こんにちは。にじシバラジオ第43回です。
にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことや、ならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
ともぞーです。
小倉です。
はい。今回はですね、にじシバの3月の振り返りということになっておりまして、
まず3月第1回、3月14日に行われた第1回の振り返りということで、
そこで話題になったことをメモってありますので、ちょっと読み上げますと、
メンチカにハマった話。これはまあ、僕が沼にハマったっていう話ですね。
本当にハマったね。しみじみ。
あとですね、トランプ政権下のアメリカの状況についてということで、
あと六本木でお昼ご飯を食べるのが難しい話というのがありました。
あと名古屋高等裁判所での同性婚相諸法の構想審判決が出まして、
それは前にも触れてますけど、それを改めて振り返ったということです。
そうですね。次々出てるのでね、毎回振り返ってますね、判決をね。
で、あとはそれにちなんで、同性婚を認める、認めるというか、
同性婚ができるようにするために、民法改正なのか特別法の制定なのかみたいな話があるんですが、
民法の表記を変えればいいんじゃないの?みたいな。
そうですね。なるべく省エネで話をやるだろうと思うので、
まだ最高裁待ちですけど、最高裁が出たら動かすことになると思うので、
おそらくもうすでにそちら関係のスタッフの人とかは、
これをこう変えればやりくりがつくねとかっていうのをやってるはずですね。
そうですね。法務省の官僚の人とかね。
優秀ですからね。
そうです。裁判所も結構判決文の中でこういうふうに変えたらいいんじゃないかって。
サジェストまでして。
サジェストまでして。
サジェストしてくれてるっていう。
そういう状況。で、あとはウイメンズマーチのコールの話が。
はいはいはい。
3月だからね。
3月だから。
ウイメンズマーチというか、3月8日?9日?あれどっちだっけ?
世界国際女性デー。
はい。国際女性デーがありまして。
どっちだっけ?あれ?
3月の8日の土曜日。
3月の8日の土曜日に国際女性デーとなっていて。
この日に日本ではウイメンズマーチという。
そうですね。
デモ更新と。
世界各国でね。国際だからやってるはずなんですけど。
まああれですね。見事に延長したのは、男が埋めるのはうんこだけって言ったってやつだね。
そうですね。
ウイメンズマーチで使われたあるコールがありまして。
アルコールって今言ったか?今言ったかな?言ってもいいけど。
とにかくですね。そういうコールがあって、それがいろいろ問題を呼んだというか、炎上してた。
中二病的だよね。ちょっとそういう下品なことを言ってみんなで受けるっていうさ。
中二男子かよみたいな。まあ男子って言って炎上させようと。そんなことはないんだけど。
なんかそういうノリの話よね。そんなに本気で起こることもないけど。
まあその男はっていう言い方で、実際シス男性が起こるってこともあったし。
あとやっぱトランス界隈の話としてね。
じゃあ男で埋める人はいないのかって言ったらいないわけでもないってことと。
もう一つは女性でも埋めない人がいるっていう話と、
そうそうそうそう。
なんていうか、天末を見れば瞬間風促で消え去っていって。
するしとけやまんけんなんだけど。
なんだけど、ボルテージが上がっちゃうと、なんかいろいろぶったたきたくなっているみたいな。
よく中学校の廊下とかで、もう私あのグループ辞めるとか言って、座って泣いてるとか言っているのと同じような状況がネット上で展開されるんだけど、誰も止める人がいないからね。
しかもリアルに別に泣いてる人の顔が見えるわけでもないから、燃え放題燃えて終わるっていうんですね。
いわゆる討論とかじゃないので、なんか総括する人もいなければ。
そうそうそうそう。まあまあって言って、AさんとBさんの議論はここが論点でとか、これに関してはちょっと余計なこと一言言ったよねとかって言って、そうですねって聞いてくれる誰かがいるわけでもないから、その人がもう一回燃え直すからね、そんなこと言って。
ジャッジする人がいないので、常にね。
結果としてその問題は一切解決せず。
例えばそのきっかけとなった人がどっかに消えちゃうとかってね、そういうこともあるし。
さらにあるね。で、あの言った人が実はさ、釣りだったとかってこともさらにあるし、で、なりすましだったこともあるし、
割とその辺、議論の場所ではないってことを踏まえておかないと、ただのね、言い切りの場所だと思って相手の言葉には反応しないぐらいにしておかないと、みんなメンタル削れてるよとかって思うね。
でもそんなことができるぐらいだったらね、他のところでもうまくいってると思うので。
そういうことです。ちょっと振り返り何について具体的に掘ろうかなみたいなところですが。
3月前半の世相が、ツイッター層かもしれないけど、外観できてよかったですね。
なんかこれ収録する前に、トランプ政権下のアメリカについて小倉さんが言ってた。
面白かったよね。さっき知り合いが書いてたのを私は思わずいいね押したけどって話で。
ハラスメントキスのおっさんの発言を聞いて、本当はそんなつもりじゃないんでしょとか。
じゃあ私はどうしたらいいわけとかっていうことを、相手にすがらせるような仕組みがもう出来上がってから、
トランプが何を言っても、いやいやそれは本心じゃないよねとか、裏に何かあるはずだよねっていう会話がずっと展開されてるよね。
確かに。と思って上手いこと言ってるなって。
最近のトランプ政権で起こったスキャンダルで、シグナルゲート事件っていうか、アホみたいな話があって、
シグナルっていうアプリが、ウェブアプリがあって、この間イエメンの風刺派っていうイスラム教原理主義の軍事組織があって、
その風刺派の軍事拠点にアメリカ軍が攻撃を、爆撃を行ったっていう出来事があったんですが、
その軍事作戦の内容を、軍事作戦なんですよ。本来はすごく限られた人数、少人数で、三房本部みたいなところで、
政権トップだけと軍事、軍のトップだけが集まって決定するような、そういう内容のものを、そのシグナルってアプリを使って、
情報交換をしていて、しかもそこに、
間違って誰かを招待した。
雑誌記者、雑誌記者かな。私の編集長、アトランティック氏かな。編集長が座っていたっていう。
それは書いちゃうよね。
それはリークするよね。
そういうバカみたいな、要するに日本で言うと、自衛隊の演習が今度やりますよと。
その演習の場所とか日程とか、演習内容とかっていうのを、
LINEのオープンチャット、オープンチャットじゃないけど、LINEグループでやっちゃうみたいな、そういうような感じ。
そこのLINEグループの中に、週刊新聴の編集長がいるみたいな、そういう感じの。
軍事演習じゃなくて、本番だからね。
みたいな状況があって、それが起こったんだけども、
トランプ政権の政府交換というか、国防省の人とか、
全然悪びれた様子もなく、平然としている言い訳を積み重ねるみたいな。
あそこで話されていた内容は重要機密じゃなかったんだとか。
編集長が入ったのも、誘ったんじゃなくて、偶然入っちゃったんだみたいな。
それダメだろうな。誘ったほうがまだ説得力あったら。
話をしたりとか、みたいな状況で。
記者会見の場でね、記者も追及するんだけども、のらりくらりというか。
お互いちょっとこうね、遠慮しみたいな感じの、突っ込んだ質問しないとか。
記者はもうバシバシ突っ込んで。
バシバシ正論で突っ込んで、おかしいでしょっていうことをめっちゃ突っ込むんだけど、
いやそういうことじゃないから。重要機密じゃないからと。
なんかポンコツ国家にあっという間に成り果ててる。
大きい国がポンコツだと大変。
結局CIA長官みたいな人とかも関わっていたみたいなんですけど、みんな火を認めない。
みんなカバーやっちゃって。
すごいね。
っていう状況がある。
なんかね、摂取国家みたいなね。どことのちっちゃなね。摂取国家みたいな状態。
なるほどね。
政権全体として、もうちょっと開いた口が塞がらないような。
でも大抵この開いた口が塞がらない感じでボッカーンって世界が破滅しても困るからね。
そうなんです。
っていうのはありますけどね。
なんかやっぱりSAS時代の政治の特徴なのかもしれないですね。
その短いトピックで人々が理解しやすいことを述べて、それを理解できる範疇で理解する。
昔って政治、昔っていうか自分が中学生、高校生ぐらい、あるいは大学生の頃もそうだったかもしれないけど、政治は難しいほどだっていう概念があった。
そうですね。私たちなんかで理解はできないようなものはあると。難しいんだなーみたいなね。
政治のことはちょっと難しいから自分たちはよくわからないもんだと。
だから投票率も低下するようになったりとか。
逆にね、そうそう。でも誰でも政治に参加とかっていうのが裏表でひっくり返る時ってあるじゃないですか。
実際誰でも参加なんだけど、投票率を上げようっていうみんなね、市民の声を政治に反映とかって言ってると、
だんだん気がついたら、そういう意味では思ってない形での反映をされていくって言ったらいいかな。
だからそれが一つ変換点だったのは小泉政権の時に、ワンフレーズポリティクスってその時言われてましたけど、
その郵政省をぶっ壊すみたいな。自民党をぶっ壊すみたいな。
郵便局。
日本郵便。違うな。日本郵便は後だな。
郵便局。なんだったんだっけ。忘れてた。フレーズ忘れてた。
郵政民営化が話題になっていたと。
自民党をぶっ壊せと、その2つで大体話を進めてましたよね。
それで郵政民営化に反対する自民党議員を反逆者みたいに取られて。
晒し上げしてね、結構ね。
衆議院議員選挙の時に資格を送って、小泉派の議員と旧、旧来派の自給派的な自民党の候補者とで競ったみたいな。
そうですね。政治を分かりやすくしたっていうと非常にいい方になるし、実際それで投票率とかも絶対上がってるはずなんですよ、あの瞬間は。
でも本当に諸派なので、結局自分に都合が悪い形になったら、政治を分かりやすくってことに対して反を唱えるのもまたフェアじゃない気がするんだけど、
常にやっぱり政治が分かりやすくなった結果でこの状況、分かりやすく、強引に。だからちょっと違う話になるかもなんだけど、
昔さ、ここが変だよ日本人って番組があったの覚えてる?
知ってます。
すごい人気番組で、今やったら全部延長だと思うんだけど、
私はあの放送見てなかったわけじゃなくて時々見てたけど、
当時からさ、昔からその日本人自虐兵器っていうかさ、ポール・ボネの時代からね、やっぱりその日本はここがダメなんだっていうふうにヨーロッパの人とかアメリカの人とかに言われると、
はいはいそうだねとかって言ってお互い恥ずかしいねみたいな感じになって終わるみたいな時代の最後だと思うんだよね。
で、ここが変だよ日本人って言われて、外国人がひな壇芸人みたいにしてズラッと並んで、いろいろエピソードトークしてここが変だっていうふうに言って、そうだよねーって言って納得するみたいな。
あれが、私なんか今のさ、日本すごいのこうさせちゃったんだと私は思ってた部分。
でもね、あれここが変だよ日本人って、自分はでもね、同性愛について取り上げた回があって、それは結構印象に残ってるんですよ。
その時は、ゲイ当事者、レジビアン当事者もいたかな?も含めて何十人かの当事者を集めて、
それは日本の人?
あ、そうそう日本の人で。で、それと外国人ゲストとの間でやり取りするみたいな、内容はあまりもうすでに覚えて、あまり覚えてないですけど、
でまだ当時は、同性婚も90年代の、あ違う2000年代初頭か、2000年代初頭なので、
同性婚、多分オランダで同性婚が認められたのが2000年とかだったかなって。
なので、各国で徐々に認められつつあるような状況の中でやったやつで、
なんか割と好感を持ってたような内容だった記憶は。
内容的にはそうだよねって私も思ったし、やっぱそうやって言ってもらえると気持ちいいよねっていう部分があって、
やっぱカタルシスがさ、解消されるっていうの?なんていうの?カタルシスを得られる?
得られる。
そう、だと思うんだけど、あの時のやっぱりでもさ、手触りと、今の日本すごいの手触りがすごく似てるなーとかって思う。
ただその前の段階で、新しい歴史教科書を作り替えたのが出てきて、
それが出てきたのが97年くらいだったと思うんだけど、そこで自虐死刑っていうことも言ったと。
それまでの特に中学生の歴史教科書は、なんていうか、特に太平洋戦争に関して、
日本を侵略側としてしか描いてこなかったみたいな話で、
それに対してその藤川信勝さんとかが、もっと誇りが持てるような内容の教科書にすべきだ、みたいなことを言っていたと。
今もその流れは結構ね、言われたり続いたりしてるやつだけどね。
その流れの延長線上で小泉政権が出てきて、それでポピュリズム政権っていうふうに、劇場型政治とか言われていたと。
で、その中で、なんていうか、分かりやすさみたいなものが重視されていくような流れになっていったっていうのがあるのかな。
なるほど。難しいな。
えっと、なんていうのかな。
ここが変だよ、日本人の。やっぱその日本ディスっていうか、自虐的なところが、あんまりやりすぎたんだなって思ったりもするのよ。
だから今さ、ここでさ、今日本すごいとか言って、本気で日本はすごいと思ってる人たちとかがさ、
日本語はこんなにすごいんですとか、日本人はこんなにすごいんですとか言ってるの聞いてると、全然さ、別に日本だけの話じゃねえかなとかって思って聞いてるので、
そう考えると、ここが変だよ、もう特殊性を、国としての特殊性を上げづらい形で取り上げてって、みんなはさ、それで逆に気持ちよくなってたんだけど、
今その気持ちよさを、今度は日本すごいで気持ちよくなってんだなーと思って見てた。
なんかね、あんま変わってないかな、状況はって思う部分はあって、それは一種のオリエンタリズムの中で日本が、特に東アジアの中では、
中国っていう一つの文明があって、その衛星国みたいな状況で日本がある中で、特異な、中国的ではない西洋的な文明を発展させた、特異な日本みたいな描き方っていうのは、
割と戦後のローランバルトとかその辺の時代からあった描き方で、その中で日本のメディアが、内省するっていうか反省するっていうか、
自分を振り返る手段としてそういうここは変だよ日本人とかがあったのかなと。
日本のランキングだけ全然違うでしょ。
何だったっけ。海外、日本を除くほぼ全世界は、その年に公開されたハリウッド映画の配信だったりするんだけど、日本だけ来なくなる。
見つけてたね。見つけてたけど、それって日本の良さって言うとまた違ったね。
要するに得意性っていうところで、そういうのって外国人も見つけてくるんですよね。
日本人がどうのっていうか、外国人の方も、インバウンド観光客も日本は来日すれば、日本に旅行に行けば自分たちがこれまで自国では得ることができなかったエキゾチックな体験だったりとか不思議な体験ができるはずだっていうふうに日本に来て、
それで適当に観光して、見つけた不思議な、自分たちから見て不思議なものを持ち帰ってSNSに投稿して、また奇妙な国、日本というかイメージを作っていく。
そこに相乗りする形で日本人の側も、
これで褒められてるとね。つまり夜安全な日本とか、犯罪が少ない日本とかさ。
なおかつ今オーバーツーリズム批判の中でさ、お前らそんな良い国だからって言って、それを頑張って日本人が作り上げてきたのに、お前らそれを壊すなよとかって言って、変なやつ当たりしたりとか、気持ち悪いとか。
そういうの多いよね。だからオーバーツーリズムだっていうふうにどうやら思ってるみたいだね。
川越に行くとオーバーツーリズムってこれかっていうのはちょっと一瞬わかるよね。わかるけど私は全然川越に住んでるわけじゃないから。
川越にしても京都にしても鎌倉にしてもその歴史的名所みたいなところってそもそも日本人観光客が多いみたいだね。
でも外国人がすっげー多くなってすっげー混んでることは事実。
事実は事実なんですけど。
宿が取りづらいとかがあるんじゃない?きっと。
日本すごいYouTubeチャンネルもやっぱり僕たまに見ることがあって、
それは日本在住外国人の人を集めて、僕ら日本のJ-POPだったり何だかについて語るみたいな、そういう番組だったりとかして。
で、なんだろうな。
音楽系だとマーティン・フリードマン、メガデスのギタリストだった人が今日本に住んでいて、
やっぱり日本の歌謡曲だったりとか演歌だったりとか、J-POPの特異性というかすごさみたいなのを語ったりするっていうのはあって。
またそれやってんのかって感じだもんね。
ただまあ、なんだろうな。そういう中で、もうすでに日本人の評価、自分への評価の、あるいは日本という国への評価の仕方が、
もうそういう形でしか成り立たないようになっちゃってるんじゃないかっていう気はしますけど。
そこらへんな。なんかわりとシンプルに自分はこうだからこうっていうふうなことがしきれないっていうか。
ただね、逆にそれを変にやろうとすると、やろうとすると変な評価になっちゃう気がするんですよ。
本当に自画自賛にしかならないっていうか。
日本すごいとかさ、美しい国日本とかさ、日本語が変だからね。
私の知ってる日本語から比べると、ちょっとなんかそれ、形容夢中んだけど聞き慣れちゃってるからもう大丈夫。
なんか慣れてきちゃったのはあれだけど、普通そういうこと言わないよ日本の文化ではっていう、そういう気持ちになる。
結局同性婚に反対している議員の主張とかも、そういう伝統的家族みたいなものをこしらえて、
で、日本の伝統的家族が増えるからみたいなことを言うんだけども。
その伝統どこからみたいな。
もう学術的にはそんなもん成り立ってないっていうのは、あらゆる社会学者、歴史学者、法学者が言ってるんですよ。
それはそれこそ、より専門性、事実に即してってかと考えれば、伝統的って言葉は決して、歴史的に昔からという意味ではないんだと。
どっかの段階で伝統的日本の家族っていう名前のものがどっかで創設されて、
それと照らし合わせて、そこに寄せていくためには、そういう同性婚とかが邪魔になるっていうことをね。
はっきり夫婦別姓とかの問題もそうだけど、伝統ではないっていうことで。
みんな分かってんのに。
分かってるし、で、結局明治以前の伝統なんていうのは本当にコロコロコロコロって。
地域によっても違うしね。やっぱりその当時は地方主権国家でもなんでもないし、
それぞれの地域で全然習慣が違ったし、家族制度も違ったしっていうところでやってるので。
一番最初のサス級の話とちょっとつなげてみると、結局サス級って言われた時に、
いわゆる九州の人たちはもっとこう、本当はこうだし、九州の男性はもっと女性に優しいしみたいな語り口がカウンターとして出てくると。
それと構造が似てる。
似てる。そりゃそりゃそりゃ。そこに囚われていくっていうかね、その軸がね。
ああダメだ、私たち二人とも社会枠の人たちだからそうなっちゃった。つまりそれの裏と表みたいになっちゃうんだよね。
それを否定することでね。だから同じ罠に囚われていくだけなんだけど。
いやでも本当にそうだって九州の、九州サス級って言われてるような男尊女卑、過不調性みたいなのは、
たぶん江戸で考えるところの過不調性であったり、男尊女卑だったりとは違う種類なのよ。もちろんご存知かと思うけどね。
だから江戸時代の女王式というか、女大学という貝原育賢という人が書いた本があって、その人が獣学者なんです。
それで要するに女性っていうのは三つ指立てて主人を迎えるもんだみたいな、そういう話を書いている。
それが江戸時代の教養みたいな感じで、寺小屋とかで教えられていたっていう時代があって。
また明治は明治で、それはもうさすがにないなって話になったんだけども、
とはいえ過不調性というか過調性とか残っていったっていう。
そうですね。男子相続だしね。男子長子相続だからね。
戦後になって、男女平等っていうところが一応憲法的に主張されるようになったっていうのがありますけど、
結局さす給という言葉で、傾向としてはもしかするとそういう傾向があるのかもしれないけれども、
とはいえ一括りでね、さす給という言葉で批判もできない。
あるいは例えばさ、よくカウンターの仕方としては下手くそだっていうさ、
いや九州の女性はそうやって男を立てながら実際は実権を握っているのだという言い方は私は若い頃はすごい嫌いだったけど、
じゃあでも本当にそういう、なんていうの、だからいいんだとかいうことではなくてね、
じゃあどのくらい実際男女平等指数みたいなのあるじゃん。
よく日本が140ないなとかって言って、反対して気持ちよくなっている人たちいるじゃん。
あ、言っちゃった。ちょっともう少し言い方変える。
だからジェンダーギャップ指数、そんなわけないじゃんって思いません?
どこ見てんのと。
日本は百何十カ国中の百何位だとか言って言って、だからこんなに日本は遅れててというふうに言う人たちがいるけど、
冷静に考えていると。
例えば一つ確かに女性の政治家が増えることも重要かもしれないが、そうじゃないところでっていうところと同じようなことが九州と東京とかさ、