なんかもう本格的になってその人が歌うっていうのは、
通合すると十何人とステージに立ったんでしょうかね。
だいたい十人前後、十首前後。
では、ONE OF THEMではあったことは事実なんですね。
たぶんこの手のやつだと主催側から声なきするのもあるとは思うんですが、
公募で募集するみたいなのがあるんで。
そういう局面もあるんですね。
結局声なきできるアーティストさんというかアイドルさんとかって限られてくる。
それだけだと時間が埋まらないから、
あとは公募でみたいな部分もあるんじゃないかな。
そのサンセットのテーマソングを作詞作曲したシンガーの人っていうのは、
九州在住の当事者?
そこはわかんないんですけど、
さっきアカウント見たところ、
当事者とは書いてなかったけど、
自分の前に見た投稿派、
当事者やる的なことが書いてあったような記憶があって、
もしかすると削除をしてしまったのかもしれないです。
なるほど。
それの可能性もありますね。
当事者かあらゆるかはともかくとして、
少なくともそこを界隈にいる人だったんですね。
根拠のないとこからいきなり降ってきたっていうタイプの、
満ち込んだって感じの話ではないということですね。
本人としてもLGBTQ系コミュニティを、
九州を盛り上げるために出演したし、
それで参加者の人たちにメッセージを受けたいみたいな、
ある意味純粋な気持ちがあったんだとは思う。
ところが、そこで歌われたのが、
賛成党のテーマソングだったというところが。
歌詞にも賛成党、賛成党って出てくるかもしれないもんね。
そうなんですよ。
賛成党のテーマソングは、
聴かなくてもいいですけど。
すごいポップだね。
今時の歌い上げるみたいな感じの、いい感じの。
そうですね。
いわゆる政党の党歌というか、
そういう感じではなくて、
普通に聴き流すことができるような、
今時のJポップっぽい感じのポップな曲だと。
でも途中で同志の人の声が入るっていう。
そういう録音版にはちゃんと入ってくるんですか。
入ってくるという。
かなり本格的に政党のための歌なんですね。
そうですね。そういう感じなんですけどね。
その後の同志の声がなければ、
政党のテーマソングというふうには、
分かんないですね。
分かんないような曲だなと思いました。
公式声明にどう書いてあるかというとですね。
公式声明っていうのは、レインボープライドが出したのね。
出演者から申し込みを受け、
これは声掛けしたんだよね。
あくまでも向こうから申し込みがあったってことですね。
はい。
なるほど。
調査を行うっていうのもめっちゃコストがかかりますし、
大変なので普通はしないかなというところですね。
しないでしょうね。
というところで声明には記載がありまして、
九州レインボープライドの理念っていうのを記載がありまして、
九州レインボープライドはLGBTQプラスを含む全ての人々の尊厳と多様性を祝福し、
誰もが安心して参加できる場を作ることを目的としています。
その理念の下、当団体は特定の政党や特定の宗教団体を指示推奨することは一切ありません。
今回の出来事はそうした基本姿勢とは相反する出来事です。
私たちはこの事態を重く受け止め、深く反省しております。ということで、
結果としてその手はそろそろ打たれてしまったけれども、
一応この流れをね、こういう説明を読むと、
まあ措置するのはなかなか難しかったんじゃないかっていうのは思いますね。
で、その歌ってる最中に引きずし降ろすってこともできたような感じですか。
そうですね。あ、これはっていうね、後ろではこそこそ言ってた可能性はもうすでにあるってことですね。
あるけれども、その、ただそのさっきも言ったように、
そういうポップな感じの曲でフォースの声が入ってはいければ、
一見そのテーマソングだとわかんない。
そうですね。知らないなら知らない方がよほどわかんないですよね。
縁の近い人だったらわかるけど、縁が遠くなればなるほど、
その歌がどういう意味を持つかっていうのはわからないですよね。
賛成党って言葉が入ってるわけじゃないので、
曲のやってる最中であったとしても、
それが賛成党、特定の政党をね、支持する歌だということには気づけなかった可能性が高いな。
そうですね。
まあということでですね、国家効力的な部分はあるかもしれないけども、
それに対して、今回予防策というか再発防止策みたいなことを
九州連合プライドが出していまして、
それがまたどうなんだろうというのがちょっと気になる部分ではあります。
具体的にはどんな感じですか。
具体的にはですね、来年度以降におけるステージ及びブースに関する事前確認体制と
当日の体制を見直し、同じ過ちが起きないように体制の強化をいたします。
一つ目として、出演者や関係者に対し、
自立性に関するガイドラインの共有・同意を徹底いたします。
二つ目ですが、出演者や関係者に対し、九州レインボープライドの理念の理解を求め、
表明保障を取得します。
何、表明保障って。
よくわかんないんです。
表明保障とは何だろうというのが、
そうですね、わかんないですね。
書面化なんかなんですかね。
私は九州レインボープライドの理念を尊重し、
それに反することはないことを誓いますみたいな、
制約しますみたいな制約書を出させるとか。
よくわかんない。
三つ目として、上記に反するステージやブースに関しては、
直ちに適正な対応を取らせていただきます。
やっぱり即時止められなかったことを後悔している風なんじゃないですか。
そうですね。
この再発防止策を読む限りでは、
この実行委員会としては、
今回のトラブルが起こってしまった原因としては、
事前把握が十分ではなかったというところと、
問題が起きたときに、
そこを体制が取れなかったみたいなことを後悔して、
それを今後は何とかしていこうというような観点で、
文章を出してますよね。
声明を出しているのかなというような感じがします。
ただやっぱり一つ目のところ、
中立性に関するガイドラインの共有同意を徹底いたします。
これは普通なことかなと思います。
このガイドラインがどういうものなのかというのは、
明らかになっていないかなと思うので、
例えば特定の政党・宗教を支持するような内容の行為を
ステージ上では行わないでくださいみたいなことであったりとか、
ということは普通に受けるのかなと思います。
ただ二つ目のさっき言った表明保障を取得という部分と、
あとは三つ目の直ちに適正な対応を取らせていただきますという部分が、
結構なかなか難しいのかなというような気がしていますね。
難しいというのは?
難しいというのは、表明保障がどういうものになるかわからないですけど、
それを取ったからといって、
逆にちょっと抑圧的な感じに機能しているのか、
二つ目と三つ目に関しては機能しているのかなという気がして、
結局その表明保障というか制約書的なものを書かせるとして、
その制約書に反した場合は直ちに対応を取られちゃうよと。
そうですね。
そこの内容というのが本当に細かく決まっているんだともかくとして、
ざっくりとした制約内容だったとしたら、
主催者の判断でどうするのというのは決められることになるということですね。
決められることになっちゃうんですよね。
例えばブースを出しています。
そこで例えば特定の正当とは言わないまでも、
特定の正当が主張する政策に賛同するようなことを書かれた場合に、
それは特定の正当フィーズと脱がされて、
そのブースはもうそれやめてくださいとか、
ブースを出すのやめてくださいみたいな感じになりかねないような危惧も感じる。
そうですね。だからこれを見て本当にその謝罪番、
どういうガイドラインがあるのかも知らないし、
どういうガイドラインはあったのかってことすら私はよくわかんないんだけど、
どんどんどんどん仕事増えそうって感じですよね。
仕事増えるし、別に役所の仕事じゃないから、
レインボープライドの実施主体も含めて、
かなり恣意的な政策目標に対して働きかける、
あるいは自分たちの活動を誇示する。
ダメの集まりなのに、やってることが公民館の仕様みたいな。
そうそう。どんどん神経質な感じになっちゃうと、
逆にやっぱりちょっと参加する側としてはね、
ちょっと自由なそこのあれっちゃう感じも浮かせるかなっていうところはあるんですね。
そこのところはまあその差事加減次第だと思うんだけれども、
あまり横厚的な感じにならないようになってほしいなっていうのは。
体質がね、だってもう結局その団体自体がもう、
自分たちの自由な表現、
まあ性的な表現も含めての表現の誇示にもかかわらず、
なんかその中でOK、これはNG、これはNGでこっちはOK、
みたいなことを決めざるを得なくなってくる。
ってか決めることを、
自分たちが決めたいと思ってたわけでもないのに、
決めることを強いられる感じがありますよね。
それが残念だなあと思うし、
じゃあ実際今回のこれに関して、
三線塔の歌を歌ってる歌手は登壇させないっていうのも、
今考えてみるとどうなんだろうね。
さっきも言ってたけど、
特定のテーマソング歌っちゃダメだっていう、
まあ正統のテーマソング歌わないでくださいねっていうのも一つですが、
全部の政党のテーマソングだったから歌おうよっていうのも一つのやり方である。
例えばその政党がそれぞれに、
なんていうかな、
性的少数者あるいはマイノリティに対する成立策を掲げるときには、
常にレインボークライドに参加して、
そして歌を歌うっていうふうにね。
自民党からね、公明党からね、
立憲民主党から日本普通党に至るまで、
みんな持ってるもんだよね、そういうテーマソングはね。
自分たちの中にもいる支持者たちに対してのメッセージも込めて歌を作り始めたら、
全部聞くかっていうふうになっても面白いとは思うけど、
現実的ではないし。
あるいはステージイベントのところで、
政党紹介コーナーみたいなの作っておいて、
そこで各政党の九州、福岡支部みたいな、
その人たちが、自民党だったり立憲民主党だったり、
国民主党だったり、一産政党だったりが、
登壇して喋ると。
そのときにバックグラウンドでテーマソングが流れるとかね。
そういうのでもいいんじゃないかな。
やりようは他にもある。
いや、やんないと思いません。
やらない、やらない、やらないけど、
なんか難しいね、それだってやっぱりルール化じゃない?
実際みんなに賭けなきゃいけないっていうのも、
実際はレインボークライド、東京のも含めてやってるけれども、
何年とにも声をかけたんだから、何年とにも声をかけなきゃいけないっていう。
それはそれぐらいの誤解というのはあるんですけど。
昔事増えてるな。
やっぱり実行委員会はあくまでもやっぱりボランティア組織なので、
そうですよね。
みんな本業を抱えている中で、時間を作って実施しているっていうこともあるので。
なんでもありって、やっぱり今この世の中の中では難しくなっちゃってるわけじゃないですか。
だから本当は別に、私はその歌手の人が賛成党支持者でね、
あるいは賛成党の歌を作って、何とかこの手段を盛り上げたいっていう中に、
自分のLGBTQに対するアレイメントっていうか、
寄り添いをね、あるいは中の中心にいるのかもしれないけど、
なんか主張していくのも混ぜていく。
逆にね、LGBTQ側にしてみれば、賛成党の政策の中に、力を持った政党の中に、
LGBTQの鎖を打ち込んでいくってつもりで考えたら、
今回のことはプラスで考えてもいいぐらいの勢いじゃない?
絶対炎上するわ、やめよう。
だけどどれが正解かわかんないですよね。
正解ではわかんないんだけどね。
そこは各プライド団体、プライド団体がね、それぞれ経験も積んできていると思うので、
問題を意識を共有して、単純に九州だけの問題と考えずに、
連帯して取り組んでいく必要があるんじゃないかなって。
そうですね。やっぱりいろいろ考えたらいいと思いますよ。
それこそ、本当にフィールセーフばっかりに、やっぱりどうしても目が向きがちだけども、
例えばもううちはステージイベントやらないってところも多分出てくると思うんですよね。
あるいはステージイベントは全部自分たちの主義主張でやるとか、
いろんな形で、どういったところもだいたいブースとステージっていうこの2つを走らせるっていうのがどこのイベントでも基本なんですけど、
ブースだったらそこまでは言わないじゃないですか。
まずいろんなところが出てきても全然アリだし、政治的主張しているところが出てきても文句言わないと。
ただステージってやっぱりかなり恣意的にそこを一歩走らせることもあるから、勝手にやってっていうふうに、
もっと公衆の面前に自分たちの姿をパレードをすることで、自分たちがここにいるんだっていう存在を訴えかけるようなものとして始まったものだと。
集団的カミングアウトというかそういうものとして始まったものであり、だからプライドパレードっていうものをやること自体が中立性ではないよみたいな。
そういう話もあって、そこでその中立性っていうものが何なのかっていうのがちょっと一部で話題になっています。
一番右から一番左までを取ってその真ん中が中立っていうんだったらば最初からだってその人たちある一定の中の一部分でその本体であるところの社会に対して何か訴えかける集団だから、
まず全体から見ると中立ではありえないですよね。
そうなんですよね。そのプライドパレードの本来の趣旨であったりとか、LGBTQ系のイベントの趣旨からいうと、すごく俯瞰的に見るとそれはどちらかというとやっぱりリベラルな催しであって、
それがいわゆる保守的な立場の人をインクルージョンするケースも最近は増えていると思うんですけども、基本的な立ち位置としてはリベラルなところに立ってやっているイベントなのではというところがあるので、
その完全に中立な部分に立つのは難しいよね。
だから本来はその中立性という言葉もどの軸の中立なのかって問題があるわけじゃないですか。
例えばその政治的な政策的な右派とか左派とかいうところの中立ではなくて、LGBTQ界隈の中の本来はいろんな一種があって、
その時にこういう人もいればああいう人もいるっていうところでの、なるべくそこを全体を見通したところでの外観、外観したところでのスタンスに立ちますよと。
例えば同性婚に賛成する人と同性婚はいらないっていう人が例えば、そこに対して中立的であるとかっていうのって、政治的なリベラル化保守化に割り振られがちだけど必ずしもそうとは限らないことだって。
たまたま同性婚は世の中によく出てくる一種だから微妙だけど。
その中での中立性を言うのならばまだしもって言うと変だけども、でもそれをわかって中立性って言葉を使ってるって思うし、
無自覚でこれ言っとけば間違いないだろうの、鉄板で中立性って言ってるだけちゃうのっていう。
エセ関西弁よくないよくない。
今小倉さんがおっしゃった通りで、自分がねそのクリア用語事前の前のところでちょっとしゃべった抑圧的なところになるんじゃないのかっていうところ。
懸念したのはまさに、結局、政党や宗教からどことも距離取りますよって中立性っていうのはわかるけど、
国内の中立、それ以外にもいろんなトピックがあって、そことを本当に遠距離で首を整ってめちゃめちゃ難しい。
さっきも言ったようにプライドパレードっていうもの自体がそういう自分たちの存在を世間にアピールするっていうところになるんで、
例えばそれがね、もう同性なんて絶対に認めない、そういう強固な主張をする人でもう目に入れるのも嫌だみたいなそういう人がいたとして、
そういう人がプライドパレードを見たときに、なんだあれはけしからんみたいなことを言ってきたときに、じゃあどう対峙するかって言ったら、
そこはもう完全にその人の持ってるイデオロギーとはぶつからないということになってくるんで、
やっぱりそういうことを考えると、あんまりその中立性っていう言葉にとらわれすぎて、もう神経質になっちゃうとやばいよって。
だからこれは中立ではないんでっていう言葉って、何か動くときのね、動こうと思って集まってる段階なんだから動くときの枷にしかならないし、排除の論理にしかならないと思うので、
やっぱりそんなに中立性って言葉を便利に使うべきではないんではないかと思いますよね。
あんまりやっぱりそこにこだわりすぎて、逆にその排除の論理だったり、力圧を強めたっちゃったりとかっていう方向にちょっと、
なりそう。