もしかしたらゲイの方でもあんまり意識したことがない方もいらっしゃるかもしれないので、まずそこからプライドって何なんっていうところから一緒に学んでいきましょう。
まずそもそもこの言葉の意味なんですけど、英語でプライドっていうのは誇りという意味なんですね。
プラウドの名詞や動詞形ですね、このプライドの対義語にあたるのがシェーム、恥じるという言葉なんですね。
自分の性的思考を恥じなくてもいい、誇りを持っていいんだよと広く肯定する意味でプライドという言葉を使っているんです。
このレインボープライドとも言われるLGBTプライドという言葉が生まれたのには、ストーンウォールの反乱という1969年に起きた暴動事件がそもそもの始まりというふうにされています。
この暴動事件の背景には1969年6月22日、当時にゲイに絶大な人気を博していたジュディガーランドという女優さんが亡くなったというニュースが大きく関係しているんですね。
どのくらいそのジュディガーランドさん人気あったかというとですね、今で言うレイディガガみたいなイメージをしてもらえればわかりやすいと思います。
フレディマーキュリーやレイディガガに並ぶゲイアイコンとして当時のゲイの方たちからものすごく支持されていた女優さんなんですね。
そんな彼女の葬儀が行われた1969年6月27日の夜、ストーンウォール院には何百人ものゲイが集まってジュディガーランドさんの死を悼んだんですけれども、
問題はここからなんです。そこに傷んでいた最中にですね、警察の踏み込み捜査、要はガサ入れがあったんです。
皆さんも考えてみてください。自分の推しや大切な人との別れの場や葬儀の場にですね、自分たちのセクシャリティー、いわば自分でコントロールできないような思考や個性が原因で警察が踏み込み捜査すんでーって土足でズカズカ上がってこられたらめちゃくちゃムカつかへん。
なんで寄りに寄ってこの日やねんって思わへん。しかもですね、当時バーで同性愛者に酒類を提供するということは違法でもなんでもなく、警察がガサ入れをしてもいいという理由や根拠というのは何一つとして存在してない時代なんでしょう。
要はただの迫害、弱い者いじめなんですね。とっても平たく言うと警察からのセクシャルマイノリティに対する嫌がらせ目的なんですね。中場面白がって我々は攻撃されたんです。
これにはその場にいた人たちもとうとうブチギレてですね、その日初めてLGBTQ当事者らが性的指向差別や迫害に真っ向から立ち向かって暴動を起こしたという日なんです。だから未だに6月っていうのはプライド月間って言われてるんですね。この事件を始まりとしています。
私たちの性的指向は迫害されなければいけないものではない。恥じなければいけないものではない。誇りを持って生きていいんやでということで、今でもLGBTQのパレードのことを世界共通でプライドという風に総称するんですね。
このゲイアイコンであったジュディガーランドの代表作というのはオズの魔法使いのドロシー役ということもあってプライドパレードでは必ずオーバーザレインボーが流れるんです。この一連の事件ストウォールの氾濫から今年で55年の月日が流れました。
それでも未だに同性愛者が違法と定められている国というのは世界を見ると70カ国近くあるそうなんですね。これっておかしいことちゃう?って僕は思うんですよ。
日本でも明治5年には警官律条例というのが発令されていて男性同士の性行為を違法とする法律が10年という短い期間ではありますが存在した時代がありました。
世界的に見ると世界のいろんな国々と比較すると日本は同性愛に寛容な国と言えるそうです。この法律が消滅したのは今から142年前の話です。
同性愛は違法ではないとされてはいるものの142年経過した今でもLGBTQ当事者のことを理解できない人たちっていうのはやっぱりいらっしゃるんですよね。
理解しようとしない動き、言うたら国が法律で可決しない認めないという動きというのは言うたら異なかれ主義と同じだと僕は思っているんです。
世界的に見れば寛容と言える日本のこのムーブっていうのもどちらかというと寛容というよりかは無関心、停滞そんなものは存在していないという認識に近いんちゃうかなと僕は考えます。
テレビやメディアでLGBTQの方というのはこんなにも多く露出はしているけれどもでも国としては法律としてはそんなものは存在していないというふうに認知する方が近いんちゃうかなと僕は思うんです。
そう考えていくとまだ罰則を設けている国の方が実は認識されているんじゃないかなというふうに僕は感じるんですよ。
排除しようとする流れは決して良い流れではない悪い流れではあるんですけれども少なくとも排除するということはそこに同性愛が存在するという認知の現れやと僕は思うんですね。
逆に日本の法律では同性同士の結婚を認めないけれども同性愛的行為を罰することもない。
同時に罰することもないというのは法の上では我々は存在していないと考える方が正しいんちゃうかなって僕は感じるんですよね。
僕はLGBTQ当事者に当たるので当たり前にLGBTQの人たちに嫌悪感を抱くということはないんですけれどでもどうしても嫌悪感を抱いてしまう人がいるというのは仕方のないことだと考えてる人間なんですね。
もちろんセクシャルマイノリティの方が自分のセクシャリティを恥じなければいけない隠さなければならないなんてことは断じてないんですけど
だからといって理解できない人や受け入れられない人たちに対して我々のことを受け入れろお前らと同じ人間やから受け入れろと強要するのは全くもっておかど違い違うんじゃないかなというふうに考えてる人間なんです。
そりゃ理解できないものがあって当然やし生理的に受け付けないという人がおるのもそれは自分たちに好き嫌いがあるのと同じくらい当たり前のことやと思うから受け入れてもらえない理解されないという事実は悲しいけれど仕方のないことで当たり前のことなんですよ。
でもでもよここから重要よく知らない理解してないままなんとなく自分とは違うから排他的になってる人っていうのも必ずいるはずなんですよ。
人間は異性を好きになる生き物であるという呪いにかかってる人たちっていうのが絶対いるはずなんですよ。
そういう呪縛に囚われて今までセクシャルマイノリティのことについて考えたことがなかった人や虐げられてきた歴史迫害されてきた悲しい過去を知ってもらうことがこの東京レインボープライドの真の目的なんじゃないんですかねと僕は思うんですね。
前置きがかなり長くなりましたが東京レインボープライドの目的から考えるとこの今回援助した禁爆症っていうのは何の関係があるんですかねと僕は率直に疑問に思うんです。
禁爆症自体がいけないとかそういうことではないんですよ。別にそれ自体はご自由にどうぞなんです。別に好きにしたらええやんって僕は思うんです。
あー楽しかったね幸せな空間やったねで終わったらあかんのですよ。
僕もその気持ちはあります。
あー楽しかった幸せな空間やったっていう気持ちはあります。
また来年もみんなでレインボープライド楽しく迎えられたらいいなと思っています。
でも一人になった時こうやって自分で向き合って自分なりのLGBTプライドと向き合う時間っていうのは必要だと思うんですよね。
それが主催者や出展側であれば必ずそれは事前に考えなければいけないはずなんですよ。
来場者に何を伝えて何を考えてもらいたいのかその目的意識って必要なんじゃないでしょうか。
緊迫や過度な露出をすることで何を伝えようとしていたのかそれが明確になっていて意義のあるイベントブースであればこんな風に炎上することはないと思うし炎上したところで自分たちを守る盾というのがあったと僕は思うんですよ。
それでもどうしても炎上してしまったら伝え方を間違えましたでいいと思うのよ。
でもそこに伝えたいことが多分何一つないんですよねっていう話。
ただお祭り騒ぎに便乗して一部の人が自身の性癖を公開してただけにしか映ってないんですよ。
少なくとも僕にはそう映りました。
だから僕は東京レインボープライドって今年なんか変じゃないって感じました。
僕が感じた違和感皆さんにも伝わりますでしょうか。
なんかもんやりしてうまく言語化できないんですけどおかしくないですか。
別にこういう公共の場で不適切と言われてしまうようなブースが出展しているという事実が東京レインボープライドの趣旨とは不一致なんじゃないかとかそういう違和感ではなくてですね。
宣伝目的であったり不特定多数それこそ性的指向も様々な老若男女が集まるような場所で先ほども申し上げたLGBTプライドの真意が伝わらないブースを出展しているというのが東京レインボープライドの趣旨とは大きく逸脱しているという感じがするんですね。
なんか分かりづらい例えになったんですけどもう少し噛み砕いて言いますね。
今回大炎上した金箔ブースっていうのは確かSM&金箔ナイトかなんかのゲイナイトが出展元なんですよ。
嫌な言い方をするとですねこの金箔ブースってイベントの知名度向上の売名行為、営利目的として東京レインボープライドを利用しているようにしか僕には映らなかったというところに違和感を感じたんです。
ちゃうやろってそういうイベントちゃうやろってレインボープライドってそういうイベントちゃうやろって僕は思ったんです。
我々ははずべき存在じゃないよってアピールをしてLGBTQのことをよく知らない人たちに少し考えてもらうためのアピールをするためのお祭りのはずやのに受け入れられない否定派の人たちに燃料投下してどないすんねんって僕は思ったんですよ。
マリフォーブースの人たちと渋谷の街を一周してとても心強かったしたくさんの人たちの笑顔を見ることができました。
歩道から6色のレインボーフラグを振ってハッピープライドと声をかけてくれる人や笑顔で手を振り返してくれる人、マリオカートで爆走する外人さんたちが信号待ちしてるときにふーって一緒に盛り上がってくれたりとかですね。
ほんまにめちゃくちゃ楽しかったし幸せな気持ちになりました。
今回で30回目の東京レインボープライドですがたくさんの人たちの地道な努力がこうやって少しずつ少しずつ積み上げられて受け入れられていくようになって今年は恐怖で1日目は中止になりましたけど本来であれば3daysのお祭りイベントへと進化していったわけなんですよね。
そういうたくさんの努力や紡いでくれたご縁のおかげで僕はあの場を歩くことができたんやと思ってます。
だからこそねなんかめちゃくちゃムカつくんですよ。内容のよしよしに関わらず広く認知されるのは大切なことです。
でも今回は昨年よりもパレードに参加した人は1.5倍の増員数となってかなり広く認知されてきている今の日本であの炎上の仕方っていうのはマイナスでしかないんですよね。
もともと受け入れられない叩きたいと思っている人に我々を叩いてくれと言わんばかりに餌をまいてるようにしか思えないし一生懸命これまで戦ってきてくれた人の努力を踏みにじってるのと同義だと思うんですね。
パレードに参加して感動したからめちゃくちゃ腹立ちかったです。
僕が違和感を感じたのはもう一つあってたくさんの企業ブースについてもちょっと疑問を抱きました。
そこにはもちろんLGBTQプライドを応援しようという意思賛同する意思があっての動きではあると思うんですけれどそれは一体全体何のためにしてるのって僕は疑問に感じてしまうブースもありました。
時代の流れ的にうちもLGBTQの人たちを応援してますようちはこういうのにも理解ある会社なんですよっていうアピールをしたいだけなんちゃうかと感じるブースもぶっちゃけありました。
出展している一部企業さんの中にはお金が絡んでるっていうかさ何らかのビジネス的戦略を感じるブースもありました。
もちろんそれはLGBTQの人たちを経済圏に取り込もうとしている動きなので社会的に見ればすごくいい動きなんですよ。
いい動きなんですけどやり方が中途半端な感じがしていいようにLGBTQや新井の人たちを取り込んでいいように利用しようとしてるんちゃうって感じるブースも少なからずありました。
東京レインボープライドの運営側としてもさ大手企業の出展ブースがあるっていうのはやっぱりイベントに拍がつくから必要不可欠なんかだとも思うわけですけど出展ブースについては僕としてはあんまり手放しで楽しめないというかね考えすぎてわかってるんですけど違和感を感じてしまうブースというのもありました。
逆にね素敵やなと思ったブースは大人気やったコカコーラのブースの写真撮影とかめちゃくちゃええなと思いました。
なかなかLGBTの方ってカップルフォトを撮るっていうのは難しいんですよ。写真屋さんに男二人で行くっていうのもやっぱりねハードルが高い人っていうのも多いと思うんです。
そういう普段の生活でやりたいなと思っていてもできないことを実現させてくれたフォトブースプロのカメラマンの方が写真を撮ってくれるブースとかっていうのはめちゃくちゃ素敵やなと思いました。
LGBTQの人たちに寄り添ってくれためっちゃ素敵なブースやなと僕は思いました。
もちろんコカコーラ社にも先ほど申し上げた企業としてのイメージプラスに作用させる何かを得る目的はあるんやと思うんですけど、
でもこういう世間の目を気にしての制限を自ら設けている我々LGBTQ目線としてはさコカコーラ社にとってもプラスになると思うし自分たちにとっても素敵な思い出が残るっていうところでねお互いウィンウィンでちゃんと成り立ってるというか
社内でいろいろ考えて協議してこのブースを作ってくれたんかなと思って温かい気持ちになりました。
今年の東京レインボープライドは2daysで27万人の人が代々木公園に集まってパレードも過去最多の1万5000人の人が声を上げて渋谷の街を更新したそうです。
それだけ大きくなった東京レインボープライドだけにですね今回の炎上については非常に残念に思いました。