層の人たち。僕、富裕層の人たちとも接することがあるんだけど、富裕層の同世代の人たちの子供っていうのもいるんですけれど、悪いダメな親は、富裕層の親は子供叱れないと。お金バンバン上げるんですよね。
そうすると簡単にお金が手に入る。そのお金で遊びまくって、勉強もしないダラダラ生活して、大人になっても親からもらったお金で贅沢三昧して、ろくな大人になってないとかあるんですよ。
だけど本当に立派な親は、どんだけ親がお金持っててもお金与えないんですよ。お金っていうのは自分で稼いで身につけるもの。簡単に手に入るものじゃないんだってことを教えて、あえて質素な暮らしをさせて、勉強とかスポーツとか運動とかもさせて、立派な大人になるように成長させて、やっぱり立派に育ってるんですよね。
その段階10年20年見てても、やっぱりダメな親とちゃんとした親っていうのがいるんですよ。ちゃんとした親はちゃんと教育してて甘やかさないし、悪いことしたら叱るっていうのをやってますね。
という感じなんですよね。という感じでね、子供って放置しておくとね、やっぱり楽な方を楽な方に逃げます。短期スパンでね、物を見てしまうからね。
なので、今の世の中って悪いことしても親がちゃんと叱らないっていう風潮がね、結構広まってるんで、ちゃんとした大人に恵まれればいいんだけど、ちゃんとした大人が周りにいないとですね、ダメな子はますますダメになっちゃうんですよ。
もともと優れてる子はいいと思うんですよ。もともと優れてる子っていうのは、自分から勉強するし、自分から長期スパンで考えてやらないといけないことを分かっててやるから、そういう子は叱ってくれる大人があんまりいなくても結構やれるし、むしろ昔と比べると理不尽なことで怒る、叱る大人もいないわけですよね。叱る大人自体がいないから。
あと大罰とかいきなり怒鳴ったりとかする大人っていうのもほとんどいないから、もとが優れてる子は、むしろ今の時代は有利です。理不尽なこととか非合理的なことを昔ほどさせられないから。
だけどダメな子はね、今の世の中ますますダメになっちゃうっていうのもあるかなって思うんですよね。
昔だったら叱ってくれる大人がいたんだけど、今だと叱ってくれなくて甘よかされて、ダメな方ダメな方。何度も言いますけど、本当に精神疾患、先天的なものを持ってて、親とか先生が頑張れ頑張れって無理やりやらせてもできないって子がいて、そういう子はもう本当に不登校になってもしょうがないんですよね。
ちゃんとみんなで保護してっていうことをやらないといけないし、そういう社会に適応できないっていう人もいるんで、そういう人はまたフリースクールとかでそっちの方で伸ばしていって、社会に適応できるようにって、それはあるんですよ。
だから僕は全ての不登校を否定してるわけじゃなくて、ちゃんと親が導いてあげたり、無理やり行かせれば不登校にならなくて済んだのに不登校にしちゃってるっていう子がいるのが問題であって、本当に不登校になってしょうがない子は守らないといけないわけであって、
前回の動画でも、親が怠慢だから不登校になるなんて結びつけるな、けしからんみたいなコメントもあったんだけど、僕は本当に不登校にならざるを得ない子は守ってあげないといけないっていうのは自覚してるんですけど、
でも昔と比べてもものすごい数不登校が増えてるわけであって、じゃあなんで増えてるのっていうのをちゃんと説明できてる人がコメント欄見てもほとんどいないんですよね。
不登校は昔からいたんだけど、今はものすごい増えてるんですよね。比率的にも増えてる。クラスの数%が不登校だったりするわけであって、じゃあなんで増えてるのかっていうのを説明することができなくて、
昔からどうしても不登校にならざるを得ない子っていうのはいたんだけど、昔は不登校は良くないっていう風潮があったから、学校行きたくねえなって短期的なスパンで考えてても無理やり活かされてて、行ってるうちに楽しくて、後々になって、やっぱり学校行ってよかったなって。
もし甘やかされてたら俺不登校になってたなってあるんですよね。僕だってそうで、学校行きたくないっていう時期があったんだけど、もし親が甘やかすって言うと良くないかもわかんないんだけど、不登校でもいいんだよってもし言われてたら、ずっと不登校になって本当にダメな大人になってたと思うんですよね。
全ての親が最初から学校行かなくていいんだよって言ってるわけではないってこともわかってますんで、ただじゃあなんで今の世の中は不登校が多いのかっていうのを論理的に説明していただきたいっていうのはありますね。
一部分だけ切り取って批判ばっかりじゃなくて、なんで不登校が多いのかっていうのをコメント欄で批判プラス論理的に説明していただきたいっていうのはあるんですけどね。
不登校がものすごい数増えてるっていうのは確かなわけであって、その根底にはこういう教育の問題っていうのも含まれていると、それ以外には医学的な問題っていうのがあるんです。
叱ることの必要性
ただこれは話すと100%大炎上するんで、しゃべれないんです、医学的な問題は。
医学的に、今医学が進歩して、あと社会の情勢も進歩して、生死と乱死の話からしてしまいますと、遺伝子レベルの話をすると、あと授乳っていう話もすると、これ100%炎上するんで、
僕がここについて、このことに関して、現代の世の中でなぜ発達障害が増えたり、社会に適合できない子どもが大人が増えてるかっていうのを説明するの、もう1時間でも2時間でも語れるんですけど、
これを、この医学的な現実を話すと100%炎上するので、これ一部のお医者さんとかでの学者の方でも頭の中には入ってるんだけど、絶対に口に出せないっていうことがあるんで、
だから今回もそれは口に出しません。ということで話を戻すんですけれど、
甘やかしちゃってるんですよね、叱らないでね、それなので子どもが勝手に自分は偉いって勘違いしちゃって、悪いこともしても叱られないから、
そうすると自分は親より偉いって勘違いして、そのままずっと家に引きこもってゲームやって、大人になっても引きこもりを続けるっていうことがある。
もちろんみんながみんなそうじゃないんですけどね。なので本来はちっちゃいうちから大人に叱られて、叱られることに対する免疫をつけないといけないんですよね。
叱られないでそのまま大人になっちゃうと、叱られる免疫がなくて悪いことはするし、なおかつプライドばっかり高くなって、なおかつメンタルが弱くなっちゃう。
社会に出てたまたまね、初めて上司に叱られたりすると、ものすごいメンタルを病んじゃって、そんなに傷ついちゃうの?プライドだけ高くて。
かといってすごい仕事ができるわけじゃないのにプライドだけ高くて、叱られるとすぐメンタル病んじゃうとかね。そういう人も一部いるので、むしろかわいそうだと思うんですよね。
もちろん今の若い人でも優秀な人はめちゃくちゃ優秀なんですよ。それは理不尽なことで怒られないし、理不尽なことも支えられないで。
なおかつ勉強しやすい環境ですよ。インターネット、スマホ、YouTube、SNSでもちゃんと有益に使えばですね、ものすごい能力を高めることができるんですよ。
正しい使い方をすれば、YouTubeだってね、有識者の方がわかりやすく説明するチャンネルとかいっぱいあるから、教養系のチャンネルとかいっぱいあるから。
だけどそういうのを活用しないで、くだらないTikTokの変なやつとか、変な他人の悪口ばっかりとか、いい加減なことを喋ったりとかね、そんなのばっかり見てたらね、頭悪くなりますよ。
賢くなる機会を失ってね、子供の時の脳が柔らかくて柔軟でたくさんのことを吸収できる時にですね、勉強しないでくだらないことばっかりやってたらね、かわいそうなんで、やっぱりそういうことをしている子供はちゃんと親が叱って正しい方法に導いてあげないといけないです。
なので、小さいうちからちゃんと大人が子供に対して悪いことをしたら叱るってことをやり続けないといけないです。
で、小さいうちから叱られていると免疫がついて、叱られることに対してもいちいちね、プライドが傷ついたりとかメンタル病んだりとかしないんですよ。
だって本当に悪いことをすれば正されるのって当たり前なんですよね。
かといって大人がガンガン叱ればいいって言ってるわけじゃなくて、叱る大人も賢い人が叱らないといけないわけであって、感情的になっていきなり叱るとか、段階踏まないでいきなり唸るとか、対罰も基本的に良くないんですよ。
対罰に関しても学者さんとかみんな対罰良くないって言うんですけど、結構話聞いてると、個人的に話聞くと、自分はテレビでは対罰は絶対反対だって言ってるんだけど、
でもね、世の中には殴らないとわかんないやついるんだよね。でもそういうこと言う世の中じゃないからって言う人もいるんですよ。
だけど僕は対罰は反対派であって、対罰を容認してしまうと、親とか教師が対罰をしていいっていう権力を得ることができて、それを乱用するっていうことが恐ろしくて、そっちの方のデメリットが大きいから僕は対罰反対派なわけでございます。
ということであって、段階っていうのがあって、最初子供が悪いことをしたら優しく論理的に説明するわけですよね。
で、賢い子はそれで一発で治るんですよ。あ、悪いんだって。やってはいけないんだと。
でも、賢くなかったりとか、やっぱり快楽を得るために間違ったことを続けちゃうってことあるんですよね。
例えば、弱いものをいじめをする子がいて、弱いものいじめはダメだよ、悲しんでるからねって優しくしないといけないんだよって言っても、
だけどいじめることに対して脳内でドパミンが出て楽しいわけだったので、子供もそういうのに依存しやすいんで、
そういえば次はきつめに言わないといけないんだよ、いじめちゃダメだろ、ってね。
それでもやめないんだったらもっときつめにコラーって言わないといけないわけであって、
やっぱりコラーって怖い顔で言われると、言われた側は恐怖を感じて不快を感じるんですよね。
それが言葉悪いんですけどトラウマになるんですよ。
教育における叱り方の重要性
そういう恐怖の体験っていうのは脳の変動体っていうところが活動して、記憶を司る会話に深く記憶されるんです。
だからきつく怒られるとやってはいけないんだっていうことを深く記憶に刻まれてやらなくなるんですよね。
動物なんかを調教するときなんかまさにそうで恐怖を一緒に与えるんだけど、
だけど恐怖を与えるのは良くないっていう風潮なのであんまりこういうのも言えないんだけど、現実的にはそうであって、
究極の恐怖っていうのが大罰、あるいは部屋に閉じ込めるとか、暗い部屋に閉じ込めるとか、そういうことはしてはいけませんよと、
それを親とか教師に許可してしまうとそれを乱用して間違った扱い方をするから、
親とか教師も自分より力の弱い子供を大罰したりすれば人によっては脳内で快楽物質が出てそれに依存しちゃう悪い大人もいるんで、
だからそういう一定ライン以上の怒りを叱るっていうのはやっぱり線引きしてやってはいけないっていうのは作らないといけないんで、
なので僕は大罰は反対派です、という感じですね。
なのでそういう感じできつめに怒られると脳内の中にちゃんと記憶されてやらなくなって、
そうするとやらなくなるんですよ。
優しくしなさいって言われて優しくすると、優しくしていくうちに人に優しくすることでも自分には変法があって気持ちよくなるんだってことを学んで、
本当に優しくなるっていうこともあるんでね、そういう教育も大事なわけであって、
人間って不思議なもんで心がちょっと醜い人、反社会的な人でも騙されたと思って人に良いことをし続けると、
良い人のフリをするだけでも良い人のフリをして良いことをし続けると、親切をやり続けると本当に親切になっていくんですよ人間っていうのはね。
だから何度論理的に説明してもわからない子はちょっときつめに言うってことも大事なんじゃないかなって思います。
日本の教育と不登校の問題
はい、ということですね、という感じでね、今日本の教育ってちょっと失敗して間違った方向にいってると思います。
幼少期に培われる部分って本当に大きいので悪いことした子供をちゃんと親が論理的に説明して叱ってあげて正しい方向に導いてあげると、
そういう長期的スパンで見てあげないといけません。
もちろん不登校の問題でも本当に学校が合わなくてダメ、どうしようもできない、
それでも学校行き過ぎることによってメンタルが病んでしまって逆にダメになるって人も本当に一定数います。
それは昔からいますんでそういう人はちゃんと保護してあげないといけない、社会保障で守ってあげないといけないんだけど、
今はものすごい勢いで不登校が増えてるには原因にはこういう問題が根底にあるんですよと。
それ以外の問題ももちろんありますので、という私の意見でした。
ご視聴ありがとうございました。
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