00:01
僕、それよく聞かれるけど全く思いつかないから、何か教えて。
なんか、親が結構ビデオとか撮ってくれてたりするじゃないですか。
その記憶と何か混ざっているものもあるんですけど、
多分自分で覚えている中で一番古いのは、幼稚園の年少の時のクラスの教室の風景ですね。
学年というか、年少・年中・年長って上がっていくごとに教室が変わってて、場所が違うんですけど、
年少の時、チューリップ・ピンク組だったんですけど、その時の教室が覚えてますね。
でも多分幼稚園の教室って、今の大人になってから入ったらすごいちっちゃいんだと思うんですけど、
その時は本当に多分今感じる高校とかぐらいの教室の感じの大きさだったんだろうなって思います。
2階か3階ぐらいの高さのところで、多分火事とかがあった時に脱出する用の滑り台がついてて、
ベランダから出て滑り台から降りるっていう避難訓練をしたのは覚えてます。
それが楽しかったのは覚えてますね。
一番古い思い出、ご飯あんまり食べたくないって言ってたのは覚えてます。
なんか今思えばすごい不思議やなって思うことの一つなんですけど、
今って僕ご飯食べるの大好きやし、物を余らすっていうことがないし、したくないなって思ってるんで。
そもそも食べれない量を机に置かない。だからそんな感覚全くないけど、
子供の頃って親にちゃんと全部食べなさいとか早く食べなさいとか言われてて、
え、自分全部食べへん人間やったん?みたいなのを今ふと思い出しました。
そんなのある?早く食べろとかいっぱい食べろとか。ない?
なんかすごい不快やったそれが。今その隣にいて全部食べたのに。
そんな感じですね。
苦手とかピーマンとか、何か苦手なものとかがあったわけじゃなくて。
そう、それももちろんあったと思うんですけど、どっちかっていうと多分もうパンパンなんですよね。
もう人生の中で一番パンパンなお腹って多分あの時やなって思います。
不思議やな。今やったらいくらでも食べれるのにな。
03:01
スモービアで体を大きくするために、もう食べれないのに体を丈夫にさせようと思ってたのかもしれない。
なんかとにかく食べて、スモービアとかってそうやってもう限界まで食べて、もう嫌だ嫌だって言っても食べさせて、
なんか不思議なのがまた、その机の上に出てる料理の量も別にそんな多くないんですよね。
だからいらん時にいらんものを食べてたんかなとか想像します。
今はむしろそうしてくれたから今僕は好き嫌いなくおいしいものをおいしく食べれてるから、ありがてえなって親に対して思います。
先生は覚えてます?
覚えてます。
私何回、前言いました?
前言ったかも、人形作るっていうストッキングで、幼稚園の時にストッキングに綿詰めて肌色やんか、すごい人形に見える。
そこにボタン貼ったり、毛糸貼ったりして、人形にして、その人の家を魚のパックで椅子作ったり、布貼ったりして食ったっていう。
手足はスポンジで。
今と言われてる。
一緒でした。
それ大きいと思ったのは、公園とかにある水道を出しっぱなしにして、その流れる水でダム作ったり、せき止めたりとか、股を作っていろんな方向に持ってったりして、よく怒られてました。
泥遊びですけど。
全然覚えてない。
自分遊んでたんかな?
そうですね、なんだろう。
人形遊びはしてましたね。
リカちゃん人形を持ってて、母が小さい頃に遊んでたリカちゃん人形、すごい古いやつなんですけど、それが一番お気に入りで、新しいのも買ってもらってたんですけど、
リカちゃん人形の髪の毛がほぼハゲちゃってるみたいなやつだったんですけど、
その子が着ている服がすごい可愛くて、たぶんおばあちゃんが作ってくれたんですけど、それもボロボロなんですけど、それをずっと着せたり脱がしたりして、
クローゼットというか、ちっちゃいタンスの中で立って遊んでました。
中で隠れて。
中で隠れて。
急にお父さんがバッと入ってきて、パサッと隠して、大きくなっても人形で遊んでいいんだよって言われたのを覚えてます。
06:12
その頃では自分はその遊びは幼い遊びという感覚だった?
そうですね。
なんか隠れて。
あれ覚えてるかも。覚えてるっていうか、今でも僕、銭湯が大好きで、
だいたい週一ぐらいは銭湯に行ってるな、今でも。
何言う?
大阪、どこでも行きます。
今、京橋に住んでるんで、京橋とか野江内院台とか。
思いますか?
言うあった。
あの銭湯は大好き。
何が好きかって言ったら、たぶん一番最初好きになったのは、自分の父親と二人で入るのが楽しかったから。
で、銭湯自体が好きかどうかは分からなかったけど、それが楽しくて。
で、徐々に変わっていって、今はサウナと水風呂が好きだけど、他には、こう、あれが好きやな。
なんか、口納とか書いてるじゃないですか。
で、基本的にその辺にある銭湯、そう、銭湯の口納って怪しいんですよね。
その怪しさ満点やけど、どや顔で全力で書いてる口納みたいなのがすごい好きで、
あの、絶対に目で追っちゃいますね。
あとは銭湯のシャワーの下にある、今は絶対にないだろう個人商店の看板とか。
そんなことをずっと眺めながら、ぼんやり週一ぐらいで入ってます。
うん、なんか、古いものが好きで、こう、落語を好きなんですけど、
なんか落語を寄せに見に行ったりすると、その寄せで感じる江戸の風みたいなのがすごい僕は大事やなと思ってて。
寄せじゃなくてホール落語とか行っても感じられないものがあったり。
銭湯っていうのは、例えば落語っていうのがハードとソフトが、
まあ寄せやったら両方あるけどホールやったらソフトしかないみたいな感じだとしたら、
銭湯は両方あって丸々と、どの時代か分かんないけど今じゃない異世界に入れるのが好きです。
近代的なスーパー銭湯とかよりも昔ながらの銭湯の方がより…
絶対好きです。最近サウナとか流行ってて、
20代のバリバリの男の子とかがムキムキでよく行くイメージなんですけど、
それはちょっと嫌で、もう絶対あかんはずやのに入れ墨だらけのオッサンとか、
もうボローンと出たあそこがめっちゃでかい人とかそういうのが楽しいですね。
あータイルかわいい、そういうの分かる。汚くてもいいんですよ。
09:00
そんな素敵な場所ありますか?
湯?
湯でもいい。湯の何が好きなとこ?
湯のタイル。
タイル…やっぱり家は狭いしな、温度もぬるいし、
水道台とかを気にしなくていうあれがないから銭湯やと、
それもなんか、くつろげるかな。
最初はちょっとなんか緊張したけど、
慣れてきたらなんか外の方がいいかと。
こういう感じかな、なんか色とりどりで、はぁーって。
分かるわ。
うーん、だから最近のところは、
人との関わりあんまりせんでいいっていう楽さとかあるかもしれんけど、
うーん、でも古い方が面白いな。
面白みは断然古い方が面白い。
それぞれのルールがあるやん、言うごとに。
そうするんやみたいな、なんかそういうの面白い。
うーん、具体的じゃないんですけど、
なんか言われて思い浮かんだのが、
自分の実家の地元の駅があるんですけど、
なんか、なんて言うんですかね、
エスカレーターがあるだけの空間みたいなところがあって、
あそこが好き。
エスカレーターがあるだけの空間。
なんて言うんやろ。
うん。
なんかこう、なんて言うんですかね、
2階に駅がある駅ビルみたいな、
ちょっとショッピングできるお店とか、
入っている建物なんですけど、
なんて言ったらいいんやろ。
なんか、そのお店とかの商業施設と、
区切られているエスカレーターのゾーンみたいなのがあって、
なんかそこが好きっていうか、
なんかわかんないですけど、
今思い浮かんで、
なんか、なんて言うんですかね、
大きい建物の端っこが好きです。
なんて言うんやろ。
2階、3階とか、
1階以上の大きい建物の端っこってなんか、
なんて言うんでしょう。
窓辺かな。
なんか1枚隔てたら外なんやみたいな。
学校とかでもあるんじゃん。
ある。
学校で言う。
廊下の先みたいな。
廊下の先。
行き止まり感が好き。
感覚的やな。
あんまり共感できない。
わかります?
でも、窓辺って言われると、
それはめっちゃそうで、
喫茶店とかも、
窓側、音が見える席がめっちゃ好きけど、
12:02
エスカレーターは、
なんかあの、
なんか、
透明のさ、
屋根とかつけてて、
エスカレーターを通って行くとこ、
想像したけど、
そういうのはちょっとこう、
流線っぽいので、
楽しいのかなって、
自分は思ったけど、
違う感じ。
あのー、
すごい広いショッピングセンターとかの、
そういう橋、
こう、
四隅に何も置いてない、
空間に余裕がある感じが好きです。
それは、
誰もがアクセスできるとこでも、
それとも、
あんまり行かれへんとことか、
限定?
いや、なんか、
この空間いらんくないっていうものの方が、
より良い。
うーん。
あんまりいない?
人がいないというか、
もう、
あの、
動線にも入らない四隅みたいな。
返却。
確かにそれを、
駅ビルとか商業施設の中でも行けると、
ないから、本来。
そうそうそうそう。
ちょっと特別な感じがする。
なんとなくわかってくる。
必要ないもの。
必要ないものがあるものが好きなんですね。
そこに豪華さを感じる。
和美屋。
です。
なんか、
全然違うかもしれないんですけど、
子供の頃から、
巨大な施設ほど、
全部を見て回って、
誰も来ない場所を探して、
隠れたいっていう気持ちと、
特に病院とか、
学校とか、
四角みたいになるような場所って必ずあって、
そこにいれば、
誰もないし、
音とかも、
学校とかって音がすごいけど、
そういうところに入り込んでいくと、
もう誰も来ないし、
みたいな、
ずっとそれを思い出したんですけど、
団地とかで、
階段と階段、
下の中、
子供、
大人になってから、
子供がよくそういうところに座ってたりとか、
してるんですよ。
それを見て、
やっぱりずっとみんな、
そういう場所を探して、
楽しんでるんだなと思って。
こういう質問が来たときに、
なんか、
オチとか、
あったらいいよね。
受けとかを考えてもらうところがあかんよな。
関西人出るよな。
別にこんなオチとかなくていいのにな。
何やろうな、不思議な体験か。
大したことじゃないですけど、
高3の夏休みか何かに、
高2かな、
夏休みか何かに、
15:00
地元のマックで、
一人で本を読んでたんですよ。
それが、
寺山周二の
小捨てよ、町へ出よ、
を読んでたら、
隣でオッチャンが水をこぼし張って、
お客さんが。
あ、こぼしたわと思って、
付近とか、
店員さんから取ってきて、
お手伝いして、
片付けしたんですね。
ふーっと落ち着いて、
ありがとうございますって、
いや、どうもどうもって、
あ、これですって言われて、
あ、これですって言ったら、
その本は、
寺山周二の本なんですけど、
寺山周二の知り合いやったみたいなことで、
おお、
えーと思って、
そこですごい、
から3時間ぐらいずっと喋ってましたね。
何を喋ったかっていうのは、
あのー、
高2でそれを読んでることが、
嬉しかったんでしょうね、
オッチャンは。
で、僕に英才教育をしてやろうということで、
ありとあらゆるおすすめの映画とか芝居とか、
そういうことを、
僕にメモれと、
スマホにたくさんメモした思い出があります。
で、
毎日ここにおるから、
また来なさいって言ってくれて、
そうそうそう。
なんか2、3回行った思い出がありました。
まあ嬉しいよな。
自分の友達が書いた本を隣で、
ちっこい子供が読んでたら、
嬉しいよ。
何かある?
オチしかない話なんだけど、
なんか、
私中高の演劇部をやってて、
演劇部の活動で、
その発表を、
行動で発表の練習をしてたんですね。
でも割とほったらかされてる感じだったんで、
先生もいない状態で、
生徒たちだけで、
じゃあ投資でやるよ、
みたいな感じでやってたんですけど、
なんかその時、
私、役者をしてたんですけど、
なんかやっぱり、
この行動にはすごくこう、
霊が出るよ、
みたいなことを先輩がすごい言ってて、
で、
なんか、
前々からそういう話を聞いて、
ふーんって思ってたんですけど、
なんか、
先輩がキャーって言ってて、
あの、
なんかさっき、
女の子の影がこっち覗いてたけど、
あんたじゃないよな、
みたいな言ってくるような先輩で、
ちゃいますよ、
とか私は言ってたんですけど、
なんかその投資で練習をしている日に、
私めちゃめちゃ、
なんかもう、
その時必死だったので、
投資で練習をしている時に、
吐け口で、
こう、何て言うんですかね、
熱が高まりすぎて、
鼻血が出ちゃったんですね。
で、でも投資でやってるから、
もうどうしようもないし、
18:01
1分後には次、自分の出番出ないといけないから、
どうしようと思って、
もうちょっと鼻すすりながら出てたんです。
で、投資終わって、
じゃあ反省会しようってなって、
電気つけて、
そしたら先輩がまたキャーって言い出して、
どうしましたかって言ったら、
やばい、下手の吐け口に血がある、
それ私の肌血です、
っていう話です。
でもその先輩は何度か、
女の子の影を見たとか、
こっちを覗いている子がいたとか、
言ってたんで、
いたのかもしれないですね。
舞台の上にはね、
よくそういうのが出るっていうのは、
いますからね。
上というか、
劇場にですかね、
言うよね、
言わん?
うん、なんか言うね。
そういうのがあった方が楽しいって思っちゃうのが、
劇団やってる人たち。
多分そうなんやろうな。
クラスがあるし、
集まりやすく見たいね。
一生に一度の勇気を振り絞る場所でもあると思うから、
人の念は集まりやすいかもしれない。
オペラ座の怪人的な感じなのかな?
分からんけど。
夢か現実かも分からなくなりますよね。
そうですね。
特にやってる方って、
分からなくなる。
冷静なのに入り込んでるみたいな、
なんかもう分からなくなります。
なりますね。
確かに、体感時間が全然違うことが多いですね。
本番やってる時は。
やっぱ追いかけられる夢が多くて、何かに。
でも、追いかけられるけど、
別に追いつかれないんですよ。
私も追いかけてる相手も同じ速度で動いていて、
でもそれが結構、
歩いてるとか走ってるとかじゃなくて、
なんていうのかな。
ちょっと無重力みたいな感じで、
ぴょーんぴょーんって走れるんで、
ちょっとその時は楽しいですね。
追いかけられてるのは怖いんですけど。
そういう感じで歩いてみたいなって思います。
よく見る夢は、
車を運転してて、
下り坂、ブレーキ効かない。
で、ぐねぐね道。
それを1000度くらい回転するハンドルを駆使して、
一生下ってるっていうのは。
怖い。
よく見る。
ちょっと真反対ですけど、
そんな夢はもう見たくなくて。
だけど、もう一回やってみたら、
一回見た夢みたいなのは、
人生のうちで何回かあったりするんですけど。
夢の中で心の底からマジで恋した経験とかってない?
あります?
21:04
すごい幸福。
虚しくなったりしないですか?
虚しかったやろみたいな。
すごい複製の回収がすごかった。
それしかない。
見かけたらいいなって思う。
感動だけが残ってる。
どっちかっていうと僕は、
主観的になっちゃうタチで、
多分客観的に見たら
ハッピーエンドで終わってた話でも、
マジで心の底から惚れた女の人とかが夢に出てくると、
覚めた後にすごく悲しくなって、
ああ、もう一回見てって。
でも、そういうことはやっぱり二度と見れないんですね。
どんどん夢なんで薄れていくんですよ。
薄れていくその思いも虚しいし、
二度と見れないってことも虚しいし、
こんなことはよく考えます。
それ先生に聞きたい。
え、もう私言ったから。
え、言ったこと聞きたいな。
それ多分聞きに来たみたいなとこある。
いやいやいや、もうもうもう。
じゃあ後で聞かせてくださいね。
あれ?ありすぎて選びきれへんな。
確かに選びきれへんな。
全部いいもんな。
最近見た映画で、
多分ずっと僕の心の中に残るだろうってものが、
山戸陽次監督の学校っていうシリーズの初代。
見たことありますか?
知ってます。
四つあって、全部見たんですけど、
僕は全部好きなんですけど、
そのうちの一個目が一番好きです。
で、何が良かったかな。
あ、でも四つ目にしとこ。
四つ目がすごい。
人に説明するんやったら四つ目がいいな。
何かね、四つ目はストーリーとしては
15歳の男の子が不登校になって、
何かよく分からんけど冒険の旅に出ようって言って、
ヤクシマのヤクスギを一人で
チャイクしながら見に行くんですよ。
で、その中で色んな人に会っていくっていう
ロードムービーなんですけど、
その中で出てくるのが、
引きこもりの男の子と出会ってね、
その引きこもりの男の子と色んな心の通いがあって、
最終的にその男の子が主人公に詩をくれるんですよ。
で、その詩は何かっていうと
老人の歌っていう題名。
宮本武蔵みたいな老人の歌。
それがすごい響いたんですよ。
読むと、草原のど真ん中の一本道を
24:01
あてもなく老人が歩いている。
ほとんどの奴が馬に乗っても
老人は歩いて草原を突っ切る。
早く着くことなんか目的じゃないんだ。
雲より遅くて十分さ。
この星が老人にくれるものを
見落としたくないんだ。
この詩すごい好きでした。
雲より遅くて十分さっていう
その軽やかなリズムが好きやし、
持ってる意味の重くもなく軽くもなく。
映画にもマッチしてて、
結局は自分たちは
この星が自分たちにくれるものを
大事に一歩一歩進んでいったら
それが一番ええんじゃないのみたいなことを
思いました。
これどう思った?この映画。
一緒に見たんですけど。
学校シリーズ全部で見た。
いや、でもあの詩は
ほんまに良かったね。
そうだな。
私はでもその子のお母さんが
後というか前後で
その引きこもりの子に対して
どういう風に接してるかとか、
その子が初めて外に出て
すごく久しぶりに喋ったことに対して
どう思ってるかみたいな
どう思ったかみたいなところが
すごく惹かれたかな。
お母さん目線でな。
かな?
学校何が一番好きだった?
選ぶの難しいな。
でも2かな、私は。
2な。
学校2は支援学校かな。
特別支援学校の
学校が舞台で
障害を持った子たちの
学校のクラスの話なんですけど
それぞれみんないろんな障害を持ってて
程度も様々で
サポートがどれくらい必要かっていうのも違うし
例えばそのクラスに配属された若い先生は
もうサポートが結構必要な生徒に
付きっきりになって
もう本当に身の回りの世話を
全てしないといけないっていうことに対して
自分はいい大学を出て
先生になったのに
勉強を教えるために先生になったのに
なんでこんなことしてるんだろうみたいな
そういうのを言っているところがあって
私、教師なんですけど
私が働いている学校の先生も
支援学校で働いていたことがある人がいて
同じことを話してくれたときがあって
その先生はすごく大変だったし
やっぱりそれはそうなんだけど
でも障害を負った子たちっていうのは
正直やっぱり社会に出ていくのは
本当に難しい
職につける子たちも少ない
27:01
けどその中で
修学旅行に行ったりとか
学校行事をしたりだとか
その子たちの人生の中で
一番輝けるというか
楽しい瞬間を担わせてもらえる仕事だって
辞めてから気づいたみたいなことを言ってはって
でも確かにそれはそうだなというふうに思いました
やっぱ障害を持った人って
その後
若くして亡くなってしまう人も多いって
いうふうに言ってはって
それを考えたら
その子たちの青春に寄り添えたのが良かったっていうのを
話してたのを思い出して
そこが一番響いたかな
学校に良かったね
1の話もしたい
1の話もして
1は2もそうなんですけど
先生を西田俊幸がやるんです
先生役を
1は夜間学校が舞台なんですよ
生徒たちはいろんな事情があって
学校に通うことができなかった人たち
老若男女います
在日朝鮮韓国の人もいたり
50代のおじいちゃんおばあちゃんもいたり
グレて学校に行けなくなった中学生高校生もいたり
そういう人たちが読み書きを学ぶっていうところが舞台なんですね
その中で井野さんっていうおじいちゃんが
井野さん田中邦恵が演じてるんですけど
田中邦恵えぐいほど好きなんですよ最近
好きすぎて北の国から下から見てるぐらい
分かります?好きですか?
知ってるよ
井野さん田中邦恵はどういう人かっていうと
今まで本当に社会からのけ者にされて
もう底辺で
こういう言い方するとあれですけど
底辺で暮らしてきて
ずっと日雇いのバイトみたいな感じで
一人でずっと家族もおらん中暮らしてきたんですよ
お母さんはいるんですけどずっと添えになってて
50になってやっとメディアス工場
繊維工場の正社員になることができた
井野さんめちゃくちゃ嬉しくて
10年ぶりにお母さんに電話しようと思った
お母さん僕は正社員になれたよ
でも電話したらお母さん実は去年亡くなってたと
井野さん絶望したんですけど
その時に思い出したのがお母さんの
言葉で
お前は勉強して立派になって
勉強しないと立派になれないと
勉強っていうのがめちゃくちゃ大事なんだ
お母さんも勉強できなかったし
井野さんも勉強できなかったけど
それが言い残しで死んだということで
50代になってから
勉強をやろうか
だけどよく分からんなと思いつつ
たどり着いたのが夜間中学校なんですね
授業風景ではカタカナの勉強とかするんですよ
ミルクって先生が黒板に書いて平仮名で
井野さんこれちょっとカタカナで書いて
井野さんカタカナ分かってんすよ全部
だけどちょっとそんな恥ずかしいことできん
字汚いしそんな間違えてはいややわ
っていうことで
30:01
なんやそらやって先生も
じゃあこれどう?って言って
平仮名で黒板におぐりキャップって書くんですよ
おぐりキャップって何かって言ったら
競馬馬なんですよ
井野さんどうしようもない人生の中で
唯一の趣味が競馬で
それを見た瞬間井野さんの目が変わって
ボンって立ち上がって
おぐりキャップって黒板いっぱいの
大きな字でカタカナで書くんですね
そっから普通に席に戻るんかと思ったら
俺ちょっとおぐりキャップについて
一言あくから時間くれっか
先生に言って
そっからもう3分4分ぐらい
ワンカットでおぐりキャップについて
田中邦恵が熱演するシーンがあるんですけど
それがもう輝いてて
結局何が言いたいかっていうと
人間どうしようもない
世の中どうしようもないし
人間どうしようもないし
しんどいのが
デフォルトみたいな世の中
何の取り柄もないし
読み書きもできひんけど
自分が心の底から
本当に好きだと思っているものを
説明するときって
人間誰よりも輝くし
それは人に伝わるんやなっていうことは
この映画を見てすごい感じた
だからなんか僕
全然関係ないですけど
インスタをやってて
半年ぐらい全然上げてなかったんですよ
もうなんかいいかなと
井野さんの姿を見て
僕自分の好きなことをちゃんと
喋りたい
表現したいなと思って
ほんの小さなきっかけやけど
インスタで好きなことピョピョピョって
あげるようにし始めたっていう
長い話ですけど
これが1です
いいよね
修学旅行のシーンとかもいいですよね
着飾って
なんかすごいにぎやかな
写真撮影して
ハイチューって
おじいちゃんがニッコニコで写真撮んでる
修学旅行来れて嬉しい
あれ3はどんなの?
3は職業訓練校?
ボイラーの儀式というか何ていうかな
中高年ターゲットな映画になってるんですよ
ああ あの
先生はね
全然焦点当てられてないんですよ
大竹忍
一人息子がいて
中年の苦しみの話だったな
あれはあれでよかったね
山戸幼児いいよな
幼児ばっかり
ずっとそれ見せられてな
トラさん好き?
大好きです
わからん
いつも同じことしか言わないけど
好きなことをしてほしいっていうこと
とにかく自分が本当にしたいことをしてほしい
誰もいなかったとしても周りに
33:01
で 周りの人が何してんのって
命の危険とかが
ちょっと今火の鳥みたいな状況を想像してるけど
そうだったとしても好きなことをしてほしいと
それしか言うことはない感じやな 私は
僕は全く一生やった
好きにしっていう
子供とかも亡くなるかもしれない
人間 確かにこんな感じの人間じゃないかもしれない
どうしようもないと思うね 9年後
何だろう 歴史は多分
考えるヒントをくれはするけど
絶対にそれが正しいとは限らないから
多分否定する人もいれば肯定してくれる人もいるから
それが人じゃないかもしれないけど
人間の脳みたいなのは残ってたらいいなって思います
感覚は変わっていくとは思うけど
感覚の違いを楽しめる状態にあったらいいなとは思います
全てが画意つかされていなければ
難しいな
クローン 人間みたいになってなかったらいいなとは思います
情はあったけど
情 そう
レトロな場所としての学校って
憧れっていうか
ハイコードが結構好きで
昭和の教育も
嫌なところがいっぱいあるんだけど
いい面
学校こそ変わってほしいと思いました
システムもそうだし
在り方が
劇的に全く
学級とか担任とかがなく
大学みたいにもっと自由に教室内を
36:01
フィンランドとかはそうなんですけど
自分の好きなクラスで
そのクラスがちょっと良かったら
自分の好きなクラスで
途中退席とかに行きたいな
そこが欲しいなと
学校をまた見てみたくなりましたね
田中邦彦って
全く違う役でまた出ますよね
そうですね
1の影響がすごい頭に残ってたから
最初結構戸惑って
全然違う役なんだと思って
西田俊幸すらも
先生っていう役やけど
全く違う先生ですからね
全然違う
シチュエーション
学校っていうテーマだけ一緒でシリーズ
面白いそれ
夢に混じるっていう感じで
詩がこう
先生はマーダダヨですよね
マーダダヨ
話聞いてて色々思い出したりもしたけど
宮沢賢治の国別っていう詩があって
学校を
学校先生が辞めるときに
生徒に向けて書いた詩が
最近もう一回読んだけど
やっぱり読んでる途中に涙が出てきて
それを自分が学校を辞めるときに
教室で読んだんだけど
誰も聞いてないんだけど
一人ぐらい聞いてたかもしれないけど
それは結構
推しの作品かなって
その前は
創石かなんかをお話ししたけど
夜間学校っていう話で
ドラマで
目高っていう
2005年くらいの
三村っていう女優の子が主人公で
スピッツの正夢っていう曲が
テーマソング
私スピッツファンやったから
それで見た
どんくさい女の子の三村が
会社をクビになって
持ってた教員免許で
夜間学校の教員をするっていう話で
自分は大学生やって
まだ先生にもなってなくて
先生と離れるんかなって
めっちゃ思ってたときに
見てたドラマで
めっちゃ自信をもらった
学校っていいなって
それも夜間学校で
泉谷しげるとか
なんか結構問題字が
それも国語の先生
こういうふうに
39:01
できない先生から学ぶっていう
生徒も今まで人生うまくいってない
っていうところもあるし
一番いいなと思うのが
夜間の授業終わりに
生徒と先生が
ラーメン屋でご飯食べるっていう
めっちゃいいなと思って
山手ようじでもそんなのあったな
ラーメン食べてたな
めっちゃいい想像のり
大人同士っていうのがいいな
年齢差がむしろ上やったりとか
はい
映画も好きなのいっぱいあって
僕はリエス様が嫌いという映画があって
日本の映画です
結構最近
4,5年前とかかなと思うんですけど
私クリスチャンなんですけど
キリスト教の小学校に
転校してきた
小学生の男の子の話なんですけど
それまでは東京の小学校に通ってて
雪国のキリスト教の学校に行くんですけど
キリスト教の学校って
毎朝礼拝があるとか
出席の転校取った後に
みんなでチャペルに移動するよ
みたいな流れがあって
最初すごくみんなが何をしてるのか
どこに行ったのか分かんなくて
戸惑うみたいなのが
描かれてるんですけど
私自身も自分が通っていた学校が
そういうキリスト教の学校だったので
私も最初こういうような気持ちだったな
というところに共感ができて
ただその男の子が
新しい転校先の学校で
一人すごく仲がいい友達ができるんです
もう本当にネタバレになってしまうんですけど
その男の子の友達が
交通事故に遭ってしまうんですね
転校してきた男の子は
その学校でキリスト教について
ちょっとずつ馴染んでいったり
馴染んでいく中で
小さいイエス・キリストみたいなものが
見えてくるんですね
本当に小さい妖精みたいな
イエス・キリストなんですけど
それがちょこちょこと
ついてきたり
自分の部屋で遊んでいたりするんですけど
その仲良くなった男の子が
事故に遭ってしまって
亡くなってしまうんです
その仲良くなった男の子も
その子のお母さんも
42:01
とってもいい人で
クリスチャンで神様のことを
信じていたけれども
なんでこんなに小さい男の子の
命を奪うような
ひどい目に遭ってしまうんだろう
という悲しみと葛藤に
遭うんですけど
最後にすごく印象的なシーンがあって
今まで見えていた
妖精みたいな小さいイエス・キリストを
祈っている時の拳で
バンって潰すんですよ
その男の子が
そしたらその小さいイエス・キリストは
もう見えなくなるんです
その男の子が抱えていた感情って
なんていうんでしょうね
宗教において
祈ったりするんだけど
どうしても
なんでこんなことをするんだろうとか
なんでこんな試練を与えるんだろう
というふうに思わされる時ってあって
それをなんとかして
私たちと一緒に
乗り越えていくんだけれども
やっぱその乗り越える時に
実際に信じている神様って
本当は見えるもんじゃないんですよね
目に見えているもんじゃなくて
本当に分からない
理解できない
けどからこそ
偉大な力を持っていて
そういうものによって
世界って変わっていくんですよね
そういうものによって
世界って動かされているし
作られているんだな
というのを改めて思って
それはクリスチャンらしい解釈なのかもしれないんですけど
別に宗教って
全然いい面だけじゃないし
むしろ悪いイメージの方が強いけど
でもそこに救いを求めてしまう自分がいるな
というのに気づかされた作品でした
映画で小さいゲストは
CGみたいな
人間?
人間の海外の外国人の役者さんなんですけど
なんていうんでしょうね
合成かな
小さくして
レコードの上を
走り回ってたり
ちょろちょろ遊んでたりするんですけど
それが小さくて可愛くも見えてくるみたいな
洋服は着てるんですか
洋服着てますね
でもそれを見てたら
イエス・キリストっていうのは
本当にいわゆる
既成概念のイエス・キリスト
西洋人 髪長い 白っぽい
ふわふわした衣装を着てるみたいな
45:00
そんな感じです
遠藤修作みたいな
神の沈黙っていうテーマでは
ああ そうね
確かに修作 そうやな
そうかもね
クリスチャンの家のテーマやな
見えへんし 何も言ってくれへんね
そうなんですよ
映画で扱えるくらい自由度があっていいですよね
そうですね
なかなか神の映像に
しかもそんな小人に出せない
そういう人もいないし
そういうところがいないっていうか
その映像をちょっと見てみたい
一人暮らし
それも確かに理想っていうか
さすが女の人が描いたなっていう
親の感じがない
なんかでも思い返せば
個人ってことで
客観的に大人から見たら
小児で
言うことの聞かない小児っていう
愛情が少ない
愛情を受けてない子供って
結構するやん ちゃんと
そういうような感じなんやろうなって
だんだん思ってきたけど
大人的視点で見たら
あれはでも子供の時に読んでたら
そんなことしていいのって
思ったと思うんやけど
今見たら
自分をぴっぴに重ね合わせて
職員室の大人とか
昔いたような人たちを
追いかけてくる大人のように思うし
警察とかも来ないやんかとか
子供の家に入りなさいとか
言ってくれないやん
でもやっつけたり 泥棒とかも
やっつけるんやけど
ただやっつけるんじゃなくて
力って最後にクッキーを
あげたりするところが
さすが女の人が書いたなっていう
自分を重ね合わせるけど
ぴっぴはぴっぴ
宮崎駿が映画
映画?
アニメ作ろうと思ってたやんけ
ぴっぴで
知ってる?
配義の前にだけど
許可が得られなくて配義
言わない少年文庫とかも
全部そうっすけど
視点が変わるから面白いっすよね
時間によって
ヤングアダルトエリアの海外の本とか
死ぬほど読んでました
ゲリー・スピネッディとかね
スターガールとかにノートあります?
ない?
ノートない?
ない?
48:01
何やろなー
中途半端な漢字がいいっすよね
それこそ
さっきのね
大人と子供の間の
だから宮沢賢治の国別を読んでよ
それ僕知ってるんやけど
何で知ってるかって多分
言ったかも前
それって授業で言ってないっすか?
授業では言ってない
何か知ってる気がすんのやな
ボケ文学っていうか
ボケの面白さみたいな
愉快さみたいな
自分でちょっと今
マイブームっていうか
興味があって
AB3号って読まれました
10年前ぐらいに
黒田なつ子さんっていう
芥川賞を受賞して
すごい話題になったんですけれど
その時の話題になった原因が
受賞時に高齢者だったっていう
75歳の女性が
75歳で
書き方も特徴があって
横書きでひきながら対応して
っていうので
すごい話題になったんですけど
当時は話題になりすぎてたから
そのうち読めばいいかと思って
手に取ることなかったんですけど
最近はそういう
ちょっとボケ文学に興味があったので
急に思い出して
そのAB3号っていうのを
読んでみたんですね
やっぱりそのボケ要素が
大胆に
作者が聞いたら
怒られるかもしれないですけど
75歳なんで
内容は
回想 自分の思い出
幼少期から
自分の最初の世界って
きっと家庭内の
家族関係とか
その家族関係
個々の観察とか
関係性とかを
少女
少女か少年なのか
書かれてないんですけど
少女が
観察して
自分なりに消化してみたいな
ぐるぐる悩んで
考えてってみたのが
ずっと続くんですね
ひらがなでこういう名詞がなくて
漢字が少ないから
すごく読みにくくて
何回も自分でイメージ
固めようとして読むんですけど
なかなかうまくいかない
意図的にそう書かれてると思うんですけど
そうやって
ずっと
おそらく主人公の
幼少期の感覚で
書かれているんですけれど
途中の章で
章ごとに副題みたいに
タイトルがついていて
草殺しっていうタイトルが
ついている章があって
そこの章になると
草を
道端とか庭とかに生えている
いろいろな雑草
それを
51:01
根こそぎ殺して
章が出てくるとか
っていう話になって
おそらく
きっと
突然主人公が成長して
きっと多分高度成長期で
町の様変わりする様子とか
自分の環境の変化とか
自分の職場での
関係性とかを
比喩みたいに書いているとは
思うんですけど
草殺しの章から急に
展開がもうスピードになって
何ていうんだろう
観念の世界がどんどん出て
虹とか自然現象の話とかも
出てきたりとかして
それまでの親子とか
家庭内で
お母さんと思われる人が
亡くなられて
お父さんと主要人が仲良くなって
とかいろいろドラマが
あるんですけど
そういうのを吹っ飛ばして
いろんな展開が
四方八方に行く感じなんです
最終的には
何て言ったらいいんだろう
時間の流れとか
関係性とかの妙みたいなものを
自分なりに
AとBとCと
まとまらないけれど
一通り作品の中では
止めみたいな感じで
終わるんですけれど
そのボケ文学的には
回想する思い出を思い出して
語らせるみたいな
形式を取っているんですけど
その順序とか
筋だって
一二三四とか
並べて
多分若い人は
順序を並べて
整理させて
頭の中で構築して
考える方法だと思うんですけど
年を取ると
一二五三とかっていって
順序が綺麗に並ばなかったり
途中が抜けてしまったり
全然関係ない記憶が
割り込んできたり
とかってことがあって
そのこの文章の中にも
そういうところが
おかしくにあって
本人はおそらく
実感していて
わざと読みにくくして
そういう状況も書いているのかな
って思わせるところがあったりとかして
なんかその
ボケ文学を存分に
味わえる作品でした
なんで知らなかったの?
ボケ文学って
いや勝手に私が
ジャンルとして
なんかその
老人の
老人って言ったらいいかな
なんて言ったらいいの
不思議な世界に
子供の頃とかって
結構住んでいるところが
あると思うんですけど
年を取るとまた戻って
というところが
私は実感として感じていて
高齢者の書いた文章には
本人としてなくても
そういうところが
結構あって
おばあちゃんの
54:01
それ気になって
最新作って言っても
そんなに新しいわけではないんですけど
なんかその後
受賞してから時間があったのか
大作みたいなものを
感受性のなんとかって
結構分厚い本出したんですけど
それもまた
ボケ文学が
なんか
少女文学な感じで
やっぱり
おばあちゃんになってくると
子供の部分が出てくるんですよね
たぶんおじいさんも
少年のとか
赤子の部分が出てくる
よくチャンチャンコを着て
子供に帰るみたいな感じで
感受体の踊り
その作品は
少女がよくする
妄想
こういう人形に
いろんなものを投影させて
少女的世界
誰々と誰々が
なんか悪くなって
感じ物語みたいなものを
一人で
話しかというか
古典をやっている
踊りの日本舞踊とかを
やっている人たちの
師匠と弟子と
ギャラリーとみたいな
そういう人たちが出てくるんで
もしよかったら
でも完全に
少女の妄想の世界なんです
本当に研究して
リアリティを出す
そういう世界を描き方というよりも
それを
80歳くらいなのかな
それを描いてやるって
いいなと思って
時間をかけて
きっと描いたんだろうなと思って
完全神それか
なんかの中にあったやつ
おばあちゃんなんだけど
少女で
その感じを絵で
絵で表現している
あんまり台詞とかもない
そういう絵を描いて
あんまり台詞とかもない感じ
すごいなって思ったのと
何年か前から
学校を辞めてからかな
元々自分の文章とか
話とか
すごい飛ぶなって
言われたりもしたし
それでそうなのかなって思って
あっちこっちに
飛ぶと
文とかも書いたこともあるけど
自分の文章とか
自分の文章とか
飛ぶと
文とかも書いたこともあるけど
段落と段落が飛びすぎてて
分からないと
この間に
もう一つ何か説明がないと
分からないよみたいな
感じで言われたりした経験があって
そうなと思ってたけど
そういう大学とか学校とかを
外れてみたら
別に
そこまでちゃんと
57:01
順調に描いていけない
そこまでちゃんと
順調だと言って
話す必要がないから
和が違うから
論文とか学校とかじゃないから
このままで書いて
行くほうが
いいんじゃないかなって
思うようになって
後が分からないかもしれないけど
ある程度
人に伝わる努力も
やっぱり必要なんだけど
ここまでの論理性が
あってっていうのを
気にしなくていいんじゃないかな
っていうふうに
分かりやすいように
とかじゃなくて
書きたいように
書いて
ちゃんとした場じゃないし
私が今書く場所って
SNSとか
個人的な場所で
ただ自分の文章書いて
っていうので
誰に迷惑かけるわけでもないから
誰も読まないかな
っていうのもあるけど
もうちょっと
脈絡のなさみたいなのを
あえて強制する
強制
ただす必要もないかなって
思って
どけ文学に進もうとして
あります
分かりやすいものって
簡単に飽きますからね
分からんもののほうが
こっちとして
楽しめる
説明をちゃんとしないと
っていうのが
若い時は強くて
人が分かるように
これでも
これでも強かって
20代とかの時は
それで
そういうものを
目指してたんやけど
でも何か
どっちで言うか
場の言語っていうのが
多分あるから
教室の中で
大勢の生徒に向かって
書くとか
話すとかなったら
やっぱ考えちゃうし
彼ら 彼女らは
やっぱり受験を
見出しているわけだから
それに
そういうような
話し方を
しないとなって
思ってたなって
今は思って
今はそこにいないっていう
状況では
そういうふうに思って
すごいできない
ちゃんとしないと
もっときっちりし
書かないとみたいなのは
これでも
これでもあったなって
今は思って
そういえば黒田達子さんも
国文化
1:00:01
国語をやっていて
教員とか
教員らしくて
ずっとそうやって
正しい言葉とか
ずっとやっていたから
それだからこその出てきた
こういう表現 平仮名の
とかっていうのかもしれないし
固有名詞が
書かれてないんですけど
固有名詞って何だろうな
って思って読んでいて
物の名前
その名前って誰かが決めて
これはこれだよね
この名前だよねって言って
読んでいるのだから
面白いなと思って
さっきの草殺しの章で
雑草の話なんですけど
雑草ってそれぞれ
名前がついているじゃないですか
何とか草 何とか草
でもその中では
垂れて葉っぱを伸ばす種族
張って四方に広がる種族
とかって
また新しい表現が出てきて
固有名詞がないから
ぼけてくると
固有名詞が思い出せないのに
固有名詞って結構あって
名前ってきっと
ぼけていったら
なくなっていくのかなと思って
人も父とか母とか
っていうのも書かれていなくて
誰々の人とか
こういう人とかって書かれて
そういうのも
名前はもともとあったのかもしれないけど
本当にぼけると
名前が行ったり来たりとか
その人がこっちだったのかな
こっちだったのかなみたいな
そういうのもあるのかなと思って
思ったのであれば
そのものは
実際は違ったとしても
そのものであって
であると思っていいみたいな
思っといていいみたいな
そういうふうに
宮崎駿監督とかも
固有名詞がないって言ってましたね
自分の中に固有名詞は一切なくて
猫飼いてって言われたら
飼かれへんって言ってました
どのそれを
何を
全てを個別化してみてるから
写生って感じだね
自分で命名っていうかね
するべきものかもって思ったり
それだと人に分からないから
みんなが使う言い回しを使って
人と話すけれども
自分一人の中でやったら
そのものをどう思うかは自由っていう
ちゃんと呼ぶかも自由らしい
固有名詞とか
一般的に言われてることとか
そういうみんなに分かりやすい言葉を
しっかり特訓しないと
逆に自分オリジナルのもんって
出てこないですよね
多分先生も
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学校の先生っていう
ちゃんと教えなきゃいけない
みんなに分からなきゃいけないことを
やったから今はあるの
造語がうまい人
造語がうまい子っていますよね
宮沢賢治とかもきっと
なんかこの人
物の名前つけるの
面白いなみたいに
言いますよね
名々上手
落語とかって
言葉遊びとかが多いじゃないですか
そういうなんか
あれってやっぱり相当
知識がないと笑えない笑いもあるし
ただ音で笑える
笑いもあるし
なんか面白いですよね
で結構ボケ
ボケ話って結構あるじゃないですか
ボケがおかしいみたいな
あれはやっぱり日本って
結構ボケ文化
音ボケ文化が
昔から
ゆる文化
ゆるボケ文化
ボケのすすめですね
ボケ感
ボケ感がある
ありがとうございます