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2025-08-06 40:33

にじシバラジオ#057 映画『国宝』はなぜ人気?『国宝』解釈をめぐってカンカンガクガク(侃々諤々)!

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ともぞー話題提供回 / 映画『国宝』はなぜこんなに人気を集めているのか / 『国宝』は綺麗な世界の汚い部分を描いた映画、ドラァグクイーンのメイクに通じる? / 芸道を極めることは辛いこと?歌舞伎の世界にはどこまでいっても正解がない? / 喜久雄(吉沢亮)は歌舞伎が好きなのか、そうではないのか / 花井白虎(渡辺謙)が血を吐いたときの喜久雄と万菊(田中泯) / 万菊が稽古に中で伝えようとしたメッセージとは / 『国宝』の子役(黒川想矢)が良すぎる / 結局『国宝』のなにが面白くて皆さん観ているのか / 『国宝』で取り上げているのは舞中心なので分かりやすい / 『国宝』で唯一クィアなのは田中泯だが、歌舞伎自体がそもそもクィア / 歌舞伎は大昔のアイドル文化、春江(高畑充希)の推し活 /

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サマリー

映画『国宝』の人気の理由やテーマが掘り下げられ、特に歌舞伎との関係やその独特な美学が議論されています。また、キャラクター同士の葛藤や演技の裏にある人間の現実も触れられています。映画『国宝』における演技やキャラクターの解釈を通じて、人間の複雑な感情や芸術の本質が探求されています。さらに、劇中のキャラクターの背景や血筋が物語にどのように影響を与えるかについても議論が深まります。映画『国宝』の人気の理由やその解釈に関する多様な意見が語られ、歌舞伎に対する理解や接し方、作品内の表現が視聴者にどう響くかが議論の中心となっています。映画『国宝』の人気の理由や解釈について活発な議論が展開され、歌舞伎や伝統芸能に関連した視点が提供されています。

映画『国宝』の評価
こんにちは、にじシバラジオ第57回です。MCのともぞーです。
小倉です。
今回は、私ともぞーの話題提供会ということになりまして、
実は昨日、映画の国宝を見てきまして、ちょっとその話をしたいなと思っているんですけど。
じゃあ、これをメインに。
なんか人気あるじゃないですか。
ありますね。
なんでなんですか?それ一つなんですけど。
そっか、そこから。
そこから。
いや、見ましたね。見て、自分もいい映画だ、いい映画っていうか。
なんていうか、ストーリーラインはすごくわかりやすいし、
なんていうか、主人公たちのその心境の変化っていうか、
すごいダイレクトに伝わってくるようなところもあったけど、
省略だと。
3時間。
3時間くらいの映画で。
で、かつ歌舞伎の知識的なものは若干必要になる部分もあるかなっていうところで。
そんなに皆さん、歌舞伎とかね、自分も含めてですけど、
そんなに馴染みのない世界だっていうところがある中で、
なんでこんなに評判を呼んでいるのかっていうところが。
化粧と演技の裏側
で、割とLGBT界隈でも、なんか人気がある。
それは女方を取り上げているっていう部分もあるんだろうとは思うんですけどね。
そうね、あれが女方じゃなかったら、その受け方はしなかったかもしれないね。
っていう気はしますね。
小倉さん的にはどうでしたか?
だからあれってもう、きれいな世界の汚い映画だと思うんですよ。
だから化粧のシーンがいっぱい出てくるじゃないですか。
なんかやっぱりそれは、女の人も多分同じだと思うけど、
化粧してるところって、化粧ってさ、皮膚の細胞がいっぱいあるところに、
なんか乗せていくわけじゃないですか。
で、もちろんそれは舞台に降りれば、あるいは舞台の上では、
だんだん汗とかさ、とともに落ちて汚くなっていくっていう。
あの北野さんが最高に良くなかった?
私、あのね、ドラッグクイーンの結晶と同じようなものを、やっぱり私も感じたんですよ。
そこには。
なんか、きれいさんにじゃなくて、きれいな映画だったとはちっとも思わなくて、
それは、まあもちろん多分これ、吉田素一もイソニンも、
きれいさを描こうとしてないなぁとは思うんだけど、
で、最後きれいって言って、まあほら、雪が降るシーンで終わるけど、
少なくともその演じてる生身の人間自体はさ、本当に生き物だから、
汗もかけばさ、鼻水も垂れればさ、涙も出るまでさ、決してきれいな状態ではないじゃない。
で、それがその、化粧で人にきれいに見せるために、
まあ舞台の上だと特にさ、化粧をかなりはっきりちゃんとしとかないと、顔の表情とかさ、作りようもないわけで、
だからそれをさ、するんだけど、吉澤龍というね、きれいな役者がだよ、
あるいはその横浜流星もそうだし、まあ私、典型だったのはどなたみんだと思うんだけど、
やっぱりそのすごくそのシワがろうが、よれるような化粧をのせてだんだん時間の経過とともによれていく感じっていうのが、
ドラッグクイーン映画を見るように汚くなっていく様が好きだった。好きだったっていうか、よくできてるなーって思って見てた。
そういう視点では僕は見てなかった。
そっかそっか。
化粧っていうか、化粧って言っても基本おしろいなので、白く塗りたくると。
最近ね、メンズアイドルをよく見ていることもあって、メンズアイドル動画とかも見てるんですけど、
あの人たち動画出るときもメイクしまくっている。
してるしてるしてる。
中には本当に歌舞伎役者と思うぐらい真っ白い人もいたりとかするんですけど、
なんかね、この間見てた動画で印象的だったのが、やっぱりライブ中歌ったり踊ったりしてると汗が出てきて、メイクがよれてしまう。
よれないために水にはどうするかみたいなので、メンズアイドルの子たちがわちゃわちゃと盛り上がっているっていう動画があったんですけど、
それはなんか面白かったんですけど。
っていうか、僕がね、国宝を見て、まずは物語構想と進み、完結した感じがあって。
合意に完結させてたもんね。何年後何年後ってバンバン飛ばしてましたからね。
飛ばしていて、最終的にその綺麗さっていうのが、父親が殺された雪の日のシーンに繋がる感じの終わり方っていうのがすごく印象的だったかなっていう。
あくまで化粧であるとか歌舞伎役者っていうのは、その吉沢良というか貴公か。
合意にとっては、人生をかけて、ある意味手段に過ぎず、その手段のために化粧をしたりとか、芸を身につけたりとかっていうのがあるんだけれども、
田中美音が出てきたんですね。田中美音が旬坊に対して稽古をつけているときに、
奥の方から覗いているシーンがあって、そこで、歌舞伎が嫌いかもしれないけど、憎んでるかもしれないけど、それでもやっていくのは芸度を生み出せないみたいな感じのセリフを言うシーンがあり、
そうしたところが面白いなとは思ったんだけど、あの化粧っていう部分には、一旦気候が落ちぶれるシーン。
ぼっこぼこにされるシーンがあったりとかして、そうしたところで、なんていうかな、それでも四方尋常のすごいどさ回りみたいなのをしながらも、
歌舞伎役者の端っくれとして、小さいなりに物体に立ち続けるみたいなところの道路屈差みたいな部分が感じましたが、
大村さん的な視点で見てなかった。
これだけ汚く、汚さっていうか、汚いって言っても別にそれは悪いこととして、すごく肯定的に人間の皮膚の、あるいは人間の生きていることの、
あるいは芝居は、裏側のみたいな汚さみたいなところを愛すべきものとして描いた映画だなっていうふうには見た。私はね。
だからその象徴としての化粧であったり、その象徴としての田中みんであったりしたなっていうのは、私は見ては思ったこと。
歌舞伎の難しさと葛藤
それはだから、女底とかさ、綺麗なメンズの化粧とかではなくて、やっぱりどっちかというとドラッグの化粧と歌舞伎の化粧がパラレルに私の中ではつながってた。
そんな感じの見方で見てしまった。普通に別にコネクリ回したつもりではなく、普通に見ててそう思えちゃいました。
なるほど。
ちなみに広報っていうのは見てない方もいらっしゃるかもしれないので、一応説明をしておくと、吉田修一さんが書いた小説が原作となってまして、
イサニルが撮ってまして。
だからその前はイカリだったか、さらに前がクニンだったか、順番からいくとどっちが先だ?忘れた。で、フラガールでブレイクした監督だよね。
そのWCAみたいな感じですよね。吉田良と横浜流星が演じてまして、吉田良はヤクザの息子という役柄で、
ヤクザの息子なんて、昔そのヤクザの宴会で、余興として歌舞伎を演じていたところ、そこに訪れて、その宴会に訪れていた歌舞伎役者の渡辺健演じる歌舞伎役者に見出されて、役者の道を歩むことになるんだ。そういう形。
で、一方で横浜流星が演じる旬暴という役柄は渡辺健の実施であって、恩蔵師として将来渡辺健の後継として代表されている。そういう役柄で、吉田良と横浜流星が同い年なんだけど、
一方はそういう宗家の血筋というか、一方はヘアゴという立場で、ただ役者としての才能の方、才能としてはそっちのヘアゴの吉田良を演じる気候の方にある。そんな感じの衣装の中で、二人の葛藤とタイヴィスと友情と、みたいな感じの描かれ方。
二次創作めっちゃ出そうな感じだね。
ただこうやって述べると、意外と単純な絵になってしまう。
そういう意味では王道のストーリーですよね。王道ではあるのか。
それで女方を二人とも歩んでいくという感じなんですよね。その女方のお師匠みたいな感じで、田中みんが演じる役者がいて、その人は国語であると。最終的にはその田中みんが演じる役者の方が亡くなってしまう。
しかも割と罰制のね。アパートみたいなところでね。
亡くなっちゃうと。
あれは彼自身もそういう名物でじゃなかったってことなの?
そういうわけではないんじゃないですか。
ただ、自分がここを見て、どう見てもクイア的なところとしては整理がついていなくて。
小倉さんがさっきドライブクイーンのメイクとみたいなところを話しちゃってましたが、あんまり自分はそこの類似性もあって。
なんかすごいオーソドックスなヘテロセクシュアル同士の物語じゃないですかっていうような感じがまずあって。
ある意味、特に80年代くらいの展開は、ごく妻的な感じも、ノリも若干感じる。
それは彼女がいけないのや。
お母さんの役の人が。
寺島忍だね。
寺島忍の存在感っていうのもあるんですけど。
なんだろう。
おくつま的な。
おくつま的なっていうかね、80年代の、なんだろうな。
カドカは、おくつまカドカ映画じゃないんですけど。
ちょっと話がずれちゃうからちょっと戻しますね。
戻すと、戻すとどこに戻すのか。
もうちょっと小倉さんが汚い部分っていうのをちょっと聞きたいかも。
こっちに振った。
いろいろね、この国宝に関しては、語れる部分は多いなって思っていて。
自分がすごい率直に感じたのは、やっぱり芸道というか、歌舞伎という芸の道を突き進もうとして、
たどり着く場所がない感覚っていうのは、たぶんつらいんだろうなっていう。
すごい一番感じたことで。
中人が亡くなる直前に安原を呼び出して、ようやく解放された気がするみたいなことを言ってるシーンがあって。
それがすごい僕は印象的だったんですかねっていうところがあって。
結局歌舞伎の役者になりきる、役ならになりきるとか、演じるっていうところが、
すごい伝統の中で厚みを持って、理想像みたいなのがあるんだけれども、
渡辺家のしごきもすごいじゃないですか。
例えば肩。
しごきね。
しごきで、なんか蹴ったり殴ったりみたいな。
あるいは渡辺家の大役として吉田亮が初めて、
園竹真珠の舞台に立つっていう時の、まだ役ができてないみたいな感じで、どんなに散らかすのか。
渡辺家自身にも役ならの頂きみたいなのが見えてない状況の中で、
それでもなお自分より下にいる役者をどう引き上げるかみたいなことなのかなって感じで見てたんですけど。
なんか、どこまで行っても正解がないみたいな。
そういう世界っていうのは、自分だったら嫌だなと思っちゃいます。
え?それ。
自分だったら嫌だなっていうか、だから本当に遊びでね、
なんか、それこそ余興として歌舞伎をやったりとか、やる分には、歌舞伎役者がやってる演じ方っていうのが正解なんだろうと思って、
それを模範として、手本として、そこそこの舞台にはなるんでしょうけど、
じゃあその正解を演じる歌舞伎役者の立場に立つと、その先にはもう何もないみたいな。
正解とする、模範とするものが、先代だったりその先代だったりの映像とかあるかもしれないけど、
基本的には手探りでやらなくちゃいけないみたいなところ。
で、師匠から先代から伝わってきた型をなぞればそれでいいのかっていう話でもないし、
みたいなところの飛行作物みたいな部分っていうのが答えがない世界で、
かつそこから蹴落とされないようにするために、
人間の感情と演技
なんかあれやこれやする様っていうのが泥臭くて、人間臭くて、面白いなぁと思ったものの、
いや答えはなんかきっとあるんだよ。
あるんですかね。
ある程度は。
てかさ、あの世界であれすらも答えがないっていう形になっちゃうと、
じゃあ普通の芝居とかどうなるのって話であって、
十分に私も答えがある方の芝居のスタイルなんじゃないの?違うの?
なんかね、見てるとそんな感じじゃない。
結局その答えがあるんであれば、その答えをたどり着けばいいわけじゃないですか。
いやいやいやそんな、人間の体はそんなに簡単には。
だからその多分、それって他の芸術もそうなんでしょうけど、
バレエとかオペラとかもそうだと思うんですけど、
いただきって多分上手い人はどこまで上手いんだろうみたいな。
人間の体の構造ってあるから、
例えばダンスを見てみても、上手い人はめちゃめちゃ上手いと。
そうですね。
そこは本当にもうセンスアバメスっていうかグラデーションの良いこう、
下手な人から上手い人まですごいなだらかに道が続いていく中で、
ただトップに行けば行くほど、さらに上があるんじゃないかって思えちゃうんじゃない。
もちろんそうだと思うんですけどね。
そうする中で、たぶんですけど本当一流のいただきみたいな役者が、
その自分が演じている演技に満足できているのかっていうと、
満足できていないんじゃないのかっていうところがあって、
そこの部分がやっぱり正解がありそうでなさないみたいな、
なんていうか、そういうところなのかなと。
キャラクターの背景
だから、ある意味吉澤亮が演じる気候はゲイ道みたいなところに、
ある意味正直なので、そこを追い求めようとした結果、
単なる人間のクズみたいな人間になっているのかなっていう。
そっかそっか。
あの人は純粋に歌舞伎を演じるのが好きだった人じゃない?
いや、そこがね、たぶん違うと思うんですよね。
そうなの?
だから、歌舞伎を演じるのが好きかって言われると、
だって、もともとそのヤクザの息子で、
父親を敵対組織に殺されてしまって、
それで仇討ちをしようと思ったら失敗をしてしまったと。
中学生が2人包んで、ピストルとドスを持って、
事務所を予約するんだけど、
たぶん軽く言いなされてしまったのと。
それで、
少年院か何かに何年かね、1年2年つっこまれてか。
最終的に渡辺家のところに引き取られていくという中で、
もしそこで仇討ちが成功していたら、
それこそ少年刑務所か何か行って、
少年院か何か、もうちょっと長い期間行って、
出てきた時には、組の親分にはなっていないかもしれないけど、
親分でしょ、当然。
子分がついて、みたいな感じになっていったんだろう。
あれも血の世界だからね。結局親分の子が親分じゃん。
基本はね。
今はそんな形で執名したりはしないかもしれないけど、
基本は歌舞伎と一緒よね、ヤクザとさ。
血でついていくものだけど、
そうじゃないこともあるっていう形の基本だと思うで、
考え方としては。
だからあくまでも吉澤良の欲はヤクザの子供だったし、
吉澤良は残念ながら血統切られちゃったわけじゃない?
お父さん殺されちゃったから。
ちょっと芝居面白いなと思ってた程度のところで、
渡辺家のところに引き取られるわけだよね。
その後の練習とかも非人間的なままって意味厳しくて、
だけど彼は決してつらそうではなかったような気がするんだよね。
あんなの逃げ出そうとは言えば逃げ出せるし、
変な話さ、ヤクザのぶせかねなんて、
それこそ半暮れになって、もう言うこと聞かなくて、
その辺ふらふらだって女は一緒についてきてるわけだから、
そこの道に一緒に突き下がる必要はなかったわけじゃない?
だからそれってさ、あたかの継ぎ木のようにして、
切られたところから新しいところにちゃんと根を生やして、
これやりたいって思うタイプの子供っていう設定じゃん、あれ。
いや、違うと思う。
えー、どこが?
だから渡辺家が舞台上で血を吐いて死んじゃうシーンがあって、
そこで、明瞭な台詞じゃないから作らなかったんだけど、
そこで渡辺家が舞台から他の役者に、
タンカに担がれてみたいな感じで袖に去っていくと。
で、吉田良と田中美音が二人、
そこで吉田良が何かつぶやくんですよね。
で、何て言ってるのかはあんまり明確には聞こえなかったんだけど、
しんじまえって言ってるように僕は聞こえた。
えー?
どっちでもいいんですけど、それは。
そこでしんじまえって言っているように聞こえて、
それを田中美音が聞いているっていう、
そういう場面だったなって思って。
へー。
そんなシーンだった?
そんなシーンだったと思う。
だから、それで、
まあ仮にしんじまえでもいいんだけど、
そしたらそれは何を意味してるの?
それは要するに、
そこで渡辺家の方が生き残ってしまうと、
自分の逆に目立たなくなっちゃうみたいな部分が、
要するに気の利きすぎよりも、
自分の原因の方が勝っているっていう風に、
その時の気候は思っている節があり、
で、3代目を修名して、
これからますます3代目として活躍するぞみたいなところで、
まあその、でっこかなっていうのを、
4代目でっこなんかを修名したら、
田中美音がいなくなってしまうことで、
芸術と美の探求
自分の方にスポットが当たるんじゃないかっていう風な、
ところを期待してのセリフだったのかなっていう風に。
ありえないでしょ、だって後ろ盾いなくなるから。
だから後ろ盾がいなくなったとしても、
やっていけるっていう風に、
その時は吉澤良は信じていると。
なるほど、そういう設定な。
血筋よりも、それは渡辺家の直前に、
お前だったら血筋がなくてもやっていけるからみたいに、
声をかけられていたっていうところの、
たぶん伏線にはなっているんじゃないか。
でもそれとさ、彼が歌舞伎で踊ることに関して、
愛憎愛仲間にせよ異常な執着を持っていたっていうこと自体には、
否定にはならないじゃないか。
自分のその、歌舞伎を、
歌舞伎役者であるということではなくて、
歌舞伎をやるっていうことに関しての、
強いこだわりというか、
愛情みたいなもの、思い入れみたいなものは、
やっぱりすごく一貫してあるような気がするんだけどね。
ないような気がする。
なんで?
たぶん吉澤良、きっこうが目指していたのは、
最後詐欺娘で言われるんですけど、
本当にのめり込むようになったのは、
田中みんの宮小沢でやっていた詐欺娘を見てからなんですね。
それまでは狩りを落とすというか、
他に行く場がないから、
審某と一緒に稽古をつけてもらっているけど、
田中みんの詐欺娘を見て、
そこでバケモンや、みたいな感じに印象を抱いて、
それでのめり込むような感じ。
最終的に物語の結末としての詐欺娘、
雪のシーンでは。
これは僕の解釈ですが、
なんで雪のシーンが印象的なのかというと、
たぶん父親が殺されるときに雪が降っていて、
それで勝ち込みに来た敵対組織のヤクザと、
父親が日本刀で戦っていて、
日本刀でというかチャブ台で戦っていたのかな。
最終的にピストルで撃たれちゃうんですよ。
雪が降りしきる長崎のところで倒れちゃう。
それをきっこうは目撃しているんだけど、
たぶん美しいと感じたんじゃないかと思っていて、
それはそうかもしれない。
父親の死っていうのが、
頭から離れない、
すごい美しい情景として、
頭の中に擦り込まれている。
その美しさっていうのがまずあり、
原体験としての精算だけれども、
プラグマティックではあるんだけど美しいみたいな、
そういう場面として気候の中にあって、
それが一部再現されたのが、
田中美穂が宮古座で演じた、
詐欺娘の雪の詩。
そこに魅了されちゃったみたいな。
これ読みすぎな気がします。
いやいやいや。
あれは演劇的、
映画的演出で、
そことここでおしまいにしましょうっていう話だと思います。
もちろんそれは美しいと思ったほうがありだと思うし、
詐欺娘にそこを重ねたのは100%狙っていることなので、
少なくともイソニルは確実に狙ってやっていることだと思いますけど、
それのせいで歌舞伎にのめったっていうのは、
これも不思議では?って。
その田中美穂がね、
さっき言った歌舞伎を憎んでいるかもしれないけど、
やることをやっていくと何か見つかるんだみたいな、
セリフを吐くシーン。
あれは目の前で敬語をつけている、
しゅんぼうに言っているように見せかけて、
隣にいる貴公に対して言っていた言葉だと思うんだけれども、
私しゅんぼうに言っていると思った。
でもしゅんぼうにも言っているんですよ、もちろん。
でも奥にいる貴公にも言わせられるはず。
それを聞いた貴公がどう受け止めたのかっていうところで、
だから私しゅんぼうにしか言っていないと思ってた。
本当ですか。
なぜならば、
彼はだって血がさ、
今回のテーマは血なんですけど、国宝のテーマって単純にね。
だからもう歌舞伎役者の子供と、
しかもかなり有数の歌舞伎役者の、
しかも親間の子供として生まれ、
子供の時から当たり前のように、
まあやるもんだと思ってやり続けて練習したけど、
練習して続けてきたけれども、
やはりその練習自体はかなり厳しいし、
どこの女の船かわからんわけのわからん男の子連れてきて、
なんか可愛がっとるし、
明らかに才能の違いみたいなものは、
彼自身も歌舞伎をやってるからこそ感じるから、
やっぱりその逃れられない血、
自分がもしも別に歌舞伎役者の長男でなければ、
この道をやらなければよかったのに、
素の話をそこに自分の気持ちとしても縛り付けられてるし、
ただ好きとかやりたいとかではなくて、
憎しみとセットの感情だろうというふうに思うので、
そこに対して言ったんじゃないのって、
私は単純に思ってたけど。
その2で先まで作る?
作る。
いやいやいや。
作ってると思います。
じゃなければ、
血を吐いたシーンと整合性がつかないなと。
渡辺けんが血を吐いて、
国宝の人気についての議論
トナカミンとすやすぴょんの2人が取り残されて、
つぶやいた時のトナカミンの表情のところが、
何かそこで2人にコミュニケーションが生じた。
生じてトナカミンは、
よっさりょうが、
実は歌舞伎は好きかもしれないけど、
もっと別の動機もあるんじゃないかと。
鋭達するであるとか。
そこの部分を、
要するに歌舞伎が心から好きというよりかは、
歌舞伎を動物的に見ている部分もあり、
ある意味憎んでいる部分もあり、
っていう部分を、
主演棒だけではなくて、
それを気候の方にも感じ取っている。
というふうに感じた。
私ね、それ一面も感じないわ。
彼が歌舞伎を、
別に他に鋭達であるとか、
映画であるとか、
自分がもっと何かの極めることとかについて、
その気候があったとは思うけど、
気候はなぜかわからんけど、
歌舞伎が好きな子だったんよっていう設定のもとに、
この話が成り立っていると思ってるね。
全然そうだと思う。
だからもう完全に話は一致しなくてびっくりする。
このぐらい意見が合わないことは珍しい。
なんか史上最高意見合わない回ですけど、
あれは、
映画の内容と意義
そういうふうに、
少なくとも歌舞伎だけは純粋に好きっていうことが、
設定としてあるんだと私は思ってた。
それはね、ないような気がするんですよね。
こんなに気が合われてる。
子供の時の子役が怪物の子だったね。
ああ、そうか。
なんかすごい子役が素晴らしいなと。
すごかったね。
2人ともすごい。
この子は異常に最初から上手いっていうさ、
怪物の主人公の男の子とかが、
数年経ってあの姿になりましたが、
あの子自体が何をやらせても上手いっていう、
何だろうね、役者として生まれた子だよね。
そうですね、体感が素晴らしいですね。
だからその渡辺家に稽古つけられてる時のシーンとかも、
本当にピチッと型が決まって。
そうそう、だから才能ってかさ、
だから天父の才みたいなのが、
もうその瞬間に出ちゃうのよね。
彼がやるから。
あれ下手くそかやったらさ、
血より技だとか、
そんな話するまでもなく、
彼がやっぱりちょっと体を動かすと、
その型が決まってるから、
あの子がやるだけで、
渡辺家が最初に、
この子は一体これは何ですかって質問したし、
意味も分かるぐらいの、
しかも稽古つけられるよりは前の、
素人芝居っていうのも含めて、
あの子が上手すぎるっていうのもあるよね。
そういうのが、
なんで受けてるのか分からないっていうところに、
ちょっと話を戻すと。
そこ戻していいですよ。
私も分かんないです、それは。
そう、だから、
皆さん何が面白くて見てるんですかって。
いや、私そうやって見て面白かったよ。
面白かった。
面白いことは面白いんですよ。
稽古も見てね、面白かったんですけど。
普段は意見が、
僕とあなたの意見が、
あなたの意見が、
あなたの意見が、
あなたの意見が、
僕と小倉さんでもこんなに見方が違って。
真っ逆で見てる。
だからどうやっても見えるからじゃない。
そういうところなんですかね。
単純に、
歌舞伎の世界の裏側みたいなのが覗けて楽しいって人もいるかもしれないし。
それ好きなことじゃないとさ、
アイドルの世界の裏側じゃないんだよ。
悪いけど。
歌舞伎好きがこんな少ない状況の中で、
その裏側楽しめて、
嬉しいって思う人っていないくない?
今どき。
本当にすごいマニアの。
研究者の裏側が知れて楽しいとか、
野球選手の裏側が知れて楽しいとか。
野球選手だな、まだ少しはいるから。
未だにファンはいるからね。
でもやっぱりさ、
その裏側知れて楽しいのは、
それがメジャーで綺麗な世界だからですよ。
綺麗な世界には違いないが、
メジャーではないので、
その裏側を知って楽しんでる人たちがほとんどいなくて、
吉澤亮が綺麗だということが、
一つにはあるかもしれないですね。
あとは、
だってすごい視聴率じゃん。
そうですね。
観客動員が結構すごい。
大ヒットって言ってるよね。
鬼滅の刃が大ヒットになった時と同じぐらい、
謎な気分にはなってます。
面白かったですよ、だけどって言って、
みんな何が面白かったですかって聞きたくなる感じがある。
そうそうそうそう。
個人的には面白かったけど。
イソニルは本当に映画作るの上手だなっていう、
エンターテインメントの程度の、
この辺に設定するっていうのが上手なんだろうなって思って。
マニアックな映画とね、
もっと単純にエンターテインメントだけで、
作り上げる映画と、
ちょうどこのレギュレーション、
ここにしましょうみたいなところを設定するのが非常にうまくて、
考えさせられつつも、
面白がれるっていう、
そういう作品には多分なってるんだよ、ちゃんと。
そうなんですけどね。
ということで、国宝の話をダラダラと。
しましたね、本当に。
何が起きてるんだろう。
今ちょっとTikTokを見せてもらったけど、
若い人たちにも響いてるんだ、何かわかんないけど。
何、どこに。
一方では歌舞伎自体に接したことがない人たちにとっては、
自分もそんなに接したわけじゃないですけど、
歌舞伎っていうための世界が、
新鮮に映っているのかなっていうところがあるかもしれないですね。
なんかゼロの気持ちになれないじゃん。
例えば歌舞伎って、歌舞伎自体がそんなに面白いかって言われたら、
落語とかもそうだけど、
かなり文脈がわからないと楽しめない演芸のひとつじゃない。
だから、そこをあの3時間の映画だけで、
その歌舞伎っていうのはねっていう、
こういう文脈が全部説明されてるわけじゃないから、
本当に見たときに、歌舞伎を一瞬にして好きになれるかって言ったら、
なれないと思うんだよね。
国語の中で取り上げられてた演目としても、
砂崎真珠は、いわゆる劇物でしたけど、
娘同情時とか、
視聴者の反応と感想
三娘は基本は舞が中心なので、
分かりやすいんですよ。
特に同情時、
二人同情時という形でやってましたけども、
長歌も綺麗というか、分かりやすいし、
舞も分かりやすいので、
すごく舞台映えもする、そもそも演目だなと思ってるんですけど、
スケロクとかってもよかったと思うんですが、
スケロクとかやっちゃうと小竹の方に踏み込んで、
あまりもしかするとなかなかできなかった。
本当だよね。小竹の映画じゃないなって感じすごかったね。
なんだかんで言ってね、
市川家には踏み込めないというかね、
そういうところがあるかもしれない。
分かった。ごめん。すごい分かった。
食い網が足らないわけじゃない。
さっき言ったヘテルセクシャルの二人がみたいな話をしてたけど、
それは説明型になって、
あの映画には食い網が足らないんだが、
本家本元の歌舞伎が食い網をみんな持っていっちゃってるから、
小竹から線を引こうとすると食い網を落とさざるを得ないんじゃない?
それはありますね。
だからね、一番有意作り屋なのが田中みんなんです。
あの田中みんの存在感はすごいなって。
死ぬ間際まですごいと。
実際お本人はあんな感じだもんね。
まあ元気に動いてるけどさ、ピンサーしてるからすごいなって。
あの言葉使いを聞いて、
とある人を思い浮かばざるを得ない人がいるわけじゃないです。
名前は出せませんけどね。
出せませんけどね。
日本で今ね、女性として一番有名なゲイ達者で、
かつああいう喋り方をする人って一人しかいないんですよ。
でもまたまた出せないじゃないですか。
出せないですね。
歌舞伎が全部の食い網を持っていっちゃってるから、
今回国宝は歌舞伎の映画なのに食い網がないっていう、
この結論は一致してる。
確かにそうだよ。
一致してる。
だって歌舞伎自体はすげークイアーだもん。
しおとやかく言いながら、だから子孫もどうとか言いながら、
息子がどうなの、言いながら娘しかいないとか言いながら。
もうあそこ全体がクイアーの塊じゃん。
そうですね。
なんだけど、今回の国宝に対して言うと、
極童映画テイストも含みつつ、
役者人生の労働ムービー的な要素って言ったらいいのか。
成長物語。
成長物語みたいな部分も含みつつ。
労働ムービーではない。
まあ、いろんな、そうした部分。
でもね、結構あれなんですよ。
地方巡業周りをしているところとか、
労働ムービーを感じましたよね。
本当?でもそれってさ、場所とのストーリーがないと難しくない?
あくまで中央じゃないどこかっていうことの方に植えたかったから。
まあ確かにね、でも、
落語真珠はすごいイメージしたよね。
昭和元禄落語真珠を思い出した人と、
あと何だっけ、
あれを思い出した人、中国のさ、
ハオベッキ。
ハオベッキ。
これはハオベッキがタイトルじゃないんだ。
さらば我が愛、ハオベッキっていう。
これは実際に子供の時から、
中国の伝統芸能ね、何て名前だか私は知らんのだけど、
何だっけ。
超劇。
そうです。
中国の役者として育てられた男の子。
これも全然男の子ですもんね。
このお山をやっている主人公、
誰だっけ、レスリーちゃんだ。
レスリーちゃんがやる映画なんだけど、
一緒に育ってくる男の子に恋をしちゃうんだよね。
これはどっちかっていうと、
その男の子は他の女の人とくっついてみたいな話。
ごめんなさい単純化しすぎだと思うんですけど、
でも彼は悪魔で舞台に立ちますよみたいな、
そんな感じの割とど真ん中食い合いだみたいな感じに
見出るんですけど。
あとまずだから、
昭和元禄落語真珠の落ちぶれるってこと。
すごくいい役者だったんだけどね、
って言いながら落ちぶれたり死んだりするのが
昭和元禄落語真珠なので、
その中、話の地方人形の話と含めて、
映画『国宝』の解釈と評判
やっぱりかなり連想した人がこの2作品については
多かったようですね。
見ているというのもありますね。
そんなわけで、
だらだらと喋ってきてしまったが、
あまり結論提出してきたことがない。
結論なんかあるわけない。
こんなに機会はない。
どこでもなるほどって思ったところは、
すべて落語じゃねえや。
歌舞伎の元祖が悪いっていうね。
あっちがクイアーすぎて、
とてもじゃないけど、
追っつきません。
クイアー的な要素が少ない人は、
本編の歌舞伎の方を見てみましょう。
より面白いかもしれない。
作品としては大作で本当にね。
こういうことで歌舞伎を知ってもらうきっかけになるっていうのは、
いいかもしれないし。
楽しみたいですね。
見に行ったら退屈で泣きそうだけどね。
僕は結構歌舞伎の舞台が好きで、
何が好きかっていうと、
歌舞伎座の空間というか、
あと舞台装置的なところが華やかなんですよ。
クッサイ感があって。
そういうのが好きな人いたら。
歌舞伎という文化があることを、
非常に嬉しく楽しく思うけれども、
じゃあこっちを捨ててこっち?って言われると、
一回しか見に行く機会がないとしたら、
私は歌舞伎は選ばないなというふうには思うな。
日本の伝統芸能それっぽくない?
伝統芸能っていうか、
昔のアイドル文化。
そうそう。
大昔のアイドル文化。
それを伝統芸能と称して、今も続けているっていう。
国宝に関しては全体としてはお仕方の話でもあるので、
高畑美月が最初から出てくるんですけど、
あの人はお仕方を完璧にやり遂げた人なんです。
途中、貴公じゃなくて春宝の妻になってしまったんですが、
元々は貴公と一緒に長崎から大阪に出てきている人なんだけども、
掘り物もしているわけです。
一緒にね。
で、貴公に対して将来は楽屋にベルシェ絨毯敷いてあげるわ、
こう言っていると。
でも途中で春宝の妻になってしまうんだけど、
子供まで儲けてしまうんだけど、
最終的にはそれが功を奏して、貴公が人間孤高になるという。
高畑美月のあの存在感はすごいなと。
高畑美月という役者が、だからこそできるかもし出す何かっていうね。
幸打ちそうな感じなんだけど、芯が強いっていうか。
絶対不幸だろうみたいな感じですね。
役をやるのがうまいですよね。
全然そんな人じゃないかもしれない。
そんな感じで。
全くまとまりがついていませんが、
皆さんもここをうたうかしていると、
直言が終わってしまうかもしれないので、
宿題になったら見に来てみるといいかもしれないです。
絶対違うっていうふうに、あるいは私もこう思ったとコメントくれると嬉しいです。
嬉しいです。
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それではまた来週お会いしましょう。さよなら。
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