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2024-01-26 09:13

EP.205 人は何のために生きる? / 教師の体罰を訴えたい。

今回のテーマ:
人は何のために生きる? / 教師の体罰を訴えたい。

元動画:
https://www.youtube.com/watch?v=NGfjgxXgfHk
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人って何のために生きてるんですか?そんな理由があると思っていることが間違いです。生きる理由ありません。
人自身が生きたいと思う理由は、死ぬのが痛くて苦しそうだから嫌だからです。
なぜ人類という生き物が生存し得るのかというと、僕の今のところの仮説は、地球の熱の保存のためだと思っています。
太陽からずっとエネルギーが与えられ続けていて、そこで植物というのが光合成をして、
タンパク質だったり、二酸化炭素だったりというのをある程度固定化させて地球の中に入れるというので、
与えられたエネルギーというのをずっとそこに保存し続けているんですけど、植物の場合だと日が当たった部分にしかそれがたまらないんですけど、
動物という生き物がいるおかげで、それが割と、例えばマンモスという生き物が氷しかないような山の中に行ったり、
という形で生存範囲を広げていくんですよね。その生存範囲を広げていくというのを、
マンモスみたいな毛が生えてめちゃめちゃ強い生き物というパターンのほかに、頭がいいという形で人間という生き物は南極にも進出したりとか、
北極にも進出したりとか、石油を掘り返して、それで寒い時期でもそれが生活できるようにしたりという形で、
偏在しているエネルギーというのを地球全体に広めるという役割を果たしているという意味で、
地球上がひたすら太陽から与えられたエネルギーを地球全体に偏在させるということによって、
地球の人類という生き物というのがいると思っているんですけど、個々の生き物、人類の人の命というのにそこまで意味があるかというと、
エネルギー分散ぐらいじゃないって話なので、人がなぜ死にたくないかというと、死ぬのが怖いから痛いからぐらいなんじゃないかなと思っています。
現在40代です。
先にジャニーズ問題で未成年への性格愛について問題になっていますが、私が高校生の時に未成年の生徒をボコボコにしまくっている先生が、
講師連の監督として出ていたり、学校の教頭になったりします。
全国でこういうことが多いような気がするんですが、問題ではないのでしょうか?という意味で出ると、
途中のことを思い出して嫌な気分になるんですが、しょうがなくても訴えて裁判に立つことができるのでしょうか?
裁判に立つことはできません。だって事実が証明できない以上、裁判官は判断ができないから。
僕は大罰に関しては、実はある種賛成派なんですよね。
大罰は良くないよねというのは一般的に言われていて、おっしゃる通りですと思うんですよ。
基本的には大罰は良くないよね、殴ったりするのは良くないよねなんですけど、
僕はめちゃくちゃ口が立つ子供だったんですよ。
なので、話し合いで僕のような子供を説得して納得させるのってめちゃくちゃ難しいんですよ。
殴った方が早いんですよ。僕だから子供の頃結構殴られたんですよ。
いろんな先生に。殴られてめちゃくちゃムカついたんですけど、大人になってみたら、
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このタイプは殴るしかないよなっていうのは、僕自分でも思うんですよ。
なので、このタイプの子供は殴った方がむしろ社会、
口が上手いと割と言いくるめられるし、コントロール可能になっちゃうんですよ。
でも世の中には理不尽なことがあって、いくら口が上手かったとしても、
お前一人は生き残れるけど、他はそうじゃねえぞっていうのは、ちゃんと分かるべきだと思うんですよ。
だから言ってることは正しいけど、お前そういうこと言ってると殴られぞっていうのは殴られないと分かんないんですよ。
僕、なぜ強い言葉で他人を罵倒するかっていうと、殴り合いになってもいいと思ってるんですよ。
大人が殴り合いになった場合はめっちゃ金取れるって分かってるし、
殴られ方によっていきなり死ぬっていう殴られ方はしないっていうのも分かってるので、
殴り合いになったとしても全然僕有利に立ち回れますよっていうのが分かった上で、
目の前の他人をディスるんですよ。
ちゃんと殴られるというのが分かってないで口裂けだけでいくと、
後でめちゃくちゃ大人になると困るんですよ。
なので、僕は殴られるリスクもあるし、殴り合いになっても大丈夫っていうのが分かった上で、
他人をディスって人をバカにして嫌な気分を味合わせるっていうのをやってるんですよ。
なので、そこのちゃんと分かった上で他人をディスって気持ちいい気分になるっていう、
嫌な性格を満足させるっていうのがやってるんですけど、
ただ、大人は殴ってきたら強いぞっていうのを僕はちゃんと子供の頃に教えてもらったので、
本当に怒らせちゃいけない相手はやらないんですよ。
例えば、観客がいない状態でナイフを持ってる人に対してディスったりしないんですよ。
刺されて終わるからね。
なので、観客がいて最初の衝撃は避けられて、
その後止めようとした時に自分一人じゃなくて周りを止めてくれるなって分かっていたら、
たぶんナイフ持ってるおっさんもディスるんですけど。
なので、そこの物理的などういう状況で自分が立ち回ってちゃんと生き残れるかというのも、
分かった上でやるっていうところの差なんですよ。
僕はアフリカでもコウロンを何回かやったと思うんですよね。
世界の果てに広域を置いてきたっていう番組がアベマTVにあるんですけど、
現地のアフリカ人とかに言い争いしてるんですけど、
それもいきなり拉致られない状況でしかやってないんですよ。
それもちゃんと理解してやってるっていうところ分かっていただけると。
なので、口喧嘩に強い人というふうに、僕たぶん見られてると思うんですけど、
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口喧嘩の後に起きる出来事があったとしても、そこを何とか対処できるよねというのを分かった上でやってるんですよ。
なので、口喧嘩の後に何か起きた時に、これはまずいなというところでは口喧嘩しないんですよ。
なので、拉致られたりとか、要はテレビのカメラの前で見てる人は安全だと思うんですけど、
言うても周りみんなアフリカ人で、一気に拉致って車乗せてバーンってどっか行ったら、
もう助からんよねっていうところでもあるので、
そういう状況ではないところでしかそういうことは起こさないっていうのをちゃんとやってます。
なので、子どもは殴られた方がいいと僕は薄々思ってるんですけど、
一般的には理解されないと思うので、殴るべきであるというわけでもないんですけど、
殴られないと分からない世界というのもあるし、世の中というのは実は理不尽で、
暴力というのはそこら中にあるので、
なので世の中に暴力というのはあるよねというのをちゃんと理解してもらうっていうのは、
僕は子どものうちにちゃんと分かってもらう方がいいんじゃないかなと思ってて、
トツカヨットスクールの人が、ある程度の暴力っていうのは教育にとって必要だよねって言ってるのは、
僕は結構同意しちゃうんですよ。
まともな子どもであれば暴力がなくてもものは覚えられるんですけど、
暴力がないと覚えられない子どもってやっぱりいるんですよね。
なので、アメリカの学校とかフランスの学校とかやっぱ先生殴んないんですよね。
だから僕みたいな子どもいたらどうするんだろうってすごい思うんですよね。
例えば子どもを家の外に追い出すという罰っていうのがあるんですよ。
僕、幼稚園児の頃とか家の外に追い出されて鍵をかけられるというのがすごく嫌なことだったので、
泣いて親に謝るっていうのを多分やってたんですよ。
小学生になってから家を追い出されて鍵かけられて、外遊びに行ったんですよ。
いいわじゃんって言って、外遊びに行って家で遊んでて、
親がどれどれって様子を見たら誰もいないって状況になって、
それ以来僕は外に追い出されて鍵をかけられるという罰がなくなったんですよ。
罰にならないとダメなんですよ。
なので、怒られるというのが、罰な子どもは口で怒って言えばいいんですけど、
僕、他人がいくら何を言っても、この人はそういうこと言ったらふーんっていうので聞き流せちゃうんですよね。
なので、殴られない限り聞かないんですよ。
殴られたら痛いやだってなるんですけど、いくら大人が一生懸命まめれたとしても、
いい大人がまめれてらっしゃるみたいな感じで見ちゃうんですよ。
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なので、僕は小学校でよく立たされたりとかしてたんですけど、
それは物理的な罰がないと僕は聞かないタイプなんですよね。
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