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2025-04-09 29:25

にじシバラジオ#042 『ネムルバカ』~物語に秘められた百合・BLの芽生え~

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小倉さんおすすめコンテンツ回 / 映画『ネムルバカ』 / 石黒正数原作、阪元裕吾監督 /『ふつうの軽音部』 / 女同士のあるあるを描きながら醸し出される百合要素 / 大学生の日常生活とモラトリアム / 学生時代を通しての人間関係の距離の学習 / 最近のBL要素・百合要素の組み込み方 / BL要素・百合要素のカジュアル化 / カジュアルなBL要素・百合要素の使用はネガティブなのか? / LGBTQ当事者の多様性とBL・百合作品 / ボーダーを強化するのではなく緩める方向 /

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サマリー

今回のにじシバラジオでは、映画『ネムルバカ』を通じて、女子大生の先輩と後輩の関係を描いた物語が紹介されています。マンガと映画の違いや、作中の百合やBL要素についても語り合っています。このエピソードでは、友人との関係性や学生時代の思い出を振り返りながら、恋愛や距離感について話されています。また、最近の日本におけるBLや百合要素の変化についても触れられ、従来の描写からの進化が議論されています。このエピソードでは、物語におけるヨリ要素やBL要素がどのように使われているかを探り、その影響や考察について論じられています。さらに、LGBTQの視点から見たその意味や真の理解への課題についても言及されています。

にじシバラジオの紹介
こんにちは、にじシバラジオ第42回です。
にじシバは川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
はい、ともぞーです。
小倉です。
今回は小倉さんのおすすめコンテンツということで紹介していただくんですけど、
今回は、ちょうどこの収録が3月23日なんだけど、
その日に風切りになる映画。
3月20日。
20日付きか。
はい。
風切りされてんのか。
風消しされてます。
なんちゅう。私が間違ってるだけだ。
映画で、ネムルバカという映画があるんですけど、
もともと漫画で、私は映画見てないです。
で、これ収録後に見に行こうと思ってますけど、
漫画で、もともと石黒正和さんという漫画家さんが書いてる、
一巻だけで読める短い漫画なんだけど、
女子大生の2人、寮に住んでる先輩と後輩を中心にした物語なのね。
それで、もう今から15年くらい前になるかな。
もっとか。
そうですね。でも15年以上、16、17年前に書かれていて、
2008年の3月号が最後の最終話だから、
そう考えるともう15年以上、17年くらい前なのに、
2人のキャラクターも、大学の雰囲気とかは、
たぶんね、おそらく今はああじゃないと思うんだよね、学校とか。
そうだと思うんだけど、
うちもさ、女子大だったので、女子寮あったんですよ。
で、その先輩と後輩が同じ部屋に住んでる感じとかっていうのは、
普通に日常的にあって、
ちょっとたぶん古き良きっていうことなんだろうなって思うんだけど、
なんか懐かしい感じもあり、
ちょっといい感じのゆりテイストが挟まっていて、
ゆり妄想できるタイプの漫画になっていて、
別にそれは意識してないと思うけど、
石黒正和さんの漫画って、
女の子がみんなリアリティがすごいんだよね。
いそう、ちょっといそうっていう。
自分の石黒先生の漫画だと、天国大魔教っていう、
長いよ。
長いやつ、長編ですね。
で、途中まで読んだ。
あれもすごいトリッキーな感じの設定の漫画。
SF漫画ですけどね。
その中で出てくるキャラクターで、
お姉ちゃんキャラがいるんだけど、
そのSFキャラっていうのは、
もともと男の子だったんだけど、
その能を移植して、お姉ちゃんになったみたいな。
すごいね。
トリッキーの程がある。
いやー、絶対他も全部見るわ。
って感じになってきましたけど。
なんかきっと映画とか見てテンション上がると、
全部掘るわって感じだと思うけど、
絵も含めて、
この時代に、今からもう15年以上前に、
このテイストの女の子がさ、
描けてるって事自体がすごいし、
普通の日常生活の男の子との関わり方も含めて、
割とリアリティもあるし、
なおかつ、その2人の関係性を、
もうバンバン揺り妄想してる人たちがいるのも、
よく分かる感じの、
2人の絆みたいなところがあってね。
それで、漫画としては淡々と進んでいく。
多分映画はもう少し基礎転結ついた形の、
BLと百合の要素について
ドラマチックな話になってるような感じが、
予告とか見てるとするけどねっていうことですね。
今回、映画を監督したのが、
坂本優吾監督。
そうですね。
この方が、ベイビーワルキューレの、
はい、もうそれを言っとけば、
見に行く人はもう見に行くだろうというふうに思う。
なぜ知らなかった、今それが映画になったことが、
っていうふうに、
私は実際友相さんに聞きたいぐらいの感じなんですけど。
いや、だからベイビーワルキューレは、
ベイビーワルキューレで、
殺し屋の女の子2人。
女子高生2人が、
高校を卒業して、さあ2人でどうしましょうっていう、
そういう話ですよね。
そういう話で、
印象的なのが、
殺し屋の女の子2人が、
アパートでの淡々とした、
日常。
日常って言っていいのかどうかわからないですけどね。
もうだらしない暮らしみたいなやつね。
それが延々と描かれる、
みたいなところ。
それは殺し屋の活躍、
殺し屋として活躍するシーンというか、
格闘シーンとかアクションシーンも、
すごい見応えがありましたよね。
ベイビーワルキューレはね。
ベイビーワルキューレは。
でも今回の、
ネブルバカに関しては、
殺し屋のストーリーではないので。
でもたぶんね、
おそらくそれが片方が、
要はバンドやってて、
音楽活動にとにかく全部突っ込んでると。
男の子になんか関心もない。
それよりは私は音楽に惚れてる、
というタイプの子なのね。
たぶんおそらく、
格闘シーンの部分が坂本監督にしてみると、
たぶん音楽シーンで置き換わってるんだと思うんですよ。
比率としてみると、
映画だとそっちのシーンが増えてるんだと思う。
で、日常シーンは同じです。
クズな女二人のクソだらしない生活が、
お互いの口さがない感じと、
なおかつやっぱり、
お互いの真に迫るというかさ、
すごく間近に寄った感じのストーリーがあるので、
余計に揺り妄想されちゃうんだと思うんだけどね。
これはちょっと話し逸れるけど、
昔さ、だから男の友情が分かんないから、
この感覚のきびを女はBLに置き換えるんだって言われたことってあるじゃん。
ちゃんと、
それはさ、逆も真なりで、
男の友情が分かんないから男も揺り妄想っていうふうに考えるよりは、
どっちの友情が分かる分かんないの話じゃなくて、
いや単純にあの友情のきびのさ、
すごくこうコアなやつというかディープなやつを見ると、
人は恋愛と見惑うっていうのは、
男女問わず怒ってる症状であって、
何今更っていう感じだなというふうには。
そういうもんかもしれないですね。
よく言われるじゃん、なんかねBLはさ、
男同士のあるような普通の近しい友情みたいなのが分かんないから、
その感覚をBLに置き換えてるんだったけど、
これだけ揺りがさ、盛んになった日本の社会の中でですね、
揺りの数よりも揺り妄想の数の方が多いからね。
なんかそのバンド系の漫画っていうと、
最近あの普通の軽音部っていう、
ジャンププラスで日曜に連載している漫画がありまして、
それが次に来る漫画大賞かな。
2024年の女子部門で、
普通の軽音部が受賞をしていて、
これ女子部門なの?
えっとね、あ、ウェブ漫画部門が。
ウェブ漫画部門で普通の軽音部。
ですよね。
それもね、一部では、
そういう女性同士の揺り展開的な要素がすごい見られるということで、
盛り上がりを、一部盛り上がりを見せている。
なるほど、今見てます。
芸作クワハリ作画出打ち、
出打ちかな、鉄道による日本の漫画、ジャンプルーキーに投稿されている。
ハトちゃんっていうね、女の子が主人公で、
で、なんていうか、そのボーカルが、
ボーカルに凄みのあるパンクバンド好きな女の子で、
で、その子が独特な歌声を持っていると。
で、その歌声に惹かれて、
ハトちゃんを神として建て祀る、
リンちゃんっていう同学年の女の子がバンドを組んで、
そのハトちゃんを巡って、その軽音部内で、
男子バンドとかね、ある中で、
安藤が繰り広げられたりとか、
足の引っ張り合いがあったりとかっていう、
そういう些細な日常生活の中の展開を描いていくんだけれども、
女の子同士の女子バンドなので、
その中で感情の機微が描かれたりという中で、
揺り展開と読み取れるような言動があったりみたいな、
そういうところが注目されていたりとか。
やっぱりそれはエッセンスとしてね、揺り要素みたいなのがさ、
ある程度、一つの漫画のいろんな要素の中の、
例えばSFとかオーカルトとかいろいろな中の、
やっぱり揺り要素が入っている。
恋愛要素の中でも揺り要素が入っているとか、
BL要素が入っているとかっていうのは、ごく普通になりましたよね。
別にそれは悠長の話であって、
別に特に性的に何か接触がある漫画ではないけども、
そこに妄想を突っ込んでいくっていうのは、
想像力を投入しやすいシンプルなストーリーの中には増えたなというふうに思いました。
そうですね。
そういう時も、そういうのは男女だと昔からあったんだろうと思うけど、
女子同士とか男子同士とかでも普通にそうなるというのは、
今はすごくフラットに出てきたかなという気がしますね。
で、その眠るバカの話に戻ると。
そうですね。眠るバカの話に戻るとですね、
今私のWikipediaが普通の慶応文になっちゃったでしょ。
で、これ主人公は、どっちを主人公としてもいいんだけど、
後輩がイギスちゃんという女の子で、
先輩がクジアイルカという、
名前は最初の頃全然出てこないんだけど、
クジアイルカちゃんということ。
これが同じ寮の部屋にいますと。
後輩のイリスさんの方は、わりと普通の女の子表彰なのよ。
なんていうのかな、ちょっと面倒見のいいお母さんキャラで、
可愛くて好きな男の子とかもいて、
やりたいこととかはそんなにはっきり持ってないけど、
ビデオ屋さんで、古本屋さんでアルバイトしてて、
よくいる大学生表彰。
で、もう一人の先輩の方が、どっちかというと不思議キャラというか、
ちょっと先を走っているかっこいい先輩だけど、
金がなくてだらしなくてみたいな感じもあるようなキャラクターで描かれてて、
女性2人で話が進んでいくっていう。
金のない生活とか、失恋の表彰とか、
あとそういう2人の語り合いの中で淡々と進んでいく感じなのね。
だからそういうところが、よくある日常系の女同士のあるあるだったりもして、
入りやすいと思うし、2人の距離の近さ、
例えばカレーを温めて、湯たんぽにして、2人で寝るみたいなさ。
なんで学生時代って、あんな風に特別に、
この人はいいとこもあるけど悪いとこもあってなっていって、
みんなだんだん年取ってくると一斉に起き始めるけど、
学生時代ってどうしてみんなべったっと一緒になるんだろうねっていう不思議さってない?
確かにあるのかも。
友人との関係性
好きも嫌いも、この子は好き、この子は好きじゃないってゆるやかにはあるけども、
わりかし友達って言われてる子との距離感とかって、
この子は意外とこういうとこは面倒くさいからなとか思って、
ちょっと拒絶したりとかしないみたいなことってあって、
ずっと何日でも一緒にそれこそ喋ってたりとか、
だらだら過ごしてたりとかするってことがあるじゃない。
学生の時って意味のない徹夜とかさ。
あーありますね。
明日の予定とか全然考えずに、どうするの明日っていうさ、
明日の授業どうするのとか言いながら、
本当に真剣に心配してないみたいな時間の使い方とかって。
まあ確かにありましたね。
あったじゃないですか。
なんかそのノリがまんま。
今の学生がそうなのかどうかわかんないけど、
少なくとも私の時代なんかは友達の下宿でずっとだらだらしてて。
そう、なんかね、自分も大学の先輩、
自分がやってた大学の8年生がいて。
8年生で、8年生でも追い出されかかってるみたいな感じの。
絶対今回全部取っても無理でしょみたいなね。
8年いる意味ある?みたいな。
学費担当っていうか。
なんでそこまで大学にいるんだかよくわからない人。
その人は大学から徒歩5分ぐらいのところ。
うちの大学ちょっと変わっていてですね、
丘の上に建ってたんですけど、
道が坂の下にあって、
そこですぐまた急斜面で丘になってるんです。
その丘が結構急斜面で、
その急斜面の半ばぐらいのところの、
ふもとから登って50メートルぐらい登ったところにアパートがあって、
結構古いアパートがあって、
そこの一室にずっと住んでる人だったんですよね。
ただ居心地がめちゃいい感じの髭面なんですよ。
すごい長い髭で。
髪もロン毛で。
だから一部では某信仰宗教の人みたいに、
当時のね。
言われてたんだけど、
別にその人自身は教祖の人じゃなくて、
ただずっと大学にいる人みたいな感じで。
部屋は本がたくさんあったりとか漫画がたくさんあったりとかして、
すごい居心地のいい空間で。
そこに行くと2,3日出てこれないみたいな。
そんな感じの空間の人はいましたけどね。
うちも学内にまず寮があったので、
この漫画多分学内ではなさそうな感じなんだけど、
私学校の中にいくつか寮があって、
やっぱりその寮の友達のところにね。
最初の頃は先輩とかもいるからあまり行きづらいんだけど、
途中からはだいたいその人たちが先輩になってくるから、
行きやすくなるんだけど、
何せ女しかいないっていう空間の中でさ、
独特の寮が発する、
大学も背負いながらもダラダラしてる感じっていうのがあって、
大学そのものとちょっと近いっていうか、
ちょっとモラトリアムっていうか、
その場所自体がちょっとモラトリアムみたいなところがあって、
ちょうどみんなさ、自分の人生の選択肢とかでさ、
悩む頃の大学の話を、
おばちゃんが見てどう思うのかっていうふうに言うと、
別に同じその時の気持ちになるだけっていうだけなんですけど。
ちょうどそのバンドでね、デビューのチャンスがあると。
で、その時に大きな選択をしなくちゃいけないっていうことが出てきて、
映画にする要素としてはその辺の要素が大きいだろうなっていうふうに思うんだけど、
何かを捨てて、今までコツコツ自分がその壁を破ろうと思ってきたその壁を、
本当に掘って向こう側に行けるかどうかもわからないけど、
ずっとやり続けてるっていう先輩がいて、
でもなんかそれがある時突然、
壁じゃなかったかも?みたいな感じでスルッと抜けられるっていう可能性が出てきた時に、
彼女が逆にずっとそのコツコツ、本当に自分が一番魂込めてやってきたことが、
どういうふうに変化していくのかとかさ、
そういう気持ちってやっぱりその旗から見ててもそうだし、
自分に置き換えてもそうだろうと思うし、
じゃあそれを捨てた形で、
例えば自分の望みがうまくいくとして、
それは望みがうまくいったことになるのかどうかとかさ、
なんかそういうのを学生時代って、
例えば就職活動とかに考えたりするじゃないですか。
あ、就職活動してない。
自分大学院に行ったので。
そうですね。
ただどうなんだろうな、
割と大学生の同士の同棲みたいな話って、
すごく昔、同棲時代っていうマナーを教えたりとかもしましたけどね。
古いね。
古い。だいぶ昔のマネですよね。
壇上のでも結構描かれてはいるのかなっていうのがあり、
なんていうかな、そのモラトリアムっていう中でいうと、
やっぱり人と人との、自分と他人との距離感を探る時期っていう部分があるのかもしれないなと。
社会との距離感と、その一番身近にいる親しい誰かとの距離感っていうのが、
何か一つの軸になって、他の社会との距離を決めたりとか、
判断したりとかすることになってんだなという感じのストーリーをよく読みますよね。
恋愛と距離感
だから、大学生の時期、いわゆる青春時代的なところっていうのは、
だから、特に恋愛関係においては近づきすぎたりとかっていうのもあるし、
距離感の失敗ね。
失敗して、それで関係がうまくいかなくなっちゃったりとか。
対外伝送ことになっちゃう。
でも、そういう試行錯誤があってこその、
試行錯誤がないと、なかなか人との付き合いっていうか、
特に恋愛関係においてはね、うまくいかないというかね。
だから、なんだろう、やっぱり学生の時とかってやたら近くなっちゃうんですよね、たぶんね。
で、この二人のさ、最初の描写で、
自分の食べた残りのゴミを相手に提供するところとかあるじゃないですか。
天丼にして。
天丼の尻尾の部分とかあるじゃないですか。
あとまあ、それこそ、
飲みすぎてさ、ゲロ吐きまくって解放するとか、
そういう距離感も含めてさ、
家族でも、相手が食べ残したエビの尻尾を食べさせられる。
これないよ、身がないよ、とか言うけど、
あ、それ私が昼に食べたエビの尻尾です、みたいな。
そのぐらいの距離ってさ、一種特殊じゃない?
家族でもやらない。
友達以上、恋人未満、いわゆるそういう感じの関係性の中で、
有利要素というか、BL要素もそうなんだけれども、
ある意味そういうBL要素であるとか有利要素っていうのを、
以前に比べて、漫画や映画やあるいはメンチカもそうなんですけど、
上手いことを消化できるようになってきている感じがしますね。
そう、ビジネスBLとかね、ザラにあるもんね。
ビジネス有利とかね。
だから、昔は晴れ物に添われるような感じで、
有利展開とかBL展開ってあって、
で、オッサンズラブの時代、
まあ比較的最近ですけど、
それでもやっぱり、オッサンズラブとかが出てきた時は、
まだちょっと晴れ物に添わる系の感じだった気がします。
それが徐々にこう、
さらに練れてきた。
練れてきて、馴染んできて、
例えば、メンチカンアイドルのオフ動画っていうかね、
YouTubeチャンネルとかの企画とかでも、
最近見たのだと、
なんか、俺久々にBLやったわみたいな感じの。
ああ、あるよね。
メンチカンのあるとあるグループのメンバーが、
じゃがりこの食い、両端をこう加えて食べるみたいなね。
で、それ軽くチューしちゃうみたいな感じのやつをやってて、
久々にBLやったわみたいな感じのことを。
それは別になんかそういう作品とかじゃなくてじゃがりかねさん?
ただの動画みたいなやつ?
動画みたいなやつ。
ただ、見た感じ別に普通にバリノン系な感じのメンバーなんだけど。
分かんないけどね。常に分かんないけどね、そんなのは。
その辺でBL要素的なものをちょっと軽く使ったりとか。
エッセンスに入れるみたいなね。
エッセンスに入れるとかね。
そういうのが昔よりかはだいぶ気軽に、カジュアルに使うようになっているのかも。
日本のBLと百合の進化
いやでも、それって日本特殊な事情じゃないですかね。
私は有利妄想もBL妄想も、見てる人たちはあれだよ。
国を問わずどうせ見て、ワーキャー言ってるのは、
たぶん、絶対眠るバカの映画とかも海外の反応動画とかで、
そういう有利太的な人たちがキャーキャー言う様子がわかるんだけど、
想像つくんだけど。
製造してる現場、やっぱここはガンガン製造作ってきました、このLINEで。
すごく特殊日本な事情な気がするんだけど、錯覚。
他の国のコンテンツ知らないからね。
チャーリーズエンジェルみたいなやつ昔あって、
チャーリーズエンジェルとかで、ベイビーワールキューデみたいな展開ってあったかっていうと、
展開っていうか、要するに日常生活の中で、
女の子同士がダラダラと膝枕とかしながら、
同勤とかしながらね。
動画見てる様子とか。
そういうのは描かれないんですよ。
だからチャーリーズエンジェルはあくまでもそれぞれが憧れる男性像みたいなのがあって、
その中で描かれる女同士の友情みたいな。
ちゃんとすごく友情らしい友情を描き出すと思うんだけど、
なぜならばそこにはその人が付き合っている彼氏とか、
あるいはほの字の相手とかがいることで、
初めてそこの友情がきれいに友情として切り分けられるみたいなところもあるじゃないか。
そうですね。
だからチャーリーズエンジェルとかの場合だと、
多分ジェームス・ボンドものをちょっと逆転させたような物語のたり構造というか、
007シリーズっていうのは必ずヒロインみたいな人がいて、
それにジェームス・ボンドが続婚という言葉も古いんですけど。
すごいな。この人が続婚とか始まったぞ。
おばちゃんとおじちゃんの会話すごいから。
それの逆転させるチャーリーズエンジェルっぽくなるんだけど、
日本のコンテンツというか、最近のBL要素とかエビ要素っていうのはそうではない。
でも日本もちょっと前までキャッツアイとかはだって姉妹じゃん。
でもそこにやっぱり恋愛要素含めのちょっと難しいところ。
兄弟BLとかもあるので、入れたい人はどうぞってことだと思いますけど、
でもキャッツアイとかに女性間の付き合いは姉妹の付き合いであって、
それこそ四季夏子的なさ、兄弟の関係。
女の子、人がいっぱい出てくるけどそれは兄弟ですって言うと、
物語におけるヨリとBL要素
そういう恋愛要素を完全に範囲した形で物語を作り上げることができるから、
それは日本もそんなに昔から伝統的にある手法ではないような気がしますね。
そこのところを最近のコンテンツの中だと、やっぱりヨリ要素やBL要素をフックとして使って、
例えば主人公が二人、二人主人公の関係性をより強く描き出すみたいな。
バディモノとかのね。
バディモノとかもそうですよね。
全然気にしない人は気にしないで見て、
気にする人はそこだけ気にして見てるとかってことが起こるっていう。
絶対これヨリだよねみたいな。
絶対これBLだよねみたいな感じの。
なんかそういう要素が、
眠るバカの時点で、これってネタバレになるの?どうなの?
眠るバカっていう曲があるんだよね。
そのバンドの曲が眠るバカなんだけど、
それはやっぱりもう一人の後輩ちゃんの方に由来したネーミングだね。
そういうちょっとしたところがちょっと萌えっていうか、
エモい要素を入れていて、それぞれの関係にね。
だからそういうところがより消費可能だし、
なおかつちょっとほんわ化した気分になりながら見れるっていうね。
一方ではそのLGBTQ当事者界隈からは、
そういうフックとして使うそのヨリ要素とかBL要素について、
真の理解とか本当の理解にはつながらないみたいな話も、
批判は常に出てくる要素ではある。
ただまあ、そりゃそうなんですよ。
これは本物じゃないから、それはなしね。
別にそこは言ってないんだからさっていうところもあるし、
言ってるやつとかだと全然違う。
本当のBLとかでもさ、もっと恋愛系のBL、
バリバリお互い付き合ってますとか付き合いますとか、
そういう話だって全然リアリティがないものもいっぱいあるけど、
それを言っちゃ惜しめよって思ったりはするけどね、個人的に。
でもあるし、あとはその、
じゃあ真の理解ってなんだろうっていう根本問題があり、
いろんなねコンテンツの中でBL要素、ヨリ要素っていうのは、
ぶち込まれるようになってきてはいると。
ネガティブじゃないと思うんだよね。
そこはポジティブに捉えていて、
YouTubeチャンネルとかでもいろんなゲイやレズビアの方たちが、
自分自ら情報発信するようになってきているけど、
それが出て、情報発信すればするほど多様性が広がるっていうか。
うちとは違うよとかね。
いや俺はそうじゃないけどねっていうさ、
もう全くありえないようなことを言うさ、
ゲイカップルとかもいるじゃん。
レズビアンとかもいるじゃん。
だからそれはもうそれぞれ違うわけで、
どっちが真のっていうんじゃなくて、
当事者が全く表に出てこない、
例えば犯罪になってしまうとかで、
出たら取り締まられますとかっていう状況があって、
一方でBL小説やBLドラマやよりものが大量に流布しているのは、
不健全な社会だと思うけども、
自分たちでいろんなシチュエーションなり何なりを発信できると、
こういう状況とかをさ、説明できるということが一方であって、
もう片方で、分かってようが分かってなかろうが、
そういうところに関心興味ありますよっていう人が引っかかるフックが、
埋められている物語がいっぱい展開するっていうのは、
割と健全な状態っていうと、
健全っていう言い方が正しいかどうかと思うとして、
いい状態じゃないかなと思いますね。
LGBTQの視点と課題
様々な誤解を生む可能性もあるんだけれども、
理解を生む可能性もあって、
それは可能性どちらにかけるかっていう話には過ぎないかなっていう気はしてるんで。
でもさ、とにかくさ、
例えばね、常にゲイが出てくるときは悪役ですとかさ、
よくさ、昔の70年代とかの、
いや60年代か、
例えばネイティブアメリカンが出てくるカオオイモノとかも、
だとそうだと思うんだけど、出てくるときは常に悪役です。
その後は多分黒人とかで起こることだと思うんだけど、
それと同じで、
女優や同性愛者の表彰が常に物語の中で、
どこを見てもいつも悪役で描かれてますよねって言うんだったら、
それは変えていきたいなって思うし、
でも自分がいいなとか共感できるなとか、
あ、私の日常のすぐ隣だなとかって思う物語の中に、
ちょっとそういう、
同性に対する親しさの芝生の気持ちぐらいの、
思いがいっぱい入っている物語がたくさん展開するのは、
なんかいい感じがするなぁ。
そうですね。
だからそのトランスジェンダーにしても、レズビアン・ゲイにしてもね、
そういう凝り固まった表彰だけを取り扱うのではなくて、
よりそこのボーダーが緩くなるような感じで、
もうなんかグラデーションの、
ずっとグラデーションで、
前回のケモナーの話ぐらいが違う。
だからそういうところで、
よりね、揺り要素なり見える要素っていうのを、
もっといろんなコンテンツの中で、
多様な形で楽しめるようになっていくかもしれないですね。
本当に楽しめてますよ。
はい、そんな感じでいいでしょうか。
そうですね、そんな感じですかね。
二次芝は川口市芝のシェアスペース・スペーストプランで、
月2回開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、
誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関する様々な話題などについて取り上げています。
詳しい開催日程などは、概要欄のホームページをご覧ください。
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それではまた来週お会いしましょう。さようなら。
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