今日はですね、前回あげたのが人生年表の企画でして、ちゃんとした自己紹介をしていないなというところで、
前回は呂菅さんが私の生い立ちを聞いてくれたんですけど、今回はその逆で、私が立石呂菅の人生を聞いていきたいと思っております。
ありがとうございます。
あんまないからね、こういうの。
ちなみに前回どうだった?こうやってみて、答えてみて。前回もちょこっと言ってたけど自分で。
あんまりこんな深掘りされることないって言ってたじゃない。
話してみてどうでした?
なんか言い逃したことが結構ありました。本当に。これ毎回撮り終わって編集したりとか聞くじゃないですか。一度アップする前に。
なんかこれも言い忘れたし、これも言い忘れたなみたいな。
ありますね。わかる。
やっぱり2、30分で2、30年を説明するには短い。
そうだね。
ある種でも、これ経歴書く時もプロフィール書く時もそうですけど、自分が生きてきて人生のハイライトをどう編集するかっていう話だなって思ったんですよ。
自分が編集したように自分を見せられるから、自己紹介って結構チートで。
そうだね。
それができるから逆に面白いんですけど。
確かに。年取れば取るほど、今後もそうなんだけど、自己紹介って変わっていかない?
変わっていく。変わっていく。
どこを切り取ったら、なんとなく潜在的に相手が伝達するように、ロジカルにエモーショナルにどっちも通じるように、
この辺のストーリーとこの辺のストーリーを話したら今の自分にちゃんとつながるなみたいなこと、ちょっと潜在的に勝手に考えてる気がするよね。
なんか今の、例えば私が今音楽の仕事をしているとしたら、今やってる仕事から逆算して一番理想のプロフィールを編集すると思うんですよ。
そう思う、そう思う。
今私がリクルートで営業マンやってたら、それに一番ハマりの良い編集をする。逆算して。
大学とか。だから全然同じ人生でも編集で違う理想の自分が切り出せるから。
面白いね。
面白いなって。
転職しても変わるだろうし。
変わりますね。
自分の肩書き変えてもなるだろうし、クライアントによっても変わるだろうし。
実際、メディアに聞こうとかたまにするじゃないですか。変えてますよ結構。
変えてる、わかる。
プロフィール毎回変えてる。
変えますよね。
ちょこっとずつ変えてる。
特に我々、企業貧乏だと、ジャンルまたぎが多いので。
ある。
アート系だったら、ここの案件を入れて、ビジネス系だったら、このスタートアップの立ち上げとか。
わかります。
毎回もう別人みたいになってますよ。
ライターさん、エディターさんから、プロフィールこちらの、ちょっと引用してみましたけど、大丈夫ですか?みたいに確認されて、これじゃない方がいいかもしれない。
書き直して戻しますよね。
ありますね。
わかります。大丈夫なのかな、人生これでって。
もう全く違う自分が出来上がった時に、大丈夫なのかなってすぐ思ったりするんですけど。
大丈夫か?
大丈夫なんじゃない。それこそ先日坂本律さん亡くなって、めちゃめちゃ久しぶりに、こんなに悲しかったのは多分初めてだったんだけど、このクリエイターで。
でも彼も人生を思い返して、アイドル時代もあるし、ただのオタク時代もあるし。
俳優時代もあるし。
でもインスタレーション、美術的にアプローチはいっぱいやってる日もあるし、アクティビストの面もあるし。
だからやっぱ、僕たちが変えるというよりは、結果的には死んだ後に誰かが、珍称なつやこういう人間だったよねって、きっとイリッとしてくれることだろうと。
そうですね。
実際自分の両親でさえ、もう自分を全部知らないじゃないですか。
だからまあ、知らないんですよ。
自分の全部を知ってる人は、自分だけです。世の中で。
そうだと思う。
文人の話もそうですけど。
おっしゃる通りですね。
そうですよ。だから、面白いですね、これなんか。
一本作れそう、作品が。
これだけでいけるよ。
これだけで一本アートにできそうです。
これだけ話させて。
はい。
あれ?この前話したかかんないけど、平野圭一郎さんに会ったって話したっけ?
聞いてないです。文人の?
そう、文人のついに。ついにこの前あるところで偶然お会いすることができて、緊張してお声掛けをして感謝を述べていることができた。
よかったですね。憧れの人に会うっていうのは嬉しいですよね。
嬉しいですね。それもまたどこから話しましょう。
私も憧れの人は会えてます、今のところ。
ちなみに?
引田転校さんです。
その話はね、第一回目ぐらいで一回出たけど。
会えてますね。でも憧れの人もそれこそ自分の人生のステージに応じて変わったりとか、新しく生まれるじゃないですか。
だからね、会えるっていうのはいいですよね、その時々。
すごくいいし、会えない状態でなくなると後悔するしね。
確かに。会いたい人はね、作戦立ててやれば会えるんで。
ちょっとストーカーっぽい感じになりますけど。会えるっちゃ会えるんで。
引田転校の話は絶対どこからしましょう。
1回目で話して20回目でもう1回出たんで多分40回目ぐらいで話しましょう。
そうですね、周期でね。
じゃあ早速、たていしじゅかんの人生、私も知らないのでね。
そうだよね。
知り合ったの本当にコロナ禍、ここ数年なので。
2年ぐらいかな。
じゅかんさんちょっと聞いていきたいなと思います。
はい、お願いします。
ご出身は?
そっからっすね。出身って難しい言葉だよね。
生まれはどこですか?
私はアメリカのシカゴです。シカゴで生まれて、その後1回うわーって言うと。
ちょっと待って。うわーを戻っていいですか?
シカゴで生まれたのは親御さんが仕事でいたからですか?
そうですそうです。
親御さんはどちらがシカゴに仕事でいたんですか?
父が行ってました。
じゃあ母親も住んでたんですか?家族で。
姉と私と4人で。
シカゴに?
シカゴに。
なんか単身、会社の単身本人みたいな。
そう駐在、海外本人ってやつ。
駐在員?へー。
シカゴ、まあシカゴつっても日本人外なのでちょっとシカゴから西に寄ったところに。
お姉ちゃんもシカゴ生まれ?
姉はどこだっけな。兵庫生まれじゃないかな。
母親が兵庫出身で、出身ってか実家?まあ大阪みたいな感じだけど。
一応兵庫県の人で、父が京都なので関西系にゆかりがあって。
お姉さんとは何歳離れてるの?
7歳。
あ、7歳も離れてるんですね。
じゃあ生まれてからシカゴに駐在員になって、その時にジュカンボーイが誕生したと。
で実は僕、ジュカンって名前何年前だろう、書いたの。
書いたっていうか名乗り始めたのが多分6年前くらいかな。
なんだけどそれまで、今でも一応戸籍上ミキトって名前で。
シカゴに住んでいる間に私を見こもった母親が姉にどんな名前がいいって聞いた時にミキマフスって言ったらしい。
じゃあミキトかしらみたいな。いろいろ小説あるんだけど、格数画とか色々あるんですけど、ミッキーっていう話も聞いたり。
じゃああだ名はミッキーだったんですか?
ミドルネームがマイク、マイケル。で周りからは普通にミキトって言われてたね。ミキートって言われてた。
そうなんですね。
ミキト、マイケル、サティッシュ。
ミキトってなんか結構歌舞伎町のホストみたいな。
今でこそね。
そういう感じありますよね。ミキト。夜の帝王ミキト。
うわー。何かの漫画で確かにホスト役。
受観はいなさそうですけど。
受観はいないね。違う歌舞伎に居そう。
そうなんですね。お父さんとお母さんはどこで出会ったんですか?
元町ですね。
え?中華街?
兵庫の方。神戸の元町の大丸。
百貨店?
百貨店。
百貨店で出会ったんですか?
百貨店の、なんだっけお見合いなんかな?多分お見合い。
多分確かに。あ、そうそうお見合いお見合い。お見合いで出会って、大丸の前でデートしたらしい。
いいですね。
いいよね。
なんか時代感じますね。
そうね。
大丸の前でデートとか伊勢丹でデートとか今だと考えられなくないですか?
確かにね。三越前のライオンの前でとかね。
待ち合わせみたいな。ないですよね。
ない。
その時代ってデパートがもうキラキラの象徴だったんですね。
確かに。
そうそうそうそうそうだと思う。
70年代?ぐらい?
80年代?
70年代だろうね。
で、そっから車に乗って京都の方にドライブして平安神宮の、なんかまぁいいやこんなんじゃない。
いろいろあって、とりあえず父は母に惚れたらしく。
母はこんな安男って思ったらしいけど、結果的に結婚して終産。
いいですね。
いい話。
いいですね。大丸百貨店まだあるんですか?
ありますよ。
出会いの地。
あるある。今は近くにブルーボトルあったりとかね。
あー。
で、大学院でまたフランス行った後、卒業、終了か。
終了した後は、えーともう、アメリカ1年。
そのときはサンフランシスコっていうかシリコンバレー。1年。
で、その後京都。
ややこしいよね。
全然京都いないですね。
そう。ようやく京都なんですよ。初めて。
大人になってから京都なんですね。
大人っていうか、もう院も出てそこからさらにシリコンバレーも行ってるから、25、6ですか?京都。
京都初めて住んだんが、そうね。25かな。
そうなんだ。これみんな結構意外かも。
そうなんすよ。
なんか樹冠さんは京都の人だと思ってたから。
うん。ゆかりが京都にあって、毎年毎年絶対一帰国したら京都行くみたいな感じではあったけど、住んだのはもう大人だったから。
京都には何年住んでたんですか?
合計5年。
じゃあ25から30まで京都在住。
そうね。あれ?嘘だな。じゃあ4年だ。
4年。29。
その間の1年、またシカゴ住んでる。
へー。なんでシカゴ行ったんですか?もう両親とは離れてるのに。
えーと、その時は人生唯一の4年ぐらいサラリーマンやってた時に、1年間駐在で。
あ、なるほど。
行きました。
そうなんですね。
もう社内企業に近いような形で。
あー。で、それを退職されたのが、じゃあ29、30?
そう、29かな。そう、29、30。
30からは自分の人生を歩んでるってことですね。
そう、そう、そう、完全に。で、イギリス。
イギリス。会社辞めてイギリス行ったんですか?
そうですね。
いろんな国行ってますね。でも主にヨーロッパ。
主にヨーロッパ。
欧米。
欧米。もう完全欧米やね。
完全欧米ですね。
そうなんですよ。アジアが全然住んでない。旅行では行ってるけど。
30にイギリス行って、イギリスで1、2年ぐらい。
イギリス3年かな。
結構いたんですね。
なんやかんやね。
あれ、RCAにいたのは?
そうそう。
あ、ここ。
そこっす。30で。
30で行ってたのか。
人生変えようって言って。
変わりましたね、でも。
うん、めっちゃ変わった。そう、本当に人生。
30なってから学校行くって結構、すごい良いと思います。
10代の時の大学って、強く何かを思って行くわけじゃないじゃないですか。流れじゃないですか。
とりあえず行っとこうぐらい。
周りの流れとか、人生の流れだけど、30超えて大学行くのは本当に。
意志持って行ってるからね。
そう、すごい良いと思います。
もう何か掴んで帰るぞ、みたいな。
で、33に出て?
で、その間に、1時ちょっとだけ日本に帰ってんのかな。
第2次生まれるから、みたいな。
そうか、この頃もうご結婚もされて、お子さんもいて。
結婚してる子供見て。
すごいですね。
そう。で、何歳で帰ってきたんだろう。
34で日本に帰ってきたから。
はい、今は何歳ですか?
36。
あ、そうなんだ。
なんか忙しいですね。
忙しいんですよ。
忙しいですね。なんか拠点がコロコロ変わってて。
多分4年以上どっかに留まったことが、高校大学一期通館してる時しかないと思う。
それが一番長いですね。高校の神奈川時代。
じゃあ一番長く行ったの神奈川じゃないですか。
まさかの。こんなにいろんな国にいて。
確かにね。そう言われたら意外だけど、そうなんだろう。
面白いなあ。しかもイギリスから帰ってきた時も東京ですよね。
東京です。ちょっと東京に仮住まいしてから長野に来たって感じだから。
今だって長野行ったばっかりですよね。
そうだね。まだ2年目ぐらい。忙しいなあ。
忙しいですね。受鑑さん。
さすがにここから長野にずっと住んでるはず。
どっかでまた博士号取りたいなとか思うかもしれないけど。
あれ?博士号まだ取ってない?
取ってないです。マスターだけです。
マスターがRCA。
そう。
イン2個取ってるんですか?
そうです。
大学、イン、イン。
そう。しかも前期ね。だからマスターを2つ持ってますね。デュアルマスター。
そのRCA以外のマスター何を持ってるんですか?
システム工学ですね。今時で言うシステミックデザインってやつ。
そうなんですね。
じゃあそこから今の作ってる作品とか、そうからず両方ちゃんと使えてますよね?
いまだにやっぱり頭の中すごいシステム的に考えてるし、システム思考的なものにデザインというより
なんかそのちょっとポエティックな人文学的なところが加わったって感じ。
人文学的なものをシステム的に考えてるってのが私だと思う。どっちかというと。
なんかおいたちを見ていくと、じゅかんさん生まれてから中学に入るまで基本ずっとシカゴ、トロントじゃないですか?
そうですね。
第一言語は英語なんですか?
日本語っす。
日本人学校に行ってたとか?
ちょっと日本人学校行ってたっていうのもあるけど、人間言語習得が脳みその中で言語習得時期と言われてるのが大体10歳ぐらいなの。
その時がちょうど日本にいたから、もう日本語だね。
じゃあ10歳以前に喋ってた英語はその時にちょっと忘れる?
完全に。
でも日本にいたの1,2年ですよね?その時。
ほぼ、だから欧米、欧米ってか北米に行って、なんで耳も、いまだに結局すごいブリティッシュっぽい雰囲気になるけど、聞い抜くとすぐアメリカン、イングリッシュになります。
悔しいけど。
そうなんですね。面白いですね。親御さんとはでも日本語ですよね?
日本語です。
お父さんとお母さんは、お父さんは英語はできる?
一応2人ともできるかな。ある程度。
近くで働いてましたもんね。
姉は、姉は昔はそれこそまだまだ2人ともちっちゃかった頃は、姉と私は結構英語が多かった。
もうザ帰国な雰囲気。
帰国史上って結構イントネーションで帰国史上わかるじゃないですか。
受鑑さん全然ないですよね。
今はまあない。昔はやっぱりあって、姉が特にあったんだけど、その雰囲気ってか、いわゆる帰国史上っぽい雰囲気がすごい好きじゃなかったの。
なんかあるじゃん。あのあの感じ。あー、えー、あーでもさーみたいな。声でかいし、そのちょっと母音がどうしても英語っぽいっていうか。
今のちなみに私は日本語のいいじゃなくて、愛とかいいとかのいいらしいんだけど。
え、そうなんですか。全然わかんないですよ。
まあまあでも、可能な限り殺したし、日本語的なものにしてます。
素晴らしい。面白いです。でもなんか、こんだけ日本がこうインサートみたいに挟まってると小学校とか中学校とか。
どっちかというとね。
長いのが長いから、日本を帰ってきた時にこうカルチャーショックとか受けなかったのかな。
めちゃめちゃ受けました。
知りたい。小学生、中学生時代のカルチャーショック。
あのー、初めて中学、小学校の時はなんかね、もはやもうみんなわからないから。
別に多分なつよちゃんもそうだったかもしれないけど、小学校の時に国変わってもストレスはすごい感じるけど、もはや文化の差っていうか、ただ必死毎日みたいな感じだったじゃない。
だからあんまり覚えてなくて、ただいくつか覚えてることは、まず幼稚園の4,5歳で初めて帰ってきた時の衝撃というか悲しかったことというか、いじめまでいかないんだけどいじられたのが、
お絵かきの時間で子供を描く時に、当然、今思ったら当然なんだけど、みんな周りが肌色に黒、クレヨンだしね、12色くらいの。肌色に描いてニコニコって描いて黒の髪の毛をぐちゃぐちゃって描いてたのに対して、
私が肌色もピンクもあれば肌色、赤、黒、茶、緑全部使ってたらしいんだけど、髪の毛もいろんな色を描いて子供たちのことを描いていた時に、多分僕の中ではそれはもう当たり前のようにいろんな夕食人種、白、全部のことを描いてただけだと思うんだけど、それがいじられてすごいショックだったのを覚えていたり、
あとは、中学3年生の時に、秋とかかな、秋か冬で日本に帰ってきたんだけど、
オランダから
オランダから帰ってきた時の日本人男子の性に対するアプローチの人気さに愕然とした。
中学生ですよね。
そう。
性っていうのは女の子とキスしたりとかですか?
そう、例えば。
なんだけど、その時に前回の放送で夏代ちゃんがゴリゴリって言ってて、今回これ言うのもどういう番組やねんって感じなんだけど、折り紙のパックマンあるじゃないですか。
なんかありましたね。
話したっけ?
話してないけど、私もそれ見た覚えがあります。
本当?
中学生の時。
パックマンのやつを手にあって開いたりと自体にしながらゴッゴッって叫んでて。
それ見たことある?
あれ、やっぱ日本人中学男子なんかな。
それは幼稚に移ったってことですか?すごく。
幼稚っていうかキモいなって思った。じめっとしてるっていうか。
それまでが、それはそれでなんだけど、オランダ時代だと例えば修学旅行みたいにみんなで行った時に、修学旅行ってかそもそも部活っていうものはないんだけど、季節性のクラブがあって、例えばそのクラブで試合遠征に行くと。
燃え尽きて。
燃え尽きて。ショートして。資金ショートして。
そのショートした先の帰ってくる場所は日本だったんですね。
その時は本当に結構本気でどうしようのあって、一番人生で迷った時で。
25?
25ぐらい。そうそうそうそう。
なんかもう一人一緒にやってたやつはもうそのままスタートアップやる。もう続けますと。
ただ領域変えて彼は教育系に行ったんだけど、
私がそのうすうす底辺にはもうすでにいろんな意味で踏み切れなかったアートの方に心は移ってたんだけど、
移ってたんだけどいろいろあってやっぱりまだ、まだやっぱり越えられなくて、
祖父の墓参りをした時に。
いいですね。私好きです。この人生に悩んだ時にする墓参り。
する気持ちわかってくれる?
わかりますよ。
なんか。
私が最近なんか悩んでる友達も墓参り行ってなんか見えてましたね。
不思議だよねあれって。
不思議ですね。
だからその墓参りして別に霊が降ってくるというよりかはお次が来るわけではなくて、
その行動した自分に対してスッキリする感じなのかなと思った。
だと思う。あとやってみて、そのぐらいの時期に第一回目ぐらいに話してたけど、
そういう自分の先祖なんやとか。
ファミリーツリー。
ファミリーツリー調べてたりしてたんだけど、結局迷ってるからもうわーってある種女性を長くするという意味で自分の過去を調べてたんじゃないかなと思うし、
墓参りに行ったのもそういうことだと思う。
で、じゃあお墓は京都?
お墓はね、本骨の方なので九州ですね。
九州。熊本まで墓参りをして。
熊本まで行って、お墓参りをして行ったら、僕の場合はお告げっぽいのが。
え?
声っぽいのが。まあねもうあんなのわからんけど。
聞こえたんですか?
聞きたいだけかもしんないし。
まあとりあえず一回会社入っといたらみたいな声が聞こえた気がしたので。
言ってることめっちゃ普通で面白いっすね。
おじいちゃん。
めちゃくちゃ普通のアドバイスで面白いっすね。
そうそうそうそう。
会社入ればーっつって。
それで入って、入ってみてすぐやっぱ違ぇーってなったんだけど。
3,4年はいたんですよね?4年くらいいたんですか?
3,4年はいましたね。頑張りましたねそれは。
自分の中では一応区切りとして3年はもう絶対いようと。
だけどもうすぐ本当に入って、なんかね母親の白血病が入ってすぐ起きたりとかして、
もういろんなことあって、そうやっぱ違うわってなったって感じ。
人生のいろんな節目が重なって。
私JUKANさんに初めて会った時に、ちょっとキモいんで聞き飛ばしてほしいんですけど、
あのツイッターのエゴサしたんですよ。
ツイッターのエゴ?
ツイッターでエゴサしたんですよ。
ツイッターでエゴ?
エゴサーチをしたんですよ。
そしたら一番遡った時に、株式会社○○のJUKANですご無沙汰ですみたいなコメントを誰かにリプライしてて、
やべぇ。
あ、この人この会社にいたんだって思った。
怖いよ。人生怖ぇ。
過去のツイッターは消してない人多いですからね。
ちょっと消しとこう。
消しといた方がいいかもしれない。
ちょっとヤバいね。
このエピソードが公開されるまでには消しとこう。
それこそ冒頭の人生の編集じゃないですけど、プロフィール。
人生が繰り上がるというか、ステージが変わるごとに、上でも横でもステージが変わるごとに、過去の発言とかも一回全部見直した方がいい。
確かに。
思うんですよ最近。
そうだね。確かに自分の過去を編集ニアリコールSNS発信。
それこそ、それが私デジタルタトゥーのいいとこだと思ってて。
昔はそれこそオリンピックの日本のクリエイターたちの炎上じゃないですけど、全部炎上してるのは大体過去の行いじゃないですか。
そうだね。
でも時代とともに常識は変わるのに、過去の行いが掘り返されて今の常識に勝手に当てはめられて炎上したりもするから。
なんていうのかな。紙面とか雑誌のインタビューとかだったら消せないけど、デジタルタトゥーは頑張ったら消せるんで。
確かにね。
あらゆる魚卓まで消したらなんとかなるんで。
魚卓はどうやって消すの?頼むの?
頼むじゃないですかね。
でも結構頑張れますよ。
ちょっとやってみます。別にそんな嫌なこととかないんだけど。
全然。例えばですけど、人生のステージ変わると思想も変わるじゃないですか。
たまに自分の過去のインタビューとか読んでて、なんかキモって思ったりするんですよ。何言ってんだって思ったりするんですけど。
だから発言ってすごい気をつけないとやばいなって思いました。
話変わるんですけど、YouTubeのすごい好きなコンテンツでビリーアイリッシュが1年ごとにインタビュー答えるやつがあるんですよ。
見たことありますか?
見てない。
あれがめちゃくちゃ面白くて、デビューした年からその1年のQ&Aを全く同じ質問を10問ぐらいするんです。
今年一番楽しかったことは?とか、インスタのフォロワー何人いる?とか同じ質問を毎年やるんですよ。
それを毎年どんどんどんどん比較していって、今もう6回目7回目ぐらいなんですけど。
そんな経つ?デビューしてから。
そんな経ちますよ。
それがめっちゃ面白くて、でも今年のビリーは去年のビリーのことを毎回笑うんですよ。
なんかバカじゃないの?とかなんか言ってるよみたいなことを毎回言ってて、いやまさにこれだなみたいな。
でもこれはこのアーカイブが撮れてるからこそできることだけど、
大体の人はなんか、なんていうのかな、過去の恥ずかしい黒歴史が野ざらしになったままだから。
野ざらしだね。ちょっと編集しないとな。
編集しないとなってこの間思いました。
確かに。確かに。ちょっとやっておきます。
今の自分に都合のいいような編集をしないとなって。
そうだね。どっかでまとめられるといいのにな。機能的にそれこそ別アカウントに行こうとかできたらいいのにな。
それこそインスタとかにみんな貼り付けてるリンクツリーとか、なんかあれとかもプラットフォームごとに貼るんじゃなくて時代ごとに貼りたいっすよね。
何時代?何時代?みたいな。
でも実際私もちょっとそれはわかるのは、音楽でいうプレイリストがそれにあたる気がしていて。
昔作っていたプレイリストで定期的に新しく作るようにしてるの。その時代その時代で聞いてるものが何だったか思い出せるから。それに近い気がする。
音楽ってその時思い出しますもんね。
匂いとかでもね。
で、京都で会社員を、急に話戻しましたけど、京都で会社員を卒業してからやっぱりアートの道に進みたくて、イギリスのRCM。
そうだね。もはやその時はやっぱりって言うよりついに来てしまったって感じだった。
それまではその10代の頃に活動していた時とか、その20歳途中でやれるチャンスがあったけどやらなかったとかいうのも含めて、
まあね、やっぱ何かね、逃げられたんだよ。まだ他に遠回りできる。
まだ時間のゆとりがあるなっていう感覚で逃げてたんだけど、もうついにもうやらねばならぬっていう時期に来たって感じ。
やっぱりやりたいって言うより。
でも、30からやっぱり学校行っても人生変えられるっていうのがすごくいい話ですよね。
そうですね。
私が今その年齢なんで、確かに今ゼロスタートしても全然いいなってめちゃくちゃ思います。
全然ありだと思う。
むしろ30で一回ゼロスタートしないと、逆に延長線上で行ける場所がもうあまりないっていう感じも思った。
そう思う。なんかやっぱり、うちの場合だとすごい父親の影響を受けているので、よくことあるごとに、すごい父親を尊敬してるからっていうのもあるんだけど、
人生で困ったら大体一回彼に相談をした時に、当時は、当時だけじゃないんだけど20代でもいつでも言うことは一緒で、
戻れるよと。戻れるしリスタートできるし失敗するはするほどいいんだから、挑戦すればいいと。
その中でも特に学ぶっていうのはもう時代が変わる、自分の思考もいろいろいろんなものが変わるんだから、
もう持って、せいぜい持って20年だぜと。例えば大学で何か学んだら20年。でも冷静に考えて10年ぐらいしか持たないと思うと。
だから一回マスターを出てから10年弱ちょっと駆け足で進んでたから、もう5、6年だったけど、
それでもう次の時代に、もう学んだことが通用しないと思うんだったら、もう行けばいいみたいな感じだったし、
それこそ父親が50後半から60にかけて博士号をスタートしたの。東北大でわざわざ通って。
すごいですね。
月1、2で土日だけ。
ちゃんと父の子じゃないですか。
そうやね。
すごいですねお父さん50で大学に。
30後半、いや60ぐらいだと思った。で、会社のことやりながら、週末で行きながら、何年かけたかな、5、6年?
6年ぐらいかけて、3年でやっぱストレートに行かなくて忙しいし。6年ぐらいかけて博士号取ったの。
っていうのもあるから、もう説得力しかなくて。その30で、いやもう足んないんだったら今からもう一回行って、
次の10年、次の20年先の世界を見てこいと。で、その見た世界に対して自分ができることを養って帰ってきてまたやって、
もしダメだったら、実際今そうなって、ちょっと考えてきてるけど、40なり45なりで博士号行ったっていいじゃないかと。
で、そこからアカデミアの世界に入るとか入らないとか関係なく、自己検査のために40過ぎで博士号取りに行ってもいいんだしさーっつって。
そんな感じなので、OKって感じで行った。
だからすごいおすすめ。本当に。いつでも帰られる。で、じいちゃんも人生50で、50からの10年で成功してるから。
あ、そうなんですか。
もう本当に50まで全然もう泣かない。本当に鳥泣かなくて。
50で挑戦したことが、ん?50過ぎで初めてアメリカになんか海外のビジネスの、彼がやっていたビジネスの最先端を見に行って、
52歳かな。で、それを初めて取り入れてやって、ようやくお金になってきたというか。
なんかそういう血が、血を見てるから、親父も祖父も。なんでまあ僕もじっくり焦らず、でも着実に駆け足で行けたらなと思ってます。
ノーマルワールド見ました。すっごい勉強になりました。
会社員をやり、お中元を送り、結婚式をあげるという。
そうそうそうそう。大変だな、あれも本当に。
あれも大変ですよね。なんかあれをそつなくこなせる人って才能あると思うんですよ。
そういうコーディネーターに行ったらいいと思う。
そうなんですね、面白いですね。
結婚式で。
で、今に至るんですね。
そうですね、だいたいもちろん細かいエピソードは。
私、受鑑さんと知り合ったのは本当に3年前とかなので、RCから帰ってきてアーティスト立石受鑑として知り合ったんですけど、
本当に今の受鑑さんしか知らなかったなって今聞いて思いました。
そうですね、そしてめっちゃ変わったと思うし。
なんか結構幼少期海外にいた人って日本でバリバリ活躍してる人特にそうだと思うんですけど、
自分の子供時代の話しなくないですか。
そうかもね。
全然聞かないんですけど、私今お仕事してる人もなんか親が実はインドネシア人でジャカルタにずっと住んでてとかっていうのも知り合って1年ぐらいで知ったんですよ。
はいはいはいはい。
えーみたいな。
えーみたいな。
めっちゃ面白い話だね。
好きな国どことかっていう話になったら、旅行でどこ行ったことあるみたいな話したら、結構なんかジャカルタとかって出てきたから、
ジャカルタと思って、ジャカルタ言う人そうそういないよと思って、その旅行どこ行ったみたいな話の時に聞いたらそうだったんですけど。
はいはいはい。
とかなんかインドの学校行ってたとかいるじゃないですか。
いるね。
全然言わないじゃないですかみんな。
そうだね、掘ればね。
なんかその日本人同士の方がどこ中みたいな会話をするのに海外行った特殊な人生歩いてる子の方が語らないんですよね過去。
前の前回か前々回にも触ったけどやっぱり話してもあんま共感してもらえないからじゃない。
そこだ。
しかも長くなるし。
そこに行き着くんだ。
うーん泣きするなぁ。
あー今ちょっとすごいなんかゾワッとしました。
共感性だ。会話は共感なんですね。
そうだと思います。
分かるを狙えないから語らないんですね。
そうだと思う。特に老いたちって過去における共通点を探して、私たちって同じようなところにいるから
仲良くなれるよね。
そうそうそう。そういうのなんだっけな。言葉があるんだよね。あるんですよ。
コミュニティと家族との間ぐらいに、老いたちとか思想とかが一緒ということを通じて仲間意識あるいは家族だ。
You're broっていうああいう感じ。
共通点を見つける。
あの関係性がなんかあるんだよな。
ちょっと後で検索しましょう。
しときます。
でもそれができないからだと思う。
だから過去を語らないんですね。
強いて言えば、表面的に言い方が悪いな。
単純に情報として受管はどうやらいろんなところで進んできたことがあるらしいぞということから
ちょっと受管さんに聞きたいんだけど、子供時代の教育現場ってどうでしたとか
日本教育ってこう悪いと思うんですけどみたいなことを聞かれた時にはちゃんと言うぐらいの感じ。
確かに。
松代さんもそうですよね。きっと。
本当に聞かれることないから自分で語らないけど、自分で語らない理由って
共感を得られないからだなってすごい思いました。
逆に同じ教育の仲間もいるわけじゃないですか。
そこではもうそういう話しかしたいんですよ。
なんか子供の頃これ飲んだよねみたいな。
これまずいよねみたいな話とかをずっとしてるから
そういうことなんでしょうね。
同じ教育を持ってないんでしょうね。
逆に言うと仲良くなれるツールが1個減るっていう感じもするなと思った。
だからこれの話もどっかでした気がするけど
やっぱり出身がないってすごい辛いんだよな。
地元どこって言われるときに答えられない感じがしんどいなと思います。
私は後でネーミング調べますけど
出身どこって聞かれたら答えないです本当の話を。
その子が純粋な日本人だと小学校の頃大阪に住んでたんで
大阪住んでたって言います。
もうすっ飛ばします。そこの会話を編集する。
すごいねそこまでなんだ。
30年も生きてれば会話のシミュレーション一通りやってるんですよ。
どこ生まれって聞いたときに本当の内モンゴル自治区を答えると
そこからの説明がまず10分くらいかかるんですよ。
それがめんどくさいときはもう大阪住んでたよって言って終わるっていう。
すごいねそこまで編集しちゃうんだね。
逆に例えば私のことを覚えていてほしい。
もしくは今この場で目立ちたい時ってあるじゃないですか。
そういう時には内モンゴル自治区って言います。
内モンゴル自治区ってなるもんね。
間違いない。
それぐらい結構使い分けてますね。
編集しちゃってます自己紹介。
確かに。でもうらやましい。ある種うらやましいなと思うのは
私がすごい下手だからその編集がある種ローデータのまま出したくなっちゃうというか
素材で。だからタクシーのおっちゃんに
CSVで見てみたいな。
CSVでくらいの本当にもうローデータ。
JPEGでもない。TIFFでもないぐらいの。
だから大体タクシーのうんちゃんに
お兄さんどこ出身なんですかって言われても
出身とかないんですけど。でも名刺って言えば四角なんですけど。
タクシーの運転手さんにもそんな正直に話すんですか?
私もう東京って言いますよ。
すごい。
割り切っちゃってるかも。
割り切れるんだよね。すごい。それは欲しい能力。
割り切りというかもう嘘ですね。
もはやね。東京は嘘だからね。本当に。
でもあるじゃないですか。どっか旅行行った時に
どこから来たんですか?みたいな。堂々と東京って言ったりしてますよ。
どっから来たのお姉さんって言って。
あってるからね。どっから来たのって言われたら東京から来てるもんね。
東京じゃない時も東京って言ったりとかするんで。
塾間さんは面白いですね。ローデータの男なんですね。
ローデータですね。だから編集本当は任せたい。いろんな人に。
でも今の塾間さんは結構プロフィール書きやすいかもしれないです。
嬉しい。
その年表を今日は全部さらって聞いたんですけど
今の塾間さんのプロフィールは30歳以上のプロフィールだから
この6年ぐらいをギュッて濃縮したプロフィールなんですね。
おっしゃる通りです。
だからすごいわかりやすいかもしれないです。
おっしゃる通りです。1つ目のマスターとかの話も全部消したし。
会社員自体もなかったことない?
ないないない。全部ない。