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例えば大阪に来て、関西のいいところといったらこれだ、みたいな。
目的によるというか、とりあえず梅田の地下街はダンジョンというか迷路なんで、迷路を楽しんでくださいというか、とても迷いますという感じですね。
私もともとずっと大阪で南の方に住んでて、ここ2年ちょいぐらいで大阪市内に引っ越してきたんですけど、海とか見たいなぁとかであれば、大阪の南の方、どっちや。
大阪湾とかあっちの方とか最近いろいろ開発してるみたいやし、あの辺かなぁと。
なんか見て感動したとか、大阪じゃないとこで感動はしたことあるんですけどね。
あそこのとノト半島の左側の島があったら左側のとこなんですけど、チリ浜ドライブウェイっていうところがあって、そこは車で海沿いを走れるんですよ。
ほんと海の砂浜を走れてすぐ100メートルもいかん50メートルぐらいに波がバサバサーってザザーンってきてるところ、車でこうぶっ飛ばせるみたいな感じですごくすごく良かった。
関西というかまた大阪と離れるんですけど、鳥取砂丘のところに砂の美術館ってあって、そこの美術館は砂で石像、石像ならぬ砂像みたいなのを作ってて。
なんか毎回半年ぐらいで変わるのかなテーマがあって、なんかローマ帝国のなんちゃらみたいなのが砂でどう作ってるのか分からないけど固めて作って。
それは毎回すごいなーってあって、そのテーマが変わるごとにまた砂を崩して新しく作ってるみたいなのがあって、あれはなんか感動はしましたね。
いろんなところに描かれてますね。
そうですね。関西のところが出てこない。直島とかもいいんですよね。
南の方の大阪とこっちと違うんですか?
まずやっぱね、地下鉄だと一駅区間が歩けるじゃないですか。私住んでたところは和歌山に近いようなところに住んでたんですけど、一駅歩こうと思ったらもうそこそこいい時間かかるみたいな。車で何十分かみたいな。何十分もないかな。
一駅歩いて帰るんだーみたいなのを見ると、いやーうちのあたりは無理っしょみたいな思ってたことがありますね。
大阪の地下鉄の一駅ってすぐですね。
すぐですよね。
一駅じゃなくて梅田から南蛮まで全然歩けますよね。
そうですね。見通すじをね、こうなんかしてったら。
東京だともうこんな大変なことになりますね。
私はその大阪の魅力はって聞かれたら、大阪に住んでいれば、奈良、京都、神戸、和歌山、どこも割とすぐ行って帰ってこれる。東京だと東京に住んでてちょっと山まで行こうってなると、割と大事になる。
03:18
へー。
遠いんですよ。どっかに行くにしても。大阪に来てみてすぐ行けるし、しかもすぐの鳥神なのに、奈良に行ったら奈良の世界があるし、京都に行ったら京都でまた全然違う。神戸は神戸。すぐ違うところに行く。
そのコンパクトさが、地理の良さっていう。
23区内だったら割と何でもあるじゃないですか。東京の友達とかに聞いたんですけど、地名忘れたけど、今日は緑がたくさんあるところに行ってきたんだよみたいな。これ東京じゃないとこうしたら東京にこうなるよとか言ってて、東京でもあるんだみたいな。東京全部が都会と思ってたんで。
東京は緑とか公園とかそういうのはあるけれど、地形的に同じなんですよ。平和。こっちは地形のバリエーションが飛んでる。
確かに。
古代人はやっぱり大阪いいとこだなと思って住み始めたっていうのは、地形のバリエーションとか景色。西側に行くと西に夕日が落ちるじゃないですか。
ちょうど淡路島があるって。
おーありますね。
日の出側、奈良方面から行きます。これはやっぱり古代人がいいなと思っただろうなって。
聞いててでもいいですか?街歩いててとか。
そんなないですね。
でもニュアンスでこれはどういう意味なんだろうっていうのがあります。平安とか。
それはツッコミなのか。こっちは対応として笑うべきなのか。
確かに。
とりあえず平安って言ってるみたいな。
言葉というより、声の抑揚にもよるのかなとか。
例えば、あんたのそのカバンめっちゃええやんみたいな感じやったら、めっちゃ素敵やんみたいな感じの意味だと思うんですけど、
ええやん、こんなのやってたらええのにみたいなとか。
ちょっとそういうのだとまた違うし、難しいな。ちょっと例文が難しいな。
関西弁ってまとめたらまとめるんですけど、神戸の方では全然違うし、京都、大阪とかも違うし、大阪の南の方も違うし、
地域柄によっては語尾にけいをつけて何やにゃんけいとか、けいをついたらちょっと怖いなと思ったりとか、
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兵庫県の加古川の方やったら何々、四刀とか刀がついてたとか、あんまり覚えてないけど。
私、車を合宿免許で取ったんですけど、岡山県かどっか行って、そこに来てた人たちで、
何県から来てますかクイズみたいな感じのをして、みんなで当てていくんですけど、
私は一発でも大阪やろみたいな感じが分かって、やっぱネイティブの大阪は違うっていうかコテコテなんだなぁみたいな思いました。
合宿免許ってイメージ的にどんな感じなのか、怖そうだなって。どうでした?
その時は同年代ぐらいの人たちがいて、なんとかプランみたいなのがあって日にちが決まってるんですよ。入所日かなんか。
それで同日になった人、大体男の子はマニュアルミッションのほうが劣ってて、大体女の子はオートマだったんですけど、
私はオートマやったけど、何か1回何回落ちて、試験に落ちて、ミッションの男の子らと一緒に卒業したっていうのがあって、
合宿免許やから基本みんな同じ寮、合部屋で寝るって感じなんやけど、
私は人と寝るのが抵抗あったから、ビジネスホテルから借りてて、仲良くなった人もいたし、連絡先も交換せずにっていうのもあったし、
あと岡山県は高速がないから、練習できんから、ゲームセンターにあるようなレーシングの機械みたいに乗って、これで高速体験みたいな。
かなり雑な感じはありましたけど、経験なかなかないですね。基本みんな通って取り張るから。
8人の女子会って言って、まず男性からすると、女子会って聞いただけで怖い。
よく女子トークとか言うじゃないですか。それを聞くと、男性だからそこで男対女みたいなちょっとした女子トークは女性だけするもので、そこでの効果がありますよみたいな。
男性は、そこの中では男性っていうものは噂の代償になって、話のネタになっているんだろうなって分かるし、もちろんそれはいいとか悪いとかじゃなくて、聞いて、しかも8人っていうのを聞いて、私は結構大人数とかで話すのは苦手で、大人数とかで話すのは好きなんですけど、8名って結構な人数じゃないですか。
いろんな人が出てくるじゃないですか。しかも女性じゃないですか。
09:01
何話すのって感じですよね。
どうなんだろうみたいな。
そうですね。
女性の方が話とか上手いから、ちゃんと人のことをこの空気を、こういう話題はこのメンバーの方が上手いから。
割と8人くらいだったらきっと上手く話してるんだろうなと思う。どうなんだろう。
8人の内訳をざっくり言うと、グループ運営でやってるやつで、私ともう一人の女性の人がやってる回なんですよ。
8人にした理由っていうのは、私と彼女と2人なんですけど、あと参加者6名で8人なんですけど、4人席が2つあるから、そうしたらちょうど席内に収まっていいんじゃないということで8人にして。
発達障害っていう共通点と女性であるっていうので、うちのラフジョは何だったか、いろいろちょっと思ったみたいなのがあって、私が考えたわけじゃないですけど、すごく的確に言ってて、
発達の特性で辛さを抱えてて、女性として生きる人たちのための回を追って、生きづらさをどう乗り越えるか、女性として求められる難しさにどう適応するか争うか、そんなことをラフ、でこぼこでラフ、また別の単語でラフって雑な女子たちで楽しく気軽に研究しようというのがもっと多いなっているんです。
当事者研究という言葉自体、若干誤解がある言葉にはなるんですけど、研究会としているので、オンラインでやっているときは、テーマをセルフケアみたいな感じでテーマを決めて、言いっぱなし聞きっぱなしで順番ずつ回して、
だいたいそれが何週かし終わったらテーマトークって言って、よく出た話題とかちょっとこの話題深めたいよねってみたいなものを2つ決めて、それをみんなで今度は順番通りじゃなく話したいタイミングで話すみたいなのをやってて、
なのでお茶会とかリアルのお茶会とかになったら普通の会話、雑談になると思うんですけど、発達障害があって、あとプラス女性でとかなると結構女性って女性らしくしなさいとか、女だったらこうしろみたいな感じのもともと抑圧がある上に自分の発達障害の特性とかがあると結構戦うっていうか、本人自身苦しい思いが抱えたりとかしているので、
それを同じ女性同士で話ができるっていうのはいい場所なんじゃないかなと自分で作っておきながら思いますね。
目的とかが同じ共通してあるからそんなに変なことがバラバラになったりとか。
でもね男子会もねあっていいと思うんですよ。女子会はよく聞くんですけど、男性同士ってなんかわざわざ男子会っていうのも言えへんのやろうけど、これ発達障害とかの分でもなかなか男性だけの会って難しくなくて、知り合いがやってる僕らのひもて研究会っていうのがあるんですよ。
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それは発達障害とか全然関係なくひもてだと自認してる人たちが集まってなんかいろいろやってるみたいなんですね。
一回なんか女性okの会に参加したんですけど、男女のコミュニケーションの議事体験じゃないな、みんなが見てる前で女性役男性役って感じでこういう場面の時にこう言ったら女性はこう思うんじゃないかみたいなのをみんなで話し合うとかいうのがあって、
工夫を凝らしたというか、すごく男子会の時ちょっと見に行ってみたいなとか思ったりとかはしますけど、ああいうのも、あちらの会はひもてっていうことでつながってるけれども、ひもてじゃなくてもなんか共通する当事者で同性だけの会っていうのはすごくいいと思うんですけど、私女性なんで男子会開けないんですけど、
男性同士はどういう会話をしてるのかなとか思ったりしますね。割と女性同士やったら悩みとか、共感を目的としてなんかそれが癒しにつながるとかも言われるんですけど、私は共感はあまり興味がない方なんで全然興味がないんだけど、
男性同士、この間男友達に会った時に、誰それさんと会った時にどんな会話してんのとか言って聞いても、悩み事とか話してん言ったら、いやそんなん全然話せへんって言ってて、やっぱ男性同士は強がるとか、弱いとこ見せれないとかそういうのあるのかなとかはいろいろ不思議だったりしますね。
どうなんでしょうね。
昔漫画で男塾とか男組とかありましたよね。
先駆けなんちゃらってありましたよね。
今声は何人目なんですか?私で。
あのー、58人目です。
おー、すごいこれまでね。
これまでのお話というか、大体皆さんどういうことをお話しされてるのかなーって。
質問に対しての答えが多いのか、それともなんかちょっと好きに喋りたいんだみたいな感じで喋る人が多いのか。
最初の頃はもうなんかそういう決まった質問とか何もなくて、単純に会った人と話をして、話してたんですけど、だんだんわかったというか、誰が聞いても面白いっていうのは難しいですけど、
あんまり特定した話とか曖昧なことの方が聞いてて面白いのかなって今は思ってて。
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記録っていう意味で言ったら何の縛りもなく、その人の本当に今のやってることとか、その人に期待だったとか、その方が記録としては面白いのかなとかって最近は思うけど、
分からないですよね。どういうのが正解なのか全然分からない。
なんかその話が面白いって、その人個人が話す話し力というか発信力が面白ければ、もちろんその人単体で面白さって成り立つと思うんですけど、そうじゃない場合って、
これは私個人の意見なんですけど、質問する側が相手の面白さを引き出す能力みたいなのが必要なんじゃないかと思ってて、
私自分で言うのも何なんですけど、引き出すのが割と上手な方で、相手の話を深掘りするとか、もしくは話題に詰まったりとかしたら、
ちょっと自分の話も踏まえ、あなたはどうしてますか?みたいな話であったり、あとそういう会話をしてるのもあるので、
明日の8人にしても、複数人にしても、話題を中心となって振りやすい。私ばっかりが喋ってるわけじゃなく、大体みんな平等ぐらいな感じで話を振ってみて、
よくずっと喋り続ける人がおれば、よく話してる単語の一部を拾って、全然喋らない人に、そういえばあなたはどうなんですか?みたいな感じで話の主導権を渡して、
割と読むのが得意なんですよ。なので質問力、自分であるとかないとかちょっとわかれへんけど、相手の引き出すっていうのも結構大事なんじゃないかなと思って、
話者、話す側の人の話し力っていうか、話し力に一任するわけではなく、やっぱそうなったら、話すことを商売してる人とかの方が明らかに面白いんだけども、やっぱそうなったら作った感とかがあると思うんで、
私は、質問力とかは割と大事かな、阿川沢子さんの聞く力を昔読んだことがあって、聞く力って本があるんですけど、私も沢子さんみたいになりたいとか思ったりとかして、
昔ビートたけしのテレビタックルとかあったのわかります?番組とか。そこでいい感じでアシスタントさんでちょっと茶化しながらも、なんか怖そうな政治家さんに、これはこうですよねみたいな感じで、流れが潤滑剤っていうかな、それがすごくスムーズやって、すごい素敵とか思ったことあります。
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信仰力っていうか、漫才とかもやっぱり片方だけ面白くても、こうやってその面白さを。
インタビューさんみたいな。だって人って質問されなきゃ話せないと思うんですよ。
私も人からいろいろ上手っていろいろ褒めていただけたりとかするんですけど、私は人の話を引き出すのは上手だけど、誰か私の話を引き出してって思うことはよくあるんですよ。
落ち込んだ時とか、分解して考えるのが割と好きなんですけど、自問自答で分解しながらできる時もあれば、誰か私のもう一人を作って、私と同じ質問力で私に質問してよみたいな感じとか思う時があって、
それは叶わないんで、自問自答であれこれ考えるんですけど、だからなんか結構大人しい感じの人であっても、あまり人に自分のこと話さないんだっていう人であっても、私は結構さりげなく聞いてるらしく、
でも人の話を聞いても私覚えられないんで、ずっと覚えておくのは無理ですとか、前こんなこと言ってましたよねとかそういった話題は無理なんで、聞いても忘れると思ってくださいみたいなことは言ってて、
前に知り合いからあんまり自分のことは話せない知り合いから、忘れてくれるからなんかありがたいし嬉しいって言われて、あ、そうなの?自然にやってることなのにそうなの?みたいなのがあって、ちょっと不思議な嬉しさでしたね。
あんまり記憶力が良くて何でも覚えてたら、逆に話してる人は、話しててもコロコロ変わるっていうか、間違ったことも言っちゃう時があるから、そういうのまで覚えられてたら、あ、それ間違ったことなのにな?みたいな時もありますね。
私も記憶力悪いけど。良すぎても。
良すぎてもね。記憶力が良い人の話もよく聞くんですけど、彼ら彼女らは嫌なことがずっとリフレインして覚えてるとか言ってて、それもそれでしんどそうやなって思うし、
よく記憶力があるっていう人にどういうふうに記憶するのって聞いたことがあって、それは聴覚情報?声の感じで覚えてるのか、それとも見たものをそのまま映像として覚えてるのかどっちなんて聞いたら、見たものが映像であって、それが繰り返してるんだって言ってて、あ、全然原因が違ってもろいなみたいなとかはありますね。
あとちょっと話続いちゃうんですけど、最初冒頭に述べたかな?哲学対話が気になるって言ってたと思うんですけど、その中で問いを考えるってなった時に、問いって言っても文章の最後に疑問をつけるみたいないうことなんですけど、それがいざ問うてくださいとかなったら全然わからないとかなわけで、
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それを5W1H、WhoとかWhatとかWhyとか、たぶん中学の英語で出てきたと思うんですけど、それを工夫して聞いたら問いになるよとは言ってて、それはもともと本で読んでたんだけど、それよりずっとずっと前に、私普段から会話の上で人に質問するときに質問なくなったなとか思ったら、その5W1Hを意識するんですよね。
例えば相手の人が映画が好きって言ったなら、その5W1Hを使うとしたら、最近どこに映画行ったんとか、もしくは何の映画見たんとか、いつからそんなに映画が好きになったんとか、やっぱり人は好きなことを聞かれたら喋りたくなるから、それを元に喋ってて、そこからまた話を広げてみたいなのがすごい得意で、
昔からしてたことが哲学対話っていう問いになってて、すごい面白いんじゃないみたいな、いうところも興味につながったりはしてますね。
アリストって何ですか?
アリストさんはあまり知らないんですけど。
私は哲学とか考える避けてきたので、割と考えないで、例えば猫とか子供のとき飼ってて、猫とかってあんまり喋らないし、気楽に生きてる感じがあって見てて、
そういう感じであんまりいろんなこと考えないで、みたいなのが理想としてあったから、
あとしかも自分で考えてるならいいけど、複数人で何かを考えようってなると、聞いていて飽きてしまうっていうか、そういうのが耐えられないタイプなんで、
だから大人数の話とかね、仕事とかでも会議ってあるじゃないですか。何が嫌いって言われたら、まず会議って言いたくなるんですよ。
会議って何か答えを出さなくちゃいけないし、しかも大人数だし、しかも上下関係もあるし。
縛りが多いですよね。仕事の会議はつらい。
最適な答えってほぼ出ない。変な方向に行くし。
誰かの顔色を伺うなんかあったりとかするしね。
多数決とか、小学校とか中学校とかでも学級会議みたいなのあるじゃないですか。
大体変な答えになってて、苦手意識ありますね。
これまで学校でのそういう場であったりお仕事でも答えを出すことが良しとされているとか、
もしくは学校の勉強とかでも問題文があって答えを求めようっていうことがずっと当たり前であるんですけど、
哲学対話っていうのは答えを出すことは全然大事じゃなくて、問いが大事なんですよ。
24:05
なので哲学対話7つのルールっていうのがあるんですけど、そこで話しながらわからなくなってもいいんですよ。
知識じゃなくて自分の経験に即して話すなんで、聞いててわからないなーってことは聞いてるだけでもいいので、
どっかでわかるとこだったら自分こういう経験があるんだけど、こういう時こう思ったんですよねみたいなとかでもよくて、
その哲学って頭につくからなぜ生きるかとかそういう難しいことかなと思うんですけど、全然そうではなくて、
なんかちょっとおふざけの内容があったら、おでんの具になるとしたら何がいいとか、ご飯のお供には何がいいとか、年賀状典なんで書かなきゃいけないのとか、
日常のところからあえてそれを問いにしてみようとかいうのがあって、
自分一人で考えてるだけだったら半数思考というか、いいとかダメとかのジャッジとかになるんですけど、
あえてそれを何人かがいる中で問いとして出せば、そういえばなんでだろうねみたいなとか、
この間ツイッターの知り合いと盛り上がったのが、おでんの具になるなら何になりたいの話で、
他の人は卵とか何とかとかそれぞれ理由あるんですけど、私は大根になりたいなって言って、
なんでだろうってなったら、柔らかそうだしお出汁が染みてるのがいいし、
温泉みたいなところに使って全身おいしいお出汁になったらいいんじゃないかみたいなとか言って、
それで実際そこでは問いは続かなかったんですけど、たまに私ツイッターのスペースで、
一人哲学対話っていうのをゲリラ的に喋りたい時にやったりするんですけど、
例えばそれに問いをつけるとしたら、おでんの大根だけなの?他にどんな大根になりたいの?
鬼おろしとかそういう辛いやつにはなりたくなくて、大根餅とか柔らかいのになりたいんだよな、甘じょっぱいのおいしいじゃないみたいなとか、
いろんなのが出てくるし、っていうので話を深めていくのだと思うので、
あと哲学対話は時間が来たらズバッと終わるんですよ。答えを出すところじゃないから、
ちょっと物足りないぐらいで、ちょうどいいというか、ルール立てて作っていきたいっていうのを説明苦手な私が考えています。
言葉のイメージで難しそうな関係で、哲学に変わる言葉があるというね。
そうですね。私は哲学って言葉が気に入ってるんですけど、
でも初めて聞いた人はやっぱり頭に哲学がつくから、ちょっと苦手意識があったりとか、
要は対話だよ、対話って言ってもわかんないとかなってるから、
もっとキャッチーな言葉をつけた方がいいのかなぁとか思ったりはしますが、
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私個人としてはその4文字がすごく好きです。
子供電話相談室とかそういう感じ?
なんかね、ちょっとずれるかもしれないんですけど、
中学ぐらいの時に社会科の地理の教科書かな、
フィンランドのフィオルドっていう谷みたいな、渓谷みたいなところが、
あれ多分白黒、白黒で綺麗とは思えへんねんけど、
カラーかな、どっちかちょっと忘れたんですけど、
それを見て、わ、すごい綺麗なところ行きたいっていう風に刻み込まれたのがあって、その言葉が。
その時の先生と同じ先生だから、
普段はなんかボソボソって喋って、その先生の時間の時は大概寝てたんですけど、
時間って今この一瞬、もう1秒経てばそれは過去ですからね、みたいな感じのニュアンスのことを言ってて、
過去、過去なんだなーっていう、それで何か思ったわけじゃないけど、
なんか未だにちょっと残ってて、っていうのはちょっと今思い出した。
フィンランドのフィオルドっていうとこやったかな。
で、なんか普通に実際に大きくなってからでも、
そういう画像とか映像を見たらすごい綺麗なとこで、
なんでその単語を書いてたんだろうとか思いますけどね。
そうですね。
あと最近面白かった本、面白いというか、
さっき言った、ちょっと前に仕組みを知りたいって思ってた時期に、
叱る依存が止まらないっていう本で、
村中直人さんという方が書かれた本で、
叱る側の脳の仕組みであったりとかいうのを書いてあったんですけど、
私ずっと母親、父親からも怒られたけど、叱られてきたんですよね。
叱る側がどうなっているかとか、叱る側目線で、
私のことを見たらこうだったんだろうなっていう視点の移動ができて、
叱る依存っていうか依存になるっていうことで、
どっかしらで快感を感じているっていうことで、
ふと母親側の目線で想像してみたら、
自分がふっと挙げた手、叩くようのつもりの手もそうだし、
ハッと挙げた時に、目の前の子供が挙げるだけで身をすくめて怖そうな顔をするっていうのは、
支配している快感ですみたいなことが書いてて、
ああそういう快感感じてたよな、母親もみたいな。
私のことを喜ばせなさいよとか、
私がこうやって怒るのはあんたが怒らせてるからだからねみたいな感じの、
責任の所在の移動みたいな。
それは母親が選んでやってるのに、なんで私のせいなんだって今考えたら思うんですけど、
全部こう、私の一挙手一投足の態度が悪いことによって母親が怒ってたみたいな感じの図式で、
30:01
ずっと話してたもんだから、ずっとそれを信じてきたんですけど、
考えてみれば、ちょっと怒鳴るだけで子供が言うことを聞くとか、
それはそっち側快感でしょうねとか、それは依存しますよねみたいな、
ずっとやめられないでしょうねっていう、ちょっと冷めた感じというか、
その仕組みが分かったとか、負に落ちた感じがあって、
同時期に、発達障害とトラウマって本も読んでたんですけど、
そっちよりもしかる依存が止まらないの方が、私的にすごく負に落ちて、
母親は依存してたんだろうな、そういう形で私にと思ってですね。
小さい頃とか実家にいた頃とかは、やっぱりずっと母親の顔を伺ってたんで、
本当、手を挙げるだけで体が力入るとかもあったし、
あの頃の私、よく生きてたなっていうか、よく生き延びて偉かったよねって、
今では抱きしめたい気持ちでもありますね、とは思います。
ああいう時の親って、全てがそうとは言えへんけど、
生殺与奪権を握ってると思うんですよ。
生かすも殺すも自分次第的な。
私はその辺全然可愛らしくない子供だったんで、
家の外に出されることはちょくちょくあったんですけど、
泣き喚いて家に入れてっていう子じゃなかったんですよ。
外に出された。何か意思でちょっと絵描こうかなみたいな感じ。
何かまあでもしばらく入れてくれへんやろうし、
ちょっと外に飼ってる犬と遊んどこうかなとか。
その時は一軒家の住宅街のところだったんですけど、
向かい側の住宅の自分よりちょっと小さい年齢の子供も、
外に出された時は、
お母さんごめん入れてってやってて、
私全然しないなぁとか思ったりして、
ずっと入れてくれなくても全然泣き喚かず、
寒いなぁとか思ってちょっとこう寄せたりもして、
でも眠い時は本当玄関の前の石段で寝ちゃうんですよ。
だから親としては面白くなかったんだろうなぁと思います。
何かその叱る叱られるって本のフロイトとかの、
SMみたいな欲求とかで、
何か欲圧がそれになって、
何かいろいろ一人でいたら、一人で生きてたら、
そういうのないじゃないですか。
でも何かその親子だったり、
そういう複数いると必ず何かありますよね。
私、水槽で魚を飼ってるんですけど、
やっぱり一つのところには5匹いて、
やっぱり力の大きな魚と弱い魚がいて、
必ず何かいじめるし、
33:00
でも絶対そうなっちゃうんですよね。
もう違う水槽には2匹いて、
それも仲悪いし、
一匹でいたらそういうのが何にもないから、
喧嘩とかが必ずありますよね。
人間だってその魚と一緒で、
大人と子供だったりするんで、
やっぱり大人が強いし、力的に。
大人になるとやっぱりいろんなすごい頭の切れる人もいれば、
そうでもない人もいれば、
ものすごい力の強い腕力のある人もいれば、
どうしてもそういう力関係で、
バランスが悪くなったりとかって必ずありますよね。
国レベルでもそうですよね。
強い国と弱い国とかあったらやっぱりそうなるし、
力学みたいなのもありますよね。
でも思うにね、
競争の社会とか上下の社会で生きてるから、
上下が出るのかなと思ってて、
距離感かなと思うんですよ。
親子って、もちろん親も子供を選べないけど、
子供も親を選べないので、
基本同じ家に住んでたら、
性格が似てるとも言えども、
似てなくても喧嘩するじゃないですか。
血は繋がってるけど、
それぞれ違う体を持ってる、
違う考えを持ってる人間なので、
喧嘩も起きることもあると思うんですけど、
忘れちゃった。
何話してたんだっけ?
すぐ忘れるんですよ。
真面目な感じになる?
私ね、こういう話の深掘りとかすごい好きで、
他の人が聞いてて面白い話、
面白いと感じるのは相手の反応というか、
人それぞれなんだけど、
万人受けすると思ってないです。
中にはこういう親子関係のしんどい話聞いて、
トラウマ喚起されたとかいう人もおるかもしれんけど、
そういう人は聞き流してもらったらって感じで。
これ質問集見てもいいですか?
私は自分とかみんな死んで、
100年後の人とかが聞いたとか、
もし聞いたらとか想像したり、
あんまり自分のことに興味がないとか、
だから話とかでも、
今の出来事のことよりも、
変な話、訳の分からない話が結構好きで。
だから空想の話とかですか?
不思議な話とかも自分の興味があって、
そういうことを聞くと、
自分は滝の話とかもすごい興味がある。
そういう人それぞれ、
どこに興味があるとか、面白がるとかって違うからね。
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面白いですね。
あんまり現実のことには興味がない。
私はあんまり記憶が残ってないからか、
当時自分が何を考えてたかも覚えてないし、
思春期、小中のあたりとか、
感情も感覚も麻痺させてたので、
そうしたことを覚えてて、
精神的に自分を殺すことには全然抵抗がなかったので、
その時に何を自分が望んでいるのかなって、
放って考えてたら、
私は私の言葉を話したかったかなって思うんですよね。
家族の中では、
親の顔色を伺って話すしかなかったし、
そもそも話を聞いてくれなかったし、
話をしたらしたで弱みとして握られて、
後々大変みたいなことがあったので、
私はもう喋らないっていうことを選択して、
喋らないってなっても、
感情は沸き起こるから、
しんどいなーとか、
じゃあもう感じないようにしようみたいなのを、
あんまり覚えてないけど、
多分すごく努力してやめたんですよ。
いまだに人に何の質問だっていう、
そういうことを話すってなった経緯を忘れたけど、
私自分の意見を言いたかったんだよね、
みたいなとかいうのを言いかける時に、
すごく涙がこみ上げるというか、
いまだに泣いてしまうみたいなことがあって、
あれはある意味不思議な体験にもつながるはあるんですけど、
インナーチャイルドっていうのかな、
そういうのがずっと求めてたことなんだろうなと。
大人になった私が今それを叶えてるから、
今こんなに楽しいのかなとか、
今も話しながらちょっとグッてきてるのでありますね。
いいですよね。
そういうのがある程度理解してきて、
そういう行動にして、
今その昔の抑圧を解放したりできててね、
それはそういうあんまり考えないタイプだから、
自分の欲求とかも考えないですからね。
これを今何かをすることは、
もともとこういう意味があって自分がこうしてるんだろうかって、
考えないから。
考えるのを拒否してるのかもしれない。
たぶんね、
普通の人って言い方は語弊があるかもしれないんですけど、
だいたい普通の人はそうでできてると思うんですよ。
私ずっと割と最近というか今の仕事をつくまでは、
自分のことは他人ごとだったんです。
自分のことを話すのに他人ごとのように話すみたいなのがあって、
なんかっていう人はこういうふうに思ってるらしくてね、
みたいなとかいう感覚でずっと生きてたんだけど、
私さんとしてのキャラクターと本名としてのキャラクター、
キャラクターというかな、
39:00
私仕事の時全然喋らないんですよ。
ほぼ自像みたいな感じでいるので、
性格とか見た目、キャラクターも全然違うしってなって、
今の仕事をつくまでずっと無職期間はなかったけど、
だから本名の方でやることがあって、仕事が見つかったから、
ある意味自分ごとが他人ごとじゃなくなったのかなとかあって、
でも今でも時玉、帰りなのか何かわかんないけど、
今この人こう考えてるようですね、みたいなとかいうのになったりとか、
なんか自我をずっと手放してきてきたので、
他の人は自我が自分の体の中にいるっていうのは当たり前の状態だと思うんですけど、
私は体の外にずっと魂があったみたいな感じやから、
最近は体に戻れて嬉しいのかなみたいな感じですね。
感覚って説明はしづらいんですけど、
なんとなく見えてることでも言語化というか、
ちょっとずつ話をしていけば、
あ、そっか、私こう考えてるなぁとか、
もしくは言ってみて、いや、そうでもないかなっていう時もあるから、
やっぱ何かしら言葉にするのは大事なのかなと思います。
ああ、そうですね。
やっぱりなんかそこではそういうキャラクターというか、
役割として客観的にね、
そういうのを演じてるって役割をわかって、
それみんなありますよね。
仕事とかもそういうのをやってこそそこでできますよね。
そこの場ではそういうことを求められてて、
なんか私、大学の授業を取ってたことがあって、
そこで自分なりに期待してたのは、
誰でも若者って思春期っていうか、
たぶんみんな自分とは何だろうとか、
世界とは何だろうとか考えるじゃないですか。
若者特有な。
それで哲学を学べば、
ある程度そういう手助けになると思って。
で、哲学の授業があるんだ、
もうこれを取って、そういうのを役立てようみたいな気持ちで、
気合いさんで受けたんですよ。
だからもう永遠と哲学史の勉強なんですよ。
歴史みたいな。
誰々さんというものは、
もちろんアリストテレスという人がいました。
フラントンという人がいました。
そういう歴史を追って、
誰々という人はこういう論を唱えて、
そういうのを永遠とやったんですよ。
で、もうこれは歴史だと思って。
歴史を学んで、
こんな1年間安いなと思って、
途中で脱学してしまったんですけど。
で、哲学の先生は、
哲学者だと思ったんですよ。
イメージとして。
42:01
初めての哲学者かと思ったら、
つまんなそうなおじいさんが、
もうこの人があれだって言って、
ずっと話をするだけで、
そういう自分に対する、
自分の疑問に対する言葉は、
一切出てこなかった。
そうですよね。
前期のテストとかで、
それをやった。
ある程度疑問とか、
いろいろやっても、
全然いい答えも返ってこないし、
みたいな感じで。
そういう弁学としての哲学と、
そういう生きた哲学というのは、
繋いだなと思って。
やけつ屋と思います。
そこからはもう、
どう考えるのか予想みたいな、
そういう意味では、
いいきっかけになったかもしれないけど、
あまりその哲学を、
自分の助けに求めようという気持ちを、
打ち砕いてくれた、
いい経験になりましたね。
歴史上の人物が話す何々論とかって、
私も全然興味がなくて、
自分はどう考えるかとか、
もしくは目の前にいる近くの他者が、
どのように考えるかとか、
の方が興味があるなと思っていて。