こんにちは。創業期のスタートアップ投資に特化したベンチャーキャプチャル、ANRIの代表、さまたANRIです。
この番組では、毎回様々な起業家精神を持った方をゲストにお呼びし、その人を突き動かす熱について、深く掘り下げ、熱くためになるお話をお届けしています。
今回のゲストは、学校法人United World College Isaac Japan代表理事の小林りんさんにお越しいただきました。
本日は、小林りんさんに、なぜIsaacという学校をスタートしたのか、これから何を考えているのかなどを、ねほりはほり掛かっていければなと思っております。
では、小林さんお願いします。
よろしくお願いいたします。
何で小林さんをお呼びしたかというと、ちょっとお話なんですけど、この番組で起業家的な人、いわゆるスタートアップの起業家っていうフォーマットじゃない人でも、やっぱりいろんな産業で起業家っぽい人っているなと。
ゼロから一を作っている人々ということですね。
僕、いろんなものの立ち上げ、それこそ政党とかから、社会活動からやった中で、Isaacの立ち上げの難易度、かなり高めだなと思っていますと。
ありがとうございますと、お礼を言うとこなかったかもしれませんが。
何でこんなめちゃくちゃなプロジェクトをやり、学校ができ、僕も見学機関さまってますけど素晴らしい学校ができて回っているのかとは、明らかにたった一人の情熱というか狂気を中心にしていろんな人が回っている。
で、これなかなかスタートアップと比べてもないモデルだなと思っているので、何でこんなことになっちゃったんだろうというのを聞きたいと思っていますと。
改めてじゃあ、Isaacがまず何なのかっていうのを。
そうですね。
Isaacって知らない方がいるかもしれないので。
皆さんご存じない方がいるかもしれないので。
Isaacって何ですかっていう。
はい、ありがとうございます。もともとIsaacはインターナショナルスクールオブアジア、カルイザワということで、2014年にカルイザワにオープンした全寮生の国際高校ですと。
11年。
そうですね、11年目。
なるほど。
早いですよね。
11年もったね。
本当に皆さんのおかげで。
今2017年にユナイテッドワールドカレッジの一位になったので、今のユナイテッドワールドカレッジ、Isaac Japanという学校になったんですけど、今はカルイザワの山の上に200人の高校生が、今年は90カ国から来ていて。
さらに大きいのは7割の子に奨学金を出しているということかなというふうに思うんですよね。
どうしてもインターっていうと、ダイバーシティーイコール国の数さえ大ければいいみたいな。
それさえも多分90カ国あるというのは、なかなか国内にも類がないと思うんですけど、プラス7割の子に奨学金を出すことで、本当に志と能力があれば、どんな子にもチャンスがある学校にしたいというのがすごくあって。
いかつ、多分今日のテーマにも反省するのが、チェンジメーカーというか、勢いを良しとするだけではなくて、あれ?と思ったら行動できる人。
ゼロから1を作る人もそうだけれども、自分のが違うなと思ったらそれを買いに行くとか、という人に育ってほしいなという思いで学校をやっています。
これがやっぱり突っ込みどころがあまりにも多すぎて、いわゆる東京でのインターナショナルスクールって、やっぱり結構学費が高くて、割と先進国の親御さんとか、日本で教育熱心な方がいて、学費が結構ちゃんと高くて、そこでビジネスが回ってるっていうのに対して全然違うのね。
だからビジネスまでが成り立つとかの前に、こんな世界を作りたいっていうのが初めにあった。
そうですね。やっぱり教育って本来はどんな出自の人というかでも、一番自分の格差とかを埋められる一番の手段であるべきであって、どんな人でも領域と能力があれば教育を通じて全然違う未来を築けるっていうのが教育の本来の役割だと思っていて、
それに対してやっぱりどうしても今、いい教育あるいは国際特に特にインターナショナル教育はすごく高くなっているので、持てる人しかそこにアクセスができない。ちょっと誤弊を恐れずに言うと再生産とか、やっぱり持てる人たちはいい教育にアクセスをして
そのいい教育のおかげでさらに伸びていくっていうのが拡大しちゃうんだよね。
それはやっぱり、これはたぶん私がなぜこれをやっているかに遡ってくるんだけど、私自身が奨学金をもらって全然違う人生をありましてもらっていることに今回で堪応していて、その経験からしてもやっぱりどんな人にもアクセスがある学校にしたいなというのは最初から思っていたという感じですかね。
ただもちろん、全額払っていただいている方も30%ぐらいはいるので、その方たちは決して安くはない金額はいただいているというのはそうですね。
ビジネスモデル的にはどうなっているんだってみんな思うと思うんですよ。収益が上がる、一般的な収支が成り立つ人が30%しかいない。30%の人は、しかも全寮生でやるのであると。どういうふうに回っているんですか。
人数的には3割が慈悲で7割が奨学金です。ただし金額ベースでいくと、この7割の人たちは全額奨学金ではないので、全額奨学金の子も何割ももちろんいるけれども、例えば大納負担というんですけど払える金額は申告していただいて、所得証明とか出していただいて、出せない分を学校が奨学金でお渡ししますというモデルなので
半額奨学金の子もいれば3分の1の奨学金の子もいるという形で、マネタリーベースでいくと、金額ベースでいくと半分が奨学金、半分が学費収入というモデルで、この半分の奨学金というのは3つ種類があって原資があって、一つは個人バンフルサート納税ですね。これがもう圧倒的に大きな割合を占めています。
それに加えて、最近は企業バンフルサート納税もあるし、あとは日本の市学なので、市学助成金という助成金も一部いただいているという形で、この組み合わせですね。
なるほどな。これ同じようなモデルの学校ってあんまり日本にない?僕も教育が好きなので、いろんな学校を見るんですけど、いわゆるボーディング型のインターナショナルスクールって、この4,5年ぐらいで少しずつ増えてきてはいるけれど、誤解は恐れずに言うと、いわゆる比較的浮遊層向けの宿舎型の学校で、千葉だったりアッピーだったりが出てくるじゃないですか。
でもたぶん11年前って、そもそも機種化型のインターナショナルスクールがそもそもない。さらにそのビジネスモデルが結構特殊というか。
そうですね。完全フィランスロピーモデルというか、半分はご寄付というか、奨学金だというのは、今でも全く例がないし。
日本の歴史で見ると、やっぱり豊田家しかあり、日本電さんしかあり、圧倒的に成功した企業家が資材を投資される学校はあれど、むしろお金もしてもない。
そうですね。いろんな個人が寄せ高めて作る学校ということも、とても特殊なのかなと思うけども。やっぱり私、ただ奨学金を別に彼らがかわいそうだからあげてるというわけではなくて、やっぱりチェンジを起こすとか新しいことを生み出すというときに、ダイバーシーって本当にパワーだと信じていて。
特に何か社会的なものとかを変えていこうとしたときに、いろんな、あらゆる立場の人の価値観がわかるって実はすごく重要だと思ってるんですよ。
例えば今、もちろん国境をまた、世界でいろんな分断がはびこってます。その中で国境を争っている分断もあるけれども、実は同じ国の中で、あるいは同じ人種の中で、同じ宗教でさえも持てる人と持てない人の分断がいろんな価値観の差異、あるいは分断を生んだりとかしているので、やっぱり本当に国籍だけではなくて宗教観、歴史観、文化、あるいは社会的、経済的なバックグラウンド。
あらゆるものが違う人たちといるっていうことが、彼らが本当に世の中に出ていったときに、世の中にとって大事なインパクトを出すにあたって、とても大事、極めて重要であるという視点から、奨学金を出しているんですよね。
なのでこれは、実は奨学金をもらっている子たちだけではなくて、奨学金をもらっていない子たちも、このダイバーシティがものすごく悩んでいると信じているって感じですかね。
でも考え方はすごくわかっていて、僕たち今ちょうどここで収録しているサークルって、向こうが全部起業家、このやたら広いオフィスはほとんど起業家なんですけど、
そう、広すぎてびっくりしました。
これ全部無料なんですね。
えぇー。
でも無料なのも、別に起業家がお金困ってるでしょとかじゃなくて、やっぱりコミュニティ。
いろんな起業家が創業期に一緒にいることのコミュニティが強い価値を生むと思っているので、皆さんは誘致しています。
なるほど。
これいいコミュニティを作るために、皆さん来てもらうために金銭的な負担はなくしているので、別にそういうんじゃないよというか、いいものを作りたいという目的の中で一緒に集まっているんだよねっていう話を結構している。
いや本当そうですよね。金額的にはもらう人と与える人とっているかもしれないけれども、みんなで同じ価値観というか共有しながらお互いの資産を提供し合っているっていう感じですよね。
なるほど。
そうですね、これは老いたちとかいろいろ聞こうと思ったんですけど、でも老いたち結構ウェブに載ってるから。
なんかその、これ学校をなんで作りたくなっちゃったのかっていうところと、じゃあ学校ってどういうところからスタートしてるんだっけみたいなところをもうちょっとねほりほほり聞いていいですか?
もちろんです。そういう意味では、学校を私作りたいと思ってたというよりは、高校時代に自分がなかなか日本の学校の教育にフィットはせずに辞めて、そもそもUWCの奨学金をもらってカナダに行ったっていうのは初めての海外経験なわけで、その時にやっぱりその当時のUWCっていうのはカナダ校も100%の生徒が100%奨学金をもらってきてた。
すごい。
そうなんですよ。なので何が起こるかって、そこに行くと誰がどんな出身かがどこから来たか全くわからない。経済的には。ただ国籍がすごく違うっていうのだけはわかっていて、私英語全然できなかったので、メキシコの子とすごく仲良くなって、メキシコに夏休みに行ったのがすごく衝撃的で、その時に学校を作りたいとは思わなかったんだけども、
やっぱりそのメキシコの同い年の友達の家に行って、本当にこの会議室ぐらいのお家に住んでて、それでびっくりしてる私を見て彼女のおじさんが、このメキシコでは中流階級以上ですけどみたいな話の中で、そのお母さんが初めてスジャムに連れて行ってくれたことが、私の中で衝撃的な現体験になっていて、
やっぱり日本で、東京とかの多摩ニュータウンっていうところで生まれて育ってるんですけど、そこに生まれて自分が恵まれてるとかって感じたことがなかったのに、メキシコとかに行くと本当に日本に生まれただけで、とっても恵まれたんだなってことを痛感して、いつかこの機械の不均衡というか、機械の不均等に対してくさびを打ち込めるような人にはなりたいなっていうことだけを自分に誓ったのが、
17歳のときだったんですよね。
学校を作りたいとかと思ったというよりは、なんでこんなにどこに生まれたかによって人生って変わってしまうんだろう、変わっていいんだろうか。
確率論的に私だって、アフリカとか中南米に生まれたかもしれないわけだし、あるいは中東の紛争地域に生まれたかもしれない。
でもたまたま私は日本という平和な国に生まれて、この80年は少なくとも平和な国に生まれたっていう人間がやるべき使命というか、背負ってる運命って何なんだろうっていうのを、17歳のときに強烈に自分に問いかけるようになったんですよね。
それがずっと私の根底にあって、その後外資系の金融に行ってもスタートアップに行っても、ずっと自分にそれを問うてた。
いつか私は人生のどこかのタイミングで、機械の不均衡とか社会の不条理みたいなものに挑戦していく人生を送りたいと思ってたので、
それいつなんだろう、どこのタイミングなんだろう、どういう形なんだろう、私にしかできないことって何なんだろうっていうのを、17歳のときからずっと問い続けてた感じがしますよね。
それが学校なんじゃないかっていうのは、うすうす一個手としてはあるよねって思ってた?
いや全くなくて、実は本当に33歳のときに、今のコーファウンダーである谷屋さんに、谷屋さんもよくご存知の谷屋さんとお会いして、
これまた大学の友人の紹介で、私はそこで色々悩んじゃってた時期だったので、悩んでたときに、いやだったらちょっと会ってほしい人がいるって言われて。
ちなみにそのときは職業としては?
そのときは国連職員です。ユニセフの国連自動基金のユニセフオフィサーとしてフィリピンに単身赴任をしていて。
でもなんかその一般的なイメージでは、さっきの機械の不平等みたいな感じで、結構ユニセフって一個の危険点じゃないですか。
そうと思って就職したんです。
29のときにやっぱり大学に行き直そうと思って、それまで貯めたお金貯金で大学院に行って、そこで初めて教育学の就職を取って。
まさにその17歳の私からしたドリームジョブって何だろうと思ったらユニセフで、
それこそ私はフィリピンのストリートチルドレンの子供たちに対する非公式教育っていう本当に一番苦労している子たちが、
しかも学校に行けないような児童労働とかの犠牲になって、学校に行かせてもらえないような子たちの手におはソロバンというか、
夕方とかに公演とかでバン出してやるみたいなことをご支援する仕事だった。
これこそが私が多分昔一番やりたかった仕事だと思ってたときに、それがユニセフだったと思うんですね。
ところが1年2年やっていて、2つ悩みが出てきました。
1つはフィリピンという国に住んでみるとものすごい格差とお食といろんなことが渦巻いていて、
これはずっとこの中で一番苦労している子たちだけをやっていて、何かが根本的に変わったりするんだろうかっていう漠然たる疑問がふつふつと湧いてきました。
もう1つは自分自身のキャリアという意味において、やっぱり外資系金融スタートアップってきて、できたら国連。
このスピード感の差に愕然としてしまい、20代ずっとものすごい速いスピードの中でマルチタスクをして、ものすごいリスクを取っていろいろやってきたのに、あれ?みたいな。
それも別に国連に対しての批判というよりは、人によって向き不向きもあるし、組織によってすごくいろんな良いところ悪いところがあると思っていて、
このプロジェクトこそ全てが一緒になる瞬間というか、よく2005年のスティーブ・ジョブズのスター・フォードの卒業式。
まさにまさに。
もともといろんなことをプランしていろんなドットってできないけども、人生パッと振り返ったら、全部のドットが点と点がメインになる瞬間がある。
このために全部あったんだって。
そう、このために全部あったのか、みたいな。
本当そうなんだけど、企業家的なにとって、本当に自分に都合よく全部解析して、このために私が生きてきたんだなって。
スタートはちょっと勘違いできてるか、でもそうしないと進めなくなっちゃうから。
本当に単なる思い込みだったんじゃないかという話もあるし、ぶっちゃけそこから始まった数々のハードシングスが来ることを待ち受けていることを、
あの瞬間知ってたらやらなかったと思うけれども、知らなかったから飛び込めたとも思うし、
とはいっても自分にとってこれが天職なんじゃないかという中場思い込み、中場を自分に説得させちゃったところがあって、
だから踏み出せたし、諦めるという選択肢はなかったし。
なんかでもいろんな、僕もいまだにずっと高校生で学生でいろんな人の話を聞いてるけど、こういう自分に都合がいい思い込みと言いますか、
僕もやっぱりその27で経験1年で独立しちゃった時に、やっぱり自分天才だと思ってたんで。
こんなに自分でできるのに自分でやるしかないだろうって思ってたんで。
大事。
恥ずかしくて人には言えないんだけど、でもこれだろうみたいな。
大事、本当に。そういう意味では若い時に挑戦する。
もう少し引いていくと、ちっちゃい時からちょっとずつの挑戦を繰り返すことってすごい大事だなと思ってて、
兄ちゃんも実は聞きたいんだけど、その27でね、それを決断できたってことは、いきなりそれじゃなくて、
ちっちゃい頃にも、なんか普通みんな辞めてやらないんだな、そんなことみたいなことをやって、
あれ、なんかちょっとやってよかったなっていう経験があったからやったと思わない?どうですか?
僕は同じことをずっと繰り返すとかが異常に上手っていうのがあって、
僕は小学校1年生の入学式の日に、学校休まないのは解禁症って言うんで、チャレンジで書かないって言われたのを覚えてるんですよ。
入学式の日ですね。そこから12年休んでないんですよ。
すごい。
小中高って。40度の学校行くって、今はやっちゃいけないんですけど、
当時はそういう、一回決めたことをルールを破らないっていう、非常に得意。
意外。
そういうスキルで自分との信頼を作るっていう、僕は未だにソーシャルで超速報っていうのを書くんですけど、
あれ、プログラム使ってないんですよ。必ず起きてるか、その場で起きる。
なるほど。
9年やってるんですよね。あれ全く意味ないんですけど、全く意味ないことを、
決めたらやる。
決めたことをずっとやれるとかで自分の信頼を積み上げるっていう、めちゃめちゃめんどくさい癖があって。
これは特殊。
なるほど。でも大きなリープというか、大きなジャンプというか、大きなリスクを取るっていうのは27歳でいきなり初めてだったわけじゃないでしょう。
でもそもそも会社辞めて、自分のお師匠さん、イソベンチャーズの松山大和さんのところに取り込んじゃってる時点で、
一人のふらふらした謎の人に弟子入りしてるのと独立するのが、どっちがリスキーかというと、もはや同じ。
確かにあの時代だったらそうかもしれない。
でもやっぱり本当に、ラクスの松本とかゴークさんとか、自分の同世代で本当に心から尊敬してる経営者たちってのがいて、
この人たちと僕が一緒に挑戦してダメだったら、もうこの世代は終わりだなって。
なるほど。これ大事。
思い込んじゃっちゃう。
いやいやすごく大事。
たぶん同じで、小さい頃私の趣味では、高校でそれこそ落ちこぼれかけていきなり留学するみたいな。
逆境を行動することで変えてきたっていうのは結構あるから。
そこにある意味セルフ本心と自信の積み上げがある。
と思いますね。小学校の時すごくいじめられた経験があって、いじめられた時に小学校5年生の終わりぐらいに突如、
いかんこのまま私中学行ったらそのままいじめられると思ったから受験するって決めるんですよ、例えば。
そういうふうに自分が行動することで景色が変わるみたいなことが人生のちっちゃい頃からちょこちょこってあった。
なので今回もなんかこれすごいいきなりハードシングスだけど、なんか頑張ってやってみたいなって思ったのと、
自分のピアというか周りにいる仲間が背中を押してくれたんですよ。
と言っても私の前はその時もう4回目の転職だったから、さすがに大学の同級生も。
結構飛ばしてますよね。
ラクソンの松本が2009年に起業してるんですよ。
まさにリーマンのど真ん中で起業していて、
で、起業範囲で僕レア化ってきたんですよね。
僕当時ラーメン二郎が並んでて、今でも覚えてるんですけど、
で、起業するんだよって言って、おめでとうって僕が言ったんですよ。
で、そうしたら、その時におめでとうって言ってくれたのは安里明だった。
当時2009年リーマンのど真ん中で、外資結婚サロンにちゃんと行った人だったんで、
周りはみんな止めたけど、安里明おめでとうって言ってくれたっていう話がいい話だったと思うんですけど、
その後の安金梨さんは忘れてたっていう。
それも含めてめちゃめちゃ安金梨さんっぽい。
そこで、まして安金梨さんを紹介してくれなかったら、この学校を作るっていう風になってなかった。
本当に仲間って大事だし、自分が悩んでる時に隠さずに、
いろんな人に私悩んでる、悩んでる、悩んでるって私話すタイプだから、
悩んでる時に話しまくってると、そうやって私のことをよく知ってる人たちが、
じゃあ次このプロジェクトどう?って言ってくれるっていうのが、その後パターン化してきてる感じ。
それでやるしかないって言って、合作スタートするのが何年でしたっけ?
2014年か。
帰ってきたのは2008年で、2007年に田谷さんと岩崎君と初めて3人で会って、
2008年に1年放棄して帰ってきて、すぐリマショック。
2009年の4月に、そうは言っても一般財団法人を作って、学校を作るぞって言ってから、
学校が開くのが2014年なので。
5年。
構想から6年かかって。記憶してからから6年か。構想から何年。
作りの話って何回か言っとくけど、それでもあの時代、うまくいったってうまくいった方なんじゃないですか。
もちろんすごい大変なんですけど。
本当に、その時も実は起業家の仲間に何人か救ってもらったというか、
2007年に構想が始まり、2008年に帰国しました。そこから4年間ですけども、
最初の4年くらいは資金集めが本当に大変で。
リーマンの直後だったし。
2008年に帰ってきて、2009年、10年と全く長く過ごす。
その時に実は佐藤テルヒデ。
佐藤テルが私、UWCのほぼ同期というか、同じタイミングでUWCに奨学金をもらって、
彼はイタリア校に、私はカナダ校に行ったので。厳密に言うと同級生じゃないけども、UWC同期なんです。留学同期。
テルもUWCに行ってるから、今回の学校構想は最初からすっごく共鳴してくれていて、
テルに、私があまりにも苦しんでたので、一言忠告をもらったのが2009年の終わりくらいで。
彼はスタートアップをやってたから、ネットプライスの経験からも周りのいろんな企業から見てても、ルールの結束があって、
アーリー・スモール・サクセスだと。
すなわち、すごく初期段階に、小さくてもいいから、何か成功台詞を見せないと、いきなり学校をやりたいんです。
ある人の20億がなくなったんで、あなたの20億くださいと言っても、絶対誰も出してくれないよって言われて、
そうかと。アーリー・スモール・サクセスねって思ったんだけど、でもその当時、私もそのために学校を作るために国を辞めてきてて、
寺子屋とかそういうんじゃないんですよって思ってたんだけど、テルが何回もアーリー・スモール・サクセス、アーリー・スモール・サクセスって青田んびんに説教してくるので、
もう分かりましたって言って、仕方ないのでサマースクールやります。
で、やったのが、2010年のカルイザーでの1回目のサマースクール。
これはもうテルの言った通りになって、もっと早く話を聞いておきます。
2年間やられ続けたので、やったら彼の言った通りになって、やっぱり特に教育ってすごく中小概念とか、概念的にこんなことやりたいとか、こんな教育が大事とか言う人は5万と言いますと。
その中で、でも2週間のサマースクールでいいから、自分たちが理想だと思っていることを世界から先生を集めて、かつその時5カ国ぐらいから生徒も集めて、34人のちっちゃなサマースクールだけどやってみせたことが全ての天気になった。
なるほど。
と言っても過言ではないと思うんですね。
なぜなら、1、そこに来た先生とかが、これなんか新しいことやろうとしてるねって言って、どんどんその次からサマースクール先生を紹介し始めてくれるようになって、先生の採用が始まった。
あとは生徒側も子供たちが来たら、なんかめっちゃ楽しかったし、自分が今まで行ったキャンプとか学校のどれとも違うって言ってくれて、かつそこに来た1期生の初めてのサマースクールの生徒のお母さんが、これねうちの子めちゃくちゃ変わったから10億とか出せないけど1千万寄付しますって言ってくれて。
すごい。
大使権の金融に勤めてらっしゃる、勤めてらっしゃった方なんですけど、彼女が1千万出してくれる。
で、理事会でみんなで、え、1千万とか個人が寄付してくれるもんなのって話になって、その年にみんなで理事会で、じゃあこれは10億1人とか20億1人じゃなくて、1千万かける100名でやる学校にするのはどうだろうって理事の1人が提案してくださって。
なるほど。
やろうって言って、2012年の夏のそのサマースクールから2011年の2月ぐらいまでに10人集まる。
うーん。
1千万かける10人、1億。これはもう終わったも同然だなと。
ちょっと。
めちゃ楽観的。
で、3月3日のひな祭りの日にみんなで撃棄大会をやって、その10人の人たちと10人ずつ教え屋の名前変えてくださいって。
100人のリストを作って、もうこれでお金集め完了。
で、実際にそこからバーってお電話とかメールとかすると、お知り合いの紹介であること。
でもそれはすごい分かる。
かつそのお知り合いがすでに1千万出してると。
出してるからね。分かる分かる。
これはじゃあ僕も乗るよっていう人が、もうバンバン70人とかアポが取れて、さあこれから全部お会いしに行こうと思った日に3.11が起こるんですよ。
2011年3月11日。
ここで全部のアポがキャンセル。
当然ですよね。
あの当時東北以外に起業するなんて人はいなかった。
全部アポがキャンセルになって、なんなら理事会でも福島の事故もあったし、いやこれやめたほうがいいんじゃないと。
で、カルイザムでホットスポットだとかっていう報道があったりもしたので、こんなとこ絶対人来てくれない。
生徒も教員も日本には来ないって言われた。
言われた時代だね、確かに。
でも理事会も真っ二つに分かれたんだけども、あの時谷屋さんと私と数名の理事で、これは結構しようと。
少なくともサマースクールをやろうと。
私たちはその当時、英語、日本語、あるいはフランス語を含めて、いろんなファクト、その当時日本に関して出ている放射線とかいろんなスモーシャルワークも含めて、全てのファクトをウェブサイトに載せて、1週間前までキャンセルをいただきませんと。
このファクトを見てご自身でご判断ください。
なるほど。
誰もキャンセルでなかった。
で、7月に教員も生徒もキャンセルなく2回目のサマースクールが行われるんだけど。
さらにその間に何が起こったかというと、3月から4月の間に世論がすごく変わったというか、あの時の日本政府の対応とか国際的な発信とかを見て、グローバルリーダーシップ大事だよねと。
どこにでもどこでも生きていける人になる、あるいはグローバルに発信できるリーダーシップが持てる人、そういう人すごく大事だよねっていう風潮とか世論が巻き起こって、
なんか突如グローバルリーダーシップみたいなものがバズワードみたいになり始めて、で2011年の2回目のサマースクールに4台のテレビカメラと8紙の新聞雑誌が入ってくださって、
軽井沢のここにこんなプロジェクトがやってますみたいなことが国内外に報道されてくるんですよ。
なるほどね。
そっから日経ビジネスオンラインでのマンスリーの連載が始まって、このプロジェクトが国内外にバーッと知られていくようになるんですけど、そっからその先の1年間で10億円のご資金が集まる。
すごい。
という、本当にハードシングスの上に重なったハードシングスがなさったのが、またガガッと世論とか風向きが変わって、1年間で2012年に我々は学校を設立する許認可が出るんですよね。
なるほど。
そっから1年間で建物を建てて、最後の許認可が降りて2014年に開校すると。
建物ができる前どうやったんですか、サマースクールって。
皆さんの保養所とか。
お借りしてました。
お借りしてました。
すごいな。
軽井沢はいろんな方の、いろんな企業さんの保養所とかがあるので、中には実は、でもなんで夏に借りれるのってよく聞かれる。
まあそうですよね。一番使う時期に。
一番使う時期なのに、実は色んな塾とかの法人さんの保養所が何箇所かあって、夏休みは塾の方が一番忙しいので。