こんにちは。創業期のスタートアップ投資に特化したベンチャーキャピタル、ANRIの代表、様田安里です。
この番組では、毎回様々な企業家テンションを持った方をゲストに呼びし、その人を突き起こす熱について深く掘り下げて、熱くためになるお話を届けています。
今回のゲストは、NPO法人エディックでMAKERS UNIVERSITYの代表をされている内野さんにお越しいただきました。
内野さん、今日はそもそもMAKERSって何なんだとか、内野さんがどういう経緯でこのMAKERSに出会って、それで今何をやろうと思っているかについてお話を伺えればと思っています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は実はちょっと裏テーマがありまして、僕今MAKERS UNIVERSITYで久々にゼミっていうものをメンターやらせてもらっていて、
支援者ゼミっていうのを今テストで作っています。いろんな産業に対して支援者って常にいるなと思っていまして、支援者って何にやっているのっていう。
例えばミュージシャンとか料理人とか、そういう人たちはわりと脚光を浴びるんだけど、支援者って何も言わないと。僕もVCっていう支援者やっているので、支援者って何のモチベで何やって、なんで要はたくさん成功する人を出している支援者って何考えているのっていうことをねほりはほりするシリーズの一発目です。
面白いですね。
そうなんですよ。この後もミュージシャンを支える人とか、実は何回か前に料理人を支える人とかそういう人が出てもらっていて、やっぱり僕も支援者なんで支援者マインドってあって、支援者マインドが素晴らしい人の共通項がさっき分かったんですけど、メディアに出ない。
なるほど。まあそうですよね。自分が目立ちたいわけではないですからね。
だからね、素敵な支援者ほどあまりメディアで出ないし、あいつは私が育てたみたいなことを言いたがらない。
知能深い方なので出ないし、あんまり望む発言をしてくれない。というのが感じなんですけど、今日はそんな内野さんをねほりはほり聞きたいなと思っています。
まず僕も実はあんまり分かっていなくて、内野さん自分のことあんまり語らないので、どうしようか、どっちから行こうかな。
じゃあまずメーカーズユニバーシティっていうのが初めてメーカーズユニバーシティを知る人として何なのか、謎の団体なんですけどこれ。
メーカーズユニバーシティはNPO法人エティックを母体にやっている市塾で、2016年2月にスタートして間もなく10年になります。今10期目ですね。年に1期やるんですけど、
要するに就職なんてしたくない。自分は自分が信じた道を突き進むんだということで、起業家という道を選んだ大学生、大学院生がわちゃわちゃする市塾ですね。
まるでまっしゃでわちゃわちゃする。でもねこれ、わちゃわちゃするに確か全てがこもってきますね。
そうですね。
なんで市塾だが決まったプログラム座学っぽい感じもあんまないですもんね。
家宿をよくやってるんですね。これはメーカーズの名物ですけど、毎年2月にスタートして、最初の2月に4泊5日、1泊2日、4泊5日の計912日の家宿を代々木のオリンピックセンターという、人によってはプリズンと呼ぶ安宿で缶詰になって、
家宿をしてからスタートするんですけど、その後は今回安里さんがゼミ持ってくださってますけれども、いわゆる先輩起業家がゼミを持ってくださって、10のゼミがあって、そのゼミ制、各メンバーは各ゼミに分かれたりして、わちゃわちゃすると。
で、そのお金は無料であると。
そうですね。寄付で成り立っているっていうのが最大の特徴ではあると思います。
それは安里さん含め、いわゆる孫大蔵さんはじめ、そういった方々が、やっぱり皆さん言うのは、自分も若い頃、本当に先輩経営者にお世話になったからこそ、次の世代には返していきたい。
なので、何かあればいつでも言ってねっていうような、こういうメーカーズに集まる起業家こそ日本の未来であると、信じて託してくださる方々の経営者の寄付によって成り立っているっていうのは、結構特徴的なところかなと思います。
だから本当にスポンサードですらなく、本当寄付なんですよね。出てくる人に特に、お金を渡した人に果実はない。
断言できる。
素晴らしい。今だと、まだメーカーズのイメージを見つけてもらいたいんですけど、何人ぐらいワンバッジ、1年で参加するんですかね。
そうですね。だいたい毎年310人応募があって、そこから40から50人採択させてもらう。それを1年に1回。2月に912日の合宿がスタートして、最後11月、デモデーという形で、大概的にはプレゼンテーションの機会があって。
それこそ当時15年前に休学の勧めっていうね、みんな休学とか留年とかしてよくわかんないギャップギャを過ごそうよっていうのを促進するっていうとんでもないイベントを。
積極的休学の勧めというのを毎年やってたんですよね。
そういうのをやってた団体で、僕も結局大学1年計画留年、わざと卒業しないで1年だらだらしてて、そこからちゃんと踏み外していくわけですけど、大いに影響を受けたなと思って。
うちらの言う通りで、やっぱりペイフォワードだなと思って、そういう訓導を受けたので、自分もやる側に回りましょう。
30歳の時から、10年前から応援させてもらってるんですけど、独自のマインドですよね。素敵なキャリアを積んで、MBAとか行ってなんとかしようとか、留学してどうにかしようとか、そういうのじゃないんですよね。
そうですね。
自分でやることが決まってるんだったら、もうそれをやればいい。それに向かって素敵なキャリアを描こうとかいうよりは、直球それをやれって考え方なんですかね。
それは、もともとエティックとの出会いであり、というところから話すとわかりやすいんですけど、さらにもっと遡ると、僕の小学校の卒業文集は、将来の夢は社長になるって書いてある。
なるほど。
それはただ、人の下につきたくないとか、人と同じは嫌だとか、そういうただのアマノジャックであり、社長像が明確にあったわけじゃなくて、そうだったっていうのは認識してるんですけど。
その大学に入るときに、サークルを探したんですね。そこでエティックという団体に出会ったんです。企業家になれみたいなメッセージがあって。
実はそのエティックという団体を創業者の宮城春男というのがやって、1993年からやってて任意団体としてやっていて、僕が入った97年もまだNPO法が立ち上がる前なんで任意団体としてやって。
NPOという法人格がなかったのか。
ただの団体だったんです。
そのエティックの創業メンバーの一人が村松龍さんだったんです。僕がまだ知る前の時代。
そこで企業をしたいという大学生を集めて事業計画書の書き方を教えたりとか、企業家が大学に行って講演したりとか、本当に当時企業って何という時代にアントレプレナーシップを若い人たちに広めたいという思いで立ち上げた団体に
97年、大学1年生の時に出会ってこれだと。社長になりたいと言ってた僕はそれでこれだと言ってエティックに入ってたんですね。そこで孫正義さんの講演会連れてってもらったりとか、渡辺美樹さんの講演会に行ったりとか、HISの沢田さんの話を聞いたりとかして
かっこいいのやっぱり社長って企業家ってって思ったっていうのが最初なんですけど
ただ実はその当時のエティックに集まる若い人たちって、その後僕もそうなったんですけど、5年生とか6年生とか7年生とかなんか怪しい集団で、大学1年生の僕にとってはちょっとなんか怪しすぎてですね
一旦距離を置いて、僕はアイセックという世界何十団体もある国際インターンシップコーディネート団体サークルに入ったんですよ。そこは同世代の女性とかもいて楽しかったという中でそれでアイセックの活動にとことんはまっていったという形ですね
そこでビジコンの企画をやったりとか、海外のいわゆるリーダー的なスリランカの女性は本当に自分はその国を背負って立っているという感覚を持っている女性に出会ったりとか
台湾の男の子とかは本当に将来自分はその経営者になって世の中を変えるみたいな人たちと出会う中で一方でその自分の大学でみんな寝てるやつばっかりで授業はつまらなくてというこの差、これはこれから日本はまずいぞという思いがあったりとかして
どうしたら自分も含めた若い人たちが世の中を変えていくぞという存在になっていくのかというのを考えながらアイセックというサークルにどっぷり使っていったという感じなんですね
僕はアイセックを引退した後、もうアイセックの活動にハマりすぎて流年が決まっていたんですね
結局そうなんですね
流年がもう決まっちゃっていて、じゃあ何するかなと思った時に実はアイセックの3校上の先輩がエティックでベンチャーインターの事業家をやっていたんです
なるほど
山内っていうんですけど、創業者の宮城と山内が一気統合して、その山内が日本に当時なかったベンチャー企業の企業家の下でのインターンシップの事業家というのを日本で初めてスタートしていて
僕はエティックと出会っていたこともありますし、その山内という男をリスペクトしていたので、卒業までの間この山内さんの下で修行させてくださいみたいな感じでエティックに完全に入っていったという感じですね
そこでインターンシップのコーディネート事業をやって、まさに最初の僕のクライアントがDNAのナンバーさんだったんですよ
そうですよね、わかります、ナンバーさん、一昨日もナンバーさんと飯食ってて相変わらずナンバーさんでした
そこからそのままずっとエティックですか?
そうなんです、そこは21歳の時で今46なんでもう25年間大学生向け
僕もエティックでずっとお世話になっているんで、でも10年前に結構そういう学生向けの活動の一個集約としてメーカーズやるぞみたいな
そうなんです、まさにインターンシップのベンチャーでインターンをするっていうのはその学生のアントレプレナーシップの覚醒にとってとっても素晴らしいなと
手段として素晴らしいなと思ってずっとやってたんですけど
2009年、10年くらいになってちょっと事業に限りが出たというか
これ完全にインターネットにディスラップとされたんですけど
要するに今までは丁寧に企業家の思いを聞いて
そこに学生を紹介してっていう、いわゆる仲介という形でやっていたのが
オンテッドリーが出てきて、ツイッターが出てきて
直接企業家とつながれるみたいな時代になり
本当にヤフーの人事とかリクルートキャリアの人事の卒業生とかに聞いたときに
内定者のうちほぼほぼみんなベンチャーでインターン、長期インターンをやってます
その中でも本当に珍しいのは在学中に起業してましたっていうやつがちょっと珍しいぐらいで
っていう話を聞いたときに
これは1997年にベンチャー、アントレプレーナーシップを覚醒させるために
ベンチャー企業でインターンをする、企業家の下で働くっていうものを
NPOとして作ってきたけれども
これはNPOとしての役割は終えたんじゃないかと広まった
十分広まったからそういう啓蒙フェーズもなくなったし
ある意味それで飯食うスタートアップもできてるから
自分たちはここを掘らなくてもいいねっていう
そうなんです
なるほどね
っていうときになんでメーカーズのコンセプトっぽくなっていくんですか?
それでまさに模索期があって
転機になったのは2014年に
たまたまですけど東京都と今もやっているビジコンがあって
東京スタートアップゲートへっていうのが
立ち上げることになったんですけど
要するに東京都の悩みは当時の
それ以前は東京都学生企業家選手権というのを10年やっていたんだけれども
応募してくる学生が履歴書のためみたいな感じになっちゃってて
全然東京都学生企業家選手権から企業家が生まれないと
ビジコンから全然企業家が生まれない
なので企業家がたくさん生まれるビジコンを企画できる人いないか
募集に手を挙げて作ったんですね
本当に予算が2千数百万あったんで
ちょっと理想を詰め込もうという形で
競い合うコンテストではなくて
応募者同士が切磋琢磨するコンテストであるとか
あとはメンターとマッチングするとか
あとはファイナリスト同士が合宿して切磋琢磨するとか
似てきた似てきた
っていうようなコンテストを東京スタートアップゲートへを
2014年にやったんですけども
それがすごい手応えがあったんです
それのファイナリストが実は空飛ぶ車の中村つぶさん
私の高校の同級生ですね
ラントリップっていうランナーのためのコミュニティをやっている大森くんとか
台風発電のチャレナジーとか
結構すごい量が
ガチっぽい人がいっぱい集まったと
たくさん生まれ
そこにファイナリストは学生2人くらいだったんですけど
セミファイナリストの20数名は学生たくさんいたんですね
そこの学生たちがもうめちゃくちゃ楽しかった
まさに自分が出会いたい学生って
こういう学生応援したい学生ってこういう学生だなっていうことで
もうインターンとか修行とか行ってる場合じゃなくて
もうすぐ起業したいですという奴らの応援こそがやっぱりやりたいことだなと
2014年に気づいたんですね