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一番小さい頃の記憶。スーパーで母親だと思って掴んだその人が、母親と同じお服を着た別人だったという恐怖の記憶。それが一番小さな時の記憶です。
私も断片的ですけど、当時の家の横に父親が作ったブランコがあったんですよ。それに、小さすぎるから漕げないんですよね。だから座ってるだけ、みたいな。
ブランコに乗って座ってるだけって言ったら、すごいメルヘンチックな、いい思い出って思うかもしれませんが、そうではなくて、ブランコの砂っていうんですか、ロープ。
あれは工事現場の黒と黄色のロープで、椅子は板1枚みたいな、そういううさくるしい感じで。
私も小さな、3つかそれくらいの感じじゃないのかな。長靴履いて一人で遊んでる。楽しいような寂しいような。いつもそうなんですよね。子供の頃の思い出。寂しいと楽しいが、混在してるんですよね。
いい思い出なのか、つらい思い出なのかわからないけど、それが一セットになってる。そんな感じです。
妹と5つ離れてるんで、5つまでは一人っ子なんですよね。だから一人でよく遊んでるんで、もうひたすらお絵かきです。
それは今みたいに画用紙に書くとかじゃなくて、チラシの裏っていうんですか、新聞の。
あれにひたすら描いてました。それ足りないから、おばあちゃんのとこに行って、おばあちゃんのとこにたまってチラシを持って帰ってきて、それをひたすら描いてる。もうそれしか覚えてないです。
遊びは?って言われたら、ブランコの上では全然遊んでないんですよね。一人だから、友達と遊ぶってこともなくて、ひたすらチラシの裏に何かを描くということをやってます。それ一択。
描いてるのはね、だいたい当時のアニメ。私はあっこちゃんが好きだったので、あっこちゃんをやったら描いてました。あっこちゃんは今でもたぶん上手に描けると思います。
私はずっと外で遊んでましたね。結構田舎の兄と二人の下の末っ子で育ったんで、とにかく遊んでもらうために無理して後をついていって、命がけで山の中で遊んだり。
どこの子なんだよね。
やっぱり好きだったんですよね、遊んでもらうの。
あんまり女の子っぽい遊びはしなかったですね、私の場合は。
悲しい思い出とセットの遊びの思い出は、村の小学生、高学年のお姉ちゃんたち。よく遊んでくれてたんですけど、よく一緒に遊んでるときに。
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私があんまり自分の何がしたいとかいうタイプじゃなかったんですけど、その日はどうしてもお医者さんごっこがしたいって、私が急に始めたんです。
いらっしゃい、いらっしゃいじゃないけど。
なかなかでも高学年のお姉ちゃんたちが乗ってくれないから、手紙を書いて、病院に来てくださいみたいな。
手紙を書いて渡したりする、同じ空間で遊んでるの。
とにかく来てほしくて。
私、小学低学年、幼稚園だったかな。
書いた手紙をお姉ちゃんたちが見て、私よく鏡文字になってたんです、ちっちゃい頃。
それを、全然意地悪な感じじゃないけど、笑われたっていうのがめっちゃショックやって。
その瞬間でピタッてその記憶が止まってます。
なんかね、それがすごい悲しかったんだけど、そのお姉ちゃんたちに腹が立つとかそんなのでもなく、ただただ悲しくて懐かしい思い出。
子供の頃なんか結構毎日ヒリヒリしながら遊んでたので、刺激的でしたね、人間関係とか。
今それ質問されてからわかったんですけど、結構引きこもってたんだなって。
振り返ると、そんなに人間関係でヒリヒリとか。
英会社の本を読んだり、テレビを見たりとか。
なんかちょっと学校が辛かったですね、最初。集団行動がとにかく苦手で。
でも、やってましたよ、卒学はやってましたけれど、かなり無理してるなって自分でも思ってたし。
昔みたいに学校に行かないってことは認められてなかった、昭和の子供なんで。
家にいるなんてこと絶対できないし、家にいるのは寝すれてる時だけみたいな。
そういう霊観とか大絡観に憧れていた凡人でした。
目が悪いとか、体が弱いとか。
子供の考えですよね。
とかと同じように憧れでしたね。
不思議体験がしたくてしたくて、待ってました。
夜とか怖いとか、暗がりがあったらかけるとかでも強かったんですか。
なかったですね。
映画とか小っちゃい時好きだったのよく見てたけど、
あるじゃないですか、本を開いたら選ばれてその世界に入っちゃうとか。
あるね。
そんなのしたかったなあ。
したかったなあ。
したかったなあっていう、本当にね。
ありました?
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私も絶対暗いとこ嫌いだったんで、もうそれは家でも異常だって言われて。
2階建ての家に住んでて、2階が私の部屋だったんですけど、
晩になると怖くて2階に上がれないからお父さんに先に上がってもらって電気をつけてもらって、
それでないと上に上がれないんですよ、怖くて。
だから宿題ができないんですよね。
で、上に上がってって言っても、お父さんがプロレスとか見てるから上がってくれなくて、
これ終わったらなあとか。
その間、見たくもないプロレスを一緒に見て我慢して、
なんで行ったらいいやんかとかって言われると、もう絶対行かれへん。
それは何かが分かんないです。何かが痛むか何かが分かんないけど。
でも基本、今も暗いとこはダメ。
だいぶ大人になってマシになりましたけど、ちょっと話しとりますけど、
昔の京都って真っ暗だったんですよね。
今は京都にぎやかな街になりましたけど、
昔は本当に真っ暗、もう5時ぐらいになっちゃうと、
空よりも山の方が暗くなっちゃうんですよね。
暗いんですよね。
誰見てカラスがカーッとか鳴ったら、もうギャーッて鳴って、もう帰るって言って。
もうそんな暗いって言葉に対しての恐怖は、
特に今大人だからマイルドになりましたけど、
子供の時はわりともう決死の覚悟。夜が来るみたいな。
なんかそんなのいつもありましたね。
もしかしたら家に何かいたのかもしれませんけどね、あの頃。
感じてたかもしれないですね。
わからなかったけど。
京都とかって古いお墓とか、歴史があるから、
亡くなられた人の数も多いじゃないですか。
うん。
わけが多い。
うん。
もう何千年って人が、
なんか、私は学校が京都に近くあったので、
よくサボってたんですね、高校の時ですけど。
で、そのままいつも学校に行かずに京都に行くっていうのがだいたいルートだったので、
で、夕方になったらさっきも言ったように、
なんか山が黒くなったらもう怖くて入れないからもう帰るわって言ったら、
友達が何でそんな急いで帰らんでもええやんとかって言ったら、
時に私は天狗が出んねんでって言ったら大笑いしたんですよね。
でも本当にね。
いるってば、みたいなね。
学校から降りてくるよって言うんだけど、
みんなわかってないからちょっと頭おかしいんだなみたいな感じで、
一人でそっそく外帰りました。帰ってました。
クラマベラーとかにもあったよね。
うん。
私は理想の家は母方の祖母の家ですかね。
姫路の外堀のお堀の真横に建てる長屋の一角で、
そこの平屋で家が多文字だから4部屋しかなくて、
めっちゃこじんまいしてるんですけど、
何だろう、匂いと、
まずその、開けたらファミリーマートに入るときの音楽が流れるんですよ。
あるよね。
昔の流れてたやつ。
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その音とおばあちゃん家の香りと、
だからそこで過ごした思い出が良い思い出しかなくって、
私ここが理想の、ここに将来も住みたいって思うぐらい好きで、
その匂いと音を聞くと、
ファミリーマート?
泣きそうになる。
ここ、ここ、ここみたいな。
誰もが知ってるような場所じゃなくて、ちょっと申し訳ないんですけど。
今も?
今も一番。
いいね。
ありますかね。
私も今ちょっと家の話したから、
私はもうないとこだけど、
前の前の家、実家の台所で夏寝るっていうのが、
あれ以上の心地よさがなかったなって。
台所で寝るってみんなギョッとするかもしれないですけど、
床が冷たかったんですね。夏だったんで。
そこに夕方の日差しが入ってきて、
ちょうどいいっていう。
顔はちょっと焼けちゃうみたいな。
だけど時間が止まってて、
一人でそこで寝てるっていうね。
お昼寝、お昼寝みたいな。
なんであんなとこで寝てたのかなって思ったんですけどね。
でも私それ以降、台所で寝るっていうのが一つのブームになって、
人んちの台所で寝たりとかした時があったんですよ。
人んちはどうかなって思って。
その子は優しい子だったんで、
寝てたら旦那さんが帰ってきてギョッってしたんですよね。
だけど寝かしておいたってって聞こえてたんですよね。
寝てたんですよね。
よく人んちの台所で寝てたなって思うんですけど、
なんだったのかな、あの頃はっていう。
でも自分の前の前の家で寝てた時は、
あれなんか忘れられない良い思いです。
何があったわけではないけれど。
もう二度とないですしね。
あの瞬間、たぶん私が今それをやっても何とも思わないけど、
あの時の私はなんか良かったんでしょうね。
いつぐらいですか?
いつぐらいだったかな。
でもまだ10代だったので。
昔よく見る夢ってありますか?
あるよ。悪夢。悪夢系。
どんな?
追いかけられるとか、
なんかそこ飛び降りなきゃいけないとか、
そういう追いかけられる系。
なんで今何見るのかなって思う。
ありますね、なんか続きものとかね。
で、だって見てる自分も前見てるから、
展開わかってんねんね。
だけど一瞬逃げてんのね。
ちょっと周りの人よりも先に逃げられるじゃないですか。
追いつかれそうで追いつかれないみたいなね。
それはちょっと申し訳ないですね。
見ながら飽きてんだけどね。前向きな人は。
私は今はJ-POPを聴くっていうのが、
なんかもう最近の若い人たちの音楽の感性、
素晴らしいなと思って。
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私コモロファミリーで泊まってたんですけど、
感動しながら聴いてます。
あとは、
韓国映画好き。
韓国映画っていうか、
映画の方が好きですね。
私ドラマはちょっと長くてつらい。
それが見たすぎて他のことが全部適当になってしまうのが嫌で、
あんまり見ないようにしてます。
たくさんいると思うんですけど、
これはすごいオススメだよみたいな。
誰もが知ってるけど、米津玄師さん。
なんか最近気づいたんですよ、やっと私。
この人いいなと思って。
どんなところが魅力ですか?
なんだろう。
たくさん曲を振る人って、
ちょっとした流れ作業になりがちなところもあるじゃないですか。
なんか似たような感じだし、
たぶんこういうのを一曲作っておけば、
アルバムとかしたときにちょうどいい感じになりそうだなとか、
そういうのが一個もない感じ。
どれもがベストっていう感じで、
どこかに必ずがかりを作ってくれる。
こういうのとか、歌詞とかリズムとか音とか、
そんなのを全部に入れてくれてるから、
どれ聞いてもいいなって思う。
ほんと最近ですよ、これ。
もう何話かの話です。
韓国映画でもハズレがないのね。
何を見てもハマれると思いますね。
でも私が最初に見た韓国映画は、
ちょっとヤバいやつがあったんだけど、
誰が見てもいい。
私が好きなのはファンジョンミンっていう俳優さんなんですけど、
めっちゃ感動するのは、
その方、ファンジョンミンが出てる国際市場で会いましょうっていう映画。
戦争で離散家族の内容を扱った映画なんですけど、
すごくいい映画ですけど、
ファンジョンミンが出てる映画は基本なんでもいいかもしれない。
面白い。
ファンジョンミンってかっこいい人なの?
味のある感じですかね。
パラサイトに出てる孫元歩が出てる映画も大体素晴らしいです。
ハマってるってことはないんですけど、
基本的にずっと好きなのはラジオが好きで、
今日今この話をしてるポッドキャストもそうですけど、
ポッドキャストっていうジャンルが出てきて、
非常に良かったなって思ってます。
ラジオだったら、今タイムリーとかもあるから、
いつでもどこでも東京のラジオも聞けるっていうのもありがたいんです。
ポッドキャストはもう一つ枠が広がっているので、
いろんなのを聞きたいんですけど、
それこそさっきの韓国ドラマじゃないですけど、
一個掘り下げていったら、いろんなものを掘り下げていかなきゃいけないので、
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ラジオばっかり聞いてる人になっちゃって、
これダメだなって思うんですが、
いくつかこれとこれとこれは絶対聞くっていうのがあって、
それをここ市場に来るときに聞いたりとか、
ちょっと一人でシューンってなったときに、
そうだそうだとかって思ったりしながらするので、
非常にライフライン的に、
僕だからブームっていうよりは必要なものとして、
多分これからもっと、
そうやって自分で番組持ってる人とか、
いいなって思ったりします。
やってみたら楽しいのかなって思うんですけど、
一人で喋るのもしんどいから、
誰かとこうやって掛け合ってやれるのが一番理想だけど、
なんかそんなに楽しそうだなって聞いてます。
私さっきまで掛けてたんですけど、
ピーター・バラカンっていうDJが大好きで、
ピーター・バラカンに本当にいろんな音楽を教えてもらってるって感じなんですね。
もちろん今流行りの曲もありますけど、
こんな歌あるんだ、まだまだ知らないのいっぱいあるんだなっていう感動と、
それまた引っ張ってきてちょっと聞いたりとか、
まだこの年になってもそういうことをやってる自分とか、
そういう音楽が存在してるんだなっていうことに非常に喜びを感じております。
イギリス人なんですけど、民謡も大好きで、
日本のね、そういうのも掛けたりするんですけど、
そういうのを教えてもらったりとか、
日本の昔の曲とか、
YMOのマネージャーじゃないけど、
その辺の関連の仕事をしてた人なので、
そういう70年代とかの日本の音楽ってよく知ってるので、
そういうのをたまに掛けたり、YMOの繋がりみたいなので掛けてくるんですけど、
新しい出会いがあったりするので、
私はすごい大好きですね。
欠かさず聴いてます、いつも。
お笑いとかは?
トークは、紙沼英子一択です。
あんたそこって、今ピーター・バラカンとか言っといて、
紙沼英子って言うのも嫌なんですけど、
基本そうなんですね。
どっちも好きみたいなので、
紙沼さんは尊敬してます。
もう引退しないでくださいって感じです。
喋れるとこまで喋ってくれ。
紙沼英子って、
私、関東出身なんですけど、
そこまでテレビ出てるんですけど、
関西に来たら、紙沼英子こそ関西人の
典型みたいな扱いじゃないですか。
そうなんですかね。
私、中にいるから分かんないですけど。
関東人化すると、
異色の関西タレントみたいな。
いや、全然普通。
こっちではもう。
ある時は主婦の代表だったし、
今となっては旦那さんもリタイヤして、
卒婚みたいなこともやってたりとかして。
宗教的な代表。
女の人のライフステージをそのまま
みんな一緒に歩んでるっていう感じですね。
で、それは、私は一緒じゃないんだけど、
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今、後ろを一緒に歩いてるって感じです。
ああ、分かる。紙沼さんがあんな言うとったら
分かるわっていう。
そうですね。
友達のお母さんがあんな言うとったわっていうのがあり、
自分のお母さんであったり、
私自身もその通りみたいな。
スタンダードですね。
100年後。
100年後ってことは、子供ももういないってことか。
子供の孫いる。
なんだろう、めっちゃむずいな。
100年後?
うん。
100年後でも、10年前でも、
たぶんね、今のことをやるしかないんですよと
自分にも言い聞かせながら、
もし100年後の人に何か伝えたいったら、
目の前のことをやるしかないですよ。
それは今の自分にも言い聞かせてることですが、
たぶん100年経っても同じじゃないかなって思います。
人間としてはね、
人間が生きるっていうことに関してはしてないと思います。
もちろん環境とかは大きく変わるし、
何か生きるための手段であったりとか、
人間関係のスタイルとかは大きく変わってはいくだろうけれど、
基本生きるっていうことに対しては、
たぶん1000年前も一緒だったような気がします。
100年後のために何か生きてるわけじゃないので、
ごめんねーって感じがします。
ごめんねーだよね。
特に何もしてなくてごめんねーって感じがします。
ごめんねーでいいんじゃないのかな。
自分が一生懸命やれば、
一生懸命って言い方もちょっとまたハードだけど、
楽しくなればそれでいいのでは。
何か大した話もできずに申し訳ない。